16/10/14
ウツで10代のうちに人生を壊され、道路に寝そべり、線路に寝そべり、もう二度と夢を見ないと決意したウツ男が、あることを意識するだけで 「180度変わった」と言われるまで成長したハイジャンプストーリー part2 ~嘘つき自分を演じたバツ~

高校で僕はどんな少年だったかと言うと
一言で言えばバスケ一筋でした。
I LOVE バスケ♡
でした。
進学校だったにも関わらず
バスケ一筋でした。
もともと勉強が得意ではなく
というか大嫌いで、
ただ家から近いという理由で
そこそこ有名な進学校を進む道を選びました。
しかも、中学で前回語った体験をしてるので
勉強する時間はなかったんですが
なんとか勉強して受かることができました。
本当にこの時は
人生でこれほどまでに勉強することはないと思うほどがんばり、
でも本当に何のための勉強か分からなかったので
苦しかったです。
人生でこの『X×Y』や『いい国作ろう鎌倉幕府』が
いったいなんの役に立つのか分かりませんでした。
本当に苦しかったですが、
この時期は小田和正さんの曲に救われました。
別に行きたくはなかった高校に合格をし
もちろんバスケ部に入部して
1年生でスタメンに選ばれてました。
夏休みの強制ではない補習は
やっぱり進学校なので学年全員出席してたみたいですが、
僕だけ出席せず体育館でバスケをしてました。
「強制ではないのになんで補習受けなきゃいけないの?」と
思っていました。
全国模試の前日も勉強せず先輩と遊んでいました。
試合が近くなると教室にボールを持ち込み
授業中や放課にダムダムしていました。
それぐらい本当にバスケが大好きで
バスケがすべてでした。
僕にはバスケしかありませんでした。
バスケに対して思いが強すぎて
部活のみんなと意見が食い違うこともよくありました。
進学校だから部活よりも
勉強に力を入れるのは当たり前です。
僕は浮いてたんです。
高校2年生の夏、
夏休みだけ行われるバスケのリーグがありました。
みんなで相当力を入れ、
今までで一番いい成績を収めることができました。
個人的にもかなりいい結果を残すことができました。
僕が
「おかしいな」と思い始めたのは
夏休みもリーグも終わったころからでした。
最初は完全燃焼したからその反動かなと思っていました。
でも、日に日に自分の身体が
自分の身体じゃないような感覚に陥りました。
いつもより疲れやすく、寝ても身体がしんどく、
気分の落ち込みが続き、
今まで味わったことのない自分がいました。
「おかしい・・・」
でも誰にも言えない。
気付かれたくない。
だから、がんばるしかない。
そう自分を誤魔化していました。
どれだけ辛くても
嘘の自分を演じることをしていました。
それがいけませんでした。
ついに学校に行くことすらできなくなり
身体も心もまったく機能せず、
動くことすらできませんでした。
そのとき頭によぎったのが
「ウツかもしれない」
でした。
認めるべきなのか。
認めてはだめなのか。
認めた方が楽になるのか。
自分の中で葛藤が始まりました。
翌日も学校に行くことができず、
でも部活だけは行きたいと思い、
部活だけ行くことにしました。
部活に行くと同じクラスの友達は笑いながら受け入れてくれましたが、
隣のコートで女子バスケの監督をしている先生に呼び出されました。
この先生は、1年生のときの担任なので
僕のことをよく知っています。
「学校に来ないとだめだよ」
と注意をされました。
そりゃそうですよね。
授業休んで部活だけは来ていいなんて認められるわけはありません。
でも、僕は
「うるさいな」と思いながら次の日も学校に行けなかったので
先生の忠告を無視して
授業は受けず部活だけ行きました。
そしたら、また先生に呼び出され
「一体なに考えてるんだ。学校に来なさい」
ときつく言われ、僕はカッチーンとキレました。
「俺の気持ちが分かるわけねえだろ!」
と、頭に来たので
診断書があれば先生も何も言わないだろうと思い
次の日に病院に行く決意をしました。
ただ、親には何も言ってませんでした。
なぜなら僕は、親が大嫌いだったからです。
でも、もう限界を感じたので
親に頼るしかありませんでした。
1人で病院に行くこともできません。
その日の夜、今までの自分を振り返って
いろいろ我慢してきたこと、
辛かったこと、苦しかったことが
全部湧き出してきて、
僕はお母さんの前で生まれて初めて、
「つらい」
と崩れながら大泣きをしました。
そこから僕のウツとの闘いが始まりました。
つづく。