マジか。
オカン(お母様)が
職場近所の開業医
いわゆる個人病院の
院長せんせと知り合いで、
知り合いと言うか
同じ区で
挨拶したり、
「今度の区の行事が~…」
とかで話す感じで
その職場の区の行事って和気あいあいでさ。
みんな仲間的な。
そこで
「ウチの娘が看護婦になりたくてね~」
って言ったらしい。
「ま、バカだから無理だけど。」
なんて何気に話したら
ふーん…。って聞いてた院長せんせが、
「将来ウチの病院で働くんなら
学校世話してやる。」
…え。
…え、マジで?
ってなもんだわね。
…え、本当に?
…本気で?
それで本気で本気にしちゃった親子。
「私、看護婦になりますー!!!」
って一つ返事?二つ返事?
いやいや、数えないで
即返事。
これがまさに、
人生の転機。
看護学校の理事長と
個人病院の理事長が
〇〇大学の医学部の同期らしく、
まぁ行くと決まったら
『推薦枠』
この私が、
す、
す、
推薦ー!?
これ大きな声では言えませんが
『〇〇入学』
ってやつじゃね?
ふっ、
ふっ、
ふふふふふ。
笑いが止まらん。
そんで推薦なんて枠が決まったら
学校で校長せんせから校内放送。
「3年8組の○○さん、
校長室まで来て下さい。」
あぁ…
何回目かの校長室。
あ、あの時は
親も一緒だったな(←笑)
「推薦なんて本気か?」
本気に決まってるやんけ。
「看護学校なんて行けるんか。」
行くんじゃい、ボケ!
後はまったく…右から左への世界。
へいへい。
んじゃ、失礼しやした。
でも、ちゃんと試験したの。
『面接と論文』
試験に行く電車の中で、
『論文の構成』
って本読んでた。
今さら?
論文何書いたか覚えてないけどね。
面接で、
「後天性免疫不全症候群とは?」
って聞かれて、
「は?」
って言ったのは覚えてる。
後の、教務主任のババア…
もとい。
先生にです。
こんな私にも春が来て
『合格』
どんなもんだい!
後天性なんとか…
ま、それ習う為の看護学校だしね。
人間性が良かったんだろう…
私の。(←前向き)
そして、本当の春。
地元からバイバイして
看護学校の寮に入ったのだ。