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- 日本人初?! セブで英語講師! | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 日本人初?! セブで英語講師! Facebook X (Twitter) リンクをコピー 今年の夏、フィリピンで特別講師として授業させていただきました。 6浪でも、勉強ができなくても、ここまで来れた理由があります。 今後も躍進し、次世代のロールモデルになります!! 他の投稿もぜひご覧ください♫ 講師インタビュー↓ https://mba-cebu.asia/archives/10483 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 中国入院日記2 投資家として飛行機なしの世界一周 その9 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 中国入院日記2 投資家として飛行機なしの世界一周 その9 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 目覚めると知らない部屋にいた。意識を失う前にいた病室から比べると格段に綺麗な部屋で、何人かの看護婦さんがせわしなく動いていた。僕のほかに二人の患者がいて、二人とも意識はなく、心臓の波打つ映像を映すモニターだけが、ピコンピコンと音を出していた。 生きてる。。。 何時間意識を失ってたんだろう?分からない。あのガスマスクは、全身麻酔の睡眠ガスみたいなものを出していたんだろうと気づく。 腕は、、、ギブスと包帯でぐるぐる巻きにされていて、動くかどうか分からない。痛みと熱さだけがある。 指は、、、ぎこちないが動くようになってる! 声は、、、枯れてるが出る!! ただ、体中が管だらけになってる。点滴の注射がいたるところに刺さってて、身動きが取れない。鼻にも酸素チューブが入ってる。そして、下半身にも、、、管が入ってる。 経験のある人は分かるかもしれないけど、これがメチャクチャ痛い。小便をするたびに激痛が走る。だから我慢するんだけど、点滴を打ってる間はしたくなるのがとても早くなる。だから恐る恐るするんだけど、もうホントに身をよじるほど痛い。 じっとしながら腕を切ったときのことを思い返した。あの時ドアが開かなかったのは確かだ。どんなに頑張ってもビクともしなかった。 そこでガラスを割ろうと決断する。 これを読んでいる人はもうちょっと待てば良かったのに、と思うかもしれない。でもあの時の尋常じゃない焦りと息苦しさは、実際に体験しないと分からないと思う。 でもガラスを「拳」で割るという行為は。。。もっと冷静になって考えるべきだった。何かを投げるという選択肢があった。シャワーは固定されていたのでそれで割るのは無理だったけど、シャンプー入れみたいなのを持っていたのでそれを投げてみてもよかったかもしれない。女だったら当然何かを投げることになるんだろう。でもガラスで割るシーンってTVとか映画とかでよく見るし、俺はほとんど反射的にパンチすることに決めていた。閉じ込められた恐怖で舞い上がっていたのもあるかもしれない。さらに悪かったことは、曇り窓で厚いと思っていたガラスが、極端に薄かったこと。しかも粉々に割れるんじゃなくて、安物によくあるような、デッカイかたまりになって割れるやつだったこと。だから思ったより簡単に割れて腕が奥に入ってしまった。 シャンプーはコンビニで売ってるような携帯用の小さい奴だったので、恐らくそれでは割れなかったと思うが、もう少し慎重になって色々と考えてもよかった。 ホントに後悔する。 でもすでに起こったことを今更悔やんでも遅いので、とにかく一日でも早く治すことを考えなければいけない。 そんなことを考えながら数時間ボーっとしてると電話を渡された。 友達だった。「え?何故?親じゃなくて?どうやって番号調べたんだろう?」と思った。 「大動脈切ったらしいじゃん!大丈夫!?」 「え。俺大動脈切ったんだ?」 まぁそこまでいってるだろうとは思ってたけど。この病院では英語を話せる人がほとんどいないので、専門的なことになると日本のほうが情報が早いし、一回日本を通さないと確かなことが分からないという不便な状況だった。 友達との電話が終わるとすぐに親からかかってきた。僕は自分の状況もよく分からない状態だったが、とにかく帰国を迫られるのがいやで、全然大丈夫だと言った。 あまり考える力もなく、この日は痛み(特に傷と関係ない下半身の痛み)に堪えながら一夜を越した。 翌日、昼に一般病棟に移されることになった。この時はそう言われて意外と回復が早く、たいしたことないのかもしれない、なんて思ったりした。 一般病棟に移るとき、長岡さん夫妻が駆けつけてきてくれた。 彼らは、カンボジアの首都プノンペンで会った、世界一周中の夫婦だった。その時は急いでいたのであまり話せなかったのだが、長嶋さん夫妻はカンボジアから東に行ってベトナムなどを周るということだった。僕は西回りにタイ、ラオスを目指すルートだったので、再会することなど想像だにしていなかった。しかし偶然、中国の大理という町で会うことになった。旅をしているとこういうことが時々ある。 しばらく話して僕は先に麗江に向かった。 「良い旅を」と言って。 それが次会ったときには、全身管だらけになってベッドごと移送されてるところだったので、向こうもたいそう驚いたと思う。 長嶋さん夫妻にはホントにお世話になった。感謝の意を伝えると、ベトナムのサイゴンでデジカメを盗まれた時の話をしてくれた。警察への行き方が分からず困っていたとき、ベトナム駐在の日本人に会って送迎から通訳まで何から何までしてくれたらしい。で、「困ったときはお互い様」と言われたらしい。 当たり前の言葉だけど、身にしみる。俺も「困ったときはお互い様」の輪をつなげなければいけないと思った。 そんなこんなで警察の人や宿の人がお見舞いに来てくれたりして、あっという間に夜を迎えた。そして一人になると、色々と問題が浮上してきた。 まず、一般病棟では看護婦も医者もみんな英語がまったくしゃべれない。僕は片言なら中国語もしゃべれたけど、それじゃ限界がある。(いや、英語も片言だけど。)で、看護婦は「中国語がしゃべれないならお手上げだわ」みたいな感じで全然取り合ってくれない。 そして僕は身動きがまったく取れない。しかもこの病院では日本ではありえないことだけど、食事が出ない。中国、少なくとも雲南省では、誰かが入院したら家族が24時間付き添うのが常識らしく、それができないなら自分で買いに行くしかない。でも僕は家族もいないし、ベッドから離れられない。だから小便も一人じゃできない! しかもこの病室は僕を含めて三人の患者がいて、僕は一番ドア側のベッドだったのだけれど、向こう端の窓側の患者が若者で、その見舞いにきてる友達たちがモックモクにタバコを焚いている。そういえば見舞いに来た警官もタバコを室内で吸ってた。そして床にポイ捨てする。たまった吸殻は一日一回モップで掃除されるのだけれど、汚いトイレと一緒に掃除するので、床は見た目は綺麗でも、素肌じゃ触れられないほどの不潔感がある。 さらに、僕のベッドの前にトイレがあるのだけれど、そのトイレが半端なくクサイ。ヒドイ時は寝ててもベッドまで匂ってくる。 堪えられなくなって看護婦を呼び、朝までいた綺麗な緊急治療室に戻してくれと頼んだ。でもそれは無理だといわれた。あそこは急患のための部屋だという。 「それは分かるが自分は外国人で中国語が話せないからなんとかならないか」 と聞くが、やはり無理だという。そして約20日ほど入院するだろうとも言われた。 このとき僕がどれほど不安だったか。 小便がしたくなるたび、ブザーで看護婦を呼び、尿瓶を取ってもらい、当然部屋中の人を起こした。痛みと不安のなか、眠れない夜を過ごした。 翌朝隣のベッドの、夫を看護してるおばさんが、朝食のおかゆを買ってきてくれてそれを食べさせてもらった。夫の面倒も大変だというのに、わざわざおかゆを一口一口スプーンで運んでくれた。微笑みながら優しく面倒をみてくれたおばさんの優しさに、涙がこぼれた。 しばらくして宿の人たちがきた。一人のおばさんを連れてきていた。35歳で名前を王(ワン)といった。お金はかかるが、ヘルパーとして24時間俺に付き添ってくれるらしい。 この時からかけがえのない経験となる、麗江市人民病院、外二科の入院生活が始まった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 名古屋大学ラブ・ストーリー(7)部落差別 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/12/17 名古屋大学ラブ・ストーリー(7)部落差別 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「名古屋大学ラブ・ストーリー(7) 部落差別」 今となっては意味がないのだが、健二は「部落」という言葉が気になっていた。姉が二人いたが、健二だけ大学に行かせてもらった。親の期待を裏切りたくなかったし、老後の世話もするつもりだった。 It is useless to regretit, however Kenji is thinking about Buraku. He has two elder sisters and he is the onlyone who went to university. He wants tomeet his parents’ expectation. He wantsto take care of his parents. ただ、貴子との結婚の反対の理由が「部落」と言われても当時は何も分からず調べもしなかった。しかし、全てが終わってしまった今になって気になりだした。ネットで調べた健二は次の説明を見つけた。 When Kenji’s motheropposed to his marriage because of Buraku, Kenji was not interested in it at that time. However he wants to knowabout it and tries to check it. 結婚差別 部落出身者と結婚すると血縁関係が生ずるため、「自分の 家系 (息子、娘)の血が穢(けが)れるから」と反対する家族(親戚なども)が多くいた。内密に身元調査や聞き合わせを行い、部落出身者と分かると結婚を許さない例や、好きな人と一緒になることに妨げがあった。そのため部落民は部落民同士で結婚することや、仮に部落外の人と結婚できたとしても、それは親族の祝福がない 駆け落ち であるなどのことが多かった。また、結婚差別に遭い、自ら命を絶つ者も多くいた。今でも、結婚に反対する傾向は少なからずあり、露骨に反対する場合・それ以外の理由に託けて反対する場合の両方がある。この問題があるため、現在はどの 探偵 業者も、“差別につながる身元調査はしません”と広告(主として電話帳)に注記している。 Although legallyliberated in 1871, with the abolition of the feudal caste system , this did not put an end to social discrimination against them nor their lower livingstandards because Japanese family registration was fixed to ancestral home address until recently, which allowed peopleto deduce their Burakumin membership. The long history of taboos and myths of the burakuleft a legacy of social desolation and since the 1980s, more and more young burakuhave started to organize and protest againstalleged social misfortunes, encouraged by political activist groups. Movementswith objectives ranging from liberation to encouraging integration have beentried over the years to put an end to this problem. 健二は、どうやって両親が調べたのか分からなかった。しかし、大正生まれの父の世代だと重大事なのかもしれなかった。貴子は、自分が部落出身だと思っていたのだろうか。 Kenji didn’t know howhis mother checked Takako’s family. However his father was born in Taisho era and it must be a big problem for them old people. Was she reallyBuraku people? Did she know it? もしかしたら、私と結婚できるはずがないので二股をかけていたのだろうか。 「もし、そうだとすると、オレは貴子になんて酷いことを・・・」 If she knew it and gave up marrying me, was that why she had twoboyfriends at the same time? Then whatcold words I gave her! 健二は、おそらく近いうちに上司の娘さんと結ばれて海外勤務につくであろう。自分の将来が何か、後ろめたい思いがした。 Probably Kenji will marry a daughter of his boss and work in a foreigncountry. He is thinking his future witha guilty conscience. 「貴子は、きっとご両親にとって希望を与えてくれる良い娘だったに違いないのに」。 Takako must be a very good daughter for her parents who gave them brightfuture. (1) 高木教育センタ-HP(My school'shome page) http://homepage2.nifty.com/takagi-kyoiku/ (2)フェイス・ブック(My facebookpage) http://www.facebook.com/profile.php?id=100002507170434 (3) 人気の記事はこちらからどうぞ(My old story) http://storys.jp/100002507170434 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 第5章 節電虫(益虫)の両親 5.5.3 有害な知的所有権 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 第5章 節電虫(益虫)の両親 5.5.3 有害な知的所有権 Facebook X (Twitter) リンクをコピー ここで知的所有権についての一般的なことについて考えてみましょう。 特許には先願主義と先発明主義がありますが、これは同一内容の出願がなされた場合に誰を優先するか、についての考え方です。先に出願した者を優先するのが、先願主義で日本をはじめとしてほとんどの国で採用されています。これに対し、特許について先に発明した者を優先するのが先発明主義です。アメリカは、先進国では唯一、先発明主義を採用しているため問題とされています(アメリカでは、意匠も特許で保護される)。先発明主義では、誰が最初に発明したかを決定する必要がありますが、そのための手続が抵触審査です。 特許審査基準は出願された発明が特許適格かどうかについての特許庁の判断基準です。1993(平成5)年、技術革新への対応と国際調和を目的として大幅改定されました。(1)審査基準の整理統合による明確化、(2)特許請求範囲の拡大による発明者の権利強化、(3)コンピュータ・プログラムとバイオテクノロジーに関する特許取得条件の明確化、などです。 次に工業所有権の権利内容についてですが、 (1)特許権:特許を付与された発明を、排他的(独占的)に、業として(反復継続的に)、実施(使用、および発明製品の生産・譲渡・貸渡し・輸入など)できる権利です。保護される発明の範囲は、願書に添付される明細書の「特許請求の範囲」により特定されています。 (2)実用新案権:考案を業として実施できる排他的権利です。 (3)意匠権:登録意匠を業として排他的に実施(その意匠を付した物品の製造・使用・譲渡・輸入など)する権利です。 (4)商標権:指定商品に登録商標を排他的に使用する権利。使用とは、商品やその包装に商標を付すこと、商標付商品の譲渡・引渡し・輸入など、広告での使用、などをいいます。 さて、先に私が節電虫(益虫)の知的所有権を今年、2000年に放棄したことを記述しました。法的には誰でも節電虫(益虫)を製造販売できますが、倫理的に開発者を全く無視した製造販売ビジネスが健全に育つかは疑問である、との考えも述べました。この考え方についてもう少し具体的に述べます。 1)知的所有権に対する私の考え方 * 広く全地球的な環境保護技術、省エネルギー技術、食料生産供給技術などはすべての人々、全ての企業や団体、そして全ての国々に開示されること。 * 上述のような技術の知的所有権は重要であるが、長期にあるいは高価に保護しないこと。保護期間は最長5年、特許料は最大で発明者の生活費3年分とすること。 * 知的所有権、特許による過度な独占志向、隠ぺい志向は社会全体、あるいは技術の円滑な発展のためには有害となる。 2)仕事に対する私の考え方 私の生活信条は生活を楽しみ、能動的に多くの仕事を行うことによって社会に貢献することです。能動的に多くの仕事を経験するにはその準備のために多くの時間とエネ ルギーが必要で、ますます勉強しなければなりません。もっと勉強し、経験したことを最大限活用し、新しい仕事を行えば、それが私と社会の両方にとってより意義深く楽しい時間となります。この考え方に沿って、わたしは日本と外国間の小さいけれども強固な架け橋になりたいと思っています。特に、節電と環境保全の分野で。 このような考え方は私のホームページでも英文で以下のように公開しています。 1) My thinking way toward intellectual property right * Technologies for global environment protection, energy saving, food supply and etc. should be opened to anyone, any company or organization and any country. * Basic intellectual right for the above mentioned technologies is important, but it should not be protected too long and too high money-wise. In my opinion, the time should less than five years and the royalty should be at most equal to the inventor's living cost for three years. 2) My thinking way toward jobs My life philosophy is to enjoy my life and to make a contribution to the society by going through many jobs not in a passive way but in an active way. Experiencing many jobs in an active way requires me much time and energy to prepare, which makes me study more. To study more, to make the best use of what I experienced and to do the new job give much more meaningful and enjoyable time both to me and to the society. Along this philosophy, I would like to be a small but a strong bridge between Japan and other countries in the world especially in the fields of electricity saving and natural environment protection. なお、人間は忘れてはいけないことも忘れる動物であると、4.2.1で述べましたが、人間はまた必要以上に独占欲の強い動物でもあるのです。独占の対象は物に限りません。知的所有権などを見ても、異常に広い範囲をできるだけ長い期間請求したり、意味不明な語句を使って意図的に理解し難くしたりして、権利を単なるビジネス戦略的な防衛手段からから独占のための独占手段にしています。アメリカで認められるのサブマリン特許には単なる金儲け、悪意のにおいがプンプンします。 そのために、ほとんどの知的所有権は申請会社や申請者に利益を生むことなく、逆に権利維持のための出費に窮しているケースも非常に多いのです。ある意味では過度な権利欲、独占欲に対する自業自得の結果ですが、技術やサービスが幅広く社会の利益にかなうことを阻害し、円滑で広く技術が進歩することを妨げている場合が多いのです。人間だけが持つこの特性を反省したいものです。 写真データ、写真資料は以下のサイトを参照下さい。 https://www.facebook.com/ElectricitySavingNo.1 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 思春期にモテたくてダイエットに挑戦したら、贅肉が落ちて自信がついた話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/12/21 思春期にモテたくてダイエットに挑戦したら、贅肉が落ちて自信がついた話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 小柄で運動神経抜群だった幼少期 今でも記憶に残っている幼稚園の時の運動会。 運動会の最後のプログラム"クラス対抗のリレー "で僕のクラスは5クラス中5位で、アンカーを勤める僕の手にバトンが渡ってきた。 そこから記憶が一部すっぽり抜けてしまってるのですが、この後、1位の旗を持っていたのはしっかり覚えている。 どうやら4人抜いてぶっちぎりの1位になったそうです。 この頃は小柄で細身の体型で運動神経抜群だったらしい。 リレーではアンカー、サッカーではFW、おにごっこでも捕まえられる子はいなかったそうです。 バレンタインデーでは毎年たくさんチョコをもらっていた覚えもあります。 そんな素晴らしい幼少期を過ごした僕は"飛行機になりたい "という夢を抱きながら小学校にフライトすることになる。 太って失った自信と明るさ 小学校に入学してから気づけばぶくぶく太っていた。 昔から野菜が嫌いな僕は肉 とお菓子 とジュース しか摂取しなかったからだと思う。 あれだけ運動神経抜群だった自分の身体が思うように動かなくなって、50m走もクラスの男子で最下位になり、女子にも抜かれてしまう。 マラソンも走れないし、サッカーもキーパーを率先してするようになった。 服もLLサイズしか着れなくなってしまった自分に自信を失っていた最中、追い打ちをかけてきたのは自分の身体でした。 パンパンに太った太ももは"股擦れ "を起こし、更に自分の体重を支えきれなくなった足にヒビが入り"疲労骨折 "を起こしてしまったのです。 自分に失望し、過去の栄光にすがることすらやめてしまい、運動が嫌いになってしまっていた。 それからは自分に自信を失ってしまい、休み時間も一人で絵を描いていたり、部活は文科系に所属、家ではゲームばかりしている、いわゆる"陰キャラ "と呼ばれる少年でした。 そこから何も変わる事なく、マンガ家になることを夢に小学校時代を終えました。 飛び出そうと試みた中学時代 変わらないと。 その気持ちだけはあった。 進学をキッカケに友達環境も変わる。このタイミングで動き出すしかない。 そう思った僕は"野球部 "に入部した。 僕が通っていた中学校は入学時に強制的に部活に入らなければいけなかった。 もちろん途中で退部もできるし、違う部に変更もできる。 けど、負けず嫌いの僕は"野球部 "で3年間頑張ろうと決めていた。 入部初日、体力テストで5kmのマラソンを走ることになった。 マラソンが嫌いで苦手な僕は1kmも達しない内に歩いてしまい、心も折れて、早くも初日で辞めようかと思っていた。 そんな部活も特に続けたい理由もなかったし、野球は見る方が好きでプレイするのは好きでもなかった。部員もどっちかと言えば嫌いで、それでも辞めずに続けていたのは負けず嫌いから生まれる"意地 "だけでした。 何かを変えたくて挑んだ僕の中学時代は、一切痩せることもなくレギュラーにもなれずに野球部の3年間だけで終わってしまった。 高校デビューを試みた高校時代 なにも変われなかった僕にとって最悪の中学時代から解放され、家から自転車で50分も離れている高校に進学した。 これだけ遠いと同じ中学校から進学する人は少ないと予想していました。 その予想はバッチリ的中し、同じ中学校からは全く話した事もない女の子3と男の子1人しかいなかった。 そう、僕は"高校デビュー "を試みたのです。 今までの最低の過去の記憶を断ち切り、第二の人生をスタートしようと挑んだ高校生活。 人見知りでネクラな性格のせいで中学時代も5人も友達がいなかった僕が、クラス分けが終わり、はじめて自分のクラスに入り、席に着いた途端に 『最初が肝心だ。』 そう思ったので前の席のイケてそうな男の子に声をかけたのです。 イケてる友達を作って乗っかればなんとかスタートダッシュできるだろうと思いながら。 僕 「はじめまして!」 友達 「あ、はじめまして。」 僕 「今日からよろしくな!」 友達 「あ、よろしく。」 僕 「何部に入るん?」 友達 「野球かな...。」 僕 「まじで!?一緒やん!仲良くしよーぜ!!!」 友達 「お、おう。」 翌日に気づいてしまったのです。 どうやらイケてそうに見えて仲良くなった彼も 高校デビュー でした。 当然"高校デビュー "の見せかけだけの2人でデビューは上手くいくはずもなく、スタートダッシュ失敗の共倒れに終わってしまいました。 どうにか立ち直そうと、思った3日目。部活紹介のオリエンテーションの日。 スタートダッシュに失敗した僕は野球部に期待を膨らませていました。 高校時代の野球と言えば青春そのもの。野球部ってだけで女の子にキャーキャー言われてモテること間違いなし! ここまでの人生、女の子と無縁だった思春期を遅ればせながら謳歌するチャンスだと思っていました。 オリエンテーションが終わり、家の机の上で僕は頭を抱えていました。 というのも、 野球部がなかったのです。 僕が進学した高校はサッカー部が昔から強くて、更にグラウンドが横長ということで野球部なんて存在もしていませんでした。 完全にリサーチ不足の自業自得により、僕の"汗と涙のモテモテ青春謳歌 "は儚く散ってしまった所から第二の人生がスタートしました。 つづく X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 年収3億円の美人女子大生メンターの教え | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/3/1 年収3億円の美人女子大生メンターの教え Facebook X (Twitter) リンクをコピー 今日も外回りの営業か… 行きたくないなぁ… 仕事してるふりしてどうやってサボろうかな。 いつか宝くじ当てて、早くこんな会社辞めるんだ。 毎日そんなことを考えていました。 朝早くに朝礼に出て、営業会議を終えると ホワイトボードにウソの訪問先を書いて 「行ってきまーす。」 車通りが少ない木陰に車を止めて、数時間 営業のノウハウ本や自己啓発本を読む。 努力しないでうまく行く方法がないか、 そんな魔法をいつも望んでいるダメ人間だった。 自分はできるやつだと信じていながらも、 なかなか行動が続かない。 本を読んでなんとなくモチベーションが上がって よし、仕事をするぞ!と思ってもその気持ちは一瞬だけ。 すぐにまたどうやってさぼろうかな? そんな毎日を繰り返していたある休日、 大学時代のOBが集まる機会があった。 青山のオシャレなレストランバーで、 久しぶりの面々。 懐かしい話と共に、お互いの仕事の話で盛り上がる。 先月の給料これだけなんだぜ? やってらんねーよな。 おまえんとこは休みが多くていいよなー オレも転職しようかなー。 そんなくだらない会話が飛び交う中、 ふと窓の方に目をやると、一人の可愛い女の子が ちょうどナンパされている瞬間だった。 こんな子とやれたらいいのにな… そんな下衆なことを考えていると、 声をかけていた男があっさりスルーされ、 彼女が一人になった。 これはチャンスかもしれない!と声をかけると、 以外にも彼女はニコニコと楽しそうに話してくれる。 日々のキャバクラ通いも無駄じゃなかったな、 自分の会話もなかなかイケてるんじゃないの? そんなことを思いながら彼女のことを観察すると キラキラした大きな目、モデルさんのような小さな顔に 男を惹きつけるスタイルに、すいこまれるような笑顔。 それだけじゃなくて、どことなく気品もある… どうも普通の人とは違うオーラがあるなぁ 彼女によく思われたくて、自分は将来 起業して大きな人間になりたいんだとミエを張った。 そんな彼女がふと私に向かってこう聞いてきた。 へー、すごいじゃん、 なんで今すぐしないの? いつするの? いつ、やりたいから、やるに変えるの? 何が原因で今はそうなってないの? うっ。 答えに詰まっていると、彼女は続ける。 どうしようもないね、あなた。 そんな風にウソついてばっかりで、毎日楽しい? ビクンとした。 身体中が熱くなってムカッとする気持ちと共に 自分に中にある本質に触れられた気がして、 心臓のドキドキが止まらなかった。 悔しかったから、思いっきり見栄を張って 自分はすごいんだということを見せたい。 だけど、どんな嘘をついても彼女には見透かされる。 そんな気がしてやめたんだ。 自分の弱さを見せるのはとても嫌だったけど、 思い切ってプライドを捨ててみた。 ウソつこうかと思ったけど正直に言います。 じつは、君の言うとおり。 本当は自分はどうしようもないやつで、 よくなりたいって思うんだけど、 どうしたらいいか分からないんだ。 君はなんだか他の人と違って見えるけど、 普段は何をしている人なの? 話を聞くと彼女は元々モデルをやりながら 銀座の高級クラブで働いていることが分かった。 クラブに来る大物たちとつながって その人たちからいろんな人生勉強をして、 ビジネスを立ち上げたり、投資を覚えて 22の若さで7~8億円の資産を作ったこと。 その資産を1円残らず貧しい国に寄付をしたこと。 (後日その証拠の新聞記事も見せてくれた) 彼女の話のすべてが自分とはケタが違う、 今までに出会ったことのない人種に、 あまりすごさに、圧倒された。 素直にこの子と関わりたい… 成功の秘訣を教えてもらって自分の人生を変えたい… そう思って思い切って切り出した。 自分がこれから何をすればいいか、 良かったらアドバイスをくれないかな? っていうか、で、弟子にしてくれませんか? 悔しいけど、年下に向かって敬語を使った。 「いいわよ」 あっさりすぎる答えに戸惑いながら何も言えずにいると、 彼女は続けてこう言った。 「じゃあ、とりあえず50万円ね」 は?金取るのかよ… 本でも、セミナーでもなく、商品を買うわけでもない。 ただの人にそれだけのお金を払ったことは、今まで一度もない。 答えに詰まっていると、 「はい、ざんねーーん」 と彼女は真顔で言いはなつ。 「あなたの今までの人生は、すべて今までの 選択の結果によって決められてるし、 決断がすべての人生の良し悪しを決めるている 。 でも、あなたはその判断力、決断力、両方を ここぞという時に使えなかった。 それがあなたの今の現実を つくっているんだと思わない? 普通なら、一度のがしたチャンスは 二度と戻ってこないわ。 だけど、あなた、自分の弱さと向き合ったから もう一度だけチャンスをあげる。 私に100万円払うことであなたに 成功のチャンスが巡ってきます。さあどうする?」 お、おい!!金額上がってるぞ! でも、迷ってる暇はないし… 「お願いします!」 「はい、合格ー」 彼女は子供っぽく笑いながら 50万円は本気の金額よ。 でもここで覚えておいてほしいのは、 ちょっと決断が遅れるだけですごいチャンスと 利益を逃すことがあるっていうこと。 今後も決断してもらうことがあるから しっかり覚悟してね。 成功しなきゃ50万円の無駄遣い。 だけど、これまでにキャバクラに払ってきた お金よりも何百倍も有意義なはずだ。 そう自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせた。 あとから聞いた話だが、大きな金額を払わせたことは、 それだけ自分に対してのコミットメントをすることになり、 行動する力が増すからだったのだそう。 その時は気づかなかったけど、今考えても あれ以上にリターンが大きかった投資はない。 その後も何十万円もするセミナーにも 教材を購入したりもしたけれど、彼女の授業ほど 本質をついていて結果が出るものはなかった。 彼女はさらに、弟子入りの条件として、 1: すべてを素直に受け入れ、すぐに実践すること。 2: 授業、行動のすべてを記録して、次の時代を担う人に伝えること。 3: すべての責任が自分にあると思うこと。 この3つを言い渡され、絶対に守ることを条件に 半年間の修行が始まった。 人生を変えたポイント ■すごいなと思う人に声をかける (師匠を見つける) ■決断の力を使うこと (決めて一歩を踏み出す) ■コミットするときに自分に 痛みがあるくらいのお金を払う (ただでもらえる情報はタダ以下の価値しかない) ■師匠を見つけたら、3つの教えを守ること 1: すべてを素直に受け入れ、すぐに実践する 2: 行動や学んだことを記録して、後輩に伝える 3: すべての責任が自分にあると思うこと レッスン1日目 心のブレーキを外す魔法 毎週火曜日の朝8:00 都内のある高級ホテルのラウンジ。 それが彼女と会う日程と場所になった。 休みの日の朝早く。 しかも、住んでいるのが水戸だから、 そのホテルまで行くのには6時の電車に乗る。 これだけでも、今までの人生から考えたら ありえないことだった。 都内屈指のホテルのラウンジには朝早くから ビジネスマンが行き交っている。 そこにいるだけで、なんだか高級な人間になったような そんな錯覚に陥った。 挨拶と雑談もそこそこに、 とつぜん彼女が切り出した。 行動したい時に、行動できない、 続かないことってあるじゃない? その原因ってなんだかわかる? モチベーションかしら? 本当にやりたいことが見つからないから? 行動して失敗するのが怖いから、かな… 彼女は私の答えを無視して次の質問をしてきた。 じゃあ、世の中のほとんどの人がお金持ちに なれなかったり、夢を叶えられないのは何が原因だと思う? … 人間関係とかパートナーシップが うまくいかない人も多いじゃない。 その原因はわかる? … 立て続けに質問されて、頭は真っ白。 じつは、今までの質問の答えの根本は、 多くの場合「あることが原因」になってるの。 それはね… … あ、その話の前に…と、 そこまで話して彼女は話題を変えた。 じゃあ、人生を変える大きな力って何だと思う? …これは覚えてるぞ! け、決断の力? はい、当たりー。 ほとんどの人間は、決断するには 材料が必要だと思ってるの。 お金さえあればできるのに、とか。 時間さえあればできるのに、とか。 人脈さえあればできるのに、とか。 自信があれば…とかね。 でもね、ほとんどの場合それは逆。 じつは決断が先なのよ。 決断をするからお金が集まる。 決断をするから時間を作るようになる。 決断をするから応援者が現れる。 そういうことなの。 例えば、あなたは私から成功するための ノウハウとか考え方を学ぼうって決断したよね? そしたら、何が起きた? 決断したから私と今ここにいるの。 もちろん、すべてが決断通りに行くとは限らない。 だけど、決断からすべてが始まっているのは確かよね? 東大を出ていたり、東大に入っている人は なんで東大に入れたの? 東大に入ろうってどこかで決断したからよね。 ディズニーランドに行った人は、どうして ディズニーランドに行けたのかしら? それはね、行くって決断したからに他ならないのよ。 あなたが今の会社で働いているのも、 どこかで、会社に入ろうって決断して選択したから。 じゃあ、成功して豊かになっている人は? どこかでそうなろうって、決断したから。 とっても単純でカンタンなことだけど、 これに気づいていない人が多すぎるの。 本当誰だって毎日毎日決断を繰り返しているのにね。 じゃあ、なんでお金持ちになろうって そういうことに関してはみんな なかなか決断できないんだと思う? お金持ちになる人ってどういう人が多いのかな? なんであなたは中途半端な人間なの? くそう。一言多いんだよ。 それが分かってりゃ今ごろこんなレッスン受けてないし。 わ、分からないデス・・ いいわ、じゃあ今日は初めてだし、 お互いの身の上話しでもしよっか。 あれ?質問の答えは? うちの思惑を無視して彼女は話し始めた。 私の家族は両親とお姉ちゃん。 私の両親は私が赤ちゃんの頃大きな交通事故に 巻き込まれて死んだみたい。 お姉ちゃんは実の子で、私は養子なの。 小さい頃から、私のことをもらってくれた両親は お姉ちゃん以上に私のことを可愛がってくれた。 もしかしたら、いつか私が本当の子供じゃないことを 気にするんじゃないかと気を遣ってくれたからかもね。 でも、一番すごかったのは両親はいつでも 私たちに向かって 「あなたたちには無限の可能性がある。どんな時でも できると信じて思いっきり行動しなさい。大丈夫だから」 って言い続けてくれたことかな。 本当にいくら感謝してもしきれないわ。 私は、今の両親にこれから先もずっと幸せで いて欲しいから、自分が心から幸せでいられるように たくさん努力してきたんだ。 こいけんは家族とは仲いい? そう聞かれて、久しぶりに家族のことを考えた。 そして、あまり人に話したことのない話をした。 じつは、母親とは中学の時から仲が悪いんだ。 最近はほとんど口をいないこともないし、 2年も実家には帰っていない。 反抗期という訳じゃないけど、深く話すことも まったくない関係だった。 小さい頃、悪いことをして怒られる時は いつも決まって母親だった。 おとんは7年前に亡くなってる。 けっこう固い仕事だったのに関わらず 自由人だし社交的で友達も多かった。 家の食卓でもいつふざけてくだらないダジャレばかり。 尊敬はしていたけどこれまたあまり深い話をしたことはなかった。 妹は、自分やおとんと違って外に出たがらない。 いつもテレビを見ていてどちらかというと内向的だ。 そんな妹を見ているとイライラする時もあった。 そんなことを伝えると、彼女は ふーん、幸せな家庭だね、と笑って言った。 幸せ? あんまり家族が一丸となっている状態を 経験したことがなかったから、そんな風には考えられなかった。 でも、それがどうかしたのさ? 早く、もっと成功するためのすごい 方法とかを教えて欲しいんだけど… 彼女はそんな私の思惑を無視してこう言った。 じゃあ、あなたに一つ課題を出します。 確かこいけん、もうすぐ誕生日だったよね? うん。 じゃあ、次に会う時までに誕生日があるから、 誕生日に自分の母親に直接会って、 「今までごめんなさい」と 「産んでくれてありがとう」を言ってきて。 は!? え!? なんだよその課題! そんなことよりも、早くお金持ちになる方法とか、 ビジネスを立ち上げるノウハウを勉強しにきてるんだぞ? ていうか、 おかんにそんなこと言えるわけないじゃん・・ そう言おうとしたけど、彼女への弟子入りのルール1 どんなことでも素直に受け入れて実践するっていうのを 思い出してぐっと我慢した。 はい、分かりました… じゃあ、次回は再来週の火曜日、またここで。 今日あなたにした質問に答えも考えておいてね。 必ず、なにがあっても実践すること。 そういって、彼女はごちそうさま、 と言って伝票を置いて去っていった。 こら、金払ってけよ… 第一の課題 親に今までの謝罪と生んでくれてありがとうを伝える そして行動 そうして、自分の誕生日を迎えた。 その日は朝から雨だった。 会社から一日休みをもらい、実家のある京都に来た。 久しぶりだ。大学で一人暮らしを始め、会社に入り、 そこでもずっと一人暮らし。 実家に帰るのは久しぶりだった。 昼過ぎ京都の駅についたが、家に向かうのは足が重く、 まずは腹ごしらえからだと自分に言い聞かせてカフェに入った。 … 今までごめんなさいと産んでくれてありがとうか… もう、言ったことにして帰っちゃおうかな。 こんなに仲が悪いのに、そんなこと言えるか? だいたい、そんなこと言わなくたって、 自分はどんなことでもするし、できる男なんだ。 そんな風に言い訳ばかりが頭に浮かぶ。 思い腰をあげて夕方前、ついに実家へ向かった。 懐かしい場所。 ここは元々は大好きだったおばあちゃんの家。 毎年新幹線でおばあちゃんの家に行くのが楽しみだった。 なのに、今はここに来るのがこんなに足が重いとは。 思い切ってチャイムを鳴らす。 出かけてていませんように… ここまで来てまだ決心がつかない。 がちゃっとドアが開いておかんが顔を出す。 あら、どうしたの? 今日は誕生日なのに、京都に仕事? そんなわけないじゃんと思いながら家にあがる。 普段あまり会っていないからか、 思ったよりも長く話すことができた。 仕事の調子はどう? 結婚するような相手はいるの? 自分は最近こんなことをしているとか。 おばあちゃんは施設に入ってるけどとりあえず元気だとか。 久しぶりにおかんとこんな話をした気がする。 でも、ふときづくと気まずい沈黙。 時計をみるともう19時だった。 20時過ぎの新幹線に乗らないと水戸には帰れない。 もう、いい加減言うしかない。 一生で一番勇気を振り絞った時だったかもしれない。 お、おかん、本当に今までごめん。 冷たくしたし、ひどいこともたくさん言って。 … … … う、産んでくれてありがとう。 … この家に生まれて本当に良かった。 おかんの子供で本当に良かったよ。 あ、ありがとう… なかなか言葉にならなかったけど、 言葉にするうちになぜだか涙が溢れてきた。 泣くつもりなんて全くなかったし、 適当に言うだけ言ってすぐに逃げようと思ってた。 だけど、いつのまにか、おかんも泣いてる… びっくりするくらい涙が出た。 でも、それと同時になんだか心が軽くなったんだ。 おかんも、しきりにありがとうと繰り返した。 結局、新幹線には間に合わず、夜行バスで帰った。 家の外に出ると、何時の間にか雨もあがって 綺麗な星が見えた。 それから先、世界の景色が明るくなったきがして、 すべてのことに感謝ができるようになったんだ。 もう、自分のやりたいことを我慢するのはやめよう。 自分が思った通りに、幸せになろう。 もっともっと自由になって豊かになって、 親に本当の恩返しをしよう。 純粋にそう思うことができた。 ここから、壮絶な修行と、 起業への長い道のりが始まったんです。 長いのでつづきはここに書いておきますね。 続きのお話 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- もう40年も前の、学生運動の話 第一回 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/5/23 もう40年も前の、学生運動の話 第一回 Facebook X (Twitter) リンクをコピー ちょうど40年前の5月31日 高校時代を遊び、浪人時代さえ遊んで入った大学で、入学から2か月を過ぎようとする頃にその騒動は起こった。 当時の僕と同級の仲間たちは、1回生からゼミに参加することができるという、ちょっと稀な経験をさせてくれる学科を選んだために、五月病とは無縁の生活を送っていた。(もちろん単位はつかないが) 4回生・神様、3回生・貴族、2回生・平民、1回生・奴隷。というのが学生の身分制度だとしたら、当時の僕たちがなぜかこの身分制度を飛び越し、神様ともタメぐちという「枠外」の身分を得ていたことも、この騒動を十二分に楽しめる要素になっていた。 (この身分飛び越しの理由も、騒動の中で明らかになった) ともかく「大学は楽しい」「上級生とも臆せず話せる」という、抑圧された高校時代とは比べ物にならない自由さの中で、その自由を阻害するものとしてその騒動は起こっていった。 真夜中に、工務店が襲撃? 5月31日の前日。朝から、上級生たちがなんとなくソワソワしていたのは感じていた。 上級生たちは教授連中の控室に何度も出入りし、学生がたまり場にしていた部屋で深刻な顔をして話し込んでいた。 と、中の一人が 「今日は、1回生もてきるだけ残っててくれへんか?」と。 お。なんか始まる? それ、面白い? と1回生の僕たちは事情もわからずワクワクしてしまっていた。 ところが、昼を過ぎ、夕方を過ぎ。でも、席をはずしている間に面白いことが終わってしまうのもイヤで、ダラダラとたまり場で過ごしていた。 なかなかコトが始まらないと、理由もわからず待機しているのには飽きてくる。バイトに行くやつ、とりあえず寝に帰るやつ等続出。そのうち日も暮れて来て、さすがにマズイと思った上級生が、それでも残っていた7、8名の1回生を連れて電話のある下宿に移動。 自宅人だった僕は先輩の下宿に興味津々で、かなりぎゅうぎゅう詰めの台所の隅で、冷蔵庫から勝手に出した魚肉ソーセージなどをかじっていた。 板の間で、お尻も痛くなって来た頃。すでに夜もかなり深けていたと思う。 「○○さん。電話!」「前にも言ったけど、夜中の電話はやめてもらうよ!」 と、大家さんの声。当時、携帯などというものは存在せず、固定電話でさえ大家さんの家の電話を使わせてもらえれば上等だった。 電話を受けた先輩が帰ってくると、 「大学に戻る! 工務店が襲撃してきている!」 えぇ~! 夜中に大学に戻る? しかも、工務店って何? 時計を見れば、夜中の0時過ぎ。そう。問題の5月31日が始まっていた。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 歯科衛生士求人はグッピーがお勧めの話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 歯科衛生士求人はグッピーがお勧めの話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私は20歳からずっと 歯科衛生士求人サイト【グッピー】 に登録したままなのだ。 いま41歳になり、20年間、グッピーを使い続けたことになる。 途中、ペコリ、サリダ、デルタルナビ、デンタルワーカー、ジョブメドレー、業者を使ったときもあるんだけど どれもあまり勤務期間続いてなくて 業者いれると時給がいいし、勤務時間も希望通りなんだけど、スタッフからあまりよく思われず。高待遇を妬まれて短期間で退職に追い込まれた。 自分で交渉できるなら自分で探してみつけて入るのが一番いい。 そもそも業者が間に入るところは 【給与がいい法人グループ】なので 【業者を頼らないと歯科衛生士が来ない】ってことでもあるわけ。 それってどこよりも【ブラック】だと思うんだよね 業者は 【紹介手数料】さえとれたらいいんだからね言い方悪いけど。 うまく【立ち回れる】なら 【法人グループ】の【業者いれる】 ペコリとか デンタルワーカーとかいいと思う 【大人数で立ち回れない】なら 業者通すと 結局自分が追い詰められるので気をつけて欲しい 20年間サイトを使い続けているせいもあって たぶんスカウトメール送る方も ずっと登録してあるなぁ、となるわけですよ 消したり、再度登録しても名前が 私は独特の本名なので、1度退職した職場からもみつけられてしまうのだけど。 なので辞め方は、本当に気をつけています。 グッピーにずっといるから 本当に、ブラックでやっと辞めた歯科医院からもまた 【スカウトメール】来ていると 吹いちゃうよね。 歯科って 自営業だから【院長先生の人柄】がめちゃくちゃ重要です 勤務するスタッフも大事だけど 【院長先生の人柄】でスタッフが集まるので ここ失敗すると だいたいとんでもない歯科医院です。 間違いない。 色んな歯科医院がありますが 見学や面接で 【なんか違和感、変な感じ。嫌な予感】したらだいたい当たっています あの時の【本能を信じよう】だよ 変だと思ったところに入ると、とりあえず辞めるのもたいへんです。 現場からは以上です! #歯科衛生士ことねぇ #館花琴音 #歯科衛生士の待遇改善を #歯科衛生士と繋がりたい #spoon配信者 #台本師 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 僅か半日程度で、捨てる神あれば拾う神ありを体験した話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/7/18 僅か半日程度で、捨てる神あれば拾う神ありを体験した話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 現在イタリアを周遊中で、昨日のお話。 たかだか6キロか程度移動するのに7000円弱取られた。タクシーに。イタリアのタクシーというのは、どうやら日本とちがって、時間制のようだ。 運転手が、行き先の特定に手間取れば、その分だけ乗客が金を支払う。 運転手が道を間違えて遠回りになっても、その分の支払いは乗客。人に道を聞いている間も、メーターは上がりつづける。 これら全てのコンボをくらった私はかなりの苛立ちから、ドライバーと大口論。 日本語と英語しか喋れない私と、イタリア語で同じような話を延々とまくし立てながらするドライバー。 この時は、本当に一生イタリア語を聞きたくないと思ったし、現地の言葉が解らない国には行かないと強く思った。 現地の人間との喧嘩では、当然外国人の私たちは不利だ。仕方なく、支払いをすませ、ホテルへ。 しかし、不運は続くものだ。 結果的に、チェックインの時間を逃して宿泊施設も泊まれずに金だけ支払いという(4000円)。 仕方なく、別の宿に急遽泊まりで7000円ぐらい支払った。なんか意味わからん英語の全く通じない不便な地区に約2万円かけて一泊しただけという結果。 この事態の元々の発端は、全部某有名ホテル予約サイトが、嘘の住所を記載したから。マジいらついた。 しかし、前日予約していた所のオーナーが神だった。翌日、とりあえず予約して泊まれなかった事情を説明しにいった。 すると、なんにも悪くないオーナーが、「昨日は本当にすまなかった。昨日の分の宿泊費は請求しない。何だったら、二日ほど無料で泊まっていけ。ご飯も用意しよう。」と言ってくれた。 勿論彼の言うことを完全に信じていいのかは解らないが、とりあえず、今日のところはよくしてもらっている。 チャリンコも貸してもらえた。フィレンツェは、石畳の街で、キャリーケースを持っている人には不便だ。歩くとしても、チャリンコよりは疲れる。 彼の言うことを信じていいかは解らないと言ったが、少なくとも宿泊した費用以上のものは請求して来ないだろう。 それなら損はない。明日も楽しみだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- あなたらしいWEBデザイン ~それぞれの大切な想いや夢を形作る WEBデザイナー ~ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/11/13 あなたらしいWEBデザイン ~それぞれの大切な想いや夢を形作る WEBデザイナー ~ Facebook X (Twitter) リンクをコピー あなたらしいWEBデザイン ~それぞれの大切な想いや夢を形作る WEBデザイナー ~ ごく普通の家庭で育ちました。 当時は自動販売機もコンビニもない 自然がたくさんの佐賀県唐津市の山。 祖父が営んでいたミカン畑。 父と母、祖父と祖母、僕と弟と妹。 両親は共働きで 小さい頃はよく 祖父に山の斜面の並んだミカン畑へ連れて行ってもらいました。 天気の良い日は 畑のなかで走り回ったり 遊んだり 実ったミカンをそのまま 食べたりしながら遊んでいました。 その場にあるもの 田舎道を通り過ぎる車なんてすぐに覚えてしまって、畑から家までの1キロの帰り道も3歳くらいのときには自分で分かっていました。 祖父が作業中。目をはなした隙に一人で家まで帰ってしまい、祖父や家族は僕が迷子になったのかと大騒ぎになってた(笑) そんな自由気ままな子供だったかもしれません。 父は毎日、福岡市内の会社で経理のサラリーマンとして働いていました。 この山の家から最寄り駅まで車で。 駅からは電車で2時間近くかけて。 朝も早くて、帰りも遅かったから夕飯を父と一緒に食べられるのは、週末くらいだったかな。母は保育園の保母さんで、両親二人は小さい頃から働いていました。 僕は気ままに遊んでいたから、両親、祖父母からは「いつも遊んでばかり」と思われていたかもですね。とくに祖母が一番の「教育ママ」みたいでした(笑) 家族のなかでは、決まり事や約束について規則正しく厳しいところもあった。 朝は早く起きるもの。真面目に働く。 それが普通の価値観として強く感じていました。 僕は夢中になると、時間を忘れて何かを作っていた子供。 たしかに、遊んでばかりに見えたかもしれないかな。 保育園へ行くようになり はじめて触った「油粘土」 テレビで見たトランスフォーマーのロボットを夢中で作ってた。 ただ形を作っているだけじゃなくって、変形可能にしたり、合体させるような仕組みにしたり、ロボットから飛行機モードとかって、とにかく姿が変わる世界が好きでした。 小学校にあがっても この自然に囲まれた小さな世界。 1クラスしかない。そんなのんびりと親密な環境。 当時、学校で「ミニ四駆」が流行っていて、もちろん僕も ハマりました。 同じ年頃の男の子なら懐かしく覚えているかもしれませんね。 スピードを上げるためにタイヤを替えたり、不要な部分を削って軽量化したり。色やシールでカッコよくデザインもしました。そしてコースを持っている友達のところへ行っては競争して遊んでいたり。ミニ四駆をしまうケースも、家にあったドリンクケースを改造して作ってました。 父はアウトドアもインドアも、なんでも楽しむ人。 宿題が終わっていないと とっても厳しかったけど、やり終えたあとに時々、プラモデルを買ってもらいました。 僕の目を惹いたのは「ガンダム」のプラモデル。 父は車の模型やプラモデルを作っていました。 作りかたを習ったし、父の作る姿を見ながら覚えました。 外した部品に残った突起を丁寧にヤスリで削ったり、とにかく父の作り方は精密で、車のプラモデルは内装までこだわっていた。機械や細かい造形への愛情なのか興味なのか、父は買ってきた目覚まし時計を分解して再度組み立てたりもしていました。さすがに僕はここまで細かくは出来ないと思っていました。 僕は買ってもらったガンダムのプラモデルの種類がいくつか揃ったので、頭部の角を取り替えてみたり、別の部品と交換したり、自分だけのオリジナルのものをいろいろ組み合わせて作っていました。 僕は常にインドア派だけど 父はアウトドアな遊びも楽しんでいました。 川や海で釣りをするにとどまらずパラグライダーにチャレンジしたり、仕事は真面目な経理でも外では思いっきり楽しむ感じです。家で作った大きな飛行機やラジコンで外で楽しんでいたし、自作のアマチュア無線も持っていた。 ハマると極める父。 僕からしたらその極め方がついていけないレベルですね。 仕事にしていたら すごかったんじゃないかと思います。 ただ父は厳しかったです。 生活にしても とくに勉強についても厳しかったから、僕はなんとなくいつも 父に認めてもらえないと感じていました。 中学校へ入学した直後くらいに父の通勤時間を考慮して県内の都市部へ越すことになりました。両親から引っ越しのことは知らされていなくて、僕が転校することは学校の担任の先生からはじめて聞かされました。 ビックリしますよね。 「ええっ!なんで???」な気持ちです。 笑い話ではなく 家族から説明がなかったことがショックだったけど、 比較的厳しい家庭環境だったので、それに従うしかない・・・ 小学校から一緒の仲良しの友達とも離れてしまいました。 転校先の中学校では みんな同じ小学校から上がってきたので 転校したばかりの僕には慣れるのに苦労しました。 佐賀県の地方には方言もいくつか種類があって、なんとなく自分の方言を隠したくて博多弁になろうとした。 振り返れば中学校の3年間、うまく学校の雰囲気にも溶け込めなかったし、自分と周りの友達との関係に希薄さが拭えないまま過ごしていました。学年が上がるにつれて、授業もサボっていたし、学校に行っても楽しくなかったです。 高校へ進学しても、そんな自分はあんまり変わらなくて 1年生の夏休みごろからは、もうすでに学校に行ったり行かなかったり。 出席日数もギリギリで、中間・期末テストだけ要領よくこなして、不良でもなく真面目な方だけど、ふわふわした登校拒否になっていました。 そのころ、家ではゲームに夢中だった。 自分でゲーム機を買って、そのとき人気だったRPGにのめり込んでいました。 ゲームのグラフィックデザインに感動したし、ゲーム音楽も好きでした。 そんな僕に両親も悩んだと思いますけど、当時の僕はあまり自分を理解してもらえているような気がしなくて反発もあったと思います。 中学から高校をそんな感じで過ごしたので 進学については大学受験をあきらめて コンピューターグラフィックスの専門学校へ進学。 ここでは興味のある分野に集中して学ぶことができました。 授業では色の組み合わせの知識や概論・パターン。 色彩検定を受けたり、色彩に関する心理についても勉強した。 課題に出されるものを「Photoshop」や「Illustrator」を使ってデザインをしたり、3Dソフトを使ってコンピューター上の人型を歩かせたり、動画を制作したりしました。 グラフィックデザインの世界が楽しかったし、音楽もパソコンで独自で作詞作曲をして遊んでいたのが懐かしいです。 学んでいくうちに、これでプロになりたいと思うようになりました。でも就職を叶えるためには、それ相応のコンピューターの設備が必要でした。周りで同じようにグラフィックデザインのプロを目指す生徒は、自宅でも必要な設備を持っていました。 僕にとっては ただ卒業しただけでは就職は難しく、当時の僕には高い壁に感じてその現実に挫折してしまいました。20歳くらいのとき、半ば投げやりな気持ちになって3年間のうち2年で専門学校を中退。 それから約10年、フリーターみたいな生活が始まりました。 中退後4年ほど、本屋さんでアルバイトをして帰ったらゲームをする。 気持ちの中では「何かをしたい」 でも何でもいいじゃ仕事に就く気になれなかったです。 何かは学んでおこうと通信制の大学に入って、経済や心理の勉強をしました。将来のことも考えたり、祖母のケアがしたくてホームヘルパーの資格も取りましたが、アルバイト生活は変わらず、モヤモヤしたまま時間が流れていきました。 本屋さんから、NHKの委託外交員の仕事。合間にバイクの免許を取ったりもして過ごしながら、いくつかのアルバイトを経験して、オフィスビルやテナント商業施設の清掃会社の正社員になりました。 このころ、本屋さんにいるころに出会った彼女と 子供を授かった時期に結婚。 仕事はやろうと思えば こんな僕でもなんとかなった。 そういう時期に自己啓発の本や個人ビジネスのセミナーなどに出かけ、社会人の視点から新しい価値観や世界に触れるようになりました。 それと同時に結婚してからは将来のことを考えるようになり、収入を上げていくためのきっかけになればとWEBデザインの技術や知識の勉強を始めました。 専門学校で勉強したこととはまた少し異なって、 ホームページやブログなどで使う「HTML」や「CSS」の基本や応用を学びました。 ※ HyperText Markup Language(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)、略記・略称。HTML(エイチティーエムエル)とは、ウェブ上の文書を記述するためのマークアップ言語 ※CSS(Cascading Style Sheets、カスケーディング・スタイル・シート)とは、ウェブページのスタイルを指定するための言語です。 ワープロソフトなどで作成される文書も含めて、文書のスタイルを指定する技術全般をスタイルシートといいます。HTMLやXHTMLなどで作成されるウェブページにスタイルを適用する場合には、スタイルシート言語の1つであるCSSが一般的に利用されています。 30歳になって、家庭の収入のためにもっと稼ごうと考え、法人用のチラシを制作する印刷会社に勤めました。そこで約4年間、法人クライアントさまの広告チラシを作る中で僕のデザインの知識や技術が活かされる環境に身を置くことができました。 見え方・文字のサイズといった細かい部分・インパクトのある魅せ方。 それを意識しながら「見やすい」「伝わる」そんな個人クライアントさま、起業さまのサービスの良さが伝わるものを手がけました。 気がついたら約5000枚のデザインをこなしていました。 この仕事をしながら、自己啓発や個人ビジネスのセミナーで出会った友人の中に、 「ブログ」で自分のお仕事や気持ちを発信し、個人で仕事をしている人たちと出会いました。 その人たちは、日々ブログに情報を発信し、そこに集まった読者さんやホームページからのお申し込みで自身のビジネスを展開している。 興味深く聞いたり接したりしていくうちに。 「僕のブログのヘッダーを作ってくれる?」 「私のブログをきれいにカスタマイズしてほしいな」 そんな要望が生まれました。 最初は手探りだったけど、いろいろやっていくうちに僕も自分のブログを立ち上げて、副業のような形で「ブログのデザイン」が始まりました。 僕にとっても楽しかったし、20代初めから10年以上かけて何かを探していた。 そういうものに人とのご縁から巡り合った。 小さなころ、プラモデルを手に好きなようにイメージしたものを描いたり、組み立てたり。 自分で好きなように好きなものを想像してデザインすることが、 誰かの役に立つことが嬉しかったです。 僕やお客さまが利用している「Amebaブログ」では、ある程度自由に誰でもカスタマイズできます。多少、調べれば興味がある人なら 自分でデザインすることも出来るけど、実際は色彩の感覚やチラシ制作で培ったような「伝える」視点については、なかなか分かりづらいものです。 僕が客観的に見て、もう少し整えられたら。 そう感じることもありますね。 ブログや個人のホームページが昔よりずっと身近なものになり、誰でも自分のWEBページをデザインできる状況になってきましたが、ただ綺麗にするのか、それともその上で「その人らしさを伝えるのか」そういった価値観も問われるようになってきたと思います。 僕の友人やお客様も、みなさん。 自分のブログを大切にしていらっしゃいます。 それぞれの気持ちや想いを込めて、記事を書いているのがよく分かります。 ブログのカスタマイズもご自身で一生懸命作ったのだから、思い入れや愛着があって当然ですね。 僕がブログを読む人、見る人の目線に立ってデザインしていくことは大切。 そして、その人の夢や想いも大切にしたい。 その人らしいブログやホームページなどを 大切に描くためには、決まり事にばかりに縛られた感覚ではなくて、僕とお客様の直感が土台でありたいと思ってきました。それぞれの想いや感情に触れながら、ありのままをデザインしていきたいです。 ブログやホームページなどは有名な人や起業のツールだけにとどまらず、すでに僕ら一個人が使いこなし、お仕事につなげていく時代が始まっています。 そこには、大切な夢を持っている人もたくさんいます。 叶えたい未来があって、日々、ブログで情報発信をしていらっしゃいますね。 そのWEB空間から、 あなたらしい想いや姿が 画面の向こうにいる方へ届くような そんなデザインを手がけて、夢の実現をサポートしています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 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- だれにも言えないから書くことにした | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 だれにも言えないから書くことにした Facebook X (Twitter) リンクをコピー はじめて既婚者を好きになった。 はじめて患者を好きになった。 はじめて忘れられない恋になった。 だめすぎる「はじめて」だらけの恋が、苦しくて、でも大事にしておきたくて、どうしようもない。 相手?ふつうのおっさんです。なんならちょっとハゲてます。 たぶん遊び人。チャラい。ときどき正論かましてうっとおしい。 でもかっこ悪くはない。背が高くて、がっちりしてて、手が大きくて、 そんで、優しい。 私にはないおおらかさと、明るさと 「辛い」って言わない強さが好きだった。 ありきたりな言葉でしか表現できないけど、 ありきたりで、ありがちな、分かりやすい「良さ」がある人。 どうやって生きてきてあなたになったのか、あなたがどこへゆくのか、知ることはできない。 近づくことは許されない。 全部が「だめ」な恋だから。 とにかく、病気しないで。元気でいて。 私のものでなくていいから、それだけはいつも願ってる。 30過ぎて、平成も終わるってのに、こんな不毛な恋してどうするんだろう。 でもほかの誰かと話すより、会うより、結婚するより、 いまはあなたを想ってひとりのほうがいい。 いつか振り向いてくれないかなぁってこっそり思ってることは、 ぜったいに誰にも言えない。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 水曜日の先生 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/3/4 水曜日の先生 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 日本国内の日本語教育機関では、毎日行われるクラスを2~3人の教師で担当するチームティーチングが行われることが多い。チームティーチングにおいては、月・水・金をA先生が、火・木をB先生がというように担当曜日と担当者を一学期間、固定して、クラスが運営される。これを学生は、曜日により異なる先生が来るというように認識している。 さて、これまでのクラス担当経験の中で学生が学期の終盤になっても、私の名前を覚えてくれず、 「「水曜日の先生」」 などと呼ばれてしまうということが結構あった。(もちろん、対面では単に「先生」と呼ばれる。学生と授業外で話す際に、私と同じクラスを担当する他の先生を区別する必要が出てきた場合にこのような発言が現れる。)私と同じような経験をしている日本語教師も結構いるようである。 私は、以前、この「水曜日の先生」という発言を 「「先生の名前も覚えないなんて、全くしょうがないなあ」」 とどちらかといえば、学生を非難するような気持ちを抱きつつ、一種の笑い話として語っていた。しかし、その後、この現象には、意外に複雑な背景があるのではないかと考えるようになった。 私を「水曜日の先生」と呼ぶ学生にとって、私は「古屋憲章」という固有の名前を持つ固有の存在ではなく、毎週「水曜日」に現れる「先生」という代替可能な存在である。ややおおげさに言うならば、彼/彼女らにとって、私は血の通った人間ではなく、クラスを構成する部品のようなモノであったのではないだろうか。 また、「水曜日の先生」という発言が出てくるようなクラスにおいては、教師だけではなく、クラスメイトに関しても、同じような現象が見られた。学期終盤においても、母語の異なるクラスメイトの名前を覚えていない。そのため、どうしても呼ばなければならない場合は、「一番前に座っている○○人」などとしか呼びようがない。(ちなみに母語を同じくするクラスメイトに関しては、授業外でも交流する機会が多いためか、このような現象はまれである。)これもやはり、クラスメイトを固有の名前を持つ固有の存在としてではなく、あの場所にいる○○から来た人として認識しているがゆえに現れる発言だったのではないか。 ところが、同じようにチームティーチングで行われるクラスであっても、活動型のような学生が自分の経験や考えを述べたり、私が自分の経験や考えを述べたりする機会が多いクラスにおいては、まず間違いなく「水曜日の先生」と呼ばれることはなく、 「「古屋先生」」 と呼ばれた。クラスメイトに関しても同様である。これは、人は、ことばによりお互いの経験や考えに触れることではじめて相手を固有の名前を持つ固有の存在として認識できるということを傍証している。 そのようなことがわかってから、私はどのようなクラスにおいても、(場合によっては、スケジュールを無視しても 笑)経験や考えを述べる機会をできるだけ設けるようになった。といっても、それほど大したことをするわけではない。何かのきっかけを捉え、 「「で、あなたはどんなことをしたの/どう思ったの」」 と問いかけたり、自身が何をし、何を考えてきたかを話したりするというだけのことである。しかし、これを心がけるだけで、少なくとも私は、学生たちが固有の名前を持つ固有の存在であることを実感できるし、私自身が固有の名前を持つ固有の存在であると実感できる。 私はどんなときも、代替可能な部品としてではなく、固有の名前を持つ人間として存在していたい。ともにいる人たちにも、固有の名前を持つ人間として、存在していて欲しい。ことばによりお互いの経験や考えに触れることのできない場所、すなわち、人間をモノのようにする場所にいるのは、まっぴらごめんである。だから、私は、今後もどこにいても、相手のことを問いかけ、自分のことを語るはずである。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

