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16/3/5

【知られざる原宿Cawaiiの闇】元ショップ店員が語る、パワハラや低賃金に怯えたブラックな記憶

Image by Olia Gozha

芸能人への接客・憧れの東京暮らし・・夢に向けて全力で走り続けた準備期間




ある晴れた日のこと。


眩しいくらいの太陽の下、全速力で高校から帰宅したわたしは

コンビニで購入した雑誌、『Cutie』の新刊を取り出し

ベッドの上でワクワクしながら無我夢中になって読み漁る。


そう、わたしは当時現役のショップ店員として働く、超憧れの読者モデルがいた。


わたしはとにかく彼女の原宿系コーディネートや

ヘアスタイルを真似ることが本当に好きだった。


雑誌を開くたびに周りにはイオンかしまむらしかない

”ど田舎・九州”在住のわたしは


わたし「『なんでわたし東京でうまれてこんかったと~?』」

わたし「『読者モデルみたいに仕事帰りに原宿で買い物したーい!』」

と、毎日ため息ばかりついていた。


両親にも”上京したい”という話はするものの、

「田舎娘のあんたが東京に行ってやっていけるわけないたい!」

「東京はお前の想像以上に厳しいとこだぞ・・」

と最初は大反対!!


2~3ヶ月間、家出をするほどの大喧嘩をしたこともあった(笑)


説得には高校卒業後、2~3年という月日がかかった。


出来ればわたしの理想としては


19歳くらいから憧れの地、原宿にてショップ店員をスタートし

21歳くらいでトップのカリスマ店員になる・・

という形が最も理想的であったが


わたしの場合、上京&ショップ店員デビューは

自分の”未来予想図”と違ってかなり遅咲きのスタートであった。


しかし、最初は反対していた両親も


夢を諦めずに地元の小さなショップに勤めながら

接客の修行に励んだりと

地道な努力を行うわたしの姿を・・


そう、誰よりも1番暖かく見守るようになっていた。

「あんたが好きなようにやりなっせ(やりなよ)」


「貯金が貯まるまでここにおるたい(いていいよ)」


そんな風に少しずつ、私の夢を一緒に支えてくれるようになったのだ。


とにかく早く上京資金を稼ぐべく、

土日は毎回出勤・多めにシフトを入れてもらったり

昼ご飯は節約手作り弁当を作る等して、出来る努力は全て行った。


もちろん、慣れない接客に時には戸惑いもあったし

もともと泣き虫なわたしは休憩中、当時乗っていた愛車の中で

周りのスタッフに隠れながら頬を濡らすこともあった。


でも、わたしの頭の中は常にこんなことでいっぱいだった。


わたし「原宿に就職したら、芸能人の接客もできるかな?」

わたし「パステルカラーのワンピを着て竹下通りを歩きまくりたい!」

等々、どんなに辛い試練があろうとも

こういった『マイ妄想ストーリー』が1番の原動力になった。


何より、周りの友人らは医療事務や保育士等安定的な職業に勤めるも

わたし自身、”無難な生活”には一つも魅力を感じることができなかったのだ。


一度きりの人生だからこそ、やれることはやりつくし

キラキラとした夢を常に追い続けていたかった。

わたし「原宿や渋谷の女子のカリスマになってみせる!!」

そんな大きな野望を抱きながら、

上京への準備を着々と進めていくのであった。

ついに夢の原宿CAWAIIの世界へ~短すぎる幸せと待ち受ける闇~



ようやく上京資金の準備が整い、

わたしは花の都『東京』という大舞台へ舞い降りた。


当時はかなりのアナログ人間、

そして地元でも切符しか扱うことがなかったわたしは


TVで噂になっていた最新ICカード『Suica』を品川駅にて

慣れない手つきで購入したことを今でも鮮明に覚えている。


パンパンに詰めたキャリーバッグを抱えながら

どうにかギュウギュウの山手線へと滑り込む。


『次は〜渋谷〜渋谷〜』


車内から流れるアナウンス。


渋谷駅のホームから見える、ドラマの宣伝広告。


地元では絶対に見かけることのない

ピンク色の髪色の女の子や


大きなヘッドフォンを耳に装着し、

顔面ピアスのバンドマン風の青年。


電車の中だけでもわたしにとって眼に映るものすべてが

新鮮で仕方なかった。




そしてついにわたしは・・


長年の夢であった原宿SHOPの面接にも一発合格し、


住む場所も古着やアーティストの卵が育つ街、高円寺に決まったりと

何から何まで最高のスタートであった。


『生きてるって本当に最高!!』


両親との葛藤、辛かった修行時代を思い返すと

そんなHAPPYな感情を、心の底から余計に感じ取ることができた。


そして初出勤の日・・


金髪で巻き髪のスタッフや首から大きなクマを下げたスタッフらが

笑顔でわたしを受け入れてくれた。


同時に、身長140センチの小人のようなキュートな店長にも

初めて会うことができた。(※面接は本社の社員さんだった)


初ミーティングでは


店長「『とにかく自分をアイドルだと思って、自分とお店のファンを増やしましょう』」

と、一般企業のミーティングよりもどこかファンタジーで

何倍も楽しい初ミーティングを経験することができた。


そしてわたしが初出勤の数日前にも、


・北海道から上京してきた元牧場勤務のスタッフ


・シンガーソングライターで大阪出身のスタッフ


などなど、

個性的で魅力的なスタッフが沢山デビュー(仲間入り)していた。


『みんな夢を持って上京してきたんだなぁ・・』


”雑誌の世界から飛び出だしてきたような

とても刺激的なスタッフ達と原宿の街で過ごすこと”


ただただ、これだけでも

元田舎娘のわたしにとっては最高に幸せなことだった。


そして初出勤の日から数ヶ月後・・


九州時代に積み上げてきた接客ノウハウを活かしつつ

わたしはみるみるうちに顧客を増やし

売り上げ1位という結果をも生み出すことができた。


お店のスタッフからも『接客といえばMINTO』と

徐々に認められるようにもなった。


しかし、心から楽しいと思える時間は、”ここまで”であった。。


本店に招かれたMINTO、少女が目にした原宿の闇とは・・



ある日のこと。


バイヤー兼マネージャーがうちの店舗に珍しく顔を出しにきた。


年齢も30代前半で世界中を飛び回る敏腕マネージャーで

見た目はぱっと見イケメン上司だが、


スタッフの間では以前から”かなりの変わり者”と

あまり良い噂を聞いたことがなかった・・

マネージャー「『MINTOさんいる~?』」

お店に来て早々、わたしの名前が呼ばれた。


『竹下通りの路地裏でちょっと話そう』と誘われたわたしは、

紙パックのリプトンを片手にマネージャーの喫煙タイムに付き合った。

マネージャー「『聞いてるよ~売り上げ上げてくれてるんでしょ?ありがとうね』」

わたし「『と、とんでもないです!接客好きなので働かせてもらえるだけで嬉しいです。』」

マネージャー「『今本店のスタッフ3人いるんだけど問題児ばかりでさ~、なかなかうまくいってないわけよ』」

マネージャー「『どう?MINTOさん本店こない?君なら絶対変えられるよ』」

わたし「『ええ!是非^^!』」

なにごとも経験だ、と思ったわたしはすぐにイエスと答えた。


しかし、その一言があとで最悪な事態を招くとは予想もしていなかった・・



本店でついに働き始めたわたしは『問題児って・・どんな子たちなんだろう?』


『もしかしてめっちゃ性格悪いとか><?』と数日間は不安な気持ちを抱きつつ

じっくりと様子を見ながら過ごしていた。


しかし、実際はどの子もいい子ばかりですぐに打ち解けることができた。


特に同じ杉並区に住む女の子は九州・沖縄出身ということもあって

意気投合し、帰り道におしゃれなBARに寄ってお酒を交わしたり、

互いの家へお泊りに行くほどの仲だった。



『何も問題ないじゃないの・・』と疑問に思っていたが、ある日のこと。


1番仲良しのスタッフがマネージャーにストック部屋へ

連れて行かれたのである。


ストック部屋は密室で、鍵も付いていた。

マネージャー「『なんで売り上げ上げれねえんだよ!!!』」

マネージャー「『このバカが!!死ね!!』」

とものすごい暴言が聞こえてきたのである。



完全なるマネージャーのパワハラだ。



そして被害はその子だけではなかった。


マッシュカット風のきれいめスタッフも連れて行かれることも

何度も目撃したし、何よりわたし自身も・・


ストック部屋へ在庫を取りに行った時のこと。


なぜか突然マネージャーもストック部屋に入ってきたのである。

マネージャー「『知ってる?タレントの優香自殺したんだって~』」

わたし「『え!?いつですか?』」

マネージャー「『今朝だよ、今朝!おれファンだったのにな~』」

と言いながらドアをバン!!!と故意に締めて出て行ったのである。


気になったわたしは休憩中に優香に関する事件をスマホで調べるものの

そんなニュースは一切乗っていなかった。


わたし自身はこの程度の”おちょくり”で済んだものの

毎日のように怒鳴られるスタッフの様子を見ていられなかった・・


わたし「どうにか改善できないのかな・・」

高円寺のボロアパートの片隅で眠れないくらい考える夜もあった。


ある日の事。


ちょっとした修行を兼ねて、身長140センチのキュートな店長と

とある卸屋へと足を運ぶ機会があった。


・丸襟のカットソー

・アンティーク調ワンピ

・アリス風のスカート


などなど”原宿cawaii”の要素が詰まったアイテムをどんどん購入する

体は小さいけど、とっても心強い店長。。


『店長ならマネージャーにパワハラのこと・・どうにかしてくれないかな・・』


そんな事を思ったわたしは店長へすがる思いで訪ねた。

わたし「あのー、マネージャーの・・きつい口調っていつもなんですか?」


店長「あー・・そのこと?」

いつもの店長の笑顔が突然引きつったように感じた。

店長「わたしもねー社員になる前に4〜5年くらい色々言われたよ〜。」

店長「ほんと変わってるよねえ。気にしなくていいよ!」


やはり、最初に聞いた情報と同じ『変わり物』で済ませる店長・・


店長を含め、長年勤めている人は誰もマネージャーのことを

悪く言う人は誰一人いない。


そう、誰も”あの事”に関しては口を開かないのだ。



そして問題はこれだけではない。



本店は限定商品として、質の良い布を使用したオリジナル商品を

多く揃えていることから

商品の値段も、以前在籍していた店舗より何倍も高かった。



イコール、全身お店の服を着用というルールを設けられた

わたしたちスタッフの家計にも響くというわけだ。



お店の売り上げが悪い日は自ら貢献しなければならないし、

何より”全身着用”とルールは安月給の私たちにとってかなり痛手である。



おにぎり1日1個生活やキャベツだけでほぼ1週間過ごす等

地獄のような日々が続いた。


何より自分が働くSHOPの周りには

ビンテージ物のアメコミフィギュアを扱う雑貨屋、

トレンドアイテムを揃えたブランド店・・


一駅先の渋谷へ足を運べば女子が好きそうなコスメSHOP

などなど


とにかく誘惑の多い東京生活の中で過ごす”プチ貧困生活は”

元田舎娘のわたしにとって拷問のほか何者でもなかった。


金銭的な辛さもそうだが、まだまだ続くマネージャーの過度すぎるパワハラ

に精神的苦痛がなりやまない。


『もう嫌だ・・・』

と帰り道、原宿駅のホーム内のベンチでスタッフと一緒に泣いた事もあった。


結局、わたしの同僚は一気に2人辞めてしまい

わたし自身も”原宿アパレル販売員”という生き方に徐々に疑問を持ち始めたのであった。。

わたしが見つけた”本当の幸せ”と輝かしき第二の人生。




仲良しの同僚が辞めてからも

なかなか新しいスタッフも入ってこず

人数はギリギリの状態で休みなくシフトを回し続けていた。


マネージャーのスタッフへの態度は相変わらずで

なんなら同僚が辞めたことに”清々した”と言わんばかりの言動をも

度々耳に挟むことがあった。


もちろん、”海外を飛び回るバイヤー”という重要役、

”原宿のショップを支える”ということは

誰でも簡単には出来ないことである。


仕事ぶりは素晴らしいマネージャーだったが

私を含め、スタッフへのやまないパワハラには

絶対に納得いけなかった。。


わたし自身、徐々に大好きなお洋服への愛情よりも


・いつ起こるかわからないパワハラへの恐怖


・低すぎる給料


そう、これらに対する

”ストレス”や”怒り”という感情が大きく勝るようになってきたのだ。


変わらない現状と自分の感情に対し、

強い”限界”を感じてきたある日のこと・・。


わたし自身、自分の胸に手を当てて問いかけてみた。


『わたしが求めていた原宿LIFEは本当にこれだったの?』、と。


”赤い自転車でシアトル系カフェのカップ片手に原宿中をサイクリング”

”仕事帰りにおいしいアメリカンハンバーガーショップに立ち寄る”


などなど子供の頃から読んでいた、読者モデルの原宿LIFE。


実際に原宿ショップ店員になってみて、

そんな優雅な生活を行うための余裕なんて正直1度もなかった。


そして大人になった今考えると・・


きっと読者モデルらも

実は裏側ではわたしと同じく過酷な生活を送っていたのかもしれない。


そう、雑誌の世界とは極めて非現実的であり、

どこか闇を抱えるこの日本に

”心の癒し”や”夢を与えるべく”存在しているのだから。


わたしが目撃した本当の原宿Cawaiiの裏側は・・


・ぎゅうぎゅうの満員電車に駆け込み、

終電間際まで続くストック整理に連日のミーティング


・安月給に上司の度が過ぎたパワハラ


などなど、一般企業が抱える問題となんら変わらない

暗い一面を抱えていたのである。


わたしは何度も自分と向き合った結果、一つの決断を下した。


そう、”卒業”という道の決断だ。


わたしが望んでいた本当のライフスタイルとは

このまま原宿という地の

奴隷として生きていくことでは決してなかった。



わたしが本当に願い続けたライフスタイルとは・・


厳しいルールにとらわれずおしゃれを楽しみ、


青空を拝みながらテラス席で

おいしいパンケーキやハンバーガーを友人と食べたり


裏原宿や表参道を真っ赤なマウンテンバイクで

駆け抜ける・・


そう、子供の頃に描き続けたキラキラと輝く

自由奔放な少女として生き続けること。


これこそがわたしが長年望み続ける夢であることを

裸の心のままで何度も自分と向き合い、

再確認することができた。


『第二の人生、、ゼロからスタートすることもまた勇気』


そう考えたわたしはついにマネージャーに卒業を申し出ると

同時に今までの思いも全て打ち明けた。


普段、常に明るく振る舞っていたわたしから

静かな怒りに包まれた突然の発言・内容に

マネージャー自身どこか驚きを隠せない様子であった。


わたしの卒業宣言後、


オーナーや社員の耳にもパワハラ問題は徐々に伝わり、

マネージャーはスタッフと一切関わることのない

本社の方へ飛ばされることが決まっていた。


周りのスタッフはというと、


『MINTOさん、顧客さんが悲しがるよ・・』


『もし良かったらまだここで働いたら?』


わたしの卒業を聞いて優しく引き留めてくれていた。


もちろん、卒業を撤回することは出来たかもしれない。


しかし、マネージャーから解放されたとしても

低賃金に人間関係のストレス・・


そう、ショップ店員としてのライフスタイルを続ける限り

きっとこれからも原宿という地の奴隷というスタンスは

変わりなく続いていくのだから。


そして3年半ほどまるで砂漠のような大都会、

東京で生活したわたしはその後・・



”本当の自由と幸せ”を追い求め原宿アパレル販売員を卒業し、

今は地元の九州にてMacBookという相棒と共に

ノマド女子として新しい生活をスタートしている。


運良く知人がネットビジネスで成功していることもあり、

場所や時間を問わずに実践できる

極めて”フリー”なスタイルに魅力を感じたことがきっかけだ。


なにより、ノマドワークさえマスターすれば

PC1台で原宿とも、そして全世界といつでも

リンクしていられると考えた結果決めたライフスタイルである。


はたから見ればアパレルの世界と全く違うように感じるが、


”誰かを笑顔にさせる感性”


”視覚で感じ取るデザインやセンス”


こういったクリエイティブな部分はほぼ一緒であり、

以前の経験をフル活用出来ることから

ショップ店員時代の昔の自分にも心から感謝している。


今の夢は、誰か一人でも多くの

悩める若者達を相棒のMacBookと共に救い上げること・・。


そう、あの時叶えられなかった

原宿や渋谷の女子のカリスマになることを目指し

人生という広いジャングルの中を日々全力で駆け抜けている途中だ。


どうか、このストーリーズが一人でも多くの人の元へ

届きますように。。


p.s.

わたしの長い文章をここまで読んでくれて本当に

有難うございます!


上司のパワハラ・上がらない給料・叶えられない夢に

悩む方を一人でも助けたいと思い今回はストーリーズに

初めて投稿させていただきました。


理想と現実は時には残酷な程に真逆な事もありますが

幸せの形というものは自分の意思や動き方次第で

いくらでも変えれる事は可能です。


転職・起業と方法は色々ありますから

今の職場へ何か疑問を感じた時は

一旦立ち止まってみることも一つの勇気。


わたし自身はその勇気が持てたからこそ、

”本当の自分らしさ”を見つけることができました。


上京して辛い時期も経験しましたが

色んな世界をこの目に移し、学びを深めれたことは

今となっては宝物のような思い出であります^^


そしてわたしは今現在ノマドワーカーとしての活動を行っており、

ブログサイトも運営しています。

http://www.minto01.com/

FaceBooKでは友人募集もしていますので

是非遊びにきてくださいね。

http://www.minto01.com/facebook

最後まで読んでいただき、有難うございました!


<追記>

こちらのSNSもやっておりますので是非遊びに来られてください。

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