top of page

13/11/10

結婚相手に出会う瞬間から結婚するまでの話

Image by Olia Gozha

日記から始まるストーリー 作 ケニー

プロローグ

君に出会ったのは,そう、7年前の春。日本ではサブウェイの店長だった僕の店の,アル バイトで働いていたタッキーと僕が,たまたま同じ時期にニュージーランドのクライスト チャーチに滞在することになり,タッキーが僕らのキューピットになってくれた。タッ キーが通っている語学学校の友達を紹介してくれた時,その一人がオリーブだった。街中 を別行動で散策することになり,僕とオリーブは,まだ到着間もなかったため携帯電話を 持っておらず,僕ら二人は携帯電話屋さんへと向かった。笑顔が素敵な彼女は,店から店 へとどんどん先に進む僕を,「けん!」と呼び止めたのだった。ずきんときた。出会った 初日に名前で呼ばれた。 きっと僕は,この瞬間から彼女を好きになっていたんだろう。僕はそのとき日本で出会っ たクライストチャーチの友達の家にホームステイしていて,彼女は別のところにホームス テイしていた。そして僕はその友達と別の友達何人かで,一軒家を借りてみんなでシェア して住もうという計画が進んでいた。彼女の話を聞いていると,あまりシェアメイトとう まくいっていない様子で,引っ越しをしたいようだった。僕が引っ越した先はとても大き な家で,僕と,トビーとカタヤ(カップル)それと,ケニーの4人で住み始めた。そのと き僕が選んだ部屋はとても大きく10畳くらいの長方形の部屋で,出窓がついていて,大 好きだった。 携帯電話を買った僕は,オリーブにたくさん連絡を取り,僕の部屋でルームシェアをしな いかと誘った。 まだ出会って2ヶ月目のある日,オリーブは僕の部屋に引っ越してきた。いままでも外国 人や日本人とルームシェアしたことはあったけれど,好きな人と,つき合ってもいないの にルームシェアすることになったのは初めてだった。 けんかばかりの毎日になってしまって,ちょっと悩んでいた頃,彼女が友達同士で10日 間オーストラリアに旅行に行くことになった。 そしてちょうどその頃,日本ではmixiというソーシャルネットワークサービスが始まって いて,一人の友人から僕に招待状が来た。僕はそのmixiの日記を書き始めた。 この日記を愛する家族,そしてオリーブに送ります。

2005年5月31日 今日は、朝の語学学校の仕事中、憂鬱だったのが自分でもはっきりわかった。なんていう か、その場にいない感じでした。その仕事が終わり、家に帰ったあとは、もう平気でした が、久々にあんなに憂鬱になりました。不思議なのが、理由がわからないのです。今私は 1人の日本人の女の子と、1人のNZの女の子と2人のNZの男の子と一軒家をシェアし て暮らしてます。その日本人の女の子が、今10日間AUSTRALIA旅行に行ってい ます。その子がいなくて寂しいっていうのもあります。さて、憂鬱な話は置いておいて、 明日から6月ですね。今日考えたんですが、この日記を上手く使って本を書き上げる事っ て出来ないかなって思いました。その名も、「日記から始まるストーリー」・・・・ まさにそのままですね。でもいいとします。 さーて、つづくかな~?一日1ページだとす れば、一年かければ、一冊の本が出来ます。 そしてその本を、その本の中で出てくる、ヒ ロインにプレゼントするんです。一年がかりのプレゼントです。今までいろいろビックリ 作戦は考えてきましたが、一年がかりというのはありません。 とにかく今まで以上に、 一日を大事に、ドラマのような一年になるように努力しつつ、3か坊主にならないように 頑張ります。

6月1日 その日は、まだ薄暗いクライストチャーチの朝早く寒さと奇妙な夢で目が覚めた・・・ 昨夜自分で刈った頭が、やけに寒く感じた。 私はいつものようにコーンフレークにミロをかけて食べ、今日はバナナもいれて完璧な朝 食を食べた。 部屋のテレビは、最近までつけてなかったけど、今は元気にアニメが流れている。カーテ ンを開ける気にならない。こちらの家は窓の通気性がすごく良くて、カーテンを開けるだ けで、一気に部屋が寒くなってしまうからだ。まだ今日は誰にも会っていない。どんな一 日になるのだろうか。窓から外を見た。快晴だ。いつも天気は自分の気持ちに+アルファ をくれる。昨日の雨は私に物事をしんみり考えさせ、今日の空は会う人全ての心が丸見え になっちゃうほど澄んでいる。いつもならこの後ちょっとギターをさわって仕事に直行だ けど、今日は、ルームシェアしているきれい好きのあの子が帰ってくる。せめて食べた後 の皿くらいは今のうちにかたずけておこ う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・ラジオのヒアリングの練習をしてる間、面白いなと思うことがありました。何度 聞いても自分の頭の中じゃアルファベットに変えられなかった言葉が、先生の答えを聞い た後だと、すぐに頭の中にアルファベットとして置き換わるんです。英語の勉強の本はも う数え切れないくらい発売されています。しかし本当にいい勉強法ってのは、自分自身で

しか見つけられないと思います。「あっおぼえた!」って思う瞬間が、人にはいろんなシ チュエーションであります。そのときに、覚えられたそのプロセスこそが、その人に適し た勉強法なんだと思います。今日は、

It serves you right.という言葉を覚えました。正確に言うと今ここで思い出したことで、今 覚えたって感じです。いつも私の場合は、勉強をしても生覚えという感じで、時間がたつ と、すぐに忘れます。何時間後かにもう一度思い出して使ってみるのが、私に適した覚え 方です。ちなみに英語の意味は、自業自得という意味です。 ・・・・隣の部屋からいつものエレキギターの音が響いてきた。彼は毎日必ず3時間以上 練習をしている。私のレベルはいつになっても彼に追いつかないなといつも思いさせられ る。

明日は久々のBack packers のレセプションの仕事。またこてんぱんになってくるか。

6月2日 空港には、1時間前についた。夜12時の到着ということとここクライストチャーチがそ んなに大きな町ではないということで、空港はほんとに空いていた。中で到着を待つ人の 中には、期待と、嬉しさ、そして時間を長く感じさせる空気があふれていた。 3人が出てきた。私は空港で見送られたり、出迎えられたりすることは何度か会ったが、 自分が迎えに行ったことはほとんどなかった。ルームメイトのオリーブ(仮名)を見た瞬 間、今までの10日間、自分にのしかかっていた何かが、どこかへ流れていった。三人と も幸せそうな顔をしていて、わたしが「おかえり」といってみんなを迎えたのだった。私 は他の国の人たちのように、HUGしてみんなを迎えたかったが、3人とも全くそれを出 来る気配はなく、トイレとたばこを吸うために外へと消えていった。 荷物を預かりながら私は、いつか絶対自然にHUGできるようになってやると誓うのだっ た。3人のうち1人だけが男の子だった。私の予想したとおり、彼は疲れていた、やはり 女の子二人と男の子一人の旅は男にとってとても大変なんだろうと思った。家に着いたと きはもう1時だった。一人をバックパッカーに、一人を家に送り、ようやく我が家につい た。私たちの部屋は、昨日とはうってかわって片づいていた。 この一ヶ月彼女と共同生活をすることで、私は以前よりも片づけるのが得意になってい た。 遠距離恋愛をしてる人たちは、こういう不思議な気持ちを常に感じて生活してるのかなと 思った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6月3日

新しい生活が始まった。というよりも、前の生活に戻ったわけだが、私の中では新しい生

活という感覚が強い。これからまだ半年以上あるここニュージーランドでの暮らしを、新

鮮な毎日にし続けたいという気持ちと、オリーブとの生活を大切にしたいという気持ちが

今はすごく強い。一人の生活と二人の生活は全然違う。それが異性だと、更に違う。相手 から学ぶことがたくさんありすぎる。男同士だと全然気にしないことで、気にするべき事 がたくさんあることに気づかされる毎日だ。それを上手く新鮮さに感じて、生活していく ことで、自分自身、ちょっとは変わっていくんじゃないかなって思う。今日は、夜中ま で、仕事がある。すれ違いの一日だ。何も意識しなければ、あっという間に終わってしま う一日の中で、どんな面白いことが出来るのだろうか考えながら、今日一日を過ごしてみ よう・・・・・・・・・オリーブは、オーストラリアに10日間行ったことで、とても オーストラリアが好きになったようだ。行ってる最中にも、あっちの情報を仕入れて、ま た行く気満々になっていた。確かに良いところもたくさんあるし、彼女は一人で行動し て、自分に自信をつけたいと言っていたので、行くことはすごく良いとも思うのだけど、 何とも言えない気分だ。私が彼女に行ってもらいたくない理由は、単に自分が寂しいから だけなのだ。今までの自分はそんなこと考えもしなかったのに、なんか自分が弱くなって しまったような気もする。今日は、バックパッカーズの仕事がとても忙しかった。周りは 全て英語なので、とても勉強になっている感じがする。そして今日、職場の人に、フルタ イムの人も必要だといわれた。それを聞いて私は、頭の中に、仕事と、オリーブの天秤が 思い浮かんだのだった・・・・・・・・・・・

6月4日 バックパッカーのマネージャーが、フルタイムの話を出してくれたとき、自己嫌悪が私の 中で起きた。そうなのだ。私はオリーブがオーストラリアに行きたいと思ってると話して くれたとき、行かないで欲しいと言ったにもかかわらず、自分がオリーブと同じ英語学校 での仕事を辞めることを真剣に悩んでいるのだ。私たちはまだ出会って3ヶ月の仲。しか し、出会ってまもなく、ルームシェアを始め、さらには2人しか働くことの出来ない、語 学学校のレセプションに、二人とも受かってしまったのだ。さらには、3ヶ月単位で申し 込むジムも申し込み彼女はエアロビクス、私はジョギングに励んでいた。いまだかつて、 こんなにも一人の人間と、同じ環境で生活したことはなかった。家族ですら。その生活 が、今無くなろうとしている。けんかもたくさんした。私は基本的にけんかはしないのだ が、けんかするために一緒に生活してるようなときもあった。ルームシェアは良くないっ て言う話にもなった。そんないろんな事がありながらも、お互い相手を必要としていた。 そして今、二人の決断の時が来ている。オリーブにはオーストラリアに行って欲しい。自 分の寂しさだけで、彼女を縛ることは出来ない。オリーブは言っていた。「けんのせいで 行かなかったって後悔するくらいなら行く」と。でもそのあとに、ここクライストチャー チで生活するならどんな感じになるのかも考えてくれた。私は今こうしている間にも二人 の決断の時が迫ってるという感じがしてならない。今日は雨が降っている。いつものよう に自転車で仕事には行けないな・・・・・・・

6月5日 葛藤。この言葉をここまでも感じてる自分は今まで無かっただろう。自分の心と、今まで 生きてきた環境で作られた理性とがまさに戦っている。オリーブには気持ちよく生活して もらいたい。彼女はもうクライスチャーチは十分で、他の所を見たいと言っている。もの すごくよくわかるのだが、私は今まさに、自分を成長させてくれる職場を見つけたところ なのだ。オリーブは言った。「働かないと食べていけないって事になりたくないから日本 で十分なお金を貯めてきた。だから海外での生活は、もっといろいろな経験をして、日本 に帰りたい。お金のために働く時間がもったいない。」私がオーストラリアにワーキング ホリデーで行ったとき私は、日本食レストランのキッチンハンドとして約5ヶ月働いた。 日本語のみの中で働き、その時のことを考えると、オリーブの考えはすごく正しいと思っ た。私は今までいろいろな仕事を試してきたからこそ、本当に自分のためになる仕事を今 見つけられたんだと思う。私はいつも片足をつっこんでみるタイプで、最近やっと両足を つっこむタイミングがつかめてきた。人には大きく分けると2タイプの人がいると思う。 自分の中のイメージが出来てから物事を行う人。一か八かやってみちゃう人。私は、ばち とわかっててさえやってみちゃうタイプだが・・・・・・・・ もうすぐ彼女の誕生日がやってくる。私にとって誕生日は、1年365日の中でも、もっ とも大事な日だ。あと3日間は、そのことに集中しようと思う。 それにしても、時間の流れの中に立っている私たちは、その時間をコントロールできるこ とに気づいてないような気もする。 私は自分の身体、そして時間というつかめない私の周りに存在するものを、しっかり見つ めて生きていきたい・・・・・・・ 今日は日曜サッカーリーグがパスになった。実は私は、9年ぶりに、ここニュージーラン ドでサッカーを再開したのだ。あれは高校2年の冬だった。サッカー部の試合で、鎖骨を 折った私は、治ってすぐに、猛特訓をした。休みの日も暗くなるまでグラウンドで過ごし た私は、ある日を境に腰に痛みを持っていった。最初は全然気にしていなかったが、痛み が増すにつれ、他の足首のひねりや打撲とは全く違った、身体に力を入れることの出来な い痛みへと変わっていった。病院、接骨院、整骨院、針や電気、マッサージなど、やれる ことは全部やったが、病院の先生が最後に出した答えは、「もうあなたの腰は一生治らな いから、激しい運動は辞めてくださいね。」だった。頭の中で、何かが音を立てて崩れて いった。それもかなりの時間。 私は5歳の時にサッカーを始め、18歳まで、13年間 大好きで続けていた。それが永遠に出来ないかと思うと、自分の人生の第一段落が終わっ たかのように感じた。しかし今、27歳になり、自分の身体の調子がコントロールできる ようになって、ここニュージーランドでアウトドアサッカーを始めた。身体はもちろん相 当なまっているが、楽しくて楽しくてしょうがない。サッカー再開という意味だけでも、 ここに来たかいがあったと思う。わたしの仕事はミュージシャン、趣味はサッカー、遊び

は踊り、住所は不定という夢に、ここニュージーランドでまた少し近づけた気がす

る・・・

6月6日 今日はエリザベス女王の誕生日ということで、ニュージーランドは祝日だ。そのため午前 と午後で、交代で入っている語学学校も休みになり、今日は二人で町のバスを乗りまくる 計画を立てた。昨夜は、オリーブのこれからについて具体的に話したのだった。話をする ために、夕食後、海沿いのNEW BRIGHTON BEACHというところにある図書館の駐車場 に行った。ここは、私がクライストチャーチの中でも一番好きな場所で、一日中ここの中 にいても良いと思う場所である。ビーチの真ん中にどかんと建っているその図書館から は、一筋に伸びた海の彼方への道のように、150mほどの散歩道が作られている。そこ はもちろん観光地だが、私のお気に入りは、二階建ての図書館の窓ぎわにずらっと外側に 向けて並べられた、かなり立派な一人用のソファに座り、設置されてあるヘッドホンで、 その時の気分に合わせたミュージックを聴きながら、窓の外に広がる海に向かい最高に落 ち着いた中での自問自答をすることである。まるで、何かに酔っているような気分にな る。何もしない時間がこんなにも早く過ごせるのは、とても気分がいい。私たちがその場 所に着いたときにはその図書館はもうとっくに閉館し、当たりは真っ暗になっていたが、 車の中で話す予定で私たちはスーパーにチップスとドリンクを買いに行き、そこへつい た。私が彼女に勧めたのは、オーストラリアのラウンドだった。オリーブはとにかく海が 好きだ。そして人のあふれる場所が好きだ。 私はシドニーにしか行ったことがないが、あそこの町にある海だけでも本当に感動的に綺 麗だった。彼女はウェブサイトの地図をみて、シドニーからケアンズの上の方まで海沿い を進むコースが気に入ったようだった。もしかすると私の働いているバックパッカーズで も、そのコースのチケットが予約できるのではないかと思い、今は期待をふくらませてい るところである。もうそろそろ11時。いつもなら、オリーブは語学学校のレセプション に座っているが、今はまだ、すやすやと、寝ている。カーテンの隙間から差す光とささや く鳥の声が、今日の幸せな空を知らせている。そして今日という一日が始まる・・・

図書館は祝日で、見事に休みだった。そのあと海の見える山へドライブに行き、車の中 で、ポストカードを書いた。それだけだった。ほとんど何もしない一日。なんて言えば良 いんだろう。自分の中にあるエネルギーが、少しずつ腐っていくような感覚だった。簡単 に言えば充実していない一日だが、もっと他の考え方はないものかと、車の中で、考えて みた。休みの少ないサラリーマンが、休みの日に何もせずに家でテレビを見てる感覚と、 毎日の中にしっかりしたリラックスタイムのある私の何もしない一日とを比べると、充実 していない度ははるかに違う。たくさんやりたいことがあって、それをやる元気もあるの に何もしていない自分がいる。となりにはオリーブがいた。オリーブと一緒に生活してい

ることは、すごく楽しいことだ。今まさにポストカードを書いている彼女は、今日一日を どう感じるのだろうか?時間というのは、私にとってもっとも興味深いものの一つだ。全 世界の数え切れないほどの人が、今という一瞬でつながっている。そして、ただ一人さえ 今以外の時間は生きることが出来ないのだ。私は、心と時間がどうしても何かつながりが あるように思えてならない。この二つの言葉は同じ何かを表してるように思えるの だ・・・・・・・・・・

6月7日 いいずらい事を言わなければいけない日がやってきた。私は4日ぶりにあった語学学校の 先生達に挨拶をすると、みんな笑顔で、答えてくれた。この後私が言うことを考えると、 どうしてもみんなの笑顔が切なく感じる。2人いる先生の内一人は、とても気さくで小悪 魔のような雰囲気のリチャード。もう一人は、彼とは反対に神父さんのような神聖さを 持っているエリック。やはり、仕事を辞めることを言いにくいのはエリックに対してだっ た。 私の予想通り、彼は私の辞めることを悲しんでくれた。何かを手に入れるときには何かを 失うという言葉が、すごく当てはまる瞬間だった。私はここで働き続けられないことより も、この今の瞬間、彼をそういう気持ちにさせてしまったことが辛かった。そして私は バックパッカーに電話をしたのだった。電話の向こうからは、「Great! you made my day!」という嬉しそうな声が聞こえた。もちろん私も念願の英語ずけ環境でフルタイムで 働けるのだから、とてもうれしかった。私の周りの環境が変わっていくのがとても実感で きた・・・・・・・

オリーブが、シャワーを浴びに入った。今がチャンスとばかりに日記を始める。私は彼女 にこの日記を見られたくないのだ。何かを隠して進めることはスリルがあってとても楽し い。私は驚かすことがとても好きだが、その課程をすごく楽しんでいる。それで最後に喜 んでくれれば最高に充実できる。あさってはオリーブの誕生日がやってくる。私が考えた 今回の作戦とは・・・・・・

6月8日 まず私は、ニュージーランドのおみやげ屋に行き、真っ白にNZの刺繍の入った大きめの ナプキンを買った。Tシャツも良いと思ったが、気に入ったモノがなかった。その後は、 WEARHOUSEという何でもディスカウント屋に行き、マジックと、プレゼントを入 れる袋を探した。探してる最中に、派手なカラーのピエロがいた。30センチほどの人形 だが服装がオリーブの好きな色とりどりだったので、気がついたら買い物かごに入れてい た。その店のレジには私の友達が働いていて、私の買ったものを見て「プレゼント?」と 聞いた。私はプレゼントの材料だよっといいたかったが英語が思い浮かばず、「そうだ

よ」と答えると、その子はプレゼントにディスカウント品でいいの?と苦笑いだった。そ のピエロはとてもナイスだったが、セールで5ドルだった。とにかく私はそのピエロとナ プキン、カラフルマジックを持ってこれから走り回ろうと思っていた。タイミング良くオ リーブは、オーストラリア旅行に行っていたので、作戦は順調に進んだ。私たちのフラッ トメイト、そして日本語がペラペラで、8月には長野に行くことが決まっているオリーブ と仲良しの友達、一緒に働いている語学学校の先生、以前オリーブが通っていた語学学校 の友達。ここまでは、さくさく物事が進んでいった。みんなにおめでとうの言葉をナプキ ンに書いてもらいにいったのだ。本当は、全員に、ビデオにおめでとうメッセージももら いたかったが、時間や場所の関係で、出来ないこともあった。とにかく大変だったのは、 オリーブが通っているジムの大好きなエアロビクスの先生にレッスンの合間にお願いした ときと、ここクライストチャーチから約100キロ離れた町にある、オリーブの初のホー ムステイ先に訪ねたときである。その町に着いたのは夜の8時で、辺りは暗く、住所は 持っていたが、着くまでにかなりの時間がかかった。さらには彼らはパーティーを開いて いて、私が着くと、どうぞどうぞと私を中に入れてくれた。しかし私はその中のホスト ファミリーに1度だけしか会ったことがないのだ。ドキドキしながら私は中に入ってゆ き、彼らに事情を説明した。彼らは快くメッセージを書いてくれた。さらには、そのパー ティーには、日本から来ていたオリーブのお知り合いの方もいたのだ。私はここぞとばか りにその人にも頼んだのだった。途中でナプキンがいっぱいになったので、赤ちゃん用の 白いTシャツを買って使った。そしてやっとのことで、16人の人達から、メッセージを もらうことが出来た。そしてまさに今日、このプレゼントを完成させようと考えている。 その方法は・・・・・・・・・・・・・

6月9日 「ハッピーバーズデイ!」というのは誕生日の日のはずだが、日付の変わる瞬間に、メー ルをすることが、日本では多かった。私は今日の準備はほとんど完成しているが、昨日の 夜は、小学生時代の思い出話で盛り上がってる間に12時をまわり、おめでとうといった のだった。今日から私の誕生日まで約一ヶ月の間、私たちは同じ歳だ。いっさい歳が増え るだけですごく自分の歳を感じる歳になってきた。わたしはもうすぐ28。私にとって2 7歳の一年は日本社会のレールから、路線を変更した歳だった。オリーブはいったい、ど んな一年になったのだろうか?とにかくその一年を、そして今まで27年生きてきたこと のお祝いを、身近にいる私が精一杯してあげようと思っている。今日もいつものシリアル に、ミロをかけ、ミルクをたっぷりかけてさくさく食べる私がここにい る・・・・・・・・

6月11日

オリーブに「遅めに帰ってきて!」といった私は、4時に家に着いてから早速ケーキの準 備をした。このケーキは、友達のお母さんに作り方を聞きながら作ったスペシャルチョコ レートケーキだった。間にキウイフルーツもいれて、上には、2と7の数字の書いたキャ ンドルをさし、誕生日おめでとうの紙を上につけた。かんぺきだ。それから今日の夕御飯 は私の番なので、(毎日交代でみんなで夕食を作ることにしている。)今日はトルティー ヤを作り、パンプキンライスと、チリビーンズ、野菜にサワークリームといったディナー を作った。全ての準備が整った7時半頃に、彼女は帰ってきた。いつも通りみんなで夕食 を食べ、オリーブは私の作ったトルティーアを誉めてくれた。トルティーアを作るのは、 意外に簡単で、これからもたくさん作ろうと思った。夕食が終わり、彼女が自分の部屋に 戻った後、私たちはケーキの準備をし、部屋を暗くしてオリーブをよんだ。「ハッピバー スデイ、トゥーユー・・・・」オリーブが部屋に入ったときみんなで歌い、彼女はふーっ とキャンドルを消した。それからみんなからのプレゼントは、オリーブの好きそうなCD と、そして私からは、いろいろ飛び回って作った、ナプキン、そして、全8種類もある ティムタムというチョコのお菓子、プルーン、ダイエットコークバニラフレーバー、そし て、カラフルなピエロの人形を、全て詰め込んだ、どてかい海外郵送用の郵便局の段ボー ル箱だった。その箱を見て、みんなが笑った。そして中身を見て、更に笑った。そして肝 心のオリーブは、みんなからのおめでとうのメッセージの入ったナプキンを見て、信じら れないっという顔をしていた。そして彼女の笑顔からあふれるしずくは、リビングルーム いっぱいに幸せの空気を振りまいた。みんなでお酒を飲みながらのんびりくつろいだ後 は、部屋に戻り、私は「おまけだよ」といい、もう会えないだろう人からメッセージをも らったときに一緒に撮影したメッセージ入りのビデオを見せた。日本から来るときに買っ たデジタルビデオがやっと役に立ったのだった。 オリーブが喜んでくれてとても嬉しかった。彼女は来月から、オーストラリアに行くこと を決めた。私は嬉しさの中に寂しさを感じていた。彼女が以前私に言った言葉がある。 「付き合うことがなければ別れもない」と。しかし私にとって彼女がオーストラリアに 3ヶ月間行ってしまうことは、別れとしか考えられなかった。彼女は私に「もっと大人に なって」と、いつも言っていた。今まだ一緒に生活しているのに、とても変な気分だ。そ れは私が子供だからなのだろうか。私は、自分自身に聞いてみた。私はどうしたいのか と。「もっとたくさんの国に行きたい。」私の心が答えた。私には何も保証はないし、何 も保証してほしいとも思ってはいけないんだと、自分に言い聞かせた。私は自分から、落 ち着かないことを望んでいる。私は恋をすることはあっても、地に足をつけることはない と、自分に言い聞かせた。そうしないと、自分の中でとても大きな矛盾が起きてしまうの だった。あと10日で、バックパッカーの仕事もフルタイムになる。ギターの練習も欠か せない。オリーブにはオリーブのやりたい道に進んでもらいたい。たったの3ヶ月間だっ たが、彼女と過ごした日々は私にとってものすごく大切な3ヶ月となった。そしてその

3ヶ月はまだ終わってはいないのだ。毎日を、瞬間を大事にした

い・・・・・・・・・・・・

私は今、ギターの練習の時に使う楽譜の中身を整理している。日本語の曲ばかりなので、 数を減らして英語の曲をレパートリーにいれたいと思っている。そうやって中身を出して いると、オリーブにあったときに作った詩が出てきた。

HELLOからはじまった僕らの仲

本当にはじまったばかりだけど

ひとつだけわかったことがある

こころのしゅるいがおなじなんだ

君の笑顔は僕を写し

僕の笑顔で君を写してゆく

お互いを楽器にたとえて

楽しい行進曲を作っていこう

たまにはチョコレートが誘惑するけれど

食べ過ぎるとチョコになっちゃうぞ

君の笑顔は僕を写し

僕の笑顔で君を写してゆく

君の決断がどんな決断でも

前向きに行こう、必ずうまくいくさ

この歌はここにしまっておこうと思う。私のこの心を現実の世界よりも素直に表せる世界 に。ウェブ上のこの世界は私にとって、無邪気な心の安全な場所。誰も気を遣う相手がい ない。現実の世界では、出来るだけ周りの人のために生きていこうと思う。それが自分の 経験になるから。私自身を成長させてくれるから。そしてこの世界で私は常に素でいつづ ける・・・・・・

今日私はオリーブにひどいことをしたなと感じた。今日の仕事は元々3時から入ってい た。そしてオリーブは友達との予定を同じ3時に合わせ、日頃お互いあまり会えない分今 日を楽しみにしていた。しかし私は、職場からのTELがあったとき、何の迷いもなく2 時からの出勤にOKしたのだった。電話を切ったその瞬間、私は自己嫌悪に落ちた。私は 彼女のことを忘れていた自分が許せなかった。そして、もう一度考えた。電話をかけ直し てやめるべきかどうかを。でもできなかった。人を想う気持ちは行動力につながると思

う。私は、職場の人が困ってるのを感じて、快くそれにこたえた。自分の想ってる相手が 何かを私に求めたとしても、私の周りに私の手が必要な人がいれば、好きな人は犠牲にし てしまう。そんな自分は、好きになるのは人ではなく、人の笑顔が出すオーラのような何 かを好きになっているのではないかと思った。それを求めるためにはその人を求めなけれ ば手に入らない。それとは別に、ほっとけないっていう感情がある。その感情は、相手の 悲しむ姿が想像できて、そのシチュエーションにさせたくないって事じゃないかと思う。 ただその気持ちは、相手がしっかりした時点でなくなるんじゃないかなとも思う。親が子 供を思うかのように。 今一番身近にいる人を見てみてほしい。必ずその人を愛していると思う。

6月12日 サッカーに行ってきた。ここではいつも日曜日のアウトドアサッカーを楽しんでいる。最 近はジムで走る時間がなく、サッカーだけが運動になってしまった。どっかり疲れた。身 体が重い。なりたい自分になるには身体もしっかりエクササイズしてないといけないなと しんみり感じた。うーんまとめてみよう。

1・・ギターばりばり

2・・サッカー鮮やか

3・・踊り輝く

4・・コミュニケーション力無限

5・・味のある笑顔

よしっがんばろっと。 クライストチャーチのさわやかな冬の夕焼けは、まるで朝のように私を照らしてい る・・・・・・

6月13日 今週で、語学学校のエクスチェンジの仕事が終わる。あとたったの3日間だ。ここの学校 で私はプライベートレッスンのすばらしさを知った。それは、教えられる方もそうだが、 教える先生の方もものすごくその生徒に集中しているということだった。先生の一人は私 に、子供用の物語を自分の声で録音したテープを作ってくれた。その先生はいつも私の発 音やグラマーを細かく直してくれる。すごく良い経験になった。とにかく今日から3日間 は学校であった出来事に感じることをここに映してみようと思う・・・・・・・・

久しぶりに学校に行くと、約一ヶ月間休暇を取っていた先生が、今日から帰って来るとい う話を聞いた。しかし複雑なのはそのあとの話だった。私の働いている語学学校はとても 小さな学校で、先生が3人しかいない。その内の一人がこの学校のオーナーなのだ。3人 とも、もともとは家庭教師として働いていたが、生徒も増え、どこか決まった場所で教え

る方が効率がよいということではじまった語学スクールなのだ。しかし、先生が別々の広 告を作って互いに競争してるために、なにも広告を気にせずに立ち寄ってくれた生徒の方 に対する応対がとても難しい。最近はここクライストチャーチも冬に近ずき、NZドルも 値上がりしたということで、海外から来ている人も少なくなってきた。それに伴い生徒数 も少なくなり、休暇を取っていた先生は休暇を取らざるをえなかったのだ。今回困ったと いう話は、その先生が帰ってきたには帰ってきたが、学校の中の部屋だけを借りて、完全 に独立する。ということだった。私たちレセプショニストは、給料の代わりに先生のプラ イベートレッスンやグループレッスンを受けている。今までは3人の先生から受けていた が、今度からはその先生からは受けられず、さらには新しい生徒にはその先生は紹介しな くて良いというのだ。レセプションの私でさえ複雑なのに、新しく学校を決めようと迷っ ている方には絶対訳が分からないと思うのだった。しかし、当のオーナーは、その場所の 家賃をやりくりするためにとても忙しく、ミッドナイトの仕事もこなしている。学校の全 員で話をする時間がとりずらいというのが私の思う一番の問題だ。しかしどんなに複雑な 環境の中でも、もう一人の先生はいつもプライベートレッスンの予定がいっぱいだ。今日 は私もその先生のグループレッスン(2時間)を受けた。グループとは言っても生徒は私 ともう一人だけで、とても話しやすい環境だった。その先生は、英語とインドネシア語の 辞典の単語の発音を収録するという仕事もしたことがあり、発音の細かい違いや、イント ネーションなどをしっかり直してくれる。私はここをやめても、何か困ったときにはこの 先生に習おうと思っている。今日驚くことがもう一つあった。それは、ここの学校に住ん でいる、(それもすごい)台湾人の女の子が、あと1週間で国に帰ってしまうと言うこと だった。

人の入れ替わり。 日本では、アルバイトで働いている人の入れ替わりが早かったりすることは多いが、身の 回りの人が次々と、海外から訪れたり帰っていったりするのは海外ならではである。出会 いや別れで学ぶことはたくさんある。次の私の別れは台湾人の彼女だ。最後にたくさん話 をしてから見送りたいと思う。 今日はオリーブと半日ずつのシフトの日だった。入れ替わりのとき彼女に会うと、とても 機嫌が良く、私もしばらく学校で勉強していたが、とても小さなきっかけで、赤鬼のよう になってしまった。今日はこれからまた、とても小さなきっかけで、天使のような彼女に なってくれないか作戦を立てている。そろそろギターの練習を・・・・・・・・・

6月14日 今日は、語学学校で、新しく3人の人と出会った。一人は新しい生徒で、サウジアラビア から英語の勉強のために来た男の子。彼はヒョウのような鋭くそして深い目をしていた。 だが話し始めるととてもにこやかになり、私たちはすぐにうち解けた。彼は私よりも断然 英語を話せていたが、まだ全然満足いかないらしく、プライベートレッスンを受けると

言った。私もこの先長いんだろなと感じさせられた。次にあったのは、学校に住んでいる 台湾人の友達の中国人の女の子だった。彼女は日本語をかなり上手に話し、私も中国語に も興味があったので、この先もし時間が合えば、ランゲッジエクスチェンジをしようとい う話になった。そして、3人目は、私がここをやめたあとのための募集を見て面接に来た 日本人の女の子だった。彼女は挨拶をしたあとすぐに面接にいったので、あまり話す時間 はなかった。学校の仕事自体はとても静かな一日だったが、こうした出会いで私の一日は すごく充実したものとなったのだった・・・・・・・

6月15日 学校の帰りにはオリーブと航空券を見に行った。最近彼女は何でも自分の英語で何とかし ようとしている。私がついて行くのは保険のようなものだ。券も見つかり、私たちはいつ ものコロンボストリートを歩き始めた。この道はまっすぐ歩いて1時間くらいの長さがあ り、私の家は1,語学学校は800なのだ。(アドレス)。いつもならバスに乗るところ だが、今日は私の自転車があったので、二人で歩いた。歩いている最中に、彼女がフラッ トメイトの女の子となかなかうち解けられないという話をし始めた。いろいろ相談に乗る うちに、「もういい、自分で考える!」と彼女は言い残し先に行ってしまった。というよ りも、私の足が止まったようになってしまったのだ。私は自分が全く必要とされてないと 感じたときに絶望感を感じるのだ。自分の存在価値が一瞬0まで落ちる。そのあとで何と か自分を取り戻すのだ。そういうことはこの先もあると思う。自分が誰かのために、何か のためにと思って一生懸命したことだって全く報われていないように感じることだってあ る。でもそんなときに落ち込んだときは、これからはもっと早く立ち直ろうと自分と相談 した。落ち込んでいる自分は、誰の力にもなれなければ、周りの人の元気まで落としてし まうから。そして私はオリーブを追いかけた。「そんなこといわずに何でも相談してよ」 と私がいうと「やだ」と、すぐに返ってきた。でもその空間にはもう少しもイヤな空気は 流れていなかった。そこには笑顔があったからだ。私にも、感情のバイオリズムがある。 誰でも落ち込むとき、怒るとき、ネガティブになることはあるが、そこから笑顔に戻るた めの時間は自分で変えられるんだとあらためて思った。自分が立ち直るために自分に考え 方を変えさせたからだ。自分に話しかけることの重要さを知った一日になっ た・・・・・・・・・・

今日は休みだ。これから洗濯をしてギターの練習、そして今日は私が夕食を作る番。先週 上手くできたトルティーアを、今週も調子に乗って作ることにした。あとは今日は室内 サッカーがある。一日中やることが決まっている日と決まっていない日は、どちらが面白 いかな・・・・・・・・・・・・

6月16日

今日、最後になるであろう語学学校に行ってきた。しかし学校の雰囲気はなにも変わら ず、最後という感じは全くしなかった。今日は学校の後に、台湾人の女の子と、オリーブ と3人でカフェに行った。「せーのっ、はっぴーばーすでい!」と私とオリーブは、台湾 人のペイの誕生日を祝った。なんと中国や台湾では、誕生日が1年に2回あるのだ。一つ は生まれた日、もう一つは、その日を月のサイクルのカレンダーに当てはめた日。とにか く彼女がとても喜んでくれたので私たちも嬉しかった。もともとカフェに誘ってきたのは ペイの方だった。彼女は今週の日曜日に台湾に帰る。その前に私たち2人の海外生活につ いて少し話を聞きたいと言った。ペイはフリーライターだということを初めて知ったの だった。彼女は台湾で、もう何冊かの本を出していた。人と出会うことはたくさんあって も、相手のことを深く知り合えるような出会いはなかなかないものだなと実感させられ た・・・・・・・・・

6月17日 私は遠距離恋愛というものが出来るのだろうか?この先オリーブがオーストラリアに行く ということで、彼女はそのことで夢中になっている。そして帰ってきてからも、ここクラ イストチャーチには数日寄るだけで、後はオークランドに行くという予定を立てたのだっ た。彼女と私との共通点は、帰国後に、またワーホリでカナダ行きを目指すことだ。昨夜 は暗い部屋の中、曖昧だった私たちの近い未来が、とてもきれいに浮かび上がった話し合 いとなった。私は恥ずかしいことに今のままでは金銭的にカナダに行くことが出来ない。 どうしてもここクライストチャーチからすぐに離れることは出来ないのだ。私は、オリー ブがオーストラリアから帰ってくるのを出迎え、そしてオークランド行きを見送り、彼女 が日本に帰ってから、地元にやり残してきた手続きなどが済んだ時点で、連絡をもらい、 東京に帰ろうと思っている。東京に着いた後は、すぐにカナダ行きのビザを申請し、3ヶ 月間、何とかアルバイトを見つけようと思っている。すみかはもちろんフラットシェアを 探そうと思っている。ここまで先のことがクリアになったことは今までにない。そしてク リアになった今、私は仕事、英語、そして音楽、ダンスと、自分のやるべき事に集中する ときがやってきたなと実感した。今日も冬のクライストチャーチの空は曇り空、でも私の 心は澄み渡っていた・・・・・・・・・・・・

6月18日 イヤなムードというのにはいろいろ種類がある。誰もが分かるほどぎこちないムード、ま んねりをあらわすかのようなちょっとしたときに起きる空気。「空気を読む」この言葉は イヤなムードを作らないためにもあると思う。一人だけだとその空気は作ることが出来な い。空気を感じ取れる相手といて、その空間は初めて感情を持った空気となる。それは何 か光と似ている。光は色を映す。物質の種類を色として映し出す光のような心の光を私た ちは持っている。人といてその相手に写って見える自分の心の光は、相手の中にある自分

と同じ色を映しているのだ。私たちは常に気づかされている。自分の中にある数え切れな いほどの感情、そして思いやりを。それは人に映って見え、心で感じることが出来る。今 日もこれから1日が始まる。自分うつしの日帰り旅行とでも考えてみようか な・・・・・・

6月19日 今日という一日は、私とオリーブにとってとても大切な一日となった。今日は彼女が ニュージーランドに来たときから2ヶ月間ホームステイをした、ホストマザーの誕生日 たった。私も彼女を知っていたので、朝7時からプレゼントの準備を終わらせ、アッシュ バートンという約ここから100キロ離れた町に向かった。気合いが入りすぎていたの か、予定の時間より1時間も早く着いた私たちは、近くのカフェにより、話をし始めた。 そこでオリーブは私に言った。「もっと社会のことに関心を向けて、勉強して、考え方も 大人になって欲しい」と。「プライドを持って欲しい。」「口ばかりでなにも実行できて いない」と。私はしっかりと彼女の言葉を受け止めていたが、彼女の存在が少しずつ遠ざ かって行くような空気を感じた。私は10日前の今頃、自分なりに頑張って企画した誕生 日で、彼女を驚かしたことを思い出した。私には夢がある。それは世界を平和にすること だ。そんな突拍子もないことに対して、私を知っている人は、もちろん知らない人も口先 だけだと思うだろう。でも、この世界で平和な暮らしをしてる人のいったい何人が、この 言葉を言えるのだろう。私は正直、その方法を分かっているわけではない。自分の夢を 持っているというだけなのだ・・・・・・・・・

私たちは楽しくランチをすませると、片言の英語でみんなと話した。そのときのオリーブ は、クライストチャーチの私たちの家ではほとんど見せない、とてもリラックスしきった 表情で、みんなと話していた。 家に帰った後、私たちは、自分たちの部屋で、くつろぎながら夕食の出来るのを待ってい た。8時近くになり、おそいなと思ったので、キッチンに行ってみると、もう食事は準備 され、そこにおいてあった。 私たちに食事が出来たことを伝えてくれなかったのは初めてだった。思えば最近あまりフ ラットメイトと話をしていない。仕事が忙しいのもあったが、オリーブと外にいることが 多く、さらには彼女は自分の部屋を好んだので、ほとんど合う機会がなかった。私がどう して呼んでくれなかったのと聞くと彼らはいつもいないからいないと思ったと言った。私 はリビングルームにみんなでいるときがすごく好きだ。しかしオリーブはその雰囲気を苦 手としている。フラットメイトの一人と合わないらしいのだ。その結果私も私たちの部屋 にこもることが多かったが、今日になって私はこの環境を何とかしなければと思った。彼 女はこの先1ヶ月後から、3ヶ月のオーストラリア一人旅を計画中だ。出会った人とのつ

ながりはとても重要になることを私は経験している。合わないからといって避けているオ リーブをみて私は彼女に自分の気持ち、意見を全て話した・・・・・・

6月20日

私は今、落ちている。そこのない落とし穴に誤って足を滑らせた・・・・・・・・・

なにも見えない、暗い穴に。

上の方に見える明るい光が、小さくなっていく。

戻りたい。

あの明るい地上へ。 自分がこの穴の中で落ちているのか、それとも漂っているのかが分からなくなってきた。 きっとあの光の元にいけるかどうかは自分次第だ。

がんばってみよう。

落ち着いて考えてみよう・・・・・・・・・・・

6月21日 心というのはすごく弱いものだなと感じた昨日だった。わたしはオリーブの話を聞き、そ してフラットの中の人間関係を考えた上で、オリーブとこの先も海外生活を続けていきた いと思って積み重ねていた積み木がちょっとのバランスを損なっただけで見事に底まで崩 れてしまったのである。私も彼女も、心のどこかにとても身近に感じてる部分があった が、私から、一緒に生活を続けるのは難しいと言ってしまったのである。彼女は「うん、 もういいよ」と言ったが、その一言は大地震が、地表に亀裂を入れるかのごとく、二人の 関係を切り離した。

それにしても、心は弱いと感じた。お互いに、もう性格が合わないと分かっていても、ま た二人の間には、笑顔が出てしまうのである。人と人の関係を表す言葉は、たくさんあ る。家族、親戚、兄弟、夫婦、親子、恋人、友達、知り合い、先輩、後輩、ライバ ル・・・・・・そのどれに私達が当てはまるのかは分からないが、当てはめる必要もない な、という雰囲気が二人の中にはあった。だからこそ、共同生活をやめること自体が私達 にとっては別れであり、すべてであった。しかしそこで終わることの出来ない私達の心は お互いの弱った心を支え合っていた。二人の話は止めどなく続き、つい数時間前の、傷つ いた心とは見違えるように二人の気持ちは和んでいた。

オリーブは予定通り、後一ヶ月後にはここを離れる。この町の空気もその後は違う色に見

えるだろうと思う。

6月22日 集中するって事は、どういう事なのかなと思う。私達は集中することで、物事が何倍も上 手くできる。私は今家に帰ってきて、今日何に集中したかな、と思いだしてみると、電話 の聞き取りをしているときのことを思い出した。今日はこれから夕食作りと、室内サッ カー、そしてギターの練習。全部集中力がいるから、よく寝られそう だ・・・・・・・・・・

6月26日

あれ、 と思った間に、何日も、何週間も、時には何ヶ月もたっているときがある。私は今、この 物語を3日間も書いていなかった感覚が全くないことに驚いている。この3日間、私は仕 事づくめだった。そしてここクライストチャーチのラクビーゲームの盛り上がりは、最高 潮に達していた。4~5年に一度行われるイギリスのラクビーチームのツアーがここ ニュージーランド中を回り、当たり前のように、「バーミーアーミー」と呼ばれる応援観 戦者が、イギリス方面からどっさり訪れるのだ。私の働いているバックパッカーは、簡単 にフルブッキングとなり、そのほとんどはイギリス人だった。町の中心にある大聖堂の正 面に、仮設大舞台が作られ、ライブバンドが行われ、さらには巨大スクリーンも2機設置 し、町中がラクビーのためにあるような雰囲気を出していた。そんな中ふと思ったのが、 アジア人の少なさである。普段はたくさん見かけるアジア人が、ほとんど外に出ていない ように感じた。私はそのたくさんの人を見て、かつて渋谷のサブウェイで働いていた頃の ワールドカップの時期を思い出した。渋谷は、たくさんのサポーターであふれていた。人 の多さを感じて日本を思い出したことは、不思議な感覚だった。私はニュージーランドに 来てからそろそろ5ヶ月たつが、一度も日本が恋しくなったこと、そして懐かしくなった ことがなかった。そして今、このたくさんの人の出す雰囲気を感じて、渋谷を懐かしく思 い出したのである。そのころの私は、店を任されていたということもあり、休みは1ヶ月 に1回が普通だった。家も同じビルの上のマンションが社宅だったので、そこに住み、本 当に忙しい毎日をほとんど同じ場所で過ごした。その中で移り変わるものといえば、店の 前の公園通りを通り過ぎる人々、お客さん、そして従業員、人の流れだけが私の記憶の中 を流れていった。そのお陰で今、人との出会いの大切さを間近に感じている。今日はどん な人に出会うのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・

私はここニュージーランドに住み始めてから、サッカーを再開した。これは実に9年ぶり

で、サッカー少年だった頃の自分を思い出せるとても大事なイベントだ。毎週日曜日の2

時から45分ハーフのフルゲームに参加している。そして今、その試合から帰ってきたわ けだが、私のサッカー人生14年の中でも一番気持ちのいい試合となった。今日の試合 は、リーグも終盤に入り、優勝を決めるトーナメント制となる第一回目の試合だった。い つも2りいるストライカーの一人が来なかったため、私はセンターフォワードを任され た。あまりやったことのない場所だったので、難しかったが、とにかく最初のゴールを決 めたのは、私だった。実はこのゴールは私がこのリーグでプレイして初のゴールだった。 とてもうれしかった。はっきり言ってその前のゴールは9年前なので、どんなゴールだっ たかも覚えてないのだ。相手もなかなか手強く、試合は3対3の同点で90分を終えた が、トーナメントということもあり、いつもなら引き分けとなるところが10分ハーフの 延長戦となった。それでも決着がつかず、私達はPK戦を行うことになった。5人シュー トする人を選ぶときに、私は迷わず手を挙げた。そして私のける順番は5人目、そんな大 事な番をいまだかつて私はけったことがなかった。一人目の私達のチームメイトのシュー トが相手のキーパーに止められた。しかし、こちらのキーパーも、しっかり一人目の シュートを止め、その後の人達はお互いにシュートを決めて、遂に私の順番がやってき た。私はいつもより延長戦で疲れてはいたが、集中力はあった。そして私のシュートで ゴールネットが揺れた。最後の相手チームのシュートはゴールのバーに当たり空高く飛ん でいった。みんなが私を祝福してくれた。こんなに嬉しかったことは今までになかった。 私はいつもシュートを決めるよりもパスを出す方だった。2ゴールを決めた今日の私は、 自分を誉めたかった。 こんなふうに、英語でも、仕事でも、そして音楽でも、いつか自分自身を誉められるほど 上手くいくことを信じて頑張っていこうと思うのだった・・・・・・・・・

6月29日 温泉。この言葉を聞いて笑顔になる日本人はとても多いと思う。日本では温泉は休息を意 味し、旅のイメージもある。わたしにとっては、「やったー!」という気持ちになる。北 海道にいた頃は、温泉に行く機会が多く、温泉じゃなくてもスーパー銭湯という大きな銭 湯に時々行っていた。しかし東京に出てからというもの、温泉に入ったのは、群馬県に1 泊のスキー旅行に行ったときだけだった。そして今ここニュージーランドに来て、温泉が あるということを知った。私が住んでいるのはこの国の南島。北島に旅行に行くには海を 渡らなければいけないので、あまり行こうとは思わない。南島は日本の本州よりちょっと 小さいくらいの大きさだが、町の数が少ないということと、国道の制限速度が100キロ という事もあり、意外と簡単にどこへでも旅行に行ける。今回私とオリーブは、最後にな るであろうNZの旅に温泉を選んだ。ここの温泉は、日本人が掘り当てたという温泉で、 日本人に人気があるとガイドブックに書いてあった。朝から片道4時間も運転し、温泉に つかるためだけにいったのだが、久しぶりに入る温泉はとても気持ちよく、露天風呂から 見える景色は、日本とはまた違った巨大な山々に囲まれていた。そこの温泉は旅館にも

なっており、レストランも日本風のレストランだった。驚かされたことには、以前働いて いた語学学校の生徒の一人が、そこに泊まり込みで働いていたことだった。話によると、 泊まれる上に温泉にも入れて給料ももらえるという。とてもいい環境だ。日本でも同じよ うなしごとはたくさんあるが、ここニュージーで、お金を貯めるということは、なかなか 難しい。更に、英語の環境という意味でもその温泉の従業員はこちらの人ばかりだったの で、彼はいいところを見つけたなと思った。私も頑張らねばと思った・・・・

6月30日 今日で6月が終わる。何かの終わりは何かの始まりでもある。私にとって日本での生活の 終わりは海外の生活の始まりだった。この先国は変わっても日本に戻りたいという気持ち はない。私が暮らした町は、三笠(北海道)18年、札幌4年、東京4年半、シドニー (オーストラリア)10ヶ月、バルセロナ(スペイン)2ヶ月、そしてここクライスト チャーチ(ニュージーランド)にはいまのところ5ヶ月という感じになっている。こうし て並べてみると、私には6つの町が懐かしさを感じられる町になる。それにしても日本に 住んでいる期間は長かったなと思う。約28年のうち、26年半の私の生活は日本だっ た。私は気楽に100歳までは元気に生きると考えているが、それでも4分の1を日本で 暮らしたことになる。これからの私はどうしても世界の町を渡り歩きたい。何があるか分 からないこの世界をもっと自分の目で見たい。そしてそこに暮らす人の出す空気を感じた い。そして、自分の中にある、どんな場所でも出せる自分の空気というモノを見つけ出し たい・・・・・・・・・・

7月1日

7月8日から、ニュージーランドinternational Film Festivalがはじまる。ここクライスト チャーチでも7月28日から8月14日までと、約2週間の期間がある。日本の映画の選 ばれた映画の中には、「ハウルの動く城」や「スチームボーイ」といったアニメもエント リーされたようだ。ハウルの動く城は、私がこちらに来る少し前に見てきたが、スチーム ボーイは見ることが出来なかった。この映画の監督、大友克洋は「アキラ」というアニメ を私がまだ小学生だった頃に作り、私はそのアニメにすごく夢中になったのだった。その イメージがあるので私は今回の機会に必ず観てみたいと思っている。もちろん世界35カ 国からの映画が集まるので、この期間は久々に私も映画をたくさん見に行こうかなと思っ ている。映画に影響されることというのはたくさんある。私が今までに影響された映画 は、「レオン」「ネバーランド」「ソードフィッシュ」がある。ネバーランドは大人の中 にある子供の心があふれている物語。レオンは、殺し屋の中にも子供と一体になれる心が 見える。そしてソードフィッシュは、完全に大人の世界という感じだ。なぜ私がこれらの 映画に影響されたのかは自分でも分からないが、これからの自分の人生を考えるときに自 分がどういたいかということにとてもためになった。

7月2日 今日は弟の誕生日。私は子供の頃からつい最近まで、親の誕生日を覚えることが出来な かったが、弟の誕生日だけは、忘れたことがなかった。私達は2人兄弟で、3歳違い、同 じ血液型、同じ星座と似たところも多いが、その性格は弟の方がずっと私よりも大人っぽ い。小学校の頃から、弟は私と同じくらいの身長があり、私達は仲のいい友達のようだっ た。中学に入り身長が伸びてくると、弟はあっという間に私よりも大きくなっていった。 私達はよく仲のいい兄弟だねと言われた。今思い浮かべても、一度くらいしかケンカした 記憶が思い出せない。私と弟よりも弟と親のケンカが多かった。高校に入ってからは、生 活時間帯が変わり、あまり話す時間が無くなったが、それでも母親似で話し好きの私は、 よく弟に話しかけ、弟はいい聞き役になっていた。私が短期大学を卒業し、留学資金を貯 めようと、営業の仕事を始めた頃、弟は高校を卒業しなにもやりたいことがないといって いたので、私は私の働いている会社の社長に頼み、弟もやってみるといったので、系列の 会社の営業をすることになった。そして私達は札幌の一つ屋根の下で暮らした。2DKの その家は、とても住み心地がよく、ほとんど私が朝弟を起こし、たまに作る料理は私が作 り、外に食べに行くときはお互いにおごり合うという感じで、まるで夫婦のような暮らし をしていた。私達は、完全歩合制という営業形式により金銭感覚を失っていった。1年半 後、私はどうしても時給の仕事をしたくなり、お金を稼ぐため、そして借金を返すために 東京に出た。その後弟とは、しばらく一緒に生活してなかったのだが、ここNZに来る 3ヶ月前、弟も私と同じような道をたどり、東京に住む私の所に一緒に住むことになっ た。久々に一緒に住んでみると、全く変わってなかった。男同士の生活は本当に気楽だっ た。今では話し方に違いが出てきた。初めて話す人なら、弟の方が年上だと思う人が多い だろう。今彼は東京で生活をしている。私は離れていてもバースデイメールをいつも送っ ていたが、今年はNZから国際電話でもしようかなと思っている。がんばれよ、という気 持ちを込めて。

7月3日 となりでオリーブがとても元気になっている。とてもすっきりしている感じがする。実は つい30分ほど前、私達のムードは最悪だった。そして彼女から手紙を渡された。NZを 私達の共同生活の最後の場所にしよう、と。納得できた。私はここ最近仕事でのすれ違い や、週末のサッカーで、ほとんど一緒の時間を作れなく、彼女ばかりが私の生活パターン に合わせようとしていた。それに対して私でも自分で実感できるほどに何もしてあげれて なかった。そしてお互いの残り16日間の共同生活をイヤなムードにしたくないというこ とでの彼女の決断だった。なぜか辛くはなかった。それも今だけなのだろうか。とにかく 私は、自分の未熟さを知らされた一日となった・・・・・・

7月5日 私はオリーブに伝えられたことを素直に受け入れるつもりだったが、寝付けなかった。本 当にこれで良かったのかと何度もクエッションマークが頭の中を行き来した。そして「そ れなら今までと同じだ!」と思ったのだった。私は何かが始まること、何かが終わること は仕方のないことだと思っていた。それに対して自分が出来ることはない。特に何かが終 わるとき、それはその終わった何かを受け入れ、その次の何かをみるべきだと思ってい た。しかし今回その終わった何かは、本当に終わったのかを考え直してみたのだった。私 はオリーブに、まだ私達の生活は終わってない、終わりたくないという気持ちを伝えた。 そしてその後の二人の空気には、今までのそれとはまた違った色があった・・・・・

7月6日 人を信じること。それは人生の中でも一番難しく、長く生きれば生きるほど、そして経験 をすればするほど難しくなっていくのではないかと感じる。私は自分を信じるので精一杯 で、他の誰かを心から信じることが出来ていない気もする。そんな中でも、家族だけは、 何の疑いもなく信じている。なぜだろう。どこにいても私が孤独を感じないのは、私の中 にもう亡くなったおじいちゃん、そして今も頑張って生きている88歳のおばあちゃん、 そのおばあちゃんを毎日必死に支えてるお母さん、そのお母さんを見守るお父さん、そし てとなりで育った弟がいる。私は海外に興味があるということもあり、いろいろな環境に 立ち、周りの人に本当に支えられているが、一番自分を支えているのは、自分の心の中に いる家族、そしてその家族に育てられた自分を信じる心だ。私もいつか、今私が持つよう な気持ちを誰かと共有し、その心を伝えて行きたい。

7月8日 今日は以前働いていた語学学校で一緒だった台湾人の友達で、現在メルボルンに住んでい るという方がここクライストチャーチに来るということで、一緒に市内観光をすることに なった。もうここの街に来てから半年ほどたつが、市内観光をしたことがなかった私はど こにいこうかどうか真剣に悩んだ。そして、あまりたくさんの場所に行くよりも何カ所か をゆっくり回った方が楽しいかな、と思い市内をまわってるトラムのレール沿いを見て回 ることに決めた。実際見て回って思ったのは、自分が住んでいる町にこんな良いところが いくつもあったんだと思った。いつもは仕事場と家とサッカーに行くくらいなので、あま りたくさんの景色を見ないが、観光という気持ちで街を歩くと全然違うモノだなあと実感 した。そして、今日本語を教えるための勉強をしているという2人にもあえて、話も楽し かった。これからのたまの休みはこんな気持ちで自分の住む町を観光してみるのも良いな と思った・・・・

7月9日

パウロ・コエーリョという人の本は、とても不思議な感じがする。宗教的というのか、そ れとも精神的というのか、とにかく呼んでいて、気持ちのどこかを満たされ、そして今の 自分の生活を見直す気持ちが生まれる。一言で彼の伝えたいことを私なりに表すなら、 「心という今の気持ちを頭で解釈せずそのまま身体で表そう。」という風に私には伝わっ た。人間社会は、いろいろなモノを作ったが、それと同時にいろいろな考え方も作ってし まった。それに従うことがなくても、周りの環境に自動的になじもうとする私達の心、体 は自分以外の誰か、何かに作られていくことがほとんどだ。だからこそ、自分の中にある 心に従い、心と話すことが大事だと。 私は毎日の生活の中でそれを一番大事にしようと心がけている。

7月11日 年に一度の行事はいろいろあるけれど、その中の一つ、誕生日がもうすぐやってくる。去 年の今頃は、私はSUBWAYの店で黙々と働いていた。誕生日には従業員のみんなが閉 店後に祝ってくれたのを覚えている。楽しかったなあ。私の働いていた店は時々飲み会を 閉店後にすることがあり、渋谷の公園通りという立地上、外を歩く人々の目にとまること がよくあった。でもそんな中でアットホームな感じでの飲み会は、私にとってとても大事 なイベントだった。今日はとても天気が良い。私の誕生日もこんな天気になって欲しいな あ・・・・・

7月12日 最近はイヤな夢ばかりを見る。今日の朝もそうだった。やっぱりオリーブがオーストラリ アに行ってしまうことが辛いのだろうか?自分の気持ちを自分で分かってないということ が時々ある。夢によってそれを気づかされた感じもする。天気の良さとは裏腹に、私の心 は落ち着かない。あと約1週間しか一緒に暮らす期間はない。自分にいったい何が出来る んだろう。いつもと変わらない一週間になるのだろうか?何かが変わる1週間になるのだ ろうか?とにかくその先は何かが変わるのだ。そうだ、10日後のことを考えてみよう。 もうお互い別々の国だ。そのときに出来る何か面白いことがないか考えてみよ う・・・・・・・

7月13日 ペイフォワード。この言葉を知っている日本人は多いと思う。この映画で言ったように、 私達が日々行っている生活は、常に誰かにつながっていくと思う。それが良いことなら良 いことが、悪いことなら悪いことが、それじゃあそのどっちでもないことはどうなるんだ ろうと思った。やっぱりつながっていくと思う。日本にいたとき、私は時間にとても追わ れていた。楽しいことイヤなこともあったが、何に一番時間を使ったかと言えば、毎日の 常にやらなければいけないことだった。それは良い事とも悪いこととも区別がつかない、

やらなくてはいけないこと。これが、忙しい町の中ではたくさん発生していると思う。こ れもやっぱり、ペイフォワードのように先につながっていき、そこ全体の空気がこんな雰 囲気になってしまうんだと思った。人の思う気持ちがたくさん集まって、空気を作り、そ の空気の中に入った人に影響するのだとしたら、それはたった2人の中にも存在する。自 分が2人の中の空気を楽しくしたいと思えば思うほど、思わなければ思わないほど、その 空気は色を変えていく。今日の空気は黄色にしたい・・・・・

今は、ハワイアンミュージックを聴いている。部屋の中がハワイアンな感じになってき た。ジャパニーズミュージックって何だろうって思ったら頭に演歌が浮かんだ。この国に これって言う音楽があるってのは良いなと思う。例えばジャマイカにレゲエ、アメリカに ヒップホップ、カントリー、ブルース。メキシコにサルサ、もっといろいろ知りたいなと 思う。

7月16日 語学学校で働いていたときの先生が夕食に誘ってくれた。私とオリーブとその先生の生徒 2人と計5人でその先生のお薦めの中華料理店に行った。なんとその店は今日で閉店と言 うことだった。更に入った時間が遅かったのもあり、私達は最後のお客となった。次々と 入ってくるお客さんに店主が閉店の説明をしているのを聞くと、私は渋谷のサブウェイの 店長をしている頃を思い出した。今私の働いていたあの店はもうない。となりのファミ リーマートが拡大した。最後に店を閉めるとき、お客さんからの「寂しい」という言葉が とても辛かった。意外にも他にどこにサブウェイがあるか聞かれることはあまりなかっ た。特に私は閉店する前の最後の一ヶ月間を、24時間営業にし、私が責任を持って30 日間の深夜労働を行った。その際には昼間では会うことの出来なかった近くのクラブの店 長さんや、ダンスチームの子達(彼らはサブウェイの中で楽しそうにメイクアップしてい た。)終電を逃した子達と楽しく話すことが出来た。昼間はいつも忙しくあまり会話を交 わすことが出来なかったが、夜はこんなにも話せるんだと思った。そして私は、閉店一週 間前に張り紙を出した。近くのスターバックスの店員さん達にも励まされた。そしてその 閉店の日、予定どおり昼の2時頃に全ての食材が売り切れた。並んでいたお客様に、「申 し訳ございませんがこちらのお客様をもちまして閉店とさせて頂きます。」というとき は、とても辛かった。たくさんの記憶がその店の主人の対応を見てて思い起こされた。楽 しく夕食が終わり次は近くのBARに行くことになった。私達は自分たちの話せる英語を 駆使して先生と話していた。楽しいときが過ぎ、私達が解散したあと、私とオリーブには 次のプランがあった。それは、街に出てサルサパーティーに行ってみることだった。とこ ろが・・・・・・・・・・・・・

ここに来て、私達は雰囲気の崖から落ちた。これから会おうとしている人と、みんなでわ いわいするよりも二人で楽しみたいという気持ちがオリーブから伝わってきた。しかしそ の友達はもう街で待っていて、しかもさっきまではもうすぐ行くよと言って大好きなサル サミュージックを思い出しながら待ち合わせの時間も決めていた。オリーブの友達の女の 子二人なのだ。ここニュージーランドの人はとてもフレンドリーで、平和な街だが、夜に なると危ない。私はどちらかを選ばなければいけない状況になった。今までの楽しかった 記憶を全て消しても足りないほど、私は悩んだ。結論を出したときには私はぐったりして いた。私はオリーブと共に家路についたそして、一言も話さずに寝たのだった・・・・

7月18日 引っ越しをした。とは言っても部屋をとなりの部屋とスワップした。オリーブがいなくな る今、私には10畳の部屋は大きく寂しかった。そして、そんなときにとなりの部屋のケ ニーが部屋をスワップしたいと言ってきた。私にとってはありがたい一言だった。3ヶ月 半のルームシェアを過ごしてきたこの部屋に一人になるのは想像以上に寂しい生活になる のだろうと思っていたから。私は新しい部屋での生活を、そしてオリーブは新しい国での 生活をあさってから始めなければいけない。私は私で新しい問題が一つ出来たところだっ た。それはここNZは、法律が厳しく、ワーキングホリデービザでは一つの場所では3ヶ 月までしか働くことが認められていないということだった。計算してみると私は9月の2 日まで働けるとわかった。あと一ヶ月半だ。私は今の仕事に就くまでにこっちに来るとき に持ってきたお金をほとんど使ってしまっていた。今はこの仕事のお陰で満足のいく生活 を送っている。また仕事を探すのは、職種を選ぶととても難しいなと思った。なぜなら 3ヶ月間しか働けないからだ。私が店長として働いていたとき、もし面接で3ヶ月しか働 けないという外国人が訪ねてきたら、まず80%は落とすだろうなと思ったからだ。新し い仕事は1ヶ月、それが英語なら、ちゃんと仕事が出来るまでに2ヶ月はかかる。そのと たんに辞めなければいけないのはとても大変だなと思った。そして今住んでいる家は、 1ヶ月前までに出ることを言うことになっている。そして私はここNZに住んでるうち に、次のカナダへの航空券代を貯めようと思っている。仕事でつまづいていたらそのお金 が貯まらないこともわかっている。さてどうしたものか・・・・・・・・

7月19日 今日は私の誕生日。28歳になった。どういう一日になるのかな?私はこの物語を書いて いて、何かを学んでいるような気がする。自分の表現を繰り返すうちにいろいろな表現が 出来るようになっていくと思う。私はこの人生という時間を、しっかり感じ、そして自分 自身という時間の集まりをしっかり表すことの出来る人になりたい。この28年間という 時間から成り立っている私をもっと素直に表現したい。そして今、毎日という新たな時間

を年輪のように積み重ね、太陽のもとへ伸びていきたい。人、そして自分を信じ、しっか りした根を大地に伸ばしたい。

7月20日 私が働いているバックパッカーでは、バス会社と提携して、毎週決まった曜日に無料バス ツアーを行っている。クライストチャーチの市内ではなくビーチ沿いと港町を中心に回 る、とても美しいコースだ。私達はそのツアーを予約していたが、あいにく天気は雨、さ らには朝から洗濯機が壊れるというトラブルにあい、どたばたした一日の始まりになっ た。ツアー自体は霧の中でほとんど何も見えなかったが、ツアーガイドのお姉さんが、と てもハイテンションで、ムードメーカーだったお陰で、私達一団はとても楽しい観光が出 来た。私達はそのツアーが終わったあと、車を見たいという人がいたので、私達が3ヶ月 間使った愛車を見せに行った。交渉は成立しなかったが、私達はその車を売ることに寂し さを感じていた。家に着いてから、オリーブは最後の支度に励み、キッチンからはケニー の作るおいしそうな料理のにおいが立ちこめてきていた。私がオリーブを驚かそうといろ いろ考えていたように彼女もいろいろ考えていたようで、映画「メアリ」のように、私は 一つの手紙から、部屋中を駆けめぐらされ、プレゼントをゲットした。私は自分の身につ けるモノを選ぶのが苦手で、オリーブに会ってから、何かを買うときは必ず彼女に選んで もらっていた。彼女がくれためがねケースは、格好良く、私のぼろぼろになっためがね ケースとは誕生日をきっかけにおさらばすることになった。夕食の際にはフラットメイト から、キーホルダー(時計付き)と、マオリというここNZの現地人の言葉のミニ会話帳 をもらった。オリーブの準備は9時までに終わらせる予定が11時までかかり、そのあと いろいろ話しているといつの間にか1時になってしまった。私達は4時に起きなければい けなかったので、ここで寝坊という落ちはあり得ないので、そのまま起きる決心をした。 とはいえ、そのあとで、最後の連絡をオリーブがメールでシドニーの知人に送っている際 に、私は寝てしまったのだった。「おはよう」という言葉で、私は4時過ぎにオリーブに 起こされすぐに着替えをし、車へ向かった。ここから空港までは30分、空いている朝で は20分で着く。空港について、私達はお互いに感謝の気持ちを言葉にしていた。すぐに でも彼女は出国検査場に向かわなければいけなかったが、出来なかった。わたしは、 「じゃあ、いくね。」という言葉を何度も何度も言った。少し帰ってはまた戻るというお かしな行動を笑顔で繰り返しながら、私は遂に空港の自動ドアをくぐった。オリーブはガ ラス越しに立っている。その笑顔には今まで彼女が見せたどんなすばらしい笑顔よりも私 を辛く感じさせるまなざしがあった。わたしは、また自動ドアをくぐり戻ることも考えた が、滝のように流れる私の涙を彼女に見せたくなかったので、私も笑顔で手を振り、早朝 の薄暗い空港の駐車場へと姿を消した。「また会えるんだよ、さよならじゃないよ。」お 互いに確認し合うように言った言葉、そしてまだ残してある彼女から預かった荷物。全て は昨日までとほとんど変わらない生活。オリーブの心と一緒の部屋にいないという大きな

大きな違いを私は目標という言葉と共に乗り越えようと考えている。28歳の誕生日は、

とてもかけがえのない一日となったのだった・・・・・・

7月21日 アルコールが入っていないビールの味のような一日だった。

7月22日 英語がわからないことが本当に辛い。今日も仕事中の電話で、私が聞き直すたびに電話の むこうからため息が聞こえた。相手の声を聞くときには、心の中で「頼む。聞こえてく れ」と祈っている。無意識のうちに。あと6ヶ月のNZ生活。今のこの辛い環境は必ず身 になることはわかってる。「苦労は買ってでもしろ」という言葉を胸に生きていこうと思 う。

7月23日 私がここNZに来るときに抱いていた夢は、世界を平和にすることだった。あまりにも大 きな夢に、そのことを聞いた人はおろか私自身までが、その夢に自信を持ちきれてなかっ た。でも生活の中で世界平和や、戦争、テロ、人種差別、ベジタリアン、いろいろな言葉 が、私を考えさせる。今日もTVのコマーシャルで、あなたのサポートが必要な子供達が たくさんいます。という内容が放映されていた。地球上の生き物の中で、私達人間だけ が、物欲、金欲を持っている。この事で、戦争が起こり、貧富の差が埋まれ、自殺という ことまで起きる。いくら、最低限の生活をし、それ以外はボランティアに、募金にしま しょうといったところで、それを受け入れる人はほとんどいない。大きな費用をかけ、T Vコマーシャルにして国中、世界中にこの事を発表しても、満足なボランティアは得られ てないと思う。私達が築いてきたこの人間の歴史は、とても大きく、けして一人では、そ して一世代では作り得ない世界がこの地球上に広がっている。そして私達は、この物欲、 金欲というモノを止められない。私は何とかして、この欲を、そして損得勘定というモノ を変えていける人になりたい。私達は何かを手にしたときと同じくらい、何かを与えたと きに満足できる。きっと私は何かできるはずだ。真剣に考える時間はたくさんある。もし この日記を見た方で、何か考えがあるかたは、是非コメントをください。

7月25日 ここNZにも貧しい家庭はある。それはどこの国でも一緒だと思う。私は今日、ふと思っ た。そんな貧しい家庭の中の一員となって働くことは出来ないだろうかと。一緒に生活 し、その家族の一員になることは出来ないだろうかと考えた。全く話は変わるが、私は今 までに格闘技というモノをしたことがない。人と人が戦うということに興味がなかった。 でも映画「ギャングオブニューヨーク」を意味がわからないながらも見ていると、戦いが 必ずしも悪いと言うことにはならないと思った。人が何かをうったえたいとき、自分の後

に残す人のために戦うとき、それは、人の心を動かし、そこに新たな動きをもたらすので

はないかと思った。私も何かの格闘技をやってみるべきなのでは、と思った。

7月27日 今までにない考えが頭に浮かんだ。先進国の中で辛い思いをしている人、発展途上国の中 で辛い思いとしている人、今までは100%発展途上国の人こそを助けるべきだと思って いた。しかし、どうだろう。こんばんは悩みそうだ・・・

7月30日 悩みに悩んで悩みまくった。でも答えは出ない。昨日が休みだった私は起きて朝食を食べ てすぐに、海沿いにあるお気に入りの図書館に向かった。いろいろ勉強道具を持っていっ たものの、勉強よりもいろいろ考えてるうちに時間は過ぎ去っていった。いつの間にか夕 方になり、前に働いていた語学学校の先生に何か意見をもらおうと思い連絡をしたとこ ろ、他の生徒さんも一緒に4人で夕食と言うことになった。夕食中にいろいろボランティ アの話にもなった。青年海外協力隊の話にもなった。でもどうしてもぴんと来なかった。 家に帰る際も私は歩いて1時間かかる帰り道を歩きながら考え、家に帰るとすぐに布団に 入り考え、まるで病気にでもなったように考え込んでいた。こうして書いている今でさえ 悩んでいる。「言葉よりも行動 を」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふと、頭に思い浮かんだ。自分の生活の中で、助けの必要な人に気がつけるように精一杯 気をつけながら生きてみよう。普段私達は何か自分にとって得なものはないかということ にとても敏感だ。そのアンテナの種類を替えて、何か困っている、または人の手が必要か どうかを察することが出来るように気をつけながら生きていくというのはどうだろう。こ れなら、全てを継続できる。

7月31日 2005年7月30日。この日は自分にとって、とても大事な一日となった。自分がこれ から自分の人生をどうしていきたいかということを、さんざん自分と相談した結果、とに かく自分を磨くということ、周りをよく見て、よく聞いて、よく感じて、そこに自分の出 来ることがないかどうかに気づける努力をすること。世界の状況を知るということが、自 分の生き甲斐だと結論が出た。今までも何度も自分の夢、なんのために生きているのか? 何で宗教があるのか?自分の道に迷うことがたくさんあった。でもやっと今、見つけるこ とが出来た。あとはどれだけ妥協をせずに行動に移せるかどうかだ。今生きてるこのかけ がえのない時間を大事に生きていく。

8月1日

今日から8月だ。今月中に私のワークビザが降りるかどうかがわかる。もし降りなければ ここの家を出ることになる可能性もある。大事な一ヶ月だ。昨日のサッカーでぶつけた頭 と、つった足がまだ全然痛い。毎週月曜日の私はいつもこんなぼろぼろの状態だ。とほ ほ。

8月3日

今日は今月初の休みだ。私は映画に行く予定なので、バッチリその映画から何かを吸収し

てこようと思う。映画はいろんな事を見た人に伝える。映画を通じて、私は世界の子供達

のことを考え始めるようになった。その映画は「ネバーランド」。この映画のような感動

する映画を見ることも出来ない子供達のことを考えさせられた。

「The sea inside」。スペイン語の映画だった。英語の字幕が付いていたが、スペイン語ビ ギナーの私は字幕を見ると同時に所々スペイン語が聞こえ、久しぶりに聞くスペイン語に またあらためて魅力を感じた。物語の内容は、28年間も寝たきりで動けない生活を続け た一人の男が、自殺をしたいということで裁判を起こし、だが彼は顔以外どこも動かすこ とが出来ないので、他の人に助けてもらわなければならず、それを認める人、認めない 人、彼を愛する人の行動、彼の周りの家族、一人一人の感情がそこにはあふれていて、言 語は理解できてなくても、存分に泣いた。私達は五体満足なんだって事をすごく感じた。

8月5日 今日は2度寝をしてしまって、10時に起きてしまった。あと30分で仕事に行く時間 だ。この30分を何をしようか迷った結果ギターをすることに。おととい行ったジムで、 身体が筋肉痛だ。この筋肉痛が毎日続くように毎日トレーニングできたら完璧なんだけど な。私の仕事のスケジュールが昨日でた。来週から時間が削られていたが、これを良い方 にとって、自分を鍛える時間にしたいと思う。

今日は残念なニュースがあった。ワークビザが降りないことがわかった。よって今働いて いるバックパッカーでは、あと1ヶ月しか働くことが出来ないのだ。私はここの家に住ん でいる限り、必ず働いていなければならない。何かが終わるとき、何かが始まる。とにか く残りの毎日を悔いのないように働こうと思う。きっと楽しい毎日になるはずだ。

8月7日 フラットメイトにパーティーに誘われた。私は9時に仕事が終わり、そのあと自転車で帰 る途中にスーパーマーケットでコーラを買った。私は今アンアルコーリアンを目指してい る。これは私が勝手に付けた名前で、アルコールは最高一日1杯。酔わない。というもの の略称だ。私はアルコールならなんでも飲むし、強くはないが、飲むことは大好きだ。私 のフラットメイト3人は、みんなベジタリアンで、3人とも、2年前までは肉を食べてい

た。彼らは、今世界でビジネスのために生まれたことも知らずに残酷に殺されていく動物 の現状に反対したいという意識から、ベジタリアンになった。私は今でも肉は好きだし、 もちろん食べるが、ベジタリアンに対する見方が完全に変わった。私は食社会、食ビジネ スに対する知識がまだ豊かではない。ベジタリアンになろうとは思わないが、アルコール に関することではいろいろと思い当たることがあった。私の父のお腹はビールっぱらで、 何であんな形になるんだろう?と子供の頃思った。私の父の兄は酒癖が悪く、若い頃家族 に迷惑を掛けたという話を聞いた。電車の中で、座ったまま意識がなくなり吐き続けてい る女の子がいた。私の働いていた語学学校の先生のひとりは、掛け持ちでアルコール中毒 の人の世話の仕事もしていた。私達の人生の中でアルコールは蜜でもあり毒でもある。私 はアルコールで満たされる感覚を自分自身でのテンションのコントロールで出来ないもの か試していきたいと思った。これが私がアンアルコーリアンになろうと思ったきっかけで ある。 ・・・・私は家に着いてから、ジョギングに出た。実は今ひとつの作戦を立てていた。オ リーブが帰ってきたときまでに、身体を引き締めておこうという作戦だった。それはさて おき、トレーニングのあと、私はコーラを持ってパーティー会場の友達の家へと向かっ た。もう11時半を過ぎていたせいか、人は30人くらいいて、盛り上がっていた。驚い たのは、友達のお父さんやお母さんもいて、歳に関係なく楽しんでいることだった。みん なは私に「飲んでる~?」と盛んに聞いてきた。私は自分でテンションをあげ、楽しく会 話を楽しんだ。1時半も過ぎた頃、私のフラットメイト達は街に飲みにでると聞き、私は 街まで彼らを送っていった。私は翌日大好きなサッカーの試合があるのでここで帰ること にした。一人で運転している街からの帰りの車の中私の心はとても満たされていた。私が アンアルコーリアンになろうと決めてから、まだ2週間しか経ってないが、2回あった パーティーの2回とも、気分良くその日を過ごし、翌日も気分の良い一日となっている。 今のところ順調だ。これからも続けていきたいと思うのと同時に自分のテンションのコン トロールももっとうまくできるようになりたいと思った。

8月11日 フラットメイトのお母さんの紹介で、ナーシングホームという老人介護の施設の仕事に面 接にいった。どんな仕事なのか今日は一日見てみてくださいといわれ、午前中4時間いろ いろな仕事について回ってみた。とても感動した。自分一人では起きあがることもできな いたくさんの人達、無口で何を話しかけても返事をしない人、部屋に家族の写真がたくさ ん飾ってあった。私がご飯を食べるのを手伝ってあげたときに一口ごとに「thank you」と 言ってくれた。彼らは、長い人生を過ごしてきた。私の3倍は生きているだろう。まるで 子供のように、素直な笑顔で私の声に笑顔をくれる。彼らには数え切れないほどの思い出 がある。そして今の生活がある。たとえ自分の家族と一緒の生活じゃなくても、そこには 家族のような空気が流れていた。私の母親は、北海道の実家で、付きっきりでおばあちゃ んの面倒を見ている。大変なんだろうなとは思っていたが、今日ここでの体験で、とても

母親を誇りに思った。私は、おばあちゃんの、そして今はもう亡くなったおじいちゃん の、そしてお父さん、お母さんの辛い話を一度も聞かされたことがない。自分が親の立場 に立ってみたらどんなに大変なんだろうと思った。自分はいったい誰のために何を我慢し ているんだろう。こんなに元気な身体があって、こんなに自由な世界に生きていて、今の 自分は、誰に「安心」を与えてあげられてるだろう。世界は進歩していく。私達人間が変 えてゆく。でもこの家族という安心を、そして、私達人間は人間同士が家族なんだという 気持ちを持ち続けていきたい。私達が今初めてであった人のその瞳の中にでさえ、私達の 一番身近な人が、そして一番大切な人の心の一部が重なっているんだって事 を・・・・・・

8月12日 仕事の合間に、マネージャーに呼ばれた。採用のお知らせだった。言葉にできないくらい 嬉しかった。仕事が決まるというのはとても嬉しいことだが、今までにこんなにも嬉し かったことがあっただろうか?なぜだろう。そこに暮らす人の役に立てることが嬉しいの だろうか?そこに暮らす人は、私達のように自分で生活してる人と何が違うんだろう。彼 らはゆだねている。私がどう接するかが、彼らの人生の一部になる。私はいろいろな土地 を回って、今ここにたどり着き、彼らと接している。しかし半年後にはまた違う土地にい るだろう。彼らは、そこに暮らすことを選んでいる。それは彼らの瞳を見るとわかる。自 由な生活空間で暮らす人が自分自身を縛り付けているのとは全く逆に、彼らはそこで出会 う人々の心に彼らの心をゆだねている。そして、その生活を楽しんでいる。自由という言 葉はこの社会の中でとても大きなキーワードとなる。自由というのが一つの形だとして も、その色は人によって千差万別、自分の色の自由を見つけ出したとき、その人の向かう 方向が決まるのではないかと思う。とにかく本当に良かった。できる限りを尽くそう。

8月13日 仕事が決まった今、仕事を辞めなければいけない日も決まった。ビザによる許される期間 は3ヶ月。15日から働くと、11月の15日まで働くことができる。そのあとは、日本 に帰ることも考えている。6年間離れていた実家の北海道で、ホワイトクリスマスを迎え るかも知れない。私は、以前はせっかく海外のビザが取れたんだから、ぎりぎりまで滞在 しよう、できることならビザを延長しよう。と言う気持ちもあった。しかし今ではその考 えは変わり、その瞬間の気持ちを大事にしようと思っている。オリーブは、私よりもここ ニュージーランドに来た時期が早かったために12月の頭には帰らなければいけない。私 は、この先も必ず海外に行くと思っている。それなら、今はオリーブとタイミングを合わ せて、新しい生活のリズムを作りたいと思った。日本を旅行したことのない私は、青春1 8切符にも興味を持った。時々気分が落ちることもあるけど、私は常に走っていたい、そ

して、止まったときも足を動かすのを忘れないでいたい。信号が青になったときに、タイ ミング良く駆け出せるように・・・・・・・

8月14日 介護の仕事に行き、サッカーの試合に行き、夕食の当番だったので夕食を作り(カ レー)、今週の家事の掃除機ともっぷがけをすませ、とても充実した一日となった。レス トホームに暮らすマリアンが、私の名前を覚えてくれた!とても嬉しかった。私はお昼ご 飯のお世話をしてるときに思った。彼らは、毎日食べるご飯を選ぶことができない。中に は、ちゃんとかめないので離乳食ばかりを食べている人もいる。そして、自分の手で、口 元までご飯を運ぶことができないなら、そのご飯を食べさせてあげる私達だけが彼らの食 事を楽しいものとさせることができる。私達がただ彼らの手の代わりをするだけより、 もっと何かを考えて楽しい食事にしてあげたい。

8月15日 今日は、初めて一人で、メアリーの午前中の身支度とベットメイキングを任された。 ちょっと緊張したが、ジョージファミリー(これからレストハウスで暮らす人、働く人を こう呼ぶ。)の中では一番ひょうきんで、初めて私の名前を覚えてくれた人でもあるので 自分の思ったようにできた。それでもそのあとに任されたハッスルのときは、ちょっと 焦って、ブラジャーを着ける前に、ブラウスを着せてしまった。午前中はあっという間に 過ぎ、私は汗だくだった。そのあとはまた嬉しいことがあった。昨日のご飯の時間に元気 のなかった女性(名前を忘れた。悔しい。)が、私の「hello! how are you?」に、答えてく れたのだ。しかも、昨日は口の開き方が小さかったのに、今日はしっかり口を開けてくれ た。今こうして書いていて思ったのだが、どんなに小さいことでも、集中するだけで、こ んなに大きく感じるんだと思った。今は、バックパッカーの仕事から帰り、身体に疲れを 感じている。でもそれが嬉しい。こんなに自由に動かせる身体を少しでも疲れさせて眠り につけることに幸せを感じた・・・・・・・

バックパッカーで、久しぶりにメキシコからの旅行客をチェックインした。その方は英語 が片言だったので、「よし!」と思い切ってスペイン語で話しかけた。しかし、しばらく 使ってなかったせいか、あれっ知ってたはずなのに!と言う言葉が全然出ず、すぐに英語 に戻ってしまった。でも彼女は「muy bien!」と言ってくれて、やっぱりスペイン語もやり たいよ~!と思った。しかし今は英語に集中しなきゃならないんだ。がんばろ。それにし てもいろいろな国の人達が来る。これで何カ国語も話せたら、どんなに楽しいんだろうと 考えてしまった。

8月17日

忙しくなってきた。今日はレストホームでとても嬉しいニュースがあった。介護の資格が 取れるかも知れないという話だ。その資格はNZの定める資格で、もし取れればこの先の 海外生活にとても強みになる。昨夜はバックパッカーの仕事が12時までになり、そのあ と飲むことに。バックパッカーの一階にあるバーはにぎわっていて、一杯ビールを飲んだ あとは、周りのみんなと踊って、家に着いたのは2時をすぎていた。バックパッカーとレ ストホームを掛け持つ9月の3日まではあっという間に時間が経つだろう。そのあとは資 格所得に向けて、頑張ろうと思う。

8月20日 昨日の夜。仕事が終わってから家に帰り、とても疲れを感じたので自然に何か甘いものを 食べたいと思い、パンに蜂蜜を塗って食べた。今日はフラットメイトの誕生日だったの で、みんなは街に出ていて私の帰る時間と同じくらいに帰ってきた。時間は12時半を 回っていたが、バースデイケーキを食べよう、と言うことになりみんなでチョコのケーキ を食べた。さらに私の食欲は止まらず、昨日の夕食の残りを温めて食べた。そして布団に 入った。とても罪悪感を感じた。最近はいつも身体を鍛えることを考えていたので、夜ト レーニングをしていた。でもそれもせずにしかも12時をすぎてからばくばく甘いものを 食べ、すぐ寝た。この食べ物は、脂肪になっていくんだろう。友達で、自分の決めてる以 上食べると、もっとたくさん食べて、はいてしまう子がいる。私はこれは絶対良くないと 思い、止めようとしたが難しかった。開き直って、特技にしちゃえばと思ったときもあっ たが、男ならともかく女の子は妊娠することもある。妊娠中にはくようなことがあった ら、どんなに辛いだろうと思った。何とかうまく止められる方法を見つけて、その友達を 助けてあげたい。私はこれからトレーニングをする。昨日の分の栄養を発散しようと思 う。

8月21日

土と水と空気と火。

体と心と魂と命。

何か似ている。

この世界があと1000年経っても、

この事は変わらないのだろう。

ここから見えるあの太陽が燃えているように、

私達も燃えている。

必ず私達の出しているこの炎は、

何かに影響してる。

その炎を、

コントロールしたい。

8月21日 1ヶ月前から図書館に貼っていた、ランゲッジエクスチェンジの広告に最近e-mailがき た。何度かメールを交わし、今日の夕方、遂にあうことに。彼は高校の先生で、外国人の クラスの担当もしてると言うことだった。ただ、話はすぐに終わり、30分で、一緒に 入ったマクドナルドから出ることに。うーん、こういう事もあるんだなあ。と思ったと き、どこからともなくスペイン語が聞こえてきた。すぐ近くの席で、カップルがスペイン 語を話していた。私は以前メキシコレストラン(東京)で働いていた。そこにはまりあっ ちという3人組のミュージシャンがいて、その一人が、譲ってくれたギターを私はここク ライストチャーチに持ってきた。もう一人がくれたスペイン語の歌の本には、たくさん曲 が乗っているが、私の知っている曲は1つしかなかったので、誰かに聞きたいと思ってい た。とにかく無性にスペイン語を話したくなった私は、すぐに自分のメールアドレスを紙 に書き、そのカップルに声を掛けた。そして自己紹介をすませると、彼らはメキシコ人 で、今はオークランドの大学生で、ここには旅行できていて、明日帰ってしまうことがわ かった。でもその男性はとても親切で、私のスペイン語の曲のことを話すと、メールで曲 名を送ってくれれば、MP3で送ってあげるよといってくれた。今であったばかりなのに! とてもハッピーな気持ちで私はマクドナルドを出、そのあとは夜のダウンタウンのお勧め コースを、バックパッカーに泊まる人達にちゃんと説明できるように街を探索した。明日 の仕事が楽しみになった。

8月22日 今日からあと2週間でバックパッカーの仕事が終わる。思えばここニュージーランドに来 た次の日に、クリーナーとしての仕事をここで見つけ、たったの1週間で腰が痛くなり、 辞めた私を仕事が見つからなくて困っているときにレセプションとして雇ってくれたマ ネージャーにはとても感謝している。あのころは、まだ一緒に到着したSUBWAYの従業員 がここクライストチャーチにいて、なんか不思議な感じがしていた。そして、彼女に、街 でばったりであったとき、一緒にいたのがオリーブだった。それからすぐにオリーブとは 仲が良くなりあっという間に時間が過ぎていった。そしてオリーブはオーストラリアに旅

立ち、早1ヶ月が経った。残り約3ヶ月。私の心には、そしてこの日記には、どんな記憶 が書き足されていくのだろうか。

今日は仕事のあと、最近友達になった日本人の女の子と、コーヒーを飲んだ。その店はと ても雰囲気が良く、まだそのこと会うのは二回目だったので、少し緊張もあり、不思議な 気分だった。いろんな事を話した。彼女は私よりも英語が上手で、私達は英語で会話を楽 しんだ。その中でも、男と女は全然違うっていう話が印象的だった。私は、今までいろん な人に惚れてきたが、自分と似てるなって思って惹かれるときと、自分と違うなって思っ て惹かれるときがある。とにかく楽しい一日だった。おっと、まだ終わってない。今日も これからトレーニングだ。がんばるぞっと。

8月24日 48時間。この2日間の間に、私は今までの人生の中でも一番突拍子もないことをした。 遅くまで、「ハニーポットカフェ」にいた私は家に帰り、いつも通りこのページを開い た。そして、そのあとは、ホットメールの確認をし、オリーブからのメールがなく、とて も声が聞きたかったので、あとのこり3枚あるフォンカードの一枚を使い、オーストラリ アのシドニーに住むオリーブの携帯電話へと電話を掛けた。もう彼女と離れてから1ヶ月 以上立つが、離れていることに全然慣れない私は、カート ゙のこり時間もあと数分のとき にオリーブが言った、「嫌われるかも知れないけど書いた」という題名の文を、まだ送っ てはいないが下書きしたというのを聞いて、とたんに不安になった。彼女が寂しがりやな のはわかっている。たとえどんなことがあったとしても、自分の気持ちに変わりはないこ ともわかっている。そう思いながら話していると、「凹むんならおくんないよ」とだめ押 しされ、それに答えられないまま、カードの時間が切れた。私はもう1時半を過ぎていた ので、布団には入ったが、オリーブに会いたい気持ちで全く寝られなかった。何も解決策 を見つけられないまま、気が付くと3時になっていた。 そして、ふと、「次の休みに日帰りでもシドニーに行けないだろうか?」と考えた。ここ クライストチャーチからシドニーまでは約3時間半かかる。空港から彼女の家まで1時間 かかったとして、空港に2時間前に着かなければいけないことを考えると、たった1時間 会うために、最低でも14時間かかる。とても日帰りでは無理だと思った。私の休みは水 曜日で、火曜日は夜の仕事があった。しかし、私はどうしても、どうしてもオリーブに会 いたかった。「明日一日仕事を休んで、朝一で飛行機に乗り、明後日の夜の便で帰れば何 とか会ってゆっくり話す時間は作れる!」と思いついた私は、すぐさま布団から飛び起き パソコンの電源をいれ、ウェブサイトで、フライトスケジュールを確認し、23日朝7時 発のクライストチャーチ発シドニー行きと、24日夕方6時30分発シドニー発クライス トチャーチ行きを発見した。しかし私はクレジットカードを持っていないので、ウェブサ イトからのチケット購入はできず、さらにはその時間は空港が閉まってるので、電話での

空席確認もできず、とにかく、空港に行くしかないという結論が出た。そう気づいたとき の時間は4時、私は1日分だけの着替えをいれたバックを背負い、パスポートを確認し て、家を出、自転車に飛び乗った。私の働いているバックパッカーまでは約20分で着 き、何とか4時半にバックパッカー出発のエアポートシャトルに乗ることができた。5時 に空港に着いた私は、早速ニュージーランド航空のカウンターに行き、空席を確認、割引 無しのチケットを手に入れた。空港税を払ったときには、もう私の預金はほぼからになっ ていた。ここNZでは、週払いの給料だったので、何とかなると思い、私はその往復チ ケットを手に入れたのだった。それから、フラットメイトのみんなには、明日の夜には帰 ると携帯からメールを送り、バックパッカーのマネージャーには緊急でシドニーに行かな ければ行けなくなってしまったので申し訳ありませんが今日だけ休ませてくださいとの メールを送った。そしてそれから約5時間後、シドニーの時間で23日朝8時半に空港、 それから2時間後にはオリーブの泊まっていた家の前に来ていた。約3年前、私はここシ ドニーに10ヶ月間住んでいた。通る道、見える景色が私にいろいろなことを思い出させ た。3年ぶりに再会したい友人もここシドニーにいる。しかし私はそのためにここに来た のではない。今立っているこの家の中にいるオリーブに会うために、そのためだけに来た のだ。ノックして、出てきたオリーブは、ただひたすら驚いていた。私は彼女を抱きしめ たい衝動を止めることができなかった。彼女は1ヶ月前と変わらない笑顔で私を迎えた。 それからたくさん話した。シドニーの天気はとても良く、外を歩きながらたくさん話し た。座りながらたくさん話した。 コーヒーを飲みながらたくさん話した。7ドルステーキを食べながらたくさん話した。た くさん笑った。くだらないことでたくさん笑った。他にも久しぶりにあってオリーブに紹 介した友人にも3年ぶりにあったが、オリーブ以外はあまり視界に入らなかった。「あと 1時間だね・・・・」ダイリングハーバーに架かる橋から、遠い空を見つめながら言った その一言で、私達は現実を感じた。私はオリーブが働いているバックパッカーから出るエ アポートシャトルバスを予約していた。今会ったと思ったばかりの時は、あと1時間を 切っていた。悲しいという気持ちを抑えるために、私達はこの先の予定を話し合った。本 当は先の予定はそのとき決めなくてもいいのはお互いにわかっていた。でもそうしない と、私はあふれ出る涙を止めることができなかった。オリーブの瞳はそのときの話の内容 で色が変わっているのがわかった。シャトルバスに乗った・・・・・彼女が見えなくなっ たとたんに涙が流れ落ちた。そしてそれは止まらなかった。シャトルバスに乗っていた1 時間も、飛行機の待ち時間も、空の上での4時間も、あっという間だった。ただ、私の目 には、彼女の笑顔が移り、手にはそのつないだ感触が、耳には、笑い声が、鮮明に残って いた。そして今私はここにいる。48時間前とまた同じ椅子に座り、明日は私を待ってい る。10月18日。この日までの毎日がお互いのためにあってくれることを強く願い、私 はこれから布団に入る。

8月26日 ここ、クライストチャーチにもそろそろ春がやってくる。最近であった、世界のいろいろ なところに住んだことのある日本人は、クライストチャーチが一番いいと言っていた。そ の方は、たくさん見て、そして暮らした中でここがいいと言っていたが、私はこの先どこ が一番好きな土地になるのだろうか?ふと今までの自分の暮らした街を思い浮かべてみる と、どうしても、街よりも、人が浮かんでくる。自分と似た環境で暮らしている人とたく さんで会えた場所が、私にとって一番好きな土地だなと思った。ここクライストチャーチ はどうだろうか?私のクライストチャーチの思いでは、どうしてもオリーブとの出来事に なってしまう。たくさんの思い出は、私がこの街に住んで1ヶ月目に出会った彼女との思 い出ばかりだ。来年は半年間静岡に住むことになるだろう。その先はカナダ。こうして、 自分の進む道が見えていることに、なんて幸せなんだろうと思う。これからも自分のなり たい自分になれるように、自分自身、そして自分の周りの環境をどう変えていくかと言う ことをしっかり考えながら生きていきたい。そしていろいろなことを考える時間というの はとても大事だとあらためて感じた。

8月27日 最近は仕事が忙しく、まともにフラットメイトと話をしていない。昨日も帰りが遅く、今 日の朝冷蔵庫を開けてみると、私のための晩ご飯が入っていた。とても申し訳のない気持 ちになった。あと1週間はこんな生活が続く。先日の航空券で、私の預金はほぼ0となっ ているため、今の忙しい生活は、私には必要なものとはわかっているが、早くこの1週間 を乗り切りたい。

8月28日 昨夜の私は落ちていた。どうしようもないほど、気持ちが落ちていた。理由はわかってい るが、それ以上に落ちていた。きっと体内のバイオリズムが今下がっている所なんだろう と思って落ちてる気分に自分をゆだねた。虚脱感があった。なぜかそこから立ち上がれな かった。腕立て伏せをたくさんしたときに、手に力を入れても全く身体が動かないような 状態に、心がなっていた。

8月29日

天国と地獄。聞き慣れた言葉。たとえ宗教を信じていない人でも予想はできるだろう。で もそれっていったい何なのかが、今日ちょっとわかったような気がした。たくさんのお年 寄りをみていると、同じ歳でも全然違うことがある。それは元気の良さよりも、表情のち がいだ。たとえ身体を満足に動かせなくても、そこに笑顔があふれている人と、いつも不 満げな顔をしている人がいる。単純に考えるなら、今まで動かせたからだが動かないこと は不満に決まっている。だけどそれまでの人生で培われた、考え方というものが、その人

を幸せにも、不幸にもしているんだと思った。身体の自由がどんどんきかなくなって、遂 に何も感覚がなくなったとき、その人には何が残っているだろうか?記憶と、受け入れる 心、そしてそれに対しての考え方だと思う。そしてこの身体と魂が離れたとき、その人の 人生の全ての記憶に対しての考え方が、その人の魂をどこかに連れて行くんだと思う。こ こで、ふと今のことを考えると、今も先も条件は全く同じだということに気づく。自分に 対して起こることに対しての考え方。今までの記憶。人の心を受け入れる心。 今自分は何 をするべきかと考えることはよくあることだが、その考えている自分こそが、一番大事な ことだと気づいている人がどれくらいいるだろうか?私達は、もっと考えるべきだと思 う。考える時間こそが、その人を造っているんだと思う。

8月30日 寝るのが楽しみに感じたことは、子供の頃のクリスマスくらいしかなかった。でも今の私 は寝るのがとても楽しみになっている。人を待つ思いをしたことのなかった私が、人を待 つということを実感させられているときだなと思った。睡眠と言えば、私は今まで、身体 の回復時間としか考えたことがなかった。一日に睡眠を3時間2回に分けてとっていたこ ともあった。6時間寝ると、よく寝たと思う方だった。最近は違う。時間が経つことに嬉 しさを感じている。最近「キャッチミー イフ ユウキャン」の本を読み始めた。とても 英語が難しいが、何とか止まらずに読み続けている。一度みてとても面白かった映画だけ に内容がわかってるから助かっている。読み切れたらいいな。

8月31日

今日はとても久しぶりに、全く予定のない一日となった。 街にふらっと出てみたが、何かしっくり来ない。 家に帰ってきて、ゆっくりしている。私はもしできることならこの日記を、一冊の本にし たいと思っている。もしどなたか詳しい方がいらっしゃったら製本について教えて頂きた い。

私はここクライストチャーチに来るときに日本にいたときとは完全に変わった生活をしよ うと意気込んでいた。それはまるで忙しさの中で自分が何か環境を変えたいと願う心が思 い浮かべたとても正反対の生活だった。しかし実際に到着してみると、すぐにその環境に なれ、気が付くと周りの人と何ら変わらない生活になっていた。私の働いていた日本のサ ブウェイの従業員の一人がたまたま私と同じ時期にここクライストチャーチに1ヶ月間留 学に来るということで、とても不思議な感じで彼女に出会った。そのとき私はすでに働い ていたので、なかなかあう機会がなかったが、2回目にあったとき、その子と一緒の語学 学校に通っていた彼女の友達が、オリーブだった。みんなで6人いたが、それぞれ目的の 場所があったので、2人づつに分かれたとき、私と一緒に日本のエージェントに向かった

のがオリーブだった。初対面だったが、彼女はとても明るかったので、私もいつの間にか すぐに心を開いていた。用事が済み、待ち合わせの所に向かうときには、もう「けん」と 呼ばれていた。私は正直とても嬉しかったのと同時に、自分の中で、日本人の友達はでき るだけ作らないようにとおもってた自分に妥協した。そのときはお互い連絡先すら知らな かったので、私はただ、またいつか彼女に会いたいと思って過ごしていた。しかし、なか なかその機会は来ず、待ちきれなくなった私は日本から一緒に来てる子に連絡先を教えて 欲しいと頼んだのだった。そしてそのあとほんの数回あったとき、私は彼女の通う、ジム に一緒に通おうと決めた。彼女(オリーブ)の寸出たホームステイは、ジムのすぐ近く で、時々そのホームステイ先によることもあった。そんな中私は自分の気持ちを確信した のだった。

私はクリーナーの仕事、オリーブは語学学校があったため、仕事のあとに街で待ち合わ せ、そのままジムに向かい、そのあと彼女を家まで送ってからバスで私の家に帰るという のが私達のパターンだった。そのうち私は張り切って働きすぎたせいか、持病の腰が痛み 始め、大事をとって仕事を変えることに。しかし次の仕事はなかなか決まらず、面接を繰 り返してるうちに私は語学学校のエクスチェンジ(お金の代わりにフリーレッスン)の仕 事が決まった。オリーブの住んでいたホームステイのファミリーはとてもいい家族で、特 にお母さんは語学学校の先生、私も誘ってもらい、野外コンサートや、ディナーに誘って もらった。そのときはまるで私もホームステイをしているような気分だった。しかし彼女 は語学学校+ホームステイでかなりのお金を使っていたため、私がフラット生活の話をす ると、彼女もふらっと生活がしてみたいと言った。私の部屋は、かなり広く、もしかした ら二人いけるかなと思い、フラットメイトとも相談し、遂に4月から、オリーブは私の住 むフラットに引っ越しをした。さらには、語学学校も予定の3ヶ月を1ヶ月縮め、なんと 私の働いていた語学学校のレセプションのエクスチェンジワークに見事合格したのだっ た。そして私達の、家、仕事、ジム、という共同生活がはじまった。

9月1日 今日から9月だ。最近自分がちょっと落ち込んでるような感じがする。なんていうか、自 分のできることの半分しかやっていない。というよりも、心ここにあらずという感じ。そ んなの駄目だってわかっているけれど、心がいうことを聞かない。身体は一つしかないけ れど、心はきっと、いくつかあると思う。いくつもの自分が、その状況に合わせて相談し ている。いまは、オリーブを思う自分が、他の自分を蹴散らしている。だけどそれじゃい けない。全ての自分が、満足できるような決断をしなきゃいけない。だからこれからだ。 今日、9月1日。私はこういった区切りを大事にする。今年もあと4ヶ月。しっかり地に 足を下ろして生きていこうと思う。

私は今までにも、何度も共同生活をしている。異性とのルームシェアは、これで3回目と なる。一回目は、オーストラリアにいたとき、そのときの彼女と。そのときは、一緒にい ることで、自分がどんどん彼女に甘えていってるような気がしてもっとしっかりしなきゃ と思うことが何度かあった。2回目は、東京のマンションで5人でフラットシェアしてた ときに、ドイツ人の女の子とルームシェアをしていた。はっきり言ってその期間私は朝か ら晩まで毎日仕事だったので、ルームシェアしてるという感覚すらなかった。そして今 回。

家だけではなく、仕事場も、そのあとのジムも同じ生活。 大丈夫かな?とちょっと不安になったりもしたが、 最初の2週間は毎日がとても楽しかった。しかし私と彼女の決定的なちがいが身にしみる ようになってきた。彼女はどんな人と接するときもすごく自分を出せる人だった。それに 比べ私は、相手に合わせることが多く、私達二人だけの時はいいが、何人かで行動を共に するときや、語学学校での仕事中に、彼女は私に不満を抱いた。そして私達の意見は何度 も食い違うようになった。オリーブは怒らなかった。ただ、「もういい」という感じでそ の場のお互いの意見のぶつかり合いを納めてしまうのだった。最初の頃私は、もういいん ならいいよと思い、自分もすぐ気持ちを切り替えていたが、そのままだとお互いの雰囲気 が悪くなる一方だった。私は自分の気持ちを確かめた。やはり私には彼女が必要だった。 「もういい」といったあとにわたしは、「よくない」と反抗するようになった。たくさん のケンカをし、私は一緒にいない方がいいなと思うことが何度もあった。でもお互いに、 謝ることは忘れてなかったから、何とか私達は4月から5月までの1っかげつを過ごし た。そんなときオリーブの友達が、みんなでオーストラリアに10日間行こうという案を 立てた。私も誘われていたが、丁度その頃やっとお金をもらえる夕方の仕事にありつけた ため、私は断った。私とオリーブが10日間離れるのはいい期間だなと私は思った。しか し、問題はその前に起こった。職場にオリーブが慣れてきたため、私達は交代でレセプ ションをし、さらには私の夕方の仕事で、完全にすれ違いの生活になった。私はジムに行 く時間もなくなってしまった。仕事が遅くなって家に帰ると、ちょっと機嫌の悪いオリー ブがいた。私はこの状態を何とかしなければと毎日思っていた。そして彼女はオーストラ リア10日間の旅に旅立った。

9月2日 今日と明日でバックパッカーの仕事が終わる。夜12時までだ。今日はなぜか朝早く目が 覚めたので、とても長い一日になるだろう。これからレストホームの仕事に行き、帰って きたら、バックパッカーに行く。最近口内炎ができた。舌もいたい。何かストレスが溜 まってるのかなあ。

9月4日

遂にバックバッカーの仕事が終わった。ワーキングホリデー生活は、1年という短い時間 の中に、いろいろな区切りがあるので、とても生活がテンポ良く進んで行く。今月はレス トホームに集中、来月は、なんとバックパッカーにクリーナーとしてエクスチェンジアコ モデーションをもらう生活を始める。バックパッカーに長期滞在したことのない私は、今 からもう楽しみだ。オリーブは今シドニーで同じ事をしているが、やっぱりいろいろある みたいで、時々心配にもなる。よし、今日はサッカー、ちょっと天気が良くないけど、頑 張って子よっと!

今日で、サッカーのシーズンが終わった。試合後に、次のシーズンに向けての監督のコメ ントがあった。自分はもういないんだなあ、とあらためて感じた。きっと来年の今頃はカ ナダのどこかにいる。私は高校で腰を痛めて以来、約9年間もサッカーをしていなかっ た。それをここで、こんな形で再開できたことにとても感謝している。そして、自分の腰 にもこうして痛めずにひとシーズンを終えることができたことに感謝している。自分の身 体の一部分に感謝したのは初めてかも知れない。今私がこうして文字を打っている指、画 面を見つめてる目、呼吸をしているこの身体全てに、私達は感謝をしなければいけないん だと思う。心が身体を思うように、身体だって心を思ってくれる。どんなに身近な人より も一番身近にいる自分の身体。これからは、もっとうまく自分の身体とコミュニケーショ ンととっていきたい。

9月6日 一日予定がない日の朝に、その日の予定を決めるのはとても楽しい。その日の天気、体 調、気分、全部がうまくまとまる計画を立てることができる。今日は、ビートルズの「イ エスタデイ」を覚えることに。それだけだと、すごく集中できる。レストホームでの毎日 はとても充実していて、私を中から成長させてくれる気がする。

今日は私にとって転換の日だ。オリーブと電話でたくさん話して、自分の愚かさを知っ た。涙が流れた。彼女は過食症という病と、もう10年間も戦ってきているという話を以 前にも聞いたことがあった。私は何とか私にできることはないかと頑張ったつもりでい た。しかし、また今こうして離れているところで、彼女が辛い思いをしているかと思う と、どうしても彼女をそこから救いたいという気持ち一心で彼女と話した。「もうちょっ と過食症について調べてみて」と言ったオリーブの言葉に、私はすぐさま過食症をネット で調べた。こんなに簡単に調べられることを何で今まで調べなかったんだ!と、自己嫌悪 になった。でも後悔してもはじまらない。私は今から彼女に対してできることを夢中で やってくんだと思った。時には失敗もあるかも知れない。だけど私は失敗をおそれずに、 全力を尽くしていきたい。そして、ここmixiのコミュニティーでたくさんの同じ悩みを持

つ方のつらさが私に伝わってきた。私に何ができるか、オリーブだけじゃなく、過食症で 悩む全ての人の意見や気持ちを聞いて、私のできることをしたい。がんばろう。

9月8日 オリーブが、なんと今月中にここクライストチャーチに戻ってくることになった。毎日電 話をし、私がだだをこねていたからかも知れないが、とにかく私はオリーブのことが心配 だった。24日にサッカーのトーナメント&パーティーがあって、それにオリーブといき たいよ!といっていたら、しっかりそこに間に合うように帰ってくることになった。とて も嬉しかった。誰かに、何かをされると言うことはとても嬉しい。私はこの日記を書き始 めたとき、二人の記念に、いつか一つの本として、彼女にプレゼントしたいと思ってい た。今私は、本当に真剣に、彼女の摂食障害の回復に協力したいと思っている。だから私 はこの日記物語も、そこを中心に、書いていこうと思う。いつかきっと彼女の病が治った と心から思えるときが、この物語のエンディングになるだろう。 この日記をみたみなさんのご意見、どんな意見でも聞かせて頂きたいです。そして、同じ 摂食障害を持つ皆様、頑張りましょう。私はオリーブを思うと共に、この症状のつらさを 感じさせられました。もしこの症状が、体よりも心の問題なら、必ずこのインターネット という世界を通じてでも、回復に向かえると思っています。なぜなら、素直になれる世界 だからです。

今日は一日中家を出なかった。ニュージーランドに来てから、初かも知れない。でも不思 議と満足している。日本にいたときなら、考えられなかったことだ。時間をもったいない と思う気持ちが明らかに小さくなった。時間よりもそのときの自分がどういるかのほうが 大切な気がした。時間というのは、時計があるから計れる。その時計を気にして、今自分 の前で起きている大切なことを自分は今までにいくつも見逃してきたと思う。だからこの 日記もそう。今日話した人もそう。今日練習したギターもそう。今日勉強した英語もそ う。全部が自分に与えてくれてることを、しっかり受け止めていこうと思う。そう考える と、時間がもったいないという気持ちは自然になくなっていく。

9月9日 レストホームでの仕事は、本当に自分に生きる元気をくれる。たとえ身体を動かすことさ えできない人達でも、そこに心がある。たとえ私の英語が理解してもらえなくても、かれ らのえいごがりかいできなくても、心と心が向かい合って、何かを伝えようとしてるのを 感じる。そして彼らの生きると言うことに対する気持ちが伝わってくる。精一杯生きてい る彼らと接して私も精一杯いきたいと感じた。今日はこれからランニング。今日は金曜日 なので街はにぎわっているだろう。

9月10日

やった!遂に天気が良くなった!最近は、曇り続きで、あまり調子も出なかったんだけ ど、今はとても快晴。ここクライストチャーチの好きなところを3つあげるとしたら、 1,水道水がめちゃうまい。2,緑がたっくさんある。それも、ちゃんと町が発展してる のに、まるで、植物も、街の住人のようにこの町に住んでいる。3,丘に並ぶ家々の明か りが、夜ほんとにきれい。まるで、星空のよう。でも、その丘に登ると、今度はクライス トチャーチ全体が見事な夜景として見える。本当に贅沢。 今日は充実一日になりそうだ。外の景色を見てるだけで、そう思えてくる。

9月11日

一つの案が思い浮かんだ。 私はNZに出てくるときに、ビテオレコーダーを買った。 それは、何か作品を作りたいと思ったからであった。

しかし、実際今のところほとんどうまく使えていない。 私はもともと写真も撮らない方だが、この機会に、ビデオをたくさん撮っておこうかなと 思った。それも、この日記と平行したものを。

いつの日かこのクライストチャーチ、日本、その先の海外のいろいろな街が、一つの物語 として、編集できるように、ビデオに収めておくのもいいかなと思った。

9月12日

私は今、

「Catch me if you can」 という英語の小説を読んでいる。 この物語は映画にもなり、ノンフィクションの映画だ。 結構知っている人も多いと思う。 そしてビックリしたのが、 この小説は、その物語の主人公が、 そのまま自分の過去を書いているというものだ。 私も以前詐欺師にあったことがあるので、 とても興味がわいて、今読んでいる。 英語の小説を読み続けているのは、 実はこれが初めてだ。 いつも途中で挫折してしまっていた。

あと少し。

楽しみながら読み終わろうと思う。

9月13日 この物語が、100回目を向かえたのと同時に、私は文字という表現の他に、映像という ものも、取り入れていきたいと思った。いつかこの物語が、ハッピーエンドを迎えられる その日まで。 私がこの物語を書き始めたときと、今の自分は、正直とても変わったと思う。それは自分 の周りの人達、そしてオリーブのお陰だ。これからこの新しい試みが、いつか身になった ときに、そのときの自分が楽しみだ。さて、はじまりはじまり。

9月19日 朝起きると、何かいつもより寒く感じた。そして、ふと外を見ると、あれ、ここは北海道 かな、ゆきだ!ここクライストチャーチで雪が降っている!それも、冬にふらずにこの春 に!私は家の中から外の様子を撮影した。突然電話が鳴った。レストホームからだった。 そして仕事が入った。今日は仕事場でもこの雪の話で盛り上がりそうだ。寒さ嫌いのオ リーブには、そっと伝えた。あと3日で彼女が帰ってくる。それまでに暖かくなってく れ!

9月23日 こんな時に風邪を引いてしまった私。まるでオリーブの帰るタイミングにしっかりと合わ せたかのように、ここ最近の気温の大変化にやられてしまった。薬を飲み、フラットメイ トお勧めのフレッシュはちみつレモンをたくさんのみ、オリーブからの電話には、元気声 を出していた。そして、遂に彼女の到着日になった。毎日カウントダウンと共に送ってい たメールの題名は、「あと0回!!!」となり、あっという間に到着時間となった。空港 に着いてから彼女が出てくるまでもあっという間だった。今こうして書いている後ろに は、すやすやと寝ているオリーブがいる。あっという間の時間。これからどれくらいの時 間が私にとってあっという間に過ぎ去っていくんだろう。私はいつも幸せだと思っている が、今の幸せをしっかり感じて、オリーブの幸せにも貢献したいと思う。がんばるぞ。ま るでその気持ちが自分の身体に伝わったかのように、今日の朝起きると、身体の調子が大 分良くなっていた。ありがと、おりーぶ。

9月25日 オリーブとの生活が再開した。私の思っていた以上に、摂食障害というのは難しいなと 思った。昨日の夜彼女と話したとき、彼女はチョコレートが、過食をしたいときに抑える 薬のような役割になっているという事を聞いた。私は、私なりに考え、そのチョコレート が、彼女の太るきっかけになっているんじゃないかと思い、提案をした。「チョコレート を食べる時間と量、種類をもっと考えて食べようよ。」その瞬間に彼女の表情から笑みが 消えた。「そんな事言うなら、もうけんとはダイエットがんばれない。」とても重い一言

だった。彼女と同じように私の心もどん底になった。私は彼女に対して物事をしっかり、 そして、その場に本当に最適な方法を見つけるための知識がない事が身にしみた。もっと 勉強しなきゃ。もっと彼女が食べるものの事にしっかりしたアドバイスがしたい。このま まじゃ、だめだ。

と思って私は今ここにいる。もっとたくさんのちしきをえなければ。

9月26日 私は28歳、オリーブは27歳、20代というのは、良くとても大事な時期と言うが、身 体にとっても、それは一緒だと思う。ただ、20代になり、社会人となって、家族から離 れ、食生活が乱れ、生活が不規則になり、ストレスが溜まる事によって、30歳になった ときに30歳らしい身体になってしまうのではないかと思う。昨日私は栄養士のサイトを 見た。ちょっとみただけで、ものすごく新しい事を覚えた。日本では、健康ブームで、た くさんの食品が健康と関連づけされて売られているが、実際に身体の仕組みをわかってい る人がどれだけいるだろうか?私達の周りには、どんな食べ物でもそろっている。そして どのような食べ物が本当に身体にいいかと言う事も、すぐに本や、インターネットで調べ られる。今や、医療機関は発達し、どんな病気もほとんど治せるが、まずは健康な当たり 前の身体作りにもっと真剣にならなければと思った。それを基本にしたい。私達の欲の中 でも、食欲は誰に出もあり、食べるものは、誰でもコントロールできる。「健康な身体」 が、もっとしっかり自分で感じられるように、勉強しようと思った。そして、オリーブも 健康にしたいと思った。

9月28日 雨が降っている。風も強く外は暗い。こんな日に、元気もりもり台風を吹き飛ばすような 元気になるにはどうすればいいんだろ。 テーマソング!あれはーだれだ、だれだ、だれだ?あれはーだれだ?デビルマーン、デ ビールマーン。よし、この歌なら雨の中でも目がきらんと光り、やってやるぜという気持 ちになれそうだ。

さて、今日も一日ガンバロット!

9月29日 今日はオリーブが、過食をする日という事に決めていた。私は、それを認める事が辛かっ たが、今まで何年も続いてきたものをいきなり止めるのは無理だろうと思い、納得した。 私も大食いには自信があったので、彼女と一緒にご飯を食べ始めた。インスタントラーメ ンを食べ、大きなミートパイを食べ、レタス山盛りを食べ、バナナとトーストと蜂蜜で 作ったデザートを食べ、トーストの上にベイクドビーンズをのせたものを2枚食べた時点 で、私はストップした。彼女はそのあともたくさんいろいろなものを食べ、飲んだ。私と

食事中に話してる中で、何度か彼女の表情が暗くなった。もうこれから過食するときは一 人でしたいと言った。だけどそれではまた今までの環境に戻ってしまう。私は、彼女がこ の症状で苦しんでいる以上、私に出来る事を全てしたいと思った。たとえ嫌われる事に なったとしても。何が出来るだろう。いったい何が出来るだろう。私は彼女のとなりで いったいどうあればいいのだろう。がんばろう。

10月3日 私は今まで、いろんな夢を持ってきた。たくさん持った夢はまだ全て持ち続けているが、 また新しい夢を見つけた。前にも一度考えた事のある、「栄養士」。 以前はただ、食べ物の栄養に詳しくなりたいからなりたいな!っておもっただけだった が、今はとても現実的に考えている。むしろ、「国際エンゲル係数相対栄養士」というも のになりたい。この言葉は私が勝手に作り上げたものだが、私が摂食障害という病気に出 会ってから、栄養というものの大事さ、そして、現実というこの世界の中では、ただで食 品を手に入れる事は出来ない。たくさんの栄養をしっかりとりたいと思ってる人が、働 き、収入を得て、その中で使う食費、そしてエンゲル係数に至るまでを計算できる人にな りたいと思った。さらには、食べ物の価格や種類、そして収入は、国によって全く違う。 なので、その国によって計算方法がかなり変わってくる。しかしこの先進国という何でも 手に入る世界にいながら、大事な食生活で悩んでいる人が、こんなにもいるのかと思う と、その人達をしっかり支えてあげる事が出来る人になりたいと強く思った。そしてこの インターネットというものが、世界をつなげてくれる。その地域地域のエンゲル係数と摂 取栄養のバランスをうまく取れるようになれば、今までに使っていたお金を、発展途上国 の貧しい人に対してうまく使えるかも知れない。私の世界平和という夢にもつながる。よ し。がんばるぞ。 「国際エンゲル係数相対栄養士」この長い言葉がいつかしっかり自信を 持って言えるように一歩一歩進んでいこうと思う。そして私は必ずオリーブをこの摂食障 害から克服させる。

10月26日 帰国。その言葉の中にはいろいろなドラマが隠されていた。普段の何気ない生活の中では なかなか感じきれていない人の感情をもろに受ける事が出来る。果たして、私達は人との 別れのどこに感動し、そして涙するのだろう。人の数と同じだけの心がある。むしろ生き 物と同じだけの心がある。心と心が接してるとき、私はその心がどこかでつながっている と思う。そのつながりは、目にはもちろん見えない。だけど別れがくるとき、そのつなが りは感じられる。別れが来たときに、それまでつながっていた事がわかる。

レストホームのおじいちゃんおばあちゃん、 バックパッカーで働く人達、

お世話になった語学学校の先生達、

サッカーで知り合った友達、

そしてフラットメイト。

たくさんの人達との別れがいっぺんにやってきた。 私はこの先の事はわからないが、同年代の人との別れと、おじいちゃんおばあちゃんとの 別れは、

別れのつらさが根本的に違った。

彼らの目には、私をどこかに送り出すような、そんな輝きがあった。

11月2日 白い本というものを買った。それはそれはしっかりした本なのだが、中身が真っ白で、中 を自分で書くというものだ。私は、その本を書き上げたいと思った。平和という事に対し て自分の思いを、そして私の周りで起こる物事を吸収していく事を書き上げていったと き、その本と共に私の平和という事に対する本当の形が見えてくるのではないかと思っ た。

11月26日 とても久しぶりにこの物語を書くことができた。私の新居にはパソコンがないので、なか なか書くことができずにいた。 毎日が過ぎてゆく中で、自分の思い通りに生きることは、苦しみ、そして忍耐の中で生き ていくことと紙一重なんだと思う。その紙一重の1本のラインがまさに今という時間であ り、生きている意味だと思う。 苦しいなと、そして、我慢しているなと感じられる位置に自分をもっていくことが自分探 しのあり方じゃないかと感じた。

それは、すごくちいさなことでもいい。 身近にある矛盾する出来事、人との気持ちのすれ違い、好きなこと、嫌いなこと。 自分の体を動かすその心が私たちにあるなら、なぜ私たちはその体を動かさないのだろ う。夜の後に必ず朝が来るように、苦しみ、我慢の後にも必ず朝がやってくる。わたしの 好きな言葉に、苦労は買ってでもしろという言葉がある。 オリーブのつらさを少しでもわかってあげれる心を持ちたい。 厳しさとやさしさの本当の意味を自分の中から見つけたい。

2006年1月6日 新年あけましておめでとうございます。年が明けた。私のもともとの予定では今頃ニュー ジーランドで暑い夏を過ごしているはずだったが、人との出会いがあり私の決断によって 今はここ静岡の浜松市で、忙しい毎日を送っている。この先カナダ行きを考えてる私はお

金をためるために、新聞配達を始めた。実は私は高校最後の冬休みに新聞配達を地元でし たことがあったが、そのときは自転車で、1万5千円くらいしか稼げなかった。でもなん と居間はバイクで配り、8万円くらいも稼げている。これくらいの副収入があれば、カナ ダへの資金もためられるかなという感じだ。それにしても、ここ浜松はいいところだ。ま ず天気がものすごくいい。今は冬なので寒いが、天気がいいと気分もよくなる。オリーブ とはお互いの忙しさの中で、時々しか一緒に行動できないが、その時間を大切にしてい る。私は、時々思う。この先ずっと彼女と一緒に私はいるのだろうか。彼女はとてもうそ がうまい。もちろん私に気をつかってだとも思うが、私の中の子供の心が、警戒心を持っ てしまった。彼女のうそを発見してから。過食症という症状を持つ以上、彼女は真実をい えないことがたくさんあっただろうと思う。だけど、うそは本来自分にも負担をかけるも のだと思う。彼女がいつかほんとに素直に何でも言えるようになる手伝いがしたい。

3月2日 時がたつのは早いもので、私とオリーブの間には、いつの間にか結婚というものを考える 時間ができている。私の夢を追いかける足が止まるのが先か、彼女の結婚観が先かはいま だにわからないが、とにかく一緒にいたいという気持ちはお互いに持ち続けている。正 直、私は年甲斐というものがあまりにもなさ過ぎるなと感じている。貯金をしたいなどと は思わないし、不安定な生活こそが幸せと思っている。もちろん我が家を購入したいなん て一切思わない。こんなにも不安要素だらけの私に、よくオリーブは愛想を尽かさないな と感謝している。今日はこれから旅行会社に行ってくる。カナダへと旅たつのもあと3ヶ 月と迫ってきた。よし、がんばろう!

4月8日 この一ヶ月にいろいろな事があった。父親の定年退職。弟の出世、オリーブとのかなり本 気な別れ話。いろんな事があったけど、今こうして元気な自分がここにいる。それでよし としよう。いろんな事を知るうちに、いろいろ好奇心を持ち、出来る事、出来ない事があ る。でも絶対に出来ると確信できるものは、地球を愛する事だ。今こうしてさわっている パソコン、隣に置いてあるギター、ベッド、タンス、この家、周りの建物、全てが、私達 人間の手によって作られたもの。mixiの画面だって、誰かが作ったもの。そう考えると、 全てのものに愛着がわく。自分は何かをこの世界に残せるだろうか?そう考える人は多い と思う。私もそうだった。でもいまここにじぶんがいるということじたい、もうのこして いるんだなって。このからだを、そしてこころを。自分では自分を感じられない。だけど 出会う全ての人、すれ違う全ての人、物にとって私はこの世界にある物の一つなんだなっ て。だから、一生懸命に、だから、正直に、だから自分の悪い部分を出さないように、生 きていく。

4月10日 今日は新聞休刊日。という事は、私の副業にしている仕事がお休みだった。毎日朝3時に 起きる生活をしていると休みの日朝5時半に起きても、とってもよく寝た感じがする。思 えば私がまだ18歳だった頃、初めてやったアルバイトが、地元での新聞配達だった。北 海道の1月は雪が真っ盛りでその中を自転車のかごに新聞をこれでもかってほど詰め込ん でエスキモーのような格好をして働いた。もう10年も前になるんだなあ。きっとこの後 の10年も、こんな感じ出過ぎているのだろう。私は、新聞配達の中でとても好きな事が 一つある。それは、晴れてる日はいつも朝日を見る事が出来る事。それはとてもきれい で、日が昇る前には月にも出会える。一人で黙々と新聞を配っていると、月や太陽が、ま るで友達のように身近に感じてくる。これからどこの国へ行っても、必ず生活を共にする 月、そして太陽。彼らからすると、私のいるこの地球も毎日を共にする仲間なんだろう なって思う。さて、今日もとなりで寝ているオリーブ、そして仕事で出会う人達、初めて 会う人に、一期一会の気持ちで接する事が出来ますように・・・・・いってきます。

4月11日 嵐の中を自転車で帰ってきた。服も中も全部びしょぬれ。たくさん働いて疲れた身体を、 そして心を洗い流すような、雨、そして風邪、音。三十分間洗い流されて、きれいになっ て家に着いた。口では雨やだなあと言っていても、身体は気分転換のようで喜んでいるよ うだ。これからのこり2ヶ月弱の浜松の生活を充実したものにしようと、仕事も休日も頑 張っているが、そのお陰で、アルバイト先で認められ、とても辞めるとは言い出しづらい 状況になってしまった。うーん。だけど私はカナダに行く。私はやりたい事のための準備 のために今を束縛したくはない。私は世界をもっと見たい。そして感じたい。オリーブと いう大事な人に出会ってさえも、私の中に、定住という気持ちはない。今を大切にしなが ら、オリーブを連れて、世界中を回る。どこまでいけるかよりも今、そしてその次を真剣 に考えながら。

4月13日 ダイエット。とても難しいようにも思えるこの事も、何が難しいかというと、強い意志を 持つ事だと思う。それは仕事、会話、全部に共通している事だと思う。意志の強さはどう やって計れるのだろう。意志の強さはどうやって成長するのだろう。答えはわからない が、我慢、忍耐の中に、何かが隠されている気がする。前に「サルサ」という映画を見た ときに、中に出てくるキューバ人が、どうしてそんなにキューバの人は陽気なのと聞かれ たときに、「つらさは笑顔で隠せ!」って言った。一言で笑顔といっても、いろいろな笑 顔がある。ほほえみ、苦笑い、勝ち誇り顔、殺人鬼っぽい笑顔、誘惑顔、赤ん坊を見たと きに出る笑顔、笑いが止まらなくて泣いてるときの笑顔、その他いろんな笑顔があって、 そして、つらさを隠すための笑顔があるんだろうと思う。人間の心には喜怒哀楽がある。

だから顔はいろいろな表情をするが、笑顔の種類だけで生きていけるような人になりた

い。

4月14日 今日一番長くめがあったひとはだれだろう・・・・さっき家に来た、布団のクリーニング の営業のお兄さんだ。すっごい笑顔で、輝いてたなあ。きっと彼にも夢があるんだろう。 それともその仕事が好きなんだろう。人と目を合わせて話すとき、そうでないときと比べ て何かが違う。何か安定感がある。相手の言いたい事がちゃんとわかる。人には想像力が あるから、声だけでもわかる。目だけでも何か伝わる。でも目と耳と口を使ってのコミュ ニケーションは、とても安定していて、何かを感じる。きっと大事な事なんだろうな、目 と目を合わせて話す事。明日は誰と一番長く目を合わせるのだろうか?楽しみだ。

そうだ、書き忘れた大事な事があった。それは昨日の夜、オリーブの妹の所を訪れたと き、妹の子供二人と30分間くらい3人で遊んだ。遊んでるうちに自分の心がどんどん過 去に戻っていき、いつの間にか、彼らと同じ4,5歳の心になっていた。とても楽しかっ た。無我夢中で遊んだ。社会というたくさんの色が少しずつ混ざって出来た今の自分の心 を、彼らの透明な瞳は、洗い流してくれた。ああ、本当に楽しかったなあ。

4月16日 がむしゃらにいきること。いるのかなあ、そんな事出来る人。 今もこうしてゆっくり座っている自分。さて、明日の弁当作るかな・・・

4月19日 今日いつものように配達をしていると、突然息がすごく上がり、ぼーっとしてきて、ふ らっと今にも倒れそうになった。きっと団地を5回まで、駆け上りまくったので、貧血に なったんだろう。私がこの新聞配達を初めてもうすぐ半年、毎日階段を上り下りしてる と、なんと、太ももの形がいつの間にやら変わっていた。それは高校時代の部活に励んで いた頃を思い出させた。なんだか嬉しい。ちょっと若返った気分だ。この調子で、ガンバ ロット。

4月22日 またけんかした。ケンカするほど仲が良いとは言うけれど、私とオリーブのケンカはいつ も中途半端に終わる。お互いの意見をきちんと言えないいまま、無言状態になる。そのた びに、あーやっぱり付き合っていけないのかな、とか、あー自分が悪かったとか、価値観 が違いすぎるとか、いろんな事を考える。今日の朝起きたとき、たまたまオリーブがいな かった。きっと職場の人とご飯でもいったんだろうと思いながらも、寂しかった。今まで に人生で、一番自分の身近にいる人だから、情がすごくある。愛情も、友情も。私は何度

もオリーブに隠し事をされた事がある。そのためか、私は心の底からオリーブの事を信用 できていない気がする。付き合っている以上、信用できないというのは、とても大きな問 題だ。もう一人の自分は、信じよう、信じようとしているが、傷ついた自分は、まだ強く 私の中に居座っている。人間だから、嘘をつくときだってある。私だって嘘をついた事 だってある。嘘ほど辛いものはない。まるで、心のガンだ。一度ついた嘘を正直に告白す るのはとても大変だ。こんな時に人は、絶対的に信じられる何かを探すんだろう。私はそ んな人になりたい。信じられる人に。

4月27日 今日は2つの仕事の休みがうまく重なって、ここ浜松で仕事を始めてから、初めてゆっく り寝る事が出来た。来週はGWで忙しく、休みもないので、最後の浜松での1ヶ月はあっ という間になりそうだ。きっと気がついたらもうそこはバンクーバーなのだろう。私は オーストラリアとニュージーランドには長期滞在した事があるが、それ以外はないカナダ という国をスタート地点に、この先はいける限りの国に行きたい。それにしても国と国が つながっているというのはどんな感じなのだろうか?カナダからアメリカ、アメリカから メキシコへ、うーんわくわくするなあ。そしてたくさんの国があるヨーロッパ。アフリ カ。 とても大きなロシア、インド、中国。その他にも行きたい国はたくさんある。名前も知ら ない国もたくさんある。私は正直日本の都道府県を全てあげる事は出来ないと思うが、世 界の国のなは言えるようになりたいな、この足でその大地を踏んで。

4月29日 オリーブは空手をやっている。今まで私はいっさい格闘技というものに興味がなかった。 それは単純に身体が強くなりたいと思わなかったのと、争い自体が嫌いだったからだ。だ けど昨日これからの事を考えたとき、自分はこれから治安の悪い場所に行くかも知れない んだという事を、考えた。それも一人じゃない。自分と、そしてオリーブがどんなところ に住んでも、生きていけるように、今よりももっと、心も体も強くなりたいって思った。 そしたら、身体鍛えてみよっかなって。一対一の戦いってすごく精神的にも鍛えられると 思った。

5月2日 明日からここ浜松では、浜松祭りが始まる。ここ2,3日は、外からラッパの音が聞こえ てくる。そして昨日からのこの暑さ。私はこんなに町総出のイベントに参加したことが今 までにないので、わっくわくだ。しかも彼女に誘われ参加もすることになった。そしても う一つ嬉しいことが・・・家に帰ってポストをみると、遂に来ましたカナダ行きのビザ。 最後の1ヶ月、最高の思い出を作ってこの町を後にしようと思います。

•

5月9日 うわっと、あっという間にGWが終わったなあ。明日は5月になって初めての休み。私に とってはゴールデンデイだな。でも天気はあまりよくなさそうだし、日本出発の準備もし なきゃいけないから、結構忙しいんだろうな。浜松祭りは最高でした。今まで見たどの祭 りよりも楽しかったなあ。毎年GWにやってるから、興味のある人もない人も一度はいっ てみるべきだよ!ところで、オリーブとは、山あり谷ありでやっておりますが、なんだか やっぱり一緒にいたいなって気になってきた。なんかいろんな理屈や正論、常識、嘘ほん となどあるけど、誰かが言った、「それでも地球は回っている。」のように、私はそれで もオリーブが好きだ。うーんカナダの次はどうなることやら・・・・・・・

5月21日 終わりました。遂に朝3時起きの新聞配達が終わりましたよ~~~~!仕事と言うより も、毎朝の体力トレーニングチックだったこの仕事のお陰で、私の太ももは、高校時代の サッカー部の時のようにたくましくなりました。なんたって毎朝団地の階段を1段とばし で上ってましたので。あっという間に月日は経ちますね。それでは今日は早くねます。お やすみなさい。

5月24日 明日はいよいよ最後の休日だ。このパソコンを含め、全ての荷物をまとめ、カナダ行きの 準備を整える。ここ浜松という町に来ていろいろなことがあったが、やっぱり結局は人と の出会いということに尽きる。いろんな考え方の人がいて、本当に人生っていいなって思 う。自分っていうのは、結局「誰と出会ったか」ということなんじゃないかとも思えてく る。何千年も前からこの地球には人間がいて、人から人へといろんなことが伝えられて、 たった数十年しか生きられない人という生き物の歴史が、何千年という時を超え私達に今 伝えられている。今こうして今日であったあの人との会話も、この地球、そして人間の歴 史を作る一つの会話なんじゃないかなあ。

6月7日 あと2日後には、飛行機の中だ。外国に行くことに緊張感は少ないけれど、今回は自分ひ とりで行くんじゃない。オリーブも一緒だ。こんな、安定感のない、頼りない俺と、外国 に行くことはとても不安じゃないかなって気持ちもある。でも、人ってやっぱりすごいと 思う。一人じゃできないことも二人ならって思える。前回あきらめかけた、ミュージシャ ンの夢も二人ならもう一度がんばってみたいって思えた。どんな生活になるかはまだぜん ぜん決まってないが、とにかく音楽という部分に関しては、がむしゃらになりたいと思っ ている。なぜなら私はもう独りで行くわけじゃない。オリーブにかっこよく見られたい

し、失敗こそがかっこよくなる道だと思うから、これからのカナダの生活の始まりは、私 の失敗の人生の始まりになるかもしれない。むしろ私はそうしたい。その失敗を見てくれ る彼女がいるから、その失敗に対して気持ちをくれる彼女がいるから、私はがんばれる。 それは、今までの自分とはとても違うことだ。失敗しそうなことをどんどんやって生きた い。一か八かのばちのほうが大きそうなことをどんどんやって生きたい。このみくしいと いうところは、そんな自分の失敗をさらけ出せるところでもある。どんどんさらけ出して いくので、見守ってほしい。

6月16日 さて、朝起きた時っていうのは、結構いろんな良い発想が思い浮かぶものだ。今日思いつ いたのは、今一緒に住んでる人が良くフランス語を話してるから、いっそフランス語を勉 強しよっかなってこと。それなら彼女とも同じスタートラインに立てるし。まあ彼女の了 解が必要だけど。今日は天気が良いし、早起きできたぞ!今日の目標は、自転車購入と、 フランス語の参考書購入だ!ぁ、仕事も探さなきゃ!

6月18日 ただいま~。ハ ゙ンクーハ ゙ーでの初仕事をおえてきました!仕事内容は、ブラジリアン レストランでのバスボーイという仕事。バスボーイというと格好良く聞こえるけど、簡単 に言うと、テーブルをかたずけたり水を補充したりと、簡単な仕事です。それでもかなり 大きな店でたくさん人がいて、日本人が私だけなので、英語の勉強にはなりそうな感じで す。今思うと、浜松でやったコメダ珈琲や、東京で働いたメキシコレストランの経験がこ こで役に立ってるなって思いました。後もう一つビックリしたのが、チップでした。仕事 後にマネージャーにもらったんだけど、なんか、給料以外でもらえるお金って、凄く嬉し いなって思いました。よし、明日も頑張るぞっと。

6月20日

今日は朝から天気が良い。昼ご飯を食べて、町にくりだそっと!ハ ゙ンクーハ ゙ーの町に はたくさんのクマの銅像がいろんなかっこをして立ってます。

6月22日

こっちについて12日が経ち、生活もそこそこ落ち着いてきた今、私は悩んだ(一晩)。 というのも、昨日たまたまあったこっちで起業した方の説明会を聞きに行ってきたのだ が、それに影響されてしまって、やばい、自分も今が独立するチャンスだと思ってしまっ たからだった。何をしようなにをしようと一晩中悩んでいたが、いつの間にか寝てしまっ た。朝、目が覚めると、「あれ、俺こっちで何が一番したかったんだっけ?」と自分に聞 いた。「それはもちろん音楽じゃん!」また自分が答えた。あれもこれも上手く行くこと はなかなか無い。それならまずは最初に決めた目標をやってそれから次を考えても遅くは ないなと思った。そんなわけで今日もまた元気に頑張ります。

6月23日 今週の日曜日で、シェアメイトのフランス人のダリラが国に帰るので、昨日は家のみんな でブルースバーに行った。今住んでる家は大きな家で、6人住んでいるが、その中の5人 が集まってどこかに行くのは初めてだったので、とてもわくわくした。まず家を出てビッ クリしたのが、バス停で待っているときに、フレンチカナディアンのジョンが、大きい車 が通るたびに、ヒッチハイクをすることだった!彼は、以前からたくさんヒッチハイクを してるようで、でもそれにしても4人もいるのに!と思ったし、彼が頼もしかった。ダリ ラが言った。「私も前は、タクシーを止めるときもヒッチハイクのように止めて、乗ると きに、あなたは私をヒッチハイカーとして乗せるの?それとも客?ってきいてたよ」なん て利口なんだと思った。そんなことにビックリしながらも私達は目的の場所へ着いた。そ の場所は、とても混んでいて、10ドルだと思っていた入場料は20ドルだった。ジョン もダリラもやめようって言った。私は、迷わずに決断する彼らにまたビックリした。結局 私達は、ダウンタウンを歩き回って次の店を探すことにした。10分くらい歩くと、ジョ ンは先頭を切って奥まった入り口の店へ入っていった。そしてダリラ、彼女と私が続く。 店の中はすいていて、落ち着いていた。そして、一組のバンドがステージに立っ ていた。そこの店は入場料もただで、とても良い雰囲気だったので、私達は歌を聴く前に すでに気分がよくなった。女性の歌手がブルースを歌い始めた。 なんてすばらしいんだろう・・・・・・・・ 彼女の歌は、歌と言うよりも彼女そのものだった。

私は聞き入った。見入った。 曲の合間に私達は楽しく話し、仕事を終えたメキシコ人のオスカルも合流した。

楽しく店を出るときにかかった費用はみんなでたったの30ドルだった。とても楽しい一

日だったし、私にとってはとても影響された一日だった。

好きなことをやりたいならもっともっと好きなことにかかわんなきゃということを感じ

た。

6月25日

ただいまかえりました。昨日から始まったジャズフェスティバルが、どんなモノかと今日 はちょっと街中を覗いてきました。アフリカ人のコンサートがとても盛り上がってたし、 面白かったのが、スターバックスの催し物があって、自転車をこいで、ミキサーを回し て、フラペチーノをゲット!というのがありました。今日はこっちに来てから初めて暑い と感じた日でした。皆さんバンクーバーに来るなら今が一番良い時期ですよ。

7月5日

この10日間で、いろーんな事がありました。シェアメイトのダリラがフランスに帰って しまったこと、カナダデイ(7月1日)シェアメイトのマイクが突然出て行ったこと。ド イツ人のバスティって言う面白い男の子が入ってきたこと。日本人の音楽仲間が出来たこ と。ひさしぶりにSUBWAYで働くことになったこと。最近ミスチルの曲を練習してて、ミ スチルの歌詞って良いなあ、っと思ったこと。彼女とケンカして仲直りしたこと。初心忘 るべからずっておもいなおしたこと。ぁ、ところで皆さんGoogle mapって知ってますか? 世界のほとんどの場所が写真で見ることが出来ますよ。この間みてみたら、今住んでるこ こバンクーバーの家も、なんと、北海道の実家も、しゃしんでみることができまし た!!!びっくり!皆さんいろんな所見てみてください。



7月7日 今日は、キ ゙ターのビギナーのクラス、初めてのレッスンに行ってきた。みんなこれか らって一ばかりで、先生から本当の最初の基礎を学べた。これからほんとにはじまるんだ なって思った。ばんざい!!

7月10日

うーん・・・久し振りの深夜勤務はなかなかこたえました。ところで、イタリアが勝っ て、町中大騒ぎでした。日本や、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、そして イタリアはどんな感じだったのかなあ。

7月12日 仕事で、割引チケット配りをした。東京にいたときと比べて、凄くみんな笑顔で受け取っ てくれて嬉しかった。ここバンクーバーは、移民の多いカナダの中でも特に移民の多い街 で、街には、あらゆる国の人達が、ほぼ均等くらいにいるんじゃないかと思えるくらいい ろんな人を見る。だから、チケット配りもなかなかたのしい。しかも道を聞かれたり、何 度も通り過ぎる人と仲良くなったりで、面白い。今日は、仕事の後にギターを練習しに音 楽仲間の家に行ってきたんだけど、初めてフラメンコって言うのを聞いて、感動した。よ しっ。がんばろっと。

7月13日 今日は久し振りに雨がたくさん降っている。全く関係ないけど、私は彼女と出会ってか ら、食事の時に、これはタンパク質、これは炭水化物、これはビタミンなどと、栄養のこ とを少しずつ考えるようになってきた。そんなことを考えながら、街のスーパーに行く と、米やパンの代わりとなる主食の炭水化物の食材が、あるわあるわで、すごくわくわく した。例えばコスコス。例えばキヌア。等々いろんな国の主食がたくさん置いてあって、 値段も手頃。これは試してみるしかないなと思っています。



昨日の夜に、ついつい食べ過ぎてしまって、今日朝起きたら胃がもたれていた。どんなに 美味しいものでも食べすぎは良くないなって思った。それって食べ物じゃなくてもそうだ よな。

7月19日 今日はこれから深夜勤務。仕事中に誕生日を迎えるのは地味に初めてかも知れない。今日 は昼間たくさん時間があるから、ギターに励めるぞっと!それにしてもさむいなつだな あ。気温が22~3度です。

7月20日

うわ~、来週からのシフトが、ほとんどGRAVEYARD(深夜勤務)になってしまっ

た!29歳もなかなか辛いところから始まるな=!でもその分良いことが待ってる予感が

するぞ~。

7月22日

今こうして日記を書いている私の前には窓があって、そこからは大きな木や花で、自然一 杯って感じがする。自然に囲まれてるって事は幸せを感じる。どうしてだろう。たくさん の生き物と一緒にいるからだろうか?ぁ、ラジオから日本のウーアの曲が流れてき た!!!こっちのラシ ゙オで日本の曲を聴いたのは初めてだ!!しかも大好きなウーアな んて”!あーよかった!ちょっと聞いてきた。音楽って感情を表す言葉みたい。しかもそ れはとても素直だ。音楽といつもともにいたいなあ。いつも見てる景色にさわやかな音楽 をBGMに弾んでいきたいなあ。

7月25日 今日布団を干しておいたら、いつの間にか中に入れてあった。シェアメイトのジョンが、 洗濯物干すためにどけたのかなあと思って、ありがとう、っていったら、植物に、太陽が 当たるようにって事だった。勿論布団は充分干したけど、今まで布団を干したときに布団 の影になってる植物のことまで考えたことはなかった。心が洗われた感じがした。そうだ よなあ、植物にとっては太陽を浴びることがご飯を食べるようなことだもんな。これから は、植物の立場にもなって考えてみよっかな。

7月29日

昨日はスタジオに行ってみんなで決めた曲を練習してきた。声が全然出なくてやばっと 思ったけど、やるしかないな・・ガンバロット。 vamos a el sueno!

8月1日

ひっさしぶりに運動しました。海からここの家まで、走って40分かかりました。その後 はしっかりストレッチして、シャワー浴びて、今ここちよく書いてます。まだこの後しっ かりキ ゙ター練習して、ご飯食べて、そしてねるかと思いきや、深夜勤務です。でも深夜 勤務は、働いてる時間のわりに、1日が長く使えます。うーんこれは幸せなのか、それと も不健康なのか??とにかくギターが練習できればよしとしよう!

8月9日

深夜働いていると、いろいろな怪しい人達がやってくる。きっとその中には強盗もいるだ ろうからと、強盗がきたらこうしてね。みたいなマニュアルもある。毎日きてチップまで くれるおじさん、いつも朝まで、座りながら寝ていく人、やたらと氷をほしがる人。何で も良いから余り物くれといってくる人。てんないのBGMにあわせてきたときから帰ると きまで身体が踊ってる人、そんななかでもわたしがきらいな、クッキーをくれといって粘 る兄ちゃんが昨日いらっしゃった。ないよと言ったら、WHY?ARE YOU GOI NG TO EAT?と、食べないならくれと、しつこく言ってきて、他に誰もいなかった から20分くらいずーっとその人は割れたクッキーをもらうために、私に話し掛けてき た。あーつかれた。そんなコとしないで仕事見つけられそうな若さなのになぁ、と思っ た。 あ、雨だ。久々に雨が降ってる。たまには雨も良いな。家にいても、居るべき所にいる感 じがする。

8月10日

うーんナイスウェザー!こっちの雲はでっかくて、空を旅してるみたい。羨ましーなぁ、 雲たち。今日から新しいハウスメートがやってきました。と思ったら、荷物を置いてすぐ に旅行に行ってしまいました。これでこのいえは、日本人2人、ドイツ人1人、メキシコ 人1人、アメリカ人1人、カナダ人1人、という何ともバラエティーのある家になりまし た。やっぱり大人数の生活は楽しいなー。こんな生活ずっとしていけたらいいのになー。 今日はこれからスタジオでの練習があります。がんばるぞー。

8月12日

こっちに来てから約2ヶ月私も彼女も仕事が決まり、残りのカナダ生活での私の目標とい えば、英語かと思いきや音楽です。少しでもギターをうまくなって、カナダ生活の後の度 に役立てたい。ここバンクーバーから南下して、アメリカ西海岸を下り、メキシコからパ ナマを通りコロンビア、エクアドル、ペルーそしてチリ、そして南端までたどり着いた ら、アルゼンチン、ブラジルを回ってまたメキシコを通り今度はアメリカ東海岸、そこか らカナダに戻るか、もしくは夏ならアイスランドへ、そしてついにはよーろっぱにとぶの です。そのさきは・・・・うーん、頭でイメージしてることを文にすると、ものすごいな あ、って感じがする。どこまでお金が持つかなあ。途中で日本に帰ることもあるのかな あ。まだ先だと思ってたら、あっという間にその時がくるから、今のうちにどんどん計画 立てて、最高の旅を彼女と一緒にしようと思う。

8月13日 昨日の夜、双眼鏡で、でっかい月を見た。あんなにくっきりと中の模様まで見たのは初め てだ!ものすごく遠いところにあるのに、まるで、飛行機から下の国を眺めるような感じ で見えた。こんなにおっきな地球も離れてみるとあんな感じなんだろうなーっておもう。 でも「地球は青かった」って言うくらいだから、もっともっと美しいんだろうなって思 う。ほんと、戦争なんてやってる場合じゃないよなあ。

今日の朝、珍しい鳥が庭にやってきた。いろんな鳥がくるけれど、今日来たのはハミング バードという(日本語だとはちどり)とても小さな10センチもないんじゃないかという 鳥が来た。その鳥はなにがすごいかっていうと、鳥の中でも唯一後ろ向きに飛べたり、空 中で止まれる鳥だって前にハウスメイトのジョンが説明してくれていた。マジで後ろに飛

べるの??と思ってたけど、本物をみてびびった。動きが他の生き物と全然違ってロボッ トみたいに空中を動いてた。ものすごく素早くて、まるでハリーポッターのスナッチみた いだった。ここは結構大きな街なのに、あらいぐまはしょっちゅう出るわ、リスはいつも いるわで、とても自然のあふれる良いところだなって思ったのでした。

8月15日 今日は特別な一日だった。先日、この街に発行されている日本系フリーペーパーにミュー ジシャン仲間募集で応募したところ、そのフリーペーパーの方に取材をされて、ストリー トミュージシャンデビューと言うことで、やってもらえませんかとのことだった。勿論ま だ1人で、外でやるには練習不足かなとも思ったけど、いい切っ掛けだなと思い、お願い した。そしてその日が今日だった。場所はバンクーバー中央図書館。人がぱらぱらと通り 過ぎる中で私は、それをはじめた。歌い始めるまで緊張がなかったけど、歌い始めると、 何となく緊張してきた。立ち止まる人がいなかったから、あまり緊張しなかったのかも知 れない。昨日まで練習を重ねた10数曲を私は思いきり歌った。英語の曲は3曲で、後は 全部日本語の曲。途中で話し掛けてくる人に何語なのかを聞かれた。サブウェイで働いて いる時に時々来る人にあった。そして、自分の前に置いたカップの中には何も入っておら ず、終わろうとしていた時に、1人の日本人が話し掛けてくれた。彼もミュージシャン志 望の人だった。彼は私のカップにギターのピックを入れてくれた。私はそれがとても嬉し かった。人だかりも出来ず、恥ずかしい結果に終わったけれど、そこから得られたモノ は、ただ黙っていては得られないモノだった。がんばるぞ、この気持ちは誰にも止められ ない。

8月16日 また、訪問者に起こされた。私の部屋は、玄関から一番近くなので、玄関のノックの音が 一番良く聞こえる。しかも私は1時くらいまでいつも寝てるので、それまでの午前中にく る訪問者によく起こされる。二度寝しても、あまり気分がすっきりしないので、やっぱり 夜勤はどうかな~とも思う。今日は、どんな一日がやってくるかな~。

今日は第二日目、ちょっと場所を変えて、やってみました。そうしたら何人も声をかけて

くれる人がいて、しかも初のチップをゲットしました!!これは正直、私が、20歳のこ ろの夢でした。その頃私は会社の先輩と一緒に、札幌の狸小路の中で、時々歌を歌ってま した。私は全くギターが出来なかったので、いつか自分もギターが弾けるようになって1 人でデビューしたいと思ってました。あれからもう9年。途中間が空いたりもしたけれ ど、やっとあのとき投げた夢の石を見つけました。きっといつも夢ってのは自分の中に転 がってるいろんな色や形をした石みたいなもんじゃないかなって思いました。その石を投 げた時からその石をおう生活が始まる。私はこの間、どでかい石を投げました。それも遥 か彼方に。きっといつかあの石を見つけてやる。話はそれましたが、今日途中で話し掛け てくれた女の子が私の書いた、外国の曲教えて下さいという文を見て、3曲も教えてくれ ました。やったぜ!

8月18日 今日は、ロフ ゙ソンストリートの日本食レストランの隣で、仕事に行く前に歌いました。 時々サブウェイに来てくれる友達が通りがかって、声をかけてくれて嬉しかったな。その 後で、ちょっと向こうでバイオリンを弾いてる人に、音が混ざるからもうちょっと向こう へ行ってといわれました。その人はいつもいつも緑のバイオリンを弾いてて、きっと仕事 はしてなさそうな人。ひたすらバイオリンにはげんでて、ちょっと羨ましかった。その後 の仕事では、あやしーい人が来ました。ただで食べ物よこさないと、てー出すよ。くらい の目をしていきよいよく話し掛けてきました。その人は結局朝まで、店内にいて、1人で 働くのってコわっと思いました。

ただいま~!今日は休みなので、気分良く彼女の働いている店の近くに歌いに行きまし た。なんか少しずつ声が前より自分で分析できてきた感じ化して、歌うっていいなあって 改めて実感しました。今日はこれから家で、曲作りに励みます!今住んでる家のオーナー のジョンが凄く自然が大好きで、家には、ラス ゙ヘ ゙リー、フ ゙ラックベリー、バジル、 等々がなっています。I'm lucky!!

8月22日



この2日間で、いろんな事があった。まとめると、日本からの友達を迎えに行き失敗。深 夜勤務中に、トイレの水があふれ、店中洪水状態(ひとり)。危なくホームレスに、偽札 を使われるところだった(見抜いた!)。友達は、8時間空港に滞在した後やっと再 会!。毎日やると決めた外での歌が2日間出来ずじまい。ひさしぶりに、24時間以上ね なかった。今日歌いにいったら、声がこの間よりも出なくなっていた。 身体が硬くなっ た。とにかくいろいろあったこの2日間だったけど、また気を取り直して頑張ろうと思い ます。それでは!

8月23日 今日は歌を歌いながら、なかなかうまく声が出なくて、テンションが低くなってきたとこ ろにチッフ ゚をくれた人がいたので、そこから元気が出てきて、初めて、$10を超えま した!どっちかというとお金よりも、歌を聴いてくれた人との出会いを大切にしたいと 思ってますが、やっぱり自分の歌でもらえたお金は、どんな仕事をして稼ぐお金よりも嬉 しいな!

8月24日 今日もいつもながら、緊張しながら路上に歌いに行く途中に、楽器屋さんによって、今の ギター(クラシック)を、アンプにつなげられるようにするにはどれくらい費用がかかる のか聞いてみた。そしたら、約200ドルくらい掛かるらしく、さらには、アンプも買わ なくてはいけないので、かなりの費用がかかるなあと思った。でもその時に店員さんが、 アンプをつけたらこんな感じの音になるよと言って演奏してくれたのがものすごく上手 で、こんなに未熟な自分が、アンプなんて言ってる場合じゃあないなと、恥ずかしくなっ た。その後、歌っている途中で、1人の男の人に、今度、彼女とビーチに行くからその時 近くで歌を歌ってくれないかと言われた。今私が出来る英語の曲は、more than words, all my life, no reply, yesterdayの4曲なので、その中でも失恋ぽい後の2曲は辞めて、最初の2 曲をしっかり練習しようと思っています。皆さん、英語の曲のラブソングで、お勧めあり ますか?

8月26日

今日はなんだか気分が乗らない一日になってしまった。ちゃんと軽く運動して、ストレッ

チして、歌いに出かけたのに、最初の2,3曲の調子が悪くて、自分の声に自信が出ない と、いつの間にか、歌をのどで歌っていたみたいで、どんどんのどが痛くなり、声も小さ くなっていった。考えがネガティブになりかけて寂しく家に帰ってきた。でも今婦と、魔 女の宅急便の1シーンを思いだした。キキが飛べなくなってしまって、森の中に住むアー ティストと話してるシーン。「私も気に入った絵がぜーんぜん描けなくなるときがある よ、でもそんなときはかいて描いて描きまくるんだ、そしたらいつの間にかまた描けるよ うになってる。そんなもんさ。」言葉は違ったかも知れないが、そんな一言が私の中にど こかから響いた。歌うしかないな。だって歌が好きだから。自分の夢のレールにやっと 乗ったのに、自分から脱線することはないか。今日も天気がいいなあ。それでよしとする か!

8月27日 今日はハウスメイトのバスティーとオスカルと一緒に、彼女の働くベーグルカフェに行っ た。2人とも面白い人だから、たくさん笑ったら、凄く元気になってきて、今日の歌も気 分良く歌いたいって思った。いつもの場所はものすごい日差しだったので、ちょっとだけ 場所を変えて歌った。あー楽しかった。

8月28日 今日は、歌ってる最中に話し掛けてくれる人が何人かいて、とても充実した1日だった。 それでも声も満足に出なかったし、新しく追加した曲のギターもなかなかうまくできない ので、練習練習だなって思った。

8月31日 今日は、彼女とのこれからについてまじめな話になった。まじめな話をすればするほど、 やっぱりこの先も彼女と一緒にいたいと思い、今自分のやろうとしてることも必ず成功さ せてみせると強く思った。今日は、韓国人の友達の家にご飯を食べにいった。おいしかっ たし、たのしかったな!

9月8日 一週間ぶりのギターだった。あまりにもいろんな事があった。彼女といろんな事を話し、 自分の気持ちの整理がうまくできてないときに、彼女のおじいちゃんが危篤になり、急に 彼女だけ2週間日本に帰ることになった。たくさんいろんな事を考えるには一人になるの が良かったのかも知れなかった。ただ、実際に一人になってみると、とても寂しく、同じ 家には他に4人もルームメイトがいるのに、ぽっかり自分の空間に穴が空いたような気分 だった。彼女が発ってから、気持ちが落ち着かず、とても歌を歌いたいとは思えなかっ た。日本にいる彼女に電話をしても、明るく会話をすることも出来なかった。だけどきょ う、ミスチルの「Sign」という曲を聴いてて、「届いてくれるといいな君の知らないとこ

ろで僕も今奏でてるよ。」っていう歌詞がすごく感動して、俺も日本に届けって思うくら いの気持ちで歌わなきゃ。自分の頑張りたいことがんばんなきゃって思って。仕事が終 わってから家に帰り、支度をして街へ出た。1週間ぶりだから声も出ないだろうと心配し ていたが、思ったより声が出た。でもそれよりも今日はたくさんの人との出会いがあっ た。最初に話し掛けてくれたおばさんは、ギターを貸すとものすごく上手に弾き、歌っ て、そのあとに、「あなたのハートをこのギターにいれるんだよ。」っていってくれた。 感動した。次に話し掛けてくれた人は、日本語を勉強したいからTutorを探してるといっ て、名刺をくれた。私が教えることになるかも知れない。最後には、バスを待ってるとき にとなりに座った人と世間話をしてる間に、その人がメキシコ人で、旦那さんがマリアッ チで歌ってたことがわかった。私はぜひ話をしたいといい電話番号を聞いた。大きな声を 出したせいか、好きなことを思いっきり出来たせいか、今の私の心はとても澄んでいる。 よかった。

10月2日 気持ちは波のように高ぶったり、思いっきりひいていったりするもので、この1ヶ月間、 いろいろなことがありすぎで気持ちの波は、大波津波警報を鳴らしてました。ということ で、避難していた私は日記も書けませんでした。やっと今、波が穏やかになり、出てきま した。怒れば怒るほど、怒る人の気持ちがわかるようになるだろう。悲しめば悲しむほ ど、悲しむ人の気持ちがわかるようになるだろう。どんな気持ちの高波も、きっとこれか ら会う誰かのためになる。人を思いやるときの自分のキャパシティーが広がる。だから、 どんなことがあっても素の自分で受けとめる。波は必ずいつか穏やかになる。もうすぐバ ンクーバー4ヶ月目。季節と共に気持ちもリフレッシュしてレッツゴー!

10月7日 どうやったら、世界平和に貢献できるのかと、さんざんいろいろ考えたあげくに、やっ と、今の世界はもう平和を作るシステムが出来ているんじゃないかといろいろな情報を見 て思った。地球の環境にしても、戦争にしても、どんな問題にしてもその問題に対する対 処は行われている。でも、そのことに対しての世間の知識がまだまだたりてないんじゃな いかと思う。100人地球村の話がある。その中の1人でも、この事をちゃんとわかって る人がいるのだろうか?HIVの多い国は、教育がたりていないからだという理由もあ る。あちこちで起こっている戦争も、起こったことは知っていても、何故起こったかまで は、なかなかわからない。私自身、わからないことが多すぎる。だから私は少しでも多く のことを学びたい。そしてこの科学が発達した現在のテクノロジーを使って、本当にこの 大きな地球が、一つの村のように感じられるような、アイデアを自分の中から見つけ出し たい。私に残っている、時間という財産を大切にしていきたい。http://www.dff.jp/info/ index.html



クリック募金を考え出したこの会社の誰かはすごいと思う。クリックで救える命があるな ら、クリックで止められる戦争もあるはず。

10月8日 人との別れというのは何故こんなにも悲しいものなのだろう。それが現実じゃなくても、 頭でそれを想像しただけで、涙が出そうになる。出会いは別れの始まりと誰かがいったよ うに、どんな人との間にも別れはくる。だから言いたいことを言い忘れたら、したいこと をし忘れたら、夜中でも朝でもそれを思いだしたときにするべきだと思う。ところで、来 年の5月にバンクーバーマラソンがある。http://www.bmovanmarathon.ca/hm/index.php 今 はまだなにもしてないけど、必ず練習して出場したいと思う。今までの最高でも15キロ のマラソンしか走ったことがないから、フルマラソンは未知の世界だ。がんばろう。きっ と何かまたそこから得られるはずだ。

インターネットは、また私に素晴らしいことを気づかせてくれた。http://www.tohph.com/ severn/sev/speech_rio.html この子のことをたまたまネットで知った私は、今この文を見 て、自分が情けなく思った。環境のことを考えてると自分でおもいながらも、全く環境の ためになることを出来ていないということが、改めてわかった。人がドラッグにはまって なかなかそこから抜け出せないように、私達は、この物欲を止められない。どんなに苦し んでる人がいることがわかってても、自分を守ろうとする。

10月21日 いったい自分に何が出来るんだろうか?どこまで出来るんだろうか?想像できることがか なうなら、この世界が良くなっていく姿を具体的に想像できるようになるようにたくさん 勉強してたくさん見て、いつかその夢を叶えるぞ!

ユニセフの記事から・・・

人身売買。

何世紀も前のことのように思われるでしょうか? いいえ。現在のこの世界の話なのです。それも、おとなだけではなく、子どもたちが売ら れ、買われています。安い、ときに使い捨ての労働力として、買春など性的搾取を目的と して、臓器売買を目的として...。そして、たった今、この日本にも、その犠牲者、加害者 がいるのです。

ユニセフでは、毎年120万人の18歳未満の子どもたちが人身売買の犠牲になっていると推 定しています。アジアでは、過去30年足らずの間に、3000万人の女性や子どもが人身売買 の対象となっています。



子どもがお金で売り買いされる大きな理由のひとつは、子どもを性産業で働かせ、不当な 利益を得ようとする、子どもの商業的性的搾取です。

この子どもの商業的性的搾取を根絶するための活動の一環として、ユニセフは、世界的な 「反子ども買春キャンペーン」のパートナー、国際NGOのECPATや世界観光機関ととも に、世界の旅行代理店、ホテルチェーンなどに、キャンペーンを具体的に実行する1つの 取り組み−「Code of Conduct」(旅行業界の行動倫理規範)への参加を呼びかけていま す。

自分の届かないような所にありそうなこれらの組織も、私達の身近で活動が行われていま す。

10月23日

今日はこんな事を新しく知りました。

(http://vdf.co.jp/u_s/vdf_1.htm)

てんぷら油で車が走ります 私たちが、てんぷらやドレッシング等に消費する食用油は1年間で約200万トン(国 内)と言われています。そして、家庭や飲食店等から排出される廃食油は約40万トンと 言われています。 そのうち飲食店や食品関係企業から出される約20万トンの廃食油は回 収され飼料、肥料、石鹸、塗料などに再生されています。そして車を動かす新燃料VDF (ベジタブル・ディーゼル・フューエル)に生まれ変わります。 VDF(ベジタブル・ディーゼル・フューエル)とは 廃食油から作られた環境に優しい新 ディーゼル燃料です。廃食油は立派な資源です。VDFは、原料である廃食油にメタノー ルと触媒を加えて製造します。日本人すべてが廃食油を捨てないでVDFに精製すれば、約 40万台のディーゼル車を走らせることができます。

VDFの6つのメリット

未来型リサイクル燃料 廃食油を再利用する資源循環型の新燃料です。化石燃料と違って植物油からできているの で、植物がある限り持続可能な地球に優しいエネルギーです。

硫黄酸化物発生しません VDFからは酸性雨の原因である硫黄酸化物(SOx)は発生しません。 黒煙が3分の1以下 呼吸器障害の原因となる黒煙の排出量が軽油の3分の1以下となります。 軽油と変わらぬ燃費・走行性 走行性、燃費、価格、どれをとっても軽油と遜色はありません。VDFの発熱量は約9, 600kcal/kgです(軽油は約10,930kcal/kg)。比重を考慮すれば軽油

とほとんど変わりません。燃費は平均8.4km/リットル(軽油8.3km/リットル)で す。価格は1リットル80円です。(2000年10月現在)

信頼できる安全性

VDFの引火点は185°C、軽油は約50°Cで安全保管できます。

車の改造一切不要 市販のすべてのディーゼルエンジン車に使用が可能です。また、車検証燃料欄「軽油」に 加え、備考欄に「廃食油燃料併用」と申請し運行できるようになりました。詳しくはお近 くの陸運局へお問い合わせ下さい。 ・・・この燃料はもう世界でも注目されているそうです。 ほんとに自分は知らないことが多いなって思いました。

10月26日 あっという間に月日は経って、もうそろそろカナダも5ヶ月経ちます。いろんな事があっ たけど、来月からは更にいろんな事がありそう。

10月28日 来月から、家を出ます。別々で暮らすことで、いろいろなことが変わると思う。ポジティ ブにもネガティブにも考えられることだから、ポジティブに考える。会える時間を大切に しようと。ところで色々バトンというのを見ますが、このばとんというので、世界が変え られるほどの事って出来ないかな。

社会貢献バトン

質問1

あなたは、今の生活に満足してますか?

:いいえ

質問2

それは何故ですか?

:何だか思いっきり生きてない気がするから

質問3 世界中日本中、いつもいろいろな社会問題に取り囲まれてますが、あなたはどれくらいの ことを知ってますか? :時々新聞で見る記事や、インターネットで、戦争についてや、環境問題を見てます

質問4

その社会問題にあなたが貢献していることはありますか?

:ゴミを少なくしようとしてる。人に対して偏見を持たない。

質問5 その社会問題に対して、あなたは改善されてほしいと思いますか? :思います。

質問6 それは誰のためですか?あなたは今直接的に、その問題と関わり合っているのですか? :一方的に苦しんでいる人のためです。私はいろいろな問題を情報として知ることしかで きません。私の悩みなんて、その苦しんでる人に比べれば、軽く吹いたら飛んでいくよう なモノです。

質問7

人に親切をして喜ばれたことがありますか?そして、その時どう感じましたか? :バスで、席を譲ったときにありがとうといわれて笑顔を見れただけでとても幸せになれ た。

質問8 その親切を、地球全体にばらまくことは可能だと思いませんか?人に対しても、動物、植 物に対しても、そして、地球の資源というモノに対しても。 :可能だと思います。世界はもうかなりインターネットでつながっているし、自分の周り はいつも人や物に囲まれているから。タンポポの種が、風で流れてゆき、いろんなところ でその花を咲かせるように、親切ということは、そこでは止まらずに必ずまた新しい花を 咲かせ、その種はまたどこかに運ばれていくはずだから。

質問9

そのために、あなたは何が出来ますか? :健康で居続けること、そして、いつも、どこかで苦しんでいる人がいることを忘れない こと。笑顔を持ち続けること。

質問10

このバトンがどこまでも続いていき、ミクシイ全体まで広がることが出来るように、あな

たからの、質問を付け加えて下さい。

:質問11

「病は気から」といいますが、地球の病もみんなの気持ち次第で治ると思いませんか?

このバトンが少しでも読んだ人の気持ちを変えてくれればと思います。

10月29日 ポジティブな自分とネガティブな自分が戦ってる。素直な自分と疑い深い自分が戦って る。あと3日。早くこの悲しみから解放されたい自分が感じる時間と、この3日が永遠な らいいのにと思う自分が力比べをしている。どんなことを考えて、どんなに自分対決をし ている間にも、時間は、止まることなく流れて行く。愛情と情の違いは自分には理解する ことが出来ない。愛情の中には、情も含まれるような気がする。彼女と離れて生活するこ とが何でこんなにも悲しいのだろうか?たくさんの人に愛されて生きてきた自分。愛の意 味は私には言葉に表せない。今日アルバイト先で、「なんかいつもとちがうよ」っていわ れた。隠そうとしても無理だった。オーラが出ちゃうんだ。どうしよう。そんな今も自分 対決の真っ最中。夢。目標。計画。判断。そして、反射。全ての人生は、自分の周りに起 こっていることに対しての反射神経で決まるんじゃないかな。記憶に、欲望をつけたら、 夢になる。でもその夢を分解していくと、反射になる。そう考えると、人生はその人が 持ってるドミノが倒れていくような、反射の繰り返しで、成り立っていくはず。だから、 自分の反射神経をとぎすますことが、そのことが、その人の本当になりたい自分に、自分 を向けていくことが出来る方法だと思う。こうして書いてる自分は今この自分の書いた文 に影響されている。それも一つの反射かな。身体は動く。それが一番大切にしなきゃいけ ないことなんだ。きっと。そうだ、この日記物語、少しずつ最初の趣旨と変わって来 ちゃったから、自分を見直す自分対決物語にしよう。

10月30日

When I was working, I was thinking about what I'm gonna do from next month. and one thing was coming up on my mind. that is....some plase are still having war at the morment but actually, business is maybe kind of war. so if I want to make this world better, I must learn about business and understand what's going on in the world business war. so I was thinking about take some couse of business.....umm.

11月7日

muchas cosas en mi cabesa. todo el dia creo que muchas cosas. life is difficult but shuld be easy.

12月19日

Here in Canada, Everybody say "Merry X'mas" already. Japan has a lot of things for X'mas but the Atomosfiar is very different between them. I had X'mas party last night at my work place(Mexican restaurant). and it was really at home, everyone bring some food and can food(for donation) and present and family or friends. I felt the biggest difference is donation. Whole the city is trying to do

some Fund raising and donate food or anything. That's Great thing. by the way I've got hangover this morning...

2007年1月3日 今年のお正月はカナダのバンクーバーです。いろいろな土地で過ごすということは、比べ ることができるから、今まで住んでいた土地のよさを、住んでいたとき以上に感じること ができるっていうのがいい。日本には今まで約25年住んだから、この先に住む土地土地 で、日本を思い出すんだろうな。家族とはなれていることも、家族の大切さを感じられ る。今年も元気な生活おくロット!よーい、、どん!

2月27日 今日は2月26日。確か今から2年前に、彼女と初めてであって、この日記もスタートし たんだなって。これからの生活は、どんな感じになるんだろうなーーー。この歳で、自分 の生活がまったく安定してないってのは、世間から見ると、ずいぶんまずいんだろうなっ て気持ちもあるけど、その不安定さがいいんだよなー。でも彼女の幸せは安定。12月か らは日本の生活が始まる。日本では、スターバックスコーヒーで働けたらいいなって思っ てる。でもその前に、スターバックスコーヒージャパンが、オリジナルのスターバックス とどれだけ違うのかをちゃんと知っておきたいなーって思ってる。ここバンクーバーの図 書館でこんな感じでのんびりミクシイの日記を書いてる人を、結構よく見かける。オレン ジ色の画面が見えるたびに、あ、あの日と日本人だ。っておもえる。これからあと3ヶ月 この街での生活が残っている。時間がたつのが早い最近だけど、これからの3ヶ月もそう なるのかなあ。そしてそのあとの6ヶ月。この6ヶ月はこの約10年の社会人人生の中で 一番長い旅行になる。しかも彼女と一緒だ。ヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカが舞 台だけど、今までにできた友達のおかげで、初めて行く国にも、なんとなく安心感があ る。その国々を全部回っても、まだまだアフリカ大陸、ロシア、アジア、インド、タック さん国がある。そして今戦争を行ってる国。でもきっといつかは全部の国を訪れたいな。 そのためにも100歳までは元気にいれるようにしっかりエクササイズしないとな。そし てかっこいいおじいちゃんになるぞ!そのときは隣に99歳の今の彼女がいるといいな。 ははは。I will never see my dream because I have a lots of dreams all the time and that's for this morment. do you know how much important what you are doing right now? Nobody knows it. Only you know it. Have a good day! ciao!

3月2日 今日から彼女のダイエット大作戦が始まり、朝から二人で家の隣にあるフィットネスワー ルドに行きました!そしたら帰りにポケットの中に財布がない!!!速攻で戻ってレセプ ションに聞いたら、YOU ARE LUCKY!! といわれて、誰かに届けられた私の財布を もらいました。ふー。それから、二人でダラーショップ(100円ショップみたいなとこ

ろ)に行き、ろうそくを買おうとしたけどありませんでした。まあそれはいいとして、そ の後友達のシーザーと3人で、スターバックスコーヒーのイベントに行くために彼女のス トアで待ち合わせをしたら、彼女が、{あれ、財布がない!!}なんと彼女もジムに財布 を忘れたようで、私はすぐにジムに電話をしたら、またもや、

YOU are LUCKY!! といわれてとりに行きました。取りに行くと、レセプションの彼女 は私が朝自分の財布を忘れたのを覚えていて、宝くじが当たるくらいラッキーだよ!って いわれました。その後、スターバックスのイベントに行っていろいろな国のコーヒーを飲 んだ後、その場にハワードシューウツというスターバックスを世界に広げた人も来ていま した。彼女はおおはしゃぎで、私は彼女と彼を一緒に写真に取りました。そのあと、私は 彼と握手をして、彼に手紙を渡しました。内容は、彼が最初スターバックスに出会ったと きに、このコーヒーを世界中に広めたいと思ったように、私はこのスターバックスのロゴ を、世界平和のロゴにさせたいって書きました。そして私のめるアドも書いておきまし た。これから毎日彼からメールが届くかどうか楽しみです。それからここ図書館に来て今 これを書いています。これから、二人でまた事務に行ってエクササイズです。なんと彼女 は朝からまだ何も食べていません!驚き!2007年3月1日は、とってもスペシャルな 1日になりました!

3月17日

今日の朝、何週間も前から読み続けていたPOUR YOUR HEART INTO IT(スターバックス のCEOのハワードシュウツの本)を、やっと読み終えました!彼のパッションは、20年 前からまだ変わりなく、この会社に行き届いていると思います。とにかく今時分がこうし てスタバで働いていて、まるでハワードの映画の一部分にいるかのように感じます。それ ほど、感動的な本でした!日本語バージョンの、「スターバックス成功物語」は読んだこ とがありませんが、ぜひ読みたいを思っています。どなたか読んだことがある人がいらっ しゃいましたら、感想聞かせてください。ちなみに、私が日本語の題にするなら、「ス ターバックス・パッション!」にするだろうなって思いました。

3月23日

sometimes, when I'm writing something like this, I realized what I'm thinking clealy. that's very interesting. so now I'm trying to do that for my travel after end of May. I will have about $5000canadian dollers at that time for 6months travel in whole Europe and U.S and Latin America. Basiclly, It's not enough for sightseeing travel without working. so, I might have to earn money in any way. what about playing guitar on the street?? what about try to work illeagally?? work in hostel for free stay?? I wanna be always connected with Starbucks because I'm thinking about work at Starbucks anyplace after I settle down. but also I think.. Am I really gonna settle down soon??? I still have a lot of ununderstandable countries. I wanna see and feel a lots more situation in those

countries. anyway I have 6months for kind of free time but also time for 2 of us I and my girlfrend. that time make us change to next stage I hope.

3月31日 旅といっていったい人は何をイメージするだろうか。発見、リラックス。挑戦、自分探 し。冒険、刺激。日帰り、全人生。隣町、世界の裏側、海の底、空の上、宇宙。たくさん いろんなことが想像できるけど、心の中の旅っていうのはどうだろうか?今までの人生は 十人十色。記憶にあるいろんな世界を、私たちはいつでも、旅できる。そしてその経験が 今の自分をここに立たせている。いまがんばれば、そう、次にほっと一息、カフェら手を 一人で飲みながら、心の旅をするときの自分は、もっとたくさんの世界を手に入れてる よ!今日も旅に出よっと。あと1時間で仕事は始まり、後10時間後には寝ているだろう 自分、でもその中に宇宙旅行と同じ発見を見つけられるかもしれない。おっと危ない、ま た楽しい空想に走ってた。

旅っていいね。

さっき書いたのが途中になっちゃった。なんかまるで、数読みたい。本当の答えは、タッ

クさんの方向からいろんな視線で見ないと、見つかんない。でもそれが見つかったとき、

その人の書いた言葉はその人が目の前で言っているかのように感じられるんじゃないか

な。

4月6日 いろいろなことがありながらも、彼女と過ごしたこの2年間。ニュージーで出会って浜松 で過ごし、バンクーバーで別居をしてまた戻り、同じ時期にスターバックスで働き出し、 そして今、この町もあと2ヶ月を切った今、私たち二人に大きなターニングポイントが やってきました。それは、半年間の旅行のはずでした。それは、エルカミノ・デ・サン ティアゴのはずでした。もしかしたら結婚、日本での生活の始まり、いろんな意味での ターニングポイントが、2ヶ月先に迫っています。そんな中私たち二人にとってのとても 大きな出会いが、スターバックスという場を通してありました。今私たちは、一つのアプ ライ用紙を書き込んでいます。この申請書が通れば・・・・・・・通ったときにまた書き ますね!

4月13日 さて。今日は久々の休みで、こうしてゆっくり日記を書こうかと。いつものようにダウン タウンの中で生活してる私は、なかなかこのカナダの大きさを実感することができない。 それでも、いつでも町から見える、大きなロッキーの山々は、この町がほかのどこの町で もない、バンクーバーなんだってことを感じさせてくれる。そんなここにしかないもの、

この人にしかないもの、この会社にしかないもの、この何かにしかないものに囲まれて る。私は、たびがすきなのか、それとも・・続く

それとも、そこにしかないものを探し続けているのか?観光に特に興味はないし、その町 にしかないものにさえ、あまり興味はない。いつも興味があるのは自分の周りにいる人、 人、人。ターザンが,つるに、ぶら下がりながらジャングルを行くように、私は、人とい うつながりを伝わりながらここまできた。これからもきっとそうなっていく。そして、自 分の夢と、自分自身、そして、私の周りの人が、この時代に何かを残してく。いつもの曇 り空も、今日は特別、時を止めているようだ。仕事にも何にも追われない一日は、日の光 をさえぎられたとき、宙に浮く。エレベーターが上って、とまるしゅんかんのあのへんな かんかくがづっと続いているよう。さて、これから、どうしようかな。

4月19日 レジデントビザ。手に入りました。スペインを含むヨーロッパに4年間滞在でき、その後 パーマネントに変更可能なビザが。はっきりいって、このビザは私にとって、宝くじが当 たるのと同じくらい、もしくはそれ以上にうれしいものです。そしてこんなことが可能に なったのも、スターバックスコーヒーという場を通しての人との出会いがあったからこ そ。私が今まで働いてきた仕事はサービス業が主で、特別技術もない私は、今回のカナダ のワーホリが、私の最後の長期海外生活になってしまうかもしれないなと、心のどこかで 思っていました。私は日本が好きですが、もっともっと世界の声を聞きたいと思い続けて ます。そんなときに手に入ったこのビザ。彼女も一緒です。私にとって不安なことは山積 みですが、必ず登れそうな山です。夢の階段が、突然現れることも、人生にはあるんだ なって。そしていつもそれは人とかかわってこそできるもの。最近はまってるミスチルの 曲の「PADDLE]のひとことに、・・いいことがあってこその笑顔じゃなくて、笑顔でい りゃいい事あると思えれば、それがいい事の序章です・・・っていうのがある。絶対にそ れはあってるって思う!とにかく残りカナダライフもしっかりがんばります!

5月5日 カナダのワーキングホリデー生活も、いよいよ最後の一ヶ月を迎えました。振り返ってみ ると、来てよかったなって思うことの中で、一番大きいのは、やっぱりいつも人との出会 いだなって思います。来て数ヶ月のころ、ストリーとミュージシャンを目指して外で歌っ てた自分に声をかけてくれたことで、知り合ったタイラー。彼女の働いてるオクトパス ガーデンの、オーナーのさださん。彼は日本人として、ものすごく尊敬できるかたで、か なり、「さださん見ててください、俺やります!」的な、人生の先輩です。そして、ス ターバックスで働き始めてお客さんとして知り合った弁護士のアンガス。彼は世界中飛び 回ってる弁護士で、自分と似てる、そして自分の弟の性格とよく似てる感じがする、私の

これからの計画を大どんでん返ししてくれた人です。そして、スターバックスという会社 は、私に本当にたくさんの人との出会いを作ってくれました。あと2ヶ月で私は30歳に なりますが、30歳になる前に、「お金よりも時間よりも大切なもの、人とのつながり」 を感じられたことは、この先新たな30代になるにあたって大きな大きな自分の糧になり そうです。

5月7日 今私は、図書館のパソコンを使っているのですが、格好は、マラソン帰りの格好です。4 2キロのマラソンは今まで一度も走ったことがなかったので、どきどきわくわく出した。 ろくに練習もできなかった私は、約20キロの地点で、片ひざがとても痛くなってきて、 その後約10分後には、ひざが痛いほうの足をかばった右足も痛くなってきて、とうとう 走ることができなくなってしまいました。「畜生、俺の実力はこんなもんか!」得やしみ ながらも足を引きずりながら、早歩きでがんばっていたら、応援してくれる人たちの声が 心にしみて、もう一度走り始めなきゃと重い何度も試しました。そして歩き始めてから約 20分後くらいに、ついになんとかまた走り始めることができました。途中でもらえるオ レンジや、ドリンク、お菓子をタックさん食べながら栄養補給して、ついにゴールしまし た。約4時間半かかりました!雨も降ってて大変だったけど、ものすごい充実感です。こ れもカナダの大切な思い出になりました!

5月10日 今日で、マラソンが終わって三日目。なのにまだ足引きずってます。やっぱり練習なしで いきなり走ったせいだ。とにかくそのときの写真が買えるというシステムがあったので、 ちょっと見てみたら、ばっちりラストスパートで最後がんばったところが写真で移ってま した。よかったら見てください。http://www.marathonfoto.com/order_my_photos.cfm? BFI=jjjf87cp1h&Language=EN

お金が無限にあったら自由かな?

権力があったら自由かな? 一人で旅してれば自由かな?無人島に住んでれば自由かな? 自由を求めることは簡単だけど、真の自由は、現実の世界にはないと思う。 心の中。

そこが自由の空間。現実と心をつなげるからだ。

まずは、

この体に、 自分のできることを、試せることを、やってみてもらおう。 心の中のもやもやは、 この体と協力してがんばれば、必ず晴れる。



だから。 そこに飛び込む。 怖いけど。 そして、夢をかなえる。

5月20日

やりました! 昨日ディストリクトマネージャーのジーナが店に来て、パートナーオブクオーターおめで とうって言われて、スタバのピンバッチ付ポロシャツいただきました。そのときはあまり 内容を理解してなかったのですが、そのパートナーオブクオーターって言うのは、3ヶ月 に一度、各ディストリクト、(地域)の中で一人何かしらの理由で選ばれるパートナーの ことです。私がもらった紙には、毎週スタバの提供する小学校へのリーディングボラン ティアに参加し、店でもがんばってるって書いてくれてました!あと10日と迫ったこの バンクーバー、そしてスターバックスカナダからの最高のプレゼントでした。 やったー!

5月24日 今日は、彼女の仕事の最後の日でした。終わる1時間前くらいに行って最後を見届けてた ら、いろんな人が声をかけてて本当にいい職場だったんだなって思った。彼女の泣いてる 姿を見てると、自分も涙が、表面張力くらいになった。あと1週間で自分の番がやってく る。

5月26日 昨日の朝6時、ついに彼女が日本に発ってしまった。その後はかなり、ボーっとなって て、やばい、モチベーションあげなきゃと思っていろいろ考えながら、部屋を掃除してた ら、そうだ。海から飛ぶ飛行機のチケットもらったの忘れてた!!!というわけで、早速 バンクーバーのカナダプレイスの近くにあるSEAPLANEのチェックインの場所まで行きま した。そのときは昼ころだったので、「よし、ビクトリアまでこのチケットで飛んで、半 日観光して帰ろう。もしくは泊まって明日の朝帰ろう。」と思っていたんだけど、昨日は 天気がよくて、飛行機が次々満席。。。空席待ちようのチケットを持ってる自分は待ちぼ うけ、、、、、、約4時間。ふぁいなりい!5時20分の空席にありつけ、飛びました! 中には、乗客約15人くらい。運転手さんのすぐ真後ろに座って、運転するのを見てまし た!!!「かっこいい!!かっこいいよお!」飛行機運転するのって本当にかっこいくて 気持ちよさそうって思った。でもその後ビクトリアについてからは、たったの20分間市 内観光をして、満足したので、最終のバンクーバー行きの飛行機にまた乗って帰ってきま した。飛行時間片道35分、滞在時間20分。そしてびっくりなことに、何にもお金を使 わなかった!!

チケットくれたベッキーありがとう!!!そんな素敵な出会いをくれたSUBWAY,ありが とう!最後に、一緒に乗ってた日本人の旅行してる方を手助けしてあげられてよかった な。

そんな一日でした。

5月29日 昨日スタバの友達と、日本スタイルカフェに行き、ゆっくりトークを楽しんだ後、気まま にギターでも弾こうかと思ってビーチに行ったら、そこにいたほかのパーカッションをし てたプエルトリコから来た、カルロスというジェントルマンに、「一緒にやろうよ!」っ ていわれて、一緒にタックさんの歌を、スペイン語、日本語、栄ゴーーー!見たいな感じ で歌いまくった。すっげえ楽しかった!やっぱりうたっていいなあ!

5月30日

思いっきり働こう。

泣きながら働こう。

笑いながら働こう。

いつものようで、いつもと違う一日。

そこに今日があるようにそこに今までがあった。

だけどそこにある明日の中に自分はいない。

それならそこに魂を残そう。

足跡が形に残るように、魂にも形がある。

それは人の心っていうおっきなところに残す足跡。

さて、

ふみだすか。

いままでそうしてきたように。

あなたの足跡もしっかり俺のキャンバスに残ってるよ。 いって来ます。

5月31日 明日からスペインです。だから200からはじまるって、きりがいいな!最近のバンクー バーは夜9時になってもまだ明るい楽園状態になっております。それにしても荷物が重 かった。こんなにあるとは・・・・

6月7日

I have started my life in Spain but I ́ve got several probrem here. but still, this city make me very happy. because so historical! whole of the city seems Musium for me. and this city is the capital. so everyone speak spanish and very few asian. if you have never come to Europe, you will surprize how much cheaper here for travel than Japan or US.

6月11日

I was looking around the city yesterday to get birth day present for my girlfriend. I couldn ́t choose for a while and I went to Plasa de Mayor. There were a lot of painter sitting down and showed their paint. then Suddenly, I stop infront of one of the paint and couldn ́t move.

because all his picture are natulal and flower.. I moved and I decide it for present. I was almost cry. I will show that paint here later. ken

6月24日

oh, my god. this road is so wonderful. we have been walking since 14th this month. everyday more than 100 people passing through this way. we can realize which is important money or time. and how should be together nature and culture. It ́ll take 1month for whole way to walk but that ́s so nice please check this out from website!

7月18日 明日19日の朝10時にここバルセロナを発ちます!うーん突然の決断。日本のどこに変 えるのかはまだしっかり決まってませんが、とりあえず、親友の結婚式には出ないとと 思って北海道に帰ります。どうやって帰ろうかなあ。青春18切符で青春してかえろっか なあ!そして飛行機の中で30歳の誕生日を送り、時差の関係で、日本についたときに は、もう次の日になっているという、思い出深い誕生日になりそうです。機内食でケーキ でないかなあ・・・・

8月9日 昨日久々に弟にあったら、かなりビックになっていた。自分とはまったく違う分野でがん ばっている弟を見ると、それだけで、何かが伝わってきた。「アルケミスト」という本の 中で言う、言葉のない言葉だった。夢の叶う公式を考えた。

自分×夢=身体×動き=地球×未来

目がかゆい時、手で目こするように、自分が叶えたい夢は、この地球が手を貸してくれ る。ちょっとぐらいのかゆさならかかないけど、結構かゆいとかいてしまう。地球も同 じ、夢を強く思えば思うほど、手を貸してしまう。

いつもころころ変わる私の夢は、なかなか現実的じゃない。世界の言葉を全部覚えるにし ても、国家を全部覚えるにしても。だけど日々の生活となんとしてもつなげたいから、い つも考えてる。そして、今日こう思いついた。常に仕事で世界中の人と接し、フェアト レードに関して勉強し、世界の派遣社員のシステムに関して勉強し、世界の学校について 勉強し、WWOOFについて勉強し、世界のビザについて勉強し、メッセンジャーについて 勉強すれば、

世界中の、だれでも、どこでも、いつでも自分の旅にスタートさせることができるカウン

セラーになれるんじゃないかと。

出会いは一期一会。弟に負けないようにがんばろうと思う。

8月14日 この先私が一生懸命やっていく仕事は、サクラハウス!東京にある、外国人向けの不動産 屋の仕事で、いろいろな国の人たちと接することのできる仕事。今日電話が来て採用とな りました!ゼロからがんばっていくとこまでいきます!

10月11日 今日は10月11日、まったく。世界の何十億人って人が、みんな、今を生きてるなんて すごい事実だね。ハッスルしていきたいな。昨日みた天使のラブソングに影響された。人 が死ぬ以上、悲しみは避けられない。なら生きてる証しとしてそこに笑顔を。そこに希望 を、そこに今を感じる感覚を。こうして部屋でパソコンに向かうこともいいと思う。ここ で誰かにつながっているから。でも、大きな声を張り上げて、筋肉痛になるほど動いて、 すっきり目覚める生活。いいでしょ。

10月17日 人生に夢があるなら、今日っていう一日にも夢はある。 言い換えると予定。

でも予定と夢はとても違う。 予定+希望+努力+?=夢

?はHow you are being right now.

というわけで、今日の夢は、

最高のひとときを、彼女と初めて行くどこかのカフェで送る。

10月24日

さっき、この映画を見て、泣きました。最初っから最後の10分前までずっと悪いことが 続き、最後にやっと幸せがやってくるんです。10分、いや5分もない幸せの瞬間です。 私の日々の生活は、つらさとはかけ離れているということを改めて実感させられました。 夢が大きな夢であればあるほど、そこにたどり着くためにはたくさんの苦労が必要だとい うことは、わかってはいても、忘れがちではないでしょうか??「苦労は買ってでもし ろ」という言葉は昔からありますが、その意味が、この映画で、より具体的に感じられま した。でも日頃の生活の中で、自分から苦労を選ぶ瞬間というのはなかなかありません。 だけど、こういうのはどうでしょうか?毎日の目標を、すごく高く設定するんです。それ を自分だけの中にしまわず、誰かに発表するんです。もし自分が何もできていなかった ら、ただの口だけの人になってしまいます。自分の理想を、繰り下げず、そのまま言うん です。できなかったことに対する反省と改善点を常に、その発表した人に報告していれ ば、自分のあがき具合がきっと伝わります。足りない部分があれば、助言もくれるでしょ う。と言う訳で、改めてここで私は私の夢を発表します。「世界のみんなが、他人を家族 と思えるようになる為に自分ができることを生きている限り続ける」ことです。そのため に日々行うことは、人の話をしっかり聞き、挨拶できる空気がそこに少しでもあれば、誰 にでも挨拶をするということです。人生の意味を追求する人にはその答えを、助けが必要 な人にはこの手を差し出せるように努力をしていきます。 この日記を読んでくれた方、ありがとう。バカっぱしります。

11月7日 今日は休み。それって体を休めること?心を休めること? それとも何か普段できないことをする時間? 砂時計がいつか止まるように、僕らも命にも限りはある。 その間に何かを成し遂げたい。

2008年1月23日 今日、ついに彼女との結婚日が決まりました。6月7日。ちなみに、ゆりとあったとき は、2005年3月、ちょうど、このミクシイを始めた頃。

まずけんかがたくさんあって、何回か、別れそうになって、一緒にがんばって、

一人だったときと一番違うことは、自分の人生が、ほかの誰かと共有されながら生きてる

ことを、つくづく実感できること。

空想が多い僕は、一人だと、現実のレールから外れそうになってたけど、女性っていう現 実的な人と、身近に暮らしてきたことで、

少しだけ、かわったと思う。

今年で30歳になり、たくさんいいこと経験した。

今年のテーマは、

空想から作る現実。

また、いつも通りポジティブに行こうと思う。

みなさんどうぞよろしく!

1月28日

最近会社の飲み会があって、そこでいいこときいた! 人生で一番長く使ってる時間は働いてる時間、楽しまないでどうする? そりゃそうだね!どんなきつい仕事も考え一つで楽しめる! ヨッシャ~~たのしもっ と!

2月8日 今日は、最近だらけてたことを全部やって、また軌道に乗るぞ~~~~!えい、えい、 お~~!

2月20日

やっとマックブックで写真を載せることができたよ~~~~!!

よーし、これからいっぱい写真とるぞ~!

2月21日



今僕は、自分の時間をうまく使って、どうにか副業できないものか考えています。 とは言っても、特別な技能も持ってないし、ネットの副業は、ミクシイさえなかなか更新 しない僕には難しいのが現状です。

そこで、

カウンセラーっていうのはどうかなと思いました。特にそっち系の学校などに行った訳 じゃあないけど、人の話を聞くのはすごく好きだし、特に、悩みなどを励ますのは大好き なので、それで誰かが元気になるなら、そこに自分の時間を使いたいなって思いました。

日本は、自殺の多い国です。自殺する人を止めたいとは思いませんが、自殺したいって思 う人を減らすことができたら、自分もうれしいんじゃないかなって思いました。

どうでしょうか? これを読んでいる方、たくさんの意見ください。僕にはいろんな人の意見が必要です。

2月29日

今日は、休みだったので歌を作ろうと思いました。

歌詞はできたのですが、作曲ができな~~~イ!

誰か作曲できる人、助けてください。

ふたりの休日 作詞 けん

いつもと違って君が先に起きる朝 朝日がまぶしい

一日の計画もたてないまま 布団干し始める君 コーヒー準備する僕

なぜか冷凍庫にしまってある チョコレートと一緒に イタリアンロースと飲み干すと 誘われるようにふたり家を出る。 町はまだ出勤の空気に包まれ 電車に駆け込む人もいる 東京観光のように駅を出るふたり ちょっとだけかいたメモを片手に 小さな買い物を済ませ なぜか帰り道にはいつも チョコレートの入った袋を持っている 「ただいま」と家に帰ると 「まだ3時だよ」と答える時計 何をするって訳でもなくふたり、時間って言う大切なものを共にする ふたりの休日はいつもこうで いままでもそう これからもそう チョコレートと一緒にコーヒー飲むふたり いままでもそう これからもそう

それが ふたりの休日

いかがでしょうか?

ギター片手にこの歌唄いたいなあ!

3月16日

今日の朝久々にけんかした。

とはいっても、

僕と彼女のけんかは

他の人から見たら、けんかじゃあないだろう。

大声あげる人もいる。 手を出しちゃう人もいる。 すぐ仲直りする人、

すごい長引く人、 ちょっとしたことですぐ喧嘩になる人、 どっちかが怒るだけの人、 逆切れする人、

ちなみに、僕らのけんかは、 ちょっとしたことで始まり、 ゆりがイライラしてることに僕が気づかず、 気づいたときにはどうすればいいか、 わからなくなる。 いつの間にか自分も愛想が悪くなって、 ボヨヨンって感じ。

でも、

その日中に仲良しに戻る。 そしたらなんで怒ってたのか話す。 いろんなけんかがあると思います。 おもしろいのあったらおしえてください。

3月18日 僕は仕事中やプライベートで、よく忘れ物をします。

一瞬前のことをスッと忘れたり、

気づいたら、

持ってたはずの鞄がなかったりします。

私の両親も時々ぼけたリスルノデ、遺伝かな??

北海道にいたとき、車でコツンコツン、くるくるドガーン、プシューやったんで、その影 響かな??

3月20日

幸せは、わかりやすい。うれしさを感じるから。

不幸は時間っていう相手からの問いかけだと思う。

「不幸中の幸い」を略して不幸と思うなら、不幸という言葉すら幸せになる。

不幸という言葉を発せられる限り、私たちはまだ生きている。

だから、それは時間からの問いかけ。

「あなたは今からどうするんですか?」

わたしは、

悲しんでいる人を嬉しい気持ちにさせたい。

戸惑っている人の背中を押したい。

今を、大事にしたい。

3月23日

来年の今頃は全く見当もつかないけど、

来月の今頃は見当がつく。

来週の今頃も見当がつく。

明日の今頃も見当がつく。

僕の川の流れは、

きっと、

来年までは一本道だ。

きっと来年の今頃までの間に、 分かれ道がいくつかあるだろう。 ただ力を抜いて流れにそうか? どこかの道目指して体を動かすか?

さて。

これが来月の今頃がわからない人は、 きっとその分かれ道が、一ヶ月以内にたくさんあるんだろう。 来週の人なら一週間以内。

明日の人なら、

24時間のなかの1時間、60分の中の1分が、

とても大事になってくるんだと思う。

そうして考えた時、

最初に、

来月の今頃は見当がつくと入ったけれども、

何か流れを変えてみることはできないだろうか?

来週にしても、

明日にしても。 今、もう0:49amだけど、 明日の今頃までにかえられること。 う~ん、

なんだろう。

わからない。

誰か知ってる人がいたら教えてください。

でも明日一日、そんなこと考えて生きてみよう。

おやすみなさい 4月29

日普段生活していて、思い切りなんかすることって、カラオケで歌うくらいだなあ なんかこう思い切り感を感じながら生活したいな

5月4日 今日、いろ~んなささいなことを決断した。だから、いまがある。その全ての決断の一分 前には、全て、選択の余地があった。欲求と好奇心と羞恥心と恐怖心と、そして今までの 経験からなっている今日の自分。

さて、

心の奥底が欲しているものはなんなんだろう。

そんな疑問を抱きながら、

おやすみなさい

5月9日

今日の朝、一緒に住む彼女が、携帯を落としたことに気がつきました。

一緒に探し、交番へも行きましたが見つかりません。

とりあえず、番号を止めてもらって、ちょっと待ってみて見つからなければ、新しく買う しかないのですが、

その間、連絡が取れないということが、どれほど大変かということに気がつきました。

いつも同じ家に帰り、同じ日に休みを取っていても、たったこれだけのことで、人は、災 難だと思ってしまうんだなって思いました。

そして私はこのことを書こうとmixiを開いたのですが、たまたま見た足跡に、 知らない人が残っていたので、見てみると、その人にはマイミクが1000人いました。

その人の日記を見て驚きました。

世界の平和についてのこと、というよりも、世界の不幸についてのことについて書かれて いることが、たくさんありました。

私はいつも世界平和のことを考えていますが、それは世界の不幸について考えることだと いうことを気づかされました。

すぐにはいった「世界の肖像」をいうコミュニティー。

私の知らない世界がそこにはありました。

「兵士にさせられた少年は、命令を受け、罪のない家族を家ごと丸焼きにし、 そして死んだ家族をきって、食べるのです。」

こんなちっちゃな地球の片方では、 一緒に住んでいる人の携帯がなくなったことで気を落としているのに、 そこから手の届きそうなところのあるところでは、 「人が殺されて、食べられているのです。」

しかも、

「殺したくなくても、そうさせられているのです。」

しかも、 「反抗したくてもできない子供に対して脅迫を持っての命令です。」

あまりにも、

あまりにも、

あまりにも!!!!!!!!!!!

この世界の違いに対して、

自分の気持ちをどうコントロールしていいのか?

わからなくなりそうになります。

私がこうしていられるのは、

今までの自分の周りの条件が全て最高だったから。

世界の悲しみを深く知ることは、

必ず

世界平和につながると思います。

なぜなら、

欲を求めるとき その代償となるものを人は隠す知恵があるからです。

地球上にある悲しみを、

少しでも多くの人が共有できたとき、

その悲しみに対して何もせずに自分が人生を終えることに後悔を感じると思います。

私は、

このたったひとつのmixiの足跡から、

自分がしなければならないこと、そしてできることに気がつきました。

5月12日 今日の朝起きてすぐ、後もう少しで読み終わるパウロ コエーリョの「11分間」という 本を読み終えた。 本当は、朝は勉強しているんだけど、この本は、ものすごく勉強になっ た。 宅建、FP、スペイン語、そのどれよりも勉強になった。 そして、その本を読み終 わって、朝のジョギングをしている間に、自分の心なのかそれともどこからか、新しいこ とを学んだ。

「愛を感じたとき、憎しみを感じた時、その想いこそが、世界中が古くから、神として考 えてきた存在。」 今日も私は「それ」とともに生きる。

5月12日 時間っていわれている目に見えないものは、あれとすごくにている!

そう、 僕らの心。

きっと時間ってやつには感情も理性も欲もあって日々の私たちの生活やタイミングを動か して楽しんでいるんだろう。

だから、時間とうまくやっていきたい。

5月14日 そこに座り込んでいるホームレスを、生きているゴミのようにみてしまう自分。 どうしてだろうか?僕は、彼らと何が違うんだろう。

バックグラウンドだろうか?

世界の貧しい子供を助けたいとは思っても、すぐ手の届くところにいる彼らを助けたいと

思わないのはどうしてだろう。

ごめんなさい。今までそんな風にみてきてしまったこと。

ここで謝ってもこの気持ちは届かないだろう。

でもなにか、形に表したかった。

一時期、 「日本なんだから、本気で働こうと思えば働けるだろ」って思ってた。 馬鹿にしてた。

きょう、マザーテレサの本を読んだ。

貧しさは心の中にあると。

今度は、ホームレスの人たちを、しっかり見つめられるようになりたい。

それが自分が変われる一つの自分だと思う。

5月14日 友達のフェイバリットと言うことで、行ってみると、今まで食べたことのない麺だった!

すごく美味しかったよ~ いま埼京線で十条に向かってますが、すごくすいていて席がたくさん開いているよ!

さっきいくときは押し鞍饅頭だったのに

昨日マザーテレサの本を読んだんだ。

なにをするかよりもどれだけ今していることに愛を込められるか。

この言葉が本の中で一番印象的でした

5月16日



僕と彼女は結婚式の準備に追われながらもフランスへ行く方法も着々と練っていた。今の 会社から送り出してもらう方法、語学でうまくやる方法、二人の時間を作る方法、家族に すこしでも心配させない方法、お互いを尊重しながらその瞬間を楽しむ方法、そのほか数 えきれないほど、お互いの計画をたててきた。だから今こうしてフランスにいても次に自 分たちがどこに行くだろうかがなんとなくわかってる。ヨーロッパの国は全部訪れること になるはずだ。そしてインド、ロシア、南米の国々。そのときにはアジアにあまり興味の ない彼女もそれらの国々に興味を持ち始めている。最初はひとつひとつの言語に戸惑いを かんじるが、そのうち何か共通点が出てくる。そして、そのどこにいても1日、そして家 族、仕事、こうしたとても短い時間の幸せが積み重ねられて、今の幸せな家族を作ってい ることに気がつく。

5月22日 昨日、スペインの巡礼中に出会ったハンガリー人にここ東京で再会した。とても嬉しかっ た!でも、よーく考えてみると、毎日会う仕事の仲間や友達、家族だって、本当は会えて すごく嬉しいはずだ。そんなことを考えて今日は仕事に行って来まーす!ところで昨日は

豚ざんまいの食事でした。ありがとう豚さん   。ところで、豚と言えば私は夢ブタと 暮らしています。彼についてはまた話します。Buen dia todos!

6月6日 ふだんから準備は苦手な方だけど、結婚式の準備はとっても大変だ~

式場は、全部お任せだから大丈夫だけれど、その後に行くレストランの挨拶関係、進行が まだ8割方しか終わってない!あと残すは今夜だけ!

頭フル回転でがんばります!

6月8日

結婚式という、大きな行事が、ついに終わりました!緊張もたくさんありましたが、何よ

りも、ふたつの家族がともになれたということと、お嫁さんのために歌を、それもマリ

アッチと一緒に歌えたということは、本当に何かを成し遂げた感がありました。

これからは、もっともっと、真剣勝負だなって思いました!

がんばります!

6月10日

結婚するということは自分が思っていたよりも大きなことだった。そして、昨夜、僕の両 親とオリーブの母親と5人でたくさん話す機会があって、そこでしったのは、子供に対し ての考え方の奥深さだった。まだ僕らには子供はいないけど、その命の尊さは何にも代え 難くて、自分の人生と常に共にあるものなんだな、と。

果たして、僕の夢はこれからどのように育って行くのだろうか?とにかく水と太陽は切ら さないように毎日を大切にいきていこう。

それにしても、

今日は最高の天気 ですね!

9月4日 僕の親戚の元気なおじさんは、今年81歳になります。去年僕のおばさんにあたる奥さんが 亡くなってから、早くおばさんのところに行きたいと言ってます。僕はおじさんの元気が 無くなるのが嫌です。僕は今、おじさんに何ができるだろうと考えています。走れて、唄 えて、踊れて、英語も話せて、明るいおじさんが、このまま弱っていってほしくないで す!みなさんが僕の立場だったらどんなことがしたいですか?

10月21日

人を想う気持ちには

いろいろな種類があって 愛という一つの言葉を考えてみても 百愛百色 自分の真ん中を出せる相手と出会い 時間、出会い、お金 のなかで

心の真ん中でする選択は

たくさんの人が

一緒に暮らすこの世界で

人が向かう先を決める選択

大事に真剣に考えたい

というわけで、

この、「君に読む物語」

という映画を、奥さんの友達が貸してくれました。 さっき見たばかりですが、とても感動しました。 実は、私と奥さんも、この映画のように後2ヶ月で、遠距離恋愛になります。 日本とフランスです。

だから、

すごくこの映画で感動しました。

感動して、

今住んでるアパートの、

屋上に二人で行ってしまいました。

私たちが住んでいる町

十条は、

高い建物が少なく、私たちの住む4階建てのアパートからでも周りがほとんど見渡すこと ができます。

そこで、何も考えず二人横になって空を見ました。 空の雲に町の灯りがうっすらと映り、 月も見えない夜なのに、目の前にある空は不思議な色で私たちを照らしていました。

時間

出会い

お金

どんなに心配なことがたくさんあっても、

これからも絶対うまく行くって誓いました。

11月27日 雨の日は時間が分かりにくい。日が暮れるまで時間が止まってるみたい。そんなふうに想 像してみると雨の日はとても楽しくなる

止まった時間の中でなにかができるんだから

11月29日

今日は早朝会議だからスーパー早い

いつもの埼京線も顔ぶれが全然違う

どれくらい違うかと言うと、

後ろの人のヘッドホンのおとで踊れる位!

ところで



今日は

父親の誕生日。

いつも物静かだった父親とは今まで一度だけたくさん話をしたことがある。

二人きりで北海道を車で回った。

たくさん話したけどほとんどは僕が話した

僕の母親がものすごくお喋りな理由がわかったときだった

12月10日4日間の北海道帰郷を終え,

たくさんの感動を胸に飛行機に乗った僕に,

最高のプレゼントが待っていた。

雨の北海道を飛び立った飛行機は,

その雨を降らせる厚い雲を突き抜け,

月明かりもない真っ暗な暗闇に飛び出した。

しばらくその暗闇が続いたあと,

上下に広がっていた重い雲は、

少しずつ消えていき,

一点の光が見えたかと思うと, 真っ暗な空に,自然と人工のイルミネーションが広がった。 いつもみている星と, 初めて見る星座のように広がる街の灯り,



その二つの景色が,境目のない真っ暗闇の中に, 同時に姿を現した。

飛行時間は約1時間半。 僕はずっとその景色に見とれていた。 着陸が近づくにつれ、 地上の明かりの強さに,星はどこかへ行き, その街の灯りはどんどん強さを増していった。 そして着陸の数十秒前, またすばらしい景色が待っていた。 東京のビル群から放たれる明かりは、 飛行機のスピードによって、 角度が次々と変わり,

キラキラ光っていた。 下に見えていたそのキラキラは, 着陸の寸前には, 真正面に広がっていた。 そして、

着陸。 最高の夜だった。

今日は奥さんのお母さん(えみちゃん)の10ヶ月に渡った、がん闘病生活がもうすぐ終わ るということで、

えみちゃんが東京で出会ったみんなとお疲れさま会をしました。

みんなで僕が以前働いていた、フォンダデラマドゥルガーダっていうメキシコレストラン に行って来ました!

特別ゲストで一緒に入院生活を送ったえみちゃんのお友達にもきてもらい、サプライズ大

成功

マリアッチの演奏も盛り上がって、れいちゃんが企画してくれたビンゴも楽しんで 最高でした!

参加してくれた皆さんありがとうございました

そして、今日はえみちゃんへのスペシャルプレゼントに、みんなが協力してくれて出来上 がったスターバックスのクリエイティドタンブラーの中にぎっしりみんなから集まった メッセージいりのイチョウの葉が入っているスペシャルタンブラーを送って最高に喜んで

もらえて最高の時間を過ごしました 皆さんありがとうございました

ありがとうございました これからもず~っとよろしくね



エピローグ

こうして、2005年から2007年末までの間に,オリーブとの出会い,旅,結婚、彼 女のお母さんとの共同生活があり、その後のフランスと日本の遠距離新婚生活もうまくい きました。こうして古い日記を読み返していると,自分が心の中に持っていて忘れてしま いそうになっていたたくさんのことを思い出すことができました。プレゼントしたいと 思って始めたことが,逆に自分へのプレゼントになったような気持ちです。

実はこの後僕はフランスで始めたアルゼンチンタンゴがきっかけで,オリーブとの関係が 少し変わることになります。どう変わるかは,想像にお任せしますが,この日記は,僕が そのアルゼンチンタンゴに出会う前の小さな小さな思い出たちの結晶です。

素敵な出会いに感謝

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page