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16/4/5

うつだっていいじゃない!【其の四・小細胞肺がん】

Image by Olia Gozha

母の病は「がん」だった。母は以前乳がんを患ったことがある。ただ、その時は早期発見だったこともあってか摘出手術も無事に済み、5年に渡る放射線治療も欠かさず行ったおかげで完治していた。

しかし、今回のがんは定期検診を行なっていたにも関わらず発見が遅れてしまった。乳がん経験者ということが前提にあったせいなのか、発症したタイミングが悪かったのか今となっては何とも言えない。

病名は小細胞肺がん。がんの中でも早期発見が難しい類のものらしい。見つかった時には既にステージ4だった。それまで原因不明の体調不良という診断のまま入院していた病院から、循環器呼吸器専門の病院へ転院することになった。

がん専門の病院へ転院することも検討したが、本人の意向と付き添う家族の動きやすさを考えると、循環器呼吸器の病院のが色々と都合がよかった。

転院早々抗がん剤治療が始まった。この時点で私自身がんに対する知識はそれほどなかったと言ってよい。何より一度乳がんを完治しているという事実が頭を占めていたので、たとえステージ4という宣告をされても何とか奇跡的に助かるのではないかという楽観的な考え方しかできなかった。

そんなお気楽精神状態なので、うつになることもなく平日は普通に目一杯仕事、土日は時間がとれれば母の見舞いと言った具合。母の付き添いは仕事をセミリタイヤしている父に任せきりだった。

気丈な母だけにお見舞いに来てくれる親戚や知人など、第三者にはできるだけわからないよう振る舞っていたが、私には日を追うに連れ衰弱していることが目に見えてわかっていた。というのも小細胞肺がんは肺に水が溜まるという症状を引き起こす。これに伴い肺の容積が少なくなり体に取り入れられる酸素量が不足する。そのせいで呼吸がとても苦しくなるのだ。少し前ならば酸素ボンベさえあれば普通に歩ける状態だったが、その距離も徐々に短くなっていった。

パルスオキシメータなる、体内の血中酸素の濃度を計測する機器がある。使い方は人差し指を挟むだけ。数値が96以上なら標準、90以下だと呼吸不全の可能性がある。私がその機器を試すと97とか98が表示されるのだが、母は90前後を行ったり来たり。データからもその衰弱ぶりは証明できた。

秋に転院、年を越し、春を迎え、数回に渡る抗がん剤治療を全て終えた。そこで医師に言われたのは、

「もうこれ以上治療のを施すことはできません。」

話はもうそこまで来ていた。

このまま今の病院でモルヒネを使った緩和ケアを施していくという方法もある。だがホスピスを利用することで最後のひとときを過ごすのもよいのかもしれない。父と協議を重ねた結果、ひとまずホスピス施設を見学に行くことを決めた。

そして見学当日。施設に向かう電車の中で父の携帯電話が唐突に鳴り出した。電話の相手は病院ではなくたまたま見舞いに来ていた父の姉からだった。

その電話の内容を聞き、私の頭の中は混沌とした。

イラスト/ ©2016 つばめとさくら


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