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思いでのバスに乗って:「閻魔ばさま」

Image by Olia Gozha

しばらく前から、日本語教室の生徒の一人と一緒に、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読している。

生涯でたった一度だけ、道端の蜘蛛を踏みつけようとした殺生を思いとどまった極悪人「カンダタ」が、地獄で苦しみあえいでいる。それを見たお釈迦様が、蜘蛛を助けたことをふと思い出し、地獄から引き上げようと、一筋の蜘蛛の糸を極楽からカンダタの前に垂らす。
       
カンダタは、その蜘蛛の糸にすがって血の池を這い上がり、上へ上へと上って行く。つと、下を見下ろすと、自分の後に大勢の極悪人どもが必死に蜘蛛の糸をつたって上ってくるのが見える。カンダタはこれを見て、己一人でも切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸、なんとかしないことには、自分もろとも糸は切れて、再び地獄へ舞い戻ってしまおう、
       
思わず「この蜘蛛の糸は俺のものだ、お前たち、下りろ下りろ。」と、喚いた。その瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの上からプツリと切れて、まっ逆さま、もろともに地獄へと落ちて行く。
       
お釈迦様のせっかくの慈悲も、自分だけ助かろうとするカンダタの浅ましさに、愛想をつかしたわけである。

仏教で言う「地獄」を、英語で「hell」と訳してしまうのは、少し違うように思う。生徒と読みながら、子供の頃の「地獄」への恐怖を思い出していた。

日本の夏の風物詩は、この時期では日本のどこでも催されるであろう、宵の宮祭である。故郷弘前では宵宮、「ヨミヤ」と呼んだ。
       
子供の頃の夏休みには、暑い時には裏の畑の向こうにある浅い小川で泳いだものだ。少し歩いたところが丁度寺町の裏手に当たり、夕暮れ時には肝試しと言って2人くらいずつ、墓所まで行って帰ってくるのも涼しくなる遊びのひとつだった。

夕食を終えた後は、たんぼを渡り小川のあたりで、「ほ、ほ、ほーたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」 と歌いながらのいにしえの優雅な遊びも知っていた。
  
子供なりの智恵を使って、自然の中で遊びを見つけていたが、夏のヨミヤはそれとは別に、大人びた世界を垣間見るような興奮を感じたものである。

夏の日は長く、ヨミヤのある日は外がまだ明るいうちから、遠くに祭囃子が聞こえた。子供が夜出歩くなどしない時代だったが、この日は別である。祖母や母と一緒に行った記憶はない。祖母は、桜まつりには蕎麦の屋台を引いたり、夏には氷水を売ったりしていたから、恐らく家族はそれぞれ、ヨミヤでの出店に追われていたのであろう。
       
二つ下の妹とユカタに赤い三尺を締めて、既に日が落ちて暗くなった新町の道を妹と手をつないで誓願寺の夜宮へよく行った。すると、薄暗闇の向こうから、わたし達を呼び寄せるかのように、
「♪か~すりの女とせ~びろの男~♪」と、三橋美智也が聞こえてくるのである。
       
田舎の夏休み中のおやつといえば、裏の畑からもぎとったキューリを縦半分に切り、真ん中を溝を作るようにくりぬいて、そこにすこし味噌を入れたのや、塩だけをつけたおにぎりである。おやつ代などもらえることはなかったが、夜宮の日にはわずかばかりだが、出店があるのでもらえるのだ。

金魚すくい、輪投げ、水ヨーヨー、線香花火、水あめ、かき氷。これら全部は買えないが、わたしたちが特に好きだったものに「はっかパイプ」があった。屋台にぶらさがっている動物や人の顔など、いろいろな作りのはっかパイプの中から好きなものを選び、首からぶら下げてはっかをスースー吸うのである。

その出店が並ぶ境内へ行くまでに、どうしても避けて通ることができない、寺門をくぐってすぐ左の格子戸がある一隅があった。そこには、閻魔(えんま)大王と閻魔ばさま(ばさま=おばあさん)がどっしりと
腰を据え、入ってくる人事を見据えているのである。
       
閻魔大王はまだしも、クワッと赤い口を開き、着物を片肌脱ぎ、立膝でこちらを睨む閻魔ばさまの像には、恐ろしいものがあった。怖い怖いと思いながらも、ついつい見てしまい、閻魔ばさまと目が合っては、
ブルッと体が振るえ、下を見ながらそそくさとそこを去るのである。
       
註:閻魔ばさま=奪衣婆(だつえば)三途の川のほとりで、亡者の衣服を奪い取るといわれる。
奪い取られた衣服は、そこにある衣領樹(えりょうじゅ)と言う木の枝に引っ掛けられ、その枝の垂れ下がり具合で生前に犯した罪の重さがわかると言われる。

ここにはもうひとつ、恐れながらもついつい目が行ってしまうものがあった。地獄絵図である。恐らくこの時期に寺のお蔵から出されて衆人に見せられるのであろう。
       
「嘘をついたら舌を抜かれる」「悪事をなせば針の山、血の海が三途の川の向こうで待ち構えている」
阿鼻叫喚の地獄絵巻は幼いわたしにとって、何よりの無言の教えであった。
       
古今東西の宗教が多かれ少なかれ、わたしたちにある程度の怖さをもって説教するのは、人間は、こうしてはいけないと分かっていながら、つい悪行に走ってしまう、なかなかに食えないものだと分かっているからだろう。

嘘をついたことがないとは決して言えないが、人様に迷惑をかけながらも、あまり意地悪い気持を持たずして、(意地悪いのは大きな悪のひとつだとわたしは思うから)、今日まで自分が生きて来れたのは、どこかに幼い頃に見聞きした地獄絵図が刷り込まれていることが関係しているのかも知れない。

知識を振りかざし、堂々たる自信を持って生きているように見える現代人は、もしかしたら、いざと言うときに、随分危ういものを抱えているのではないだろうか。久しく、「蜘蛛の糸」を読んで思ったことである。

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