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14/5/1

ブス、デブと言われ続けていたわたしの10年後 ③

Image by Olia Gozha

~留学生時代編~


何がどんなふうに変わったのか。


よく言われる言葉だけど、「みんな違ってみんないい」。この考え方が当たり前になったこと。個人の価値観だけで見た目の美醜をもってして優劣をつけるなんてバカバカしいことだなあと思うようになったこと。


ハンガリーに来るころには55キロくらいになっていた体重も、昔に比べたら十分痩せたけど日本の10代の女の子の標準からしたらありえない数字。

50キロ超で痩せてるね、なんてとんでもない言葉のはずだけど、ハンガリーに来てみたらよく言われる言葉だった。

ほっそいねー痩せてるねーガリガリじゃん、って。どこが?って感じだったけど、確かに周りと見比べてみるとなんとはなしに、細め部類に入るみたいだった。


というのも、胸もないお腹もないお尻もない、良くも悪くもほぼ一直線。凹凸のある体型がスタンダードな外国人からしてみたら細いというか薄っぺらい。


ちょっと話は逸れるけど。

今も昔も日本人女子たちは少しでも目を大きく見せようと、アイラインもマスカラもがっつりつけて少しでも人形みたいな二重で黒目がちな目に近づこうとする。

でもそれって逆にいえば没個性。なんで外国人に憧れるの?なんで一重がイヤなの?キレイな瞳の色をカラコンで隠しちゃって何がいいの?って言われる。


髪の毛も、黒くて重いのがいやだって言って茶色くするけど、艶があってキレイな黒髪がもったいない!!とホストママによく怒られた。

(ハンガリーにいた期間を半分過ぎた頃から、現地で髪染めて金髪みたいな色にまでなっていた・・・デブとは別に黒歴史)

日本人のステイ受け入れって聞いてたのに、来たのは髪が金に近い茶色い子だったわーと今でも笑い話にされるほど。


体型に話を戻して。

脂肪細胞って、一度できるとなくならないんだって。大きかった細胞が小さくなりはするけれど、どんなに頑張ってみたところで自然になくなることはないんだって。

ってことで55キロ程だった体重が、ホストファミリーたちの年間通した手厚い(?)歓迎によって、再び60キロの大台を軽く超し65キロ強に。

だけど、親友となったアメリカ人×2(二人ともガタイよし)やら、欧米人の感覚による「いやいや太ってないよー」という口車やらにのせられた結果、卑屈になることが一切ない、とっても明るいデブのできあがり


異国の地でわたしが太っていようとなんだろうと、いじめてくるような輩は当然いない。

仲良くなれない人ももちろんいたけれど、それはたとえば日本人だから(人種差別もあれば、日本人のくせに自己主張が激しくてしかもよく喋ってうるさいという場合も)とかハンガリー語が話せないからとか、もっと違うところが理由。

(人種差別の云々は今回置いておくとして)もう少し人として、性格的に、付き合えるか付き合えないかが判断基準になった理由ばかりだった。


加えて、デブでも前までと違ったのは見た目に気を遣っていたのは昔と比べて全然違うところ。

その是非はともかくとして、メイクをしてみたり髪を染めてみたり、ぽっちゃり(どっしり?)とした体型が少しでもセクシー(勘違い)に見えるようにと工夫してみたり。

日本にいると、太っていることは兎にも角にも絶対悪であって、デブはおしゃれしたりする資格がない、くらいに言われていたけれどもそんなことはないんだなって初めて思った。


まあ帰国を出迎えてくれた家族(弟)が開口一番「おまえキモっ」と発するくらい、東京のカルチャーにはフィットしないことは帰ってきてすぐ分かった、というか思い知らされた。



~大学生編~


日本に帰ってくるなり弟にキモいと言われた体型と服装は帰国して程なく、東京のカルチャーにある程度フィットする程度に収まった。

やっぱり日本に帰って食生活が和食中心になるだけで、体重って落ちるもので。

大学受験をAO入試という名のお気楽受験で回避し、バイトを始めて自分でお小遣いを稼げるようになってからは冒頭で書いたことじゃないけど、メイクやら服やらにつぎ込むようになる。


バイトして自分が好きな服を好きなように買えるようになると、自然と体型も気にするようになるから、あー痩せないとね、と思うようになる。どうせコスメ買うならブスのままじゃお金の無駄だしと思うようになる。

このへんからわたしの独特の美醜論が形成されていくことになっていった。


わたしが言う痩せるはガリッガリになること、じゃなくなった。とにかくデブだった時には骨みたいな痩せ体型に無駄な憧れを抱いたこともあったけど、自分の体を分かり始めると骨格的に華奢とかは絶対になれないことも同時に思い知った。

で、ハタチそこそこくらいで無駄なあがきをやめることを早くも覚えた。笑


でも、もうブスと呼ばれる人生は歩みたくなかったし、歩むつもりもなくって、じゃあ自分の顔と骨格に合ったスタイルのよく見える色や服やメイクってどんなだろか。

何が似合って何が似合わないか?どんなものだとイケててどんなものだと野暮ったいのか。

それを考えて、少しずつ自分なりの答えを出すようにしていった。研究ってほどのことをしたわけじゃないけれど、肌感でいろいろ理解できていったし、迷ったときには母親に、これどう?って聞いたりもしていた。


そうして試行錯誤を重ねるうちに、メイクも服装もスタイルもかなり自分のベースが固まって、あとはほぼ今のわたしと変わらず。



※ちなみにウチの母親がオシャレなのかというとまっっっったくそんなことはなく(むしろオシャレのおの字もない)、もうなんていうかダサすぎて逆にそれがカワイイというかんじ。

変なトレーナー(オシャレスウェットではなく、トレーナー)を何の疑いもなく普段使いしちゃうような、そっこらへんにいるオバチャン。もちろん年中すっぴん。たまに変なパーマあててる。

でも主観的な先入観や好みがないからか、それ変だとかみっともないだとか、意外と的を射るようなこと言ってくるからあなどれず、買い物をしたあとのファッションショーにはよく付き合ってもらった。

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