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- STORYS 人生物語 |あなたの物語、聴かせてください。
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。全ての物語がノンフィクション。 人生が動く、 物語がある。 人生キュレーションプログラム、STORYS.JP ビリギャルは、塾の先生がSTORYS.JPに投稿した教え子のストーリーでした 🎙️物語を語る 🎧物語を聴く 読むSTORYS 【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」 初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ 「お腹の子は、無脳児でした。」~葛藤と感動に包まれた5日間の記録~ 「大事な話があるから、電話に出られるようにしておいてね。」と、妻のはなちゃんからLINEが入った。昼休み。丁度、店内でチキンクリスプの包み紙... つづきを読む→ 強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は... つづきを読む→ 急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編) 暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ もっと読む→ 聴くSTORYS あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった大切なこと。 「充実感のない仕事だけはしたらあかんで。それだけは、金じゃ絶対に買えん。」 聴いた人のコメント 「本当にやりたいことに踏み出す一 歩を踏み出せました。」 Go Go Go 教室で起きた"人生の本質" 「皆が合ってると思ってる事でも、間違ってることがある」 聴いた人のコメント 「周りに合わせない生き方を知り、気持ちが楽になりました。」 Go Go Go 色盲だからこそ分かった。こと 「周りの評価なんかどうでもいいから、自分が幸せになれる道を選びたかった。」 聴いた人のコメント 「自分らしく生きていく勇気をもらいました。」 Go Go Go STORYS.JPには、 10代から80代、学生、サラリーマン、 主婦、科学者、女優、経営者、ホスト、 お笑い芸人、映画監督など、 あらゆる人の人生の物語が 寄せられています。 みんな、この世界で、 何を想い、何をして生きているのか。 STORYS.JPを読めば、 あなたの世界が広がります。 何が正しくて、何が間違っているかなんて、きっと死ぬときに「いい人生だったな」と思えたら、それは正しかったんだと思います。 30代 会社員 この記事を読んで大きな勇気をいただきました。愛と感謝をこめて。 20代 起業家 他人事じゃない内容で、とても勉強になります。書いて下さってありがとうございます。 20代 学生 短いストーリーの中に、人生を豊かに生きるヒントがぎゅっと詰まっていてとってもよいお話でした。 40代 主婦 STORYS PODCAST 新エピソード Go Go Go 現代人は「心の居場所」を求めている。 SNSでは見つけられない 「本物の共感」を。 私たちは、人生の物語を通じて、 その解決を目指しています。 人々が安心して悩みを語り、 誰かの経験から希望を見出し、 心からの共感で支え合える。 そんな場所ができたら、 きっと誰もが、もう一歩前に進める。 そして、誰かの一歩が、 また誰かの勇気になる。 やがてそれは、 この社会に確かな変化をもたらすはず。 新しい時代の、新しい居場所づくり。 その物語を、共に紡いでいきませんか。 STORYS.JPの物語→ 一緒に、そんな世界を作りませんか? BE A STORYS TELLER! STORYSの想いや取り組みに 共感してくれる方を、 STORYS TELLERと呼んでいます。 ご登録くださった方には、あなたの人生のヒントになるような物語を毎週お届けします。 STORYS TELLER限定のささやかなギフトもご用意しています。 個人の方はこちら 法人の方はこちら あなたも あなたの物語を 話してみませんか? 🎙️物語を語る
- 会いたい・・story38 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 会いたい・・story38 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 6月5日 今日は全く眠れない 夜中の1時に眠りにつき、朝4時に目が覚めてしまった 理由は何となくわかる・・・ mが恋しいからだ 何だか昨日からとてもmが恋しい 会いたくて、会いたくて仕方がない 久しぶりに胸がとても苦しいし鼓動が速い 以前の苦しさとは違う 今回の苦しさは永遠に続く苦しさ、孤独感・・をものすごく感じるみたいな・・感じだ mが死んでしまった事を私の身体と心は受け入れようとしているのだろうか 2度と戻ってこない 2度と話せないし、会うことはない・・2度と・・・ それを私の違う部分で受け入れ始めているなだろうか 私の身体に空洞ができ、そこに重りをずっしり詰め込まれているような何とも言えない不快感 かなり不快だ 怒りも同時にやってくる どうしようもなくイライラと悲しさが入り混じって苦しい これは突然の死を体験したモノに起こる感情なのだろうか どうやって日々をやり過ごしていけばいいかわからない 悲しい気持ちが強い訳でも、イライラが強い訳でもない ただただ・・・不快感だ でもやはりmを求めている私がいる事は間違いない 毎日会いたくて恋しい mに会いたい・・ 以前の苦しさ、今回襲われている不快感 どの感情もとてもつらい・・ 生きていることは本当に本当に残酷で苦しい X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ナルシスト恋くんに困っています。@プロローグ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ナルシスト恋くんに困っています。@プロローグ Facebook X (Twitter) リンクをコピー プロローグ 自分でもどうだかわからないけど、多分、世界中の7割の人間は自分が魅力的に感じる「ナルシスト」だと、私は思う。何人いるかなんてわからないけど。 私が今まさにお付き合いしている恋人は、そう、世間一般でいうナルシストである。 ……けど、他のナルシストと違うところ。それは過度に自分を愛しすぎているところである。きっといろんなナルシストの人たちに会ったことがないからこれが普通だと思ってるけど…普通の人はみんな口を合わせてこういうだろう。尋常じゃないと。 別に偏見とかではないんです、一切ね。確かに最初のうちは「ウゼェ」なんて心の底でボソッと呟いてた。けど今は面白すぎて逆にこのネタをみんなに共有してもらいたいな、なんて思った。こんな面白い人と付き合いたいなとか思ってみてもらいたい。なんて思ったり。 …あ、ちなみにいうと、私もナルシストなんです。自分かわいいって思うし、自分大好きだし。けど、そうなれたのは逆に彼のおかげなのかもなぁ。なんて日々思います。 ただ、自分の22年間の人生で、こんなに自分を好きになれて、誰かを愛したのは初めてだった。中途半端な恋愛に身を委ねて流され溺れてそして最後には撃沈。中学も高校もそんな恋愛だった。まぁ年配の方からしたらきっとお遊びな恋愛と思われてしまうんだろう。 だけどその人その人に個性や魅力があるわけで年齢とか性別とかそんなもん関係なしに一人一人を私は心の底から愛していたんだ。 …でも相手はみんな子供で、お付き合いの先まで、…未来を考えてはくれず、結局重たすぎる愛のせいで破局。そりゃそうだ。中学高校で付き合った人間が将来の伴侶になる可能性なんて限りなく少ない。そんなことすら当時の私、そして今の私は知らないのだ。 そんな恋愛ばかりしていた私は「もう2度と本気で人を愛さないようにしよう」そう心に誓った。 …けど彼は違った。 こんな重たい愛も真に受け止め、愛してくれた。 ここからは、私と恋くん(こうくん)がどう出会って恋に落ちたか。その他諸々。まぁいろいろありすぎて、きっと書ききれないし、記憶もほとんど薄れてしまうくらい出会った頃のことを忘れてるけど、記憶をたどって最後まで書こうと思う。 まずは最初に、私が彼と出会う前の最悪な記憶と、最悪な人生を送って変化してしまったところからスタートしよう …こうやって文を書いてる時にいつも「あぁ、なんで日記とか書いておかなかったのかなぁ」なんて思う。最近はご飯でもなんでも写真に撮って残しておくのにね。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 「ある7月の晴れたさわやかな日のできごと。」⑥ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/12/9 「ある7月の晴れたさわやかな日のできごと。」⑥ Facebook X (Twitter) リンクをコピー さゆりはズボンと上着を脱いで洗濯機に突っ込むとベランダに向かった。 たとえお父さんの服と一緒に下着を洗われてもさゆりは気にしなかった。 周囲の友達はそういうのを気にする年頃であるのに対し、「家族だし、お父さんの血が体に流れている身だし、別にいいじゃん。」がさゆりの意見だった。 ベランダでタオルを取ろうとした時、バタバタと廊下を走る音が聞こえた。 その音はこちらへ近づいてくる。 「お姉ちゃーん、飲み物あったっけ?」 疲れたような眠いような声で彼女は尋ねてくる。 「んーあるんじゃない。朝、お母さんが麦茶作ってたし。」 「そっか。あっ ただいま。」 そういうとまたバタバタと音を立て台所へと消えていった。 「そうだ、下着も用意しないと。」 さゆりはタオルを手に取り、廊下を出ると少し、大きめの声で彼女に話しかける。 「あのさ、詩織、麦茶飲んで二階に行くなら、私の部屋からいつもの着替え持ってきてくれない。シャワー浴びるのよ」 「いいよ。後で持っていく。」 一拍遅れて返事が返ってきた。 おそらく麦茶を飲んでいたのだろう。 了解の返事を聞くとさゆりは浴室に走った。 「あー暑い暑い。」 裸になり、すぐさまシャワーの蛇口をひねる。 全身を冷たい水が駆け抜けていく。 先ほどまで身にまとっていた汗という名の水分とは天と地の差だ。 これが同じ水分とは思えない。 ガチャ。 浴室のドアが開く音が聞こえる。 「ここに置いておくね」 詩織の声が聞こえた。 【⑦に続く】 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 子連れでオーストラリアに留学してみた~習い事編~ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/9/28 子連れでオーストラリアに留学してみた~習い事編~ Facebook X (Twitter) リンクをコピー 習い事、日本を発つ前からやろうと決めていた。 まず私。私は主に体を動かす系。 大学のジムには、よく、図書室での自習の合間に通った。 おもに受けたのがピラティスとヨガの講座。ちょうどお昼頃の時間に開講されていたので、午後の自習(子供たちのお迎えまで)もすっきりした状態で身が入るようになった。 それから公園で開かれていた運動講座。こちらは事前に予約し、2か所行ってみた。 1か所目は 「ブートキャンプ」。 当時現地ではやっていた「The biggest loser」という番組があり、コーチの指導で運動しながらどれだけ痩せられるかを競うものがあった。そのコーチのひとりが鬼軍曹で「コマンドー」と呼ばれていた。そのコマンドーさながらのコーチによる1時間みっちりの運動プログラムがなんと無料 で毎週開催されていた。肥満を減らそう!を目的にしてるのだと思うが、そういうところに自ら足を運ぶ人たちは私を含めて痩せている人が多い気がする(私はあまり太れない体質、、)。そして自分に厳しい人たちが多い気がする(私は自分にも他人にも厳しい性格、、職業柄しかたないのか、、と)。そのコマンドーもどきのコーチにパーソナルトレーナーをお願いしているらしいむきむきマダムたちに混ざり、ヒョロヒョロ学生のわたしも公園内のアスレチックフィールドを走り回った。このあたりから走ることが好きになり、帰国後は地方マラソン大会で10Kmに出場するのが恒例行事となった。依然の自分からは考えられない成長だ。 次に上の子。彼女はYAMAHAのピアノ教室に通っていたので、どうにかそれを続けさせたいと思い、ネットで調べておいた。少し進度を戻す形になったが、車で40分の場所に開講されている講座を発見。渡豪すぐに習い始めた。レベルは日本よりは低いかな、、と思ったが、英語になれるにはよい環境だった。先生もマレーシア出身の方で日本のアニメの話とかしてくれてすぐになじんだ。発表会(YAMAHAは地区でまとまって合同でやる)にも参加できたし、グレードテストも1度受けた。開講講座の場所や時間の変更で1年間しか続けられなかったが、毎週通った思い出の場所になった。(ピアノは買えなかったので2万円で小さなキーボードを購入して練習していました)。 二人一緒の習い事は結構やった。まずサッカー。「シールポニー」というチームに入った。コーチは中学校の体育の先生などがボランティアでやっていて、二人をかわいがってくれた(ような気がする)。オールイヤーではなく、年に2季ほど開催されていた。それで残りの2季にはバスケットボールをやらせてみた。こちらは「オージーフープス」というチーム。ボランティアでコーチをしてくれているお兄さんお姉さんがたと一緒に楽しんでやってくれた。日本のスポーツ少年団ほど縛りも厳しさもなく、気楽に楽しめるのがよかった。 それからテニス。夏休み中の集中講座に行ってみたら結構楽しかったので、続けることになった。こちらは車で40分ほどかかるテニスクラブ「エリートテニスクラブ」。インド系オーストラリア人のコーチが面倒を見てくれた。帰国後もテニスを続けているが、メルボルンのテニスができる環境がいかに素晴らしかったかを痛感する。街中のあちこちにテニスコートがあり、大学にもあり、暇があればよく行っていた。もちろん全豪オープン観戦にも行った。私はテニスをやらないが、いつかやりたい思わせてくれた。 おまけで「サーカス」にも挑戦してみた。夏休み中に2,3日通ってあとは続けられなかった(場所と時間の問題があった)が、面白そうだった。 小学校でも習い事をあっせん?してくれる。昼休み中に習うことができる。で、上の子はヒップホップダンスを習ってみた。1学期間でやめてしまったが、発表会にも一度出た。ヒップホップは授業でも取り入れられていて、朝の集会や学期末の集会で披露したりしていた。さすがラリアだね、、と思った。 いつでも3人で過ごしていた私たちにとって、学校以外の人たちにふれることは必要不可欠だった。習い事を通してたくさんの人たちに出会えた。そして私たちの世界を広げてくれた。 出会いに感謝。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。4話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/8/3 もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。4話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー チヨは一刻も早くここから逃げ出さなければならなかった。 軍人の家族という事が知れたら、命の保証はないと思ったのである。また、生活を共にしてきた仲間の家でも、次々と男手を失っていた。残された女達は集まり、一致団結して大連に向かう事を決意する。 チヨは避難し始める前に、何度もグループのリーダー格から「子供は置いてゆけ」と言われた。自分が助かるかもわからない逃避行に子供を連れてゆく自信のない母親は知り合いの中国人の家に子供を預けた。が、チヨは親しくしていた母親同士で話し合い、共に助け合いながら親子一緒に皆で日本に帰ろうと決意を固めた。 チヨ達のグループはまず満州の首都であった新京(長春)を目指した。徒歩で、である。この混乱の時に満州鉄道が機能していたかは定かではないが、走っている汽車のほとんどはソ連軍や中国人たちに襲撃されたため避難民は乗車する事ができなかった。また、線路づたいに行けば最短距離で長春に行けたかもしれないが、線路沿いには常にソ連兵や中国人たちが日本人を狙っていた。よって彼らは仕方なく山や茂みに入り道なき道を子供を連れまたは身重の体で歩き続けた。実はこの時チヨは妊娠をしていた。そして、寅清はチヨが三人目を宿している事を知らずに捕虜になってしまった。チヨのお腹がだんだん膨らんでいくとともに、チヨと子供達は少しずつグループの後方を歩いて行くようになっていた。 ある日、少し前を歩いていた一人の妊婦が列から離れ茂みに入っていった。産気づいたのだろうと、チヨは思った。本来なら、仲間の誰かが手助けするところだが、自分も含め、子供の手を引きやっとの思いで歩いているので、気にはなっても誰も彼女の元へ行くものはなかった。しばらくすると悲痛な様子で茂みから出来て、やっとの思いで列について歩いてくる。どうやら出産したようだが、彼女は赤ん坊を抱いていなかった。赤ん坊が死産だったのか、生まれてそのまま放置してきてしまったのか、誰も彼女に問うものはいなかった。 チヨはいつか自分も道端の茂みに隠れて出産をしなければならない時が来るかもしれない、と思うとお腹の子を不憫に思った。もしかしたら、その事で自分も赤ん坊も命を落とす危険もある。そうすれば、この二人の子供はどうなってしまうのか・・・。 いっそ冷たい川の水に腰まで浸かってしまおうかと考えた。 チヨ 「『そうやって、堕胎した妊婦も少なくない。夫は三人目の子は知らないわけだし・・・。でも、この子が日本で授かっていれば何の迷いも無く生まれてくる命。私の一存で子供達を満州に連れてきてしまったのだ。子供に罪はない・・・。』」 そう何度も考えてはやめ、考えてはといううちにチヨのお腹は日に日に大きくなっていった。 周囲ではいつの間にか子供の数が少なくなっていた。満足に食べるものもなく、歩き続けて病気になってしまう子がいたり、日に日に困難を増していく避難生活の中で子供を手放す母親も多かった。預けた先の中国人が親切であるならともかく、中国人の間で日本人の子供の売買が始まっていて、預かった子供を売り飛ばす者もいた。また、避難中の混乱の中で親子が離れ離れになってしまい人買いに捕まってしまう子供もいた。日本人の子は賢いので高く売れるという噂で人攫いまで出た。そして売られた子供達のほとんどが労働者として使われ過酷な人生を歩んでいくことになり、後に生き残った者たちが中国残留孤児として肉親探しや自分の出生について悩むことになるのである。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 子どもがいたら旅ができなくなるという思い込みが友人の一言で吹っ飛んだ話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 子どもがいたら旅ができなくなるという思い込みが友人の一言で吹っ飛んだ話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 旅に出ます。 家族4人で。 小学生の娘と園児の息子、オージーの夫と私の4人で。 夫と結婚した10年以上前から、旅に出ようと話していました。 二人で訪れた国も、グアテマラやメキシコ、アメリカに香港、中国、タイにバヌアツ・・・と、 思いつくままに書いても、出てくる出てくる。 お互いが、もともとアドベンチャーなバックパッカーで、 自分の思う人生を思うままに生きたいと思う二人でしたが、 見据える未来があまりに同じで、 一緒にいる=結婚するのが自然な流れでした。 教員をしていた私は、自分の受け持つ子ども達が十二分に可愛くて、 我が子を欲しいとは思いませんでした。 いや、それより、学校で子どもたちに会っている分、 家では、のんびりしたい。 なにより、子どもを授かったら、旅ができなくなると 勝手に思い込んでいました。 ところが、ある女性と出会ってから、 夫も私も考え方が一変しました。 それは、あるオーストラリア人女性との出会い。 彼女には、当時2歳の目がくりくりっとした金髪でカーリーな女の子がいました。 つい最近、引っ越して来て、私の住む町に来たばかり。 それまでは家族3人でアメリカ大陸横断キャンピングカーの旅を されていたそう。 アメリカ横断キャンピングカーの旅! さらに話し続けていると、 彼女は、整体師として自らクリニックで働く傍ら、 大学院に通い更なる知識と技術を得る努力をし、 家庭では、当時2歳の女の子のママ。 更には、旦那さんは、うつ病で仕事もままならず、 家計は彼女が支えていたのです。 そんな彼女は、いつも笑顔で感謝の人。 私たち夫婦の世界1周の夢の旅を、子どもを授かるまでにしたいんだよねと、話していると、 「夫婦で旅に行くの?いいね。子どもがいても、変わらず旅に行けるよ。 ちょっとした工夫は必要になってくるけどね」 と、彼女はさらっと言ってのけるのです。 でも、彼女の話を聞いていると、 子どもができたらできなくなることがいっぱいと、 自分が自分で勝手に枠の中に閉じ込めていたことに気づきました。 子どもがいても、何でもできる。 要は、やるかやらないか。 行動するか、行動しないか。 挑戦するか、挑戦しないか。 それから、しばらくして娘を妊娠、 後に息子を身ごもり、 息子のおむつが取れるころに旅に出発できたらいいねと 話し続け、 それが、来年2019年になります。 そんなこんなで、旅に出ます。 家族4人で。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 【私の思い出たち】〔第六話〕 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/1/5 【私の思い出たち】〔第六話〕 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 説得工作 私は昔,相当なヘヴィースモーカーだった。多い時は,日に50本以上喫うこともあったぐらいだ。パイプもくゆらせていたし,紙巻き機を使って自分でタバコを巻いてもいた。葉巻も楽しんでいた。禁煙しようと努力したこともあったが,いつも失敗していた。もう一生,禁煙はできないと思い込んでいた。 15年前の1月4日のことだった。当時指導していた吹奏楽部の6年生11名が,練習を終えても帰宅せず真面目な顔をして職員室にやってきた。横1列に並び,私の顔をまっすぐに見ていた。おもむろに部長がこう言った。 「先生,お願いがあります。いますぐ,たばこを止めてください!私たち全員で話し合ったんです。先生の体が心配です。」 私は有難かったが,できるわけはないと思った。だから, 「ありがとう。でも,無理だと思うよ。」 と言った。すると今度は副部長が, 「もうすぐ私たちは卒業です。だから余計に心配なんです」 と大きな声で言った。 その迫力に気圧されて,私は 「わ,分かった。じゃあ,今晩から止め…」 と言いかけた。するとすかさず部長が, 「だめです。今すぐ,私たちの見ている前で,止めて下さい!」 と,必死な形相で,私の顔をにらみつけながら言ったのだ。 私は言葉を失った。こんなに大事に思ってくれるのか。嬉しかった。私は喫っていたタバコをもみ消して, 「分かりました。もう喫いません。ありがとうございます。」 と言った。 それ以来,今日に至るまで,タバコは喫っていない。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 第24話❀人生9割は『捨てる』ことで開運(*´◡`*) | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/1/2 第24話❀人生9割は『捨てる』ことで開運(*´◡`*) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 9割捨て開運、なないろ生活への考え方「シンプルな格言」をトップページに 「捨てる」に関して考えていくと 結局「シンプル イズ ベスト」に行きつき 善い言葉に出愛うが 心得て実践しようと思っても 頭の中で管理できるほど頭の中が優秀なわけではなく 結局「書いておく」しか 残す方法がないので トップページに書き溜めることにしました。 1. どこにもない普通 http://blogs.yahoo.co.jp/sbsbisbsbi/55255033.html 2. 奇を衒うことはしない http://blogs.yahoo.co.jp/sbsbisbsbi/55296907.html 3. より少なく、しかしより良く http://blogs.yahoo.co.jp/sbsbisbsbi/55355106.html 4. 「難しいことをたくさんするより、基本を徹底すること」 http://blogs.yahoo.co.jp/sbsbisbsbi/55358671.html 5. ∞ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 震災が私にもたらした能力《第3話》ーそれぞれの震災ー | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/7/18 震災が私にもたらした能力《第3話》ーそれぞれの震災ー Facebook X (Twitter) リンクをコピー それぞれの震災 震災から2週間程経った頃、高速道路が復旧されて実家に帰れることになった。 近所の大型ドラッグストアに行き、買えるだけのものを買い込んだ。 誰もが買い控えしている中で、たくさんの食料品やら日用品をカートに入れるのはとても勇気がいった。 私 「これはうちの分じゃないんです。被災地に持っていくために買っているんです。」 心の中で言い訳しながらカートに品物を押し込み、支払いを済ませてそそくさと店を出た。 家にはたくさんの見舞い品が届いていた。 東京でも流通の関係で食料などが手に入りにくくなっているというニュースをみて、全国の友人から食料や甥っ子たちに持っていって欲しいとお下がりの洋服などが送られて来た。 中には、家中の懐中電灯と電池、それから自分の実家と知り合いの家の物までかき集めて持って来てくれた人もいた。 それらを後部座席に詰め込み、トランクにはダルマストーブと帰りの分のガソリンを載せていた。事故にでもあったら一瞬でドッカーンだけれど、そんなことはまったく気にならなかった。 電気も水道もガスもないような所に子供たちを連れて行くわけにも行かず、実家へは一人で向かった。 東北へ向かう高速道路は、前も後ろも自衛隊の車とボランティアを載せたバスがほとんどだった。 なるべくガソリンが減らないように、エアコンも音楽もすべて消して無言で実家へ向かった。 何も知らせないまま実家に行ったので到着した私を見て、父も母もとても驚いた様子だった。 私 「支援物資のお届けに上がりましたよ〜♪」 わざとおどけて言ってみた。母の顔がぱっと明るくなった。父の顔も 「どうしようもねえ娘だ・・・」 と思いながらも、喜んでいるように見えた。 姉と甥っ子たちは、義兄の会社の社長の好意で埼玉の寮に身を寄せていた。 それは義兄の希望でもあった。酷い状態になってしまった故郷の姿を子供たちの記憶に刻ませたくはなかったのである。 実家は、電気と電話、水道がとまっている以外はなにも変わりがなかった。 私が到着すると、母はしゃべり倒した。 心の中に溜まっていた物を吐き出すかのように、ずっとずっとしゃべり続けていた。 それは親戚の家に行っても同じだった。 みんなずっとずっとしゃべっていて、私はそれをただ黙って聞いていた。 みんな話したいんだな、と思った。 自分たちがどんな目にあったかを。 何が起こって、今、どうなっているのかを。 親戚の家に行く道すがら通った海岸沿いは、ほとんどすべての家が流され、車がなんとか通れるようにがれきが脇に寄せられていた。 ちょっとでも運転を誤れば、タイヤがすぐにパンクしてしまうような状態だった。 ガソリン不足で、どこに行くにもみんな自転車か徒歩。どこに行くのか小学生ぐらいの女の子たちも歩いていたので車に乗せ、途中まで送ることにした。 私 「大丈夫だった?」 と聞くと、一人は 女の子 「家が流されました・・・」 もう一人は 女の子2 「家が燃えました・・・」 と答えた。情けないことに私は 私 「そっか・・・」 としか言えなかった。 同じ思いをしていない者が、この年でこんな思いをしている子供たちになにかを言えるとは思えなかった。 祖母の家で夜を過ごすという母を送っていく途中で、ガレキの残る冷たい川に入っている小学生たちの姿を見かけた。 何をしているのかと思ったら、白い息を吐きながらみんなで紅白の横断幕を洗っていた。 きっとこれから入学してくる1年生を迎え入れる準備をしていたのだろう。 火災の被害が一番激しかったこの地域で、一体何人の新一年生が入学することになるのか。その懸命な姿に胸が痛んだ。 祖母の家に行くと、祖父がいつものように座っていた。 もう耳がほとんど聞こえないので、ひと言ふた言声をかけて、あとは座ってまた母の話を延々と聞いていた。 山奥に住む祖父は沿岸部で何が起きたのか、実際にはみていない。 震災から2カ月ほど経った、5月5日。私の誕生日。 祖母のお葬式が執り行われた。遺体も見つからない、ガソリン不足で火葬することも、棺に入れてあげることも出来ない人が多い中で、そのすべてをしてあげられたことはとてもラッキーだった。 この時、ようやく祖父は津波と火災で壊滅状態になった街を見た。 若かりし頃、元気に自分の育てた野菜を売り歩いた町は、もうそこにはなかった。 ショックを受けた祖父は、家に帰ってからげえげえと吐きまくった。 祖母が亡くなってから、祖父は仏壇の前にぺたりと座り込んでなにやら話をしていることが多くなったらしい。何を話しているのかと近寄ってみると、祖母の遺影に向かって 「あんだ〜。どごに行ってしまったの?どごに行ったのっさ〜」 と弱々しく語りかけていたそうだ。 あの気丈でユーモアに溢れた祖父が・・・。 その様子を想像しただけで、涙があふれそうになった。 夜は、父と過ごすために実家に戻った。 父と2人きりで過ごすのは、物心がついてから2度目だった。何を話せばいいのか分からない。でも、父もぽつりぽつりと震災の話を語って聞かせてくれた。 地震発生時、父は家にいてすでに帰宅していた上の甥っ子と過ごしていたそうだ。 1年生だった下の甥っ子は、地震発生時にちょうど海岸の前を歩いていて、そのまま帰宅するか学校に戻るか判断に迷ったらしいが、結局学校に戻った方が近いと感じてすぐさま学校へと引き返した。 父が慌てて車を走らせ、小学校に着いた時には学校で点呼が取られていた。それを見た父は 「そんなことしてる場合じゃねえ!今すぐにでも津波がくるんだぞ!!」 と甥っ子を先生からひったくるようにして自宅に連れ帰った。 それから小高い山の上に登り、甥っ子たちとともに押し寄せてくる津波の様子を眺めていた。 甥っ子は父にしがみつきながら、 「オレ、まだ死にたくない」 とおいおいと泣いた。遠くから眺めていても、津波の恐ろしさが甥っ子たちに伝わったのだ。 夜は父と2人で洗面所にならんで腰掛け、湧かした山水を1つのバケツに入れて足をごしごし洗った。 暗闇の中、薄暗く光る懐中電灯の明かりだけが頼りで、その中で 私 「たまにはこんな風に2人で並んで足を洗うのもいいね」 とかなんとか言ったら、 「娘がいてくれて良かったな・・・」 とポツリと父がつぶやいた。その瞬間、 私 「来て良かったんだな」 と思えた。 私は、話をするのがものすごく苦手だ。というか、子供の頃から屁理屈が多すぎて、親に何度も 「屁理屈を言うな!!」 と怒られたので、どうせ屁理屈のひと言で片付けられてしまうと思って、いつのころからか親に何かを話すのが面倒になった。 だから、この瞬間、ちょっとだけ父と心が通い合えたような気がした。 それから2人で枕を並べて眠った。 寝てる間にも何度も大きな余震に襲われ、その度に飼い犬のジョンが心細そうに泣いた。 ジョンが泣くと、父はすぐさまに起きて行き、 「大丈夫だ。大丈夫だ」 と声をかけた。 するとすぐにジョンは落ち着いた。 でも、震災のストレスが大きかったらしくジョンはその翌年に亡くなってしまった。 父の落胆は相当なものだった。 翌日、父と2人で海岸線へ出掛けると、電信柱が一本立っていた。 すでに震災から2週間以上の時間が経過して、向こう岸の陸前高田市には電気の光もポツポツと見えているのに、実家のあたりはいまだに停電が続いていた。 そのたった一本の電信柱を見て父がポツリと言った。 「電信柱が一本立っただけでも、もう少しで電気がくるんだと思って安心するな」 なぜだか分からないけれど、そのひと言がものすごく胸に響いた。 地震が起こってこの日までの父の思いが、すべてこのひと言に詰め込まれているような気がした。 仙台の高校で養護教諭をしている友人は、震災で大切な生徒を亡くした。 ひどく落ち込んでいたけれどのんびりと悲しみに浸っている暇はなく、片道2時間半の道のりを毎日歩いて通勤して生徒の話を聞いたり、壊れた物の後片付けをしたりしていた。 片付けをしているとまた大きな余震がやってくる。 また棚の物が崩れ落ちる。 また1から片付け直す。 片付けて、崩れて、片付けて、崩れて。 そんな不毛な作業を一日中繰り返して、また2時間半かけてアパートに戻る。 往復6時間。 そんな毎日を繰り返していたにも関わらず 友人 「私は全然頑張ってないよ〜」 と笑っていた。 私 「いや、頑張ってるよ!エラいよ!」 と声をかけてあげたかったけれど、周りのもっと大変な状況を知っている彼女は絶対にその言葉を認めようとはしないだろうと思って、ぐっと飲み込んだ。 実家に滞在している間、復興のためになにか出来ないか考え続けていた。 でも、なにも思い浮かばなくて、ずっと叔父のハウスのほうれん草を取り続けていた。 震災以来、ごたごたで収穫されていなかったほうれん草は、とうが立ちそうなほど育っていたけれど、それでも売れるんだそうで、穫れるだけ取って市場に持っていった。 市場へ向かう道すがら、道路の端に大量の魚が落ちていた。異様な光景だと思ったけれど、おそらく震災直後はこの魚たちと同じように人や動物も転がっていたのだろう。 建設会社で働く姉は会社が復興作業の為に大忙しで、現場に行く人たちに 「死体を踏みながらじゃないと、現場にたどり着けない」 という話を聞いて来た。これが震災のリアルだと思った。 姉の会社の同僚も車で逃げる途中に、車ごと津波にさらわれた。 全身へ泥だらけになって、寒さと疲労でぐったりしているところに、翌朝自衛隊が来て救われた。 45号線を車で走らせていると魂が抜けたかのように道路にフラフラと飛び出してくる人が多くて、のんびり運転などしていられなかった。 自暴自棄なのか、はたまたもう何も見えなくなってしまっているのか。 震災後、母も姉も甥っ子たちも明らかに震災のトラウマを抱えて、精神的に不安定になっていた。 心療内科が大繁盛し、薬がないと眠れない人が増えていた。 この人たちのために、私ができることは一体なんだろう? ずっと自分自身に問い続けていた。 Facebook → https://www.facebook.com/holihoc ブログ→ http://ameblo.jp/cocoles/ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 私たちも若かったのよ。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/8/2 私たちも若かったのよ。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 娘を出産して子育てをしている世の中のママをすごいと思う。 不思議と子育てしていると子供の頃の気持ちを思い出す。 私と妹。二人を育てた母親。 育てくれた感謝の気持ちもいっぱいある。 でもたまにあの時は怒るんじゃなくて抱きしめて欲しかったと思ったり。 思春期に言った言葉を申し訳なくなったり。 母親立場になり自分の母思う。 ある時、娘を抱いている母親に言ってみた。 小さい頃私はこうして欲しかった。 母親は、笑いながらそうだね。 今思うとそうしてあげたかった。 私も若かったのね。貴方を育てるのでいっぱいいっぱいだった。 そうだ。母親も私と同じ。 私と同じ歳に出産して子育て。 いろんなことに悩んだろう。 子どもにはこんなことをしてあげたい。 子どもには幸せになってほしい。 なんでこの子は泣くんだろう? どうして私にひどい言葉を言うの? 娘の成長を嬉しく思いながら、辛いけど我慢もいっぱいしただろう。 なんだか感謝しつつ申し訳なく思う。 私も母親と同じ歳に娘を生んだ。 子育ては、始まったばかり。 この先楽しいことも、苦しいこともあるなかなぁと不安になる。 でもたぶん娘の子育てをしながら、そんなことを考えも忘れているのだ。 娘が起きた。 よく最近の叫ぶ。 今日から旦那も通常出勤。 昼間は、娘と二人。 毎日が楽しくも戦い。 また一週間頑張るぞ! X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 三十路過ぎ男の婚活奮闘記 第1話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/7/7 三十路過ぎ男の婚活奮闘記 第1話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 今から、12年程前に婚活を決意したきっかけは、ちょうど33歳の時に母親が倒れて入院になった事だった。脳内出血だった。今まで家の家事はいっさい母親がしてきた為、チョットしたパニックになってしまった。入院する為に何が必要なのかも判らず、母親が今まで使っていた物や、衣服、薬、お金をおろすにもカードの暗証番号も判らず仕舞いだった。家に残っている家族は、90代の祖母と父親、兄と僕だけであり、もちろん不甲斐ない僕達兄弟は、結婚どころか彼女さえおらず、女手が不足していた。とりあえず、着替えや身の回りの物は、すべて新しく買い揃えた。一週間ぐらいすると会話が出きるようになり、カードの暗証番号を聞き出すことが出来た。一年後、無事に退院することが出来たが、左上下肢麻痺が残り、要介護3の判定がおり、現在は通所サービスを利用しながら、在宅生活を送っている。家のゴタゴタが全部ひと段落して半年が過ぎた頃、一念発起して三十路過ぎ男の婚活が始まった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕 事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→


