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  • 『1年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が 一部上場企業からヘッドハンティングされるまで 第一回目』 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/1/3 『1年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が 一部上場企業からヘッドハンティングされるまで 第一回目』 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 『1年間うつ病で自宅に引きこもった派遣社員が、一部上場企業からヘッドハンティングされるまで 第一回目』 僕は1年間うつ病で自宅に引きこもっていました。 しかも正社員でもなく派遣社員しか経験したことがないという身分です。 正社員ならまだしも派遣社員でうつで1年間引きこもったら社会的にもう終わりです。 世の中に絶望し自殺寸前の状態にまでなりました。 そんな僕でしたがなんとか社会復帰を果たし、その後一部上場企業(株式会社エディオン)からヘッドハンティングを受け17店舗のエリアマネージャーに就任し500人以上の社員をマネージメントする立場として働くことが出来ました。 このように書くと綺麗なサクセスストーリーのように聞こえますが、実際はそんなにカッコよいサクセスストーリーではありません。 魔法のような成功するためのテクニックがあったわけでも、奇跡的な事が起こったわけではありません。 もしそういう成功テクニックやノウハウを期待されているとこの僕のストーリーはつまらないものかもしれません。 当然ですが派遣社員1年間引きこもったというマイナス地点から、社会復帰してエリアマネージャーになるまでは決して楽な道のりではありませんでした。 涙も枯れるような出来事の連続、地道な努力や様々な苦悩・葛藤の連続でした その中で様々な事を学び、経験しました。 それをありのまま起こったままの内容を共有したいと思います。 もしも今うつ病で自宅に引きこもっている方、社会に絶望している方、将来にまったく希望が持てない方がいたら 僕のストーリーがお役に立てれば幸いです。 ~僕が何故うつ病になってしまったのか~ まずは僕が何故うつ病になってしまったのかお話したいと思います。 ですが、これを話すとすごく長くなってしまいます。 少し長くなりますがお付き合いください。 僕の母親は若いころから脳の病気でした。 現代の医学では治すことの出来ない難病で、20回以上脳の手術を行っていました。 「水頭症」といって頭に水が溜まってしまいそれが脳の血管を圧迫してしまう病気です。 兵庫県神戸市にある「神戸中央市民病院」という日本でも有数の最先端医療を提供している病院の脳外科の専門医でもどうすることも出来ない状況でした。 ちょうど僕が大学を卒業した頃です。 僕は大学を卒業後、派遣社員でインターネット回線の獲得営業の仕事を家電量販店で行っていました。 よく家電量販店で買い物をしていると「インターネットのお申込みを一緒にどうですか!?」と聞かれると思うのですが、その仕事をしていました。 その仕事をしながら母親の看病と介護を行っていました。 僕が子供の頃から手術⇒入院⇒退院⇒手術を繰り返していたのですが、僕が大学を卒業する頃には手術をしても退院出来ないくらい悪化していました。 ほぼ植物人間のような状態が1年以上続きました。 当然ながら仕事と母親の介護&看病はかなりの負担でした。 しかも派遣社員ですので、そうそう仕事を休むことが出来ません。 介護休暇などあるはずもなく、無理に休むと速攻クビです。 残念ながら派遣社員には正社員では当たり前の権利が無かったのです。 ですので、休みの日を使って介護や看病に行くしかありません。 そのような状況は僕だけでもなく家族全員に負担が大きくのしかかっていました。 そうこうしているうちに父親が看病疲れから「脳梗塞」で倒れてしまい意識不明の重体になってしまいました。 その時は「いったい何が起こったか分からなかった」感じでした。もしくは自分の中で状況が飲み込めなかったと言った方が良いかもしれません。 父親も母親と同じ「神戸中央市民病院」に運び込まれました。 父親も母親も同じ病院で意識不明の重体というジョークにしても笑えない状況でした。 そして不幸な時は不幸が重なるもので、母親が家族の知らない間にクレジットカードで宝石やバッグなどを買い漁っていたことが判明しました。 おそらく病気続きでストレスが溜まりそれが散財に繋がったのだと思います。 クレジットで購入した商品代金は400万円以上あり、月に12万円以上返済していかないといけない状況でした。 月に12万円以上も返済していける訳がありません。 父親は意識不明の重体で生死も不明で生きたとしてもこれから社会復帰出来るかも分かりません。 当然僕も派遣社員でしたのでそのような大金を返済できる訳がありません。 そのような絶望に満ちた状況の中、母親がとうとう亡くなってしまいました。 母親の葬儀を行いましたが、父親は意識不明の重体でしたので、僕が喪主をせざるを得ませんでした。 僕と妹で葬儀を行いました。 その時はあまりの絶望感にもう何も考えられない状況でした。 参列した近所の方の後日談では「僕と妹が揃って自殺するのではないか・・・」と本気で心配していたらしいです。 葬儀が終わり、ホッとする暇もありませんでした。 母親が残した借金を何とかしないといけなかったからです。 また、父親も依然意識不明の重体だったので付き添わないといけなかったからです。 葬儀が終わってすぐ、運よく弁護士を近所の方から紹介してもらえたので相談にいきました。 本当は相談も短時間しか出来ないのですが、状況を知った弁護士の方が「あまりにもかわいそうな奴」と思ってくれたのか色々と解決策を教えてくれました。 そしてリニューアルローンという返済期間を長くする代わりに月々の返済額を減らす事にしました。 結果的に返済額は多くなりますが月々の負担はなんとか生活が出来るレベルまで抑えることが出来るようになりました。 借金の返済の目途が立ったころ、父親も手術が功を奏しなんとか一命を取り留める事が出来ました。 ただ、意識がはっきりしない状況でしたので、長期間のリハビリが必要になるという事でした。 その後、仕事をしながら休みの日に父親の看病+リハビリを行うというという日々が始まりました。 父親はリハビリ開始時は「ここがどこなのか?」とか「今の季節は?」とかも分からない状況でした。 この状況が続いたらとてもじゃないが社会復帰は無理だと思っていましたが、数か月が経ち少しずつ意識がはっきりしてきました。 リハビリ開始からちょうど半年くらい経った頃です。 そしてなんとか社会復帰が出来るような状態まで回復しました。 「やっとこの苦悩の日々から解放される!」 そう思いましたが、ホッとしたのも束の間、僕の精神状態はもうボロボロになっていました。 何をするにもやる気が出ない、世の中がどうでもよく思えるという状況で、仕事も手につかない状況になってしまいました。 おそらく「燃え尽き症候群」に近い状態だったのだと思います。 その後近所の精神科に受診すると「うつ病ですね」と言われました。 本来ならショックを受けるような状況だと思うのですが当時の僕はそれすらどうでもよい状態でした。 そしてとうとう働けないくらいに精神状況が悪化し、派遣社員の仕事も辞めざるを得ませんでした。 そこから1年に亘るうつ病の生活が始まりました。 率直に言って本当に辛い期間でしたし、体験した方でないと分からないくらいに大変でした。 今回のストーリーはここまでです。 次回は「うつ病との闘病」について出来るだけ詳細にありのまま書いていきたいと思います。 自殺未遂をした事、オンラインゲームにのめり込んだ事、家族に迷惑をかけまくった事など本音の内容を書く予定です。 また、どのようにうつ病を治したのか、どのように社会復帰したのかについても詳細にありのまま書きます。 ⇒第2回目はこちら X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 現役インストラクターの本音#3 生徒との恋愛、インストラクター同士の会話、トラブル、プライベート、変わってる人々… | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 現役インストラクターの本音#3 生徒との恋愛、インストラクター同士の会話、トラブル、プライベート、変わってる人々… Facebook X (Twitter) リンクをコピー 梅ちゃんの名言 70代の「梅ちゃん」と30代の「レイちゃん」の会話 レイちゃんはシングルマザーで、たぶん夜の仕事をしている 梅ちゃんの素性は不明 (私は自ら個人的なことは、あえて聞かないようにしている) 何故この2人が仲良くなったのかは不明だが、レッスン後の2人の会話が面白くて仕方ない ある日… レイちゃん「 梅ちゃんの今日の私服、超プリンセス~」 梅ちゃん「 あら、ありがと」 レイちゃん「 今年、PTAの役員になっちゃってさ~」 梅ちゃん「 母子家庭なのに?」 レイちゃん 「今はシングルなんて、珍しくないからねー」 梅ちゃん「 今の子はすぐに離婚できて良いわね~」      「 むかしは、母子家庭って言ったら『戦死』 よ『戦死』」 レイちゃん「 戦死うけるー!」      「バイビー梅ちゃん」 梅ちゃん「 はい、おつかれさま」 別の日… レイちゃん「 つーか、いい男捕まえるためにさぁ… ヨガやってるし、ネイルも気使ってるし、エステもたまに行くしさ~ かなり女子力気にしてるのに、いい男できないんだよー どっかにいないかなぁ、金持ったイケメン」 梅ちゃん「 その努力を仕事にまわした方が早いわよ~ 自分にお金があれば男なんて顔だけで選べるんだから」 レイちゃん 「たしかにー(驚)! バイビー梅ちゃん」 梅ちゃん 「はい、おつかれさま」 とある日… レイちゃん 「ねー!今度食事に誘われたんだけどさー。ひとまわり上のチョー金持ちなんだけど、ちょーブスなんだよね~ 付き合うとかは絶対むりむり…」 梅ちゃん 「何言ってんの!お金持ってるなら、顔なんて付いてりゃいいのよ!付いてりゃ!」 レイちゃん 「それなー(笑)! バイビー梅ちゃん」 梅ちゃん 「はい、おつかれさま」 梅ちゃん… いったいどんな人生を歩んだらそんな名言が飛び出すんだろう… 気になって仕方ない… 座布団足りません。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • Windowsが起動しない・・orz | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/2/10 Windowsが起動しない・・orz Facebook X (Twitter) リンクをコピー こんにちは 今関です 昨晩、マジで顔面が蒼白になりました すくなくとも仕事で使うPCは バックアップが基本ですね 「こまめにPCのバックアップをとる」 これ、マジで基本ですね 昨晩仕事を終えてPCをシャットダウンして しばらくしてやり忘れた作業があったことに気付き PCの電源を入れたところ・・ なんとWindowsが起動しませんでした そして、システム回復モードみたいなのが立ち上がって 何を試しても、windowsが立ち上がらなくなりました 別のPCを立ち上げながら色々と調べて 結局のところ原因はよくわからないのですが、 多分windowsのUpdateのせいっぽいです Updateして動かなくなるとか、 マジ地雷しかけるなよって感じですよね 実はシステム復元ポイントを作っていて、 それを元にリカバリーができれば 大した問題じゃなかったっぽいです でも、私は復元ポイントを作っておらず リカバリー=ほぼ初期化になってしまうので 手っ取り早い解決ができませんでした というわけで、マジで仕事に使うPCは バックアップをとっておいたほうがいいです 色々と調べてみたところ、RealSyncというソフトが ワンクリックでバックアップとれて簡単みたいです RealSync ⇒ http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/realsync/ Windowsのアップデートで 起動しなくなるという話は知ってましたが、 まさか自分がなるとは思ってませんでした これ、前LINEが乗っ取られた時にも言ってたような セキュリティの話は人ごとじゃないですね X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • TDD ( Timebox Driven Development ) という考え方 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/4/23 TDD ( Timebox Driven Development ) という考え方 Facebook X (Twitter) リンクをコピー この 10 ヶ月スマホのアプリを幾つか作った経験から、自分の中で反省をし改善をする必要があると感じていることがあります。 それはプロジェクトの進捗管理とタイムマネジメントです。 まず前提としてB to C のもの作りは外部環境から決められた納期がないのでプロジェクト管理・タイムマネジメントがとても難しいです。 期限を決めてプロジェクトに取り組んでいても、「機能を増やしたい」「バグが出た」「アイコンが決まらない」「このエフェクトを少し直したい」といった理由でじゃあ少し伸ばすか。しょうが無い、今週リリース予定だったけど来週にしようみたいな事が多々あります。しかし、そういったものが積み重なると、あれ?これって先月くらいに終わってた予定じゃなかったっけ?!といった状況が当然ながら生まれます。 ここで問題なのは、誰も手を抜いている訳じゃないのにズルズル遅延しているということです。周りに状況を説明してもそれじゃあ仕様がないよね。となるわけです。 しかし、考えるまでもなくこういう状態はとても良くないです。時間制約がない中で行動をすると、人間は自分を律することがとても難しくなります。 これを回避するためには、プロジェクトの管理・タイムマネジメントの意識を予めチーム内でコンセンサスを取っておくというプロセスが必要だと感じています。それは、根性論で長時間働いて期限を守ろう!というスポ根的なものでは勿論なく、プロジェクトの目的を設定し、期限内で出来る最大効果は何かという一点にしぼる事から始まるのではないかと思います。 時間制約のある中で行動をすると人間の思考は無駄が省かれスリム化し、効率も発想もよくなります。自分で自分を追い込むと人は案外柔軟に対応できるものです。今のチームではこれをTDD ( Timebox Driven Development ) などと提唱して動いております。 So far 良い感じ! X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • この頃 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/6/3 この頃 Facebook X (Twitter) リンクをコピー この1か月の間に、ご近所のお年寄りが3人も亡くなった。あまり親しくしているわけではないが、早朝の救急車のサイレンにドキッとする。長閑で、穏やかな山間の里にもこんな日常が潜んでいるのだと改めて感じているこの頃である。 近頃は早朝から、にぎやかに鳥たちのさえずる声の大きさに驚く。窓を開けると、さわやかな風と共にこの鳥たちのさえずりに、耳を奪われる。どの木にいるのかと思いきや、庭先のブルーベリの実を食べにやって来ている。仲間を呼んで楽しんでいるのだ。川辺にはセキレイやカモのつがいが居たりする。バードウオッチングの本でも買って来ようかな。 庭には昨年咲かなかった花がよく咲いている。何にもなかった庭がにぎやかに色づいてきた。昨年確かにいたのに沢ガニに全部食べられてしまって一匹も居なくなってしまったメダカも、三島の友人から貰ってきて大きな水槽をもらって入れてみた。今年は大事に育てよう。 畑を整理して、土も入れ替えて、トマトやピーマン、トウモロコシと欲張って植えてしまった。ベランダのカウンターに作った葉物野菜の中に昨年からの落とし物の種から、シソやエゴマの葉が沢山出てきて、毎日収穫している。エゴマの葉は朝のサラダに毎日つかっている。先日、外出から戻ってみると玄関先になんとサニーレタスの袋が2つもあった。どなたかわからず、3-4日お礼も言わず、いただいてしまった。野菜の自給自足は定着しつつある。人生を豊かに生きる、ちょっとした無理をしない頑張りも慣れてきたような気がする。 世の中は騒々しいことが多すぎて、考えさせられることだらけ。そんな中、先日タイから友人が来た。久々に、東京銀座で会食した。人の多さと新しいビルやブランド店の多さに戸惑う。どこに居ても、時は移ろい、やがて歳を重ねる。 宇佐美の海辺を犬と散歩を楽しみ、二度目の夏を迎えようとしている。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • リスナー、読者といつか共演する。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 リスナー、読者といつか共演する。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私のStorysを大切に読んでくれる読者がいたら 私はその読者といつか話をしてみたい。 私のStorysの記事ならどれが好きなのかとか 私の台本とか、小説を出せたら どの【作品】が好きなのかを 【対談】したいし 私の作品を【愛してくれる】大切な 【読者】様が 【共演したい、コラボしたい、対談したい】というなら 私も真剣に考えます。 【全員】は、難しいけど 私の推しで、私のStorysの【読者】だときくと 本当に幸せで 【両想い】だと感じる。 その相手が【同性】でも。 私のStorysを大切にしてくれる。 だから私も同じくらい 【その読者】を大切にします。 言葉で【大切にする】とか 【私を応援して後悔させない】とかいっても【口ばかり】にならないように 【行動で示します】 私の推し、神推しが 【朗読】してくれたり 【台本読みます】といってくれて 【形になり始めている】 【私の作品】が。 読んでくれた全ての【配信者】へ 敬礼。 心からありがとうを。 とても幸せです。 #神推し7 #朗読 #Storysを読んでくれる大切な君へ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 1日15時間・30連勤のブラック企業に3年半勤めた社畜が独立して感じたこと。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/2/3 1日15時間・30連勤のブラック企業に3年半勤めた社畜が独立して感じたこと。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 『一歩先は足場もない崖だと思っていたら実は楽園だった』 僕はこれまでの人生で一度も『人生の第一志望』というものに合格したことはなかった。 学校の成績もとりわけいいわけではなく、せいぜい中の上 スポーツはといえば、足が速いわけでもなく、男子中高生の平均値くらいだ。 クラスで最高でも最悪でもないどこにでもいそうな冴えない僕は世間で言う『一般ピーポー』というやつだったのだろう。 当時は特に劣等感というものもなかったので『どうせ自分は...』と無意識に諦めていたのかもしれない。 そんなごく平凡な人生を送ってきた僕だったがついに転機と呼べる時がきた。 『大学受験』だ。 僕は中学は地域の公立校で、高校も隣の市にある偏差値50くらいのところだった。 そんな『THE・平均人生』を歩んできた僕は大学くらい頑張っていいとこを狙ってやろうと決意したのだ。 なぜここにきて頑張って平均値以上の人生を狙おうと思ったのかははっきり覚えていないが、おそらく『いい大学=人生のステータス』というまぁ日本の学歴社会の風潮に洗脳されていたのだろう。 高校2年の春から進学塾に通い、3年になってからはほぼ毎日勉強していた。 多分、夕方5時に塾の講義を受け、深夜0時くらいまで自習室でこもって一人勉強していた。 学校が休みの日は16時間はやっていたと思う。 完全に自分はスーパー受験生になった気分でいた。 成績もどんどん上がっていき、第一志望は余裕のはず ....だった。 しかしあれだけ頑張った結果、第一志望の大学の全学部に落ちてしまった。 わけがわからなかった。 『あれだけやったのに...なぜ』 その悔しさと同時に 『どうせ自分は結局こんな人生なんだ』とふとあの言葉が蘇った。 結果、滑り止めで受けた三流大学に入学し、留年することもなく無事に4年で卒業できた。 親しい友達は多くでき、プライベートは充実していた。 しかし、遊びに夢中になりすぎていたのか勉強は全然してなかった。義務教育という檻から完全に自由になった僕は、授業はよくサボるし、そもそも大学に行かないことも少なくなかった。 テストはレポートを出せば平均点は取れるような授業ばかり受講したおかげで単位は取る事ができた。 昔からこういう無駄に効率がいいところだけは才能だったかもしれない。 大学3年の秋、ある一大イベントが始まる。 そう『就職活動』だ。 僕は就職して会社で働いている自分がどうも想像できなく、全くやる気がなかった。 大学生活が楽しすぎたのかいつまでもこうして遊んでいたいと思っていた。 ピーターパン症候群と言われてもおかしくないくらい。 だが周りの友人は就職活動に専念しているわけでしないわけにもいかなかった。 とりあえず基本的な活動はしてみた。 会社説明会に行ったり、筆記試験の勉強をしたり、しかしどの会社の説明会に行っても全く働きたいと思える会社がなかった。 『自分は社会不適合者なんだ』と本当に思っていた。 ただ周りに合わせて就活している感が半端ではなく、当然そんな気持ちでやってもいい結果が出ない。 またあの言葉が頭を遮った。 気付いたら僕は就活をやめていた。 完全に『ダメなやつ』の仲間入りだ。 自分のこの先の人生はどうなるのだろうか。 『ニートか』『フリーターか』それとも... そして迎えた卒業式 周りはと言えば、大手企業に内定したやつもいれば、国立大学の大学院に行ったやつもいる。 そんなやつらを見ていると劣等感を感じずにはいられなかった。 涙と笑顔で満ちるはずだった卒業式に僕はウソの笑顔でできた仮面を被ってそこに立っていた。 楽しかった大学生活が終わる一方で、明日から何もない人生が始まる不安を感じていた。 桜舞う4月、テレビのニュースでは各会社の入社式が取り上げられていた。 期待と不安に満ちた多くの新社会人がそこには写っていた。 『自分は一体何をやっているのだろう』 そんなことを考えながら月日は過ぎ、気付けば蝉のなく季節になっていた。 アルバイトはしているものの、このままだらだら行けば本当にお先真っ暗じゃないかと思った僕は再び就職活動をすることにした。 それは『義務』でしかなかった。 義務教育から卒業したのに、義務社会へ入学したのだ。 とりあえず、何社か受け、なんとか内定をもらうことができた。 当然、一流企業ではなく、ごく普通の中小企業だった。 それでも僕は嬉しかった。 大学卒業後の人生と比べると天と地の差だ。 『これで立派な社会人だ』と胸をはって自分に言う事ができる。 希望溢れる社会に飛び込んだはず だったのだが.... どうもおかしい。 みるみる体重は落ち、顔から生気はなくなり、気付けば廃人になっていたのだ。 こんなはずでなかった。 もっと生き生きと働き、立派な社会人てやつになるつもりだった。 勤務時間は1日15時間勤務が1ヶ月以上続き、会社で寝泊まりしている人させもいるくらいだった。 そう僕が入社したのは『ブラック企業』だったのだ。 ・1ヶ月連勤当たり前 ・残業代はもちろんなし ・ボーナスもなし ・昇給は1年1回の500円 ・おまけに退職金もなし 素晴らしいくらいの労働環境だったと自分で思える。 もうネタでしかない。 こんな会社でも辞めなかったのは、『もうあの時に戻りたくない』と思っていたからだ。 夢に向かっていく友人と一歩も前に進んでいない自分を見たくなかった。 そのわけのわからない原動力のおかげで気付けば入社3年目を迎えていた。 その頃には僕には『ブラック企業の社畜』というブランドがついていた。 こんな会社でも勤続していれば環境も変わり、よくなるだろうと思った。 しかし僕の考えは甘かった。 ふと10年先の先輩を見ると僕と変わらない仕事をしていたのだ。 そして命令にYESと答えるだけのロボットになっていた。 『あれ?これやばいんじゃないか...』 僕は10年後の自分にその先輩を重ねてしまった。 希望を求めて飛び込んだ社会の姿はそこにはなかった。 『自分が本当に求めていたものはなんだろう』 『見栄か?』 『ステータスか?』 そう思えばずっとそうだった。 僕は何に対しても本当の本気になったことはなかった。 大学も就職もこれまでの人生において『自分の人生の第一志望』から逃げていた。 いやむしろ『諦めていた』のかもしれない。 そんなことを思っているとあの楽しかった大学生活の思い出が蘇ってきた。 『もっと自由にクリエイティブに生きられたらなぁ...』 いつしかそんな風に思うようになっていた。 それが確信に至までそう長くなかった。 見つけた。僕の人生の第一志望。 『何にも縛られることなく、自分らしく生きられる手段』 そう考えた時、答えは一つしかなかった。 『独立』 しかしごく一般のサラリーマンだった僕は独立と言ってもお金も実力もましてやコネなんて全くなかった。 どう考えても会社を辞めて失敗するパターンだ。 でも僕は諦めなかった。いや諦めれなかった。 今、やらなければいけないと直感で思った。 これまで自分の人生に対して中途半端にやってきたのだから、やっと見つけた自分の第一志望に本気で挑戦して見ようと決意した。 そこからこんな僕でもできることはないかと探しまくった。 お金も実力もコネもないただのサラリーマンが独立して自由な人生を手に入れるなんて、ドラえもんのひみつ道具を使わなければならないくらいのレベルだとは十分承知していた。 そして僕はある知恵と出逢った。 それが正しいか間違っているかはわからなかったが 『これしかない!!』と思ったのだ。 人間は不思議なもので根拠や自信がなくても運命を感じた時、心にビビッと電流が走るものなんだと今なら言える。 僕は人生のすべてをかけて取り組んだ。 本当にこれまでにない真剣さがそこにはあった。 自分の人生の第一志望が叶う瞬間を想像するのが楽しくて仕方なかった。 しかし、忘れていたことがあった。 『会社』だ。 僕はもう辞める気満々でいたのだが、そう簡単に辞めさせてもらえるほど甘くなかった。 『あと数年あれば将来ある会社になる』 『どうしても隣の芝は青く見えてしまうものだから』 なんどこの言葉を言われたかわからない。 確かに辞めたらどうなるかわからない。 会社を辞めて独立するということは、自分の力で生きていくということだ。 会社の看板を借りることも、毎月一定額の給料が口座に入ることもなくなる。 言ってしまえば 『一歩先は足場もない崖』ということだ。 そう考えると不安はあったが、これだけは譲れなかった。 ここでやめてしまえばまた逆戻りだとわかっていたからだ。 そして来たる退職日 3年半お世話になった会社を辞めた。 そして崖だと思っていたその先は、ちゃんとした一本道が続いていた。 □最後に□ 最後までお読み頂きありがとうございました。 ここまでご覧になって『なんてダメなやつなんだ』と思われたことでしょう(笑) 僕自身も過去を振り返って文章を書いている途中で『完全にダメなやつだな』と実感しました(笑) そして、僕は今インターネットビジネスという仕事をしており、自ら実践するだけでなく、多くの人に教えるといったコンサルティング活動もしています。 僕が3年半会社で働き独立して今は自由な人生を歩んでいますが、本文でも書きましたがとりわけ素晴らしい実績があったわけでもありません。 そんな僕がこのようになれたのは『人生の第一志望』を見つけ、本気で挑戦したからだと思います。 人生の第一志望って聞くと何か大層なことに思えますが、全然そんなことなくて誰もが持っていることだと思うんです。 例えば、『もっと遊ぶ時間が欲しい』『レストランでおいしいものを食べたい』とか 人生の第一志望=夢ではありません。 人生の第一志望とは『あなたの本音』です。本当にやりたいことです。わがままです。 でも大人になるうちにみんな諦めてしまいます。 『どうせ無理だろ...』って その時点で一生叶いません。 なので年齢や経験、環境なくそれぞれのわがままを持って、『どうやれば実現するかな?』 と考えることが大事です。 考えるうちに選択が見えてきます。 僕はその選択をして本気でやったまでです。 ですので、どんな些細なことでも人生の第一志望を見つけ挑戦してみてください。 長々となってしまいましたが、僕の話はこれで終わりにします。 ストーリーの続きが気になる方は僕のブログのプロフィールで発信していますのでそちらをご覧下さい。 [ブログ] https://kiraffiliate.com/ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 雑誌を作っていたころ(23) | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/8/3 雑誌を作っていたころ(23) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 神風  学研から切り離され、グループ会社となった青人社は、「2年で倒産する」と予想されていた。その根拠は、月150万円ペースの赤字だった。「ドリブ」と「おとこの遊び専科」が稼ぎ出すわずかな黒字では、30人の所帯をまかなう一般管理費が出てこない。それまでは「日本こころの旅」などのムックで帳尻を合わせていたが、ムックが出せない環境では赤字がもろに出てしまう。  馬場社長は独立に当たって、「出を制し、入を増やす」という当然の策を講じた。まず、創刊以来続いてきた「ドリブ」の車内中吊り広告をやめた。これで月300万円の節約ができる。次いで編集制作費を10%カットした。タクシーの使用については、理由書の添付が義務づけられた。典型的な赤字企業の「縮小再生産モデル」である。  収入を増やすためには、書籍編集部の新設、広告営業の活発化が実施された。少し前から社長の趣味でスタートしていた「歴史百人一話シリーズ」に加えて、「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の人気連載を書籍化することになったのだ。ぼくは「書籍部編集長」の肩書を与えられ、責任者になった。  広告部には「これまで断ってきた広告を、全部載せろ」という指示が出た。学研広告部は殿様商売なので、少しでもいかがわしい広告は掲載を拒否していた。それを拾いまくって売上げを向上させようと考えたのだ。  だがそれら一連の戦略は、一歩間違えば「典型的な三流出版社倒産への軌跡」となる恐れがあった。宣伝や制作費をケチれば、雑誌の売れ行きは必ず落ちる。「企画力でカバーしろ」というのは「竹槍精神論」にすぎない。また、慣れない書籍作りは赤字を増やすだけになるかもしれない。広告の掲載基準緩和は、誌面を汚らしくして読者離れに拍車をかける危険性があった。  ぼくはそう言って社長の案に反対した。だが、社長は顔を真っ赤にして怒鳴った。 「きみの言っているのは、書生論だ。そういうことは、きちんと収益が出てから言うものだ!」  彼は激しく机を叩き、社内を睥睨した。本当は社長も、こんなことはやりたくないのだ。ほかに方法が見つからないので、自分に腹を立てているのだ。ぼくはそれを理解して、引き下がった。あとに無力感が残った。  新設された広告部は、掲載基準の緩和を喜んだ。それまで通りの広告営業なら、学研広告部の人たちが築いた人脈を引き継ぐだけだが、基準が変われば新しいクライアントと代理店との付き合いができる。2人の営業マン、奥薗部長と石川主任は、もともとそういう世界が得意な人たちだった。その効果はすぐに現れ、聞いたこともないような名前の広告代理店から、電話がじゃんじゃんかかるようになった。  嵐の第一陣は、当時ピークにさしかかっていた「結婚紹介ビジネス」だった。アルトマン、OMMG、ダイヤモンドといった「コンピュータで理想の広告相手をご紹介します」という商売が大流行していたが、どこも女性会員ばかりで男性会員が少なかった。そこでハガキつきカラー見開き広告を「ドリブ」に掲載したところ、空前のリピート率を記録したため、業界の全社がレギュラー出稿するようになったのだ。  ハガキ付き見開き広告は、「折」という16ページ単位の製本上の境目にしか入れられない。「ドリブ」の台割上、その位置は8箇所しかなかったが、そのうち六箇所が「結婚紹介ビジネス」のハガキ付き見開き広告で占拠されることとなった。編集部は「扉ページが作れなくて格好が悪い」とかなんとか文句を言ったが、毎月1200万円の広告収入を前にしては、黙るしかなかった。  続いて、「おとこの遊び専科」の1色タテ3分の1広告がいっぱいになった。「美容整形」の広告を解禁したため、新宿形成クリニックや高須クリニックをはじめとする包茎カッターたちが、財力にものを言わせてスペースを買いまくったのだ。ただし、医事法によって病院の広告は院長名と専門科目、所在地と連絡先くらいしか載せられない。そこで彼らは本を作ってその宣伝をしたり、レーシングチームに出資してそのニュースを載せさせたり、あの手この手の戦略を駆使した。「遊び専科」のスペースが埋まると、その勢いは「ドリブ」を襲うこととなった。  そして本格的な神風が吹いた。「ダイヤルQ2」の大流行による「パーティライン」「2ショット」「伝言ダイヤル」などの「出会い系サービス」が、雪崩のように「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の1色広告ページを埋め尽くしたのだ。 「ダイヤルQ2」を利用した風俗産業は、女性会員はフリーダイヤルで無料にしておき、男性会員から法外な通話サービス料をせしめて利益を出す構造である。素直にお金を払う男を集めるには、「彼女いない歴」が長く、勤め人で一人住まいの多い「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の読者を狙うのが最適だったのだ。  その手の広告は、カラーページである必要はない。なるべく暗く、いかがわしい雰囲気の広告のほうが、反響があるものだ。「角雑」と呼ばれる、記事の隅に入る小さな広告スペースや、ヨコ5分の1という記事の下1段をとる広告スペースが、真っ先に売れていった。広告部長の奥薗さんは、馬場さんに進言して「連合広告」を解禁させた。これは、広告代理店に1ページ単位でスペースを買わせ、代理店が団地のようにそのページをコマ割りして再販売するものだ。見た目がお世辞にも上品とは言えないので、一流誌では見ることはない。「号あたり5ページまで」としたそのスペースも、先の先まで埋まってしまった。 「すみませんが、来月号は先週満稿になりました。その次の号もまもなく満稿ですから、お申し込みはお早めにお願いします。タテ3ですか? 年内は無理です。記事タイアップでよければ、10月号で取れますが」  広告デスクの宮木さんが申し訳なさそうに電話で答える言葉が、まるで留守番電話の応答メッセージのように思える日々が続いた。「ドリブ」と「遊び専科」を合わせた広告収入は、毎号5000万円を突破。学研広告部時代に比べると、4000万円の増収となった。年商ベースに直せば、5億円近い伸びである。「赤字」や「倒産」という言葉は、完全に過去のものになった。 「社長、これは税金対策をしないと大変ですよ」  満面に笑みをたたえた経理部長の鈴木さんが、口癖のように馬場さんに声をかけるようになったが、その言葉の通り、広告収入の飛躍的な増大で、青人社は学研からの独立による財政的危機を乗り切り、黒字基調で決算を迎えた。売上金額は約10億円。経常利益は1億円を超えた。ということは、数千万円の税金を支払うわけだ。  ぼくらは連日、社長の机の周りに集まり、さまざまな陳情を繰り返した。 「机と椅子を新調してほしい」 「編集者の仮眠施設を作ってほしい」 「電車の中吊りポスターを復活してほしい」 「もっときれいなビルに引っ越したい」  要するに、みんな税金を払うのがもったいないと感じていたのだ。だから経費で使ってしまおうと、さまざまなプランを持って社長を責め立てたというわけだ。だがしかし、社長が許可したのは冷蔵庫の買い換えと、ポータブルワープロ5台の購入だけ。どちらもぼくの稟議だった。  大型冷蔵庫への買い換えは、社長が夕方飲むビールを冷やすのに必要だったし、5台のワープロは、当時進行しつつあった原稿の電子化に対応するために、どうしても譲れないものだった。しかし、その他の要望はすべて却下された。 「あのケチ社長がなぜ税金を払うのか」  という疑問で、社内は騒然となった。そのことに関する質問を、社長はいっさい受け付けなかったので、疑問は様々な憶測を呼んだ。  ひとつの答えが提示されたのは、それから数カ月たった後のことだった。業界紙に出版社の売上げランキングが掲載されたのである。いち早く社長が赤鉛筆で印を付けたところには、青人社の名前が第50位として載っていた。 「どうかね。平凡社はこの中にないんだよ」と得意満面で語る社長の顔を見て、ぼくらは「ああ、社長はこのランキングに載りたいから税金を払ったのだ」と納得した。コストの高い見栄だと、やりきれない思いだった。  しかし、その理解は甘かった。それから3年後に社長が食道ガンで死去したとき、学研の経理担当役員が「あのときの税金は、馬場くんの役員報酬を払うためのものだよ。税引き後の利益を見て、役員報酬というのは支払われるのだから」と、こともなげに語ったのが真相だった。社長は自分のボーナスを少しでも多くするために、ぼくらの要望を蹴ったのだ。  その時点ではまだそんな駆け引きは知らなかったが、ぼくは「この社長から何かを引き出すには、騙さなければダメだな」と悟っていた。それが、翌年のマッキントッシュ購入につながる。ぼくはDTPの個人的な実験をするために、総額300万円の買い物をしようとしていたのだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 全ての夫である男性たちへ! 俳句『うたた寝に 心地よく鳴る モズの声』を毎日3回共に唄おう | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 全ての夫である男性たちへ! 俳句『うたた寝に 心地よく鳴る モズの声』を毎日3回共に唄おう Facebook X (Twitter) リンクをコピー X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 海外あちこち記 その20 パリのタクシーに乗っていた犬と運転手のプロ意識 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 海外あちこち記 その20 パリのタクシーに乗っていた犬と運転手のプロ意識 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 昭和50年代の初め頃の出張時のことです。 パリのタクシーの助手 ロンドンのヒースロー空港とパリのシャルル・ドゴール空港の間は一時間ごとにシャットル便が飛んでおり、予約無しでも来た順で乗ることが出来ます。思ったより早く空港に着いたので予定より一便早い飛行機でパリに着きました。課長が先にパリに日本から着いており電話で聞いたホテルの住所をメモし、タクシーの運転手に見せてホテルに向かいました。 乗ったタクシーの助手席には大きなコリー犬が乗っていてギョッとしました。 空港から走り出すと沢山のタクシーが助手席に色んな大型犬を乗せてるのが見えました。タクシー強盗が多く運転手がよく殺されるので、強盗除けに乗せていると聞きましたが、皆おとなしくきちんと 座っているので、長年、動物の扱いに慣れている連中は違うなと思いました。空港から出るとYKKという看板を出した大きな工場が見えました。あちこち国の空港近くの工業団地に当時からYKKは進出していました。 運転手のプロ意識 パリの中心街に着きましたが、課長が予約したホテルがメモの住所に見つかりません。運転手はぐるぐる廻った後、住所の近くの大ホテルに入ってフロントに聞いてくれました。その後目指すホテルを見つけてくれましたが、大通りから一筋入った裏通りに面した宿屋のような小さなホテルでした。彼の分かりにくい英語の説明では、住所の番地が一つ違っていたそうです。ロンドンの箱型タクシーの運転手もそうでしたが、このパリのタクシーも意地でも客をちゃんと行き先に届けるという意志が背中に漂っており、この中年の運転手についチップを沢山はずんでしまいました。ホテルはトイレが共同でバスなしのBアンドBホテルした。課長は町に出たのか外出でした。チエックインして部屋に入りホットしていると課長が帰ってきましたが、一応飛行機の時間を連絡していたので、空港へ迎えに来てくれたそうです。こちらが一つ早い便に乗ったので行き違いになりました。ウイーンで日本から電話を受け、ロンドンで同行の技術屋さんを日本への飛行機で送り、その後パリへ廻ったので 、あいつ一人でちゃんと来よるかなと心配されていたみたいです。有り難くお迎えのお礼を申し上げました。 翌朝、ホテルのクロワッサンとカフェオレだけの朝食は、パンはこんなにおいしかったんだと神戸を離れてから「山崎製パン」のパンで萎えていた舌が感激していました。 もう一つの顔は警察国家? 休日にシャンゼリゼを凱旋門の方へ歩いている時、突然大量の警官隊が現れ、大通りの両側にびっしり展開しました。車輌も通行止めになりました。写真を撮りに車道に出たアメリカ人観光 客が 無表情の警官に邪険に歩道に押いやられています。 何事!!と見ていると黒塗りの大型車が何台も猛スピードで白バイの先導で飛ばしていきました。大統領のお通りでした。空にはいつのまにか武装ヘリも飛んでいました。華やかなシャンゼリゼの空気が一瞬にして変わりました。あの落差の激しさは凄かった。映画「ジャッカルの日」の一場面を目の当たりにしたような気持ちです。 映画だけでなく、実際いつも暗殺に備えた厳重な警備を布いていたようです。 パリ警視庁の建物に連れ込まれたまま、ついに出てこない政治犯や外人犯罪者が毎年何人もいると読んだことがありましたが、ヨーロッパの他の国に比べてもフランスの支配体制維持のシステムはしっかり保持されているという話は、本当だと屋台で買ったアイスクリームを食べながら思いました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • インドネシアの会社が4年目に突入。それでもまだ僕は生きている。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/6/11 インドネシアの会社が4年目に突入。それでもまだ僕は生きている。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 早いものでインドネシア4年目を迎えました。 2017年5月でインドネシアの会社は満3歳。 僕もジャカルタで生活をはじめ会社とともに4年生になりました。 そして気づくと先日34歳へとまたひとつ歳を重ねることができました。 まだ独身です。 おでんが好きです。 さて。前回会社設立から1年経過した時点で赤裸々な記事 を書きました。 非常にたくさんの反響をいただきまして、 記事をたよりに日本からジャカルタまで会いにきてくれる方もいたり、 現地で初めてお会いする方に「記事参考になりました」なんて言っていただいたり、 ぼくの経験が誰かの心に届き、めぐりめぐって跳ね返ってくるんだな。と思ういい機会でした。 あの時からさらに2年が経過し、 事業の方はマーケットの強風に晒されながらも、低空飛行から上昇気流にのるようなタイミングにさしかかっております。この2年間の軌跡を思いかえしてみました。 記憶に残っているエピソードを綴ろうと思います。 現在僕を入れて8名のメンバーで事業をまわしています。 2年前、3名だったんですが8名になりました。 少数精鋭で一騎当千の活躍をしてくれるメンバーに支えられています。 女性が多く活躍する職場です。 また、インドネシア4年目にして初めて僕以外に日本人がジョインしてくれました。 そう。2年前の話。 当時、インドネシアの会社は売上が限りなく透明に近いゼロでした。 経営会議に出席するたびに胃が痛くなりながらも、 明るい未来がすぐそこに来ている、 と、期待値を上げながら株主(様)へ愛と幻想を語っていました。 コストは可能な限り抑える努力はしている。 限られたリソースで積極的にアタックできている。 マーケットも伸びて来ている、見込みも着実に増えている。 しかし売上があがらない。 「人を増やそう」 とにかく活動量を増やそう、 もともと質を追求し少人数で運営することを良しとする経営ポリシーであったので、 この考えは逆行することはわかっていましたが、 両手で数えられる月が過ぎると資金がショートする可能性がある。 勝負しよう。それによって寿命が縮まるかもしれない。 このまま守りに入っていても状況は変わる保証はない。 どうせなら今やれることを全部やろう。 焦りもあったのは確かですが、 人を増やしてできることを脳がとけるほど、字のとおり寝ながら夢の中でもシミュレーションし、売上が上がる道筋を何度も考え抜きました。 そうして、すったもんだありながら(強行突破的に)人員増加へ向け採用活動をはじめ、 増員をしました。 僕たちの会社のグループにはインドネシア含め海外法人が6ヶ国にあります。 それぞれ立ち上げ時期はこの5年以内で、事業環境は国により違いますが提供サービスは、 同じコンセプトのプロダクトを扱っています。 インドネシア法人は、この増員により、 グループの中で売上が一番低い法人ながら、 一番多くスタッフを抱える法人という構図ができあがりました。 そして、新規メンバーとともにマーケティング戦略を実行しました。 やったことは自分が信じられる方法。何も新しいことはなかったのです。 日本の営業スタイルに立ち返り、 3ヶ月間をかけてインドネシア企業5,000社に飛び込みました。 毎日のKPIを追って、確率を割りだし少しずつ方法を変えながら。 700社の担当者へ繋がりました。 150社プロポーザルを出しました。 70社のキーマンに接触できました。 そして、複数社と契約締結ができました。 そのうちの一社、 業界大手との契約がインドネシア事業を上昇気流にのせるきっかけとなりました。 まったく安心できる状況ではなかったですが、首の皮が繋がった感覚でした。 そして、こうして時間をかけて数百社の企業との接点が持てたことによって、 今まで僕たちが狙っていたターゲット市場の少し横に、 さらに大きな市場があることに気づきます。 営業方針をシフトすることになりました。 その後、今では顧客の過半数以上が新規市場からの獲得となっています。 あまり詳しいことは書けずわかりづらくてすみませんなのですが、 ようやく市場を掴み、市場が応えてくれている状況となってきています。 長いこと我慢の時期が続きました。 いや、まだ我慢の時期は抜けていません。 が、体力は養われ、勝てる戦略があり、明確な方向性が見つかったという点では、 今後も戦い抜けるベースができあがったと思っています。 そして、2017年、今期。 事業拡大に伴い、システム投資、人員増強等を目的とした増資を完了させ、 株主構成の変更に伴う役員人事もあり、僕をPresident Directorとして新体制をスタートさせました。 今思い返すと、「あの時あの判断をしていなかったら」と思うことが多々あります。 しかし、その時点で最良な判断、自分が信じられる判断を繰り返していけば自ずと道は拓けていくのだと強く思っています。 何もしない後悔が一番苦しいのだと思います。 これからも強い自信と謙虚な気持ちをもって、市場と真っ向戦っていく所存です。 2016年度のグループアワードでインドネシア法人が表彰されました。 全メンバーの努力が報われた嬉しい瞬間。 そして僕がインドネシアで事業を始めた時からの一つの目標であった、 現地メンバーを報償旅行で日本に連れていくということが叶いました。 (表彰者全員ジャケット着てたのに1人シャツでごめんなさい。笑) 2年前、本当に苦しかった時期は諦めるという感覚がいい意味で麻痺していて、 1年くらいかけて会う方会う方に、 「事業は絶好調でヤバいです」 「市場の追い風がヤバいです」 「ポテンシャルしかありません、ヤバいです」 などと前向きなヤバい言葉をたくさん使っていました。 いま考えると根拠なさすぎてヤバいです。笑 ただ言ってしまったらあとはやるしかないと、自分を保つために追い込んでいたのだと思うし、 実際にやるべきことはやってきた自信もあり、笑顔でハッタリかましていました。 そして、そこから想いを口に出したことが、カタチになっていく光景を目の前で確認できたのです。 これは、僕にとって貴重な経験で、今もこれからも大事にするものです。 脳がとけるほど考えぬく、 考え抜いた想いを口に出す、 口に出したことを愚直に実行する、 実行すれば自ずと成果はやってくる。 むしろこれで何も成果を生まないのなら、 すがる必要はない、次行こう、というシンプルな発想。 口に出しているとけっこう周りの方々も助けてくれたりするので、 本当にありがたかったし、口に出さないことのもったいなさほどヤバいなと思いました。 ということで、ヤバいヤバい言ってますが、 また1年、最高の成果を出していこうと思うので、 皆様引き続き見守っていてください。 感謝。 あとがき。 感の良い方はお気づきかもしれませんが、 途中「村上龍」的な文章がありましたが、2015年にカンブリア宮殿という番組で事業を取り上げていただいたので少しインスパイアされた結果、このような伏線の表現となりました。 僕の好きな作家さんです。 あとがきのあとがき。 34歳になりました。会社の誕生月と僕の誕生月が同じなので、5月は特別思い入れの深い月です。 来年はなにかと節目な35歳。事業も人生も一つの転換期となるよう今年1年仕込んでまいります。 今年に入り健康を意識し生活に新しい習慣を取り入れています。 体幹トレーニングを毎日続けること。 体重の変化が激しかったのですが落ち着き、胃腸が強くなり姿勢も良くなってきました。 あとはショートスリーパーからの脱却を目指しています。 次回の更新(また2年後)の時には新たな成果や、環境が変わった新しい自分がそこにいると思います。 そんな自分に期待しつつ筆を置きます。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 【1】禁煙ゲーム✖️バツ〜禁煙をやめた僕が、7年間、ストレスなく吸わないだけを追究し、愛煙家友達との出会いから愛煙を深め、吸えない不自由から完全に解放された話〜【はじめに】 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/4/17 【1】禁煙ゲーム✖️バツ〜禁煙をやめた僕が、7年間、ストレスなく吸わないだけを追究し、愛煙家友達との出会いから愛煙を深め、吸えない不自由から完全に解放された話〜【はじめに】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 【禁煙ゲーム✖️〜実況セラピー〜】 http://www.mag2.com/m/M0057405.html まぐまぐから配信中です! はじめに 今このページを開いてくれているということは、少なからず「タバコをやめたい気持ちがある 」からだと想う。 しかし、禁煙宣言をしては挫折、禁煙本を読んで 「なんか、やめられる気がする! 」 と思っても結局吸ってしまう。 そんなことを繰り返し、精神的に疲れ果てながらも、今新たに僕の文章を読んでくれているのかもしれない。 そんなあなたに、僕が実践してきて多くの喫煙者に共感されてきた「大好きなタバコとの付き合い方 」をお伝えしたいと想い、ここに書き記すことにした。 タバコはやめてない、禁煙してるわけでもない、けど吸ってない。 喫煙者として生きていながらも、極力吸わないでいたいという欲求が強いもので、吸いたくならない。 禁煙セラピーで言えば「確固たる喫煙者 」に当てはまるわけだけど、 喫煙者として「吸いたくないから吸わないだけ 」に生きていると、吸わないことは何も難しくないのだ。 それに、「禁煙してるから吸えない 」とか、 「二度と吸わないために吸わないことを貫く 」とか、 「一本吸ったら喫煙者に戻る 」とか、 「飲み会が試練 」だとかいう禁煙ブームの一般的な考え方が頭にないため、 吸わないことに対するストレスという物を全く感じることなく、吸うことにも吸わないことにも快適な生活を満喫できている。 ここ数年、「愛煙しながらも吸わないだけ 」という感覚を、 【禁煙ゲーム✖️〜実況セラピー〜】 http://www.mag2.com/m/M0057405.html としてエッセイで表現してきているわけだけど、 「こういう場合はこう考えて実行してみたらどうか 」 という、一つの方法として提示してみたいと想う。 あくまでも「僕はこう考える 」という内容なので、 違うと思うなら、そのことに対して真剣に、あなたが納得できる答えを追究して欲しいと願う。 僕の考え方は、基本的に「禁煙世界と愛煙世界の比較 」にある。 「禁煙ブームに流されてタバコを吸わない人たちが住む禁煙世界の考え方 」と、 「禁煙がブームであろうとタバコを楽しむ人たちが住む愛煙世界の考え方 」を真っ向から対立させながら、 常に新たな可能性を探る。 禁煙世界の考え方に批判的になることのほうが多いんだけど、 そのおかげで愛煙仲間が増え、 吸えない苦しみ、吸ってしまいそうな不安から解放された人も一人、また一人、と多くなってきている。 タバコから逃げるのではなく、 「本当は楽しみたい 」という本心と欲求に向き合いながら、 「極力吸わないで生きるために必要な考え方 」を相談者と一緒に深めてきた。 あなたにとって、タバコはどんな存在なのか。 本当のところ、タバコとどういう付き合い方がしたいのか。 禁煙宣言をして、吸わないことを貫くことを続けたい? それとも、喫煙者として、または愛煙家として、 吸いたくないから吸わないだけの感覚を通じて「吸わない人 」を自然に生きたい? はっきり言って、「タバコを吸わないこと自体 」はアホみたいに簡単なことなんだけど、 禁煙ブームに流されて「タバコを吸わないことを難しく考える 」ことにより、 本来は自然と吸わなくもなれるはずの感覚を狂わせてしまってる人が世界中にいるのが現実。 だから、その現実をあなたに伝えると共に、あなたが理想とする「タバコの必要ない人生 」を一緒に作っていけたらと想う。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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