空の検索で16165件の結果が見つかりました。
- 人生の醍醐味 256 アルゴリズム | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 人生の醍醐味 256 アルゴリズム Facebook X (Twitter) リンクをコピー 256 アルゴリズムには、不思議な力があるみたいだ。 ユーチューブで、数カ所で開かれたデイビッド エイガス博士(David Agus, MD) の講演会の録音を聴き、ホノルルにあるバーンズノーブル書店に走り、博士の書物を手に入れた。 拝聴した後で、 ゆっくり当人の書物を読むと、頭の中の内容残留量が多いように感じるからだ。 と不思議な事に、エイガス博士の数種類の起業の一つである、健康増進、維持プロジェクトとして、フォーシーズンホテル、ノブ調理師と、個人により適した診断手法を提唱しているエイガス博士の3者協力事業のお客として、何時の間にか私は参画、ラナイ島に飛び、フォーシーズンホテルの客に10日間おさまった。 エイガス博士の講演をユーチューブで聴いたり、エイガス博士の書籍を買った客に自動的に、フォーシーズンホテルのプログラムを知らせる仕組みが組み込まれているのかも知れない。 超現代風インフォメーション改革により、本人も気付かぬ間に、エイガス博士提唱のプロジェクトに参加している。 でも、動機はどうであれ、名前さえ知らなかったラナイ島を実際訪問、その島にフォーシーズンホテルがある事さえ、数日前まで知らなかった私が、結構くつろいで広々としたロビーの窓辺で読書中だ。 そうです。 エイガス博士の本です。医学博士の書かれた本だけに、小説を読むようなスピードではなく、 亀さんがのそのそ歩くスピードで読み進めています。 さすがお医者様、科学的根拠を提示しながら、大量の文献資料をもとに、 サプリメントやビタミンD等は、「特殊な人以外要らない。」と言う、意見のようだ。 空はどんより曇り、朝からしとしとと雨が降り続き、ホテルの庭の樹木や草花は、嬉しそうに笑っている。 今日は良い読書日になりそうだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ニートで恋愛依存症だった自分がゲームで出逢った人を好きになり経営者になった話し9 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/1/9 ニートで恋愛依存症だった自分がゲームで出逢った人を好きになり経営者になった話し9 Facebook X (Twitter) リンクをコピー デビューしてから5ヶ月 職場のスタッフとも仲良くなって恋愛相談したりされたりする位の友達が出来た。 順調に指名も伸ばし、お客様から力が大分強くなったねと嬉しい言葉をかけて貰えるようになった。 指名も順調に50名程に増えて来たころ、それは起こった。 オーナーは中国人で小さい子共がいたのだが、朝の10時〜0時までと過酷な労働時間ゆえにお爺さんお婆さんに面倒をみてもらっていたのだが、その2人が中国に帰る事になったと…。 誰が子共の面倒見るんですか? 私は恐る恐る聞いてみた。 オーナーは頭を抱えて、青木さんお願いが… 私は聞く前に休みなしで夜中までとか無理ですよ! とすぐに答えた。 オープンして半年しか経っていないこの店は、まだお客さんも少なくスタッフを無駄に増やせないと言う理由から、ほぼ私とオーナーの2人で毎日夜の部を担当していた。 家から徒歩5分ということもあり、私の休みの日でも容赦なく呼ばれて休みなしで14時間労働とか普通だった。 他のスタッフ達は指名が取れない事もあり、お客さんがまだ定着してないこの店では辞めていく人も多かった。 この上、オーナーまで休みがちになるとか、ハッキリ言ってさすがに無理だった。 「せめて、定休日を作って貰えれば」 「せめて夜10時までの営業に変えては?」 何とかアイディアを出してみたが、全て却下された。 ならどうするの? オーナーはため息をつきながら 「この店をフランチャイズのお店に売りに出します…。」 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ◆2019/10/02◆。。。思考① | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ◆2019/10/02◆。。。思考① Facebook X (Twitter) リンクをコピー X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 3.11のきおく | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/3/11 3.11のきおく Facebook X (Twitter) リンクをコピー わたしたちは忘れない 3月10日 私は東京にいた。打ち合わせを終え翌日帰宅することもできたが、最終に近い便で飛行機に乗り帰ったことを覚えている。 いつもと同じ朝が来た。 しかしなにか違う気配を感じる。 大きな揺れが長く、そして様々な思いが押し寄せる。 TVでは繰り返し放送局内の揺れ映像が流れる。 生放送でとにかくたくさんの情報を流そうという動きが見え始める。 何がおかしくなり、何がダメなのか、いま何が起こってるか。 画面が切り替わり大量の津波が押し寄せてくる。 それはあまりにも人間が小さく見えるほど生々しく すべての手を止めTV画面に祈りを込め始めた。 私たちは神だかなんだかわからないものに、時々祈りを込める。 そしてその時も、今も同じく祈りを込める。 世界中から日本へPRAY FOR JAPANが届く。 悲しみの別れすらわかちあおうとする人間の絆 その思いもその行為も事実もすべて忘れないでいようと思う。 いつか子供に話す時がきたら、しっかりと伝えたい。それが僕に出来るストーリーだとおもう。 震災がおきてすぐのTVでビートたけしさんが言っていたセリフが今も脳裏にある。 2万人が死んだ んじゃない。それじゃ1つだろ。 「1人が死んだ事件が2万件あった」 後になんかのインタビューで、新聞とかの見出しは2万人が死んだとか毎日死者数の報告ばかり。現地では妻が娘がと個々の話が流れている。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。 なんて言っていた。 そうなんだよな。人間なんだよ。 だからこそ考え方をもっと共有したいと思う。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 非常識、自信完全喪失、そして新しいチャレンジ発見。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/12/19 非常識、自信完全喪失、そして新しいチャレンジ発見。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「社会」の常識 二度目で戻ったアメリカ それも土地勘のあるところというのは ある意味かなりリラックスして生活を始められました。 もちろん、学校システムとか 義務になっている就学前の予防接種とか 正直わからないことだらけでしたが。 日本でも一般常識といわれるものを あまり持たない(必要とされない、あるいはやや違う一般常識の中で) 生活をしていた自覚はありましたが それこそ「無知」がスタート地点で当たり前 尋ねて電話をして調べて やっとこんなかんじ?という答をみつけて ということを繰り返す日々でした。 合衆国だから州の法律がそれぞれとは知っていたけど 結構 いろんな生活に近いところの情報が 州によって違うため ネットで調べたものをそのまま、というわけには なかなかいかないしね。 近くの学校に入りたい時は その学校に「公共料金の請求書」なんかを持って (その住所に住んでいる証明にね) 入れてください、って行くんですよ? そこで在学表みたいなのをかき込んで あれば出生証明書と 予防接種証明書(こちらは必須) それでおしまい。 スクールバスへどうやって乗せたらいいか分からなかったら お隣のひとが私とこどもを連れて バス停に行ってくれて スクールバスの運転手に 「この人達、隣に越してきたの。この子をこれから乗せてね」 それでお終い。。。。。 いや、合理的と言えばそうですけど・・・・ 非常識から始まると 世の中にはたくさんのルールがあるなぁと驚くモノです。 そしてひたすら自信喪失 そんなわけで 最初のうちはまたとても忙しく 絶対やっておいたほうがいいと言われたので 学校のボランティアもしていて 簡単な授業のお手伝いですけどね この地でライセンスを持たない私は 自尊心から逆に自分を医者とは呼べず たくさんの友達もネットワークもなく (今になるとわかるのですが 高校の同級生っていろんな世界にいるから 一度再会とかすると 凄いコネクションになりますよね) I am Nobody となり、自信もなくなり、 大体英語での意思疎通も簡単じゃない・・・・ 一時期は 子供達を無事に育てるのが自分の仕事と言い聞かせたり その割に 社会に入っていけない自分に苛ついて そうだ、せっかくだから趣味でも拡げてみよう と、まぁ、 ありがちな中年ママになっていきました。 1つ はっきり言っておきたいのですが 主婦(夫)業って世界を支えている根幹だと思っています。 問題なのは それを十分に評価するものがないこと 外で働いてくる男性(女性)には もちろん 家を守ってくれている 皆が気持ち良く暮らせるよう気を配ってくれている 彼女ら(彼ら)に感謝はあるでしょう それをいつも表現する人も アメリカには結構いますね (それも大事な事だと思うんですよ) ただ私自身の中には 他人を蹴落として得たキャリアを置き去りにしたという後ろめたさ 何度も書き換えたはずの人生設計が 結局どれもきちんと行えてこなかった中途半端さ 必要以上に社会から認められてしまう立場から なんの経験も知識も常識すらもない Nobodyになってしまった という恥ずかしさ そんなものがぐちゃぐちゃになり 「次の社会を作っていくこどもを育てている」ということが 見えなくなることがしばしばだったんですね。 お仕事でアメリカという方、奥様を大事にしてあげてくださいね 男性だからとか女性だからだとか 言うのではないですが ご家族と一緒に海外に、という女性の中には お仕事やキャリアを諦めてという人も少なくないと思います そこにきて さらに ビザのこと。 特に9.11以降 付帯者ビザ(J2とか、H2Bとか)には Social Security Number (SSN, 年金番号)が貰えなくなりました。 SSNがないということは 「あなたの居場所はここにはないんだよ」みたいなもの。 そうとは書かれていませんし ITINというこれの代わりになる番号も貰えます。 が、実際ITINはなんにも使えないと言って良いほどで ユタでは運転免許もとれません。 取れるのは「許可証Privilege」だけです。 そしてこれは身分証明にもならない。 I feel I am nobody なところへ Yeah, you Are Less than nobody. と言われてるみたいなものです。 ついでにいうと こんな細かい法律のこと 普通のひとは知りませんから 下手すると問い合わせの電話も SSNがないと話せないわ と門前払い これで「日本人として自信を持て」なんて 冗談でしょう?の世界です。 なので 今 駐在のかた これから駐在になる方 起業でアメリカに来る方 どうぞご家族のこういう気持ち すこし分かってあげてください。 これ、もしかしたら奥様が 「失礼しちゃうわ、今日も話もさせて貰えなかった」 と愚痴ってる、にしか聞こえないかもしれませんが 結構 これって深層心理に毒を撒くが如く じわじわ くるんです。 そこに差別なんかが加わっちゃうと もう最悪な経験になります。 私も何度も凹みまくったなぁ・・・・ やっと、「私が起業を目指した」時期に 少し話がずれましたが 戻ってきて最初の2年くらいで 生活には慣れていくのに どんどん辛くなる という とんでもない状態になっていきました。 セルフエスティーム(自己価値観)なんて マリアナ海溝、アリューシャン海溝より低いところにあったかも。 そのころ ダンナさんが 私をあるセミナーに誘ってくれました。 3時間ほどの無料セミナーは ロバート・キヨサキの写真つきの紫基調のポスター もちろん ロバートは来ませんよ?笑 ダンナさん、私が医学生になった頃に 金持ち父さん、貧乏父さんの本に いたく入れ込んだことなど知るよしもなく。 憧れた不動産投資家への道がある それも憧れた著者のつくった教育プログラムで! その時の私、E/S/B/IのEにもなってなかった訳ですが ナイナイ尽くしだったからこそでしょうね 15年以上を経て手許に来た「チャンス」を 使わないでどうする!と飛びつきました 非常識から始めた強さだけはあります もっと知らない世の中が知りたい それだけでした。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 新卒で証券会社に入社して1年間で100件以上の新規開拓を達成し、3億円の資金を導入した話(17) | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/4/17 新卒で証券会社に入社して1年間で100件以上の新規開拓を達成し、3億円の資金を導入した話(17) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 30万円の投資信託 社長や税理士の先生方によく、高崎の銀座通りのバーやラウンジに連れていかれた。 かなりさびれた商店街が高崎駅の近くにあって、そこに多くの夜の店があったのだ。 容姿が綺麗なお姉さんがたくさんいる店は苦手だったのだが、だんだんと僕も回数を重ねると慣れてきたのか、楽しくなってきた。 仲良くなった社長や税理士の先生と話が盛り上がり、朝まで飲み明かしたことも度々あった。 そんなある日、K先生の知り合いである税理士先生から電話があった。 F先生である。 F先生の事務所はなかなか大きい事務所だった。 むしろ、税理士事務所というより、経営コンサルタントの会社だ。 F先生の顧問先で、資産運用で相談があると言われたのだ。 僕は、資産運用の相談は久しぶりだなと思って、F先生に会いに行った。 F先生 「どうも。実は顧問先で、投資信託を所有している社長がいてね。ちょっとみてあげてほしいんだよね。投資の知識はさっぱりで。」 僕 「畏まりました。」 F先生 「これが、所有している投資信託の一覧だ。3つあってね。許可をもらってるから、中身を見て、それを顧問先の社長に解説してほしい。」 なんてことはない。 本業なので、どういう投資信託なのかは調べればすぐに分かる。 しかも、よく銀行員が勧めるようなありきたりの投資信託だった。 持っている金額も合計で30万円くらいだった。 30万円の投信。 証券会社の人間にとっては、どうでもよい金額だ。 100~1000万円以上の投資信託を取り扱うのが証券会社にとっては普通の世界。 普通の証券マンならば、30万円の投信の案件は、もしかしたら嫌な顔をするような金額かもしれない。 面倒くさがる先輩も多い。 けど、僕は違った。 自分の成績などどうでもよいのだ。 僕は税理士のために仕事をすると決めたのだ。 僕は、30万円の投信の解説をする仕事を快く引き受けた。 社長へ、投信の説明 社長 「初めまして、▼▼社の代表のRです。K先生から話は聞いてます。母が生前持っていた投信があってね、ずっとほったらかしにしてたの。ハガキは毎月届くんだけど、わかりづらくて。いったい何円持ってるのかもわかんないのよ。」 僕 「初めまして。K先生から紹介で来ました。○○証券の福元です。証券会社から来るハガキはわかりづらいですよね。持っている金額も保有している口数で記載されていて、1口の価格も変動するものだから、はがきに何円か書いていないんですよ。」 社長 「いったい何円分の投信を私は持っていることになるのかしら?」 僕 「本日の金額になると、3つの投信を全て合わして、約30万円ほどですね。」 たったそれだけ?という怪訝な顔を見せた。 口数でいうと、100万口とあり、結構な金額があると思っていたのだろう。 社長 「儲かってるのかしら?」 僕 「分配金はかなりたくさん出ていますね。ただ、元本の金額も考えると、多少損をしていますね。結構、この投信はリスクの高い商品なんですよ。」 社長 「知らなかったわ。このまま持っていたほうが良い?それとも売ったほうがいいのかしら?」 僕 「今お持ちの投信は、ASEAN等の新興国に投資する投信なんです。今後ASEANは成長する余地がまだまだあります。特に、インドはIT産業が盛んであり、人口も増加する国なので今後の経済成長も期待できます。もし、今現在急なお金がいるというものでないならば、そのまま保有しておいてもよいとは思います。他の投信を購入すれば手数料もかかってしまいますし。ただ、日本株等に比べると為替リスクもあるので、安全な資産としてお持ちするのがご希望ならば、売ってしまってもよいと思います。」 社長 「どうせ放ったらかしにしてたものだしね。ならば、そのままにしておこうかしらね。」 僕 「良いと思います。とても良い運用先であると思いますよ。お母様のこの投信への投資判断は間違ってないと思います。」 社長 「ありがとう。たった30万円ぽっちのお金のためにわざわざ来てくれて。」 僕 「お礼なんていいですよ。」 社長 「何かできることはないかしらね。おすすめの投信でもあれば、買おうかしら?」 僕 「ありがとうございます!その気持ちは大変うれしいです。ただ、本日はK先生から投信の説明をしてくれと言われたもので、こちらから金融商品をお伝えすることはできません。そして、なんとなくで私も金融商品を勧めてしまっては、社長を損をさせてしまった時に大変申し訳ないです。もし、社長が自ら資産運用をお考えいただいたならば、その時にご連絡いただければ幸いです。」 数十万円でも投信を勧めていたら、買ってくれていただろう。 けど、繰り返すが、僕は今、成績なんてどうだっていいのだ。 とにかく、変に商品を勧めるのは辞めておこうと考えたのだ。 後日、私はK先生から電話があった。 K先生 「やあ。先日は社長のところへいって投信の説明に行ってくれたんだね。ありがとう。めちゃ喜んでたよ。」 僕 「本当ですか?よかったです!」 素直に嬉しかった。 ずっと前のK先生の紹介でした失敗を、許してもらえた気分だった。 K先生 「そしてさ、社長がおまえのことを知り合いの人に話したみたいでさ。その知り合いがお前に会いたいっていうんだよ。」 僕 「本当ですか?」 K先生 「とても仲良い人らしくて、ぜひ会ってあげな。」 僕は、社長が紹介してくれる人と後日、3000万円以上の取引をすることになるのだが、この時は知る由もなかった。 続く X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第11章「イラスト活動、なぜかまたふりだしに戻る」 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/2/14 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第11章「イラスト活動、なぜかまたふりだしに戻る」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー その1「とりあえず経済的な基盤を整える」 コツコツと地道に努力してきて、それなりに 形になったかの様に思えた10年間。 才能の豊かさは欠けていたけれど それでも「頑張れば何とかなるかも」と、前向きに 思えた日々でした。 これから先は、今までの基盤を元に順当に 上に登っていけると、何の疑いもなく 思っていました。が、しかし。事態は相変わらず 思うようにはいかず、なぜかイラスト活動は 活動11年目にして「ふりだしに戻って」しまいました。 それはなぜかと言うと…。 話は2006年の春から始まります。 大きな仕事を頂いても、そこから次にはつながらず 更に営業に出向いても、全然仕事につながらず…。 その結果「イラストだけで、ご飯を食べて行くのは困難だ」 と察し、まずは経済的な基盤を整える為に 再びイラスト以外の仕事をすることにしました。 こうして見つけてきたのは、某アート系施設での 受付業務でした。ここは美術と関りが深い仕事 だったので、絵画や工芸品にずっと携われるし、 全国各地の最新アート情報も目にすることができる、 まさに勉強しながら働ける、理想の職場でした。 待遇は不安定なアルバイトの立場で、お給料も 安かったのですが、それでも定収入があるのは フリーランスとしては非常にありがたい事でした。 同時に、その施設に訪れる人々を見ていると 自然に「アートに興味がある人たちって、どういう方 なのかな」と言う事も、少しずつわかってきました。 例えば、絵が好きでアートに熟知している様な 人ばかりでは決してなく、日常生活からの気分転換として 絵を見たい人とか、斬新な感性に触れたい人とか、 はたまた単なる時間つぶしにとか、その理由は まさに千差万別でした。 そしてそこから、漠然と「アートはもしかしたら、 専門分野の人たちよりも、こうした一般の人の目に 触れる率の方が、高いんじゃないかな。 だとしたら、そういう人たちの心にとまるようなモノを、 描く事が大事なのかもしれない」と、そんな 『世の中の需要と、自分の作品との関係性』の様なものを、 この仕事を通じて掴めてきた気がしました。 その2「装画塾に通う、装丁を学ぶ」 この年の春、青山ブックセンターで開催されていた 装丁家S川さんのトークショー 「本の顔の作り方」を聞きに行き、改めて憧れの 装丁(この場合、主に本の表紙の事)の仕事が してみたいと、思いを新たにしました。 折しも、そのS川さんが「装画塾」と言う名で6回ほど 装丁についての専門講座を開催されたので 早速申し込み「装画塾1期生」となった私は、 他の12名のイラストレーターの方々と共に、 そこで色々な事を学びました。 この塾は、S川さんの温かい人柄のせいか、 かなり楽しい内容で、そのため私たちも心置きなく、 様々な疑問や質問を、ぶつける事が出来ました。 そして全ての講義が終了すると、今度はS川さんが 私たちの作品を実際に装丁してくださり、それを基に 「装画塾展」と言うグループ展を開催しました。 またこの頃は、色々な方に作品を見てもらうと 「オリジナリティの毒が出てきている」などの 評価を頂けたものの、そこから先 「どうしたらもっと『面白い絵』が描けるのか」と、 伸び悩んでいた時期でした。なのでこの装画塾は、 その答えを見つける、一つの突破口としても 大きな刺激を貰えました。 その3「下北沢でルポを描く。これが次のサイクルのきっかけになる」 この年の夏、パレットでお世話になった イラストレーターの森本美由紀先生が 「下北沢で刊行されているフリーペーパーが あるんだけど。この冊子をより一層充実させるには、 もっとイラストを多用するといいと思うのよね」と、 ボランティアで作品を描いてくれる人を探していました。 ちょうどこの頃、時々イラスト付きの日記を書いたり、 学生時代にこの界隈でバイトをしていて、土地勘が あった事などから、私も「よかったら描いてみては?」と、 声をかけて頂きました。 この時の心境を正直に言うと、その冊子に作品を 描くよりも、森本先生と一緒に活動できる事の方が嬉しくて、 二つ返事で承諾し、こうして始まったのが冊子 『シモキタ スタイル』での活動でした。 結論から言うと、この活動は約1年間続きました。 当時先生の声掛けで集まったのは、イラストレーターとして 既に仕事をしていた人や、これから活動を始めたいと 言う人まで、キャリアも絵柄も実に様々な6名の人達でした。 でも総じて、お洒落でかわいい子が多かったのが 印象的でした。 先生の描くジャンルが「ファッションイラスト」と言う領域だった せいもあり、先生に憧れる人はお洒落な子が多いのだなと、 改めて思いました。(イラスト界は同じ絵の世界でも、 ファッション系や絵本系、ルポ系など描くジャンルによって、 割と作家のタイプが明確に異なる気がします。特に ファッションイラストの領域は『お洒落な人は、お洒落な絵を描く』 と言う、格言をそのまま体現した人が多い気がします) みんながそれぞれの持ち味を生かして、色々な内容の 作品を自由に描かせてもらえましたが、その中で 私が担当したのは街歩きのルポでした。 毎回カフェとか、古着屋さんとか、おもちゃとか、 テーマを決めては、自分の足で歩いて見つけた 素敵なお店を紹介していました。 なのでこの頃は週1~2日ペースで、ずっと 下北沢に入り浸っていました。 でも活動自体は楽しかったけれど、ここでの私を取り巻く 環境は、イラストレーターになったばかりの頃に 通っていた、編集プロダクションと酷似していました。 アットホームな感じの編集部や、スタッフが少人数で 構成されている点。打ち解けやすくて楽しいけれど、 その内に原稿を描くだけではなく、冊子の配布とか、 色々とイラスト以外の作業も「ボランティアの内だから」と 頼まれるようになってきた事など…。 今思うとその程度のお手伝いは、進んでしても 構わないものでしたが、この時は 「どうしてふりだしに戻っているんだろう、私?」と、 すごいジレンマを抱えてしまいました。 だって自分は10年頑張ってきて、色々なスクールに 通って勉強もして、そして大きなお仕事も頂いて 「さぁ、これからもっと上に行くぞ!」と信じて 意気込んでいたはずだったからです。 なのにどうしてまたイラストレーターになった頃と 同じような状況になって、新人の人たちと同じように 扱われているのか。 考えれば考えるほど「なんで?」と思わずに いられませんでした。もしかしたら、少し自分にも 奢りがあったのかもしれませんが。 けれど後から振り返ってみると、この時の私は 今までとは全然違う、新しいジャンルの作品を 発表する直前の状態でした。 当の本人ですら、この下北沢での活動がこの先 どんな芽を出し、どれだけ自分に力を与えるのかを、 全く予期していませんでした。 だからある意味『スタートラインに戻った』と感じたのも 決して間違った感覚ではなかったのですが、当時は やはり先が見えず不安でした。 その4「シモキタ スタイル展」 冊子『シモキタ スタイル』は、ボランティアの お仕事だったので、原稿料が無料なのはもちろん、 交通費や、記事のための飲食費など、経費類も全て 自分持ちでした。 その事を気に留めて下さったのか、冊子の編集長さんが 「お礼に」と、当時その方が下北沢に所有していた ギャラリーを、無料でみんなに貸してくれました。 こうして2007年1月に開催されたのが 「第1回シモキタ スタイル展」でした。この時、私は 絵具で下北沢の人々や、情景を描いた作品を4点作成しました。 作品についての評価は、可もなく不可もなくと言う 感じでしたが、今まではずっと原宿界隈で展示を していたので、場所が変わると客層や雰囲気も 微妙に変わるものだなと、そんな事を新鮮に感じていました。 その5「だけどスランプな日々」 シモキタ スタイル展の開催と同時期に、 バレエ教室の体験ルポの仕事を行いました。 きっかけは当時使っていたSNSで、ルポが描ける イラストレーターを探していると言う記事を 目にした事でした。 「今やSNSからも、仕事が取れる時代なのか」と 当時はその事が妙に新鮮でした。そして実際に 教室に行って、バレエのレッスンを受けて描いた この作業は、なかなか楽しかったです。 「ルポは自分の性に合ってるかも」と思えた仕事でした。 11年目は、外交的にはこうした色々な種類の 活動をこなした1年でしたが、逆に自分自身の方向性は 上手くつかめずにいました。 大きなポスターの仕事をしたけれど、その方面から 新たな仕事依頼が来るでもなく、装画塾に通ったけれど 実際に装丁の仕事を取れたわけでもない。 ルポは性に合っているけれど、それがやりたい分野なのか まだ良く分からないし、下北沢の活動に至っては、 ふりだしに戻ってしまった感じがする…。 自分の軸が定まらず、ぶれまくっていました。 更に自分が「これだ」と言う道を、見極められずにいる内に、 周囲の友人たちは着々と大きな賞を取ったり、次々と 装丁のお仕事をこなしたり、と確実にレベルアップして 先に進んで行きました。 なのに私は描きたい方面に進めない。 ものすごく焦るけど、どう進んでいいか、 考えれば考えるほど、わからない。 悩んだ挙句、全ての事が八方塞がりになり、 とうとう何も頭に浮かばず、ついに描けない状態に なりました。そしてこの先3か月ほど、筆を置くことになります。 どんな事にも負けない心意気で、仕事を始めたのに…。 何も描くことが思いつかないなんて、初めての出来事でした。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 神さまありがとう第3回 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/9/30 神さまありがとう第3回 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 学校では激しいいじめが、家では鬼のように怖い母が待ち構えている、たったひとりの心の支えであった金おばさんは病気で"奪われる"といったいくつもの苦しみに翻弄され、少しずつ心と体がオーバーヒートを起こしていきました。 わたしは小学校高学年を迎える頃から、ストーカーを行うようになりました。ちょっとでもやさしくされると、そのやさしさがうれしいと感じるのと同時に、相手への強い執着心がわき起こり、視線が相手からはずせなくなるのです。丸一日じーっと見つめられた相手は、当然ながらわたしをうす気味悪がって、そばへ近づかなくなりました。 金おばさんが亡くなってまもなく、いっときおさまっていた両親のけんかは再燃しました。しかも以前よりもさらにパワーアップして。 子供の前でも露骨にののしりあい、殴り合いを繰り返すようになりました。夜中になると「殺してやる!」という父の怒鳴り声と、部屋中をどたばたと駆け回る足音が夜通し聞こえてくる・・・。 かわいそうなのは小さい妹です。毎晩隣の部屋でしくしくなきながら、じっと耐えていたようです。 わたしは情緒不安定がひどくなっていたので、妹を守ってやる力は残っていませんでした。 やがて中学生になると、頭の中に「死にたい」という思いと妄想が網羅するようになり、さらに体にも異変がおきていました。 体内から"体液"が流れ出てきて止まらなくなったのです。服をびしょびしょにするほどにほとんど一日中流れていました。それでついたあだなは「しょんべんたらし」。 そうして、すれ違う人たちがまるで汚いものを見るように遠めで見て過ぎてゆく・・・。通り過ぎる際に「こいつきちがいだよね」と話しているのも聞こえました。 小学校時代から、学校から「お嬢さんを専門家(精神科)に相談したほうがいいですよ」と何回も打診があったにもかかわらず、父が出した答えは”みっともない”という言葉と無視でした。 父が特別アクドイ人だと思いますか? 現在、全国に何万人いるかわからない”ひきこもり””不登校”児童に対して、お父さん、お母さん、思い当たることありませんか? もしも親が子供の将来よりも世間体を大事にするようになったら、そこまでは思わないにしても、子供のことは親の責任、自分たちで解決しなければと強い”思い込み”にこだわっているなら、その子供たちは、ずっと暗闇でたった一人で声のない、けっして届くことのないSOSを出し続けるのかも・・・。 わたしは自力で暗闇から這い上がるしかなかったのです。もう誰も助けてはくれないのだと理解していました。 でも自力で這い上がる余力があるうちは、神様はまだ動いてくれません。 徹底的に自分が無力であること、人はけっして頼りにならないことを知る必要がありました。 わたしは小さい頃から子煩悩だった父が大好きでした。母よりも父になついていました。それがまた母には気に入らなかったのですね。 体への暴力は言葉の暴力へ変わっていきました。 高校に入る頃父は不動産業を始めていました。それがうまく軌道に乗り始めたおかげで、わたしたちは少しずつ裕福になっていきました。 そうしてまもなく、父に愛人ができ、さらに子供ができ、それが夫婦の険悪な関係に油を注ぐ形になりました。 わたしは年齢を重ねるごとに大人の事情が見えるようになると、父や母に対して反抗的になっていきました。 父や母をののしり罵倒することもありました。父も母も大嫌い、自分を受け入れてくれない両親を許すことができず、”殺してやりたい”と思ったこともあります。 でも心のどこかでは、両親がわたしを見捨てるはずもないという甘えもあったと思います。 そうして神様と出会うことになります。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- お金の話から遠いようだが、 実は一緒の話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 お金の話から遠いようだが、 実は一緒の話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 子離れ、親離れが 出来ていない人間が 多過ぎる。 又、世話好きな人間は、依存体質だとも思う。 親が子の世話をするのは当たり前だが、 その裏にある心の姿勢が、 依存体質の「世話好きな人間」と同じなのだ。 それは、親は子供に あれもしてやろう これもしてやろうと 大きなお世話的 な行動に出やすいし、 「親がしてやらないでどうする? 誰も助けてくれない。」 と思い込んでいる のが親。 しかし、その親の「してやる」の裏には 「親の思った通りの結果と感謝の態度を示せ 」という 自我(エゴ)が無意識に働いている。 もちろん顕在化していないので 親心だと勘違いしている。 そこに「依存」まで 仲良くくっ付いているなんて 誰が想像できようか。 結局、 自分の行為を感謝して欲しいし、 自分を慕って欲しいし、 自分を特別視して欲しいし、 自分を自慢して欲しいし、 自分を退屈させないで欲しいし、 自分を落胆させないで欲しいし、 自分に礼儀も示して欲しいし、 「自分」のことばかり 無意識の層ではちゃんと考えている。 その本音を無視しているから 「いつか自分を満足させてくれるに違いない」と パターン化した思考が 結果的には親あるいは子供から 離れる事が出来ないように これも又パターン化して繰り返す。 自分の産んだ子供であっても 一個人として扱う事が出来ずに、 いつまでも自分の所有物として 好きに扱おうとするから 支障が生じる。と、いう事実を 見ようとしないのが依存体質の癖の悪いところという訳だ。 お金に関しても全く同じであって、 給料を払ってくれている会社や オーナーに対しての思考も同じだから 現状を維持してしまい、 愚痴を言いながら変化しない 収入と仕事を維持したまま時間だけが過ぎる。 これもパターン化してしまって 現状に変化をもたらせるなどできなくなる。 だって、現状に依存しているからだ。 きっとそのうち・・・と魔法のような出来事だけを祈って 変化させる努力はしたくないと 頭の何処かで思い込んでいるから。 変化させようとする始めのエネルギーを使う事に 恐怖感がつきまとって勇気が出せないのが事実。 その「思い込み」を頑なに守ったところで 何のメリットがあるのか? 現状を変えていこうという努力をせずに 「これだけ頑張ってしんどい仕事をこなした!」 という子供におせっかいを焼いている親同様に 本音の部分を変える努力無しに 自分の満足を満たしてくれないのかと 履き違えるから愚痴しかでてこず、 収入も仕事も満足のいく結果が出ないのだ。 その「依存体質」である自分自身の正体を まず見極める事が「鍵」。 「あわよくば」など 甘い考えでは決して納得のいく結果など出ない。 我が子であっても 手を貸すなら、 本人が自分で考え、 自分で行動できるような 本当に相手の事を思うこと。 収入や仕事も愚痴が出るようなら スポンサーに依存するのではなく、 お金やビジネスを本気で勉強する。 自分自身を思いやること。 誰かを悪者にしたところで 誰も幸せにはなれないということだ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 亜美乃さん あみちゃの♡happybirthday♡8月14日 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 亜美乃さん あみちゃの♡happybirthday♡8月14日 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 日付け変わる前に ツイキャス配信の【くだるくん凸上がり】して コロナワクチン2回目微熱を披露。 【はやく寝ろよ】的なイケボを貰って落とされたあと(オチにされた微熱) HAKUNAのアプリで 【亜美乃Birthday配信】をしており 一番乗りでコラボにあがり 【お誕生日おめでとう】を言えました! Storysの記事の感謝を直接、あみちゃからもらい、【ことねぇ大好き】という、なんというか......顔が赤面して動悸で死にそうで、きゃー!!!って叫びつつのコラボでした。恥ずかしい。でも 神推しセブンと話すことが夢なので 全員は、難しいとおもうけど 話してないのは ★こうにい ★はち壇様 ★ひかねぇ ★鈴蘭様 となりました。 こうにいさんと鈴蘭様は、コラボするの難しいかな.......粘ってみますが。 はち壇様はTwitterスペースのコラボ ひかねぇは .......茨城県水戸までいけば直接話せそうなので 生きてるうちに【夢】を 叶えようと思います! 憧れのSpoon配信者さんと 【1分でいい話すこと】が 本当に幸せでした!! また明日から頑張ります! Spoon、夢の叶う場所。 #Spoon #配信者 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 社会人大学院黎明期 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/6/12 社会人大学院黎明期 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 欧米では古くから職業人教育の重要性が意識されており、また個人の方でも一定の職業経験をした後により高度な実践的な専門教育を受ける為に仕事を辞めて大学・大学院に戻ることが多々あった。 比べて日本では職場でのOJT(オンザ・ジョブ・トレーニング)が主流。 大学院は理系の人間か、研究職を目指す人が行く特殊な世界。 折角苦労して入った会社を辞めることは、年功序列が評価基準である会社社会ではマイナスでしかなかった。 唯一例外的に行われていたのが銀行などの金融機関、商社などの大企業による将来の幹部養成の一環としての海外ビジネススクールへの派遣。 殊に1980年代になって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言う本が世界的にベストセラーになった様に多くの輸出型の日本企業の成功するに至り、ビジネススクール上位校は競って日本人を受け入れた。 1990年代になると日本でも「有職者の専門教育」の必要性が主に教育界の中から湧き上がってきた。 しかし上述の様な日本企業社会の特性を考えると、職歴を中断する様なものは受けいられるのが難しく、自ずと平日夜間と週末を利用したカリキュラムにならざるを得なかった。 国立大学で一番最初に夜間大学院を設立したのは筑波大学。 しかし、その時の教授陣の顔ぶれを見ると東京工業大学のメンバーが中心であったことが分かる。 1989年に開設されたが一期生、二期生は「野心」に燃えた受験生を教授陣が集めてきたとの噂。 私自身は三期生として入学したのだが、ソニー、キャノン、日本航空、JR東日本、(当時の)安田生命、チェイスマンハッタン銀行、博報堂等の有名企業のみならず、研究所勤務の人達も多かった。 倍率10倍近くだったので正直受からないよな、と思っていたものの何故か一回で合格。 後から考えると受かった理由がわかる様な気がした。 この社会人大学院は、「経営学」「数理科学」「計算機科学」の融合を目指しており、文系と理系の双方の理解ができる人を求めていた。 また修士号、「経営学修士」または「経営システム科学修士」のどちらから生徒が選べる、を取得するのに修士論文を書き審査に合格する必要性があった。 半年位を費やして関係論文を読み漁り、過去の周辺業績をまとめ、その頃勤めていた市況産業に属する会社の経営に資する為に統計的なモデルを構築したいとの「研究計画書」は教師陣の「ツボ」ドンピシャリで、かつ修士論文にたどり着くに十分な理解と準備が出来ていると判断されたのだと思う。 2年間の修士課程は短い。実質、1年半もないだろう。 その意味で入学してから修士論文の課題やそのアプローチを検討しだすのでは到底間に合わない。 皆んな真面目な人達だったが、それでも就業しながらだったので、出席出来なかった講義をキャッチアップする為や、宿題をする為に大学院で徹夜する輩もいた。 今ある多くの大学院と絶対的に違うのが実業を重んじる一方で圧倒的にアカデミアを極める必要性があったという点。 日本最初と言うのは凄いことで、当時の教師陣はそうそうたる顔ぶれで、その後、他の大学で社会人向け大学院ができた際には、そちらで学部長や専攻長を務められた方が沢山いた。 反対に苦労も多く、経営学でハーバード大学院の様に「ケースメソッド」と言う」実際の企業の事例を分析しようにも日本企業のケースがほとんど無かったので、日経ビジネスや新聞の切り抜きを教授が集めてきて資料を作成、それに課題を付けて事前配布。授業時間にその内容についてクラス討議。 その後に教授が、分析のフレームワークを説明するという具合だった。 あと特徴は少数精鋭。 2年になるとゼミを組成するが教師一人に生徒は平均して2ー3人。 大変濃厚な指導を受けられる。 ちなみ同じゼミに参加したのは私を入れて3人。 私以外はその後、他学(東大と学習院)の博士課程に進み、二人とも大学、大学院の教授になっている。 この教える方の人材の輩出も本学の特徴。 次いで翌年には私学で初めて青山学院大学で夜間を主とする社会人大学院が設立され、その後は春の山のタケノコの様に次々と多くの大学院が同様のプログラムを開設。 入学時の望みとは違って、入学者は卒業してMBAを取得したら昇進、転職に有利だろうと思うのですが、ほとんど影響がないという事実を、2年間に亘った貴重な時間を過ごしたという自己満足ですり変えているのが事実かも知れません。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 10月13日の出来事です。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/10/13 10月13日の出来事です。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 10月13日の出来事と取引です。 こんばんは 取引の仕方間違っていました。 今は豪ドル円飲みの取引にしています。 今まで 2013年11月から2014年10月13日まで マイナスが-65000円ありました。 エクセルでグラフを作りましたら 複数の通貨取引の時はマイナスが1万の単位で マイナスになっていました。2通貨~3でもマイナスが-3000円~4000円でした。 初めはドルのみで 損切りしないで 1ロットでの取引でプラスが 1000円でした。 取引の回数増やして マイナスがかさみました。 損切りも損切りビンボーで回数を数回切っていたら マイナスが多くなりました。 利益がでなくなりました。 後はチャートの見方が良くわかっていませんでした。 豪ドルだけで チャートの日足・4時間・1時間・5分で今日から取引始めたら かなりいい具合で 勝ち越しています。 あれだけ 豪ドルの落ちましたから 運良く利益が出ていると思われます。しかし チャート見ると すごく動くタイミングが 分かります。 勉強して あるサイトのブログみて参考にしています。 その人は 2008年頃に約200万の損をFXでなくしているらしくて、FXが好きで 少ない金額からのスタートしたみたいです。 あれだけ損を出せば かなり怖いらしいです。2008年から 3万円での取引 1000通貨で 1ロットからの取引でした。 何百円~数千円の利益を出していました。時にはマイナス1万円のポジションを持っていました。損切りできずに 上がるまでまっていて 1週間後にはマイナスポジも減っていました。今では100万もっとあるかな 残高が 少ない金額で ルールを守り取引しているみたいです。ここまで戻すとはすごいですね 今日は 豪ドルだけで1500円の利益です。 そして先週分の NZがありまして買いでしたが マイナス400円まで 下落しましたが、何とか損切りしないで、241円で決済しました。後はドル円の下窓でS/L組んでいましたので直ぐに切られました。マイナス-326円です。 今のところはプラス1415円で取引中です。欲を持たずに ある程度行きましたら 決算しています。9勝1敗です。 ポジが 3ロットあります。 今は94円に入りましたが、このあともどうなるか分からないし 様子見します。 今日は上がって欲しいです。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一 般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

