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14/5/27

世界遺産マラッカのセントポールの丘で感じたこと

Image by Olia Gozha


旅好きには、2つのタイプがいると思う。

1つは、なるべく多くの風光明媚な観光地を訪れ、美味しいものを食べ、アクティビティをキッチリこなすのが好きなタイプ。パックツアータイプというか、「名前のある旅」が好きなタイプだ。

もう1つは、その地ならではの人との出会いが好きで、ロードムービー式にぶらりと行くのが好きなタイプ。バックパッカータイプというか、「名もなき旅」が好きなタイプだ。


どちらが正解というわけではないけど、ぼくもどちらかと言えば、後者が好きなタイプだ。そして、これは世界遺産マラッカを訪れた時の、名もなき旅の話。

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その日の昼間、ぼくはマレーシアの首都・クアラルンプールを歩き回っていた。有名なペトロナス・ツイン・タワーやKLタワーを一通り見学。ついでにショッピングモールや水族館にも寄った。そして途中で激しく飽きた。クアラルンプールには悪いが、都市景観にも慣れたし、「もういいや」と思ったのだ。

急遽、予定変更。世界遺産の街、マラッカに行くことにした。首都クアラルンプールからマラッカ海峡に面するマラッカまでは距離にして147km。長距離バスで2時間程度で行けるらしい。すでに夜7時を過ぎていたので、向こうに着くのは9時過ぎだが、まあどうにかなるだろう。しばし、バスの旅を楽しんだ。


夜中に着いたはいいが、当然、宿なんて取っていない。ガイドブックで適当にゲストハウスを選び、1軒目でビンゴ。ゲストハウスというと、10人ザコ寝でギュウギュウとか、めちゃ汚いとか、良くないイメージをもたれる方も多いかもしれないが、実際はピンキリだ。


かつて東西の貿易地としてならした世界遺産の都市、マラッカにあるゲストハウスはなかなか趣のある佇まいだった。昔ながらの家屋を今風に改装した内装で、1Fリビングにはテレビやビリヤード台、そして自転車までついていた。2Fは相部屋の寝室で、蚊が多いのか蚊帳が吊るされていた。

そして、こういう時こそゲストハウスの本領発揮なのだが、そこで出会ったマレーシアやオーストラリアのお兄さんたちと即効友達になり、一緒にビリヤードしたり、ビール片手に映画観賞した。海賊版だったのだろう。DVDで見た映画は、当時まだ封切り中だった「バトルシップ」だった。


すでに深夜12時を過ぎていたが、夜中の散歩に出かけた。マラッカには高いビルはなく、のんびりとした片田舎といった風情。夜はライトアップされて輝き、エキゾチックな趣がある。マラッカは400年以上もの間、ポルトガル・オランダ・イギリスと列強国に支配され、独特の文化が醸成された古都だ。そんな各国のちゃんぽん具合が何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

しかしギョッとする目にもあった。裏道を歩いているとビターン、ビターンと奇妙な音が聞こえてきたのだ。恐る恐る音がする場所へと近づくと、そこには肉切り包丁でバラバラにされた死体が散乱していた。


ただし人肉ではなく、豚肉の。包丁を持つおじさんは、肉屋のおじさんだったのだ。しかし、なぜ、そんな真夜中に肉をさばいていたのか、未だに謎だ。宿に帰ると、さっき一緒にビリヤードをやったマレーシア人のお兄さんがまだビールを飲んでいた。

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翌日は史跡観光のため、街の中心部にあるセントポールの丘へと出かけた。頂上には16世紀の大航海時代、宣教師がたてたセントポール教会跡がある。とは言え、教会は今では朽ち果て、壁しか残っていない。まだ髪がフサフサだった頃のフランシスコ・ザビエルの像も心なしか悲しそうだった。


かつて教会の内部だった場所には、高さ2メートルの石版がズラリ。これはこの地で亡くなったキリスト教徒の墓だという。そこで地元の笛吹きのおじさんに会った。日本人だと告げると、それならいいものがあるとある墓石の前に案内された。


「名前も何も詳しいことはわかってないんだがね、この墓石は日本人のものだそうだ」


実はザビエルはここで日本人の元武士・ヤジロー(ヤジローは史料上確かな最初の日本人キリスト教徒とされる)と出会い、1549年にマラッカから日本に向かったという。だから、その昔この地に日本人がいたというのはそれ程信憑性がない話ではない。時を超えて出会った日本人との遭遇。400年以上前と言えば、戦国時代か。そんな時代にこの地を訪れ、亡くなった日本人がいたとは。そんなことはガイドブックにも載っていなかった。これだから、「名もなき旅」はやめられない。
















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