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14/7/28

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

Image by Olia Gozha

旅、前日


なんでもない日常のなんでもないある日。

寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。


高校2年生の梅雨の季節。

明日、突然いなくなる。

親も先生も友達もクラスメートも誰も、ぼくが旅に出た理由はぜったいにわからない。

前後の脈絡なしに突然、失踪したようにしか見えないだろう。

それがいい。

ぼく自身、何のために、どこに行くか何も決めていない。

つまり、明日からぼくがどうなるか、本当に誰も知らない。

神さまだってきっとわからないだろう。



本当の旅とは、新しい景色を探すためではなく、新しい“目”をもつためのものである。

―マルセル・プルースト






旅、1日目


「今日からちょっと旅にいく」

朝、いきなり母親に言った。


母親は驚いていたけど、仕事に出かける前の慌ただしい時間帯で、ぼくに詳しく尋ねる暇もなかった。

高校に電話だけかけて、すぐに出かけて行った。

「すみませんが今日、息子は旅にいくので学校を休ませて頂きます」

「はい、わかりました!お大事に!ガチャッ」

受話器の向こうから聞こえてくる先生の声は事務的で、一瞬で電話は切れた。






全財産、3万円。

中学校の社会の地図帳、小学校の理科の方位磁石。

着替えの靴下とパンツを一着ずつ。

とりあえず歯ブラシ。

読みかけの寺山修司の文庫本。


いつもの通学リュックに適当に入れた。






玄関のドアをあけると、いまにも降り出しそうな空。

そういえば昨日、傘を学校に忘れたんだった。

傘をとりに高校へ行くことにした。


いつもの阪急電車。

いつもの通学路。

今日もいつも通りの人生が順調だ。






校門をくぐったときには遅刻寸前だった。

傘立てのそばにいる先生がぼくに気づいた。

「もう始まるぞ!急げ!」

「すいません!」

軽く走った。

まだ間に合う。

傘立てにたどり着き、きのう置き忘れた傘を抜き取った。


いま、だ。


神さまにフェイントをかける勢いで、回れ右する。

「えっ?!どこに行くねん?」

「すぐ近くに忘れ物をしたので取りに行ってきます」

適当にごまかして、戸惑う先生を残して、小走りで校門を出る。


もう間に合わない。

キンコンカンコンと背中でチャイムが鳴る。


ゆっくり歩き出す。



どっかへ走って ゆく汽車の

75セント ぶんの 切符をくだせい 

ね どっかへ走って ゆく汽車の

75セント ぶんの切符を くだせい ってんだ


どこへいくか なんて

知っちゃあいねえ

ただもう こっから はなれてくんだ


―ラングストン・ヒューズ






どこに行くか?

いま決める。

思い浮かんだ目的地は、群馬県の山田かまち水彩デッサン美術館だった。

山田かまちは17歳のときにエレキギターの演奏中に感電死した少年で、彼の書き遺した絵や詩は、中学生のころからぼくの心の支えだった。

かまちが死んだ17歳になるまでに行けたらいいなとぼんやり思っていた。


とりあえず東へ行こう。





方位磁石と地図帳を出した。

が、地図帳を広げても道路は載ってなくて、道がぜんぜんわからなかった。

持ってきたことがいきなり無意味だ。

まあ、どうでもいい。


ひたすら早足で歩く。

知っている景色はすぐに知らない街の景色に。

そして田んぼや畑、山の景色に変わっていく。

遠くへ遠くへ。


学校では今ごろ、いつもと同じ日常が繰り広げられている。






車に轢かれそうになりながら歩き続ける。

歩道がほとんどない。

日本のほとんどの道路は車用で、歩行者用ではないということを体感する。

歩きづらい。


ずっと歩いていると、道路がまっすぐ東に伸びていないことも、不満に思うようになってきた。

周り道が面倒くさい。

そのうち、山道に入ってきた。

山を迂回するルートもあったのだろうが、方位磁石の通りに東へ適当に歩いたらこうなった。

歩けば歩くほど、山の奥に入って行く。

もう完全に山登りだ。

そういえば、日本の国土のほとんどは森林だって学校で習ったよなと思い出す。


道路を無視して道無き道、藪の中もかき分けながら進む。

「工事中につき、この先通行止め」

警告看板も無視して通り過ぎる。

ヘルメットを被って作業をしている人たちの中を、なにくわぬ顔で歩いてゆく。






高速道路に突き当たったときは、ちょっと考えた。

けど結局、壁をよじ登って侵入した。

車がときどきすごいスピードでビュンビュン通る。

高速道路も、山に沿ってゆるやかにくにゃくにゃ曲がっている。

出来るだけ真っすぐ東へ歩くため、壁をよじ登って高速道路を出たり入ったりを繰り返す。


高速道路の出口の料金所に来ると、職員さんが立っている。

見つかると面倒くさいことになりそうだったので、ほふく前進して道路脇の垣根の間からこっそりと脱出した。


何が起ころうが、それもそれでいい。






やっと山を抜けて町に出れたのは夜9時すぎだった。

道路の標識で京都に入っていることを知って嬉しかった。

洋食屋さんで夜ご飯を食べて、雨の中、野宿できる場所を探して歩き回る。


雨をしのげて、身を隠せて、横になれる人気のない場所。

なかなかそんな場所はない。

町の少し外れで、倉庫みたいな建物の脇が寝れそうだった。

傘をさして地面に置いて、その陰で横になる。


野宿は初めてだ。

所持金も少ないので、宿に泊まるという発想は最初からなかった。

テントも寝袋も敢えて持って来なかった。

持って来なかったらどうなるのかわからなかったから、持ってこなかった。


この旅は、ぼくも神さまも、誰も何もわからない。

わからないほどいい。

いつもの日常、いまの人生、この自分から脱出するための旅なのだから。






むきだしの体でコンクリートの地面に直接横になる。

寒いし、雨の中歩いたので濡れてしまった足が冷たくてなかなか眠れない。

近くで酔っ払いや人の歩く声や音がするたびに、ビクッとして目が覚めてしまう。


眠れないまま夜中の3時をすぎた。

今度は雨がどしゃぶりになってきて、寝ているコンクリートの地面までびしょびしょに濡れてきた。


少し移動して自転車置き場のようなところへ行く。

横になるスペースどころか、お尻を地面につけるほどのスペースもないけど、雨はしのげる。

しゃがんで座ったまま、いわゆるウンコ座りの体勢で眠る。


野宿も初めてだけど、こんな体勢で寝たのも人生はじめてだ。






旅、2日目


2時間後、朝6時に目を覚ます。

変な体勢で寝たせいで、余計に疲れた気がする。

足がしびれてめちゃくちゃ痛い。

やってらんねーと思って、そこに置いてあった自転車に八つ当たりした。

(ごめんなさい)


人が来ないうちにと、出発。

雨はやむ気配なし。






夕方、滋賀県に入ったことを電柱の表示で知る。

町に入り、コンビニを見つけたので、弁当コーナーで一番安かった蕎麦を買う。

お腹ぺこぺこだ。

昨夜から何も食べていない。


冷たい蕎麦を食べる。

冷たいものを食べているのに、雨で冷えた体がだんだん温かくなってくる。

食べ物ってほんとに体のエネルギーなんだと思う。

こんなこと感じたのも初めてだ。






公園を見つけて、地面の水溜りで靴下、パンツを洗う。

というか濡らす。

リュックサックにぶら下げて乾かすことにする。

リュックサックもTシャツもズボンも、汗で塩を噴いているが替えがない。






「お元気ですか?」

突然、目の焦点がいまいち合っていないおじさんに声をかけられた。

「えっ?あ、はい」

と返事をすると、おじさんは

「ほーほーほー」

いきなりフクロウのように叫んで走りだした。

怖すぎる。


目の前で車が止まり、窓があく。

車の中から男性がじーっとぼくを見つめてくる。

なぜかずっと無言で、気味が悪い。

走って逃げた。


なんとか診療所と書いた看板があった。

山の一角が病院になっていて、いつの間にか迷い込んでしまっていたのだろう。

精神病院だったのかもしれない。


町に引き返したら、こんどは町の人がみんなぼくを見つめている気がする。

なんだか気味が悪かった。

やたら石で出来た人形の置物が多い町で、その人形もみんな無言でぼくを凝視している気がする。


疲れでぼくの頭がおかしくなったのか。

早くこの町から抜け出そうと、ひたすら歩いた。






夜、町のはずれの暗い通りの何かの店の前で、地面にひろげた傘の陰に隠れるように寝そべる。

地面が冷たい。

靴を脱ぐと両足とも複数個所、皮が剥けて血がにじんでいる。

痛い。

この2日間、かつてないほど歩いている。


びしょ濡れの靴がしんどい。

雨は止まない。

服は乾かないし、惨めだ。


ぼくはいったい何をやっているんだろう?



探し物は何ですか?

見つけにくいものですか?

カバンの中も つくえの中も

探したけれど見つからないのに

ー「夢の中へ」井上陽水





旅、3日目


早朝の人が来ないうちに出発し、ひたすら歩く。


雨は降り続いている。

梅雨の時期に歩いて旅に出るなんて無茶だったなあ。

しょうがないけど。






昼過ぎ、睡眠不足と足の傷の痛みがどうしようもなく、どこか休める飲食店を探したがなかなか見つからない。

やっと見つけたところは、ちょっと高級なレストランだったけど迷わず入った。

温かかった。

食後、テーブルにうつ伏せで1時間ほど仮眠させてもらう。


そう言えば、授業中は毎日このポーズで寝てたよなと思い出す。






レストランで一休みして眠気は治まったが、足の傷の痛みは変わらなかった。

歩けないほどだ。

こうなったらヒッチハイクでもしようか。

どうせなら高速道路で乗せてもらおうと考えて、インターチェンジを探しながらのろのろと歩き続けた。


夜、やっと高速道路のインターチェンジにたどり着いた。

閉店間際の食堂で温かいカレーライスを食べる。


今日は足が痛すぎてほとんど進めなかった。


まだ滋賀県。






トイレの手を乾かすヤツで服を乾かそうとする。

乾かない。






トイレで誰かに話しかけてヒッチハイクしようと考えたけど、ふと気づくとバス停があった。

見たらハイウェイバスと書いてあって名古屋まで2千円ぐらい。

コンビニで食事を買ったりするだけで数日間でこれぐらいはかかるだろう。

もうこれに乗ってしまおう。

今夜はもうバスがないので、明日の早朝バスに乗ることにする。


休憩所のパラソルの下に椅子を並べて横になる。

明かりもあるし、ほどよい人気もあって安全そうだ。

ここだったら誰かに文句を言われたり、警察を呼ばれたりする心配もないだろう。

安心して眠りについた。






不良少年との出会い


眠って1時間ぐらいしたころ。

人の気配をうっすら感じてガバッと跳ね起きた。


同い年くらいのジャージの男二人組がすぐ目の前にいた。

ぼくが頭突きしそうな勢いで飛び起きたので、相手も驚いて後ずさりした。

二人ともタバコをくわえて、缶チューハイを持ってニヤニヤしている。

一人は金髪。

ヤンキーに絡まれた?


「何やってんの?」

「金持ってんの?」

「いくら持ってるん?」

きたきたきた。

警戒しつつ会話する。

大阪から来たこと。

学校をさぼっていきなり旅に出たことを話す。


二人とも、ぼくの話に驚いている。

興味をもっていろいろ聞いてくる。

そのうち、彼らも自分の話を始めた。

彼らはぼくより1歳年下の15歳で中学を卒業したばかり。


しばらく話すと、黒髪が家に帰っていき、金髪少年が、家に来ないかと誘ってくれた。

面白いのでついて行くことにする。

こんな展開、わくわくする。






金髪少年の部屋に入ると、暴走族の特攻服がかけてあった。

少年はじっくりと自分のことを話し始めた。


中学時代の武勇伝。

その後、仲間うちで彼だけが進学せずに、ガソリンスタンドで働きだした。

最近、毎日がいまいち冴えなくて。

仕事もうまくいかなくて。

ちょうど今日、ガソリンスタンドの仕事をクビになってしまった。

モデルをしたことがあり、タレントになりたいという夢がある。


「で、家出少年は童貞なん?」

彼が好きな音楽の話を聞いていたら、いきなり話が変わった。






そうだけどと答えると、じゃあやれる女を今から呼ぼうと言い出した。


「1コ上の女やけど、電話してみるわ」

電話はすぐにつながり、受話器をスピーカーフォンにして3人で話せるようにした。

ぼくが敬語で話すと、女の子はタメ口で話そうやと言った。

なんで家出してきたのかとか、旅に関していろいろ話していると、だんだん彼女とも仲良くなってきた。


「で、童貞なん?」

くすくす笑いながら、突然きかれた。

「やりたくないん?」

しどろもどろする。


女の子とこんなにあけすけな会話は今までしたことがない。

高校のクラスメートや同じ部活の女の子達とはあまりに違う。

「こいつとやったってや」

不良少年が口を挟む。

「いまからそっち行こうか?」

女の子ものってくる。


だけど結局、電話でからかわれただけで、彼女は来なかった。






「うちに泊まって行くか?」

金髪少年が誘ってくれたけど、明日の朝早く出ようと思うし、インターチェンジで寝ると答えた。

インターチェンジまで彼も一緒に歩いて送ってくれた。


「最近つまらんことが多かったけど、久しぶりに今日はワクワクしたなあ。

こんな変な家出少年といきなり出会って、こんなに話すなんて。

ガソリンスタンド首になって最悪な一日だったのに。

でも夜中にこんなことが起きて。

何が起こるか世の中わからんなぁ」


彼は同じようなことを何度も言っていた。

ぼくも、今夜は驚いたし出会えてよかったと何度も繰り返した。

2人とも興奮していた。


雨はやみ、少し星が見えていた。





「人生、何が起こるかわからんで、おもしろいな」

金髪ジャージの男前、15歳の不良少年のつぶやく「人生」という言葉が胸に響いた。






「電話番号とか住所を教えて。また連絡する」

ぼくが言うと、

「そういうのはやめよう。今夜だけの偶然。お互いに何もわからんのがええわ」

と彼が答えた。

インターチェンジに着くと、夜があけるまでにまた様子を見に来るかもと彼は言った。

持っていた寺山修司の本を記念にあげた。


「ほんじゃ」

あっさりと別れた。

ぼくは再びパラソルの下で眠った。






目が覚めたら朝だった。

まぼろしみたいな夜だった。






旅、4日目


早朝、バスに乗り込み、一気に滋賀から名古屋へ。

エアコンのついた暖かい快適なバスの中で思いっきり眠る。






目が覚めると、名古屋へ着いていた。

世界が一気に都会になった。

靴も足も服も体も、ぜんぶすっかり乾いている!

嬉しすぎる。


相変わらず腹ぺこで、デパ地下で試食をつまんで歩く。

空腹のなか、生まれて初めて食べたういろうがとんでもなく美味しかった。


駅の近くのご飯屋さんで昼ご飯を食べ、こうなったら一気に高速バスで東京まで行ってしまおうと思い立つ。

東京まで4000円くらい。

高速バスっていう、安くて便利なものが世の中にあったんだと感動する。

名古屋からまたバスで、眠っている間に一気に東京へ。






着いたのは夜。

大都会、東京のでかさに驚く。


このまま一気に群馬の山田かまち美術館をめざすことにする。

夜ご飯も食べず、ローカル線に乗り込む。


行けるとは思ってなかった旅の最終目的地の最寄り駅に、あとちょっとで到着できる。

昨夜から今日まで、ずっと夢のなかのようだ。

夢心地でまた眠りについた。






真夜中。


目が覚めたら電車は新潟を走っていた。

新潟って、日本海側だよな?

信じられない。

乗り過ごし過ぎた。


あわてて次の駅で飛び降りて、帰宅寸前だった駅員さんに尋ねる。

戻り方向の列車が次に来るのは翌朝始発とのこと。


寒い駅のホームでひたすらたたずむ。

ベンチは寒いし硬くて、眠れない。

一睡もせずに朝まで始発を待つ。


別にどうってことない。

きのうは滋賀で、びしょ濡れの格好で足から血を流して途方に暮れてたんだから。

人生、山あり谷ありだ。






旅、5日目


夜明けとともに始発列車に乗り込み、群馬へリターン。

とうとう高崎駅に到着。


徒歩30分くらいでかまち美術館へ行けるらしいが、道を間違えまくって3時間以上歩く。

もう目的地は目の前も同然だし、回り道くらい余裕だと思っていたが、さすがに歩き疲れた。


女の人に道を尋ねると、その女性の弟さんが車で美術館の近くまで乗せてくれることに。

乗車させて頂くときに気がついたけど、弟さんは足がなく、手ですべて運転操作のできる特殊な車だった。




こうして、ついに最終目的地、山田かまち水彩デッサン美術館にたどりつけた。

行き当たりばったりで本当に来れてしまった。






山田かまちとの邂逅


子どもの頃から本がとても好きだった。

小学校低学年の頃は、ファンタジー的なわくわく楽しい世界にぼくを連れていってくれる小説が好きだった。

高学年になると、芥川龍之介や教科書に載っているような文学作家、大人のエッセイ本などにも手を出すようになった。


いま思えば、いかに自分なりに生きていくか。

どのような考え方をしたらいいのか。

大人になり世の中をわたって行くためのヒントを求めて。

手当たり次第に本を読んでいたのだと思う。


太宰治の人間失格に共感したり、宮沢賢治の生き方を尊敬したり。

三浦綾子の塩狩峠で泣いたり、意味を否定する中原中也のダダイズムの詩にロック的な格好良さを感じたり。

ゲーテの若きウェルテルの悩みに痺れたり。


本の中で出会う、さまざまな人たちの密度の濃い、真剣勝負な生き様は、ぼくのまわりの現実のなまぬるい学校生活、充実感のないぼんやり過ぎ去って行く日常とは対照的だった。

ぼくも自殺するくらい真剣に人生と向き合って生きたいと思っていた。


あのころ心に響く出来事は、現実世界よりも本の中の方が圧倒的に多かった。

本を読むことは現実から逃げることであり、同時に、退屈な現実から抜け出すヒントを探し求める行為でもあった。






山田かまちは、そんな風に本にどっぷりと浸かっていた14歳のときに出会った。


17歳のときにエレキギターの練習中に感電死した少年。

死後、ベッドの下から大量の絵や詩が発見された。


13歳から17歳のあいだに山田かまちがひたすらたくさん描いた絵や詩や日記が収められた1冊の本。

「17歳のポケット」


感じなくちゃならない。

やらなくちゃならない。

美しがらなくちゃならない。

ー山田かまち


絵や詩、日記から溢れ出すように伝わってくる彼の感情、鼓動、振動。


中学3年生。

ぼくも初恋、進路の悩みの真っただ中。


友達よりも先生よりも親よりも誰よりも、ぼくにとって本の中の山田かまちが最大の理解者であり応援者だった。

かまちはぼくの中で生きているも同然だった。

とにかく毎日、彼の本を広げて眺めては、心に響いてくる絵や言葉からエネルギーをもらっていた。


山田かまちに夢中になって、かまちのように感じて、かまちのようにたくさんのことをやって、かまちのように人生を美しがって生きたいと思っていた。

「激しく生きたい」と思っていた。






だけど、激しく生きるにはどうすればいいのか、ずっとわからなかった。

わからないけど、少なくとも自分がいま「激しく生きていない」ことだけはわかる。

ずっとそうだった。



君にはこんな経験はないか。

つまり、自分のしなくてはならないことが何かあるのがわかっていて、

しかしそれが何なのかははっきりつかめない。

そんな経験はないかい。

おれにわかるのは、何かをしなくてはならないのだということで、それが何なのかよくわからない。

時がくればわかるだろうが、おれは本物をつかむまでやるんだ。わかるかい。


ージェームス・ディーン





やっと来れた。

言葉に言い表せないこの5日間。


人生、何が起きるかわからない。

毎日、どうなるか何もわからない思いつきの旅。

毎日が未知の冒険。


きのうの不良少年との出会い。

奇跡は起きる。

だからこそ面白い5日間だった。






こじんまりとした美術館、毎日眺めてきた絵や言葉の実物が展示されていた。

ぼくにとっては、ここにこういうやり方で辿りつけたことに大きな意味がある。


山田かまちの命日は17歳の8月10日。

奇しくも、ぼくの誕生日と同じ。

17歳までに来れてよかった。


いま、かまちの情熱とともに新しい人生へと向かおうとしている自分がいる。


このときのことは、旅から帰ったあとレポートとして高校の授業で提出した。






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「山田かまち水彩デッサン美術館芸術鑑賞レポート」



ぼくは、この美術館へ学校を休み、家を飛び出して、一人旅をしてたどり着いた。

飽きた日常から逃げ出して。


かまちの作品に出会ったのは、中学2年のときだった。

14歳、ぼくはたくさんの夢を見、旅に外国に憧れていた。

しかし、それらは何一つ経験とならず、実際に起こらなかった思い出として胸の奥にしみ込んでいくだけの毎日だった。

そんなとき、かまちの作品は「精一杯生きてゆけ」という「もう一人の自分」からの魂の叫び声のように感じられた。

だがぼくは、方法を持てなかった。

かまちに共感するだけで、そこから人生を変えていくには、どうするかわからなかった。


作品『乞食は夜泣く』がこの美術館では一番印象に残ったと思う。

かまちは「勉強しないと乞食になるよ」とよく祖母に言われていたそうだ。

だが彼は高校受験に失敗し浪人し、中学3年のときにはテストを紙ヒコーキにして投げたという。

「乞食」はかまち自身の落伍者としての姿であり、「夜泣く」ところが彼の苦悩を表していると思った。

かまちのこんな言葉も覚えている。

「高校に行くほど、だんだんぼくはバカになっていく」

あれだけ、やりたいことの多かったかまちにとって高校はどんな場所だったのか?

勉強は?

そして当時の受験システムは?

かまちは、きっとそれらの問題に勇ましく立ち向かって行ったと思う。

激しく。

17歳で事故死せずに生きていたなら。

とても残念に思う。

ぼくは今、16歳。

もうすぐ17歳になる。

「どうすれば、人生を燃焼できるのか?」


美術館は、思ったよりずいぶん小さかった。

だけど、絵はとてもみずみずしかった。

受付の女性とは、たくさん話し、ポスターも戴き、大変親切にしていただいた。

書き込みノートにもぼくの想いを書かせてもらった。

ぼくは、そのノートに、自分はもう、かまちに共感しない。

何もしない人生から出て、積極的に生きていく為、あの頃の自分に、悩むかまちにさよならをすると書いた。

しかし、勉強・進路のことで両親と言い争い、こうしてこのレポートを書いていると、山田かまちが愛おしくてたまらなくなってくる。


ぼくの将来は漠然とし、ぼくは漠然と生きてきた。

どうして人生は思っていたよりこんなにも退屈なのか?

そう思いながら。


今回、ぼくはすべての日常を捨てて旅に出た。

それは、ぼくの日常への質問だった。

「このままの人生でいいのか?」

突然学校を休んで1週間の旅だった。

たくさんの出会いがあった。

とても疲れた。

この旅は、ぼくからぼくへの挑戦状だった。

ときどき、こんな風に感じることがあった。

「ぼくがぼくになる」


ぼくは、もっと世界に質問したい。

世界の素晴らしい可能性を確かめるため。



人生には、答えは無数にある。

しかし

質問はたった一度しか出来ない。   

―寺山修司



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かまち美術館をあとにして


かまち美術館をあとにして、とりあえず東京にもどることにする。

神田の古本屋街がすごいと聞いたことがあったので、寺山修司の絶版本でも探しに行こうかなと思い立つ。

電車に揺られて東京へ。

JR山手線は都心の駅をぐるぐるまわり続けると知り、座席に座ったまま寝てしまうことにする。


しばらくして、山手線を何周かしたころ、駅員さんに起こされ終電で降りないといけなくなった。

東京駅で下車。






しばらく駅の近くを歩くが、大都会すぎて人気のない眠れそうな場所なんて全くなさそうだ。


もういいや。

逆に目立つところで寝ようと思い、駅前の高島屋デパートの前に寝ころぶ。

リュックサックが枕代わり。

若者が地べたで直接寝ているので注目度は抜群だ。

通りかかる人たちがみんなぼくを見て行く。

こんだけ注目されてれば、逆に安全だろう。

駅の建物とつながっているので、屋根があって雨もしのげるし、外よりも温かい。

我ながら大胆不敵な発想。

快適に眠りにつく。






「おい、君っ」

1時間ぐらい眠ったとき、肩を叩かれて目を覚ました。

警察官が3人いた。

「なにやってんだべ」

3人とも言葉がものすごく訛っている。


人生初めての補導だ。

近くの交番で取り調べを受ける。

「どうせタバコくらい持ってんだべ?」

かばんの中身を全部出せと言われ、ポケットの中も調べられる。

ねちっこくいろいろ聞かれる。

軽い犯罪者扱いにショックを受ける。


親にも電話された。

「親御さんですか?息子さんが野宿してるのはご存知でしょうか?」

「はい、知ってます」

母親があっさり答えて、あっさり無罪が証明された。






昨日のお昼を食べて以来、お金がないので何も食べていない。

腹ぺこだ。

カップラーメンくらいお巡りさんがおごってくれないかなと期待していたけど叶わなかった。

交番の中で寝させてくれないかなとも期待していたけど、それもダメだった。

でも

「交番の前で野宿したらいい」

と言ってくれたので、お言葉に甘えて、交番前の道路に寝っころがる。


今夜のぼくは世界一安全なホームレスだ。






旅、6日目


東京駅から神田の古書店街へ歩いて向かうことにする。

久しぶりに方位磁石に従って歩いていたら、完全に道に迷った。






昼前に公園で休憩することにした。

一昨日の昼から何も食べていない。

お腹がすき過ぎて、さらに歩きすぎて疲れ果てた。


とりあえず、昼寝しようと横になる。


近くに小学校があり、チャイムの音が聞こえる。

高校のみんなは、今ごろ何をしているかなぁとぼんやりと思う。


少し離れたところでホームレスのおっちゃんたちがビール片手に酒盛りをしている。

まだ午前中なのに。

ものすごく笑ってるし、仲が良さそう。

東京のホームレスのおじさんたちは豊かで楽しそうだなあと思いながら、睡魔に襲われウトウトする。






「おにいちゃん」

「おにいちゃん」

声で目を覚ますと、目の前にさっき宴会をしていたおっちゃんが。

「大丈夫か?」

「大丈夫です、ちょっと眠くて」

と言うと、

「おにいちゃん、これでジュースでも飲んで」

10円玉や50円玉の小銭がいっぱいで、手に重みをずっしりと感じた。

まさかのお恵み。


「元気出してな」

と言うとおっちゃんたちはどこかへ帰っていった。

200円ぐらいあった。

そのお金で買った自動販売機のポカリスエット。


飲みながら、このこともきっと一生忘れないだろうなと思った。






午後、神保町の古本屋街に無事に辿り着いた。

寺山修司の古い本を探してまわる。

確かにたくさんあったけど、立ち読みで満足して、結局1冊も買わずに神保町を出た。

もうお金がない。


もう大阪に帰ろう。


高速バスを乗り継げば、ぎりぎり大阪まで帰れそうなお金は残っている。

あした、一番安いバスで出発する。






今夜はたぶん最後の野宿。

また警察に捕まるのは嫌だし、こんどはやっぱり人気のないところを探して眠ることにする。

でもやっぱり東京。

1時間以上歩いても良い場所がない。

結局、大きい家の駐車場に侵入して車のタイヤにくっついて寝た。

見つかったら通報されるなと思いながら。


こんな生活も今日で終わりと思うと感慨深い。






旅、7日目


家主に見つからないように、朝5時に起きて出発する。

東京駅に行くと、夜間バスより昼間のバスの方が安かったので、午前中に出発することにする。

ハイウェイバスで東京駅から名古屋へ。

名古屋から大阪梅田へ。

一気に。


もう3日間、何も食べていない。

所持金は100円も持ってない。

梅田から家の最寄りの十三(じゅうそう)駅までたった2駅、電車に乗るお金もなかった。






ゆっくりと歩いた。

淀川沿いの道。

懐かしい見知った風景がスローモーションのようにゆっくりとぼくのまわりを進む。

のどかな堤防沿いの公園の景色がひろがる。


ついに帰ってきた。

やり遂げた充実感でいっぱいだった。


突然の家出から7日間。

高校を抜け出して非日常への冒険。

明日どうなるかわからない毎日をすごした。


ハローいつもの世界。

ちょっとは変わったかな。






家に帰り着く。

1週間ぶりにおふろでシャワーをあびると、茶色い泥水が流れた。


母親がつくってくれた晩ご飯をお腹いっぱい食べて、ぐっすりと眠った。

ふとんで寝るのも1週間ぶりだ。


すべてが快適な日常に帰ってきた。














旅の翌日


翌朝、ふつうに登校することにした。

いつもの学校、いつもの日常にもどってきたことが新鮮だった。


「成瀬が帰ってきた!」

教室に近づくと、ぼくを見つけたクラスメートが教室の中に向かって呼びかけた。

どうやら、みんなはぼくが旅に出ていたことを知っているようだった。

あとで聞いた話だけど、母親は律儀に毎朝学校に電話をかけてくれていたらしい。

「息子は今日も帰ってこないので、休ませて頂きます」

「わかりました!お大事に!ガチャッ」

そのたびに電話口に出た先生は、風邪が長引いているのかと勝手に勘違いしていたそうだ。


ぼくが旅に出て3日目か4日目にやっと、

「ずいぶんと長い風邪ですね。えっ旅ですか!?」

と事実が判明し、先生も先生でクラスのみんなに

「成瀬は自分探しの旅に出ました」

とわざわざ伝えたから、クラスでもかなり話題になっていたらしい。


沖縄にアロハシャツを買いに行っているという謎のデマも飛び交っていた。






その日は、6時間目がホームルームだった。

6時間目、担任の先生がいきなり、

「成瀬、旅の報告をしてみない?」

と言ったので、自分の席に座ったまま、ぼくは話し始めた。

夢中で話した。

みんなは静かに、ずっと聞いていた。

話し終わった途端、大きな拍手が起きた。

驚いた。

何か伝わったかもしれない。

すごく嬉しかった。

すぐに授業終了のチャイムが鳴ったので、50分間一人でしゃべり続けたことになる。

こんな経験も人生で初めてだ。


「さ、やりたいこともやったし、勉強もがんばらなな!」

先生はそう言ってホームルームを締めくくったけど、やりたいことをやったらなぜ勉強をがんばらないといけないのか不思議に思った。


「オレも今度、旅に行くわ」

ホームルームのあと、クラスの男子達から声をかけられた。






他のクラスの顔見知りや剣道部の友人、いろんな人から旅のことで話しかけられるようになった。

特に女の子から話しかけられることが多かった。


ほとんど話したこともない、密かに憧れていた女の子からも話しかけられた。

美人で積極的で太陽なような性格の彼女に、いきなり目を合わせて

「ダーリン、旅の話しを聞かせて」

なんて言われた日には、旅に出て本当によかったと思った。


何も褒められることを成し遂げたわけでもないけど、ぼくの想い、ぼくの行動が、こんなにも学校のみんなに響いている。

そのことがものすごく嬉しく、手ごたえを感じた。






つかの間の日常


旅から帰ってきたぼくは今度は逆に「高校生活」をあらためて真面目に満喫することにした。

遅刻も早退もしなくなった。

毎日キチンと学校にいく。

しっかり授業を聞いて勉強する。

部活に励む。

クラスのみんなで秋の文化祭には演劇をするというので、ぼくは大道具係として参加した。

自分たちで脚本を書いて演出もして、夜遅くまで練習したりミーティングしたりした。

クラス一丸となって良い演劇ができたと思う。

その打ち上げのカラオケも楽しかった。

部活の友達と、泊まりがけのスキー旅行に行ったりもした。


日々が、青春の一コマのような毎日。

絵に描いたように楽しい学校生活。

高校1年生に時計の針が戻ったようだった。






ふたたび訪れた平穏な日常が過ぎ去り、高校2年の3学期。

大学受験の足音が聞こえる。

進路をどうするか。

みんな考え始めた。

先生との進路面談もはじまった。

ぼくは正直に自分の気持ちを先生に伝えた。

「勉強にやる気が出ません。受験勉強したくないです」

笑われたけど、ぼくは本気だった。


「高校を中退する」と宣言し、学校に行くのを辞めた。






もともと、この高校に合格はしたかったけど、入学したいわけではなかったのだ。

実は入学したときから、卒業までに辞めるかもしれないと思っていた。














中学3年生。
ぼくはクラスのみんなが飼いならされた犬に見えた。


ぼくは小学校のころは学校の勉強が楽しくて、「算数おもしろ大辞典」みたいな本を親に買ってもらって一生懸命読んでいるような子どもだった。

授業中にみんなでじっくり問題を考えたり、自分の意見を言ったり、子ども達でお互いに教え合ったり、そんな時間が楽しかった。


だけど、中学校に入ると、だんだんじっくり考える時間は少なくなり「暗記させられている」と思う時間が増えていった。

ぼくは、なぜその答えが出たのかという理屈を考えるのは好きだったけど、ただ暗記するのは好きではなかった。


だんだん勉強に興味が持てなくなって、ぼくの中学校の成績は中学1年からずっと右肩下がりだった。

だけど、最悪でも平均よりも上ぐらいはキープしていた。

その理由は、友達もいないし、やりたいこともないし、読書と勉強以外にやることがなかったからだ。






会話がうまく合わない。

共感できない。

趣味も感覚もあわなくて、クラスメートの輪に入っていけない。

一番孤独だった中学2年生のお昼のお弁当は、毎日一人で食べていた。


友達がいないので、休み時間は孤独で暇でしょうがない。

「とりあえず」宿題なのどやらなきゃいけないことをやった。

宿題が終わると、楽しそうに話すクラスの中に一人ぽつんと、浮いているような状況が恥ずかしかった。

本が好きだったけど、好きな本を机の上にひろげて読んだりするほど、明らかにみんなと違う行動をするほどの勇気もなかった。

どうしようもなくて、本当にやることがなくなってしまって、しょうがないから「とりあえず」寝たふりをした。


苦痛すぎて、休み時間なんてなければいいと思っていた。

日々、自分が死んでいるようだった。

世界と比べると日本は平和で豊かだし、家族もよい人たちで、何不自由なく恵まれた人生を歩んでいるはずなのに、こんなにも息苦しくて、生きている気がしない。






この世界は、参加するに値する意義のある世界か?

自分の人生は、生きるに値する人生か?

本を読めば読むほど、自分が残念で、ここではないどこかへ行きたいという思いが募った。


だけど、現実には本を読むのと勉強をする以外に、ぼくは何も思いつかなかった。






中学3年生。

義務教育の終わり。

14歳〜15歳のすべての日本人がいっせいに、おそらく生まれて初めて自分の人生と向き合う。

そして大多数の人が普通科の高校へ進学する。


3年生の1学期、ぼくは違和感を感じていた。


なぜ、いままで先生の質問に手を上げなかったクラスメイト達がいっせいに突然、全員手をあげるようになったのか。

なぜ、突然みんな宿題をキチンと出し、キチンとノートを取るようになったのか?

答えはシンプルで、そうしないと内申書の成績が悪くなって、希望の進路に行ける可能性が低くなるからだ。

みんながコロリと先生に態度を変えるのが、ぼくはとても気持ち悪いと思った。


今まで、勉強しない、授業をきかない、勉強なんて自分には必要ない、といった反抗的態度を取っていた彼らはどこへ行ったんだろう。

進路があるから、受験があるから。

「とりあえず」勉強することにしたというもっともらしい彼らの意見が、何かの言い訳にしか聞こえなかった。


ぼくから見たら、みんなが飼いならされた犬で、投げられたエサを必死で取りに走っているように見えた。


なぜ、「とりあえず」勉強しないといけないのか?

みんな、どういう人生を歩みたいのか?

どういった進路を考えていて、それには受験勉強が本当に必要なのか?

「とりあえず」勉強する以外に進路はないのか?

「とりあえず」クラスメイト全員が打ち込まなきゃいけないほど、勉強や学校の結果が大きく人生を左右するのか?

「とりあえず」勉強するという選択は、自分の進路を真剣に考えることを延期しているだけではないか?

先生も親もクラスメートもみんな一斉に思考停止してないか?

みんなと同じように「とりあえず」の同調圧力に流されてしまうのは、ぼくは悔しい。

ぼくは飼いならされた犬の様には、なりたくない。


だったらぼくは、みんなと逆に「とりあえず」勉強しないし、「とりあえず」宿題も出さないし、「とりあえず」授業中に手もあげないことにした。

ノートも取らないことにした。

当然、成績は下がった。


「成瀬!なんで黒板写してへんねん」

ある日、数学の先生に言われた。

黒板を隅から隅まで写して提出するなんて、アホらしいし無意味だと思ったからやらなかった。

「ここに入ってんねん」

ぼくは自分の頭を指差して言った。

どつかれたけど、自分でウケた。






初恋から物語がはじまった


夏休み前、僕は突然恋に落ちた。

近くの席の女の子。


それまで良いな可愛いなと思う女の子は何人かいたけれども、今回は全く違う「好き」だった。

初めて出来た話のあう女友達で、人間としても尊敬できて、優しくて、彼女の持つ凛とした雰囲気が好きで、憧れに近い「好き」だった。

最初は何も思っていなかったのに、いつのまにか大好きになっていた。

その女の子、Aさんとすると、Aさんが苦手な数学の問題を一緒に解いたり、授業のわからないところを話したりすることが、ぼくにはかけがえのない楽しい時間だった。


Aさんは真面目に一生懸命、志望校を目指して勉強している。

その努力の姿はきらきらと眩しかった。


「おたがい、勉強がんばろーね♬」

なんて無邪気に言われると、思わず「うん!」と言ってしまう。

爽やかな風が胸の中を通り抜けて、自分も一緒に勉強したくなった。


恋の魔法にかかった。


なにはともあれ、目標に向かって努力することは美しい。

Aさんと一緒にがんばってみたい。

全国の中学生がいっせいに取り組む受験勉強という名のスポーツゲームにぼくも参加してみよう。

「勉強する意味なんて、勉強したらわかるわ。やらずに批判するのはよくない」

という親の言葉にも一理ある。

ぼくも「とりあえず」、飼いならされた犬になってみよう。

なかば強引に納得した。


受験先は、愛するAさんが受験する予定のT高校だ。

普通科なので、「とりあえず」進路の決定も先延ばしにできる。






受験勉強はスポーツだ。


今回の受験勉強をスポーツだと割り切ると、いろんな疑問が解決した。

スポーツだから、ルールに則ってがんばるだけだ。

なぜそんなルールなのかとか、がんばって何が得られるかとか、そんなことを考えてもしかたがない。

ゲームのルールがそうなのだから。

ノートもキチンととるし、質問もたくさんして積極的な姿勢を先生にPRするし、宿題も完璧にこなす。

テストは丸暗記してでも正答する。

受験というスポーツを目一杯がんばって楽しむ。

そう割り切ってしまえばシンプルだ。






当時1学期のぼくの成績では、Aさんの志望するT高校よりも4ランクほど下の高校にしか入れないと先生に言われていたけど、夏休みから一気に巻き返した。

1学期の内申点が悪すぎるけど、それを補えるほど好調子な2学期、3学期の内申点。

T高校よりも1ランク上、中学校で最も成績のいい数人の生徒しか合格できないK高校すら上位合格できる高い実力。

やれば面白いほど成績が伸びた。


親は喜ぶし、じいちゃんばあちゃんも大喜びで、もちろんぼく自身も手応えと充実感を感じていた。






だけど、ぼくの恋はまったくうまくいかなかった。

告白して振られて、友達でいようなんて言われても、平常心でそれまで通りAさんと接することなんてとても出来ないほど、Aさんが好きだった。

好きだという気持ちを伝えずにはいられなかったし、伝えたからどうなりたいとか、どうしたいとかは何もわからなかったけど、Aさんが好きだというぼくの感動をとにかく本人に知ってもらいたいと思った。

その結果、Aさんとぼくは気まずくなり、よそよそしくて、まったく会話もできない関係になってしまった。

どうしたらいいかわからない。


それでも、片想いでも好きでいられる異性がいるだけで嬉しかった。






恋は終わってしまっても、物語は終わらない


3学期には、Aさんは成績を落として、志望校を変えてしまった。


ぼくは、もうワンランク上のK高校を受験するという選択肢もあったし、ランクを下げてAさんの志望校を受験するということももちろんできたけど、当初の目標通り、T高校を受験することにした。


Aさんといっしょにがんばろうと思って始めたこの受験というスポーツを最後までやりとげる。

やりとげて、それからもずっと、いろんなこととしっかり向き合って生き続ける。

Aさんを好きというこの素晴らしい気持ちを忘れずに持ち続けて、もっと成長して強く素敵な男になりたい。


物語は終わってしまっても海は終わらない

ー寺山修司


ぼくはこの言葉が好きだ。


恋の物語は終わってしまっても、想い出は終わらない。

ぼくの物語は続く。

Aさんへの片想いの初恋をぼくは一生忘れないだろう。


自分を変えよう。

将来、人生をふりかえったときに、ああ俺の人生が変わったのは、あの恋愛がきっかけだったんだと、思い出せるように、いまを人生のターニングポイントにしよう。

あのAさんに恋した気持ちが、自分の人生の中で大きな意味を持てば、「Aさんとの恋は終わらない」と考えた。






海が好きだったら


水に何を書きのこすことが

できるだろうか

たぶん何を書いても

すぐ消えてしまうことだろう


だが


私は水に書く詩人である

私は水に愛を書く


たとえ

水に書いた詩が消えてしまっても

海に来るたびに

愛を思い出せるように


ー寺山修司







意味のない高校入学


高校合格発表の日。

バスにゆられてぼんやり考えていた。

試合終了だ。

ここまできたら、もう落ちてようが受かってようが、どっちでもいい。

ここまで成績をあげて、このスポーツを全力で戦いぬいた。

それだけで目標は達成したみたいなもん。

合格はしていたいけど、合格しようがしまいが、これでぼくの受験勉強という名のスポーツは試合終了。


高校合格に意味はあったけど、入学には意味がなかった。

合格後、T高校に通うことはハッキリ言えばぼくにとっては無意味。

目的のないことだ。


合格者の掲示板に自分の名前を見つけたとき、心は静かだった。

まわりの中学生たちが大喜びしているのを醒めた目で観ていた。

これから始まる新しい生活の中で早く自分の進路を、いかに生きていくかを見つけなければいけない。






高校生活はいままでとは違い友達がすぐに出来て、いきなり面白かった。

部活にも入った。

部活の仲間とみんなで遅くまでだべったり、バーベキューしたり、ああこれが青春かなと思う日々だった。


「とりあえず」この日々にどっぷり浸かって楽しもう。

みんなと同じ「フツーの高校生活」を楽しんでやろう。

勉強も、平均点を取れる程度にはやってみることにした。


楽しくて忙しくて、あんなに好きだった本も読まなくなり、悩み事も何もなかった。

可愛い女の子も多くて、新しい恋もやがてはじまりそうだった。







寺山修司との出会い



そんな1年生の夏休みに、図書室で「ひとりぼっちのあなたに」というちょっと恥ずかしくなるようなタイトルの本を見つけた。

寺山修司という人が書いた、メルヘンチックでロマンチックだけど心の痛みに触れてくるような、胸に沁みるエッセイや物語、詩だった。


わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る

ー寺山修司


もっとこの人の本が読みたいと思って本屋さんで手にしたのが「家出のすすめ」という文庫本だった。


家を出ることによって、家の本当の意味に気がつく。

そこから自分なりの家、そして人生をゼロから始められる。


人生を変える衝撃を受けた。


家という言葉はいままでの「日常」にも置き換えれると思った。

日常から外に出ることで、いままでの日常の本当の意味に気がつく。

そこから新しい人生が始まる。


ぼくにとって「日常」はいったい何かと考えると、それは「勉強」なのではないかと思った。

勉強するのが当たり前。

毎日学校に通って、宿題をして、受験をして大学に行く。

勉強から始まる人生のレール。

レールから外に出ると、いったいどうなってしまうんだろうか?

新しい景色が見えるかもしれない。



 わたしは、同世代のすべての若者はすべからく一度は家出をすべし、と考えています。家出してみて「家」の意味、家族のなかの自分・・・(中略)・・・という客観的視野を持つことのできる若者もいるだろうし、「家」をでて、一人になることによって・・・(中略)・・・東京のパチンコ屋の屋根裏でロビンソン・クルーソーのような生活から自分をつくりあげてゆくこともできるでしょう。

やくざになるのも、歌手になるのもスポーツマンになるのも、すべてまずこの「家出」からはじめてみることです。

「東京へ行こうよ、行けば行ったで何とかなるさ」――そう、本当に「行けば行ったで何とかなる」ものなのです。

ー寺山修司「家出のすすめ」より







とりあえず「勉強」を捨ててみる


「とりあえず」フツーに高校生活を送ってみる。

それはそれでとっても楽しいけど、ぼくはこんなことをしたかったわけではない。


高校の勉強は、中学校よりもさらに暗記中心の勉強になった。

興味持てないし、退屈だった。

勉強しても、新しい思考回路も、見晴らしのいい地平線にふと出会うような学問の感動も得られない。

もはや勉強ではない。

ただの暗記だ。


もっと本質的な「生きる手ごたえ」を、つかみたい。


高校合格以降、ぼくの進路は立ち止まったままだったけど、そろそろはじめようかー。






ある日、中学校のときの初恋のAさんからもらった手紙やたくさんあった自分の日記を、やぶいて捨てた。

大阪の近所の町や淀川ぞいを散歩しながら、そのへんにあるゴミ箱に捨ててしまった。


「勉強」も捨ててしまおう。






とりあえずまずは、単位を落とさない程度の本当に最小限度の勉強しかしないことにした。

授業は聞かない。

なぜなら授業を聞くより自分のペースで教科書や問題集を解いて理解していった方が勉強の効率がいいからだ。

例えば50分の授業時間中、20分の自主勉強でその授業内容を理解して終わらせて、計画的にわざと遅刻もするし早退もする。

出席日数を進学の問題にならない程度に出来るだけ減らす。


ぼくは、それまで今までの人生で、遅刻なんてほとんどしたことがなかった。

健康だったので、早退なんて一度もしたことがない。

どうどうと授業を無視したこともない。


はじめはドキドキしたけど、どんどん慣れて平気になっていく。

学校に毎日行って授業を受けるのが当たり前だった日常から逸脱していく。






授業をさぼって、ぼくはひたすら本を読んでいた。

やっぱり本が好きだし、手軽に世界と思考を広げるには本だった。

本しかなかった。

親にも先生にも、友達に相談しても、誰もぼくの人生の参考にならなかった。

小説、ノンフィクション、エッセイ、詩、ビジネス書、科学の本、実用書、いろんなジャンルの本を気になったものを片っ端から、とにかく読みまくった。


先生からはもちろん注意を受けたが、その場だけ取りつくろってまた本を読んだ。

勉強するのが当然、先生の話を聞くのが当然、宿題して当然という空気の中、それをまったくやらないのは、明らかに反抗だった。

先生にもクラスメートにも迷惑をかけているのは明らかだった。


しばらく続けていると、だんだん居心地が悪くなってきた。

ここは受験勉強をするために集まった人たちの場所。

なのにぼくは受験勉強を全くしたくない。

「勉強」を捨てたのだから、ぼくがここにいる意味は無いんじゃないか?






「学校」を捨てて、非日常の旅へ


「勉強」だけじゃなく「学校」も捨ててみたい。


高校2年生1学期、沖縄への修学旅行後の中間試験。

面倒くさいなと思いながら、窓の外の青空を眺めていたらふと思った。


「近いうちに、いちど脱出しよう」






ぼくは「旅行」がしたいのではなかった。

学校をサボりたいのでもなかった。

「日常」から脱出したかった。


その日がどうなってしまうのか、明日がどうなっているのか、あさってはどこにいるのか、全く予想不可能な非日常に行ってみたかった。

いつも通り学校に行って、何も変わらない退屈な日常が始まる瞬間に突然、誰にも予測不可能な行動をとる。


毎日学校へ行って、勉強して、進学して、就職していく。

そんな日常、まわりの人たちの常識、自分の中の常識を一回まっさらにして、ゼロから自分の人生を見つめてみたかった。






なんでもない日常のなんでもないある日。

寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。


高校2年生の梅雨の季節ー








旅で見つけたもの


国民的コミック「ドラゴンボール」や「スラムダンク」「バガボンド」などの主人公はみんな、常識の通じない破天荒な性格で、王道から外れた人生を歩んで圧倒的な強さを見せる。

坂本龍馬だって、幕末の志士達だって、当時の常識的な生き方からはまったく型破りな豪傑たちばかりだ。


彼らに共通するのは、常識を打ち破って自分の信念をつらぬく生き方だ。

なのに、大多数の日本人は自ら破天荒な物語の主人公のように生きようとはしない。


「安定した生活がしたいから、とりあえず公務員になりたい」

なんて言う高校生が多い世の中だ。


「人生、何が起こるかわからんで、おもしろいな」

今回の旅の途中、滋賀で出会って仲良くなった不良少年の言葉にぼくは感動した。

いろんな生き方があって、いろんな人がいるから、世の中おもしろい。

ぼくはそう思う。








朝起きて、学校に行って机の前に座る。

夕方まで勉強する。

宿題をする。

高校3年生になると受験勉強にはげんで偏差値の高い大学を目指す。

大学に入ったら学生生活を満喫し、就活が始まると無精髭や伸ばした髪を切る。

出来るなら、資格をたくさんとっておいた方がいい。

いい大学に入れたら、就職活動は楽で大企業にも入りやすい。

大企業に入れたら、親孝行だし、両親もじいちゃんばあちゃんもみんな喜ぶ。

大企業だから、給料がたくさんある。

大企業だから、結婚もしやすい。

お金があるから、マイホームを建てることもできる。

お金があるから、幸せになれる?


「やりたいことをやりなさい」

「夢が大事」

とか先生や親は言ってるけど結局、人生を一本道に感じさせるようなこの空気は、暗黙の了解として子ども達の世界を覆っている。

このレールから外れると、将来がどうなってしまうかわからない。

人生の可能性が狭まってしまうかもしれない。

ホームレスか、死か。

冗談じゃなく、そんな結末もあるかもしれない。

「漠然とした不安」がひろがっている。



受検→いい学校→いい会社→いい結婚→リッチな暮らし→しあわせのステイタスってパターンがあるじゃない。

でもさ、いつか柴田ハル言ってたように、100人いれば100の顔があって、当然100の幸せがあるわけでしょ。

どうして日本人って他人と同じ価値観に怯えたように追われるのかね?


ージパング少年7巻(いわしげ孝)






この「先がわかってしまう退屈さ」を打ち砕く生き方を自ら志願する同級生や同世代はいないのかとずっと思っていた。

マンガのヒーローや幕末の志士達のように破天荒に自分の生き様を貫き通して。


教室を見渡すと、授業中に眠っている生徒の多さ。

興味がない勉強をしているから毎日が眠いのだろう。

人生も居眠り運転してないか?



近頃は「眠い眠い病」が流行しているそうである。

さまざまの人たちが、この「停年までをわかってしまった」日常の中で、何をしてても同じようにしかならない生活の惰眠をむさぼっている。

つまり、人生いねむり運転をして、何となく「眠い」毎日をすごしているのである。


ー「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)より






退屈だったら居眠りするだけじゃなく、そこから抜け出す方法を必死で考える。

自分の感性を信じて我が道を歩いて行く。

そんな人たちが、もう少しでも増えたら、日本はもっと面白い国になるんじゃないだろうか。

もっと日本の中学生や高校生は夢や希望を見れるんじゃないか。


今回の旅は、本当に行き当たりばったりだったけど、なんとかなった。

ものごとってみんなや自分が思っているよりも、けっこう何とかなるのかもしれない。

人間の可能性って本人が思ってるより、実はすごくたくさんあるのかもしれない。

そう信じて生きていたい。


ぼくは、日本の若者達にいろんな可能性があることを示し、人生に希望を感じさせるような、そんな存在になりたい。


「人生、何が起こるかわからんで、おもしろいな」

滋賀の不良少年の言葉は胸の奥でしだいに発光し、ぼくを揺さぶった。



本当に怖いのは、実は原爆でもお化けでもなくて「何も起こらない」ということなのではないだろうか。

「何も起こらない」時代、ロマンスの欠乏。

それはいわば、あす何が起こるかを知ってしまった人たちの絶望を意味している。


ー「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)






いま、ぼくは見つけたかもしれない。

ずっと探してきた「激しく生きる」って、いったいどんなことなのか。

これからの人生を生きるために必要なのは「この感じ」だ。


このまま、自分の中の違和感や感覚を大事にしながら生きていこう…











自主卒業へ


旅から帰ってきてすぐに、高校はもう必要ないと心の底ではわかっていた。

だけど、だからこそ、もう一度あえて高校生を満喫してみたいと思った。

人生でたった一度しか経験できない青春の季節。


梅雨の季節から2学期の終わりまで、ふたたび高校生活の日常にどっぷりと浸かった。

部活も楽しんだ。

修学旅行にも行った。

文化祭も盛り上がった。

もう十分、高校生活は満喫した。


そして3学期はまったく学校に行かず、試験だけ受けに行った。


ぼくの高校は2年間で3年間分のカリキュラムを終わらせてしまう進学校だ。

だから、ぼくも2年生の3学期までに3年間分の単位を全部取得した。

正直に言うと物理だけ1単位落としたけど。

あまりにも暗記問題が多くてバカらしくなって、白紙でテストを出して0点を何度も取ったからだ。

(先生は悪くないよ)


この先、3年生は復習、受験勉強のみに集中する。

でもぼくは受験勉強はやりたくない。

受験勉強というスポーツは、やれば出来ることは証明できた。

一度経験すれば十分だ。

「受験勉強に意味なんてない」という考えは高校受験後も変わらなかった。

受験勉強のために1年間も貴重な人生を無駄遣いしたくない。

ノーサンキュー。


自主卒業だ。






家でひたすら本を読み、ネットでいろいろな進路の情報を集める。

ぼくにとって無意味で苦痛な受験勉強を回避して生きていく方法を探る。

高校を中退しても生きていける道を探す。


大学はおもしろいところもありそうだ。

高校の単位をほぼ全て持っているから、行く気になれば大検にお金を払えば、高校中退していてもすぐに受験資格は得られる。

AO入試という面接や作文だけで入れる大学もある。

なんならいますぐ大学に入りたい。

飛び級できる大学はないか?

ない。

17歳という年齢では入学できない。

1年間、興味のない受験勉強に人生を棒に振っても、入りたいほどの学校はあるか?

または、就職するか?

どんな仕事がやりたい?


わからない。


だけど、いまが本気で考えるとき。

本気で人生と向き合って考えろ。





「高校やめたらホームレスになるか死ぬで」


ぼくが高校を中退することについては、両親どころか、じいちゃん、ばあちゃん、いとこ、親戚、先生、すべての人が反対だった。

誰も理解者がいなかった。


ぼくを応援してくれていた先生

「大学に入れば、とにかく自由になんでもできるから、1年間のしんぼうやんか」


じいちゃん

「平和ぼけしてるからそんなこと言うんや。いっぺん、戦争行ってこい!」


ばあちゃん

「孫の自慢ばなしになるのが恥ずかしくて、病院にも行かれへん」


いとこ

「ホームレスになる覚悟は出来てるか?親不孝もん」


仲のいい友達

「高校やめたら死ぬぞ」


母はストレスで体調が悪くなって仕事を休んだ。

「こんな毎日やったら病気になって死んでまうわ。あんたのせいや」


父はある日、ぼくが高校に行かない理由を話していると

「聞こえへん聞こえへん聞こえへん!」

と両手の人差し指で両耳を塞いだ。


父は昔、死にたくなるぐらい落ち込んだとき、自分が天下の京都大学を卒業していることをプライドに、自分は大丈夫だと思って持ち直したそうだ。

だからぼくにも学歴ぐらい持っておいた方がいいというアドバイスをくれた。

笑ってしまう。






どうせ死ぬなら徹底的に生きるし、この命を有効活用する方法を考える。

高校中退した結果、死んでしまったって望むところだ。

ほとんど誰もやったことのない人生を生きて死んだのだから、なんで死んだか、自分なりに分析して後世に残すと貴重な記録になる。

ぼくの人生は誰かの役にたち、その人の中で魂は生き続けるはずだ。

意味のない人生を死んだように送るくらいなら、本当に死ぬかもしれないリスクを冒しても、満足できる意味のある生き方をしてみたい。


いろんな生き方があって、いろんな人がいる方が世の中おもしろいだろう。






「将来の選択肢が縮まる」

「就職できない」

「お嫁さんも来ないで」

「親不孝者」

「わがまま」

「世の中なめてる」

「甘い」

「ホームレスになる」

「死ぬで」

「後悔しろ」


学歴社会の構造から人格の否定まで、ありとあらゆる角度から責められた。

毎日毎日、否定された。


みんな悪いひとではない。

ぼくのことを想って言ってくれていることもわかっている。

どちらかと言えば、確実にやさしい親切な人だろう。


だけど、ぼくは意味のない勉強に従う飼い犬のようなクラスメートたち、学歴社会というレールを敷かれ受験勉強で感性の最も豊かな10代をゴミ箱に捨てている日本の未来を担う若者達を、おせっかいにも無視することが出来ない。

受験をしないだけで、大学に行かないだけでホームレスになったり死んでしまうほど、この国は閉塞感に包まれた国なのか。

それをぼくが身をもって確かめる。

もしこの閉塞感が現実だったら、その閉塞感を吹き飛ばす方法を身をもって世の中に提示したい。


「子供の自殺、10人に1人が進路問題」という記事をこの間新聞で読んだ。

日本の小中高生の自殺者数は年間300人くらいだそうだ。

ということは、小中高生の30人以上が毎年進路に悩んで自殺までしている計算になる。

進路の悩みで自殺するほど追い込まれる閉塞感っていったい何だ?


そもそも日本では、毎年3万人も自殺している。

豊かなはずの日本のこの閉塞感はいったい何なんだろう?

檻の中で自殺する飼いならされた犬に、なっていないか?


たとえ、生きていくことがどうしようもなくなっても、ぼくは希望は必ずどこかにあると思う。

と、信じたい。

そんな世の中にしたい。


あの不良少年との一夜のように、人生、何が起こるかわからないし奇跡も起きる。






高校中退したらダメだというぼくの周りの人は、誰も高校中退したことのない人たちだ。

暗記中心の受験勉強は有害だという大人もいるけど、その大人達も立派な大学を出た人たちばっかり。

誰も高校を中退して、自分の経験から受験勉強の意義や学歴社会の真実を語っている人がいない。


だからこそ、ぼくが中退して学歴社会からはみ出して生きる意味があるのではないか。

学歴社会からはみ出し、世の中にひとつの高校中退者の可能性を示す。


ぼくは勉強に挫折して辞めるのではない。

いじめられて辞めるのでもない。

孤独で馴染めないから辞めるのでもない。

勉強も出来るし、友達も多いし、高校生活は最高に楽しい。

世間の常識から見たら、辞める理由はどこにもない。

理由はひとつ。

受験勉強というくだらないことで人生を無駄にする飼いならされた犬になりたくないだけだ。


純粋にそれだけの理由で高校を中退する人が世の中にいるだろうか?

いないし、聞いたこともない。

ぼくにしか出来ないことだ。

これは、ぼくにしか出来ない社会実験だ。

生きてる意味がある、と思う。


閉塞感に穴をあける人が、必要だ。






ぼくに意見する人の話は全員、出来るだけていねいに聞いたつもりだ。

それでも誰もぼくの決意を変えることは出来なかった。

ぼくの考えに賛成してくれる人はほんとうに誰ひとりもいなかった。

全員がぼくの生き方を否定する。

こうなってくるとますます、世の中にぼくが存在する意味があるんだと思えてくる。


毎日毎日、否定の言葉、呪いの言葉を投げかけられるのは正直、ものすごいしんどかった。

だけど、こうなったら何がなんでも高校中退する。

親切に、ぼくを止めてくれる人はありがたいけど、あなたはぼくの人生を妨害する障害物です。

全員、敵。

たおす。

悪いけど。

ジャイアントスイングで思いっきり、プロレスラーみたいにやってやる。






ノイローゼになりそうだったけど、ぼくを説得しにくる「親切な人たち」全員に対して手当たり次第に機関銃のように自分の考えを掃射し続けた。

剣豪、宮本武蔵になった気持ちでばったばったと言葉で「親切な人たち」を斬りつけ返り討ちにし続けた。






朝、早起きして夜明けの淀川の堤防を走る。

夜明けの朝日をみる。

そのひとときが、自分を取り戻す大切な時間だった。






そんなとき、図書館で村上龍の「希望の国のエクソダス」という小説と出会った。

不登校の中学生や高校生がインターネット事業の会社を作り、さんざん儲けて、日本の通貨危機を救い、最後は北海道を日本から独立させ自分達の国をつくる。

というストーリー。

「この国には何でもある。だが希望だけがない」

という有名なセリフの小説。


この小説の公式サイトを作っていたのは東京都武蔵野市の上田学園というフリースクールの学校の学生達だった。


フリースクールというのは、高校でも大学でも専門学校でもなく、学校法人という既存の枠からはみ出した、個人による私塾のような学校。


希望の国のエクソダスのホームページでは、上田学園の学生達が本に出てくるインターネットビジネスの解説を書いたり、全国のフリースクールを取材して記事にまとめていたりしていた。

ものすごくよく出来ていたし、面白かった。


学生は元引きこもりのコンピューターおたくの人や、中学校を自主中退して、北海道のアイヌの村やインドに滞在していた人など、10代校半から20代前半の年齢の生徒達が集まっていた。

自分よりも少しだけ年上ぐらいの人たちが、人気作家村上龍の事務所と一緒に仕事をしている。


ぼくは中退後、上田学園に入学することになり、東京で一人暮らしを始めた。




晴れて高校中退


シスター:退学してから、いったいどうする気なのでーす?

かんな:友達と一緒に南アメリカへ。

シスター:・・・・・・ 一度きりの人生なんですよ、後悔しませんか?

かんな:後悔しません。一度きりだから!

ージパング少年5巻(いわしげ孝)



当時のぼくはこう考えていた。


どんな生き方や人生にも必ず意味がある。

言い方を変えれば、例えどんな生き方をしたとしても、振り返ったときに人間は自分の人生に必ず意味を見いだす。

だから、受験勉強して大学にふつうに行っても、それはそれでよかったときっとぼくは自分の人生を肯定するだろう。

受験勉強を拒否して高校を中退しても同じだ。

その選択がもし何かとてつもない失敗だったとしても、将来振り返ったときに、ぼくはきっと人生においての大きな意味を見つけるだろう。

どっちにしろ、その人生を選んだことには後悔しないはずだ。

結局、どっちでもいいんだ。

すべてのことには意味がある。

あとで必ず意味は見つかる。

だったら、世の中に成瀬望という人間が生きた意味を残せる方の人生を選びたい。




私は肝硬変で死ぬだろう。

そのことだけは、はっきりしている。

だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。

私の墓は、私のことばであれば、充分。

 「あらゆる男は、命をもらった死である。

もらった命に名誉を与えること。

それだけが、男にとって宿命と名づけられる」

ウイリアム・サローヤン

ー寺山修司の絶筆「墓場まで何マイル?」







高校2年の3学期の終わり、終了式のあと。


ぼくは教室の前に出て、クラスのみんなに挨拶をした。

「楽しいクラスでした。みんなも元気で」


拍手をもらい、サプライズでクラスみんなからの色紙と小さな花束を、学級委員長の女の子が渡してくれた。

ぼくをダーリンと呼んだ憧れのあの子だった。

とても嬉しかった。

「がんばってね」

クラスの女の子たちに声をかけられた。

ぼくは自分の選択した人生を誇らしいと思った。

こんなに晴れ晴れした気分で高校生活を終えれて、新しい人生を始められて本当によかった。

「完璧な高校中退」だ。






「青い鳥は東京に行っても見つからないかもしれません」

と担任の先生に言われた。


「幸福とは幸福をさがすことである」

ジュール・ルナアルの言葉を心の中で口ずさんだ。






「世の中ホンマにおもしろいな。何が起こるかわからんな」

旅で出会った不良少年の言葉と、旅から帰ってきてみんなから興味を持たれたこと。

その経験は本当に大きな意味があった。

世の中に偶然を。

奇跡をもっと起こしたい。

もっといろんな生き方、いろんな人がいた方が世の中おもしろい。

この感覚に、自分の人生を賭けることにした。












みんなの卒業式


中退してから1年後。

忙しい時間を縫って東京から帰省し、ひさしぶりにT高校の中に入った。

かつての同級生達の卒業式。

ぼくは保護者席に座り、みんなが卒業証書をもらう様子をひっそりと見ていた。

タイムスリップしたみたいな感覚だった。

みんなとは、ずいぶん違う遠いところにいま立っている。


今日も晴れ晴れとした気分だ。


ぼくをダーリンと呼んだ学級委員のあの女の子と、卒業式の翌日、カフェで再会した。

その後、彼女は渡米し、東京とアメリカでメールや手紙のやりとりをずっと続けることになった。







ハル:なんつうか・・・感覚なんだよな。

   お前らだって覚えあっだろ?

   日本にいて感じる独特の不安感・・・


かんな:アタシもあった。自分が何をやりたいのかすらわからずに、

    夢さえもどっかうつろでそらぞらしく思える不安。


ハル:結局よ・・・ゼロを見ることなく百や千から

   始まらされてたんじゃないかな、俺達・・・

   気がついたらいきなり百の場所に立ってんだ。


かんな:うん、しかもその先きっちりレールが敷かれててね・・・

    原点の必要ない応用とアレンジばっかり・・・・


ハル:俺は、どうしてもゼロから始めたかったんだ。

   それが今日やっとつかめた気がする。


ージパング少年15巻(いわしげ孝)







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あれから14年がたち、いま30歳。

ぼくはホームレスにはならなかったし、死にもしなかった。


旅から10年後の26歳のとき、係長として務めていた出版関係の会社をインドに行くと言って辞めた。

結局インドへは行かず、縁もゆかりもない鳥取県に突然移住した。

そして、出会ったばかりの友人と二人で飲食店を始めた。


飲食店で働いた経験はないし、やりたいと思ったことすらなかった。


2泊3日の旅行で生まれて初めて鳥取に来て、ふらっとそのまま移住してしまって「人生のジェットコースター」に身をゆだねたらこうなった。


1年半の間、廃墟みたいだった古民家を手づくりで改修した。

いま、オープンしてちょうど1年。


日本で一番人口の少ない県の小さな町だけど、ここから世界を変える、と思いながら暮らしている。

「鳥取に地球の地軸が傾いている」

とまわりの人には言い続けている。

そう確信している。


この世に片隅なんて場所は無い。

ぼくがいるところが常に世界の中心だ。


これから時代の大きな変化が起こると思う。

ぼくらはみんな、きっとこの世界を変えていくための「何かしらの役割」を背負っているはずだ。

それをまっとうすべく、いまを生きている。


10代の自分どころか、サラリーマンをしていたころの数年前の自分からしても、まったく、こんな人生になるとは想像もつかなったが、そのわけのわからなさ、不安定さ、予測不可能、どきどき、新鮮な気持ちになれる日々を自分ではとても気に入っている。


「人生は何が起こるかわからない。だからこそおもしろく、生きてみる甲斐がある」

そう思っている。

そういう考えを持つようになったのは、16歳のときに高校をサボってある日突然、旅に出た、そのときからだ。

その旅は、いまにいたるまで本当に大きな影響をぼくの人生に与えている。






信ずるものが一つあればいい

それが何であってもいい

どんなにささやかでもいい

誰にも知られなくていい

微笑みを誘うものであればいい

考えただけで胸が熱くなればいい

それはやがて君の中で無限の広がりとなるだろう

抱いている夢に直結するだろう

凛然と生きられるだろう

人に優しくなれるだろう

自分自身を好きになるだろう


ー「君へ」(ポール・牧)





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