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13/6/4

そしてキックボクシングジムオープン

Image by Olia Gozha

田舎が嫌で18歳で上京→税理士へ

「税理士になるために東京に行く」と親に言ったら意外とあっさり了承され引き止められることなく18歳で東京へ。選抜クラスにギリギリ入って毎日ひたすらお勉強。かと思ったら恋をする。でもその恋に破れてやっぱり結局お勉強。21歳で大手監査法人グループの税理士法人に就職。23歳で税理士合格。結婚できずとも手に職ついた。

税理士法人には7年半在籍。冬忙しく夏は比較的余裕があったので毎年東南アジアを1ヶ月くらい放浪。結果。普通4・5年でタイトルが変わるのだが万年スタッフ。遊び過ぎた模様。取り返しがつかずあきらめて転職を試みる。(知人には、長くいると専門性が求められるけど全体を把握する仕事がしたいだの、税理士は年取ってからもできるから今は別の今しかできない仕事がしたいだのと言い訳した。)

刺激的過ぎる毎日がスタート。

転職先探しの時「外資系企業の経理」を希望したのだが、英語が得意でないという致命傷があり人材紹介会社の担当も少々呆れ気味。「気分転換に面白そうなベンチャーがあるんですけど面接行ってみませんか?」と言われ行くことにする。

ガラス張りの会議室に明るい色のフローリング。おぉこれがベンチャーのオフィスかー。と思って待っているとなんだかベンチャーっぽくないオトナな男性が入って来て開口一番「税理士法人で働いてたってお前どうせなんにも出来ないんだろう」と。(うっ。。。バレてる?)この時は売り言葉に買い言葉で多分イラッとして反論したハズなのだが何故か採用。根性を買われたのかしたら。

さてそこから上場準備・初めての投資家巡り・わからないことだらけのIT業界・用語・次々生まれる新サービス・国内外問わず勢いが止まらない企業買収・提携・四半期ごとの決算・変わる会計システム・社内フロー構築・増え続ける社員・終わらない仕事・・・毎日何か問題があって意思決定をして前に進む。その繰り返し。

ネット業界は小手先で稼いでるイメージがあるかもしれないけれどそんなことはなくみんな必死で毎日「額に汗して」働いてた。今でもまだ整理が出来ていないけれども結局私のいた会社は悪い意味で世間の注目を集め、私自身もマスコミに追われ、田舎に住む両親にもマスコミが取材に行き、ネット上で殺害予告があり、自宅に帰れない日が続き、大事な仲間がいなくなった。

そんな中でも淡々と仕事をこなし、今出来る最善の方法を選択し、導き、役目を終えたと思えるまでがんばって、6年半いた会社を後にする。

キックボクシングとの出会い

その後転職した会社の社長が趣味でキックボクシングをしていて、あまりにも面白いというのでやってみることにした。学生時代も社会人になってからも一切運動していなかったのにいきなりキックボクシング。パンチやキックがミットに当たる時の『バシッ』という音が気持ちいいし、マラソンとかと違ってトレーニングしている最中は悩み事が頭を霞めることがない。『無』になれる。

強いつもりでいても、いや実際強いのだが、常に悔やみや悩みがつきまとっていて完全に忘れることができない。でもキックボクシングをしている時だけ本当にいろんなモヤモヤが消えたし、キックボクシングのトレーニングに行く日は朝から嬉しくて仕事もはかどった。こんな楽しいスポーツならもっと早く出会いたかったという気もしたが、多分、年齢や経験を重ねてきたからこそこんなにハマったんだとも思う。

そしてジムオープン

キックボクシングにハマりきって4年。40歳を過ぎた頃働いていた会社が合併することになった。合併後の組織を考えた時に管理系の役職者が規模に比して多いので自分が辞めることにした。男らしい引き際だ。女だけども。

で。退任を決めてから「次」何するかを考えた。税理士→管理系役員という20年間のキャリアはまだ他の会社でも活かせそうだった。けれども。思ってしまった。「キックボクシングジムやりたい。」と。

思ってしまったのですぐに動いた。幸い。私にキックボクシングを教えてくれていた元ボクシング日本ミドル級王者でシュートボクシングでもタイトルを獲得した史上初のプロ格闘技二冠王 鈴木悟選手が(不動産契約の前日に相談するという無茶なスピードでしたが)ジムの代表になることを引き受けてくれた。

意思決定の翌月に会社設立、その翌月に キックボクシングジム TAKE IT EASYを六本木(西麻布)にオープンした。怒濤の日々。いつか笑い話になるはずのまだ言えない失敗も数々あれど、昔の仕事仲間が駆けつけてくれてお友達を紹介してくれたりアドバイスをくれたりしたお陰でなんとかオープンから4ヶ月経過。

いろんなタイミングでいろんなターニングポイントがあって、物事も人も全て絶妙のタイミングで繋がって、自分で今に至る選択をしてきて、で、だから自分で望んだ今がある。

今までのキャリアと違う道を選択したお陰で今までの私の中の常識みたいなものが一度全て崩れて、で、また一から始められる楽しさみたいなものもできた。

大好きな岡本太郎さんが「迷ったら困難な道を選べ」 と。だから何か選択に迷ったときはいつもそうしてきた。そのお陰で私の人生はとってもエキサイティング。きっとこれからも困難な道を楽しみながら進みます。

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