top of page

14/4/14

初めて日本を出た

Image by Olia Gozha


僕が初めて一人で海外に行くチャンスを得たのは高校一年生の夏休みだった。夏休みの間、30日間のボストンへのホームステイのチャンスだった。

しかし、たかが高校一年生、それまでの人生で海外に行ったことはなく、それどころか親元を離れて一人で暮らした事もなかった。だから、ホームステイに参加する勇気が無かった。行きたくなかったわけでは無い。しかし、未知への恐怖の方が強かった。加えて、費用の問題。ホームステイ全費用、旅費やステイ費、アクティビティ費まで含め40万円、今考えるととても安かったし、今の僕なら飛び付いて即決する価格だ。両親も行きたければ行ってこいと言ってくれた。だが、当時の僕は海外渡航の相場を知らなかったから、とても高く感じ、到底行けないものだと思い込んでいた。当たり前だ。半年前まで中学生、最もお金を貰えるお年玉の総額ですら良いとこ5万円、文字通り桁が違う。両親のこの言葉も気を遣って無理して言ってくれてるんじゃないかと思っていた。

一人で行く勇気が無かったというのもある。だから、仲の良かった友人の中から二人を誘ってみた。勿論、返ってきた答えは“無理”だった。

結局、僕はそのチャンスを逃した。

まだ来年の夏でも行けるだろうと思いながら。

次の年、僕はある外国人と友達になった。

彼は僕と2つしか歳が離れていなかった。

彼はニュージーランドからワーキングホリデーを使って来ていた。衝撃を受けた。自分と2つしか歳が違わないのに彼は一人で異国の地に来た。しかも、働いている。日本に滞在する期間も一年間と長かった。その瞬間、僕も海外に行きたいと強く感じた。体が震えた。恐らくニヤついていただろう。帰ってすぐ、母親に「海外に行きたい!」と頼んだ。しかし、行きたいとは言っても、普通の旅行だととても高額だ。結果、当然却下された。

そして、そのまま、受験勉強突入。

海外の事など考える暇もなくなった。

しかし、大学に入学して半年後、僕はまたもや海外にホームステイするチャンスを得た。しかも行き先は奇遇にもニュージーランド、オークランドだった。募集を見た瞬間、即決した。行く。

帰ってすぐ、またもや親に伝えた。

今度は「海外に行きたい!」ではなかった。


「俺、春休みにニュージーランド行くから。」


それほど反対はされなかった。

幾ら掛かるのか聞かれた程度だった。


ついに僕は2012年3月2日、初めて日本を出た。


初めて出た外国で感じた事、それは世界は広いということ。そして外国でも人は生活しているのだと実感した。

当たり前の事だが地図の上から見ても、外国人がどんな生活をしているのかは分からない。


ただ、僕はその日、自分の体でニュージーランドの文化生活を感じた。費用は生活費まで全て合わせて4週間で35万円近く掛かったが、その経験は日本に留まって教科書と地図で想像を膨らませながら勉強しているだけじゃ、絶対に感じる事の出来ないものだった。




←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page