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13/5/2

父はしつけに厳しい人だった

Image by Olia Gozha

わたしの父は厳しい人だった。

東北福島出身の父は、大変マジメでまっすぐで意固地で
子供と動物が大好きなんだけど、ヒゲもじゃの顔が怖い、そういう人。



小学生の頃、靴を脱いだら揃えるように、と教えられる。


忘れてしまうと、玄関の外に靴がほうり出されている。

白ごはんを残す事も許されなかった。
食べきれず味気ない白ごはんは、いまや冷えきってしまった。
あぁ、目を盗んで炊飯器に戻してしまいたい・・・一瞬の機会を伺う食卓。


箸の上げ下げから食べ方のルール、お礼の仕方、そして本と雑学を
父からはふんだんに与えてもらったと思う。


小学校から高校卒業まで当然、門限あり外泊禁止。
小学生の頃、犬と遊んで門限破り、うす暗い座敷で正座1時間。
高校3年が終わる頃、他人の家でうたた寝して24時を回り、1週間の外出禁止。


私「○○ちゃん家に泊まっていい?」
父「・・・・・・・・・・・・(長い沈黙)・・・あ?」
私「・・・・いえ、なんでもないです」
伺うのが恐怖すぎて、家の中の内線電話で交渉するも一言で玉砕。

平手打ちはなかったけど、握りこぶしのげんこつは
時々あたまのてっぺんに落ちてきた。ゴッ。


しかし、大学生になって家を出て、私がやがて社会人になると
父はうって変わって、行動に何も関与しなくなった。

29歳になった私が
「世界一周する!会社辞める!」と宣言すると


「社会に迷惑をかけなければいい。おまえは好きに生きろ」

父はぽつりと言った。

横に居た母は心配して泣かんばかりにヒステリックに反対していた。


どうやら、父の中では
義務教育および大学卒業までが親のしつけ範疇、と決めていたようす。

自分のルールを崩さず、ポリシーを貫く父の寡黙な頑迷さには叶わない。



高校生の頃の私は、友達たちの週末夜遊びの話を聞くたびに
参加できなかった疎外感と悔しさで歯ぎしりぎりぎりしていた。

しかし、厳しい門限ルールのおかげで、私は
いくつかの馬鹿な若気の至りをやらかすこともなく高校時代をやり過ごした。
今考えると、厳しくすることは間違ってないと同意できる。

今も昔も変わらず、青少年を外に放り出したらろくなことしない。


ねぇパパ。

パパの教育ルールは間違ってなかったみたいよ。ありがとう。

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