
学生を卒業した後、機械のエンジニアや設計開発の仕事を就いていました。
人よりも機械を信用していたような人間でしたが、特に不満もなく、それなりに充実していました。
それが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロをきっかけに、いろんな人や問題意識と出会うようになります。
いつの間にか、環境や存在を変化しても、問題の解決には限界があることを感じ始めます。次第に、関心が「人の変化」へと向かうようになり、その答えを求めて、いろんなジャンルの人に話を聞いて回っていました。
ふとした出会いから納得できる教育コンテンツと出会うことになります。
この話は、人づくりの世界に転職して、3年目の年末から、一年ほど療養していた時に起きた話です。
体は丈夫だったのに、突然めまいが止まらなくなる
2006年12月のことです。
毎年この時期は一年の中で一番忙しい時期です。この年も疲労とストレスが蓄積していました。
もともと、コミュニケーションは苦手な人間です。彼女からは「何を考えているのか分からない」と言われ、感じていることを言葉にするのに、三日もかかってしまうというあり様でした。ものづくりとは畑違いという事もあり、思っている以上に疲れていたのかもしれません。
忙しい真っ只中のある日、突然、身体におかしな症状がおき始めます。
お客さんと見積もりの話しをしている最中に、目の前が回り始め、止まらなくなったんです。

お客さんはもちろん、周りの景色から、目に入るすべての認識している世界が回り始めました。
10分ほどたっても治まる気配がありません。
「これじゃぁ、仕事にならないなー」
どうしようもなく、とりあえず現場は後輩にまかせ、身体を落ち着かせようと、車の中で休むことにします。
結局、数日たってもめまいは治まらず、病院へ行くことに。
内科に行き、耳鼻科を紹介され、メニエル病と診断を受けました。
分けが分からない状態だったので、病名が特定されただけで、なんだかホッとしていました。
その後、精密検査をしたり、お薬ももらいましたが、回復しません。
結果、メニエル病ではないねと診断を受けます。
その後、数ヶ月、原因が分からないまま、過ごすことになりました。
とはいっても、ただ目が回っているだけです。負担にならない程度の簡単な業務は受けていました。
身体を休めていれば良くなるだろうと、かなり楽観的な考え方をしていました。
メンタルが安定していたのは、「問題なのは判断基準が固定していること」ということを伝えたり、研究したりしていたからかもしれません。
判断基準という、人の内面と出会うことが多かったのが幸いしたようです。
しかし、この後、自分自身が問題を抱え、不安定になっていく事になります。
ある時から、症状に変化が起き始めます。
めまいだけだったものが、光が重く痛く感じるようになったり、頭痛がひどくなったりと、数ヶ月で症状が変わっていくようになっていきました。
不快さや痛みが続くと、さすがに楽観的にはいられなくなっていきます。
「なんなんだこれは」「なんでオレなんだ」「いつまで続くんだよー!」
ストレスでイライラしたり、漠然とした不安に襲われたり、不安定な状態になっていきます。
そんな日々を過ごしていた頃、発病から約半年がたった5月に、あるニュースをたまたま目にします。
原因発見か?
発病から約半年後の5月に入った頃、ある力士の引退ニュースと出会います。

力士「めまいや頭痛があります。これ以上続けることは危険と判断し、引退することになりました。」
彼の病名は“隠れ脳梗塞”でした。
「症状がよく似ているぞ!」
「もしかしてこれなんじゃないか?」
原因が分からずのモヤモヤした日々を過ごしていたこともあり、このニュースは、光明のように感じました。
早速その日のうちに、病名をネットで検索。脳神経外科に行けばいいことを知り、近くの専門医に予約を取ります。
運良く、翌日に行けることが決まりました。
「やっと、やっと分けのわからない状態から抜け出せるんだ!」
と、嬉しかったです。
何かできることはないかと、これまでの症状の経緯を細かくメモし、もらさず伝えられるように準備します。
もう、準備万端です。
翌日、病院におもむきました。
お医者さんに、これまでの症状をメモしたものをドギマギしながら伝え、ニュースを見てきたことも伝えます。
お医者さんはじっと聞いてくれていました。
僕の伝えたい事が一段落した頃、お医者さんからいくつか質問を受けます。
やりとりをした結果、とりあえずCTとMRIを撮ってみましょうとなります。
「話がやっと通じる人と話ができた!」
そんな嬉しさでいっぱいでした。こんな時って、話を全部聞いてくれるだけで、安心するもんです。
後日、別の病院へCTとMRIを撮りに行きます。
その日は撮っただけで終わり、指定された日に、再び脳神経外科へ結果を見に行くことになっていました。
ん?黒いモノはなんですかー!!
お医者さんの前に座ると、早速CTの画像を見せてくれました。
脳を横割りにした画像と縦割りにした画像が、いくつか目の前の白く光るレントゲン用のディスプレイに貼り出されました。
ぼく「ん?」
想像していたものと明らかに違うものが写っています。
ちょっとびっくりして、思わず、
ぼく「これ僕の画像ですか?」
と聞いてしまっていました。
だって、素人が見ても明らかにおかしいだろうと思えるほど、脳の一部が真っ黒になっていたんです。

(写真上が前方、左右は逆で表示されています)
するとお医者さんが
お医者さん「他の人よりも大きいね。(笑)」
と、とても軽い感じで一言。
ぼく「へっ!?」
ぼく「どういうことですか?これ(左前頭葉)が黒くなっているものは何ですか?」
お医者さん「これは液体だね。液体は黒く映るんだよ。」
お医者さん「ちなみにね、左と右が逆に写るんだよ。」
その後は、お医者さんと一緒に大笑いしながら話しを続けていました。
ぼく「へぇーこんなんでよく生きてられますね(笑)」
お医者さん「3パーセントしか使ってないっていうからね(笑)」
その時は、もう完全に他人事のようで。深刻になるどころか、人体の不思議に感心してたほどです。
肝心の症状との因果関係については、明確な答えは得られませんでした。
関係があるかどうかは分からないという回答だったんです。
他の医者の意見も参考にするといいよと、○○門病院や○○大学病院を紹介されました。
その日は、なんの不安も恐怖も感じてはいませんでした。
むしろワクワクしていたくらいです。
「液体ってなんだ?」「液体が脳の中にあるって?」
そんなことに興味津々で、好奇心だけが広がっていました。
他人事(笑)から自分ごと(泣)に
はじめは大笑いしていたものの、時間が経つごとに、CTの映像のことを考える量が増えてきました。
自分の脳なんて見るのは初めてです。
何が写ってるのか、無くなってる部分はどんな役割をしているのか。
そんなこんなで画像を眺めたり、ネットで検索したりしてました。
「中心部が普通の脳と比べて、ひしゃげてるるぞ!」
「頭痛とか眠れないのは、ここに理由があるんじゃないか?」
「おお、側頭葉は記憶なんだ!」
「ということは、、、メモリが少ないのかぁ、だから覚えるのが大変だったのかぁ!」
なんて感じで、へえー!、ほおー!と感心する時間が過ぎていました。
そして3日後。
僕の心は、とても笑えない状況になってしまいます。
描いていた未来ビジョンは完全に実現不可能と否定し。
目先のやりたいことは何も出来ず。
ただ痛みが過ぎるのを待つだけの日々。
同じ年代の人を見ると「どうせアイツらより早く死ぬんだから」という相対比較の考えしか浮かばない。
それは、
長いトンネルに一人でいるような感じです。

そして、向こうの方から、ライトがひとつずつ消えていく。暗闇が自分に向かってくる。
最後に、自分の上のライトが、チカチカしながらかろうじてついてる。
その灯りの下、虚無感の中でただ立ち尽くすしかない自分がいました。
悲壮感しか感じられない日々。
一日をとても長く感じていました。
心はボロボロ。身体もボロボロ。
頭痛のせいで、何も手をつけられない。
その状態にやりきれないストレスが日に日に蓄積してしまっていました。
そんな状態は、周りから見れば一目で分かりますよね。
みかねて、同僚が心配して声をかけてくれるんですが、
「そんな心配そうなエネルギーで近づかないでくれ!生きるのだけで精一杯なんだー!!」
「大丈夫なわけないじゃん、大丈夫じゃないんだよ」
と人の接触を避け、完全にふさぎこんでしまい、どんどん追い詰められていきます。
そんな時、いつの間にか、心の中で
「解決できるはずじゃないのか!」
という声が広がり始めていました。
未熟ながらも、人の人生に深く関わり、一緒に問題を解決していく中で、“問題は必ず解決できるもの”という確信がその声を生み出していたようです。
でも、真っ向から否定する考えも同時に動いていました。
「現実的にこの脳なら、どうみても無理でしよう」
という声です。
この頃、過去の記憶さえも変わっていきます。
「小さい時病弱だったのは、これが原因だったんだ」
「表現が苦手なのもこれか」
「これがなかったら、イジメられることもなかったのに」
過去の記憶の因果が、「脳の1/5がない」ことに結びつけ、どんどん書き換わっていきました。
自分という存在にショックが入ってしまうと、どんどん変わってしまうようです。ちょっと怖いですね。
頭の中では真逆の2つの声がグルグルしていました。
心の声と考えの声。
この二つの葛藤が自分の中で徐々に大きくなっていきます。
こういう葛藤は、何とも言えない辛さがあります。
周りにいる人の笑顔を見れば
「どうせ自分は・・・」
と相対比較の考えが反射的に溢れ出してしまいます。
まるで、考えの海の中でどこに行けばいいのかも分からず、あがきもがいているような状態でした。
石ころが幸せに見えるのはこんな感じなんだろうと実感できるほど、自分が小さくなってしまっています。
人との交流をさけ、光をさけ、もう分けが分からない自分がいました。
CTを見て、一週間後。
自分という存在に対して決定的なショックが入った瞬間が来ます。
病院からの帰り道。
歩いているときに、CT画像のイメージが脳裏に浮かびます。(脳が一部黒く写っている画像ですね。)

浮かんだイメージをぼーっと眺めていた時でした。
二つの声による葛藤が瞬間的に膨らみ、「バン!」爆発します。
はっとした瞬間。
自分と自分の世界が突如変わり始めます。
自分という存在と自分の世界が、ほんの一点の、その中の点へシューー!っと収束するしていくような感覚に襲われます。
今までの世界が点の中に、そして、そうではない無限大に広がっている世界が自分と自分の世界になってしまったんです。
その瞬間、
「今まで病人だと思っていた自分は、自分の一部だったんだ」
と気付きが来ます。
心の声と考えの声の葛藤から、抜け出せた瞬間でした。
脳の黒い部分だけを見て、そのおかしなところだけで、自分の存在の全てを決め付けていたんです。そう、勝手に思い込んでいたんです。
それだけじゃなく、未来や過去をどう思うのかを決め付けていたこと。
自分以外の存在、名前の付くあらゆる世界を決め付けていたこと。
自分の考え、感情、イメージ、エネルギーやアイデンティティ、認識していた世界全ての出発が、
「異常な脳を持っている自分」
という判断基準に固定されていたんだという気付きが来ました。
この判断基準に固定されて、世界の全てを自分が描いていたんだ!と。
このショックに、
「そうだったのかぁー」
「あれは自分の一部だったんだ」
というキーワードが、頭の中で何度も繰り返し響き続けます。
ボロボロだった心や精神は、この変化で完全にスッキリな状態へと変わってしまいました。
そこから、突如、目の前で「パチン」と手を叩かれたような、いきなりデコピンをされたようなショックがあり、
また、はっとした瞬間。
今度は、見えている世界が、変わっていたことに気付きます。
それまで見えていたのは、全く生命感がない、殺伐としたモノクロの世界でした。それが、光がキラキラと溢れる世界へと変わってしまったんです。

色と出会えている!
光と出会えている!
光に対して恐怖していた不安だった心が、
「太陽がある」
「青空がある」
「光しかないんだー!」
という感動でいっぱいになりました。
見えるもの、触れるもの、感じる全てに、初めて出会った奇跡のような、神秘のような感覚が溢れていきます。
「なんだこれ、なんなんだこれはー!」
いつもなら電車に乗るところを、歩いていくつか駅を通り過ぎていました。その感覚をずっと感じ続けていたかったんですね。
この2つの気付きは、とても大きなものでした。
生まれ変わった感覚とは、こういうものなのかもと、そんな感じさえします。
ボロボロだった心は、全く逆の、これまでの人生全てを包み込んで、点の中に入れてしまうような大きな心に変わってしまったんです。
心が平和に、現実にも変化が
この判断基準が固定されていた世界から自由になれるという変化は、一瞬で心のあり様を変えてしまいました。
それまでの自分と見ていた世界が、とても小さな世界のようにしか感じられなくなってしまいました。
現実に対する向き合い方もいつの間にか変わっていました。
人と交流するなんてとんでもないという心の状態だったのに、一緒に仕事をしている人たちに、自分の現状を説明しなきゃと考えられるようになります。
その為の資料を創ったり、説明できるタイミングを相談したりと、場を自ら開くように働きかけていました。
仲間への説明中にCTの画像を見せながら、
僕「これがホントの脳足リンだよ(笑)」
ぼく「これがホントの脳足リンだよ(笑)」
仲間「....ha ha ha」
と、聞く人が笑っていいのか困ってしまうビミョーなことを言えるほど、心の平和が安定します。
笑顔が出るようになり、本当に生まれ変わったような気分でした。
脳の1/5が無いことを知って、その自分を自分の全てだと思い込んでいた時を、今、思い返すとゾっとします。
「自分は・・・だから」と部分を全てだと錯覚したまま生きていたら、その人生に固定されていたでしょう。
「自分は・・・」と決め付けた通りに生きているのに、心も身体もボロボロにさせているというのは、「おまえ!そんなもんじゃないだろー」と自分に本気で叫びたくなるほど、残酷な話です。
心はボロボロ、身体もボロボロ、ストレスを溜め込み、相対比較で悲壮感しか感じられない日々を過ごしていた。そんな人生を生み出していたのが、実は「自分自身をどう思うのかで、何を選択するのかが決まっていた」だなんて、なんというか苦笑いしか出てきません。
人生一度きりとよくいいますが、笑えないギャグは少ない方がいいですよね。

【まとめ】
『心の声』と『考えの声』が疎通できず、『心や精神、体がボロボロ。絶望状態』
だったのが、
『自分は脳に異常を持ている判断基準に固定』
されていたから
『自分で勝手に自己存在を決めつけ、自分の生きる世界を創りだして苦しんでいた』
と気付くことができ、
『自己存在のあり方が変わり』『心の声と考えの声の疎通が起き』心が平和になった。
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この話には、まだ続きがあります。
心は晴れても、頭痛は続いていたんです。
なんとかできないものかと、紹介された病院の先生に訪ねたり、友人の勧めで心療内科に行ったりしました。
手術の話も出ましたが、感染症のリスクや因果関係がはっきりしないということで選択できませんでした。
睡眠薬を処方されたこともありましたが、症状に対して具体的な改善は起こせませんでした。
心はスッキリしたものの、頭痛はひどく、やりたいと思うことの全てができない状況が続きます。
次第にストレスが溜まり、イライラする日が続いていました。
現実は現実で、何かの変化が必要でした。(つづく)
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
現在の体調は、若干の不調がでるものの、普通に生活を送ることはできています。
この経験を活かしながら、決めつけた生き方をひっくり返す教育サービスを行っています。
判断基準は、誰もが無意識で使っているものです。
この変化は、特別なものではなく、気付くことさえできれば、誰にでも起こせます。
この話が、みなさまの助けになれたらと願っています。
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余談ですが、
こんな話を人に話しながら発見したことがあります。
人と人との関係性の中でしか、起きなかった変化だったということです。
体に良い食べ物に変えたり、薬を飲んだりという変化で起きたわけではないんです。
何かに頼る気力さえもなかったので、勧められても選択できなかったでしょう。
僕の場合、心の声がなければ、起きなかった変化でした。
当時は完全にふさぎ込んでいたので、誰の声も僕には届きません。
それでも心の声が出てきたのは、それまでの仲間との交流があったからです。
言い合うことや衝突することが無かったわけではありませんが、同じ教育コンテンツを持ち、お互いに刺激しあい、意見をぶつけ合って、コンテンツの可能性を広げ合っていた仲間だったからこそ、僕の中に確信が育っていたのだと思います。
裏切らない関係性が、人の眠っている可能性を引き出すんですね。
仲間の意志に感謝です。