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  • 転職大魔王伝「オレ、WEBデザイナーになる。」2 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/12/18 転職大魔王伝「オレ、WEBデザイナーになる。」2 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 遅刻せずに初出社し、みなさんの前で明るくご挨拶をし、同じチームの方々からも自己紹介をしていただき、総務の方にフロアを案内され、今日からの自分のデスクに戻ると、オレの席に何やらふしだらな雑誌が積み上げられていました。 オレ 「?(◎_◎)」 先輩 「じゃあ早速タイチさんにお願いする仕事を説明しますねー」 オレ 「は、はい...(◎_◎)」 先輩 「お願いしたいのは、このエロ雑誌のコーポレートサイトの運営です。この雑誌は見たことある?」 オレ 「な、ないっす...(◎_◎)」 先輩 「まぁタイチさんが持ってる他のエロ雑誌と同じようなものなんだけど、ただ熟女系だからマニアックかもね〜」 オレ 「つーか、ホントに見ないんすよ…(◎_◎)」 先輩 「そーなんだー。それなら勉強のために持って帰ってもいいからね。いっぱいあるし。」 やら(◎△◎)れた そうです。 「一部アダルト寄りの仕事もあります」ではなく、 「ほぼアダルト」だったんです… オレ、騙される。 ※ここからはかわいく「そっち系」と呼びます。 仕事の内容としては、雑誌と連動した携帯サイトの管理と更新。メールマガジンの執筆や、外部サイト(ランキングサイト)のコピーライトも業務でした。 サイトの更新は毎日。届いた写真画像やムービーを、解析ツールの数値を元にサイト内に効果的に配置し、コンバージョンを上げていく。 リスティング管理は別担当が行っていたので、そこからも数字をもらって分析し、サイトを改善していくというものでした。 そっち系のを…ね。 正直、騙されたと思いました。 しかし、すぐにやめるわけにはいきませんでした。 本当はもう心底嫌で嫌で仕方なかったんですが、オレは「キャリアを積む」必要がありました。 オレ 「コーポレートサイトもアダルトサイトも、バラせば同じソースコードじゃねーか♪(◎▽◎)」 先輩 「タイチさーん、今日の素材でーす。つ熟女ヌード」 ぐ(◎△◎)え ダメでした。ホントにダメ。 仕事自体はハードでは無かったのですが、、、、 過度のストレスで身体がおかしくなっていきました。 オレ、倒れる。 まずは目。 たった2週間程で片目だけ視力が1.5 → 0.3に落ちました。それで、生まれて初めてメガネを作りました。 そして頭痛。 目が悪くなったせいか頭痛がひどくなりました。ひどい時は薬を飲んでも1時間くらい続きました。でも、帰り道にはおさまりました。でも、また夜にひどくなりました。その繰り返し。 とうとうある朝、会社の最寄り駅のホームで動けなくなりました。 会社がホームから見えるところにあったので、気付いた先輩が助けにきてくれました。 そこで、オレは自分の今の正直な気持ちを吐き出してしまいました。 すると、意外な答えが返ってきたのです。 先輩 「だよねー。オレもすげー嫌なんだよ。」 オレ 「え?(◎△◎)」 オレ 「みなさん、好きでやられてるのかと思ってました。」 先輩 「いやいや。好きでやってる人なんて居ないと思う。あのさ、うちの会社ってみんな結構いい人じゃない?」 オレ 「はい...(たしかにみんな普通の人で感じのいい人ばかり)」 先輩 「うちの会社は小さくてまだまだ何でも頑張らなきゃいけない時期でさ。やってみたいこともあるんだけど、今は会社に体力つけさせるためにどんな仕事でもやらなきゃなって思ってるんだよね。」 先輩 「会社が儲からないと、給料も上がらないしね。そう思って頑張ってるんだよみんな。いいやつらだよね。」 胸に深々と突き刺さりました。 そして、楽になりました。 オレ、覚醒。 そのあたりから、なんか仕事が楽しくなってきました。 そっち系のサイトってとにかくアクセス数がハンパなく、ユーザーのレスポンスも早いんです。数字が動くので、すごく勉強になる。 アクセス解析やアフィリエイト、UIの設計にはかなり参考になりました。 そして、担当しているサイトにも愛着が湧きはじめ、独自のコンテンツを作成するなど、新しいチャレンジを頻繁に行うようになりました。 入社して1年で会社の業績も急速に伸び、雑居ビルの一角だったオフィスも、著名なビジネス街の広いフロアに移ることができました。 しかし、やはり悩みは残りました。 「WEBデザイナーとして、まともな実績が欲しい。」 「親、兄弟、恋人、友人に言えるような仕事がしたい。」 この問題を解決するためには、自分で動くしかありませんでした。 オレ、デザイナー → 営業兼ディレクターへ。 「そっち系じゃない仕事をやりたい」と強く思いはじめたオレは、 「営業としても仕事させて欲しい」と上司に希望を出しました。 上司は「今の仕事に穴を開けないこと」を条件に許可してくれました。 営業部署は社内にあり、みんな優秀だったのですが、如何せん若くて人脈も偏っていました。 その点オレは、知り合いだけは多かったのと、フリーランス時代のネットワークがまだ繋がっていたので、制作案件を引っ張ってこれる自信がありました。 そして、奇跡は早々におきました。 オレ、脱そっち系に成功。 オレが営業を兼務しはじめて本当にすぐのこと。 友人 「忙しくて死にそう!タイチ助けて!」 なんと、友人からいきなり案件が転がり込んできたんです。 しかも、誰もが知っている巨大企業の開発案件の一部でした。 苦戦はしましたが何とか納めると、それからは定期的にその会社から仕事がくるようになりました。 また、オレは昔から「飲み屋」で仕事を取ってくるタイプだったので、会社の近くに引っ越して夜な夜な飲み歩き、そこで知り合った人と仕事で繋がり、ちゃんと案件を取ってくるようになりました。 さらに、これまた他のところから紹介してもらった広告代理店さんの制作案件も手がけることになり、だんだんオレはそっち系の仕事から外れていきました。 この代理店さんとの出会いは、オレにとっても会社にとっても本当に大きかったです。 会社は更に業績を伸ばし、一念発起してM&Aを決行し、広告代理店からインフラ業へと業態を変更しました。 あの山手線のホームでうずくまった時から5年。 この会社から、そっち系の仕事は無くなりました。 オレ、WEBデザイナーになる。 会社がM&Aを進めている頃、オレは「巨大企業の開発案件」を発注してくれた企業へ、移籍に近いかたちで転職しました。 そこでは、その巨大企業案件の一部を担当したり、脱そっち系を決定的なものにしてくれた前出の広告代理店さんの案件をWEBディレクターとして担当しました。 その2年後、この会社の子会社を買い取るようなかたちで独立。 現在は、WEB制作と音楽制作を両輪とし、若く優秀なスタッフたちと楽しく仕事をしています。 そして、仕事がそんなに忙しくなくって、すごく高いクオリティを求められてない案件に限り、オレがデザインを描いてます。 若いスタッフが描いたほうがカッコいいのできるんだけど… たまにはいいじゃん。 だってオレ、WEBデザイナーになりたかったんだもん。 PS. 元そっち系の広告代理店のメンバーはほとんど転職しちゃったんですが、今も一緒に仕事をしたり、集まって同窓会をやったりしています! 本当に素晴らしい仲間です! まとめ ●業務内容 WEBデザイナー(サイトの更新、運営、管理等) WEBディレクター(案件管理、仕様策定、工程管理、外注折衝等) 営業 ●就労期間 約4年 ●給与 月収 約200,000円〜350,000円 研修期間(3ヶ月)約150,000円 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 別居のあとさき | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/7/25 別居のあとさき Facebook X (Twitter) リンクをコピー 別居のあとさき もう20年が過ぎ、子どもたちも三人とも大学を卒業して社会人になった。そろそろ書いてもいいだろうと思う。  もと妻と別居して数年後のことだった。母親のところに泊まりに行っていた長女が泣きながら戻ってきた。母親が、だれか男の人と同居を始めているらしかった。 「お父さん、こんなこと許せるの?」  と、訴えてきた。私は言葉を失った。親というものは、自分のことより子どもの気持ちを優先するものだと思っていたが、見事に予想が覆ってしまった。この時が、私が離婚を決意した瞬間だった。形だけでも、母親の存在があった方が子供たちのためだと思っていたが、これではいない方がいい。  娘たちの進学費用を確保するため、もと妻が持ち出した通帳から半分返してもらう必要もあったのだ。  そして、一生結婚しないと決めた。母親が再婚して、私が再婚したら子どもたちの行き場所がなくなってしまう。それだけは、絶対に避けようと思った。  別に、自分を犠牲にする覚悟をしたのではない。私は子供たちが幸福に感じることが自分の幸福だと感じるだけのことだ。 塾は、30年間一度も赤字になったことがない。しかし、バツイチになった頃は子どもたちが大学に進学して、授業料と毎月の生活費の仕送りで家計は火の車だった。  貯金をくずし、株を売り払い、政策金融公庫で融資を受け、それでもバブルが弾けて、少子化が進むため徐々に苦しくなっていった。それで、レイク、プロミス、アコムなどカードローンにも手を出して、最終的には審査も通らなくなった。  家具をモノマニアに売ろうとしたら、 「10年以上過ぎたら、ガラクタです」  と言われた。もう夜逃げしかないと覚悟したこともあった。  私は、お金のすべてを子どもたちの学生生活を支えるために使っていたが、そんな生活では女性が受け入れると思えなかった。だから、再婚なんて夢にも思えなかった。  長女だけが大きかったから気づいたようで 「お父さん、もう再婚してもいいよ・・・」  と、言ってくれたことがあった。  私は、中学、高校、大学を通じて時間の使い方を効率的にすべく鍛錬を積んできた。その技をフル回転して、英語講師から数学講師への転身を図って危機を乗り越えようとした。  40歳の頃のことだった。入試の時のトラウマを乗り越えて数学に取り組むしかない。そう覚悟した。そうでなければ、高校生に混じって、京大を7回も受けたりしない。結局、チェック&リピート、1対1、オリジナル、赤本を2周ずつやることになった。  奥さんのように、自分と生活習慣、人生観が違う人と同居していたら実行できることではなかった。  この頃、忘れられないA子ちゃんが登場する。彼女のことは、あまりに印象が強いので、別のところに書かせてもらいました。 http://storys.jp/story/18470?to=story&referral=profile&context=author_other 状況は最悪だったけれど、A子ちゃんが来てくれた頃にインターネットが普及し、スマホの所有率も上がっていた。私は、無料の動画Youtubeを使って通信生を募集しようと思った。  それは、地元の学校が左翼教育がさかんで受験に真剣に取り組む子が少ないと分かったからだ。ここはマーケットとしてダメなので、日本全国にマーケットを求めたかった。  Z会などの大手があるからムリだろうと言う人がいたが、私はそう思わなかった。なぜなら、Z会を8年やって研究し尽くしていたし、名古屋の大規模塾で40人中2番の実績があったからだ。Z会の採点者に負けるはずがないと感じていた。  1名から始まった通信生も、5年も経ったら北海道から鹿児島まで生徒が増え、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格者が出始めた。すると、通塾生に、四日市高校の国際科のトップクラスの子や、私立の暁高校の特待生の子などが集まってくれるようになった。  いつのまにか、私の塾は中学生の塾から高校生の塾に変貌した。そのため、月謝の踏み倒しや備品の盗難が無くなり、退塾率がゼロに近づき経営が安定した。それで、ブログを書き始めたら「受験生」のジャンルで1位となった。  すべてが良い方向に動き出した。  振り返ってみれば、私の性格の多くが父の影響を受けていることが分かる。亡き父とは喧嘩もしたが、言葉に尽くせないほど感謝している。私が娘たちにしてきたことは、父が私にしてくれたことをなぞっているだけだ。  もと奥さんは再婚相手とも離婚をして、娘たちの母親のモデルにはなれない。せめて、私が親としてのあるべきモデルになりたいものだが、成功しているとは言い難い。  「A子ちゃんのこと」をブログに書いたら、「とても良い話なので、Storys に書いたらいかがでしょうか」とのメールを頂いた。初孫が産まれた。今度は、良い講師、良い父親、良い息子に加えて、良いおじいちゃんになりたいものだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 闘病生活の始まり!! | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/2/26 闘病生活の始まり!! Facebook X (Twitter) リンクをコピー 失って初めて分かることだらけ 仕事に追われて忙しい毎日を送っていた頃は長期休日がほしいと思うものです。 ましてやいくつもの団体に加入してると自分の時間が無いのです。 辛い失業と苦悩・・・それが現実 高校を卒業してから十数年かけて手職を身につけたのが全て無駄になってしまいました。 現在のように全てが機械化しているわけではなかったので、職人は重宝されていたのです。 勉強のために同業者の先輩のところを数軒持ち回りして学んだものです。 失敗は許されない、ミリ単位の計算の世界・・・ 必要な資格もたくさん習得し、国家資格の2級まで取ることが出来ました。 時期的に1級の試験をうけることができると思った矢先の病気による失業。 十数年も頑張ってきたのは何のためなのだろう・・・ 悔いていても仕方ないなのに・・・ 悔しくて眠れない日が続きました。 もう過去のこととして置いていくしかりません。 支えてくれている人達の思いに応えなくては!! 必要最優先は、病気の状態を少しでも改善することしか道は無いのです。 CIDPの状態検査 神経難病の特徴を調べる検査ですが、まずは詳しい検査をするために、MRI検査があります。 小さな血管まで見れるように造影剤を投入します。 CTでも造影剤を使うことが多いのですが、どちらも同意書が必要です。 金属類を全てはずさないと磁場で干渉が起こるので注意です。 ベッドに仰向けに寝ると、ヘッドギアを着けて固定されます。 完全に耳を覆っていても物凄い大音量で「ドッドッドッ!」ずっと響いて何だか疲れます。 レントゲンもあり、骨密度も計測しました。 骨密度を計測する機械って初めて見たし、貴重な経験かも? 何度も行った検査は「伝達速度筋電図」です。 この伝達速度筋電図は本当に飽きるくらい受けました。 何度もデジャヴというか!もうマインドコントロール状態ですね。 担当の医師に、 「検査室の往復が多すぎるので検査室にベッド置いてもらったらそこで寝ますよ。」 そう愚痴をこぼしたくらいに同じ検査をしたのです。 内容は簡単で、身体の一定の部位に電気を当てて反応速度を診ることが可能で、感覚も調べることができます。 私の場合は感覚神経の損傷がひどくて反応が出ませんでした。 感覚障害になると火傷や切り傷があっても気づくのが遅れるので感染症に注意しなくてはいけません。 針筋電図は結構大きな針をさして電気を流す検査なのです。 通常なら針筋電図は悲鳴を上げたくなるような痛みを感じることでしょう。 想像してみてください、長い針を筋肉に刺して電流を流される苦痛・・・ モルモットと変わりない。 地獄のヒューマンミューティレーション・・・ それが特定疾患になった難病者の生の声なんですよ! 管理と束縛の違い CIDPは脱力が起こりやすい病気なので、厳しい管理体制のもとで過ごすことになります。 何をするにもナースコールをしないと注意をされるのです。 ベッドから起き上がるのも看護師さんの見守り付きでないと許可されません・・・ 逆に言えばそれだけ真剣に看てくれているのですよね。 ですが、大部屋で複数の患者さんと一緒にいると皆さん不満ばかり漏らしています。 管理と束縛の違いを理解されていない様子なのです。 トイレ行くときもシャワーも全部、看護師さんたちがいるからできることなのに・・・ ちょっと悲しくなりますよね。 間違っても薬中と呼ばないで!! 発病から間もなく、膨大な種類の薬を試しました。 中には薬が効かないと言ってる人も居るのですが、副作用が出てるってことは、逆効果で効いてるってことなんですよ! 副作用で苦しいのは、めまい、嘔吐、薬疹で、薬疹が広がると体中の皮膚がカチコチになって呼吸も苦しくなるんです。 一日に40錠以上飲んでいたころもありました。 今は33錠で落ち着きつつあるのですがまだ確定ではないのです。 副作用が怖い薬は「免疫抑制剤」と「ステロイド」でしょう。 特にステロイドは必ずと言っていいほど副作用が出てしまいます。 数年飲み続けていても慣れることはありません! このステロイドは神経難病に用いられることが多く、重宝される存在です。 恐ろしい薬と分かっています・・・危険性は十分理解しています・・・ それでも服用しないと身体が動かせないのです!! 最近は難病者同士でお見舞いに行くと凄い会話になっています。 A「今、ステロイドは何錠?」 B「5錠ですよ!」 A「じゃあ、後1ヶ月くらいで退院ですね!」 B「後数ヶ月は入院しなくて大丈夫かも!?」 恐ろしいですね・・・慣れって怖いと思います。 看護師さんに質問されたことが有ります。 看護師「好きな食べ物は何?」 私「ステロイド!」 看護師さんは大爆笑!! これが平気で言えるようになるとある意味病んでますね。 しかし、冗談抜きにすると本当に生きていくために薬漬けになっているのです。 吐血するかもしれないのも覚悟のうえです・・・ だから薬中なんて呼ぶのはやめて欲しいのです・・・ 次回は治療法とリハビリをメインにしたいと思います。 つづく・・・ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • オーストラリア留学中にネット中傷被害に合い、裁判を起こした話(13) | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/3/1 オーストラリア留学中にネット中傷被害に合い、裁判を起こした話(13) Facebook X (Twitter) リンクをコピー Geelong 1日目 Geelongに着いた。電車を降りると、私はすぐにその女性に連絡を取った。 駅には小さな待合室があり、コーヒーとお菓子を売る小さな売店が一角にある。日差しが非常に強く、とても外にはいられないので、私は待合室で彼女が来るのを待った。 「久しぶり!」 やって来たのはGeelongに住む日本人女性のエリコ(仮名)。オーストラリア人男性と結婚してGeelongに暮らすエリコとは、数ヶ月前に友人の紹介で知り合った。 数ヶ月前、そう、Deanaによる嫌がらせが始まる数ヶ月前に・・・。その頃、私のメルボルンでの留学生活は希望に満ちあふれていた。 限られた留学生活の間、もっと多くの人たちと知り合いたい、現地に友人を作りたい・・・。そんな思いから、私はランゲージエクスチェンジに参加したり、BBQパーティーに参加したり日々社交的に過ごしていた。4話で書いた交流会にも積極的に参加していた。 あの頃はなんて楽しかったんだろう。あんなにやる気にあふれていたのに、自分はどうして今こんな状態なのだろう。 悔しい。 ただ、ひたすら悔しかった。 エリコの家の近くのガソリンスタンドでアイスクリームを買って(※ オーストラリアのガソリンスタンドには小さなコンビニのような店があり、お菓子や飲み物などを売っている)、エリコの家へ向かった。 エリコと直接会うのは二度目だったが、知り合ってからFacebookやメールで何度もやり取りしており、せっかくGeelongに来ることになったので会えないか尋ねたところ、快く時間を作ってくれた。直接会うのは二度目とはいえ、エリコは私のFacebookを確認していたので何が起きたのは大筋把握していた。 私は改めて、Deanaが私に嫌がらせをする為に何をしたのか全てをエリコに話した。この時、もともとはアイの紹介でDeanaと知り合ったということ、私たちと知り合う前にDeanaが他のアジア人とトラブルを起こしていたことは話さず、端的に自分がどのような嫌がらせを受けているのかを話した。そして、このような卑怯な方法で私のたった一度の留学生活の邪魔をされていることが許せないと・・・。Deanaが憎いと・・・。 エリコからは意外な反応が返ってきた。 「詳しい経緯はわからないけど、ここまでのことをしてしまうってのは、何かMamiちゃんがしたことにDeanaも相当傷ついたからじゃないのかな・・・」 エリコの反応は当然といえば当然だ。 Deanaは何らかの理由があって、私に対して "これだけのこと" をしたのだ。 私は確かにDeanaを傷つけていただろう。それまでは仲良くしていたにも関わらず、 自分 「わかった、勝手にすれば!!」 とバッサリ切り捨てたのだから。 だが、よくよく考えてみてほしい。 本当にDeanaは私と仲違いしたことがきっかけで嫌がらせを始めたのか?この出来事が、ネット上で私を中傷するトリガーとなったのか? 私にはとてもそうとは思えなかった。 第3話に書いたように、私は2月6日にDeanaと口論になり、絶縁している。そして、その20日後の26日にDeanaが私の偽アカウントを作り嫌がらせを開始するまで、私に対して表立った嫌がらせは一切行っていなかったのだ。(私の陰口を吹聴していた程度である。) また、この20日間の間に、私だけではなく複数の共通の友人がDeanaから距離を置き、連絡を絶っていた。私と同じように、ささいな出来事がきっかけで口論となり、そのままケンカ別れととなった友人もいた。Deanaに対して、私と同じ行為を行ったこの友人達に対し、Deanaは一切嫌がらせは行っていない。ただ、友人関係が壊れたことの腹いせに嫌がらせを行ったのであれば、他の友人達に嫌がらせを行っていてもおかしくないのにも関わらず、ターゲットになったのは私だけである。 2月26日直前にDeanaがショックを受けたこと。Deanaを傷つけたこと・・・ この一連の嫌がらせのトリガーとなった出来事・・・ Deana 「これまでのことを謝りたい…今度会わない?」 アイ 「今は会う気にはなれない・・・」 Deana 「・・・・・・Mamiのせい?」 アイがDeanaを拒否したこと、これ以外考えられない。 アイに拒否されたことが、彼女をどれだけ傷つけたのか・・・そう、エリコが言ったように、Deanaは相当傷ついたのだろう。そして、実際に、Deana自身がそうだと証言している。どういうわけか、Deanaを自分の意志で拒否したアイは標的にならず、私に標的が向いてしまったことが悔しくてたまらない。 せっかくGeelongまで来たのにこんな話ばかりしたくもなかったので、エリコとはその後Geelongの話やエリコの仕事の話をして過ごした。暗くなる前には滞在先のホテルに向かいたかったので、エリコにお礼を言って、市街地にあるホテルに向かった。エリコと話したことで、自分が受けた辛い出来事を第三者に伝えることの難しさ を痛感していた。 私の思いをエリコに上手く伝え、理解してもらうことはできたとは言えなかったが、私は今でもこの時エリコが私に会うために時間をとってくれたこと、家に招いてくれたことに感謝している。実は、エリコと知り合った時にはもう一人の日本人女性もおり、彼女にも会おうと誘っていたのだが「用事があるから」とエリコ経由で断られていた。 本当に用事があったのかもしれない。忙しかったのかもしれない。偶然だったと言えなくもないが、私が嫌がらせを受けてからしばらくして、この女性からパタリと連絡が途絶えた。この女性だけではなない。それまで私に連絡をとってくれていた多くのFacebook上の友人が次々と私の友達リストからいなくなった。そんな中でも会ってくれたエリコ。今でも友達でいてくれている本当の友人達には感謝してもしきれない。 知らない街、誰も知り合いがいない街を一人で歩いていると、少し気分が晴れていくように感じた。 ホテルに着いてチェックインを済ませると、一旦外出して近くのレストランで持ち帰りの食事をオーダーし、また部屋に戻った。 部屋でくつろぎながら、私は携帯でメールを送っていた。信頼できると判断した友人、嫌がらせの後も心配して連絡をくれた友人、知人に新しい携帯番号を知らせるためだ。Deanaが出会い系サイトに私の携帯番号を投稿したことがわかってすぐに番号は変えていたのだが、この時点までごくごく限られた人たちにしか新しい番号を知らせていなかったからだ。 メールを送り終えると、なんだか急にどっと疲れが出た。気がつくと、ホテルの部屋のソファに座ったまま次の朝まで眠っていた。 (思いっきりブレてますが、泊まったホテルの部屋。一人なのに広い部屋を用意してもらえて、大きいベッドでリラックスするはずが、手前のソファで寝てしまうという・・・) Geelong 2日目 3月10日(日) ホテルをチェックアウトし、荷物を駅のロッカーに預けてから市内観光をすることにした。 ・・・・が、目ぼしい観光施設があるわけではない。 何も考えず、ひたすら歩き回った。真夏の暑い日で、ストレスと暑さで食欲が無かった私はセブンイレブンのSLURPEE(※下の画像のような、フラペチーノみたいな飲み物。味はコーラとかレモネードとかクリームぽくなくてサッパリしたものが多い)を片手に街を歩き回っていた。 (色はここまで実際どぎつくないです。レジでお金を払い、自分で機械からカップに入れます。) 青空が広がる、暑い一日だった。浜辺の近くを歩いていると、プールで遊んでいる地元の人たちと海が見えた。 目的も無く、ただひたすら歩き回った。メルボルンとは違い、日本人どころかアジア人の姿もほとんど見られない。誰も自分のことを知らない。疲れ切っていた自分の心に、この状況は心地良かった。 実は、アイはこのGeelongの街で学生時代を過ごしている。普通に考えたらトラブルの原因となった人物に関わりの街で休暇を過ごそうなんて考えないが、どういうわけか当時の私には気にならなかったのだ。今思えば、当時の私の頭はショックのあまり相当機能していなかったのだろう。 浜辺に沿って、あてもなくどんどん歩いた。しばらく歩くと、日陰になった座る場所を見つけたので腰を下ろした。 目の前を黒鳥がプカプカ泳いでいる・・・。静かで、そして何よりも 私 「平和だな・・・・」 と思った。目の前を泳ぐ黒鳥、波の音・・・。 一体、自分は何をしているのだろう・・・。自分は本当にグラフィックデザインがやりたかったのだろうか・・・。今後、どうすれば良いのだろうか・・・。みんな私に起きたことをどう思っているのだろう。自分じゃなくて良かったと思っているのだろうか。気にもしていないのだろうか・・・。 30分ほど、何もせずにただ海を見ていると、色々な思いが込み上げて来た。 そして、ふとある思いが心に浮かんだ。 私 「やっぱりグラフィックデザインが勉強したい。」 メルボルンに戻ったら、月曜日から何とかして遅れを取り戻そう。こんなことに邪魔されていてはいけない。自分は人生を変えたくてメルボルンに来たんだ、こんなことで負けていてはいけない。明日からはまた学校だ。遅くならないようにメルボルンに戻ろう。 立ち上がると浜辺を離れ、駅に向かった。乗る予定の電車までまだ時間があったので、駅の近くの小さな美術館へ行ってみたり、街中の風景を写真に撮ったりして過ごした。メルボルンで最初に通った専門学校で、授業で美術館を訪れたり、写真の授業で風景写真を撮ったことを思い出した。希望にあふれていた頃だった。まさか、翌年自分がこんなトラブルに巻き込まれるとは、本当に本当に夢にも思わなかった。 時刻は既に夕方になろうとしていた。昨日と同じ電車に乗り、私はメルボルンへ戻ろうとしていた。 気分は晴れていた。頑張ろう、起きてしまったことは仕方が無い・・・。自分が頑張れば、まだ取り戻せる。大丈夫、大丈夫・・・。 それは全て錯覚だった。気分は晴れてなんていなかった。この時の私は、本当の自分の気持ちにさえも気がついてなかったのだ。それに気がつくのは、2日後のことだった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 二〇一九年二月二二日(金) 前編 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 二〇一九年二月二二日(金) 前編 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  ”初めて”はいつでも少し緊張する。  当たり前のことかもしれないが、毎回の“初めて”にはなかなか慣れないものだ。   不思議とシャツを着たくなった。 とは言っても、白いシャツとジーンズ、それにスニーカーが僕のいつもの格好である。 白いシャツとは言ってもなんでもいいわけではない。胸に小さめのワンポイントが入っているまでは許せるが、それ以上にデザインが入っていると買おうとは思わない。 前日にアイロンをかけたワンポイントも入っていない真っ白なシャツを着て、少し生えていた髭も剃り、上京して湿度が変わったからか、落ち着きを見せるようになったくせ毛をそのままヘアスプレーで固めた。 今日は“初めて”の日だ。   家を出て、駅まで徒歩7分。 昼過ぎの日差しは強く、2月のこの時期になると東京も暖かくなるということを教えてくれた。それでもシャツの上にトラッカージャケットを羽織っている。 身軽が好きな僕はジャケットを仕舞える時期になるのを、このジャケットを買った日から楽しみにしている。  目的地の最寄り駅について、出勤時間まで残り11分。 良い調子と心の中で浮かれながらも、今日がどんな1日になるのかをあえて考えずに歩く。駅から出てすぐに大きな車道があり、その車道を横断しなければならないのだが、交通量が多く、信号もなかなか変わらないのが考えどころ。すぐ目の前の横断歩道で渡るのも良いが、どうやらさっき赤信号になったばかりのようなので、もう一つ先の横断歩道まで歩いていくことにする。 「あとこれくらいで青に変わります」というカウントダウンのメーターのおかげで、目的地までの最短ルートを簡単に選べるようになった。      こうやって書いていると僕が常に最短ルートを考えて生きている人だと思われそうだが、それは間違いである。ただ信号待ちなどの“立ち止まる”という状態が嫌なだけであり、のんびり回り道をしながら歩くのも好きであると補足しておこう。   着いた。今日からここに毎日のように通う。  飲食店が入っている小さな雑居ビルの階段を上り、3階へ。 ここの階段は人が1人通れるのがやっとという細さで、少し暗く、今日のように日差しが明るすぎる日にはアンダーグラウンドな世界へと続く階段のような雰囲気を醸し出す。アンダーグラウンドとは言ったが、目的地は地下ではなく3階である。階段を上がり左手にある“女性が1人で開けるには少し重いドア”を開けて中に入る。 「おはようございます。」  このお店はドアを開けてすぐにカウンターがあり、そのまま右手に進むと1つの空間が広がっている。広すぎない空間には仕切りのような物は無く、ソファやローテーブルがいくつか置かれ、壁には本がずらっと並んでいる。並んでいるというよりは、積まれている状態の本も多く、その本に交じってボードゲームや水槽も並んでいる。大きめの窓が部屋の3面を囲み、午後の日差しが強めに入ってくる良い空間だ。お客さんとして通っていた頃に、夕暮れ時までソファに座って温かい光の中でのんびりしていたことを思い出す。好きだったこの空間に、毎日のように通えることが少し嬉しかった。 「初めまして。」  先に出勤していた男性が笑顔で声をかけてきた。初めて会うその人から今日はお店の仕事を教わることになっていた。 「出海と申します。よろしくお願いします。」  先に自己紹介をした。僕は基本的に人見知りをしない。特にこの後自己紹介をしてくれた清也のように明るいタイプの人には、初対面から思いきり距離を縮めていく。清也は同級生だった。かっこよく髭を生やし、彼自身がダンスやイベント設計を好きでやっていることを教えてくれた。 「これからよろしく。」  清也から明るく自己紹介を受け、改めてお店を見まわしてみた。 「オーナーはいらっしゃらないんですか?」  僕はてっきりオーナーがいるものだと思っていた。オーナーの北見大輔さんは30代前半で、スタイリッシュなメガネがよく似合い、僕をこの店で雇うことを即決してくれた。お客さんやスタッフとの距離が近く、みんなから「大輔さん」と呼ばれ、親しまれている。  「大輔さん、いないみたいね。」  清也も僕の少し前にお店に来たが、その時からいないようだった。ただ、お店のソファには大輔さんのノートパソコンが置いてあったので、すぐに戻ってくるだろうと思い、挨拶は後回しにすることにした。 「今日はもうトイレ掃除はやっちゃたから、それ以外のオープン準備を教えるよ。まずはモップとテーブル拭きから。」  清也から早速声をかけられた僕。  いよいよ始まった。 僕はこの1週間で大きく人生を変えることを決めかけていた。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 「理不尽」を楽しむ | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 「理不尽」を楽しむ Facebook X (Twitter) リンクをコピー この言葉は、以前、少しスピリチュアルの勉強をしていて(← 私は怪しくないです。)、東京のスピリチュアルカウンセラーとしては、とても有名な師匠に習いました。 その先生の予約はみっちりです。予約無しでは、まず入れないくらい人気です。 先生との出会いは、「たまたま」でした。 (私の人生には、「たまたま」が多いです。それが人生に大きく影響しています。) 自分の将来に悩んだことがあり、ふらっとパスポートを申請した時に立ち寄ったのでした。 先生の「見立て」は、当たっていました。 そうして、自分の悩みが少し解消したことを覚えています。 そして先生からは、「スピリチュアルカウンセラー」・「カウンセラー」になることを勧められました。適職だそうです。今の自分があるのは、先生の言葉も後押しになっています。 「理不尽」を楽しむ なかなかできないことですよね。スピリチュアルな話になっていますが、自分の「魂」の試練は、前もって決められているそうです。 「この人に、どんな試練を与えるか?試練を与えることで、何に気づいて欲しいか?」 それを身をもって経験させるために、試練が訪れます。 「魂」を磨く訓練です。そうしていくことで、「魂」は、輝いていきます。 美輪明宏さんのお話にも「正負の法則」というのがあって、人生がいつも順風満帆なことはありません。その人の生涯で考えると最終的には、幸運も不幸も「プラマイゼロ」になるという話です。 こういったことから、若くして大成したり、大器晩成な人生があります。 「理不尽」を楽しむ というのは、「心の余裕」だと思います。器量とも言えます。 困難も楽しめる余裕があるか? ということ。 今までのことをふまえて、私の考え方はこうです。 「始めから試練が決まっているのなら、挑もう。この試練を超えたら、何か見えるはず。」 「神様は、その人が乗り越えられる試練しか与えない」ともいいます。 私は、今までに何度この言葉に救われたか。 「だったら超えてやろうじゃないの。」 という状態になります。 常に挑戦的なわけではありません。すごく落ち込むこともあります。 でも最終的に残るのは「チャレンジ」の精神です。 たぶん私は、今までの人生で「回避」の選択はしたことが無いと思っています。 火の中に自ら飛び込みます。火中の栗を拾いに行きます。 その繰り返しで、自分は成長してきたように思います。 何かを頼まれたら断らない。やってみる。 こんな経験も何度もしてきました。 「安泰」や「慎重さ」を求める人には、理解できない考え方かもしれません。 私は「リスク」のことは、あまり考えていないです。 「なるようになるさ」という感じです。 そして動く時は「動きながら」考えています。 動いていく間に、状況は刻一刻と変化していきます。 このタイミングで、「ベスト」な選択は何か? この選択は、直感レベルです。瞬時に判断します。 「リスク」は考えず、その時のベストな選択をする。 こうして生きてきました。 友人からも言われることがありますが、私はいわゆる「ぶっとんだ行動」をします。 「いやー、私にはそれはできない。」 と、友人に言われます。 自分の人生なので、私は今の生き方が自分らしいと思っていますし、多くの挫折も経験しました。 それが「生き様」です。 いろんな困難を経験していく中で、「理不尽」を楽しめるように少しなった気がします。 「なぜ自分だけがつらいのか?」 と思うと本当につらくなってしまいます。過去の私も苦しみました。 でもその試練の先には、きっと何か「良いこと」があるはずです。 絶対あります。乗り越えた時には、違う景色が見えます。 私は、これからも自分を信じて、挑んでいく生き方をしていきます。 ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 自分という人 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 自分という人 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 正直に言ってしまうと、自分には人望というものがない。つい先程も、好きだった人に絶縁されてしまった。原因はこちらにある。分かりきってはいたことではあるが、それでもその現実を受け入れられるかというと別問題である。  何故、巷の人々は皆、社交的であるのかが私には分からない。自分は一人が好きだ。時々寂しくなることはあるけれど、やはり一人が好きという思いが強い。 自分の好きなものを食べ、好きなことに関心を持つ。旗から見れば、寂しいかもしれない。だが、それが私にとっての孤独であり、ささやかな喜びでもあるのだ。 人の気持ちが分からず、多くのものを失ったことには違いない。胸が苦しい思いが今もしないといえば嘘になる。 だが、そんな私も楽しげに会話をしている彼等彼女等を見ていて羨ましくなる時がある。いつの日か、そうなれればどんなに良いことであろう。今の自分には人の気持ちを考える余裕も技量もない。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 節電虫の誕生 4.3.2.1 第二次ヒヤリング審査(1)、いざ東京へ | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 節電虫の誕生 4.3.2.1 第二次ヒヤリング審査(1)、いざ東京へ Facebook X (Twitter) リンクをコピー 第二次ヒヤリング審査は一色尚次東京工業大学名誉教授を審査委員長とする29名の学識経験者から構成される省エネルギー委員会による審査でした。 私が住んでいる尾道が東京から距離的に離れているということもあり、審査の順番を午後の早い時間帯に設定していただく配慮を(財)省エネルギーセンター事務担当者の尾形氏、技術担当の舟岡氏よりしていただきました。第二次審査対象になっていた会社のほとんどが大企業で東京か東京周辺に本社や事業所があり、地方から上京しなければならなかったのは私だけだったのかもしれません。 11月14日、いよいよ省エネバンガード21(21世紀型省エネルギー機器・システム表彰)第二次ヒヤリング審査の当日です。少しおおげさですが、徳川家康であれば、いよいよ関ヶ原決戦、といったところでしょうか。並み居る大企業戦士との戦いの早朝でしたが、私は特に気負うこともなく新幹線新尾道駅から新幹線で東京に向かいました。 車中では説明会場で与えられる8分間で説明するために用意したOHPフィルムを取りだし(当時はまだパワーポイントによるプレゼンテーションは無かったかもしれません)、頭の中で説明順序と内容を2度ほど繰り返しました。そして、残る時間の大半はNHKの節電虫(益虫)取材時にいただいたNHKのロゴマーク入りのソニーウォークマンで好きな高橋真梨子さんの歌や、東洋紡勤務時代にギターマンドリンクラブ「ギターラTOYOBO」として演奏した曲などを聴きながら、時にはうたた寝しながら東京までの約5時間を過ごしました。 到着後、(財)省エネルギーの尾形氏より地図で案内していただいていた東京駅近くで審査会場が設けられていたビルに12時頃に入りました。そして、すぐに受付の女性に私の到着を伝え、実際のヒヤリング審査開始まで1時間ほど待機しました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 私が夢に見た10年後の横浜・・・正夢であって欲しくない・・・ | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/3/17 私が夢に見た10年後の横浜・・・正夢であって欲しくない・・・ Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私、一般社団法人の役員、50歳、現在世直し事業を進める。少子高齢化の進む日本の身の丈に合った社会改革の推進だ。 そのワタクシが今年1月心不全で倒れた。救急車で搬送先の病院で見た夢だ。 2025年、何故か舞台は横浜線鴨居駅。横浜線電車を降りる際、何事も普通だった。鴨居といえばパナソニック、ららぽーとなどが有り若い人達に溢れている。その駅に降り立った。 何かおかしい。まず若い人たちがいない。女子高生、買い物のアベック、友達などとにかく若い人が駅前にいない。代わりにいるのが80歳をすぎ背中をクの字に曲げたご老人たち。え?ここは鴨居なの?我が身を疑った。そしてバスに乗ろうとした。行き先を見て驚いた。行き先は横浜駅西口ではない。すべて老人ホーム行きに変わっていた。あの36系統はどこへ行ったのか?なんだかわからず鴨居ダイエーに向かった。周辺に老人以外の歩行者はいない。いったいどうなっちまったのだろうか?買い物に来るのは全て80歳くらいの老人のみだ。街が沈んでいる。背景が全てダーク色になっていた。私は何故かスマホを持っていて時間を見ると、」2025年・・・・え?10年先はここまで変わってしまっているのか・・・! ハッとしてベッドから起きた。私はまだ生きている。まるで死後の世界に行って戻ったかのようだ。生きていて良かった。それにしても10年先の横浜の変わりようはどうだ?確かに今(2015年)も鴨居駅前には老人は多い。それが10年先は若者がゼロになってしまうのか? 心不全で死んでしまっては行けない。なんとか治し一線に復帰しなくては。 毎日リハビリとキツイ食事制限に耐えた。そして2週間後退院。私は世直し事業をしなくてはならない。少子高齢化は仕方がないにしても、若者ゼロの社会にしてしまってはいけない。その信念のもともう一度事業の再編成を行うことにした。 1ヶ月後血液検査の数値はかなり改善された。すぐにベトナムのハノイに飛んだ。なんとしても若い人たちを海外から供給しなくてはならない。平均年齢28.5歳のベトナム、ここに将来を見出してみよう。介護、製造、建設、ここに彼らの就労先を作ってあげなくては・・・ 帰国して新しい事業を夢見ている。 私が夢に見た10年後の横浜・・・正夢であって欲しくない・・・ 正夢にはならなくとも、今の状態を野放しにしていたら、街から若い人たちが消える、ありえない話ではない。この件にどれだけみんな危機感を抱いているのだろうか?日本はまだ若い、問題ない、不死鳥だと考えている愚か者は未だにいるのであろうか? 誰か何をやろうと、私は独自の世直しを続けていきたい。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • マヨネ教で垣間見たTV番組の裏側 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/2/28 マヨネ教で垣間見たTV番組の裏側 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 写真が苦手です。自意識過剰のため、モニターを通すとたまに外見がマヨ子になってしまうのです。ほどよく自然体の自分で写真にうつるのって難しい!  ・ ・ ・ ・ ・ さて、マヨネーズが好きな人を「マヨネーズ信者」と呼んでユルめのジョーク感覚で宗教に見立てたのがマヨネ教です。高校時代に友人間の遊びではじまったものが、大学時代にホームページ(絶賛放置中→ http://mayonnaise.jp/ )を作ったことで雑誌やテレビにとりあげられることがありました。広報部長として活発に活動していたあのころの、テレビ出演の思い出をふりかえります。 某科学っぽいバラエティ系情報番組 とある番組の被検体として「マヨネーズ断ちをして3日目」と「マヨネーズ解禁してたっぷり食べた時」の血中成分を比較するという実験に参加。当時わたしが暮らしていた江戸川区の狭いボロアパートに遠心分離機と派遣の看護師がやってきて、スタッフもろともギュウギュウ詰めでの撮影。同居のネズミ一家やゴキブリ一族が騒然としたのも、よい思い出です。 人物紹介の際、名前だけではおさまりが悪い、何か肩書をつけたい、といわれました。そのころ、仕事なし・恋人なし、ヒマだけはあったから取材協力できたのですが、「フリーター」って紹介される映像を後世に残したくない! と拒否したら、「マヨネーズが恋人 ●●さん(27)」というテロップが入れられました。寂しく凍えました。 海外事情を紹介する韓国の番組 「日本にはマヨラーという人種が存在する!」的な取材をうけたこともありました。友達と自宅で食事するとき、マヨネーズをたっぷりつけている様子を撮影。韓国での放送後にVTRを送るといいつつ送ってくれず、あのスタッフは嘘つきだな~と思いました。 後日、翻訳スタッフの方が偶然マヨネ教のサイトを見て連絡をくれたので、番組サイトからの視聴方法を教えてもらいました。録画して残せないまま番組サイトでの掲載が終わってしまったのですが、一度でも見ることができてよかったです。ボロアパートの外観は映さないようにと何度も念押ししていたにも関わらず、ばっちり出ていました。ほんとあのスタッフは嘘つきだな~と思いました。 某ジャニ系真夜中のドキュメンタリー番組 いまをときめくアイドルグループのひとりで、今はニュースキャスターもしている人が取材にきてくれたこともありました。事前にサインや写真撮影は禁止といわれてジャニーズのアイドルがくるんや! と実感したものです。こぎれいなアパートに引っ越しておいてよかったと思いました。 その日は、スイカやドラ焼きなど、ちょっとありえないものにマヨネーズをかけて食べてみる集会ということで、友人たちに集まってもらっての撮影。試食したアイドルが即退席して流しに吐いたのですが、当時貧乏だった私は吐かれたものをみて「ファンに売れんやろか」とうっすら思ってしまったのでした。 ヤラセとは言いません、演出です。演出。 主に制作スタッフから要求があり、ときに内から湧き出るサービス精神で、実際はこんなことやらない言わないというようなことを、ずいぶんやったり言ったりしました。どの番組でも多かれ多かれ、それはありました。 たとえば、事前に取材依頼を受けて打ち合わせしてから偶然スタッフと知り合った場面を撮影したり、日をかえたことにするため服を着替えたり、隠しカメラをしかけている体で行動観察されてるけど実はカメラ位置を知ってて見ないフリしてたり、というのは実際に体験しました。(隠しカメラの演出は2番組でやったけど、どっちもカットされてた。) 一緒に出演した友人から「テレビって信じられへんな」と言われました。私自身、バラエティ番組は「だいたいが演出だろうな」と思ってみるようになりました。  ・ ・ ・ ・ ・ いまでは私もすっかり丸くなりました。マヨラーとして取材を受けることもなくなり、節度あるマヨネーズ利用をこころがける一マヨリストとして静かな余生を送っています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 株式会社エナジー〇〇のパンフレットでオール電化にしてみたいと思った | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 株式会社エナジー〇〇のパンフレットでオール電化にしてみたいと思った Facebook X (Twitter) リンクをコピー こんにちは、立花真由美です。 飽き性の私。 それでも月一ならと思い、ブログをはじめました。 回数は少ないですが何とかゆるゆるとブログを続けることが出来て、ホッとしています。 一つの場所で過ごすことも苦手で、これまで京都に大阪、鹿児島。 そして今は横浜と住まいもころころと変えてきました。 しかし、来月誕生日を迎えるにあたり、一つの目標を立てました。 それは5年以内に自分の家を持つことです。 株式会社エナジー※※という近くの会社(一応名前は伏せます笑)でオール電化のパンフレットが目に止まり、やっぱり家がほしい!と思ってしまいました。 恋や仕事など、色々な悩みもあります。 今後どうなるか分からない部分もあります。 けれど、〇〇歳というある種の区切りを迎えるに当たり、どこかに根を張って生きていくという道に魅力を感じるようになりました。 決めたのは良いものの欲張りな私は「ハンモックをつけたい」「キッチンは広くてきれい!コンロは3口!」と満たしたい条件がいっぱい! しかし予算もあるので、泣く泣く削るものもあります笑 けれど、削りたくないのがオール電化!! たまたま案内を受けた株式会社エナジー〇〇のパンフレット、そこに書かれている生活スタイルを見て単純に憧れてしまいました。 自家発電を使用できるだけでなく、コストダウンやキッチン周りのお手入れも簡単になるそうです。 これを聞き、心はオール電化!!絶対やりたい!!という状態になりました笑 キッチン周りは日々使うので、手入れが楽になるのは大きいですよね〜。 今は相談段階ですが、将来的にはぜひオール電化にしたいと思う今日このごろです。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 世界を変えるために責めることをやめた | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/7/14 世界を変えるために責めることをやめた Facebook X (Twitter) リンクをコピー おはようございます。こんにちは。こんばんは。 世界を変える男、紺ナムです。 ついつい、立場が弱い相手を責めたくなってしまいます。 今回は、それって、意味あるの? というお話です。 ★ 家の前に、見知らぬ車が止まっていた。最近、この地域は空き巣が多いらしい。家には、俺1人。ビビった俺は、迷わず通報した(警察署へ電話)。 車の中身から見て、近所の工事を担っている人の車両っぽい。 20分後ぐらいに、警察官到着。 「すいません、家に一人でビビってしまって」。警察官に頭を下げる。 数分後、持ち主の工事関係者が到着した。 「お忙しい中、ご迷惑をおかけしました」。こちらから、工事関係者に頭を下げた。こんなクソ暑い中、地域の環境を良くしていただいているのだ。立派としか言いようがない。 ただ、うちの前は横断歩道、本来、駐停車は禁止だが、今回は注意だけで済んだようだった。 1ヶ月前だったら、このような態度は取れなかった。 「てめー、ふざけんじゃねー! 誰の家の前に止めてると思ってんだ、ゴラ(# ゚Д゚)」 と高圧的に相手を責めていたはずだ。 うちの更年期のアホ親父だったら、もっと高圧的な態度を取っていただろう。 いなくて、良かった。 立場が弱い人間を一方的に攻撃することは、絶対に良くない。 こんなことをやっていれば、いずれ自分に返ってくる。最悪、警察につかまってしまう。 だがら、他人を責めたくなったなったときは、まず自分から頭を下げる。 相手を赦す。事が起きた後に誰かを責めても、何も生まない。 だから、起こる前に注意をしなければならない。 このように人を思う態度を取りつづけることで、世界のルールは変わっていく。 ★ 長文を読んでいただき、ありがとうございました。 世界を変える男、紺ナムでした。また、会いましょう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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