外国にも行かず、英語を身に付けることは誰だって出来る。
僕は、こう信じて疑わない。
なぜなら、僕自身がその経験をしたからである。
中学生から高校生までの僕は、まごうことなきクズ学生であった。
中学時代は引きこもり、家庭内暴力と自傷行為を繰り返した。
高校生になっても引きこもりが治ったぐらいで、腐った人間性はちっとも変わらず。
相変わらず全く勉強せず、ただボケーッと時間が過ぎるのを待つ無気力な学生だった。
ほとんどの教科がチンプンカンプンで、授業は基本的にお絵かきの時間。
お蔭で絵の能力だけは飛躍的に向上したものだ。
高校三年生の進路相談。
「大学行きたいです」と言った僕に、呆れ顔の担任はこう言った。
「あのなぁタケよ…。まず留年せずに高校を卒業することから考えろ」
ごもっともな意見だ。
数学や物理など、苦手な科目は基本的に0点。
まともに勉強したのは数年前という惨状であった。
僕が留年せずに卒業出来たのは、担任の温情と、元トップ営業のオヤジの交渉術のお蔭に違いない。
今度オヤジに会う時は、当時の交渉術について話を聞いてみようと思う。
さて、そんな状態だった僕は当然、現役時はどこも受からなかった。
浪人時には多少勉強するようになったが、元の学力があまりに低すぎた為、どの大学も受からない。
聞いたこともないような大学にすら受からなかった。
たしかどこかの大学の夜間にも落ちたと思う。
「神様仏様、今まですんませんでした。更生するので、どうか受からせて下さい…」
最後の試験となった、立命館大学の試験。
これに落ちたらフリーター決定と、親には言われた。
自分の過去の愚行を恥じつつ、試験までの2週間、一日15時間は勉強した。
その結果。奇跡が起きた。
なんと前日に見た問題がそっくりそのまま出題されたのだ。
この奇跡のお蔭で、僕は晴れて立命館大学に合格した。
結局、僕が受験した中で最も難関の大学に受かったのである。
しかし、手放しで喜べる状態ではなかった。
まず、マグレでの合格である為、学力が大変に低かったのである。
教授が当たり前のように話す内容が、おバカの僕には理解不能だった。
特に、帰国子女を多く抱えるクラスでの英語の授業が、苦痛そのものだった。
さらに、家庭の事情により、アルバイトで学費を稼がねばならなかったのだ。
それまで一度も働いたことがなかった僕は、大学入学と共に力仕事を始めたのである。
元来超がつくほどナマケモノの僕にとって、この労働は大変こたえた。
さて、立命館大学は、比較的裕福な学生が多い。
私立だから当然かも知れないが、学生と話しているとストレスを感じることも多々あった。
(親から仕送り20万やと?どこからそんな金が湧くんや…)
(クソッ、バイトもせずのうのうと遊びやがって…)
(こんな遊びほうけてるヤツらでも喋れてる英語を話せない俺って…)
今考えれば、中学生から高校生まで何の努力もせず遊び倒した僕よりも、彼ら学生は数百倍まともな人生を送っていたに違いない。
失礼にもほどがありすぎる。
もし当時にタイムスリップするならば、僕は「お前が言うな」と開口一番言うであろう。
ただ、当時の僕は、彼らと自分の身を比較し、怒りすら覚えた。
あまりに高い学費を負担する為、両親は身を粉にして働き、僕も必死に働いていた。
今まで迷惑をかけてきた分、少しでも両親を楽にさせたかったのだ。
ちょっと身勝手なものだったが、そんな怒りがバイトへの原動力になったと思う。
そんな中知ったのが、優秀な学生を対象にした奨学金制度である。
大学の成績上位数%の僅かな学生に、返還の義務がない奨学金が付与されるのだ。
「きっと勉強で結果を出せば、親は喜ぶに違いない」
「さらに奨学金をもらえるとなれば、家計にも大きく貢献できるで」
こうして僕は、奨学金ゲットの為に頑張ることを決めた。
その中でも重点的に取り組もうとしたのが、苦手かつ多くの授業に関わってくる英語である。
ただ、「勉強?何それおいしいの」状態の僕である。
まずは大阪梅田の紀伊國屋書店にて、英語の勉強法について書かれた本をしこたま立ち読みした。
活字とまともに格闘したのなんて、何年ぶりだろう。
頭が痛くなりつつも、その頭の痛みを心地よく感じる自分がいた。
「あぁ、俺って今、勉強してるんやな!!」
かれこれ10冊ほど読んだだろうか。
すっかり英語の勉強法マニアになった僕は、何となく「出来る」という確信めいたものを感じるようになった。
ただ、当時の英語力は、TOEICにして400点ほどというお粗末なものであったが…。
「どうせやるなら不可能に挑んだる」
「半年間で英語ペラペラになったる!!」
「帰国子女のヤツらのレベルは難しいかもやけど、1年か2年留学したヤツらを抜いたるねん」
メラメラと闘志が燃えた。
それからというものの、英語漬けの毎日が始まった。
勉強法についてしこたまインプットを重ねた僕がとった戦略は、至ってシンプル。
「日本にいながら、留学と同等の経験を積む」というものであった。
行き帰りの電車では、当然毎日英語の勉強。
「好きなものなら続けられるし覚えられるだろう」という理由で、勉強の主な材料は大好きな洋楽であった。
図書館にて歌詞を印刷し、電車の中で電子辞書を使って意味を検索。
さらに、帰宅後は何度も歌を口ずさんだ。
いつでもどこでも勉強する僕。
あまりの変わりように、親は心配しつつもどこか嬉しそうだった。
また、「英作文の能力が英会話の礎となる」という一節を読んだ僕は、ネイティブの先生に頼み込み、作文の添削をしてもらった。
毎回の授業後につきまとって質問を重ね、さらにメールでも作文の添削を頼む僕は、きっと鬱陶しいことこの上なかったであろう。
しかし、先生は僕の無理なお願いを快諾して下さり、どんな時も優しく対応してくれた。
今考えれば、有り難いことこの上ない。
ただ、そんなインプットよりも僕が何より重視したのが、アウトプットを重ねることである。
「どんなスポーツも、試合でな上手くならへん。英語も一緒や。ペラペラなりたかったら、ひたすら話すしかない」
こう考え、英語力が普通の日本人以下の段階から、臆せず英語を使いまくった。
京都には鴨川という川があるが、週末の鴨川は外国人が賑わうことで知られる。
そんな鴨川で酔っ払う外国人に突撃し、あまりに下手くそな英語で話しかけたりした。
「ハロー。アーユーエンジョイイング?」
「アイムタケ。ナイス、トゥー、ミーチュー」
時に相手の言ってることが分からず、困惑した。
明らかにネタにされてるのを察したものの、何を話しているのか分からず、ただ「ハハ…」と愛想笑いをしたこともあった。
ただ、転んでもただでは起きない。
なんとなく「こういうこと言ってたな…」って単語やフレーズの意味を調べる。
そして、次に会話するときには必ずその単語やフレーズを使う。
「何を言うべきか」忘れないよう、ポッケには常に単語やフレーズが書かれた紙を仕込む。
やがて学内にて外国人がたまる、外ベン(「外人ベンチ」の略称)にも顔を出すようになった。
外ベンの外国人には、よく英語を教えてもらったものだ。
アメリカ人「タケ、そのスラング、いまや使ってるヤツはいないよ、HAHA」
タケ「えっ、そうなの。。。」
お返しに、僕も日本語を教えてあげた。
ただ、たいがい覚えが良いのは、汚い卑猥な言葉であった。
それは僕も同じであったが。
さて、そうこうする内に、英語がみるみる話せるようになった。
夏には初対面の外国人に「どこ行ってたの?」と聞かれるまでになった。
”No, I've never been abroad.”
(いや、僕は外国に行ったことないんよ)
こう言うと、鴨川で飲んだくれてたスペイン人のとあるあんちゃんはこう返した。
"...Crazy. "
(…狂ってやがる)
4月に勉強を開始して、4ヶ月もたたない夏の日の出来事である。
こうして、勉強漬けの前期日程が終わった。
蓋を開けると、英語関連の授業は、1つを除き全て最高評価。
「やれば出来るんやな」と、しみじみ思った。
さらに、力試しにTOEICを受けてみることに。
「折角やから、TOEICも取ってみよ」
こんな軽い気持ちだったが、見事800点を獲得。
勉強を始めたときに仮想ライバルとして設定した「1年〜2年外国にいた学生」の点数は、700点〜800点ほど。
見事、当初の目的通り、彼らの実力に肩を並べたのである。
「こ、こんな俺でも、出来るもんなんやな」
それまで、人生でなーんにも成し遂げてこなかった、クズ中のクズだった僕。
この体験で、「やれば誰にも出来る」ってことを、身を持って体感した。
「800」という数字を見た時、それまでの親不孝の数々、そして勉強の日々が脳裏に浮かぶ。
思わず、目頭が熱くなったのだった。
その後も順調に勉学は進み、結果返済の必要がない奨学金の獲得にも成功した。
20数年の人生で初めてといっても良い、成功体験であった。
【僕が短期間で英語を身につけられた4つの理由】
さて。
ここまで長々と書いてきたが、なぜおバカで超怠惰だった僕が、4ヶ月という短期間で英語を話せるようになったのだろうか。
それは、以下4つの理由に集約される。
①明確な目的意識があった
②好きなもので勉強した
③仮想ライバルを作った
④自分を信じた
「家計を助ける」為に「奨学金を勝ち取る」。
さらにその為に「英語の実力を付ける」という目的意識が、当初の僕にはあった。
また、洋楽という好きなもので勉強することで、ほとんど苦痛を感じずインプットを重ねられた。
覚えも非常に早かった。
今振り返れば、書籍での勉強はあまり行わなかった。
さらに、「1年〜2年の留学経験のある学生」を仮想ライバルにしたのも良かった。
彼らと同じ授業を受けるたびに、「まだまだ差がある!もっと頑張ろう!!」という気を新たにした。
そして、最後に。
僕は、自他共に認めるクズの自分を信じてあげた。
正直言って、根拠はない。
なぜなら、これまでの人生で全く成し遂げたものなぞなかったから。
「自分を信じるしか無かった」というのが正しいところかも知れない。
ただ僕は、半年ほどで英語がペラペラになる未来を疑わなかったのだ。
4つの理由のうち、これが一番大きいと思う。
①明確な目的意識があった
②好きなもので勉強した
③仮想ライバルを作った
④自分を信じた
これさえ守れば、誰だって日本にいながら、英語を喋れるようになる。
だって、僕ですら出来たんだから。
あなたに出来ないワケがない。
”Trust Yourself.”
自分を信じよう。
シンプルだが、大好きな言葉だ。
ここまで読んでくれたあなたに、この言葉を捧げます。
本当に、有難う。
あなたの英語学習が成功するのを、心より祈願致します。