暗い話ですいません。
最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。
ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。
これは私の主人が脳出血を発症し、急逝した時の「私の行動と心情をまとめた話」です。
命に関わる病気をいきなり発症する確率は誰にでもあると思います。
もし身近な人にそれが起こったとき…この話が少しでも役に立てば…。
まずは、私の旦那がなぜ死ぬことになったのか、その事実を書いていきます。
旦那になにが起こったか
平成24年2月10日。19時頃。私の住む北の大地は、例年より寒い日が続いておりました。旦那は1週間ほど前から新しく見つけた職場の研修のため、家から車で2時間ほど離れた勤務地へ研修へ通っていました。
その日の夜、お風呂に入り、夕飯を食べ、いつものように2人でゲームをしていたときのこと。
「俺…頭が痛いんだ…」
あまり風邪を引いたり、お腹を壊したりしない健康な旦那が、頭が痛いと言い出しました。私がいつも生理痛が酷いときに飲んでいる薬を渡しましたが、時間が経つにつれて、旦那の顔色が土色に変化していきました。
生みの親だからこそ気づいた異変
うちの子は、小さいころから頭が痛いなんていう子じゃなかった!
異変に気づいたのは、旦那の母親。尋常じゃないその頭痛の様子から、救急車を呼ぶことにしました。私は大きな病気だとは思っておらず、当時流行していたインフルエンザが原因なんじゃないだろうか…ぐらいに考え、救急車を呼んだのです。
嘔吐。そして救急車到着。
家の近くに消防署があったため、救急車はすぐ到着しました。その間に旦那はパジャマ→普段着に着替え(後々わかりますが、着替える必要などなかった^^;)普段着に着替えてすぐ、トイレに駆け込み嘔吐。3回ほど嘔吐を繰り返しました。
それでも救急車へは自分の足で乗り込み、救急隊員の応答にも自分の口で答えていました。ただ一つ気になったのは、測定した血圧の異常な高さ。
アタイ「大丈夫か?」
旦那「おう…。」
アタイ「病院着くまで、そのまま寝てなよ。」
旦那「うん。」
これが私と旦那が交わした最期の言葉です。
救急救命室から旦那が出てこない
病院に到着し、旦那はストレッチャーに乗せられたまま救命室へ。私は家族待機室へ移動しました。待機室には事故で骨折した人、風邪をこじらせた人、インフルエンザを発症した人…4人ぐらいの患者さんがおりました。
身長168cm・体重58kg、趣味で卓球をしていた、スレンダーな旦那。どうせちょっと具合が悪くなっただけだろう…てかそうあってほしいと、待機室で待っていたのですが、何分待っても旦那が出てこない。なんで出てこないのよ、旦那…。私は変な不安にかられます。
30分ほど経過した頃でしょうか? 診察室から先生が出てきました。
救命医「おおぬきさんのご家族の方ですか?」
アタイ「はい! 妻です!」
救命医「緊急のお話があります!中へどうぞ!」
メガネをかけた神妙な顔つきの先生に呼ばれ、中に入ると、1枚のCT画像を見せられました。
まさかの脳出血
救命医「ご主人、脳から出血してます。しかもかなり大量です。」
アタイ「!?」
救命医「先ほど検査中に意識を失いまして、左目の瞳孔が開いてしまった状態です。」
アタイ「は?」
救命医「片足を棺桶に突っ込んだ状態です。急いで開頭して、出血を取り除く手術をしなければいけません。」
なに言ってんだこいつ
第一印象はこれしかありません。本当にね…。
片足を棺桶に突っ込んだ状態という表現ですが、これは当時の医者が使った言葉そのまま載せてます。
自分の足で救急車に乗ったんだよ? 救急車の中で普通に会話出来てたんだよ? それが…脳出血?
はあ? 何の話? 頭がクラクラする………。
救命医「ご主人にお父様かお母様はいらっしゃいますか?」
「母親ならいます!」
救命医「すぐに病院に呼んでください!」
この後、旦那の母親が来るまで約30分間の時間が空きました。ここで大変な事実。私(妻)ではキーパーソンになれなかった。この時の医者は、血のつながりの近い人間との会話を望んでいたようです。
手術開始までの長い時間
やっと旦那の母親が到着し、手術(緊急手術時の麻酔による危険因子など)の説明を受け、承諾書に名前を書きました。が、時間は21時40分頃。そして、実際に手術が始まったのは翌1時過ぎ。旦那の頭痛が発症して手術が開始されるまで約6時間が経過しています。
病院に到着し何らかの脳保護の措置はされているとはいえ、不安でいっぱいでした。なぜすぐ手術できないの!?
これは病院側が緊急手術をするための準備時間があるためです。
覚えておいてください。「先生!緊急オペです!」ですぐ手術が開始できるわけじゃないんです。人員確保・手術道具の準備・手術室の消毒・手術を受ける者の手術への準備(旦那の場合は、髪の毛を切ってメスをいれるためのマーキングをする、尿管を入れるなどの準備)が必要であり、それに時間がかかるということ…。
なぜ、母親と一緒に救急車に乗り込んでこなかったのだろう…と、かなり凹みました。
再会した旦那は旦那の顔をしていなかった
手術の準備が出来て、一緒に手術室へ向かうことになりました。旦那の準備も出来たということで、通常の患者さんが使うものとは別のエレベータで3階・手術室に向かいました。が…
ストレッチャーに乗り、酸素マスクを付けられた旦那は、まるで別人でした。まず、髪の毛が短く切られ、額から横にマジックのようなものでマーキングされていました。顔色は相変わらずの土色で、目は半開きで一点見つめているような表情、口の端からは泡のようなものが垂れ落ち、「グォー、グォー」といびきのような呼吸を繰り返していました。
一体誰だこいつは。本当に私の旦那なのだろうか…。
そんな感覚を持ったまま、「いってらっしゃい! 必ず戻ってこいよ!」と、手術室へ見送りました。手術中、私と旦那の母親は、術後に入院するであろう脳外科の入院フロアの懇談室で時間を過ごしました。すでにフロアは消灯時間だったため、暗い部屋でイスに腰掛け、二人で過ごしました。
就職決まったばっかりなのにどうしよう…身体に後遺症が残ったらどうしよう…卓球できなくなったらどうしよう…入院費用どうしよう…
いろいろなことが頭をよぎり、眠りそうで眠れない時間を過ごしました。
「手術は」成功しました
2月11日午前5時過ぎ。フロアが少しにぎやかになり、旦那が手術室からSCU(ICUの脳卒中版で「脳卒中集中治療室」のことです)へ戻ってきました。
少しして、執刀医から説明があり、50ccほどの血液を脳から取り除いたこと、出血のせいで右脳が変形していたこと、まだ意識は戻っていないこと、今後2週間ほどで後遺症の現状がはっきりしてくること…等、説明を受けました。「手術は無事に終わりましたが、今後のことはわかりません」という状態だったのです。
今後出てくる後遺症とも戦いながら、旦那を支えていかなればならない…頑張らなくては…という決心をし、入院に必要なものの買い出しと、1日2回のお見舞いをするため病院を往復。親しい友人にも現状を報告し、「脳を病んでも、元気に過ごしている人が沢山いるから、大丈夫だよ!」という言葉に励まされ、2日間過ごしました。
が、事態が急変したのは2月13日のお昼でした。
生きることを止めた旦那の脳
その日のお見舞い時間。規定の時間を過ぎても、SCUに入れてもらうことができず、廊下の待機場所で旦那の母親といらいらしながら待っていました。すると…見覚えのある顔の患者が大きなベッドに載せられ、SCUに入っていったのです。
担当医「おおぬきさんのご家族ですか?」
アタイ「はい!」
担当医「お話がありますので、こちらにどうぞ。」
案内されたのは、数日前、手術後の説明を受けたあの部屋。
担当医「大変な事態になってしまいました…」
アタイ「え?」
担当医「お昼頃、ご主人の自発呼吸が急に止まりまして、医師判断で人工呼吸器を取り付けさせていただきました。」
アタイ「ええと……?どういうことですか?」
担当医「私も急に呼吸が止まったのが不思議で、再度CTを撮らせていただいたんですが…それでわかったんですが、原因は脳の腫れでした。」
アタイ「はぁ。」
担当医「脳の腫れがね、投薬してるんですが引かないんです。現状から脳の細胞が死んでいくと思われます。」
アタイ「え?(何言ってんだこいつ)」
担当医「つまり、もう助かる見込がありません。万が一助かっても、植物人間になるでしょう…」
極めつけの言葉がこれですよ…。
担当医「ここまで悪化して助かった人をこれまで見たことがありません。」
で、医者はこう続けるわけです。
担当医「で、どうしますか?」
アタイ「…と、いうと…?」
担当医「延命治療をせず、最期を看取りますか? それともこのままSCUで投薬を続けますか?」
まじかよ、それしか選択肢はないのかよ…。
担当医「もしSCUで投薬を続けられても、緊急時に直ぐに部屋に入ることができません。(他の患者さんがいるため)延命治療を止めて一般病棟に移るならば、24時間一緒に過ごすことができますし、病室代もかかりませんが…」
どうやら最期を看取る際に使う個室というのをこの病院は用意していて、それに対する料金は発生しないらしい。延命を続けるか、それともやめるか…。回答期限は翌日の午前11時、先生の回診の時間まででした。(ちなみに、この時間が来るまでに旦那が生きている保障は一切ありませんでしたが…)
※「旦那が生きている保障は一切ありません」という表現について補足です。この説明を受けていた時点で私の旦那は「いつ死んでもおかしくない状態」でした。そしてその死の瞬間が訪れるのは、5分後かもしれない、3時間後かもしれない、5日後かもしれない、1週間後かもしれない……実際に「いつ」という確定日時はなく、「近いうちに」という表現で医者は説明してたのです。
3人の同じ意思
同日夕方、東京から旦那の弟が帰ってきました。病院フロアの家族待機室で3人で話合いをして、3人とも「延命処置を続けない」という結論になりました。
これは旦那の実父が肺がんで亡くなる時、延命ではなかったものの、沢山の管に繋がれて最期を迎え、そしてそれを間近で看ていた旦那が、
旦那「嫁。俺がこうなったときは、延命とか無駄な投薬とかしないで、静かに死なせてくれよな。」
と、言っていたのを共有していたからです。そして翌日、
担当医「決まりましたか?」
アタイ「はい。一般病室へ移してください。」
担当医「では、延命処置を止めるということですね?」
アタイ「はい…。」
担当医「わかりました。それでは個室の準備をします。」
ここから最後の、私と旦那の3日間が始まります。(続く)