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- 雑誌を作っていたころ(27) | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/9/16 雑誌を作っていたころ(27) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 書店営業 出版社における営業の仕事は、その版元の性格によってずいぶん違う。雑誌しか出していないところは、取次回りと納品の管理、返品の処理、バックナンバーの品出しがおもな仕事。在庫を抱えることが基本的にないから、倉庫も必要ない。あとは取次から受け取る手形を経理に回して伝票を書くくらいだ。 しかし書籍やムックがあると、仕事はかなり複雑になる。書籍は新刊だけで商売するのではなく、ロングセラーや「コバンザメ売り」、「ワゴンセール」などがあるし、地方新聞の書評とか個人のブログとかをきっかけに突然売れ始めることもあるから、そういう場合の対応もしなければならない。増刷や絶版を決定するのも営業の仕事だ。 (コバンザメ売り=書店店頭において、自社や他社の売れている関連本に引っかけて、売りたい本を目立たせる方法。隣に並べたり、書店にフェアやワゴンセールを持ちかけたりする) (ワゴンセール=書店店頭で、同じ著者や同一ジャンルの本をワゴンに積んで売る方法。店員の手書きPOPなどがあると、効果があるといわれる) ムックはさらに面倒くさい。一般に雑誌と書籍は取次でも扱う部署が違い、別の梱包で届くのだが、ムックは雑誌ルートを流れてくる書籍的な大型本である。返品期限は無期限だから、10年前のものが返ってきても対応しなければならない。そのくせ、製本が書籍よりもヤワだからすぐ造本事故が起きる。返品もヤレ本になっていることが多いので、再出荷できなかったりする。 青人社はムックコードはなかったが、書籍は出していた。なので営業部員は書店営業もしなければならない。といっても大手のように地域ごとに担当を置いたりすることはできないから、何かのついでに回ることになる。この「ついで」が各地で年に1回開催される「トーハン会」と「日販会」である。 ぼくがよく行ったのは、名古屋と京都、大阪。神戸も震災の後で出かけたし、岡山と広島も一回だけ顔を出したことがある。本当は全国に行くべきなのだが、そうなると部決と出張でほとんど会社にいられなくなってしまう。書店蒔きの拡販チラシもぼくがMacで作っていたので、会社にいる日がないのはまずい。 そういうわけで、売れ筋の地域にしか行けなかったのだ。 最初に名古屋のトーハン会に行ったのは、馬場さんがかつて平凡社の営業課長だったころ、名古屋を得意にしていたからだった。トーハンの支店長や有力書店である星野書店の社長などが知り合いなので、電話で「よろしく頼む」と言ってもらえばすぐ顔つなぎができると思ったのだ。実際、「人脈というものはすごい」と思い知ることになった。 名古屋ではもう一つ、忘れられないエピソードがある。立風書房の営業の人がトーハン会でいろいろな書店に紹介してくれたので、彼にくっついてその後も回ることにしたのだが、最後は書店の2階で飲み会になった。池下三洋堂という三洋堂書店の本家が会場で、そこに小学館や岩波書店をはじめとする出版社の営業部員が20名ほど顔を揃えていた。 出版界は、編集こそライバル同士だが、営業は横の連帯が驚くほど強い。「競っているのは編集で、俺たちは同業者」という感覚があるからだ。しかも会社の大小にまったく関係なく平等に付き合う。仲のいい営業部員のチラシを預かり、「俺がついでに撒いてきてやるよ」などということは日常茶飯事だ。取次に行って顔を合わせたりすると、その後の行動が一緒になったりする。そのまま飲みに行くことも多いのだ。 話は戻って池下三洋堂の2階。飲み会を仕切っている加藤専務は強烈な握力の持ち主で、いっぱいに入っている日本酒の一升瓶を、底の部分を片手で握って相手に注いだりする。子供のころから梱包された本を運んでいたので、ひとりでにそうなったのだそうだ。「まずは握手」と挨拶されたが、1時間くらい手が痛かった。 この会には恐ろしい掟がある。新人会員は、大きな土鍋のフタを持たされ、湯気抜きの穴を指で押さえて捧げ持つ。そこに専務が片手で持った一升瓶の酒をどばどばと注ぐ。そして自己紹介の後、飲み終えるまで立ったままでいなければならないというのだ。20人が車座になっての飲み会だから、土鍋は当然巨大。そのフタには、軽く5合は入ると思われた。 どうやって飲んだのか、もう覚えていないが、ぼくはなんとかその酒を飲み干した。途中、「おい、はやくフタをくれよ。煮詰まっちゃうだろう」と催促されたのを覚えている。 それでも翌日、朝からチラシを持って拡売に行ったのだから、あの時代はタフだった。もしかすると訪問先の書店は、酒臭さに辟易して注文用紙にハンコをついてくれたのかもしれない。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 出張整体師はみた! 【ホテル編】 某アミューズメント付近 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/9/2 出張整体師はみた! 【ホテル編】 某アミューズメント付近 Facebook X (Twitter) リンクをコピー Add paragraph text. Click “Edit Text” to update the font, size and more. To change and reuse text themes, go to Site Styles. X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- この頃 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/6/3 この頃 Facebook X (Twitter) リンクをコピー この1か月の間に、ご近所のお年寄りが3人も亡くなった。あまり親しくしているわけではないが、早朝の救急車のサイレンにドキッとする。長閑で、穏やかな山間の里にもこんな日常が潜んでいるのだと改めて感じているこの頃である。 近頃は早朝から、にぎやかに鳥たちのさえずる声の大きさに驚く。窓を開けると、さわやかな風と共にこの鳥たちのさえずりに、耳を奪われる。どの木にいるのかと思いきや、庭先のブルーベリの実を食べにやって来ている。仲間を呼んで楽しんでいるのだ。川辺にはセキレイやカモのつがいが居たりする。バードウオッチングの本でも買って来ようかな。 庭には昨年咲かなかった花がよく咲いている。何にもなかった庭がにぎやかに色づいてきた。昨年確かにいたのに沢ガニに全部食べられてしまって一匹も居なくなってしまったメダカも、三島の友人から貰ってきて大きな水槽をもらって入れてみた。今年は大事に育てよう。 畑を整理して、土も入れ替えて、トマトやピーマン、トウモロコシと欲張って植えてしまった。ベランダのカウンターに作った葉物野菜の中に昨年からの落とし物の種から、シソやエゴマの葉が沢山出てきて、毎日収穫している。エゴマの葉は朝のサラダに毎日つかっている。先日、外出から戻ってみると玄関先になんとサニーレタスの袋が2つもあった。どなたかわからず、3-4日お礼も言わず、いただいてしまった。野菜の自給自足は定着しつつある。人生を豊かに生きる、ちょっとした無理をしない頑張りも慣れてきたような気がする。 世の中は騒々しいことが多すぎて、考えさせられることだらけ。そんな中、先日タイから友人が来た。久々に、東京銀座で会食した。人の多さと新しいビルやブランド店の多さに戸惑う。どこに居ても、時は移ろい、やがて歳を重ねる。 宇佐美の海辺を犬と散歩を楽しみ、二度目の夏を迎えようとしている。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- リスナー、読者といつか共演する。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 リスナー、読者といつか共演する。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私のStorysを大切に読んでくれる読者がいたら 私はその読者といつか話をしてみたい。 私のStorysの記事ならどれが好きなのかとか 私の台本とか、小説を出せたら どの【作品】が好きなのかを 【対談】したいし 私の作品を【愛してくれる】大切な 【読者】様が 【共演したい、コラボしたい、対談したい】というなら 私も真剣に考えます。 【全員】は、難しいけど 私の推しで、私のStorysの【読者】だときくと 本当に幸せで 【両想い】だと感じる。 その相手が【同性】でも。 私のStorysを大切にしてくれる。 だから私も同じくらい 【その読者】を大切にします。 言葉で【大切にする】とか 【私を応援して後悔させない】とかいっても【口ばかり】にならないように 【行動で示します】 私の推し、神推しが 【朗読】してくれたり 【台本読みます】といってくれて 【形になり始めている】 【私の作品】が。 読んでくれた全ての【配信者】へ 敬礼。 心からありがとうを。 とても幸せです。 #神推し7 #朗読 #Storysを読んでくれる大切な君へ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 1日15時間・30連勤のブラック企業に3年半勤めた社畜が独立して感じたこと。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/2/3 1日15時間・30連勤のブラック企業に3年半勤めた社畜が独立して感じたこと。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 『一歩先は足場もない崖だと思っていたら実は楽園だった』 僕はこれまでの人生で一度も『人生の第一志望』というものに合格したことはなかった。 学校の成績もとりわけいいわけではなく、せいぜい中の上 スポーツはといえば、足が速いわけでもなく、男子中高生の平均値くらいだ。 クラスで最高でも最悪でもないどこにでもいそうな冴えない僕は世間で言う『一般ピーポー』というやつだったのだろう。 当時は特に劣等感というものもなかったので『どうせ自分は...』と無意識に諦めていたのかもしれない。 そんなごく平凡な人生を送ってきた僕だったがついに転機と呼べる時がきた。 『大学受験』だ。 僕は中学は地域の公立校で、高校も隣の市にある偏差値50くらいのところだった。 そんな『THE・平均人生』を歩んできた僕は大学くらい頑張っていいとこを狙ってやろうと決意したのだ。 なぜここにきて頑張って平均値以上の人生を狙おうと思ったのかははっきり覚えていないが、おそらく『いい大学=人生のステータス』というまぁ日本の学歴社会の風潮に洗脳されていたのだろう。 高校2年の春から進学塾に通い、3年になってからはほぼ毎日勉強していた。 多分、夕方5時に塾の講義を受け、深夜0時くらいまで自習室でこもって一人勉強していた。 学校が休みの日は16時間はやっていたと思う。 完全に自分はスーパー受験生になった気分でいた。 成績もどんどん上がっていき、第一志望は余裕のはず ....だった。 しかしあれだけ頑張った結果、第一志望の大学の全学部に落ちてしまった。 わけがわからなかった。 『あれだけやったのに...なぜ』 その悔しさと同時に 『どうせ自分は結局こんな人生なんだ』とふとあの言葉が蘇った。 結果、滑り止めで受けた三流大学に入学し、留年することもなく無事に4年で卒業できた。 親しい友達は多くでき、プライベートは充実していた。 しかし、遊びに夢中になりすぎていたのか勉強は全然してなかった。義務教育という檻から完全に自由になった僕は、授業はよくサボるし、そもそも大学に行かないことも少なくなかった。 テストはレポートを出せば平均点は取れるような授業ばかり受講したおかげで単位は取る事ができた。 昔からこういう無駄に効率がいいところだけは才能だったかもしれない。 大学3年の秋、ある一大イベントが始まる。 そう『就職活動』だ。 僕は就職して会社で働いている自分がどうも想像できなく、全くやる気がなかった。 大学生活が楽しすぎたのかいつまでもこうして遊んでいたいと思っていた。 ピーターパン症候群と言われてもおかしくないくらい。 だが周りの友人は就職活動に専念しているわけでしないわけにもいかなかった。 とりあえず基本的な活動はしてみた。 会社説明会に行ったり、筆記試験の勉強をしたり、しかしどの会社の説明会に行っても全く働きたいと思える会社がなかった。 『自分は社会不適合者なんだ』と本当に思っていた。 ただ周りに合わせて就活している感が半端ではなく、当然そんな気持ちでやってもいい結果が出ない。 またあの言葉が頭を遮った。 気付いたら僕は就活をやめていた。 完全に『ダメなやつ』の仲間入りだ。 自分のこの先の人生はどうなるのだろうか。 『ニートか』『フリーターか』それとも... そして迎えた卒業式 周りはと言えば、大手企業に内定したやつもいれば、国立大学の大学院に行ったやつもいる。 そんなやつらを見ていると劣等感を感じずにはいられなかった。 涙と笑顔で満ちるはずだった卒業式に僕はウソの笑顔でできた仮面を被ってそこに立っていた。 楽しかった大学生活が終わる一方で、明日から何もない人生が始まる不安を感じていた。 桜舞う4月、テレビのニュースでは各会社の入社式が取り上げられていた。 期待と不安に満ちた多くの新社会人がそこには写っていた。 『自分は一体何をやっているのだろう』 そんなことを考えながら月日は過ぎ、気付けば蝉のなく季節になっていた。 アルバイトはしているものの、このままだらだら行けば本当にお先真っ暗じゃないかと思った僕は再び就職活動をすることにした。 それは『義務』でしかなかった。 義務教育から卒業したのに、義務社会へ入学したのだ。 とりあえず、何社か受け、なんとか内定をもらうことができた。 当然、一流企業ではなく、ごく普通の中小企業だった。 それでも僕は嬉しかった。 大学卒業後の人生と比べると天と地の差だ。 『これで立派な社会人だ』と胸をはって自分に言う事ができる。 希望溢れる社会に飛び込んだはず だったのだが.... どうもおかしい。 みるみる体重は落ち、顔から生気はなくなり、気付けば廃人になっていたのだ。 こんなはずでなかった。 もっと生き生きと働き、立派な社会人てやつになるつもりだった。 勤務時間は1日15時間勤務が1ヶ月以上続き、会社で寝泊まりしている人させもいるくらいだった。 そう僕が入社したのは『ブラック企業』だったのだ。 ・1ヶ月連勤当たり前 ・残業代はもちろんなし ・ボーナスもなし ・昇給は1年1回の500円 ・おまけに退職金もなし 素晴らしいくらいの労働環境だったと自分で思える。 もうネタでしかない。 こんな会社でも辞めなかったのは、『もうあの時に戻りたくない』と思っていたからだ。 夢に向かっていく友人と一歩も前に進んでいない自分を見たくなかった。 そのわけのわからない原動力のおかげで気付けば入社3年目を迎えていた。 その頃には僕には『ブラック企業の社畜』というブランドがついていた。 こんな会社でも勤続していれば環境も変わり、よくなるだろうと思った。 しかし僕の考えは甘かった。 ふと10年先の先輩を見ると僕と変わらない仕事をしていたのだ。 そして命令にYESと答えるだけのロボットになっていた。 『あれ?これやばいんじゃないか...』 僕は10年後の自分にその先輩を重ねてしまった。 希望を求めて飛び込んだ社会の姿はそこにはなかった。 『自分が本当に求めていたものはなんだろう』 『見栄か?』 『ステータスか?』 そう思えばずっとそうだった。 僕は何に対しても本当の本気になったことはなかった。 大学も就職もこれまでの人生において『自分の人生の第一志望』から逃げていた。 いやむしろ『諦めていた』のかもしれない。 そんなことを思っているとあの楽しかった大学生活の思い出が蘇ってきた。 『もっと自由にクリエイティブに生きられたらなぁ...』 いつしかそんな風に思うようになっていた。 それが確信に至までそう長くなかった。 見つけた。僕の人生の第一志望。 『何にも縛られることなく、自分らしく生きられる手段』 そう考えた時、答えは一つしかなかった。 『独立』 しかしごく一般のサラリーマンだった僕は独立と言ってもお金も実力もましてやコネなんて全くなかった。 どう考えても会社を辞めて失敗するパターンだ。 でも僕は諦めなかった。いや諦めれなかった。 今、やらなければいけないと直感で思った。 これまで自分の人生に対して中途半端にやってきたのだから、やっと見つけた自分の第一志望に本気で挑戦して見ようと決意した。 そこからこんな僕でもできることはないかと探しまくった。 お金も実力もコネもないただのサラリーマンが独立して自由な人生を手に入れるなんて、ドラえもんのひみつ道具を使わなければならないくらいのレベルだとは十分承知していた。 そして僕はある知恵と出逢った。 それが正しいか間違っているかはわからなかったが 『これしかない!!』と思ったのだ。 人間は不思議なもので根拠や自信がなくても運命を感じた時、心にビビッと電流が走るものなんだと今なら言える。 僕は人生のすべてをかけて取り組んだ。 本当にこれまでにない真剣さがそこにはあった。 自分の人生の第一志望が叶う瞬間を想像するのが楽しくて仕方なかった。 しかし、忘れていたことがあった。 『会社』だ。 僕はもう辞める気満々でいたのだが、そう簡単に辞めさせてもらえるほど甘くなかった。 『あと数年あれば将来ある会社になる』 『どうしても隣の芝は青く見えてしまうものだから』 なんどこの言葉を言われたかわからない。 確かに辞めたらどうなるかわからない。 会社を辞めて独立するということは、自分の力で生きていくということだ。 会社の看板を借りることも、毎月一定額の給料が口座に入ることもなくなる。 言ってしまえば 『一歩先は足場もない崖』ということだ。 そう考えると不安はあったが、これだけは譲れなかった。 ここでやめてしまえばまた逆戻りだとわかっていたからだ。 そして来たる退職日 3年半お世話になった会社を辞めた。 そして崖だと思っていたその先は、ちゃんとした一本道が続いていた。 □最後に□ 最後までお読み頂きありがとうございました。 ここまでご覧になって『なんてダメなやつなんだ』と思われたことでしょう(笑) 僕自身も過去を振り返って文章を書いている途中で『完全にダメなやつだな』と実感しました(笑) そして、僕は今インターネットビジネスという仕事をしており、自ら実践するだけでなく、多くの人に教えるといったコンサルティング活動もしています。 僕が3年半会社で働き独立して今は自由な人生を歩んでいますが、本文でも書きましたがとりわけ素晴らしい実績があったわけでもありません。 そんな僕がこのようになれたのは『人生の第一志望』を見つけ、本気で挑戦したからだと思います。 人生の第一志望って聞くと何か大層なことに思えますが、全然そんなことなくて誰もが持っていることだと思うんです。 例えば、『もっと遊ぶ時間が欲しい』『レストランでおいしいものを食べたい』とか 人生の第一志望=夢ではありません。 人生の第一志望とは『あなたの本音』です。本当にやりたいことです。わがままです。 でも大人になるうちにみんな諦めてしまいます。 『どうせ無理だろ...』って その時点で一生叶いません。 なので年齢や経験、環境なくそれぞれのわがままを持って、『どうやれば実現するかな?』 と考えることが大事です。 考えるうちに選択が見えてきます。 僕はその選択をして本気でやったまでです。 ですので、どんな些細なことでも人生の第一志望を見つけ挑戦してみてください。 長々となってしまいましたが、僕の話はこれで終わりにします。 ストーリーの続きが気になる方は僕のブログのプロフィールで発信していますのでそちらをご覧下さい。 [ブログ] https://kiraffiliate.com/ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
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STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/8/3 雑誌を作っていたころ(23) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 神風 学研から切り離され、グループ会社となった青人社は、「2年で倒産する」と予想されていた。その根拠は、月150万円ペースの赤字だった。「ドリブ」と「おとこの遊び専科」が稼ぎ出すわずかな黒字では、30人の所帯をまかなう一般管理費が出てこない。それまでは「日本こころの旅」などのムックで帳尻を合わせていたが、ムックが出せない環境では赤字がもろに出てしまう。 馬場社長は独立に当たって、「出を制し、入を増やす」という当然の策を講じた。まず、創刊以来続いてきた「ドリブ」の車内中吊り広告をやめた。これで月300万円の節約ができる。次いで編集制作費を10%カットした。タクシーの使用については、理由書の添付が義務づけられた。典型的な赤字企業の「縮小再生産モデル」である。 収入を増やすためには、書籍編集部の新設、広告営業の活発化が実施された。少し前から社長の趣味でスタートしていた「歴史百人一話シリーズ」に加えて、「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の人気連載を書籍化することになったのだ。ぼくは「書籍部編集長」の肩書を与えられ、責任者になった。 広告部には「これまで断ってきた広告を、全部載せろ」という指示が出た。学研広告部は殿様商売なので、少しでもいかがわしい広告は掲載を拒否していた。それを拾いまくって売上げを向上させようと考えたのだ。 だがそれら一連の戦略は、一歩間違えば「典型的な三流出版社倒産への軌跡」となる恐れがあった。宣伝や制作費をケチれば、雑誌の売れ行きは必ず落ちる。「企画力でカバーしろ」というのは「竹槍精神論」にすぎない。また、慣れない書籍作りは赤字を増やすだけになるかもしれない。広告の掲載基準緩和は、誌面を汚らしくして読者離れに拍車をかける危険性があった。 ぼくはそう言って社長の案に反対した。だが、社長は顔を真っ赤にして怒鳴った。 「きみの言っているのは、書生論だ。そういうことは、きちんと収益が出てから言うものだ!」 彼は激しく机を叩き、社内を睥睨した。本当は社長も、こんなことはやりたくないのだ。ほかに方法が見つからないので、自分に腹を立てているのだ。ぼくはそれを理解して、引き下がった。あとに無力感が残った。 新設された広告部は、掲載基準の緩和を喜んだ。それまで通りの広告営業なら、学研広告部の人たちが築いた人脈を引き継ぐだけだが、基準が変われば新しいクライアントと代理店との付き合いができる。2人の営業マン、奥薗部長と石川主任は、もともとそういう世界が得意な人たちだった。その効果はすぐに現れ、聞いたこともないような名前の広告代理店から、電話がじゃんじゃんかかるようになった。 嵐の第一陣は、当時ピークにさしかかっていた「結婚紹介ビジネス」だった。アルトマン、OMMG、ダイヤモンドといった「コンピュータで理想の広告相手をご紹介します」という商売が大流行していたが、どこも女性会員ばかりで男性会員が少なかった。そこでハガキつきカラー見開き広告を「ドリブ」に掲載したところ、空前のリピート率を記録したため、業界の全社がレギュラー出稿するようになったのだ。 ハガキ付き見開き広告は、「折」という16ページ単位の製本上の境目にしか入れられない。「ドリブ」の台割上、その位置は8箇所しかなかったが、そのうち六箇所が「結婚紹介ビジネス」のハガキ付き見開き広告で占拠されることとなった。編集部は「扉ページが作れなくて格好が悪い」とかなんとか文句を言ったが、毎月1200万円の広告収入を前にしては、黙るしかなかった。 続いて、「おとこの遊び専科」の1色タテ3分の1広告がいっぱいになった。「美容整形」の広告を解禁したため、新宿形成クリニックや高須クリニックをはじめとする包茎カッターたちが、財力にものを言わせてスペースを買いまくったのだ。ただし、医事法によって病院の広告は院長名と専門科目、所在地と連絡先くらいしか載せられない。そこで彼らは本を作ってその宣伝をしたり、レーシングチームに出資してそのニュースを載せさせたり、あの手この手の戦略を駆使した。「遊び専科」のスペースが埋まると、その勢いは「ドリブ」を襲うこととなった。 そして本格的な神風が吹いた。「ダイヤルQ2」の大流行による「パーティライン」「2ショット」「伝言ダイヤル」などの「出会い系サービス」が、雪崩のように「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の1色広告ページを埋め尽くしたのだ。 「ダイヤルQ2」を利用した風俗産業は、女性会員はフリーダイヤルで無料にしておき、男性会員から法外な通話サービス料をせしめて利益を出す構造である。素直にお金を払う男を集めるには、「彼女いない歴」が長く、勤め人で一人住まいの多い「ドリブ」と「おとこの遊び専科」の読者を狙うのが最適だったのだ。 その手の広告は、カラーページである必要はない。なるべく暗く、いかがわしい雰囲気の広告のほうが、反響があるものだ。「角雑」と呼ばれる、記事の隅に入る小さな広告スペースや、ヨコ5分の1という記事の下1段をとる広告スペースが、真っ先に売れていった。広告部長の奥薗さんは、馬場さんに進言して「連合広告」を解禁させた。これは、広告代理店に1ページ単位でスペースを買わせ、代理店が団地のようにそのページをコマ割りして再販売するものだ。見た目がお世辞にも上品とは言えないので、一流誌では見ることはない。「号あたり5ページまで」としたそのスペースも、先の先まで埋まってしまった。 「すみませんが、来月号は先週満稿になりました。その次の号もまもなく満稿ですから、お申し込みはお早めにお願いします。タテ3ですか? 年内は無理です。記事タイアップでよければ、10月号で取れますが」 広告デスクの宮木さんが申し訳なさそうに電話で答える言葉が、まるで留守番電話の応答メッセージのように思える日々が続いた。「ドリブ」と「遊び専科」を合わせた広告収入は、毎号5000万円を突破。学研広告部時代に比べると、4000万円の増収となった。年商ベースに直せば、5億円近い伸びである。「赤字」や「倒産」という言葉は、完全に過去のものになった。 「社長、これは税金対策をしないと大変ですよ」 満面に笑みをたたえた経理部長の鈴木さんが、口癖のように馬場さんに声をかけるようになったが、その言葉の通り、広告収入の飛躍的な増大で、青人社は学研からの独立による財政的危機を乗り切り、黒字基調で決算を迎えた。売上金額は約10億円。経常利益は1億円を超えた。ということは、数千万円の税金を支払うわけだ。 ぼくらは連日、社長の机の周りに集まり、さまざまな陳情を繰り返した。 「机と椅子を新調してほしい」 「編集者の仮眠施設を作ってほしい」 「電車の中吊りポスターを復活してほしい」 「もっときれいなビルに引っ越したい」 要するに、みんな税金を払うのがもったいないと感じていたのだ。だから経費で使ってしまおうと、さまざまなプランを持って社長を責め立てたというわけだ。だがしかし、社長が許可したのは冷蔵庫の買い換えと、ポータブルワープロ5台の購入だけ。どちらもぼくの稟議だった。 大型冷蔵庫への買い換えは、社長が夕方飲むビールを冷やすのに必要だったし、5台のワープロは、当時進行しつつあった原稿の電子化に対応するために、どうしても譲れないものだった。しかし、その他の要望はすべて却下された。 「あのケチ社長がなぜ税金を払うのか」 という疑問で、社内は騒然となった。そのことに関する質問を、社長はいっさい受け付けなかったので、疑問は様々な憶測を呼んだ。 ひとつの答えが提示されたのは、それから数カ月たった後のことだった。業界紙に出版社の売上げランキングが掲載されたのである。いち早く社長が赤鉛筆で印を付けたところには、青人社の名前が第50位として載っていた。 「どうかね。平凡社はこの中にないんだよ」と得意満面で語る社長の顔を見て、ぼくらは「ああ、社長はこのランキングに載りたいから税金を払ったのだ」と納得した。コストの高い見栄だと、やりきれない思いだった。 しかし、その理解は甘かった。それから3年後に社長が食道ガンで死去したとき、学研の経理担当役員が「あのときの税金は、馬場くんの役員報酬を払うためのものだよ。税引き後の利益を見て、役員報酬というのは支払われるのだから」と、こともなげに語ったのが真相だった。社長は自分のボーナスを少しでも多くするために、ぼくらの要望を蹴ったのだ。 その時点ではまだそんな駆け引きは知らなかったが、ぼくは「この社長から何かを引き出すには、騙さなければダメだな」と悟っていた。それが、翌年のマッキントッシュ購入につながる。ぼくはDTPの個人的な実験をするために、総額300万円の買い物をしようとしていたのだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 全ての夫である男性たちへ! 俳句『うたた寝に 心地よく鳴る モズの声』を毎日3回共に唄おう | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 全ての夫である男性たちへ! 俳句『うたた寝に 心地よく鳴る モズの声』を毎日3回共に唄おう Facebook X (Twitter) リンクをコピー X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 海外あちこち記 その20 パリのタクシーに乗っていた犬と運転手のプロ意識 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 海外あちこち記 その20 パリのタクシーに乗っていた犬と運転手のプロ意識 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 昭和50年代の初め頃の出張時のことです。 パリのタクシーの助手 ロンドンのヒースロー空港とパリのシャルル・ドゴール空港の間は一時間ごとにシャットル便が飛んでおり、予約無しでも来た順で乗ることが出来ます。思ったより早く空港に着いたので予定より一便早い飛行機でパリに着きました。課長が先にパリに日本から着いており電話で聞いたホテルの住所をメモし、タクシーの運転手に見せてホテルに向かいました。 乗ったタクシーの助手席には大きなコリー犬が乗っていてギョッとしました。 空港から走り出すと沢山のタクシーが助手席に色んな大型犬を乗せてるのが見えました。タクシー強盗が多く運転手がよく殺されるので、強盗除けに乗せていると聞きましたが、皆おとなしくきちんと 座っているので、長年、動物の扱いに慣れている連中は違うなと思いました。空港から出るとYKKという看板を出した大きな工場が見えました。あちこち国の空港近くの工業団地に当時からYKKは進出していました。 運転手のプロ意識 パリの中心街に着きましたが、課長が予約したホテルがメモの住所に見つかりません。運転手はぐるぐる廻った後、住所の近くの大ホテルに入ってフロントに聞いてくれました。その後目指すホテルを見つけてくれましたが、大通りから一筋入った裏通りに面した宿屋のような小さなホテルでした。彼の分かりにくい英語の説明では、住所の番地が一つ違っていたそうです。ロンドンの箱型タクシーの運転手もそうでしたが、このパリのタクシーも意地でも客をちゃんと行き先に届けるという意志が背中に漂っており、この中年の運転手についチップを沢山はずんでしまいました。ホテルはトイレが共同でバスなしのBアンドBホテルした。課長は町に出たのか外出でした。チエックインして部屋に入りホットしていると課長が帰ってきましたが、一応飛行機の時間を連絡していたので、空港へ迎えに来てくれたそうです。こちらが一つ早い便に乗ったので行き違いになりました。ウイーンで日本から電話を受け、ロンドンで同行の技術屋さんを日本への飛行機で送り、その後パリへ廻ったので 、あいつ一人でちゃんと来よるかなと心配されていたみたいです。有り難くお迎えのお礼を申し上げました。 翌朝、ホテルのクロワッサンとカフェオレだけの朝食は、パンはこんなにおいしかったんだと神戸を離れてから「山崎製パン」のパンで萎えていた舌が感激していました。 もう一つの顔は警察国家? 休日にシャンゼリゼを凱旋門の方へ歩いている時、突然大量の警官隊が現れ、大通りの両側にびっしり展開しました。車輌も通行止めになりました。写真を撮りに車道に出たアメリカ人観光 客が 無表情の警官に邪険に歩道に押いやられています。 何事!!と見ていると黒塗りの大型車が何台も猛スピードで白バイの先導で飛ばしていきました。大統領のお通りでした。空にはいつのまにか武装ヘリも飛んでいました。華やかなシャンゼリゼの空気が一瞬にして変わりました。あの落差の激しさは凄かった。映画「ジャッカルの日」の一場面を目の当たりにしたような気持ちです。 映画だけでなく、実際いつも暗殺に備えた厳重な警備を布いていたようです。 パリ警視庁の建物に連れ込まれたまま、ついに出てこない政治犯や外人犯罪者が毎年何人もいると読んだことがありましたが、ヨーロッパの他の国に比べてもフランスの支配体制維持のシステムはしっかり保持されているという話は、本当だと屋台で買ったアイスクリームを食べながら思いました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- インドネシアの会社が4年目に突入。それでもまだ僕は生きている。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/6/11 インドネシアの会社が4年目に突入。それでもまだ僕は生きている。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 早いものでインドネシア4年目を迎えました。 2017年5月でインドネシアの会社は満3歳。 僕もジャカルタで生活をはじめ会社とともに4年生になりました。 そして気づくと先日34歳へとまたひとつ歳を重ねることができました。 まだ独身です。 おでんが好きです。 さて。前回会社設立から1年経過した時点で赤裸々な記事 を書きました。 非常にたくさんの反響をいただきまして、 記事をたよりに日本からジャカルタまで会いにきてくれる方もいたり、 現地で初めてお会いする方に「記事参考になりました」なんて言っていただいたり、 ぼくの経験が誰かの心に届き、めぐりめぐって跳ね返ってくるんだな。と思ういい機会でした。 あの時からさらに2年が経過し、 事業の方はマーケットの強風に晒されながらも、低空飛行から上昇気流にのるようなタイミングにさしかかっております。この2年間の軌跡を思いかえしてみました。 記憶に残っているエピソードを綴ろうと思います。 現在僕を入れて8名のメンバーで事業をまわしています。 2年前、3名だったんですが8名になりました。 少数精鋭で一騎当千の活躍をしてくれるメンバーに支えられています。 女性が多く活躍する職場です。 また、インドネシア4年目にして初めて僕以外に日本人がジョインしてくれました。 そう。2年前の話。 当時、インドネシアの会社は売上が限りなく透明に近いゼロでした。 経営会議に出席するたびに胃が痛くなりながらも、 明るい未来がすぐそこに来ている、 と、期待値を上げながら株主(様)へ愛と幻想を語っていました。 コストは可能な限り抑える努力はしている。 限られたリソースで積極的にアタックできている。 マーケットも伸びて来ている、見込みも着実に増えている。 しかし売上があがらない。 「人を増やそう」 とにかく活動量を増やそう、 もともと質を追求し少人数で運営することを良しとする経営ポリシーであったので、 この考えは逆行することはわかっていましたが、 両手で数えられる月が過ぎると資金がショートする可能性がある。 勝負しよう。それによって寿命が縮まるかもしれない。 このまま守りに入っていても状況は変わる保証はない。 どうせなら今やれることを全部やろう。 焦りもあったのは確かですが、 人を増やしてできることを脳がとけるほど、字のとおり寝ながら夢の中でもシミュレーションし、売上が上がる道筋を何度も考え抜きました。 そうして、すったもんだありながら(強行突破的に)人員増加へ向け採用活動をはじめ、 増員をしました。 僕たちの会社のグループにはインドネシア含め海外法人が6ヶ国にあります。 それぞれ立ち上げ時期はこの5年以内で、事業環境は国により違いますが提供サービスは、 同じコンセプトのプロダクトを扱っています。 インドネシア法人は、この増員により、 グループの中で売上が一番低い法人ながら、 一番多くスタッフを抱える法人という構図ができあがりました。 そして、新規メンバーとともにマーケティング戦略を実行しました。 やったことは自分が信じられる方法。何も新しいことはなかったのです。 日本の営業スタイルに立ち返り、 3ヶ月間をかけてインドネシア企業5,000社に飛び込みました。 毎日のKPIを追って、確率を割りだし少しずつ方法を変えながら。 700社の担当者へ繋がりました。 150社プロポーザルを出しました。 70社のキーマンに接触できました。 そして、複数社と契約締結ができました。 そのうちの一社、 業界大手との契約がインドネシア事業を上昇気流にのせるきっかけとなりました。 まったく安心できる状況ではなかったですが、首の皮が繋がった感覚でした。 そして、こうして時間をかけて数百社の企業との接点が持てたことによって、 今まで僕たちが狙っていたターゲット市場の少し横に、 さらに大きな市場があることに気づきます。 営業方針をシフトすることになりました。 その後、今では顧客の過半数以上が新規市場からの獲得となっています。 あまり詳しいことは書けずわかりづらくてすみませんなのですが、 ようやく市場を掴み、市場が応えてくれている状況となってきています。 長いこと我慢の時期が続きました。 いや、まだ我慢の時期は抜けていません。 が、体力は養われ、勝てる戦略があり、明確な方向性が見つかったという点では、 今後も戦い抜けるベースができあがったと思っています。 そして、2017年、今期。 事業拡大に伴い、システム投資、人員増強等を目的とした増資を完了させ、 株主構成の変更に伴う役員人事もあり、僕をPresident Directorとして新体制をスタートさせました。 今思い返すと、「あの時あの判断をしていなかったら」と思うことが多々あります。 しかし、その時点で最良な判断、自分が信じられる判断を繰り返していけば自ずと道は拓けていくのだと強く思っています。 何もしない後悔が一番苦しいのだと思います。 これからも強い自信と謙虚な気持ちをもって、市場と真っ向戦っていく所存です。 2016年度のグループアワードでインドネシア法人が表彰されました。 全メンバーの努力が報われた嬉しい瞬間。 そして僕がインドネシアで事業を始めた時からの一つの目標であった、 現地メンバーを報償旅行で日本に連れていくということが叶いました。 (表彰者全員ジャケット着てたのに1人シャツでごめんなさい。笑) 2年前、本当に苦しかった時期は諦めるという感覚がいい意味で麻痺していて、 1年くらいかけて会う方会う方に、 「事業は絶好調でヤバいです」 「市場の追い風がヤバいです」 「ポテンシャルしかありません、ヤバいです」 などと前向きなヤバい言葉をたくさん使っていました。 いま考えると根拠なさすぎてヤバいです。笑 ただ言ってしまったらあとはやるしかないと、自分を保つために追い込んでいたのだと思うし、 実際にやるべきことはやってきた自信もあり、笑顔でハッタリかましていました。 そして、そこから想いを口に出したことが、カタチになっていく光景を目の前で確認できたのです。 これは、僕にとって貴重な経験で、今もこれからも大事にするものです。 脳がとけるほど考えぬく、 考え抜いた想いを口に出す、 口に出したことを愚直に実行する、 実行すれば自ずと成果はやってくる。 むしろこれで何も成果を生まないのなら、 すがる必要はない、次行こう、というシンプルな発想。 口に出しているとけっこう周りの方々も助けてくれたりするので、 本当にありがたかったし、口に出さないことのもったいなさほどヤバいなと思いました。 ということで、ヤバいヤバい言ってますが、 また1年、最高の成果を出していこうと思うので、 皆様引き続き見守っていてください。 感謝。 あとがき。 感の良い方はお気づきかもしれませんが、 途中「村上龍」的な文章がありましたが、2015年にカンブリア宮殿という番組で事業を取り上げていただいたので少しインスパイアされた結果、このような伏線の表現となりました。 僕の好きな作家さんです。 あとがきのあとがき。 34歳になりました。会社の誕生月と僕の誕生月が同じなので、5月は特別思い入れの深い月です。 来年はなにかと節目な35歳。事業も人生も一つの転換期となるよう今年1年仕込んでまいります。 今年に入り健康を意識し生活に新しい習慣を取り入れています。 体幹トレーニングを毎日続けること。 体重の変化が激しかったのですが落ち着き、胃腸が強くなり姿勢も良くなってきました。 あとはショートスリーパーからの脱却を目指しています。 次回の更新(また2年後)の時には新たな成果や、環境が変わった新しい自分がそこにいると思います。 そんな自分に期待しつつ筆を置きます。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 【1】禁煙ゲーム✖️バツ〜禁煙をやめた僕が、7年間、ストレスなく吸わないだけを追究し、愛煙家友達との出会いから愛煙を深め、吸えない不自由から完全に解放された話〜【はじめに】 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/4/17 【1】禁煙ゲーム✖️バツ〜禁煙をやめた僕が、7年間、ストレスなく吸わないだけを追究し、愛煙家友達との出会いから愛煙を深め、吸えない不自由から完全に解放された話〜【はじめに】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 【禁煙ゲーム✖️〜実況セラピー〜】 http://www.mag2.com/m/M0057405.html まぐまぐから配信中です! はじめに 今このページを開いてくれているということは、少なからず「タバコをやめたい気持ちがある 」からだと想う。 しかし、禁煙宣言をしては挫折、禁煙本を読んで 「なんか、やめられる気がする! 」 と思っても結局吸ってしまう。 そんなことを繰り返し、精神的に疲れ果てながらも、今新たに僕の文章を読んでくれているのかもしれない。 そんなあなたに、僕が実践してきて多くの喫煙者に共感されてきた「大好きなタバコとの付き合い方 」をお伝えしたいと想い、ここに書き記すことにした。 タバコはやめてない、禁煙してるわけでもない、けど吸ってない。 喫煙者として生きていながらも、極力吸わないでいたいという欲求が強いもので、吸いたくならない。 禁煙セラピーで言えば「確固たる喫煙者 」に当てはまるわけだけど、 喫煙者として「吸いたくないから吸わないだけ 」に生きていると、吸わないことは何も難しくないのだ。 それに、「禁煙してるから吸えない 」とか、 「二度と吸わないために吸わないことを貫く 」とか、 「一本吸ったら喫煙者に戻る 」とか、 「飲み会が試練 」だとかいう禁煙ブームの一般的な考え方が頭にないため、 吸わないことに対するストレスという物を全く感じることなく、吸うことにも吸わないことにも快適な生活を満喫できている。 ここ数年、「愛煙しながらも吸わないだけ 」という感覚を、 【禁煙ゲーム✖️〜実況セラピー〜】 http://www.mag2.com/m/M0057405.html としてエッセイで表現してきているわけだけど、 「こういう場合はこう考えて実行してみたらどうか 」 という、一つの方法として提示してみたいと想う。 あくまでも「僕はこう考える 」という内容なので、 違うと思うなら、そのことに対して真剣に、あなたが納得できる答えを追究して欲しいと願う。 僕の考え方は、基本的に「禁煙世界と愛煙世界の比較 」にある。 「禁煙ブームに流されてタバコを吸わない人たちが住む禁煙世界の考え方 」と、 「禁煙がブームであろうとタバコを楽しむ人たちが住む愛煙世界の考え方 」を真っ向から対立させながら、 常に新たな可能性を探る。 禁煙世界の考え方に批判的になることのほうが多いんだけど、 そのおかげで愛煙仲間が増え、 吸えない苦しみ、吸ってしまいそうな不安から解放された人も一人、また一人、と多くなってきている。 タバコから逃げるのではなく、 「本当は楽しみたい 」という本心と欲求に向き合いながら、 「極力吸わないで生きるために必要な考え方 」を相談者と一緒に深めてきた。 あなたにとって、タバコはどんな存在なのか。 本当のところ、タバコとどういう付き合い方がしたいのか。 禁煙宣言をして、吸わないことを貫くことを続けたい? それとも、喫煙者として、または愛煙家として、 吸いたくないから吸わないだけの感覚を通じて「吸わない人 」を自然に生きたい? はっきり言って、「タバコを吸わないこと自体 」はアホみたいに簡単なことなんだけど、 禁煙ブームに流されて「タバコを吸わないことを難しく考える 」ことにより、 本来は自然と吸わなくもなれるはずの感覚を狂わせてしまってる人が世界中にいるのが現実。 だから、その現実をあなたに伝えると共に、あなたが理想とする「タバコの必要ない人生 」を一緒に作っていけたらと想う。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ☆始めての海外☆ 弾丸 2泊4日オークランド親子2人旅 ~滞在最後の日編~ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ☆始めての海外☆ 弾丸 2泊4日オークランド親子2人旅 ~滞在最後の日編~ Facebook X (Twitter) リンクをコピー アラームをたくさんかけておいて、朝6時30分に起きた。 今日は曇り、でもポケモン取るには、炎天下だと暑すぎだから、逆に涼しくていいか。 滞在できるのは、泣いても笑っても今日一日だけしかない。何という短すぎる弾丸旅行。 この旅の目的はポケモンだからね。息子が長い時間満喫できるよう朝早くから出かけよう! という事で、自分の支度を済ませ、息子を7時に起こした。 しかし、起きない。まだ眠るとのこと。 今日一日しかないんだよ。いいの? いいとのこと。 7時30分に起こす。 まだ起きない。 ママ、お腹空きすぎてるんだけど、ねー起きてよー! まだ眠るとのこと。 えーじゃママご飯食べてきていい? すると、ダメとのこと。 8時に起こす。 まだ起きない。 ママのお腹は限界だった。 ねーママお腹すきすぎだよ。ご飯食べてくるねーいい? そしたら、いいとのこと なんかあったら電話してと言って、一階のレストランへ向かった。 レストランの中はお客さんが誰もいない。 まだ、やってない時間なのかな? すると、中に中国人の女性のウェイトレスさんが居た。 オープン?(空いてますか?) イェース、空いてますよ! センキュー! といって ビュッフェスタイルなので、好きなものを取ってくださいとのこと。 そして、何か話してくれたけど、わからなかったので、 I can’t speak English ! と伝えた。 すると、チャイニーズ? ノー、ジャパニーズと返答。 すると、黒人のかわいらしいウェイトレスさんが来て、私は、東京に友達がいるのよ と英語で教えてくれた。 でも、日本語は話せないみたい。 さきほどの中国人が 旅行できたの? って言うので そうよ と答えた。 誰ときたの? と言うので、My son よ でも、今、まだ眠ってて、でも、私、お腹すきすぎてここにきたの ってルー大柴英語で伝えた。 そしたら、別の黒人のウェイトレスさんが来てくれて、バターについて詳しく、説明してくれた。 このバターはね、ニュージーランドのバターなの。 そのとなりにあったバターみたいな形のバターではない何かについて、説明してくれてたんだけど、わからなくって、 Sorry I can’t speak English ! と伝えた。 そしたら、あら、そうなの。 ねぇ誰か日本語話せない? って、さっきの中国人と、かわいらしい黒人に聞いてたんだけど、みんな話せないわ と言って、 もう、話せたらどんなによかったかしらってさっきの黒人のウェイトレスが言ってくれて、 なんか、私も含めて、みんなで楽しく笑ってて、気が合って、すぐ仲良くなっちゃうような4人だった。 女子って、万国共通だわって思った。 国籍とか関係なく、女子ならではのあの雰囲気。なんか、どーでもいい会話で盛り上がるあの感じ。 この時、英語が話せてたら、たぶん世界中にお友達がすぐできるわねっと思ったのだった。 そして、窓側の席で、お外を見ながら、朝食を食べた。 メニューは、 ・カンパーニュブレッド (ニュージーランドバターとチーズを添えて) ・スクランブルエッグ ・ソーセージ ・トマトのグリル ・ハッシュドポテト ・ヨーグルト(チェリーのコンポートを添えて) ・グレープを少々 ・ホットコーヒー あー美味しい! 窓の外から見える景色は、やっぱり、建物が可愛いいな。 途中でさきほどの中国人が来て、お味はどう?とのこと、 とっても美味しいわと伝えた。 そして、食べ終えて、お支払いがわからなかったので、 さきほどの中国人へ確認、するとチェックアウトの時で大丈夫よ とのこと。 センキューと言って、 See you tomorrow ! とのこと。 オーノー、明日はもうこないの。 だって今日帰るんだもの。 って、伝えたかったんだけど、単語が出でこなくて、部屋に置きっぱなしのしゅうやも気になってちょっぴり急いでて、そのことを伝えられないで、 See you tomorrow ! って言ってレストランを後にした。 部屋に戻ると、しゅうやはまだ寝てた。 どんだけ疲れてたんだろう。 そして、まだ眠るって言ってる。 もうー、今日しか滞在できないのにな そしたら、ママその辺お散歩してくるねー。 どのくらい? と言うので、1時間くらいと伝えると、 やだとのこと。 そしたら、30分で戻ってくるよ それなら、いいとのこと。そして、またしゅうやは眠った。 お散歩お散歩。帰り道、間違えないように、曲がるところの目印をみつけた。 昨日は、右に行ったから、今日は左側に行ってみよーっと! ショッピング街だから、色んなお店が立ち並ぶ。 でも、これと言って入ってみたいお店はなかった。 しばらくして、横断歩道を渡って、反対車線をホテル方面に向かってお散歩する。 やっぱり、この街並み好きだな。 なんか穏やかでやっぱり落ち着くわ。 そして、ホテルの少し前の、コンビニっぽいお店に入った。 中には、洗剤とかの日用品とか、フルーツ、お菓子、パン、飲み物、色んなものがあった。 ホテルで小腹が空いた時に食べるように、 チョコレートクッキーと、キットカット、ポテトチップス、大きいペットボトルの水を買った。 そして、ホテルへ戻った。 しゅうやはまだ寝てた。 もういい加減起きないとだめでしょ ってことで、無理やり起こした。 そして、朝食どうする? 下のレストランにする? と聞くと、 またマックに行くとのこと。 マックに着くと、朝マックの時間だった。 ハッシュドポテト、マフィンを注文。 ホテルで食べるとのことで、ホテルに戻って食べた。 早く行かないと、今日一日しかないよ。 すると、 13時からで間に合うよとのこと。 えーそうなの? そしたら、ママ眠くなってきちゃったから、少し眠るね。時間になったら起こしてね。 ってことで、ママ眠る。 数時間であったが、相当深く眠れた。 起きたらすっきりだった。 そして、少し小腹が空いてたので、さっき買ってきたチョコレートクッキーを食べた。 うーん。凄く、麦の味が前面に強調しすぎている。これは食べられない。 では、キットカット、うーん。甘すぎるー。 うん、これも一口しか食べられない。 ポテトチップス、これは普通の塩味。 少し食べて、しゅうやの身支度を整え、いざ、ポケ活へ! しゅうやのポケモンは海辺に出没。 海辺までどのくらいの距離かしゅうやに確認すると、直進500メートルで、普通に歩くと1キロメートルとのこと。 それなら、歩いていける距離だね。 ってことで、しゅうやに道案内してもらって海辺まで歩いた。 海辺の入り口に到着 わー海が見えるよーー!!! So beautiful !!! なんて素敵な港なのーー!!! ママは一人で大興奮! パシャパシャと携帯のカメラで写真を撮る。 やだーお店も全部かわいすぎるー!!! パシャパシャ パシャパシャ シャッターチャンスが沢山でたくさん撮りまくる。 しゅうやはポケ活モード一色だ。 顔色ひとつ変えず、クールにポケ活。 そして、ママの携帯は取り上げられた。 しゅうやは、自分のiPadと別のアカウントで私の携帯でもポケモンをとる。 そして、しゅうやのポケ活ルートに従って、私は、景色を満喫しながら、のんびりとお散歩をする。 わーもう綺麗で美しすぎる! ヨットやクルーザーがところ狭しと並んでる。 かもめも飛んでて、なんて素敵なの! あーこれは、お天気だったらもっと素敵だったに違いない! あー素敵!!! もうシャッターチャンスがいっぱい。 しゅうやに携帯貸してと伝えると、 だめとのこと。 いやいや、もうこれないし、ここは、ママも譲れない。 シャッターチャンスはそんなに多くあるわけではない。 無理やりしゅうやから取り上げて、パシャパシャ撮る。 しゅうやは、めちゃくちゃ怒ってる。 でもでも、ママだって譲れない。 そして、携帯をしゅうやへ戻す。 しばらく歩くと、今度は、この素敵な景色をみながら、思いっきりくつろげる場所があった。 みんな、ワインやシャンパンを飲みながら、外にあるビーチベットで思いっきり、バカンスしている! わー、私もあそこで究極にくつろぎたいわ でも、子連れだと無理ね。 ここは、将来、子どもたちが、独立した後に、素敵な人と来て究極にくつろぐことにしよう~て決めた。 あーシャッターチャンス、またまた、しゅうやから携帯をとりあげてパシャパシャ そして、すぐしゅうやに返す。 しゅうやが怒ってるから、もっともっと撮りたいけど、最小限しか撮れなかった。 しばらくポケ活していると、 iPadを見せ、タクシーでここに行くと言う。 すると、グッドタイミングで目の前にタクシーがきた。 で、iPadをみせて、ここに連れて行ってとお願い。 場所オッケーとのこと。 この方は、インド人の男性、たぶん35歳くらい。 そして、行き先は私は、よくわかってなかったが、どうやらフェリー乗り場らしかった。 フェリーに乗るのかい? と聞かれたので、乗らないと答えた。 じゃ何しに行くんだい? と言うので、息子のPokémon GOと返答。 そーなんだね 息子は何歳だい? 11歳と答えた 旦那さんは、きてないのかい? うーんとね、旦那はいないの。 えーと離婚したから でも離婚の単語がでてこない。 Marry の反対と言って、両手でバツを作って伝えた。 すると、broken ? とのことで イェースイェースと伝えた。 子どもは一人かい? もう一人いるよ え、どこに? ジャパンと返答。 何歳?誰がみてるの? 4歳、私の父と母って伝えて、病気になっちゃって来れなかったと説明。 いつ帰るの? 今日(日付は明日だけど) 今日??? そう、ジャニュアリー、ファーストの3時には帰る わおー迎えはあるのかい? もう、頼んであるよ と、伝えた。 そして、私もたずねてみた。 あなたは、どこ出身なの? すると、ジャパンと言ってる。 ん???ってなっちゃって、止まっちゃった。そしたら、どうやらジョークだったみたいだわ。私、いっつもおとぼけだから、ごめんね、すぐにジョークってわからなくって。 彼は、インド出身なんだけど、奥さんがニュージーランドの人なんだっで、教えてくれた。 それで、なんで別れたんだい? えー、なんでって、モラハラパワハラが20年あって、、、最後は若い女の子と、、、 って、英語にするの難しすぎ! だから、最後のベリーベリーヤングガール って伝えた。 そーなんだ。その子はプリティなのかい? って聞くから、 まあ、可愛いことは事実だから、イェース、プリティガールと伝えた。 そしたら、君の旦那さんはなぜ別れたんだい?君は、so beautiful だよ って慰めてくれた。 だから、センキューと言って、 ほんとにほんとさ、君はほんとにso beautiful と言っていただいた。 だから、センキューソーマッチとお伝えした。 君は何歳なの? 39歳って伝えると、みえないよ、28歳かと思ったよってまたまた、慰めてくださったので、センキューセンキューと伝えた。 そー言えば、この会話全部息子きいてるわ。 まあ、いっか、全部知ってるしね。 しゅうやは、子どもだけど、コナンくんみたいに、子どもの顔した大人みたいな感じだし。 君の職業はなんだい? 社労士、うーん、単語がわかんない。 日本語で答えるのも難しいのに、うーん ってやってたら、となりの息子、社労士の英語をグーグルで翻訳してくれている。 へー、息子、私の職業知ってたんだ、でも、検索してて、くるくる回ってなんか、ネットが上手く繋がってなくて、結局、答えはでなかった。 ソーリー、説明できないわ。 ってとこで目的地に到着。 ポケモン終わったら、電話してくれれば、ここにまた迎えにくるよ とのことで、電話番号もらって、タクシーを降りた。 すると、息子、とってもアングリー。 どうやら、時間切れでポケモンが消えてしまった模様。 おー、でも仕方ない。 確かに道混んでたしね。でも、周りを見渡すと、乗った場所からそんなに遠くない気がする。 距離を稼ぐのに、遠回りしたのかもしれないね。でもまあ仕方ない。 ってことで、目的のポケモン以外を取りながら、またポケ活した。 ここは、フェリー乗り場、タイタニックみたいな豪華客船があった。 あんな、船でゆっくりと旅するのもいいわねー とか考えながら、お散歩していた。 そして、しゅうやは、もうポケ活は終わりでいいとのこと。 では、ホテルに戻りますかってことで、さっきのタクシーは呼ばずにホテルへの道を歩いて帰った。 帰る途中で、大きいサンタクロースとトナカイがビルにくっついているお店に行きたいとのことで、中に入った。 そこで、しゅうやとかずきのLEGOの小さいおもちゃを買った。 そして、街には、ストリートミュージシャンがところどころいた。 しゅうやが、コインを入れたいと言うので、コインを渡した。 そして、しゅうやは、ストリートミュージシャンに出会うたびにコインを入れていた。 センキューと言ってもらって満足そうなしゅうやであった。 あーお腹すいたな。 ママは、ラーメンとか、ご飯が食べたいな。 でも、そう言うお店は見つからなかった。 そして、ホテルに戻ってきた。 あーお腹すいたな。 しゅうやは、まだ、空いてないとのこと。 でも、ママはお腹すいたから、ルームサービスでもとるか?ってことで、 ルームサービスの電話をした。 サーモンのグリル マッシュポテト サラダ 炭水化物がほしかったので、 スパゲティボロネーゼ を注文した。 結構なボリュームで、全部食べられず残してしまった。 でも、美味しかったです。 しばらくして、ホテルでゆっくりした後、 今度はしゅうやがお腹すいたとのこと。 外はもう遅い時間、暗くなると治安が悪いって書いてあったから、ルームサービスとる? と言ってメニューをみせると、食べたいのがないとのこと。 そしたら、下のレストランに行くとのこと。 そして、レストランのメニュー。 なんと、ルームサービスに書いてあったのと、全く同じメニューです。 しゅうやが食べたいのがないとのこと。 えーー でも、このまま出られないよ。 だから、 しゅうやが食べられそうな、牛フィレステーキと、普通のパンがなくて、ピタパンしかなく、ガーリックバターのピタパンを注文した。 ママはすでに、お腹いっぱい。 でもしゅうやも食べきれないとのこと。 だから、一緒に手伝って8割くらいは食べた。 当初、デザートのメニューを食後にお持ちしますねと男性の黒人のウェイターさんに言われてたのだけど、もうお腹いっぱいで入らないから、デザートのメニューをもらう前にレジに行き、ルームナンバーを伝えて、サインをし、 お腹いっぱいで、残してしまってごめんなさい。 そして、デザート頼まなくってごめんなさい。 とっても美味しかったわ。ありがとう。 と伝えた。 すると、気にしないで、センキューとのこと。 バーイと言ってお部屋に戻った。 今日でもうオークランドともお別れだね。 日付がかわって3時には、迎えに来ちゃうから、お風呂入って早めに眠ろうってことで、 しゅうやを先に入れて、お布団に寝かせた。 でもしゅうやは眠れないとのこと。 しゅうやは、僕は眠らないで起きてることにするよ。飛行機の中でねるからいいとのこと。 そして、私もお風呂に入り、帰りの荷造りをした。 そして、ルームサービスで、食べ残してしまったお皿を置いたお盆の上に、お腹いっぱいで残してごめんなさい。とっても美味しかったです。ありがとう。と英語でメモを残しました。 それから、キッチンのカウンターのところに、ニュージーランドありがとう。オークランドありがとうと英語でメモを残しました。 しゅうやに、少しは寝た方がいいよっていったが、眠らないとのこと。 ママは少し眠るね。 ってアラームをたくさん設定して眠ろうとしたが、 結局眠れなかった。 すると、バンバンバンバンと音がする。 しゅうやが何の音? もしかして、銃声かな? そうかもしれないね。 だって夜は治安悪いって書いてあったもん。 それにしては、凄い銃声だ。とても激しすぎる銃声 しゅうやと窓の外をみると、スカイタワーから花火がすごい勢いで発射されている。 なんだ、花火か、そうか、ちょうど、2019年になったんだね。 そして、2人で花火をずっと見ていた。 花火が終わると、ニューイヤーをお祝いするテンション高めの人達の声がよく聞こえる。 うん、うるさくて眠れない。 しゅうやは、やはり、ずっと起きてるとのことだった。 ママは、1時50分まで寝るから起こしてねと言って目をつぶった。 寝付けなかったが、いつの間にか眠っていて、アラームがもう鳴っている。 しゅうやも時間だよと言ってる。 でも、眠すぎて目が開かない。 あと、5分で起こしてね。 また、寝る。 あと、5分で起こしてね。と言って また、寝る。 また、5分と言って何回かやって やっと眠い目をこすりながら、やっと起きた。 身支度を整え、ホテルの部屋をでた。 そして、1月1日2時30分にチェックアウトの手続きに向かったのだった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 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- Bride of Japan 2015ファイナリスト 土屋有里紗 志望動機 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/9/2 Bride of Japan 2015ファイナリスト 土屋有里紗 志望動機 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 僭越ながら、この度は、 なぜ私が"bride of japan2015"のコンテストに参加させて頂いたのか、 ということをお話しさせていただきます。 なんで"bride of japan2015"にエントリーしたの? まずは私が育った環境から。 両親、弟との4人家族。 母の兄弟はとても仲良しで、幼少期から、 親族一同が家族という感覚の下、愛情を注ぎ育ててもらいました。 私にとって、叔父さん叔母さんは両親同然。いとこは兄弟のような存在。 私にはお兄ちゃん、お姉ちゃんがいっぱいいるのです♡ 運動会やピアノの発表会、特技としている書道の展覧会など、 どんな場面でも親族が自分の事のように喜んで集る、それが私の家族。 そんな私は、親族が愛情を持ったチームだな、 と感じる場面が多々あるわけで。 特に一番心に残っているのは祖母が亡くなった時でした。 新潟に一人で住んでいた祖母が体調を崩し、 しばらく入院すはとこになったのです。 東京に住んでる親族皆で仕事の休みを調整し、 誰かが必ず祖母の側にいれるようにしました。 皆で一冊のノートを共有し、 今日あったことや思ったことを各々に記してゆく。 帰り際は"帰るね"じゃなく"また来るね"って言葉を遣ってね! こんな一行が書いてある日があって、 同じ現象を説明するにも、言葉一つで伝わる印象が違うのだな、 と感じたのを今でも覚えております。 常に相手の立場を考えるのは私の家族の自慢できるところ。 例えば、日本人の素養としてお稽古している茶道についても同様で。 叔母さんが先生。母、いとこと共にお稽古をしておりますが、 ここでも相手の立場を考えるというトレーニングをしている気がしてなりません。 一杯のお茶を点てるための準備や四季に応じた変化の数々、 物や時を大切にする心などをお勉強させてもらえてるなと。 更にこれが家族から教われているからこそ、 わたしには特段の意味を持つ。 いつか私が結婚する時には、 同じような愛情溢れる家族を築きたい。 こう思うのは自然な流れでした。 学生時代から5年半お付き合いをしていた方と結婚の話があったのです。 いつかいつかと考えてはいたけれど、 いざ結婚という言葉を前にした時、、、、 理想の花嫁とは?家族とは?初めて向き合いました。 幸せな環境を当たり前のように受けてきたからこそ、漠然と過ごしていたのです。 いざ結婚の二文字を目の前にし、正直"幸せ"というより"不安"のほうが大きかった。 理想の花嫁って? 幸せって? 家族を築くって? そんな時、私の不安をいち早く察知したのは両親でした。 "あなたが笑顔で過ごすことが私たちの幸せなのよ"という母の言葉でハッとしました。 結婚したら、家族が喜んでくれるとばかり思っていたけれど、 私が幸せだと実感しなければ、家族の喜びには繋がらないのだと。 ちょうどその時 知人の紹介で"bride of japan"の存在を知ったのです。 なんだか不思議な縁を感じ、エントリーさせていただきました。 正直、人前に立つことは慣れていないというより、むしろ苦手な私です。 他のコンテストのように、 見た目の美しさを重視する大会だったら、 まずエントリーしてなかったと思います。 "Bride Of Japan"コンテストが見た目の美しさではなく、 家族や文化に価値を見出していること。 今年のテーマが"献身さ、思いやり、感謝の心"だったから。 こんな、タイミングでbride of japanに出会って、自然とベクトルが定まりました。 理想の花嫁像について考えたい。 改めて家族について、時の大切さについて考えたいと思ったわけです。 日本人として生まれたからには日本人としての良さを伝えられるように。 母や叔母が伝えてくれる教育の中にも常にそんな言葉がありました。 私は私の経験でしか話ができない。 けれど、育った環境、経て来た経験を通して伝えられるものがあるはず。 そう思からには発信する使命があるとも感じるのです。 個人的な意見ですが、戦後70年を迎え、改めて思うのです。 日本人の協調性は戦争の経験が大きく創り上げたのではないか?と。 また、この協調性が感謝の心を育んだのではないか?と。 どんな状況でも、我が身だけでなく他者を想える。 そんな協調性や思いやりは日本特有のものです。 この事を少しでも多くの人に発信し、 少しでも多くの方が共感してくださるのであれば、 少しばかりでも世の中の幸せが増えるのではないかと希望を持っております (少しばかりという言葉を連用しているあたりが、我ながら日本人だなと感じる訳ですが、�de05) 大きな一歩も小さな事の積み重ねから! けれど、何よりも忘れてはならないこと。 それは心身共に健康な女性が愛情溢れる家族を築くということ。 その大会を通じて、心身共に魅力的な女性に近づくこと、 そして、日本人女性の献身さ、思いやり、 感謝の心を伝えられるように努力してまいりたいと思います。 土屋 有里紗 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

