「川久保企画デザイン」に対する検索結果が9635件見つかりました
- 雑誌を作っていたころ(43) | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 すでに特集ページなどはレイアウトデザインが進行していて、今さらページ変更するわけにはいかない。創刊したばかりなので、まだ予備の原稿もない。 ということは、1ページをサービスし、あと3ページをこちらで作れば、合計6ページの企画が作れる。その瞬間ひらめいたのが、名古屋のキャンピングカー販売店だった。 手の空いているカメラマンを探すかたわら、鉛筆で大まかな企画案を練り上げた。 考えたプランは、モーターホームとモービルハウスを「移動オフィス」や「移動可能な店舗」としてはどうかという提案記事だ。 取材した翌日にはデザイン入れ、その翌日には入稿という乱暴な記事作りの割には、読者の反応はよかった。ついでにいうと、小道具として写真に写し込んだノートPCと携帯電話は、ぼくの私物である。
- 雑誌を作っていたころ(16) | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 デザイナーと2人で製版オペレーターを挟み、サイテックス社のレスポンスでモザイク加工を進めていく。 今ならフォトショップで一発だが、当時はイスラエル製のこの機械でなければ、モザイク処理はできなかった。 それをそのままモザイク処理すると、かなり不自然だ。そこでデザイナーと2人で、モザイクに色をつける注文を始めた。 数日後、またデザイナーと成増に行く。今度は印刷立会いだ。 三菱重工製のA4倍判試作4色オフセット印刷機は、輪転機が全盛になる前に作られたものだ。 ぼくは赤マジックで刷り出しに「OK」とサインして、印刷現場を後にした。 翌日、折りの現場に立会いに行く。今度はぼくと生産管理部の人の2人だ。
- オーストラリア留学中にネット中傷被害に合い、裁判を起こした話(3) | STORYS.JP 人生物語
当時はデザインや美術全般の基礎を浅く広く学ぶ1年間のコースに在籍しており、翌年からはグラフィックデザインに特化したコースに進む予定だった。 そんなこともあり、翌年からはメルボルンでグラフィックデザインを学ぶなら一番と言われている別の専門学校に進学することにした。 2013年の2月半ばから新しい学校で、グラフィックデザインを学ぶことになっていた。12月、1月はオーストラリアは真夏、つまりDeanaとは夏休み中に出会った。 日本に戻るとしても、デザイナーの職務経験が無いと就職が厳しいと思われたので、できれば何かデザインに関係したアルバイトがしたいと思った。新しい学校で授業についていけるかも不安だった。 まさか20日後に、インターネット上で中傷を受けることになるとは、この時は思いもしなかった。 (写真:実際に私の携帯届いたメール。個人名が入っている部分はモザイクをかけました。)
- 会社員の私がStartupWeekendで何度も起業家体験をする5つの理由。<3つめの理由> | STORYS.JP 人生物語
今思えば、1人1人の価値創造性を高めるために、非常に素晴らしい「創造環境のデザイン」 がされていました。 私は自分の生産性・創造性が高まり、価値を創造できることに、本当に幸福感を感じます。 それ以降、「本気」になるためには、自分を「フロー体験」 の状態に導く「創造環境のデザイン」 が必要だということを学び、意識して活動するようになりました。 1.創造的空間配置 2.活動の場のデザイン(例:情報を共有できる道具、熱狂、活動の安全な場所 など) 3.並行した、組織だった作業 4.グループの集中を目標に定める事 5.存在しているもの(原型)の発達 6.視覚化による効率の増加 7.参加者の意見の違い 私はStartup Weekendに参加するときは、チームが上記条件を満たせるよう「創造環境のデザイン」 をするように心掛けて活動しています。 本気になりたいなら まず、積極的に自らチームメンバーを好きになり「ラポール」 を形成し、チームが「フロー体験(本気)」 になれるように意識的に活動・協力して「創造環境のデザイン」 をすれば、自ずと自分自身
- 希望は、あきらめずに挑戦し続けた先にしかないという話〜毎日がんばってるけど、道を見失いそうな"あなた"へ〜 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 「あきらめなさい」 大学時代、デザイン事務所でアルバイトをしていた。飯田橋にある、雑誌や本などをつくるエディトリアルデザインをしている会社だった。 →その後、社長も予想していなかったであろうApple全盛期がやってきて「デザインはコンピューターでするもの」という新たな常識 が定着していった。 生き馬の目を抜くデザイン業界で、そして長引く不況の中で、フリーランスでも家族を支え続けられるだけの収入を10年維持出来たことだけでも、私は自分を誇りに思う。 まだデザインの実践を何も知らない、ひよこのような存在でした。先輩方に「20代で独立したい」と夢を語ったら、爆笑 されました。「なれるといいよねぇぇ〜〜♡」(高い鼻声)と笑いながらバカにされました。
- 雑誌を作っていたころ(14) | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 「デスク」というのが古くて口うるさそうな印象なのに対して、「副編」はプレイング・マネージャーみたいな格好よさが感じられた。あくまでも「感じ」でしかないのだが。 彼は学研社内で「ドリブ」のような雑誌を企画していた。「シティパル」という名前だったと思うが、「ドリブ」ができたのでその企画はぽしゃった。 「微笑」のアンカーマンだった金久保茂樹さんは、今では小説家として活躍しているが、もともとはエッチ系のライターとして、「ドリブ」でも連載を持っていた人だった。 ぼくらの「復讐鬼」的雰囲気を面白がってくれて、金久保さんのライバルポジションについてくれた。 同時にカメラマンにもアンチ「ドリブ」の人たちが次々と名乗りを上げる。
- 「趣味で、やってるの?」と聞かれて、絶句した日。「フライヤーを作ってみたいです・・・・・」 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/12/20 「趣味で、やってるの?」と聞かれて、絶句した日。 初めて、イラストレーターとして、あるデザイナーさんとお話しした日です。 イラストレーターになりたかったら、まずは、デザイナーに作品を見て頂いた方がいいというアドバイスを聞いて、早速、コンタクトを取って、出かけたのです。 デザイナーさん 「イラストレーターになりたいんでしょ?名刺配っとけばいいよ。フライヤーを作りたいの?私は、学生時代には、もう作っていたけどね。」 スマートに名刺を渡されて、おしゃれなファッションで、デザイナーに去られたこと。負けたくないと思いました。 もちろん、時間はかかりました。
- インターネットのことを調べはじめたきっかけ【リクエスト案件】 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/6/16 インターネットのことを調べはじめたきっかけ【リクエスト案件】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 丸山パイセン、リクエストありがとうございます。 「インターネット界隈の事を調べるお」というブログを始めたきっかけというのは特に無くて、いくつもテーマを特化したブログを運営してて、「インターネット界隈に特化したのがあってもいいかな」と思って気軽に立ち上 事業担当だったり、経営企画だったり、証券担当だったり、子会社社長だったりといろんなことをやってきたので、興味領域も無駄に広くなってしまい、あのような感じになりました。 元々デザイナーですし、事業計画に掲載する図なども描いていたので、わりかし得意分野。文章はあまり上手くないので、図解を入れることによって差別化をはかりました。
- 脱サラをして30歳で製造業からゲーム業界に進んだ話〜挑戦・2〜 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 企画書をファイルに入れてポートフォリオ風にしたり、MacでUnityやXcodeでのゲームをその場で作って発表できるようにしていた。 それは企画書のデザインだった。 ……続く X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか?
- 疲れでちんこが腫れた話しをしようか。 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/1/5 疲れでちんこが腫れた話しをしようか。 私にとってデザイン会社、2社目。 そこで、疲れのあまり、ちんこが腫れた話しをしようか。 まぁ、待て。あせるな。へんな病気じゃない。 伝染らないから、もう少し近くで聞きなさい。 唯一相談できそうな、歳が10上ぐらいの先輩デザイナーを屋上に呼び出した。 「Oさん、いそがしい朝にすいません」 「どうしたの?」 早速、先輩デザイナーに報告。 「…そ、よかったね(コチラを見ず、Macカチカチしながら)」 うわー、まだひいてるわー。 いや、場にいるデザイナーがちんこ腫れ人なのか。ふと感じた、20代半ば。 その後、幸いなことに、私のちんこは腫れていない。
- 正社員になったはいいけど、スキル不足を実感して、辞めようと思った話 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 僕を誘ってきた女性デザイナーのデザインスピードが速い事は知っていたけど、とにかく僕の作業スピードがダントツで遅かった。 当然僕がデザイン担当となった。この他、立て続けに2件の受注も決まった。まだ実績をあげたわけではないけど、なんとなく一息ついた。これでちょっとは会社に貢献できたかなと。 少しするとロン毛、そして女性デザイナーもやってきた。 この頃、いつもみんな会社にいたような気がする。一通り仕事した後はきまってAge of Mythologyをやった。ロン毛が異常に強かった。
- 雑誌を作っていたころ(17) | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ぼく自身は一緒に仕事をしたことはなかったが、青人社で出し続けていた「年賀状特選」の最新号で1冊丸ごとのデザインを担当し、あいかわらずの「まとめの強さ」を見せていた。 デザイナーが決まったら、次はデスクと中核になる編集者の獲得だ。まずは「ドリブ」で何度も取材を頼んでいた菅間文乃さんに常駐スタッフをお願いした。日本文化を対象にする雑誌では、育ちの悪い人は使えない。 「裁ち落とし」とは、インクジェットプリンタの「ふちなし印刷」と同じ意味。余白なしで写真を掲載することだ。これをするためには、4×5インチのカメラが扱えるカメラマンでなければならない。 次はいよいよ企画を決定する番だ。社長との話し合いを翌日に控えて、ぼくはアイデアを煮詰め始めていた。

