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  • 心友 【其の十三・無言の帰宅】 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 心友 【其の十三・無言の帰宅】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー とある地方新聞のコピーが今も手元にある。 その中に「無言の帰宅」という見出しがある。 このコピーはクロイワの葬儀の際に遺族の方からいただいたものだと記憶している。 そこには簡単に今回の「悲劇」の経緯が記載されている。 【自らも病身だった母がアパートの自室で倒れて亡くなり、母の介護なしでは動けなかった一人息子も、その後、同じ部屋で息を引き取った。】 人の亡くなり方は無数にある。しかし、こんなケースはめったに起きうることではない。まして、自分の親友…いや、「心友」がだ。 新聞には病身としか記載されていないが、クロイワの母親が糖尿病を患っていたことは風の便りに聞いていた。それが重度のものだったかどうかまでは定かでないが。 仙台の病院に転院しても、病状は好転せず寝たきりの状態が続いていたクロイワ。そんな一人息子の唯一の支えが母親だった。その母親が倒れて亡くなったのはおよそ二日後。クロイワはそこから約十日間、たった一人きりで身動きできないまま飲まず食わずのままじっと過ごしていたというのだ。 介護疲れによる自殺、心中という噂も流れた。遺族ですらそう思ったという。表面的な状況だけを見ればそういった憶測が飛び交うのも無理はない。そしてこの新聞記事の中でも具体的な死因までは公式に語られていない。しかし、解剖医の見解では事件や自殺という可能性はまず該当しないという。 可能性として一番高いのは、 「低体温症候群」 要するに凍死状態だ。 1月後半の仙台。母親が倒れた後は暖房器具すら消えていたかもしれない冬の仙台。クロイワが過ごした十日間の苦しみを想像するだけでも激しく心が痛む。 ちなみに母子の葬儀を務めた喪主は父親ではない。父親は数年前にこの世を旅立っている。喪主はクロイワの祖父だ。 息子を見送り、そのお嫁さんを見送り、さらには孫まで見送ることになってしまった祖父。どうにもこうにもやりきれない思いだけが残されていたことだろう… そんな不遇すぎる葬儀の前日。自分はトクシマと久しぶりに再会をすることになる。 思い出の地、秋田。 笑顔の再会といくような状況ではなかったが、二人共無理やり笑顔を作っていたはずだ。そうでもしなければ簡単に心が折れてしまうから。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • タクシー運転手の日常「人は見た目じゃないと言うけど」 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 タクシー運転手の日常「人は見た目じゃないと言うけど」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 深夜2時、繁華街からは離れ、ひと気のない場所で乗って来た。 男二人と女一人。 そのうち一人の男は腕まで見えるくらいタトゥーが入っている。 時間帯といい、乗る場所といい、見た目といい、 どうしても偏見なしに見ても良くは思えない。 時たまある警戒したくなるお客様。 タトゥーのお客様は助手席に座る。 時間も時間、場所も場所、見た目も見た目、 全てを含めたうえで助手席。 警戒心が高まるはずだが、何故か消えた。 そのタトゥーのお客様に、柔和で温かなモノを感じた。 フィーリングと言うべきものかもしれないが、 「なんか喋りやすい」「なんか合う感じする」 その類いのやつ。 乗って早々、ネームプレートの僕の名前を気になって聞いてくるところも 警戒心を拭うのに役立った。 人懐っこいのかもしれない。 今思うとそう感じる。 目的地へ向かう道中は、見えてくるお店での思い出をあれこれ語る。 10m進むたびに、 「この店は誰々と初めて会った」 「このお店は頑張ってお金払ってお蕎麦食べた」 「このお店ではよくリリックを書いていた」 いろいろ面白いが、リリックを書いていたというあたり、 ラッパーなのかもしれない。 中でも気になったのは、 「裁判沙汰を起こしたお店」 というエピソード。 「裁判沙汰を起こしたお店」という思い出話というのが、 助手席のタトゥーの男が酔っぱらって揉め事のなかで殴ってしまい、 慰謝料を請求されるハメになったこと。 その時に、後ろに乗っている男に弁護士を紹介してもらい、解決する。 という後ろに乗っている男とタトゥーの男の初めての出会いであり、 救ってもらった出会いだとか。 酔って、揉めて、殴ってしまう。 は定番であり、何度かあるそう。 見た目からいくと、そのことに驚くことはなく 警戒心も高くはならなかった。 何がそんなに警戒心を拭いさるのか、 決定打はないまま目的地に到着した。 支払いを終え、降りる時、 タトゥーの男は「ありがとうございます」と丁寧に言った。 見た目は良くても横柄な奴だっているからな~と、 決定打を得た嬉しさの余韻に浸りながら見たタトゥーの男の後ろ姿は ガラの悪い歩き方だった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 初めての海外。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/5/11 初めての海外。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー あれはグアムに行った時、ぼくが小学校4年生の頃だったと思う。 家族みんなで初の海外、僕は弟がいた。 弟はまだ小学校3年生だった。 今でも覚えているが、あの日はじめてのおつかいをした(in 海外) しかも、初日だったものでグアムは日本語がほとんど通じることを僕らはしらなかった!!! その為、緊張も半端じゃなく、またお兄ちゃんとしてやはり恥ずかしくない対応をしなくてはいけないと思っていたので全て知ってる英語だけで押し通すことにした。 僕は甘いモノが嫌いで、炭酸ジュースが何より好きだった。 はじめてのおつかいは、カフェで飲み物を買って、家族がまつフードコートへ戻るというものだった。 「Hi!」 戦いははじまった 僕は弟の手前、だいぶ余裕を出しつつ 「Hi!」 とこたえた。 しかし、なぜかあの時の僕にはコーラは日本語だと思っていて、 知っている英語はチョコレートしかなかったので、とてつもなく嫌いなチョコレートパフェを食べるはめになった。 しかも、両親がビデオをとっていたため、何度も辱めをうけるはめになったというわけだ。 弟はおとなになった今でもあの時のことを話しても、何も覚えてないとこたえる。 はじめてのおつかい(in グアム) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 大学で保育の勉強をしていたのに、新卒で「納棺師」になった話(1) | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/11/24 大学で保育の勉強をしていたのに、新卒で「納棺師」になった話(1) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 短大でも専門学校でも、国家試験さえ通れば取れる保育士の資格。 元々は児童養護施設の保育士になりたくて、社会福祉の面からも広く学べる4年制大学の保育系学科に進学した。 キャンパスライフって『オレンジデイズ』みたいなの想像してたけど(笑) 自分で興味ある科目選んだりバイトしたりとか。 実際には資格取るための必修科目を選ぶとほぼ自動的に時間割も出来上がって…補講もあるから本当に大変だった。 大学入学してから1年半は地元から片道3時間電車通学してたから、(1日の4分の1は電車!)送り迎えしてくれてた両親にはすごく迷惑をかけていた。 冬になると、タイツ履いて寝て素っぴんで電車。日の出前だから夜中みたいなもんで、明るくなるに連れて山の曲線が綺麗に線をなして…懐かしい~ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 《日本代表⇒ベンチャー⇒逃げる⇒漫画喫茶⇒兄の起業》タナクロを起業するまで。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/2/11 《日本代表⇒ベンチャー⇒逃げる⇒漫画喫茶⇒兄の起業》タナクロを起業するまで。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 株式会社タナクロ で代表を務めております田中淳也です。今回は僕が起業するまでの道のりを書いてみようと思う。みんなが自己紹介書いているのでこの流れに乗って恥ずかしいこと含め、僕の恥ずかしい過去も全てWeb上にさらけ出しちゃおうと思います! ちなみにタナクロは超ざっくり言うとファッションブランド古着の買取・販売をオンライン上で行ってるEC運営会社です! バーバリー専門通販サイト ゴスロリファッション服の通販サイト ロリータ服/古着の買取専門サービス 登山用品や、テント、アウトドア用品の専門買取サービス スノーピークなどの有名ブランドのキャンプ用品、テントの買取サービス ブランド、宝石、骨董品の買取専門サービス ウレル ネクタイのレンタルサービスKASHI KARI メンズファッション情報サイト ※こちらの記事はタナクロ公式ブログ の転記になります。 ■夢見たオリンピック 僕は小学校4年生の頃からテコンドーという格闘技をしていました。大学は強豪校の大東文化大学へ。4年間テコンドー漬け。オリンピックを目指して僕なりに頑張る日々でした。ユニバーシアード競技大会 に出場したりしました。でも、ある日オリンピックを目指す事を諦めてしまう出来事が起きたのです。 ■自分には競技を続ける資格はない ある試合の日、僕の1個年下で長く日本代表をしていた子の試合を見ていました。試合の途中、彼は何度も吐いていました。極限まで減量をしていたんだと思います。僕は彼の戦う姿を見て、自分がテコンドーをやっている事すら申訳なく思いました。これは本当に衝撃的に覚えています。 「自分にテコンドーを続ける資格はない。競技を続けたとしても彼に勝てるわけがない」その時は本気でそう思ったのです。自分では全力でやっていた“つもり”だったのですが、甘かったんでしょうね。そう思わせる程、彼の試合中の姿は鮮明に僕の脳裏に焼き付いています。 これが2008年の頭頃の出来事だったと思います。その日の試合は無惨な形で負けました。アジアテコンドー選手権のテコンドー日本代表選考会。これが僕のテコンドー人生最後の試合になりました。※下は大東文化大学テコンドー部 の仲間たちとの写真。痩せてたなあ… ■福岡のベンチャー企業にUターン就職 2011年福岡に戻り「社員3名の映像制作会社カウテレビジョン 」で働き始めました。地元の先輩の紹介で入社。社長(通称TAKAさん)はテレビ局の元ニュースキャスター。とにかく頭が良く思考の回転が速い。 僕はTAKAさんの元、小さなベンチャーで1年弱、しごかれました。 当時 僕が住んでいたのは実家がある福岡県宗像市。田んぼばかりの田舎街です。 そこから博多区天神にあるピエトロビル まで電車で通って仕事をしていました。 テコンドーで培った体力があったので体力面できついと感じた事は一切なかったです。 仕事が終わって、毎日地元で深夜まで飲んでも朝起きるのは何にもきつくなかったし。睡眠時間3時間とかでも“体力的には”全然辛く無かった。 逆に入社1ヶ月目で鈴鹿サーキットに取材 に行かせてもらったり、翌月にはタイ・メーホーソンというワケの分からない土地にまで連れていってもらって遭難しかけたり 。東京の国際宝飾展で行われたベストジュエリードレッサー賞 で芸能人を撮りまくったり。自分がカメラの前でリポートしたことも 。 今までの人生とは全く違う経験で刺激的な日々。大変でしたが、とても楽しかった記憶があります。 参考リンク→東京・福岡で動画制作をご検討の方は是非連絡してみてください。素晴らしいクオリティの動画制作会社です。 ■イエスマンだった僕は、次第に疲弊していく 「はい!」 「わかりました!」 「ありがとうございます!」 これが僕の印象だったのかな。元気があって、レスポンスも早いTHE体育会系。 テコンドーの時の感覚が染み付いて取れなかったんだと思います。 何を言われても断らないし(断れない)何を言われても同調する方向性で答える(機嫌を伺う)今思うと全く自分を出せていなかったと思う。 社内で社長しかいなかった営業という大役も新人の僕が少しずつ担う方針になった。 その理由は「適正検査の結果が僕だけ営業向き」だったから(汗 基本的に行う仕事は「社長室101 」という地場の企業のインタビュー動画を制作すること。 電話のアポ取りは、相手の会社の事業内容も理解出来ていないのにやってました。 要領も悪いし、取材先の社長の名前は間違えるし散々な日々だった(全て自分が悪いが、めちゃくちゃ怒られまくった 笑) とにかく毎日怒られるのが怖くてビクビクしていました。社長に声をかけられるだけで心臓がバクバク。電話は社長が席を立った時にかけるように無意識に社長の動きばかりに意識がとられていた。とにかく怒られたくない、怒られたくない、それだけしか考えてませんでした。 そんな日々が続き少しずつ自分の中に変なストレスが溜まっていきました。行きの電車では何度も吐きそうになったり、途中下車も何度もあります。 目の前に座ってたおっさんめがけてぶっ倒れ、香椎の駅員室に連れて行ってもらった事もあった。会社に行くのが恐怖だったのかも。朝オフィスの扉を開ける時、いかに気合を入れて開けるのかが日課でした。 帰る前に行う社長との対面ロープレは最高にきつかったです。ヘビに睨まれたカエル。何を言ってもダメ。今考えるとあのメンタルでやって上手く行く事なんていっこも無いと思う。本当に未熟でしたね。最後は気づかれないようにこそっと帰ったりしてました(気づかれてましたが) そんな日々が続いて、僕の神経はどんどんすり減る。減る。減る。 今考えるとあの時、なんで周りに相談しなかったのかなーって思う。相談するって思考が全くなかった。やっぱり“何も出来ない自分”を認めたくなかったんだと思う。親にも、兄にも、社長にも、友達にも言えなかった。そして僕は社会人として恥ずべき愚行を行う事になります。 ■僕は、逃げた。 ある朝、出勤するため家を出て東郷駅へ。気づくと会社と逆方向の電車に乗っていました。これは冗談でも何でもないのですが本当に気づいたら反対方面の電車に乗っていたのです。嘘じゃないです(笑 そして北九州・門司港まで行った。海が見たかったのかな(昔から釣りが大好きで魚が釣れなくてもぼーっとしてるだけで楽しい)スーツを着て、海辺をずーっと歩いていた記憶がある。他に何したかは覚えてない。会社にはインフルエンザってメールしたのかな?(この辺の記憶は本当にうろ覚えです) しかし、翌日も普段通りスーツで家を出る(実家暮らしでした)親にも「会社に行ってない」とは言えなかったから。ただ逃げ出した日か次の日か、地元の親友達と飲みに行ったのは覚えてます。 「俺明日から東京行くけん」「東京で挑戦したいっちゃん」 そんな感じの事を宣言したと思う。現実は「ただ逃げたかっただけ」 ただの言い訳。翌日、会社にも親にも言わずに東京に飛んだ。 全てから逃げた。福岡から逃げ出したかった。自分を守る方法がそれ以外見つからなかったから。とにかく一刻も早く現実逃避したかった。 ■漫喫での生活 全財産18万円(たった…)をポケットに詰め込み、テコンドー時代の相棒グレゴリーのボストンバッグに「服」と「本」を入れた。 結局、僕は漫画喫茶で暮らす事になる。数日泊まらせてもらおうと思っていた友人からの連絡は途絶え、埼玉の川口駅近くにある漫画喫茶で訳1ヶ月を過ごした。アルバイトは東京に来るタイミングでネットから見つけていた。居酒屋(銀座・蔵の桜 )だったので仕事は夕方から。満喫にいるとお金がかかるので、昼間は職場近くのマックで毎日5、6時間をつぶしていた。新橋のSL広場にあるマック。ホームレスのおっちゃんががよく隣に座っていた。当時の愛読書は「思考は現実化する 」 自分は少しでも前を向いていると思い込みたかったので、自己啓発ばかり読んでいました。惨めで嘘つきで言い訳だらけの日々でした。親の電話も全部無視。会社からのメールも全て無視。かろうじて兄にだけ生きてるってコト、メールしたと思います。 ある日、自分の状況を東京に住んでいた中学の同級生に相談した。そしたら「じゃあウチに住めよ」って言ってくれた。 6帖一間での“3人”暮らしが始まりました。なぜ3人かというと友人は彼女と同棲していたから。 彼女は「みほ姉」 いくら彼氏の親友といえ、ワケの分からん男が急に一人来て6帖一間で暮らす事にストレスが無かったはずはない。シングルの布団で川の字で3人で寝る。みほ姉・友人・僕。今考えたら本当に申訳ないです。 それでもバイトから帰りると「じゅんやくん、ご飯あるから食べなー」って食べさせてくれる。食費もかなり工面してもらっていました。そして一番ありがたかったのは【僕のこと何も聞かないってこと】とにかくそっとしてくれていた。後から2人に聞いた話だと、聞いたらヤバいんじゃないか、という空気が漂っていたらしい。2人には本当に頭が上がらない。ありがとうございます。これから一生かけて少しずつ恩を返していくね。 そんなアネゴ、みほ姉は今、美人姉妹と二人で花屋さんを経営している 。とてもお洒落なフラワーアレンジメントのお店。(本当に素敵で早速お母さんに贈りました) 精神的に一番辛かった時、腐らず生き延びられたのは当時関わってくれた友人・知人・家族のおかげと思う。その時ばあちゃんから届いた2通の手紙にも励まされた。今でも大切に持っている。 ■スープカレーを作る日々 そんな日々が続き、これじゃダメだと思って居酒屋と掛け持ちでスープカレー屋でバイトを始めた。 超繁盛店のスープカレー屋 だったのですが1歳年上の店長にすごくかわいがってもらって、とにかく仕事が楽しかった。スマートな店長で、飲食のイロハを叩き込みながら僕を指導してくれた。少し職人気質な所はあったがセンスはずば抜けていた。 給料は多い時で月に37万円ぐらい。時給1000円だったから休みはあんまり無かった。 それでも最高に楽しかった。毎日朝から晩までやる気に満ちてた。 ■兄と幼馴染が、起業 バイトの日々を過ごしていたある日 兄貴と幼馴染みが2人(共同代表)で福岡で車のタイヤ・ホイールを売る会社(株式会社カイショー) を立ち上げた。びっくりした。兄はそんなタイプじゃないって勝手に思っていたから。 僕は興味津々。すぐに電話した「1ヶ月手伝わしてよ、給料はいらんけん」 そういって僕は兄達の会社の手伝いに約1ヶ月間、福岡に戻った。 とにかく彼らは楽しそうだった。毎日会社に行って笑って、笑って、笑って、仕事をバリバリこなす。今でも思うが、僕の考える理想のチームだし、誰に何を言われようと自分達の信念だけは決して曲げないスタンスだ。つい先月会社に遊びに行った時も立ち上げ当初と全く同じ空気を感じた。もっと彼らの生き方を学びたい。※3人で釣りに行った時の写真。 当時 兄から言われた言葉で印象的な言葉がある。 「起業して、朝起きて仕事に行きたくないって思った事ないけんね」この一言に嘘偽りは一切無いと思う。それは二人を見ていればすぐにわかる。 ■お前、何しに来たとや?利益ぐらい作れ! 僕は車の事はさっぱりわからない。それなのに毎日タイヤの会社に行って何をするのか? 雑用しか出来なかった。タイヤを洗ったり、振込に行ったり、梱包したり。 そんな時、兄貴が僕にこんな事を言ったのを覚えている。 「お前、なんか自分で利益出せ。会社の金使っていいけん、自分で稼げ」 僕は少し考えて「うん、分かった」そんなやりとりだったと思う。 それが今の事業を始めるキッカケ。会社のお金を使わせてもらい洋服を仕入れて売る。当時は利益こそ出せなかったが、元手は取り返せたような気がする。そんでまぁ一人が暮らしていくにはこれぐらいで十分なのかなーって思い東京でも続けてみることにした。 東京に帰って貯金100万を全て仕入れにまわした。兄貴からも100万円借りて全て仕入れにまわした。月末の支払いが出来そうになく何度も兄貴に頼ったりした。とにかくがむしゃらだった。資金繰りなんて考えた事無かった。今思えばデタラメだったなあ。 そんなこんだで、一人じゃ大変になったから仲間を増やして株式会社にした。職業訓練で修行していた大学の同級生 も入ってくれた。それから少数で訳もわからず働きまくった。とにかくがむしゃらに。今は三期目に突入している。 こんな自分でも会社を作って心から大切にしたいと思える仲間が出来た。本当にスタッフに支えられている。人は誰でも波があったり、逃げ出したくなったり、実際に逃げだしたりすることはあると思う。でも僕は自分自身が大きな挫折・失敗を味わったからこそ、そんな人たちの気持ちが本当にわかってあげられるのではないかとも思う。 夢というか、なりたい自分を見つけられたら最高に幸せだと思う。(僕自身、理想の自分にはまだまだ、全然なれてないけど)それが見つかっていなければ、見つかるまでグダグダ生きてていいと思うし。ただそれが見つかったなら、今度は本気でそれに向かって突き進めばいい。だからこそ、そんな時に支え合っていけるような仲間をたくさん見つけられたらいいと思うのです。 と長々しく書いてしまいましたが何となく僕の生態は伝わりましたでしょうか。こんな事ネットに公表してどーすんだって思われるかもしれませんが自分を振り返る良い機会かと思いまして色々思い出して書いてみました。 たかだか30年弱生きて来た僕が言うのもあれですが、人は一人じゃ生きていけないですね。これからも仲間達と一緒にいろんなものを積み重ねていこうと思います。 とても長くなりましたが、とにもかくにも皆様、タナクロをどうぞよろしくお願い致します。 ※タナクロでは現在一緒に働いてくれる仲間を募集しています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 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  • 私が女性消防士になったわけ。3 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/12/21 私が女性消防士になったわけ。3 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  こんにちは!  「私が女性消防士になったわけ。1 」「私が女性消防士になったわけ。2 」を読んでいただいた皆様!ありがとうございます!! ハジメマシテの皆様、よろしくお願いします!!    さて、モロモロの理由がありまして救急救命士の専門学校に行くことになり、その後学校にあまり馴染めず困っていたところまでは前の話。  皆様、いきなり質問ですが救急車って消防署にいてるのは知ってました?  恥ずかしながら…私は救急車は病院からやってくるものだと思い込んでいました。(でもこれは…消防士になってからもよく周囲にビックリされたのでそう思い込んでるのは私だけじゃないはず!w)    で、なんでそれを知ることになったかと言うと。  救急講習って知ってます? 心肺蘇生法とか応急手当の方法を簡単に教えてくれる講座が消防署や地域のコミュニティーで開かれていたりするんです。(詳しくは最寄りの消防署までお問い合わせください!!)  例の交通事故を目撃して何もできずにいた私は、少しでも何かできるように知りたいと、自分の住んでいるマンションの自治会が救急講習をするというの聞きつけて参加することにしたのでした。  さてその朝。  ワクワクしながら集会所に行ったのを覚えています。そうしたら…  救急車と消防車が停まってる!!えっ!!!火事!? …なわけではモチロンなく、救急講習の講師として消防署のみなさんが来てくれていたのでした。 そう、私はここで初めて知ったのです。。。救急車の人は消防士さんだと!!! つまり、あの白い車に乗りたければ消防士になるしかない。 (消防士ってあの火を消す消防士だよね?? 綱渡りとかしちゃったり、消防署のまわりをランニングしてるあの人たちよね??ってかまず女の人っていたっけ???) さぁ大ピンチです。 こちとら、ただでさえ小学校の頃からマラソンやかけっこではビリッケツ。テニスをすればボールは顔面で受け止めちゃうほどの運動オンチ。それに加えて2年間の浪人生活で貯めこんだ脂肪がタップリ。どないすんねん、ほんま。 20歳からの挑戦が始まったのでした。。。 さて、少し長くなったので初めての患者さんの話は次回にご紹介します! 乞うご期待!!w X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 覚悟。それが親になるときしたこと。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 覚悟。それが親になるときしたこと。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 結婚するとき、覚悟してなかったけど 【子ども】が出来ると【覚悟】をした。 【親】になることを。 子どもの責任を持つことを。この覚悟は、しないと出来ない。虐待する親がいるのは、この【親になる覚悟】が出来ていない。 人は、どこかで甘えがある。 仕事に対しても 趣味に対しても。 【プロになる】そう決めた人が凄いものをなぜ生み出してくるのか 【覚悟】に他ならない。 【これでやる。極める。やっていく】覚悟しているかいないかで 取り組み方は 当たり前だけど、変わる、と思うよ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 偏差値、模試追放!バンザイ!! | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/10/5 偏差値、模試追放!バンザイ!! Facebook X (Twitter) リンクをコピー 質問 1. 模試では1つにつき満点から2点ずつ減点していますが、本番はどのような採点方法になるのですか? 2、 先生は本番で8割超えをされるということですが、模試ではどのくらいの点数になるのですか?  回答 1、  本番の採点がどのように行われているかは秘密でしょう。それで、私は実際に京大二次を7回受けて推測するしかなかった。その考察結果はブログに載せてあります。↓ http://ameblo.jp/takagishigemi/  ただ、私の会った大学の先生は名古屋大学の教育学部の教授たちですが(名大卒や京大卒)受験生の方たちが考えるような厳密な人たちではないです(笑)。自分が彼らの試験を受けて、コンパなどで話した印象ですが。   要するに、「英語の内容が理解できているか」だけがポイントなので全体の理解ができていると判断したら模試のような細かい採点はしないと思われます。  2、 ご存知のように、模試は本番より点数が落ちます。合格できるような点数をつけて本番で落ちたら予備校に抗議が殺到してしまいますから。トラブル回避のために必要な措置です。 私の経験は中京圏で名前を言えば誰でも知っている大規模予備校、塾、専門学校で講師を14年間やったという限定つきでの発言ですが、英検1級を持った英語講師に会ったことがありません。  これは統計的に考えても納得がいきます。7つの旧帝の定員を各3000名として2万人ほどの定員に3倍以上の受験生が押し寄せます。大雑把に言って6万人以上。冠模試だと7割ほどの受験生が受けるとして、少なく見積もっても4万人。 それを採点する採点官が一人100枚採点するとしても、400人必要になります。旧帝受験者の答案を採点するのなら、受験生の上を行く学力がある人が採点すべきなのは言うまでもありません。  しかし、河合塾も、駿台も、旧帝卒以上の学力のある採点官を400人以上確保できるわけがない。講師でさえ旧帝卒の先生に会ったのは中京地区では、私以外では1人だけでした。  実際、ここ三重県では帰国子女の中学3年生のある塾生は英検1級を持っていましたが、調査によると中学教師で英検準1級以上は3割。高校でさえ準1級以上は5割。つまり、2級の先生が1級の生徒を指導しているわけです。 和田秀樹さんの「新・受験技法」によると、模試でD,E判定でも合格する人もいれば、エール出版の「合格体験記」によるとA判定どころか、全国1ケタ順位でも不合格になった恨み節が書かれたりしている現状です。 結論、 「模試は、占いよりはあたる」(笑)   東大や京大受験生は、(ボーダーを越えている場合は特に) 「自分より学力が低い採点官が採点している」   と思った方が現実的です。 文部科学省は9月3日、平成25年度「英語教育実施状況調査」の結果を発表した。英検準1級以上相当の英語力を有している教員は小学校が0.8%、中学校の英語担当教員が27.9%、高校の英語担当教員が52.7%であることが明らかになった。 たとえ、京大合格者でもボーダー65%程度だから医学部のように8割合格をめざしている子の添削は無理。 私の10回受けた京大模試の結果は残っていませんが、本番より1割は低かったと思います。つまり、6割から7割程度だったと思います。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 個人でMoodleを使う 第3回 また失敗 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/3/16 個人でMoodleを使う 第3回 また失敗 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  まだMoodle設定できていない… Minibirdは、「Moodleを使えない」ということがわかったのは前進かな。 Moodle2.6は無理 MySQLのバージョンが古くかつアップグレードの予定はない。これは私がRequirementsをちゃんと確認していなかった。完全に私のミス。でも最新版に対応しているって思い込んでいた。MySQL5.5ぐらいはあると思い込んでいたし、逐次アップグレードしているのかと思っていた。でもサーバのDBバージョンアップするってWordPress使っている人とかに大きな迷惑になるだろうし。しょうがない。 Moodle2.2なら、MySQLバージョンが5.0でもOK。インストールしてみた。  php拡張 intlがない。Minibirdサポートに聞いたら対応予定なし。サポートの反応が早くて助かる。 無料のサーバでphpもMySQLも最新のもの…XREAというサーバがあることがわかった。 新サーバは無料でも1GBと書いてあったが、やっぱり50MBしかなかった。足らない。Moodleは150MBぐらいあるし、そこに画像とかのコンテンツを乗せていくから1GBはほしい。7日間無料のをお試しすることにする。 ちなみにFTTPでアップロードしているが、全フォルダ一気にとか、ミラリングをすると、アップロード出来ないファイルがあるので、フォルダを3つずつアップロードしている。面倒。 アップロードしたが、なんかダメ。 早速Scriptエラー。 2.2にしておこうか。もう一回クリーンインストール(ということばでいいのか。DB削除して作り直し、サーバのファイルも削除し。。この削除もちょっとずつ)してみてダメなら、2.2をトライしよう。 そういいつつも Free Hostiaは結構サクサク動くことがわかった。コンテンツを色々と作ってみた DNS浸透したからだろうか。なんて昨日思っていたら、今日はデータ書き込みエラーで使えない。 コンテンツを上げたから、容量オーバーかもしれない。 最終的には!クイッカか、Sakuraだ! あるいは、VPSがDTIで月額500円だということなので、VPSで行ってみようか。 Gitとか全然わからないけど、勉強だ。 一番、スペックが良くて安いのはXreaのよう。月額200円。 Value-Domainエコサーバとどう違うんだろう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 2015年の振り返り | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/12/29 2015年の振り返り Facebook X (Twitter) リンクをコピー 今年を一言で表すと、 「驀進」 今年あった記憶に残る出来事 1. 客先常駐での業務が始まった 2. 心理カウンセリングが終わった 3. 飛躍的な減薬が始まった (現在はピーク時の6分の1) 4. 大きな心境の変化 1. 客先常駐でのプロジェクトに参加  年度変わり契機に、新たな勤務先でプロジェクトに参加している。 自分の立場は、システムエンジニアでプロジェクトで使う言語はJavaというがっつりな言語。 参加前に、UMLやデザインパターンとか知っておいた方がいいよーと言われ若干ビビってたけど、 本を読んだり記事を読んだりしているうちに自然と慣れている。 プロジェクトに入ってからは、  ・新技術の導入(JUnit4やGoogle Guava)したり  ・プロジェクトメンバーの技術的なサポート(このコードはこう書いた方が綺麗とか)をしたり  ・プロジェクトリーダとシステム設計を見直したり しながら広い範囲でプロジェクトに関わる中で、自分も新しい技術の発見を色々するのが楽しい。 簡単にいうと、仕事をしているという感覚が無い。ここまで積極的にプロジェクトに関われて自由に働けてるのは、基本的に自分のいる世界で死ぬ事はないって考えが根底にあるからだと思う。実際死んでないし。 後、強く思うようになったのは頑張りすぎないこと。 やり過ぎて体調を崩した状態で仕事をするより、安定した状態でパフォーマンスを出し続ける事の方が大切だと考えるようになった。 反面、プロジェクト開始直後は古巣とはいえ客先に変わりは無いので、緊張したりタスクをこなさなければと思うあまり残業をして心身を消耗したり、微妙な立場でプログラム以外の煩わしいことで消耗したりしたこともあった。 自分で吸収できる範囲の消耗であればペースを落としてしてみたり、紙に書き出しながらゆっくりと進めたりしていた。ただ、それでもダメな時は「今日は体調が悪いので普段のパフォーマンスがでません」と言ったりして体調の悪い時の対応の仕方も自分なりにできるようになっていたと思う。 まとめると、悪いことも良い事も経験して調整しながら業務を進めれているのは、自分にとってはとても自信のつく内容だ。 2. 心理カウンセリングが終わった (多分)2年ほどしていたカウンセリングが終わった。 今は3週間毎だけど、当時は2週間毎に午前中が潰れるのがかなり精神的負担になってきていた。かつ、客先でフルタイムという仕事環境も重なり余計に負担になってきていた。 カウンセリングは基本的にひたすら自分が話をし、カウンセラーが何か言うことはない。たまに、カウンセラーが気になることを質問するという感じ。 なので、自分が話していて「あっ、これって前にも言っていたよなぁ」とか、「同じような事を話しているので、自分には〇〇が嫌なんだな」と気付く事があった。2年して少しは自分の考え方の癖とか、気持ちの整理の仕方を身につけたような気がする。 3. 飛躍的な減薬が始まった (現在はピーク時の6分の1) プロジェクトに参加して移行、色々な経験を積む中で自分にも自信がつきはじめ、飛躍的な減薬が始まった。3週間の通院ペースに変わった辺りから、そのペースで少しづつ抗鬱剤の減薬を開始した。 急に薬を止めると  1. 離脱症状(俗にいうシャンビリ)が出る  2. 体調崩す  3. 薬増える 以下ループ・・・ になるので、お脳が気づかない量でじんわりと減らすようにしている。 特に、仕事もしているので急に休み続けたりりするのもまずいので、この方法は良い選択だと思う。(たまにもどかしく感じる事はあるけど。。。) 年内は今の量を維持。来年からまた減薬を開始予定。 4. 大きな心境の変化 ビビりながらも少しずつ挑戦をする中で、自分の状態も改善している。 そんな中で、服薬・通院もしているので病気という事実は変わらないけど、自分は病気である事がいつの間にかアイデンティティ化してしていない?と考えるようになってきた。 「自分は病気だから〇〇できない」 っていう感じ。 それって、自分で自分の可能性を無くしているなぁと考えるようになったので、自分の中からその前提を崩そうとSNSとか自分の発言から捨てるようにし始めた。まぁ、捨てるのであれば、それはそれでビビる事もあるんだけど、捨てたら捨てたでスッキリして開放された気持ちもするので、知らない間に縛っていたんだと思う。 まとめ こうして一年を眺めてみると仕事で云々が多いけど、それだけ刺激的で楽しかったんだろうなぁ。 自分にとっては、今のプロジェクトに関わる中での経験が大きな自信になっている。 日々のタスクをこなす・システムの設計をする・メンバーの技術的サポートをする・もっと便利な技術を探して提案するなどをしているうちに、相手(常駐先・エンドユーザー)にも認められ、自分のしている事に自信がついてきたんだと思う。 健聴者と同じ土俵で仕事をする中で、 ・その人達と自分にどんな差があるんだろう? ・普通でも体調崩すことあるやん? ・普通でもイラッとして人に当たる事もあるやん? ・自分よりもっとダメな奴おるでー などなど・・・ と考えるようになり、どんどん障害者と健聴者の境目がアヤフヤに感じるようになってきた。 そんな中で、病気をアイデンティティにしている自分がいる事に気づいて、 客観的な事実(服薬と通院)は変わらないけど、主観的な事は変えれるよな という答えがでたんだと思う。 この一番の根底には、恐らく別に死ぬわけじゃないから言いたい事を言おう。それで、相手が好んでくれなくてもいいやーと思うようになったのがでかいと思う。 最後に、 かまって欲しいばかりにすねて怒ったり、のんびりしている姿を見てイラッとしたり、自分の愚痴の話の腰を折られてイラッとした事もあったけど、いつも精神的に支えてくれている妻にありがとう。 また、自分の挑戦を遠い所から応援してくれる友人にもありがとう。 自分にとって、その支えが何よりの薬になっているのかも(うまい事言った) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 印刷機を売るために、地下鉄を作る営業マンの話。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/4/28 印刷機を売るために、地下鉄を作る営業マンの話。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 以前、三菱重工の印刷機事業の営業マン・Tさんのフルアテンドで、台湾と香港の印刷所視察の旅行に招待されたことがあります。東京の印刷会社2社の社長と一緒に、1週間ほどの日程で、十数社の印刷所を見学しました。印刷機は1台数億円するので、3人を招待しても十分元はは取れるのでしょう。 当時30代だった僕は、務めていた会社(UPU)の子会社の社長をやっていて、その2社の印刷会社に大量の印刷物を発注していた関係で、招待旅行の末席に加えてもらったのです。 台湾と香港の印刷所は、実は印刷機もオペレーションもすべて日本から輸出されており、新しい発見はさほどありませんでした。ただ、車での移動中に聞いたTさんの話に、強烈な印象を受けたことを思えています。 台湾の混雑した道を運転しながら、Tさんは言いました。「台湾の印刷機市場は、安定成長を続けています。しかしポテンシャルは、もっと大きい。なぜなら、台湾には地下鉄がないからです」。 頭に「?」がいくつも浮かぶ僕。Tさんは話を続けます。「1台数億円の印刷機が売れるためには、新聞やマガジンの発行部数が爆発的に増える必要があります。そのためには都市のインフラ自体に手をつけなければならない。地下鉄を作り、売店を設置すれば、新聞とマガジンは必ず売れる。結果として印刷機も売れるんです・・・」 僕は、Tさんの営業シナリオのスケールの大きさに、返す言葉がありませんでした。これまで自分はなんとチマチマした営業をしてきたことか。世の中には、なんとすごい営業マンがいるものか。 それから数年後、台北で地下鉄の建設が決まり、工事も開始されました。そのプロジェクトにTさんがどんなコミットをしたのかは知りません。しかし、営業シナリオをどう描くかという僕の問題意識は、その時を契機に一気に拡がりました。 今週、あるクライアントの営業マン研修で講師を務め、Webマーケティングの営業手法について語りました。しかし、スケールが小さかった。細かな技術論よりも、若手営業マンの心の何かに火を付ける大きな物語が必要だった。帰り道、Tさんのことをハッと思い出し、苦笑いしながら反省していました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 2冊のビジネス書が出版され、増刷されるまでの物語 vol.01「出会う」 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/4/14 2冊のビジネス書が出版され、増刷されるまでの物語 vol.01「出会う」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 01 2006年冬。 青年は途方に暮れていた。 なぜなら、青年に対して「じゃあ、ちょっと世界一周してくるわ」と言い残して旅立った、同期の内定者M君が抱えていた宿題を自身が担当することになったからだ。 その宿題とは、新卒人事採用担当―つまり、まだ内定者にも関わらず、アルバイトとして内定を貰った企業に勤め、そこで人事採用として自分の次の代の内定者を見つけよ、というミッションだった。 青年が言い出したことでは無かった。その同期が、社長に向けて、そうした仕事をさせて欲しいと熱いメールを送り、社長がその期待に応え、そうした仕事を与えたのだ。青年自身はメールのCCに入っていたぐらいで、自分も何か協力できることがあれば手伝おうと思っていた程度でしかない。 ちょうど併行して進めていた卒業論文にどちらかと言えば青年は注力したかった。「特別会計改革」という誰も見向きもしていない行政改革をすれば、国のカタチが根本的に変わることに気付き、おみゃあおみゃあと名古屋弁を連呼する野党の政治家の政策秘書と連携しながら、卒業論文を書き上げるつもりだった。その内容が良ければ、野党の事務員として採用したい―という話もあった。 だから、その「宿題」を一緒に解決しようと4人の内定者が集まっても、あくまで後方支援のつもりだった―M君が「あ、俺、世界一周せなあかんから後はよろしく」と言い出すまでは。 乗るなら飲むな。飲むなら乗るな。青年にとっての鉄則だった。呆れると同時に、何を言っているのだコイツはと躊躇いさえ感じた。 しかしバスは走り始めていた。内定者を入れても20人にも満たないIT系ベンチャー企業だ。新卒人事採用は君らに任せたという言葉も社長から貰った。猫の手も借りたいぐらい忙しいはずだ。恐らく本気で任せるつもりだろう。 期待は裏切れない。やらなければいけない。使命感では無い。責任感である。 青年は、自身のことを0から1にするのは苦手だが、1から100にするのは得意だとも思っていた。きっと自分だったら、このような機会自体も作れなかっただろう。だから、このバトンをしっかりと受け継ごう。青年は自らにそう言い聞かせて、全く名前の知られていないベンチャー企業の新卒人事採用担当として動くことにした。 2006年の冬というのは、あらゆるベンチャー企業にとって冬の時代だった。その年の初めに起きたライブドア事件により、「ベンチャー」という言葉が持つ既存勢力を叩き壊す爆発力は地に落ちていたように青年には思えた。むしろ、いかがわしく、胡散臭く、適当で、中途半端な存在にすら堕ちているように青年には思えた。 だから、ナビ系で会社紹介をするにあたっても、ベンチャーであることを強く訴えるより、企業理念を前面に押し出した。つまり、「どんな仕事をしているか?」よりも「なぜ、その仕事をしなければいけないか?」という視点を全面的に押し出すようにした。ましてや「仲が良い」という空虚な言葉は絶対に入れないよう心掛けた。どれほど仲が良くても、景気が悪くなり、資金繰りが悪化してしまえば、それは瞬く間に消え去ることを幼少期に実感していた。 ベンチャー企業ばかりが集まるイベントがあるらしいと聞けば、それに出向いた。そして、必死に企業名を連呼した。その頃の青年は学生団体という言葉を知らなかったし、そうした団体が就職支援という名の自己満足をしていることも知らなかった。ただ、自分が来年の4月から就職する会社は、業態がBtoBだっただけに関西でも圧倒的に知名度が低く、そして名前も知られていない企業に多くの学生が見向きもしないことを青年は知っていた。というか、身を持って体験した。青年の話に耳を傾けてくれるのは、せいぜい大学の就職課ぐらいだったが、それでも一定レベル以上の大学であれば門前払いを何度も喰らった。 これはマズい。本気でヤバい。説明会をしても足を運んでくれる学生はこのままだといないかもしれない。青年にとて眠れない日々が続いた。 それだけでなく、芥川龍之介ではないが、「将来に対する唯ぼんやりした不安」を何故か急に抱き始めた。このままでいいのか、ではどうすればいいのか。 解らなかった。何が解らないのか解らないのだ。間違っているのか正しいのか、方向性が合っているのか違うのか。それは与えられた仕事だけでなく、人生そのものだと青年は感じた。 羅針盤も海図も無く、急に航海に出たような感覚を持ち、青年は日に日に吐き気すら催すようになった。もともとプレッシャーには弱いのだ。 そんあある日、ある一人のゼミの後輩が思い浮かんだ。 思い浮かんだその姿は、ゼミ合宿の2日目の朝、新聞の一面を熱心に書き写している後姿だ。 青年はそれを見て「なんでそんなことをしてるの?」と聞いた。 「自分にとって気になる記事を書き写して記録しておきたいから」と後輩は自慢げに言った。それは新聞を読んでいることが偉いかのような口ぶりだった。 「そんなの、Webにアップされているんだから、それを保存するか、図書館に行って記事を印刷しておけよ」と青年が言うと、後輩は褒められなかったことが不満なのか、「でも、それじゃあ頭に入らない」と言った。 般若心経ですら頭に入るのに何千回と書かないといけないのに、どうしてたった一回書き写したぐらいで頭に入るというのか。 青年は、新聞の一面に書かれた「イスラエル、レバノン空爆」という文字を指さし、「なんでイスラエルがレバノンを空爆する必要があるの?」と聞いた。後輩は、何かを言おうとしたが、言葉が出ず、あーうーと唸っている。お前は大平正芳かと心の中でつっこみ、立て続けに「宗教間対立が原因じゃなかった?」「パックス・シリアナが無い今、逆にイスラエルが平和をもたらすという可能性は?」「イラクで弾劾されているのはイスラム教シーア派だったけ?」と聞いてみた。 後輩は何も答えられなかった。今にして思えば、質問に応えられないと、勝手に強制終了して脳味噌をシャットダウンする癖の持ち主なだけに、後輩はそれをしたに過ぎないのだが、そのことを僕はまだ知らなかったので「お前のしていることは新聞を見ているだけや。読んでないやん。読めない人間が書き写しても意味なんか無いわ。ボールペン字講座受けたほうが、文字が綺麗になる分だけよっぽどマシや!」と止めを刺してしまった。 強制終了されてしまった後輩を見て、さすがに言い過ぎたと後悔した青年は、フォローをするつもりで「なんで、こんなことしてるんさ?」と聞いた。後輩は「みどり勉強会という10人くらいの学生が集まる勉強会があって、そこに来る先生が、やれって……」と言った。 青年は「その先生って、そんなに凄いの?」と聞いた。後輩は「はい、それは、もう……本当に。何でも知っています」と答えた。大学の教授なんて所詮は世間知らずで卓上の経験しか無いんじゃない?と嫌味を言うと、「もともとは企業経営もしていたし、教え子には起業家や大企業の課長や教師など色んな人がいてる」と後輩は言った。 まるで自分がそうしたメンバーの一員かのような顔ぶりだったので、すかさず「お前はそこに並ばん」と言い返した。 ―青年は、その情景を思い出し、後輩に直ぐにメールを送った。前に言っていた、みどり勉強会の先生に会いたい、と。 藁にもすがる思いだった。そんなに凄いなら、今の状態を見て貰えれば、何かアドバイスを貰えるかもしれない。せめてダメでも、その先生繋がりで、就職課を紹介して貰えれば、それでいい。 青年は、自分の母校にも関わらず、就職課から門前払いを喰らっていた。 さっそく、その後輩から返信があった。毎週火曜日に勉強会があるので、そこに来て下さいと言う。場所は、龍谷大学前の喫茶みどり。京阪深草駅前にある、あの「巡礼所」―。 そしてすぐさま、だからみどり勉強会と言うのだ、と気付いた。 02 火曜日。 後輩と駅の改札で落ち合った。さっそく連れて行って貰えるのかと思いきや、後輩は先生を待たなければならないと言った。 ものの10分ぐらいで、その先生はやってきた。白髪で、腹周りが大きく、のっそのっそと歩くその姿は、まるで自分の思い描く「何でも知っている人」とかけ離れていた。 せいぜいが大臣に1回なれるか、なれないか程度の政治家のような風貌。それが先生の第一印象だ。 「先生、お疲れ様です!」 後輩が今まで聞いたことの無いような大声で、その先生に90度のお辞儀をしてみせた。先生はそれを無視して、さらに後輩の前すら素通りしていく。 後輩は慌てて、その先生の後を追いかけて行く。呆気に取られた僕はさらに後輩の後を追いかけて行く。 「先生、今日は新しい人を連れてきました!」 後輩がそう言うと、青年はとりあえず今までしたことの無い笑みを浮かべて「こんにちは」と挨拶をした。しかし、先生は一瞥をしたぐらいで何も言い返してこない。 何なんだ、この人は。戸惑いと、この人経由で就職課まで辿り着けるか不安になると、それを察知したのか、後輩が「この人は……」とフォローを入れ始めた。 「あの、夏のゼミ合宿で、僕に新聞を書くなと言った人なんです」 おい、なぜよりによって、その紹介なんだ。青年が後輩の後頭部をグーで殴りたい衝動に駆られた瞬間、先生は始めて立ち止った。そして、僕を一瞥し、「君か」とだけ言った。 その鋭い眼光に、全てを見抜かれるような恐怖心を抱き、思わず目線を反らすと「今日は宜しくお願いします!」と大声で挨拶し、頭を下げた。 「勉強会始まってるから急がないかん。挨拶は後でええ」 先生はそう言うと、また歩き始めた。そうか、だから急いでいるのか。じゃあ、走れよ。いや、走れないのか―。青年が色々と考えていると、喫茶みどりの前に着いた。 今まで中に入ったことは無かった。純喫茶のようで、古めかしい昭和の雰囲気が、なかなか中に入る勇気を持てなかった理由だった。まさか4回生の卒業間際になって、こういう機会に巡り合えるとは。青年がそんなことを考えていると、先生は喫茶店のドアを開けて、中に入っていった。 喫茶店の中には、マスターと思われる老紳士が一人いるだけだった。10人くらいの学生が集まる勉強会では無かったのか。まさか騙されたのか。このまま、この先生に壺を買わされてしまうのか。それとも、変な信仰宗教を勧誘されてしまうのか。一瞬そう思った青年だったが、先生は歩く速度を遅める事無く、奥に続くドアを開けた。 そこには、庭と、トイレと、離れがあった。その離れには会議スペースがあり、大きな机が1つ、そして10人ぐらいの男女の姿があった。全員と目が合う。どうやら全員が学生のようだ。 「勉強会は、あの離れでやってます」 後ろにいた後輩が耳元で囁いた。それを早く言いなさい、と青年は今度こそ、後輩の後頭部をパーで叩いた。 03 「君の言ってることは解った。それで君はいつ転職するんや?」 初対面の10人の大学生を前に、いきなり後輩から「今日は先輩が相談事があるので」と話題を振られ、こういうときは一か八か懐に飛び込むしかないと吹っ切れた青年は、抱えている悩みを一通り口にした。 そしてその後、先生が切り出した言葉に、僕はポカンとした。 「は…?転職、ですか…?」 「そうや。君のしていることは奴隷や。破滅や!」 今にして思えば、奴隷、破滅、転職は先生が学生を相手にする際に口にする三大文句なのだが、青年はそんなことを知る由も無かったので、このクソジジイはいきなり何を言い出したのかと反感すら抱いた。 「どうして奴隷なんですか?それって―」 「君は会社の言われることしかしてへんやないか。人形や。使い勝手は良くても、長持ちはせえへん消耗品や。奴隷と何が違うんや!」 表現はともかく、言われることしかしていないというのは真っ当な指摘だった。いきなり心臓を青竜刀で射抜かれたような気がして、青年は言葉を失った。 「言われたことしかできひん人間になる前に、さっさと環境を変えるべきやな。君のおる市場で、君はナンボの値段が付くんや?」 「―そ、それは、転職先で、どれくらいの給料が出るかかという……?」 「他にどういう意味があるんや!」 「えと、それは……内定者で、まだ社会人経験も無いんで、それは……何とも言えません」 「君とこの会社は、他の会社にも誘われへん人間を雇うほど資金が潤沢なんか!あぁ、恐ろし。そうやって一生、目の前の人参だけを追い続けて、馬のように働いていく生き方が君のような人間なんや」 「いや……」 「転職もできひんちゅうことは、君には能力が無いということや」 「そんなことは……」 「じゃあ、君は何ができるんや!いつまで学生という下駄を履いて生活してるんや!」 何かを言おうとしたけど、何も言い返せなかった。図星だったのだ。内定者であることを言い訳にしている。短期的なことしか考えられていない。輪っかの中で、クルクル回っているネズミのような状態だと言われれば、確かにそうだ。 仕事をするだけでは意味が無い。何かを変え、何かを止めなければ、何も新しいことなどできやしない。それを誰かのせい、何かのせいにしていると言われれば、そうですとしか返せなかった。 昨日の自分。明日の自分。両方とも同じ自分。先生にそう言われて、初めて、それこそが自分自身が抱いている不安の正体だと解った。 資格じゃない。成長というのは、日常に程良く波を起こし、日々変化し、昨日より良い明日を過ごそうと努力した、良い結果の果実こそが成長―。 急に自分という存在が小さく思えた。新卒採用人事担当という仕事をやり始めて、自分は何か凄いことをしていると勘違いをしていたのではないか。そんな風に青年は思った。 10人の大学生からの目線が刺さる。下を向くしか青年には選択肢は残されていなかった。 それにしても。なぜ解るのだ、この人は。 このオッサンはいったい何者なんだ!青年は、目の前に座る先生に畏れすら抱いた。 「君の仕事はマーケティングのセンスがゼロや。だから学生も集まらへんねんなぁ。マーケティングの効果を図るツールに携わる人間にあってはならんことや!」 「それは、どこを見て―」 「人生のマーケティングができてないのに、どうして事業のマーケティングができるんや!当たり前の話や!」 畳み掛けるように、先生が青年を攻め立てる。じゃあ、どうしたらいいんですか。青年はその言葉を飲み込んでしまった。何を言っても、この人には勝てないと思った。 「君は一生、人に使われたままの生涯や。岡田以蔵や!」 先生がトドメを指すかのように、僕の首元に青竜刀を振り降ろそうとした。あぁ、クビが千切れる…そう思った瞬間、僕の隣に座っていた、元世話役という学生側の代表を数年前に勤めていたという人が「でも先生、それって、彼のことを歴史に名前が残る、人に使われる人だと評したということですか?」と口にした。 「ん?ん……」 先生の何かのタイミングがズレた。その瞬間、元世話役が僕に向かって「色々言われてパニックやろうけど、まずはメモを取ってみたら。後になったら、また理解できる部分もあるやろうし」と言った。 いつの間にか、自分自身もまた後輩同様に、強制終了寸前だったわけだ。 「とにもかくにも、マーケティングが大事や。君のその新卒採用の活動は認知、態度変容、購買行動、どれに設定してるんや?」 「えっと……」 「それも解らんのに、なんで効果測定ツールが売れるんや!もうえぇ!はい、次行くで!」 何も答えられない僕に見切りをつけ、先生は話題を変えた。僕は慌てて、メモ帳に認知、態度変容、という言葉を書き残した。 ちなみに、このメモは6年後に青年が見つけ、まさか自分はそんな前からアトリビューション分析を理解していたのかと心躍らせて直ぐに、違う、これは先生が言った言葉だと思い出し、瞬間、自分の恩師の存在に恐怖すら抱くことになる。 これが青年の恩師―松谷先生との出会いであり、2冊のビジネス本が生まれるキッカケともなる。 加えて言えば、活動の焦点を態度変容に変えた青年は、広く知られることを大事にするのではなく、実際に説明会に来てくれた学生がいかに会社を気に行って貰えるかを大事にしようと考え方を変え、何とか8人もの内定者と出会うに至った。 ―続く。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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