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不登校ひきこもりニートがコールセンター勤めをした話

Image by Olia Gozha

高校二年生の頃、わたしは不登校になりました。一年間、保健室登校を続け、留年しないことを決め、通信制高校に転入。

不登校になった原因は、いじめ、部活での不和、父の病気発覚、勉強についていけなくなる、そんな理由です。

はっきりと、その日を覚えています。もういけないって朝泣きながら母親にいいました。

ストレスの限界だったのでしょう。もう対処の仕方がわからなくなっていたのです。

人が怖くなりました。誰とも喋れない状況になりました。

いくら手を差し伸べられても、受け入れることができなかった。自分が情けなくて、惨めで。

25歳の今なら、そんなもんなんとかなるわって思えるのですがね。人生で大きな出来事ではあるけども、そこで自分の人生が終わってしまうわけではない。

違う道なんてたくさんある。高校生で、学校の中だけの価値観しか知らなかった。

でも、その時は本当に自分の人生が終わったって感じて、つらかった。つらくてつらくて恥ずかしくて情けなくてこわくて。

「これからどうすればいいの?」と思っていた。

当たり前に、大学に行って就職してって、もう中退する時点で、レールから外れてしまったのです。

通信制高校に通いだした時、授業は少なく、周りの子はみんなバイトをしていたので、

バイトを始めようと思いました。

その時のわたしの状態は、応募時に電話しようとした際、

電話をかける前に緊張して、泣いてしまうほど。大泣きです。

メモに聞かねばならないことを書いてから、何度か練習して、かける。

バイトをするのもこわい、電話をかけるのもこわい。でもそんなのでどうやって生きていける?ここから電話への苦手意識が強くなりました。もちろん働くことへの意識も。

地元が嫌いということもあり、

進学のため上京。上京時、毎日通学できなくなってしまい、ここで初めて精神科へ。

社会不安障害、対人恐怖症という診断が下りました。

あーそうだったんだ。って。やっぱりそうだったんだ、って安堵しましたね。

でも生きてく上でできないことが多すぎると思いました。

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