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16/1/4

子持たずの記(1)

Image by Olia Gozha

       闊歩する 妊婦眩しき 夏の街


 何気なく口にしてみれば、すこぶる健康的な「女性讃歌」の句にみえる。

 しかし実際はそうではなかった。

 詠んだ当人は、ギラギラと照りつける夏の太陽と同じような燃える目付きで、幸せそうに街を闊歩する妊婦をにらみつけていたのだ。胸中には、さらに「恨み」「ねたみ」「憎しみ」の混ざった、口には出すのがはばかれるような醜い固まりがあって、燃えさかっていた。 思い出したくもない辛い日々であった。

 結婚して既に七年、妊娠の気配もなく、ただいたずらに月日が過ぎていった。

「子供なんて簡単に授かるものだ」「二人だけの生活もしばらくは楽しまなくっちゃ」 浅はかにもそう考えて、ことの重大さに気づかぬまま、四年が過ぎ五年が過ぎていった。夫の勤務する岩国の石油化学工場は炭坑出身の荒くれ男たちが多い。言うことが辛辣だ。

「やり方知っているのかい」「一寸奥さん貸してみろよ」「オレなんか跨いだだけで出来ちゃうんだけどなあ」

 先祖から伝わる家宝の浮世絵の春画まで貸してくれる人がいる。

 今のように不妊治療が一般化されているとはいえない五十年も前のことだ。。資料なども手に入らぬ。毎朝毎朝検温し、成功率が高いといわれる日を探り当て、祈るように体をあわせる。腰を高くすればいいと聞けば枕を当て、大手術の後のように息を詰めてじっとしている。

 紹介されて広島の病院へ行った。男の方は問題なし。元気にピンピン泳いでいると言われた。私の方も決定的なダメージがあるわけではない。盲腸手術のあとの癒着を疑って卵管検査をしたが問題なし。強いて言えば子宮の発育不全か。大事な発育時期にカボチャやお芋ばっかりだったんだから無理もないか……と自嘲気味につぶやいてみる。そう言えば周りには同年配の友人に子供のない人が結構いるように思えてくる。

 医師の指導のもとに治療が始まった。

 ホルモンの投与。造影剤を注入しての卵管拡張手術。基礎体温の測定。

 それでも自然に受胎できないなら人工授精に挑戦するしかない。毎月「この日こそ」という日に 採取した精子をコンドームに入れて冷えないように懐に抱きしめ、小一時間掛けてバスで病院まで持って行く。

 手術台の上、あられもない格好を公衆の面前にさらして……

 普通の人はみんな愛と喜びの中で新しい命を授かるのに、なんで私だけが恥ずかしい思いをし、痛い思いをしなければならないのか。涙が出る。

 そんな辛い思いをしても、残酷にも生理の日がやってくる。何回も何回も。

 その頃の写真を見ると、どれもこれも、目の前一点だけを凝視し、目をつり上げている魅力のない女が写っている。友人が流産したと聞いてさえ、羨ましいと思った。

 夫は子供が好きだ。教会の日曜学校で先生をしていて、大勢の子供と遊んだりキャンプに連れて行ったり、そういうことがちっとも苦にならないらしい。

 子供好きの夫からその喜びを奪っているのは私なのだ。そんな権利は私にはない。 そうなら離婚するしかない。真剣にそう思った。今思えば尋常な精神状態ではなかったのかも。

 夫としても「もういいよ、そんなに辛い思いをしてまで……。この辺で諦めよう」と、止めることも、「頑張ろう」と励ますこともできなかった。それなのに、私は自分のことで頭がいっぱいで、夫のことを思いやるゆとりもなかった。

 教会の友人が見かねて一人の老医師のところへ私を連れて行ってくれた。

「あとは神様が下さるチャンスを待つだけ。無いものを無理矢理ほしがって、後ろばかり見ていてはいけない」

 この言葉で三年間続けた治療をやめる踏ん切りが付いた。外車一台買えるくらいのお金を使ったが、これで少しは立ち直れたと自分では思った。

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