世の中にスパルタ教育親などアマタ存在するし
御三家に入学する生徒の母親なんて、たいがい突き抜けた教育ママでないと、まず入学自体が子供の才能だけじゃ不可能だ。
幼い時期に挑まねばならない中学お受験では、母親のサポート力は合否に多大なる影響を及ぼす。
中学受験は、子供と親一丸となっての、固定数席獲得にひた向かう、他者蹴落とし戦争だ。
僕の母親が
そういう突き抜けた、しかしいわば典型的なスパルタ教育ママ群の中でも
極端にキチガイじみていたのは
僕がどんなに素晴らしい成績をマークしようとも、たとえ塾の主要テストで1位をもぎ取っても
決して彼女自身が満足することが一度たりとしてなかった、というところにある。
だから僕は母親に、どんなに勉強を頑張っても、誉められた記憶が全く残っていない。
正確には事実としてあったのかもしれないが、
それよりも、母親は常に僕のミスに焦点を合わせ、ミスを正解に改善できること、その努力が足りないこと、を僕に指摘し続けた。
いくら1位だって、さすがに満点なわけがない。
そのミスだけを母親は常に責めた。
僕のミスに焦点を合わせる母親が頻繁に吐いたセリフが、「何々ちゃんは、この問題は出来てるのに、なんでアンタは間違えるの!?」という他者比べ。
母親は常に他人に目線の向く人間。隣の葵い芝生ばかりを気にし、それが自分に無いことを嘆き、嫉妬に燃え、なんとしても得ようとする。
得れないとそれを他人のせいにし、ヒステリックに転じる。
もしくは、得ている人間を卑下する。
例え得ても、次なる違う芝生をすぐ見つけ出す。
その点におき、母親以上に突き抜けた才能を誇る人間を僕は38年の人生で誰も知らない。
絶対に満たされることがない という部分で 母親は恐怖を抱くに価する天才的なキチガイだ。
僕は母親に体罰を喰らうのがとにかく最大の恐怖だったから、ある時から
これは……毎回満点を取らないと大変なことになる……。身体がもたない。。
正解が決まりきった数学くらいは、完璧が目指せる可能性が唯一あるのだから もう、常に完璧、常に満点 以外に母親の体罰から逃れる術はない。。
と、本気で覚悟を決めた。数学のテスト中に、解けない……と難問への降参を確信した瞬間にすでに、僕は地獄を覚悟せねばならなかった。
テストの返却されるまでの期間、結果を見た母の取るであろうリアクションが明確すぎて、自殺してしまおうかと悩んだこともあった。
この幼少期から思春期にかけての家庭環境により
結果、僕も僕自身のミスやアラばかりに焦点を当て、欠陥を改善することが最優先の 完璧主義体質に傾いた人間性が確固に確立された。
あらゆる自分の成果に満足できず 満たされない
母親と全く同質の人間に成長した。
満たされない
というのは、自分を愛せないということだ。
他者の長所や獲得してる成果、または自分の欠陥だけに集中するため、
自分の長所に全く目がいかず、自分を認めたり、自分を好きになることが出来ない。
この人間性が、こと恋愛に与える悪影響は凄まじく恐ろしい。
自分を愛せない人間は、他人も正常に愛せない。当たり前である。
母親は重度のブランド品依存症だ。
海外高級ブランドで自分を着飾り、武装して他者に自己顕示すること
それが母の最大の自己防衛手段だった。
実家はさして広い部屋ではないのだが、
そこに、まるで質屋の如く高級ブランド品の箱が
人間の身長より高く積まれ、狭い部屋をさらに居心地悪くしていた。
たった一人の女性が
しかも、仕事もしてないので外出の機会なんか一般で言えば格段に少ない方に入る女性が日常で
そんな大量のブランド品の在庫を使いきれるワケがない。
当然、ほとんど使わないもので溢れている。
バカげた量の私物を抱えて、彼女のおでかけの機会のほとんどが
銀座の高級ブランド店に愛車のベンツBRUBASで乗り付け
スタッフさんにその日のコーディネートをお褒めいただき、それがガチガチの営業トークである、とすら気付けずに ご満悦になって帰宅する。
その自慢話を僕に聞かせ、必ず「アタシはやっぱりセンスがあるから、ファッション関係の仕事をしていたら絶対成功していたと思うの。ね、そう思わない?」と〆る。
それが母親の日常だった。というか、それしか、母親にはやることがない。
そんなにファッション業界の仕事がしたいなら、買う側じゃなくて作る側になればもっと満たされる。
そういう考えを微塵も持たず、誰かにソレを突っ込まれようものなら自らを正当化し、今からじゃ遅い、とか、本当はやりたかったのにやらせてもらえなかった、などの言い訳で武装したあげく
非常に不機嫌になる。
僕はそんな母親が大嫌いで、高校時代くらいには
絶対に母みたいな人間だけには!なりたくない!
内心、強く思っていた。
その僕が、成人してから、まさか自身も母とこれまた同じように
洋服に狂ったように取り憑かれるだなんて
自分ですら想像することももちろん不可能だったに決まっている。