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13/12/26

進学校に通っていた男子高生が、ドロップアウトして上京しフリーランスエンジニアとして働く話。(2)

Image by Olia Gozha

プログラミングとの出会い

もともと小学校を卒業する前、中学受験の為に学校を休みまくってて若干の引きこもりがちだった僕は、親父からWindows98(当時Windows Vistaが発売された頃だったのでかなり古い...)のノートPCを譲り受け、それでCDを聞いたり、Excelを触ったりして楽しんでいた。

小学校卒業後の春休みは受験期の反動もあり、ノートPCをひたすらいじっていた。そんなある日、Excelでカレンダー手帳的なものを作ってる僕を見た親父がExcelで関数を使った使い方(=SUM(A1:A10) 的なもの)を教えてくれた。不思議とその時僕はすごく感動したのを今でも覚えている。自分の入力したものを元にパソコンが自動で演算している...! 

そこからというもの、中学校1年の時に知り合ったKくんという友だちがなかなかPCに精通していたことで意気投合し仲良くなった。そのKくんの家ではWindowsVistaマシンにインターネットがつながっていて、自分はWindows98でインターネットすらつながらないことに少し残念な気持ちになった。Kくんの家で初めてインターネットを触らせてもらったときをキッカケに、インターネットっておもしろい!と思ってみるみるインターネットにはまっていったのを覚えている。お金があるときは1人で図書館やネットカフェに行ってインターネットを触りまくっていた。

また、別の友達にTくんという坊主もPCに精通してて仲良くなり、その子の紹介で中学の電気部という部活に紹介してもらった。そこは学校の視聴覚室(PC室)を放課後に使って皆でプログラミングをしたり、学校での行事の写真をとったり、学校のホームページを管理したり...etc 学校のデジタルな部分はその部活によって管理されていた。僕は親が中学生になったら必ず運動部に入れ、と言われていたこともあって、部活は電気部に入らずにハンドボール部に入っていたのだけれども、電気部には暇さえあればちょくちょく通っていた。

そんなある日、電気部の先輩が「君よくここに来てるよね」ということで、仲良くなり、HTMLを簡単に初めて教わった。なるほど、僕らがブラウザを通してみてるインターネット上のコンテンツはこのような言語によって書かれているのかと。非常に興味深かった。

これが後に僕の人生を大きく変えるなんて、その時に想像をすることは不可能だった。

学校の裏サイト作りでプログラミングスキルを向上

中学2年のとき、2年連続で同じ担任だった僕は担任の先生と更に仲が悪くなる一方だった。しかし、クラスの友達は1年のときに増して愉快な仲間たちに囲まれていた。

中学1年のときから元々インターネットに興味が出てきて自分で何かしらのサービスとかを作りたいなと早くも思っていた僕は、何かその作るキッカケとアイディアさえあればとりあえず何か作ることはできる状態にいた。

そんな時だった。ある事をキッカケにプログラミングに熱意が走ることになる。

放課後は担任の先生からの話がある「終礼」というのが(通常10分ほど)毎日全ての授業終了後にあったのだが、僕らの学校は、中学のときから毎日7時間も授業が入っていたので授業が終わるのが夕方の4, 5時とかなり遅めだったこともあり、終礼を早く終える担任の先生ほど人気な傾向があった。しかし僕が当時居た中学2年F組は担任の先生の終礼が異常に遅いことで有名だった。授業後に平気で2, 30分と終礼をするような人であった。そんなある日、僕は別のクラスの友達と放課後に遊ぶ約束をしていて、早く終礼を終えて帰りたかった。しかし担任の先生の終礼はそんな日に限って1時間以上も仕出したのだ。終わった時間にはもうとっくに6時を回って、教室の外で待っていた友達も、もう帰ってしまっていたのだ。これにはさすがの僕や僕の周りの友達も激怒した。どうしてうちのクラスだけこれほど終礼が遅いのか。今考えると本当にしょうもない理由だが、中学生当時だった僕らからするとそれが腹が立って仕方なかった。

そんなキッカケだった。友達から「うちのクラスの掲示板を作らない?」と話をもちかけられた。流行りの「裏サイト」というヤツだ。当時モバスペやしたらば掲示板が流行っていたし、うちの学校の裏サイトも当初他の誰かがしたらば掲示板で作っていた。(清風ちゃんねる)しかしそれらはすぐに生活指導部の餌食となり、作った人を特定され、書き込みをした人は「写経」の対象となってしまっていた。

僕がどうせ作るなら、学校の先生たちには簡単に覗くことができないようなサービスを作りたかった。そこで思いついたのは、「ID・パスワード付きの掲示板」。普通の掲示板であれば、掲示板という匿名性からIDを使った認証を行わない。しかし僕の作りたい掲示板は匿名になんてする必要がなかったし、クラスの仲の良い友達だけ使ってもらいたかったので、IDとパスワードによる認証を行うことによって掲示板にアクセスできるようなサイトを作りたかった。そこからというもの、一度perlに挫折してた僕はPHPという言語と出会い、図書館で日々本を借りては勉強していた。そして完成させたのが、僕のクラスの裏サイト「八木ちゃんねる」であった。(※担任の先生の名前が「八木先生」ということに由来する)

まず、サイトを立ち上げるにはサーバーをどこかに置かなければならない。例の電気部には多くのサーバーが置かれていたが、そんなところに裏サイトコンテンツなんて置けやしなかったので、自分でサーバーを借りることにした。いろいろ決めた結果、ペパボ!の出している「ロリポップレンタルサーバー」を使うことにした。

リリースまでは自分で書いては動かして...を繰り返す日々だった。なかなか動かないこともあったが、作ること自体は苦ではなかったし、プログラムが徐々に動いていくことはすごく楽しかった。そしてついに冬に掲示板をリリースした。

僕はリリース後、利用してもらいたい友達それぞれに固有のIDとパスワードを発行し、掲示板にアクセスしてもらっていた。最初こそは書き込み数が少なかったものの、1ヶ月2ヶ月後には徐々にアクセス数も伸ばし、書き込みの更新頻度も1分に1回ほどと勢いも増していた。そしてクラス内の友達はもちろん、クラスの外の友達からも「柏木なんかサイト作っとるんやろ?俺にも使わしてや!」という要望が相次いだ。

ここから僕は、しょぼくとも1つのサービスを作ること、そしてサービスを運用するということの経験を自分なりに学んでいったのだと思う。

(続く...)


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