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17/1/17

奇跡は自分で起こす!18歳で致死率99.9%の脳出血から奇跡的に生還。在学中に高学歴男子集団でビジネスに目覚めた秘訣。

Image by Olia Gozha

あれ・・・?

これって夢だよね?

それにしても、この夢長くない?

今までこんなに長い夢あったっけ?

何だか現実のようだな・・・でも夢か。スースー



2009年の4月、総合病院の病室にいた私は、

あの世から無事に生還したが、

脳がやられて現実なのか夢なのか、よくわからない状態になっていた。



~致死率99.9%の大病~

高校3年生 卒業目前の3月に受験のストレスで、

ある日突然、致死率99.9%の脳室内出血を起こした。


その時は母が奇跡的に帰宅し、

ベッド上で寝ながら嘔吐していた私を発見。


母は「重度のインフルかな?」と思ったそうだが、

あまりにもぐったりしていて病院には連れていけないと思ったらしく

救急車を呼んだ。


しかしインフルのはずなのに、娘の状態がおかしい!!!


どんどん意識レベルが低下していている。


そして救急車の中で

・意識不明の重体

・瞳孔反応なし

・呼吸困難

という瀕死状態になったそうだ。





総合病院に到着して、検査した結果、

脳”室内”出血といって、脳の中心部分で出血しているとのこと。


・出血時の検査写真



脳室は”脳の幹”と書いて「脳幹」という人間の身体でも

1番重要な部分のすぐ上にあるところだ。


テレビでたまに

「芸能人がくも膜下出血で・・・」というニュースを見るが

くも膜下というのは脳の外側で、致死率は50%らしい。


それに対して私は脳の中心で出血してしまったのだ!


一般的に脳幹や脳室で出血した場合、

たった4~5時間で息を引き取るそうだ。



「娘が脳室内出血したんだけど、後遺症とかって大丈夫なの?」

知り合いのベテラン看護師「ん~そもそも脳室内出血して生きてる人を見たことないから、わからない」


私の状態は

ICU(集中治療室)で10年働く看護師も見たことがないほど

奇跡的な生還だった。


そして脳出血の原因は、日本人の5~10万人の確率で

先天的に存在するAVM(脳動静脈奇形)であった。


緊急手術して何とか一命を取り留めたが脳出血後、

約1か月間のことは今でも何も覚えておらず、


周囲の人曰く「自分の状況をわかっていない様子」だったとのこと。



↓集中治療室(ICU)にいた時の写真

頭部に穴を開けて管を通し、血を抜いている光景




↓数回手術したあとの写真

脳内の血は除去され、管を外した。



↓脳から抜いた血液(ずい液なども混ざっている)



こんな大病をしたらほとんどの人は

「自分は不幸だ。

なんで自分だけこんな目にあわないといけないの?」

嘆くだろう。


でもそうやって自ら悲しい思考になって、何か好転するだろうか?

決してしないと思う。


私は「脳出血して不幸」ではなく

「致死率99.9%の脳室内出血したのに、

生きてるなんて奇跡!強運!ツイてる!」と

喜んでいた。


このように同じ出来事でも、

”自分の解釈”次第で幸か不幸か?が決まる。


自分が幸せなのか?不幸なのか?を決めるのは

すべて自分次第なのだ。


だから私は出来るだけ、物事のプラスの面を見るように心がけている。


それだけで人生が幸せになっていくから。


また一命をとりとめた後も

・歩行困難(車いす生活)

・重度の記憶障害(高次脳機能障害の一種)

・外斜視(黒目が正面を向かず、外側に離れている状態)

など、数々の後遺症が待ち構えていた。



↓脳出血後、約4か月は外斜視になっていた

(眼科医には治らないと言われたが、自然と治った。

医者をはじめ周りの人が「治らない」という嘘は信じないほうが吉)


最終的には緊急入院した総合病院で

脳を4回も手術した。


脳出血して1か月後には水頭症(すいとうしょう)という後遺症になり

脳内に器具を入れた関係で

激しい頭痛とおう吐を繰り返した。


そんな後遺症にも負けず、

嫌いな理学療法士のリハビリにもめげず


「自分は絶対に治る!」

という強いマインドでリハビリを続けた結果、

アノ大病からたったの2か月半で総合病院を退院できた。



たしかに致死率99.9%の脳室内出血をしたのに

生きていたのは、奇跡だ。

だが、ここまで短期間で回復できたのは


・「絶対に治る!」という強いマインド

・「自分はツイてる!」と前向きにとらえる生き方


上記2点のおかげだと思う。



しかしまだまだ知能・運動機能ともに回復しておらず、

リハビリ専門の病院へ入院することに。


主治医には

「入院期間は3か月。

今の状態で9月から大学に通うことは無理」と言われる。

(大学入学1か月前に脳出血したため、

1年前期はいきなり休学していた)



でも

「入院生活はつまらないから嫌!せっかく大学に合格できたのに、

9月から通えなかったら留年確定!そんなの絶対に無理!」

と強烈なネガティブパワーが生まれる。



そのパワーを活かしてリハビリした結果、

入院予定3か月だったリハビリ専門の病院をたった1か月半で退院。



なんとか大学1年の9月から日本大学に通うことが出来た。



「周りの人がいうネガティブなことは信じない!

前向きな自分だけを信じる」というのは私のモットーの一つである。


だって結果的には、前向きな自分の”勘違い”が現実化するのだから。



~大学2年の冬

高学歴男子学生にもまれながら、ビジネスに目覚める~


やっと大学の講義にも慣れ、

体力が回復してきた大学2年の2月からアルバイトをすることにした。



その時、「インターンシップ」といって、

学生が企業でビジネスを経験できる制度を運良く知った。



そしてインターンをしながら、

同じ会社で事務バイトもできる都内のベンチャー企業で働くことに。



正直、そのベンチャー企業を選んだ理由は

「レベル高い人が多そうで、成長できる可能性ある~♪」

と軽く考えていた。



しかし・・・

初めてのインターン生同士の自己紹介で、

自分は”間違った場所に足を踏み入れてしまった”ことに気がつく。



~自己紹介のシーン~

先輩らしきインターン生Aさん「”東京大学”法学部4年です」

隣に座ってるBくん「”慶應義塾大学”商学部2年です」

同時期入社のCくん「”早稲田大学”政治経済学部2年です」


私「に・に・にほ・・・日本大学商学部2年です」

(実際は平然を装って「日本大学です」とサラッと自己紹介したが、

内心、こんなとまどう気持ちであった)



そう、お気づきのように、インターンの環境は

超高学歴な ”日本最高頭脳集団” であった。



しかも、私以外は全員男!



つまり超高学歴男子学生集団の中に、

”日本大学の凡人女子”

が紛れ込んでしまったのだ!


正直、「来る場所、間違えちゃった・・・」と思った。


学歴の差に衝撃を受けるも、なんとか平然を装って過ごそうとしていた。



ところがやはり日大(しかも大病により大学1年前期は休学)と東大早慶の知識量は雲泥の差。


インターン会議に出席しても、周りが話してる言葉の意味がわからない。



~インターン会議の様子~

Aさん「今週のKPIは・・・」

(私「KPIって何?」ノートにメモメモ)


B君「このSEO対策は・・・」

(私「SEOって何?」ノートにメモメモ)


といった具合に、彼らが話している言葉の意味が全然わからない!


とりあえず私にとっての会議は完全に傍観者の立場で

知らない用語をノートにメモし、帰宅後に調べるようにしていた。


高学歴インターン生は話している意味がわからないし、

ずっと公立育ちの私とは違って、


名門校育ち(中には高校生クイズでも有名な開成高校の人も)が多かったから、

彼らのことは”宇宙人”だと思うことにした。



だって宇宙人だと思えば、彼らと自分の能力が違いすぎても

自分のセルフイメージを下げずに済むから。



「自分はダメだ」と思うことが1番ダメな思考で、

その思考だからダメになるのである。



でも、高学歴の人たちから見た私は

「何も理解できてない”いかにも日大のバカな奴”」に

映ったのだろう。


一部のインターン生からは白い目で見られ、

実際にそのような発言や態度があった。



例えば、

東大院生(”経済”学部)「”商学”部って、勉強しているの?」

私「マーケティングとか」

東大院生「マーケティングって何?」

私「えーっと・・・」



具体的にこたえられない私を

白い目で見る東大院生と隣りにいた慶応ボーイ


慶應ボーイ「まあ、俺も商学部だけどねwww」と馬鹿にしてきた。


経済学部の東大院生は「商学部は何を勉強しているのか?」ではなく

「”日本大学レベル”は何を勉強しているのか?」を聞きたかったのだと思う。



要するにイヤミだ。



さすがこういう状態が続くと

「もう皆についていけないし、辛い・・・。インターンやめようかな」

と逃げ出したくなった。



でも、よく考えてみたら、ここで逃げたら

彼らに「日大のバカ逃げたんだwww」と笑われるに違いない!

そんなの絶対に嫌だ!見返してやる!!!


と思考を変えてみた。



とりあえず自分の自信を取り戻すべく、

彼らを心の中で馬鹿にしてみた(笑)



「東京大学って規模小さすぎるw私なんて日本大学だしw

東京は日本の1/47しかないじゃんw」※もはや意味不明


「慶応ボーイってバイトしてないくせに高級住宅街で一人暮らしなんて、世間知らずw」※ただのヒガミ



要するに自分が勝てそうなことを無理やり探した(笑



でも「自分はダメ」と思うのではなく、

こうやって無理やりでも自分を大切に取り扱うことって大切。



だってそういう思考(マインド)があとあと、すべてを左右するから。



脳出血の時と同じく、周りの人がいう「ネガティブなこと」は何も信じなかった。



それにこういう場面で

「高学歴の人たちは性格が悪い」と非難することは簡単だ。



しかし、非難したところで何も変わらない。

人のせいにしていても何も変わらないのだ。

すべては自分の責任だと考えないと、何も成長しない。



結局、バカにされるのは自分に原因がある。

自分が出来ないから、バカにされている。



だから馬鹿にされないように

自分が出来るようになればいいだけの話である。



そして「どうすれば高学歴男子学生に認められるか?」を考えた。



~天才宇宙人集団の中で”凡人の逆襲”~

そこでまずは1番の差であるビジネスの知識量を

埋めるために、ビジネス書を大量に読むようになった。


次に「ビジネスに詳しい人ばかりの環境」で、

”どのようにすれば自分を役立たせられるか?”を考えてみた。


その結果、皆ビジネス面では点数に置き換えると平均90点だから、

日大の私が力を入れる場ではないと考えた。



<組織内で自分の価値を見出す大切さ>

そこで気がついたのは、いくらインテリな人間とは言え、

男性だけあって、部屋の掃除やメールのやりとりなど、

細かいことが出来ていないことに気がついた。


だから私は”皆がやらないこと”をやったのだ。

そうしたら周囲の見る目も変化してきた気がした。



どんな組織でも自分の価値を見出して、貢献することって大切だと思う。



また、インターン制度を活用し、

新サービスの立ち上げにもチャレンジした。



その新サービスのアイデアをひらめいたのは、

インターンと並行して行っていたバイトでの事業である。



入社当初は天才たちに「なんで最初はバイト中心で

インターンは本腰じゃないの?」と言われていたが、



そんな凡人の気持ちがわからない天才の意見は気にせず、

自分の考えを大切にして本当に良かった。


※最初は本腰でなかった理由は、体力の問題や休学分の単位取得、

ビジネスの知識の少なさなどが要因



しかも新サービスを始めたのは、

入社してから3か月も経っていない頃である。

私は天才たちに追いつくために、猛スピードで努力していたのだ。




~今につながるビジネスの経験~

そして試行錯誤の末、

入社後わずか半年で新サービスを立ち上げることが出来た。



そのサービスは既存事業から派生したもので、

初月から売り上げられた。



またこのインターンの経験を活かして、ほぼ同時期に

自宅でビジネス英語レベルの母と英語のサービスを立ち上げ、

3年後に年商1000万円レベルに成長した。

(現在は母が主導で運営中)



そして新サービスと同時期に、

思いもよらない事件が起きた!



それは当時インターンリーダーをしていた一橋大学の人が、

急に姿を消したのだ。



「ここのインターンは超高学歴ばかりだから、

次のリーダーは

東工大の院生Fさんか慶應の院生Oさんになるのだろうなあ」

と予想していた。




ところが、なんとインターンを管理していた女性から

「香織さん、リーダーやってくれる?」と言われたのだ!


えっ?!超高学歴×男子学生集団の中で、

私のような日本大学×女子がリーダーやっていいの?


と思いつつも、東工大や慶應のエリート大学院生がいる中で

自分がリーダーになれるなんて気分爽快すぎるので

喜んでリーダーを努めた。



つまり入社時には”底辺”にいた日大の凡人が

高学歴エリート集団でリーダーになり

頂点”へ上り詰めてしまったのだ!



しかも私のことを馬鹿にしていた

宇宙人代表の東大院生と慶応ボーイは

いつの間にかいなくなっていた。



リーダーになってからはインターン会議の進行も務め、

「このSEOは~」「私が立ち上げたサービスのKPIは~」と

話している自分がいた。



そう、入社時には”意味不明”だと感じていたビジネス用語を

使えるようになっていたのだ。



天才に馬鹿にされても諦めず、

自分に希望をもって行動した結果、

想像もしなかった奇跡が起こったのだ。



これは「医者に無理」だと言われても信じず

前向きにリハビリに取り組んだ結果、

数々の後遺症を乗り越えた脳出血のときと、

本質的には同じである。



それに何事も”良いか悪いか”を決めるのは自分次第である。


だから私は”脳出血して不幸だ”なんて思ったことがない。


大変だった出来事も、どこかで何かにつながっているからだ。


具体的にはもしあの時、脳出血していなければ

私は元気に大学1年の4月から一般的なバイトしていただろう。


でもあの時、脳出血したからこそ

体力がなくてすぐにバイトできず、

体力が回復した大学2年の2月からバイトすることになった。


そしてそのバイト兼インターンが

人生最大の経験になったのだ。


つまり今を最大限に生きていると

どこかで点と点がつながるのである。



~大学卒業後~

体力を考慮して工夫した講義スケジュールを組んだ結果、

推定「5人に1人以上が留年or退学」している日本大学商学部を

なんとか無事に3年半で卒業できた。


大学卒業後は諸事情により、医療事務として勤務したが

私にはまったく向いていない仕事なので、たった1年で退職したのだ。



23歳という若さではあったが、

独立することを決めて、サイトアフィリエイトを始めた。



学生時代のビジネス立ち上げ経験があったおかげで

独立することはこわくなかった。



アフィリエイトは

サイト作成やSEOなどのスキルをつけるのは大変だが、

スキルがつくからこそ自分の力が培われる。



そして約2年後の2016年11月には株式会社を設立して

代表取締役社長になり、

今は毎日自由で楽しい人生を送っている。



しかも気がつけば、

高学歴なインターンOBOGが働く

世界的にも有名な超一流企業の同年代の収入を越していた!

(毎日、深夜まで働き、実力主義の過酷な環境)



要するに凡人でもやれば出来る!

すべてはやるか?やらないか?

自分の行動次第である。



とにかく自分を大切に取り扱い、

前向きに生きることで奇跡は起きるのだ。



これをご覧いただいた人が

今よりもっと自分を大切に、前向きに生きられるように

なれたら幸いです^^


※2022年現在、アフィリエイトで稼ぐことは困難なため、私はネット物販を行っています。


脳出血の全貌を公開したブログは

>>こちらから<<


最後までご覧いただき、ありがとうございました♪



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