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16/10/29

勇者(ヒーロー)にあこがれて 第1章 第1節

Image by Olia Gozha

 たたかいってなに?

たたかうことは乱暴なことだと思っていた。

幼稚園に通っていた、小さいころからだ。

でも乱暴だとか思う一方で、「たたかうこと」「たたかうもの」へのあこがれの思いはひそかに自分の中で芽生えてきていたようにも思う。

子どもの頃にあこがれたものといえば、やっぱりウルトラマンとかゴジラ。いわゆる怪獣もの。

ソフトビニールの人形もカゴいっぱいに持っていたし、本とか図鑑みたいなものもいっぱい持っていた。

おもちゃ付お菓子、今でいういわゆる食玩も、ほとんどがウルトラマンとかゴジラに関係するものばかり。

幼稚園でも、ウルトラマンやゴジラが好きで、僕なんかよりもはるかに詳しくておもちゃもたくさん持っていた友達がいて、その子とよく遊んでいたし、その子のお母さんにもよくしてもらった。

もちろん、ビデオもいっぱい見ていたし、イラストがプリントされたトレーナーやTシャツも着ていた。

今では当たり前になった動画配信とか、もちろんインターネットなんてない時代。

当時は衛星放送が有料で見ることができたので、ウルトラマンシリーズも、ちょうど夕方ごろ、子どもたちが幼稚園や学校から帰ってきてテレビを見る時間帯に放送していたので、しっかりビデオ録画しながらもリアルタイムでテレビにくぎ付けになっていた。

それ以外だと、仮面ライダー。

今でこそ、平成仮面ライダーなんて呼ばれてシリーズ化され、若手の将来有望な俳優や女優の、いわばブレイクのための登竜門みたいな位置づけになっているみたいだけど、僕はもう、バリバリの昭和ライダー派。

当時好きだったのは、やはり仮面ライダーBLACK RX。

南光太郎が本当にカッコよくて、子ども心に憧れた。

敵役だったクライシス帝国の怪人も、子ども心に怖かった記憶がある。


アニメーションだと、やっぱりロボットもの。

ガンダムだったら、僕の子供の頃は小さく二頭身になったSDガンダム。

幼稚園でもブームだったし、ガシャポンとかも買ってもらった。

あとは、勇者ロボシリーズ。

ロボットアニメではじめて惹かれたのって、多分これだったと思う。

トランスフォーマーとかも流行っていたかな。


僕が子どもの頃にあこがれた「たたかうもの」っていったら、これくらい。

でも、こういうものって、ほとんどが実在しない、虚構の存在ばかり。


「格闘技」のにおいがするものってひとつもない(笑)。


この頃に格闘技らしいものの印象って、本当に限られてくるように思う。

覚えているだけでも、柔道の田村亮子(現:谷亮子)選手。つまり、「ヤワラちゃん」ですね。

当時はまだ小学生でちょんまげみたいな髪型と、すごい女の子だっていう印象しかなかった。

柔道も、相手を投げるとか、骨折させるとか脱臼するなんていう話も聞いたことがあった。

骨折とか脱臼というのが痛いものだということは幼稚園でなんとなく知っていた。怪我をして、ギブスなんかをはめたり、腕を吊って幼稚園に来ていた友達がいたからだ。

そんな痛い思いをさせるなんて野蛮だな、投げるよりパンチとかキックをした方がいいじゃないかと子ども心に思っていたので、「ヤワラちゃん」にも柔道にも、それくらいの印象しか持たなかった。

あとは、ボクシングの辰吉丈一郎選手。

ちょうどあの頃が全盛期だったのかな。でも、まゆげは細いし、前髪は立っているし、四角くて変な髪型だったなという印象しかなかったし、当時母親からも「ボクシングはこわいものだよ」みたいな話を聞いていたので、あまりいい印象はなかったというのが本音だ。

プロレスだったら、やっぱり新日本プロレス。

一度じいちゃんの家で見たテレビ中継で、胴着か何か、白い服を着た男の人が、目元のあたりから血を出しながらマイクを使って「俺は死んでないぞ!!」みたいなことを叫んでいた記憶がある。

当時、新日本で抗争をしていた、越中詩郎選手率いる平成維震軍の斎藤彰俊選手かだれかだったことを、大人になってから見たプロレスのネット動画で知った。


当時の格闘技っぽいものへの印象は、だいたいこんな感じ。

うちの両親も、どちらかといえば優しい性格だったので格闘技とかとはそこまで縁のない家系だったともいえる。

ただ父親は小さいころに叔父さんと一緒にプロレスをテレビでちらっと見て、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディ、アンドレ・ザ・ジャイアントが好きだったと言っていた。

母親は、母方の家系、特にじいちゃんと叔父さんが相撲やプロレスが好きだった。

じいちゃんは穏やかなジャイアント馬場さんの全日本プロレス、叔父さんは正統派のストロングスタイル、アントニオ猪木さんの新日本プロレスが好きだったらしい。

特に叔父さんのプロレス好きは本物だったようで、5㎏の鉄アレイも部屋に置いてあったし、プロレス専門雑誌「週刊プロレス」も創刊号からずっと買い集めて、段ボール箱に詰めて保管してきたらしい。

たまに叔父さんの部屋へ行くとゲームセンターのUFOキャッチャーで取った、グレートムタとかのプロレスラーの人形なんかが置いてあった。

おばあちゃんも、そんな叔父さんのことを知ってか、編み物で覆面レスラーのマスクを作ってあげていたらしい。


幼少期の僕の中での、格闘技の印象って本当にそんな程度のものだった。


そもそも争いごと自体が好きではなく、先の取り合いになっても人に譲ってしまうような性格だったので、「たたかう」こと自体が好きではあったけれど、争ったりすることは好きではなかったのだ。

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