ある夏の日、
僕はかつて絶対に行きたくなかった場所に行きました。
そこは、曹洞宗の大本山永平寺。
俗世間では「日本一修行が厳しい」とまで言われたお寺です。
そして何より、小学校の遠足で行ってトラウマになった所です。
遠足のときは、
寺内を若い雲水(うんすい:修行僧のこと)さんが、
親切に案内してくれました。
しかし、雲水さんの懇切丁寧な説明とは裏腹に、
「永平寺」に対して持った印象は最悪でした。
一年中、朝から晩まで修行
家族や友達とも会えない
遊べない
テレビも見られない
おしゃべりできない
意味がわからない…
怖すぎる…!!
生まれて十年そこそこの僕には、
永平寺の厳しさはあまりにも衝撃的で
心底震え上がりました。
帰り際に、案内してくれた雲水さんから、
「将来、みなさんの中から修行をしに来てくれる人を待っています(^^)」
と言われましたが、
もう一生二度と来るもんか!と思いました。
ところが、時の流れは不思議なもので、
今から十年ほど前の十七歳の夏休みのことです。
悩みが多くなっていた僕は
直感的に、大嫌いな永平寺にこそ
悩みを解消する「答え」がある気がするようになりました。
そして、永平寺である三泊四日の
参禅研修(修行体験)に行ってしまいました…。
人生を変える四日間のはじまりです。
話のつづき(永平寺申し込み)
参禅申し込みの電話番号を調べたときに、
「特に厳格である為、興味本位で上山すると挫折します」
との文字がありました。
「・・・情報ってこれだけ?」
そこには、どれ程厳しいのか他には全く書かれておらず、
それが逆に永平寺の厳しさを物語っていました。
やっぱり怖すぎる…!!
で、でも、電話しないとはじまらない…。
月一度の申し込みの時間帯は学校があったため、
代わりに家族が申し込みの電話をしてくれました。
しかし、学校から帰ると、
「大変厳しい修行のため、
本人の口から直接参禅の意思を聞けない限り、
申し込みは受け付けておりません」
と言われたとのことでした。
覚悟を決めました。
参禅一日目
緊張のもと、予定の日時に永平寺へ上山しました。
参加者は全国各地から来ていました。
自分以外の参加者は、おじいさんばかりなんだろうな~…
と思っていましたが、全然違いました。
男性五名、女性は八名。
女性は皆、十代二十代です。
極普通に街中で見かけるような女子大生がほとんどです。
こんなに皆若いのかぁ!
最年少の自分ですら、年齢層の若さに驚きました。
よく見ると、参禅係の雲水さんも皆、若いです。
二十代前半のようです。
初日は、数人の雲水さんから
永平寺内の規則を徹底的に習いました。
永平寺では一挙一動全てに型があるようです。
坐禅の仕方、合掌の仕方、低頭(おじぎ)の仕方、
食事の仕方、廊下の歩き方、
東司(トイレ)での規則など・・・。
どれもこれまで馴染みのないものばかりです。
こんなに覚えることがあるとは思ってもいませんでした。
覚えきれるか、不安になってきました。
食事の作法は非常に複雑で、実際に食事をしながら教わりました。
その際のことです。
「坐蒲(ざふ:座布団)を持ってきてください」
と言われていたのですが、
参加者の一人が持ってきた坐蒲を、
床に投げつけるように置いてしまいました。
坐蒲を投げないでください。
即座に雲水さんが注意をします。
それを聞いていた他の参加者の何人かが小声で笑いました。
すると、
人間は誰しも失敗するものです。
その他人の失敗をいちいち笑ってはいけません!
雲水さんの厳しい言葉が飛びます。
こんなセリフを本当に言う人がいるのか…!
しかも、二十歳過ぎで同世代に向かって言ってるじゃないか(笑)
僕は違う意味で笑いが込み上げ、吹き出しそうになりました。
食事は布に包まれた応量器(食器)の広げ方からはじまり、
応量器の置く場所、置く順番、指の使い方、
箸の置く角度、肘の張り具合など、
あらゆること全てが決まっていて非常に複雑です。
さらに食事も足は坐禅を組みながらでした。
一時間も坐っていれば足がとても痺れます。
背筋も伸ばさなければいけません。
ずっと同じ姿勢でいる苦痛の上の、あまりの作法の複雑さ。
この作法、明日も覚えている自信ないかも…
一日目が終わると疲れきっていました。
☆人生を変えることになったポイント
・「直感」に素直に従ってみる
・人生は一度きり。思い切って「行動」に移してみる
二日目
午前三時半、
振鈴(しんれい:起床)。
とても大きい、鈴の音が永平寺内に響き渡ります。
頭の芯まで強く響いてくるその音には、
嫌でも目を覚まさざるを得えません。
しかし男性陣皆、疲れきっていて、
すぐには布団から出ませんでした。
朝の三時半なんて、いつもは寝ている時間帯です。
すると、雲水さんが
男性部屋の扉を開けるなり大声で、
いつまで寝ているのですか!
ここは永平寺!
あなたたちは一体ここへ何をしに来たのですか!!
寝に来たようならば、
さっさと下山してください!!!
すごい剣幕で怒られました…。
とてつもない迫力です。
もはや「叱る」というよりも「怒る」です。
皆、慌てて飛び起きました。
そして雲水さんは、音を立てずにそっと扉を閉めました。
雲水さんの怒りは一瞬で、見事なまでに消えていました・・・。
怒りを全く引きずっていません。
あの人は只者ではない…!
扉の閉め方だけで、もはや普通の人ではないのが伝わってきました。
午前三時五十分、
坐禅は基本、一籌(いっちゅう:一回)四十分です。
修行不足の僕は坐り始めると、
やがて足が痺れて、
足に激痛が走り始めました。
・・・・・・・
背中も痛いかも…
背筋を伸ばし続けることにも辛くなってきます。
しかし、少しでも体を動かすと見張っている雲水さんに叱られます。
しかし、また、
なんて汚い坐相(ざそう)なのですか!
もっと背筋を伸ばしてください!
雲水さんの大声が禅堂に響きます。
坐禅は壁の方を見て行うので、
その声が一体誰に向けられたかはわかりませんが、
皆が姿勢を正したのがわかりました。
四十分の坐禅が終わると、
僕はフラフラになり、
部屋に戻るなり床に倒れこみました。
しばらくして
時計を見ると、午前五時。
ええ、まだ朝の五時なのか…!!
まるでお昼の十二時の感覚です。
そして、すぐに朝課(朝のお勤め)に行かなければなりません。
フラフラの中、朝課に行きますが
これまた一時間正座のようです。
足が痛みます…。
さらに、お経をあげる際に
経本を手に持たなければいけないのですが、
腕をまっすぐ前に出して、持たなければいけません。
やがて腕が疲れてきます。
腕が下がってくると、
後ろから「腕をあげてください」の声…
静かですが厳しい声です。
もう筋力の限界だ…!!
やがて僕の腕はどんどん下がっていきます。
すると、
後ろから無言で、雲水さんに腕を支え上げられました。
とてつもない厳しさが背後から伝わってきます。
一時間もそんな状態が続き、さらにフラフラになりました。
「一時間」が果てしなく長すぎる…
永平寺の時間は、明らかにゆっくり流れていました。
午前六時半。
ようやく小食(しょうじき:朝食)です。
これも坐禅を組みながら一時間程。
小食は応量器(食器)の扱い方が
昨日習った薬石(やくせき:夕食)のものとはまた違い、
僕はますます混乱に陥りました。
昨日とは違うんだ…作法が複雑すぎる…!
わけがわからない上、
作法を覚えるにも、
足の痛さのあまり頭が全く働きません。
四日間乗り切れるかな…
どんどん不安になってきました。
午前八時。
小食(食事)がなんとか終わると、今度は作務(さむ:掃除)。
これは今までとは違い、素早く動かなければいけません。
もたもたしていると怒られます。
僕は作務でもさらにフラフラになりました。
動かないといけないのに、
身体が重くて吐き気がしてきて動けません。
作務が終わると、また坐禅がはじまります。
ここにきてようやくわかりましたが、
永平寺は休憩がほとんどありません。
そして、この坐禅で
頭がクラクラするあまり、
情けないことに何度も気を失うかと思いました。
悟りなんてとんでもなく遠いなぁ…
坐禅をして悟りがどうだのこうだの、
自分には程遠いことを痛感させられました。
この坐禅をなんとか終えると、
自律神経のバランスが乱れたのか何なのかはわかりませんが、
もはや立てる状態ではありませんでした。
しかし、また次の坐禅が十分後にはじまります。
たった十分しか休めない…
十分という時間を人生で一番短く感じました。
そして、あっという間に十分が経ちましたが、
もう全く動くことができません。
雲水さんに、
「体調が優れないのでしばらく休ませて下さい」
とお願いし、坐禅を休みました。
その後しばらくは、意識朦朧としていて殆ど記憶がありません。
気付けば、他の参加者は、
中食(昼食)の時間で禅堂へ行ったようです。
部屋には僕一人です。
すると、
部屋の片隅には、
いつの間にか食事がひとつ置いてありました。
「あ、雲水さんが持ってきてくれたんだ…」
その応量器に入った食事は本来、
厳格な作法の下、時間をかけ自分で広げ、
自然の恵みや、調理担当の雲水さんをはじめ、
全てに感謝し、そして応量器へと食事を入れてもらうものです。
その必要とされる過程を全て省き、
雲水さんの一人が応量器に食事を入れ、
無言で部屋に食事を置いていってくれたから、
そこに食事がポツンとありました。
感謝せずにはいられませんでした。
そして、食事を何とか頂くと、
もう辛さのあまり起きていることが出来ず、
十分程、眠りに落ちてしまいました。
そして、
目を覚ますと、
さっきまであったはずの応量器(食器)が部屋からなくなっていました。
雲水さんが片付けてくれ、洗ってくれたのです。
片付けるのも本来ならば厳格な作法の下、
自分で丁寧に応量器を片付けていくものです。
しかし雲水さんは一切咎めることなく、無言でしてくれました。
雲水さんの深い優しさを垣間見たときでした。
そして、中食を終えた他の参加者達が部屋に戻ってきて、
自分の体調を心より心配してくれました。
「調子はどうや?」
「少しは良くなった?」
「若いのに来ただけで偉いよ!」
その温かい口調や表情に、偽善は一切ありませんでした。
僕のことを想う気持ちで溢れていました。
これほどまでに「人の本当の優しさ」を感じたことは、
今までありませんでした。
どんなに辛くても絶対に四日間、
もう休むことなく乗り切ろうと思いました。
さらに、参禅者の一人が、
「あれ?なんだろう?」と
部屋にの片隅にあった「雑記帳」と書かれた
ノートの存在に気付きました。
雑記帳は鉛筆と共に、机の上にあり、
参禅参加者は自由になんでも書いていいようです。
開いてみました。
皆で覗き込みました。
するとそこには、
「後の参禅参加のみなさんへ。
辛いだろうけど、がんばってください!!」
「私はこれを書いている今、修行がとても辛いです。
実生活でも辛いことばかりでした。
人の人生の意味はなんだろうと思いここに来ました。
これを乗り越えれば、何かがあるはず。
みんなでがんばりましょう。」
「今日で最終日。
二日目が辛いけど、三日目からは楽になるぞ!
だから、二日目を全力でがんばれーーー!!」
過去の参加者達のメッセージで溢れていました。
どれも自分達への励ましでいっぱいでした。
さらに雑記帳のページをめくると、
愛する者を失った人、
難病持ちの人、
親に怒られ来た女子高生、
極普通のサラリーマン、
生きる意味を探しに来た人…
多くの人の想いがたくさん詰まっていました。
自分は一人じゃなかったんだ。
心から応援してくれている人が世の中にこんなにいたんだ!
色んなものからとてつもないエネルギーをもらいました。
二日目は死ぬほど辛かったのですが、
ここで死んでもかまわないという気持ちで乗り切りました。
☆人生を変えるポイント
・自分を本当に大切に想ってくれる人が存在すると知ること
・出会いによって、その優しさに実際に触れること
三日目
午前三時半、振鈴。
起床後すぐに坐禅をしました。
足の痛みはもう然程、心に侵食してこないことに気付きました。
しかし、坐禅を終え部屋に戻ると、
思わぬ事態が待っていました。
部屋では、
参禅者の一人、五十代の男性が
荷物をまとめ正座をしていました。
そして今までとは違う、
とてもかしこまった口調で、
「この度、私は下山させて頂くことに致しました。
想えば三日間、皆様方と共に修行できたことを本当に嬉しく思っております。
しかし、どうしても体調が優れない故、
今日、始発の電車で東京へ帰ることになりました。
修行を最後まで全うすることができなかったという
情けない気持ちでいっぱいです。
残り二日間、皆さんはどうか修行をがんばってください」
そう言い、その方は床に手をついて深く頭を下げました。
そのかしこまった口調と内容に、他の参加者も皆、
最初は驚いていましたが、
やがて頭を深く下げ返しました。
そこに交わされた言葉はありませんでしたが、
確かに通じ合うものがありました。
最後に、最年長で唯一の過去の参禅経験者の方が、
「修行に最後まで残ることが、いい事とは限らん。
人の人生は様々。
今日下山するほうがあんたにとってはよかったのかもわからん。
ここの修行が全てではないし、世の中には良いものが沢山ある。
気を落とさないで、胸を張って東京へ帰ればいい。
良い人生を送ってな!」
そう言い、そして別れました。
最年長者の方が言うには、
彼は初日から常備薬とみられるものを飲み、
とても辛そうだったとのことです。
僕は自分のことだけで精一杯で全く気付きませんでした。
自分の未熟さを感じずにはいられませんでした。
家族の死を経験し、永平寺へ来られた方でした。
あの下山された方の分もがんばろう…!
再び、朝務を済ませ、禅堂で坐りました。
しかし姿勢は正しているつもりでも
修行不足の僕はどうしても姿勢が曲がってきてしまいます。
姿勢を正してください。
あなたたちの来たここで、
一体どれ程の人達が坐れなかったかわりますか?
その人たちの分も坐っているのです。
その重さを考えてみてください。
力強い雲水さんの声が聞こえました。
そう、この参禅研修は人気絶大なのです。
自分が来たことによって、
その他の方がこの研修に参加できなかったのです。
ここにどんなに来たくても来られない人達がいたのです。
気を引き締めて坐りました。
午後になると、散策がありました。
永平寺内を参加者のため特別に、雲水さんが案内してくれるというものです。
案内してくださった雲水さんの知識の深さには、
感心させらるばかりでした。
永平寺の歴史、像、鐘、建物の造り、
それぞれの素材、ただ立っている木までも、
正に全てを知り尽くしていました。
あるとき、
壁に何気なくある絵について誰かが
「なぜ竹、松、梅の絵が描かれているのですか?」
と質問をしました。
すると、
竹の様に節目を持ち、
松の緑の様にどの季節も色あせることなく、
梅の様に辛い冬もじっと耐え忍び、
時が来たならば、鮮やかな花を咲かせる。
その様な私達修行僧の在り方のお手本として、
掛けられている絵なのです!
発せられる力強い言葉に
皆はただ感心するしかありませんでした。
しかし、雲水さんは周りにいる皆がいくら感心をしても
全く気持ち高ぶることなく、本当に平然としていていました。
(後に最年長ベテラン参禅参加者の方から聞いたのですが、
案内してくれた雲水さんは極めて優秀で偉い雲水さんらしいです)
散策の最後のほうで、別の雲水さんが、
「私達雲水の修行はまだまだ続きますが、
みなさんが修行を終える四日目には
少しだけ良いことがありますよ。
ですので、あと一日がんばってくださいね」
と耳元でこっそりみんなに言ってくれました。
誰かが良いこととはどんなことかを聞くと、
「あまり期待してはいけませんよ。
本当に小さな良いことですから」
とのことでした。
散策が終わると、夕方に茶話会がありました。
これは長く修行を積んだ老師が来てくださり、
参禅者と自由に談話できるというものです。
茶話会は今までの修行とは違い足をくずしてよく、
和菓子とお茶も用意してあり、和気藹々としていました。
茶話会は互いの自己紹介からはじまり、
老師に何でも質問してもよいというものでした。
老師はどんな質問にも見事なまでに答えてくれるそうです。
僕は最初、「人はなぜ生きているのですか?」と聞こう思っていました。
老師は穏やかな表情で話をはじめました。
白い紙を見て「雲が見える」と言った人がいます。
どういうことかわかりますか?
紙も雲も「白色」だからなぁ~、と思っていると全く違いました。。
紙は木からできています。
その木が育つには、雨の恵みが必要です。
そして、雨を降らしてくれるのは「雲」ですよね。
実は、皆さんの手元にある白いたった紙一枚にも、
それだけの『自然の恵み』が詰まってそこに在るのです。
なるほど~、と思っていると話は続きます。
また、ある人は白い紙を見て、「パンが見える」と言いました。
どういうことかわかりますか?
パンの生地も「白色」だけどなぁ。。
そんなの言ったら笑われるよなぁ…
僕は考えましたがわかりませんでした。
木を切ってくれた人が休憩中に食べた「パン」です。
自然の恵みだけじゃなくて、
『人の労働』があって、今、皆さんの手元にあるということです。
なるほど~、途端に紙が尊いものに見えてきました。
「どっちも白です」なんて言わなくて良かった…。。
さらに話は続きます。
童話に「ウサギとカメ」がありますが、
カメは自分のペースでゴールを目指しますよね。
現代の方を見ていると
ゴールを過ぎても休まずに走っている
ウサギのように感じます。
実はゴールを過ぎているのに、
それに気付かないで、人生のゴールを求めて走り続ける。
これではどんなに探してもゴールに辿り着けるわけがありません。
もう過ぎているんですから、辛いだけです。
少し足を止めて、振り返ってみてはいかがでしょうか。
幸せは身近な日常に溢れているものです。
老師の話を聴くにつれ、見えてくるものがありました。
僕は自分の質問のときに、
なんで生きているんですかとは聞かずに、
代わりに、目標と欲の違いについて聞きました。
茶話会では、皆がそれぞれの想いを共有し、打ち解け合い、
全員の距離がぐんと縮まりました。
午後五時。
雲水さんとの最後の薬石(夕食)でした。
この時だけ特別に、食事中でも会話が許されました。
それは今までと違い、
雲水さんとも、とても和やかな空気でした。
作法ももう身についていました。
流れるように作法を再現できることには、
深い味わいがありました。
また、雲水さんに、どんな質問をしてもよいとのことです。
「出家する前、彼女はいたんですか?(笑)」
そんな声も聞こえてきました。
(雲水さんは、いたと答えていました)
僕の隣には、散策で案内してくださった雲水さんがいます。
「いつ下山するかは自分で決めるんですか? 」
「どうやって決めるんですか?」
質問をしてみました。
すると、雲水さんは質問を受けるなり、
一秒でも早く僕の質問に答えるために
口の中に入れたばかりの食べ物を噛まずに丸呑みし、
自分で「今だっ!」と思ったときに下山します。
と答えました。
「今だっ!」にこもるあまりもの迫力に、
そうですかとしか返せませんでした…
間近でわかりましたが、
雲水さんは声を喉から発していませんでした。
頭から声を発しているとでも言うのでしょうか…
通常とは明らかに違う所から声を発していました。
非常によく、身体の隅々にまで共鳴している声です。
それはお経のときのそれと同じだと思いました。
そのことからも修行の数が違うのが感じとられました。
そして、就寝前の坐禅です。
皆が茶話会で親しくなり、
悩みの雲が広がり消えてゆき、
修行も苦にならなくなってきたときでした。
坐っていると雲水さんから、
あと一日という修行の終わりが見えてきても、
気を引き締めてください!!
皆さんが廊下を歩くときのスリッパの音、
皆さんの気持ちの高揚ぶりが手にとるように分かります!
正にその通りでした。
言われたとおり気を引き締め、三日目を終えました。
☆人生を変えるポイント
・紙一枚でも「自然の恵み」と「人の労働」を感じること
・日本人は、人間のゴールは過ぎていると認識すること
最終日:四日目
いよいよ下山の日です。
午前三時半、振鈴。
目を覚ますと、
それは今まで経験したこともないような
とても清々しい目覚めでした。
幼い頃の希望に満ちた様な感覚。
これほどまでに気持ちの良い目覚めは、
もうないと思っていました。
そして起床後、
坐禅をしに禅堂に行くと、
すでに、お世話してくださった雲水さん達が皆、禅堂で坐禅をしていました。
雲水さんからのサプライズ。
最終日の今日、自分達の為に先に坐ってくれているのでした。
「口でああせよ、こうせよ、と言うのではなく、こうしてみよと見せてみる。」
正に教えの通りでした。
ここではじめて雲水さんの坐る姿を自分の目で見ました。
どれほど目を凝らそうが、誰も微動だにしていません。
その姿は本当に人間なのか疑いました。
精巧に出来た銅像にも見えました。
その姿は本当に美しいものでした。
僕は、素晴らしいお手本を見ることができました。
いよいよ下山直前、
最後に今までお世話をしてくださった
雲水さんひとりひとりからの挨拶がありました。
思えば四日間、雲水さんの姿勢、仕種、言葉、どれも本当に美しく、
厳しい口調もその根源は優しさで溢れていました。
最後の一人の雲水さんの挨拶で、
「実は、三日前に修行に来たばかりでした。
だから、他の参禅者の方と同じ状態の自分が
間違いを犯さないかずっとビクビクしていました(笑)」
と言った雲水さんがいました。
その告白を聞いたとき、皆が自然と笑いました。
他の雲水さんも自然と笑いました。
そのとき、はじめて雲水さんの笑顔を見ました。
今までの厳しい表情とは違う、とても優しい笑顔でした。
はじめて雲水さんの人間らしいところを見ることができました。
修行を終える四日目にいいことがあると聞いていましたが、
それとは別に、四日目に雲水さん達の
あの笑顔を見られたことが僕の宝になりました。
そして、雲水さんは最後に、
これから下山されると
今まで見ていた世界とは違う世界が見えます。
しかし、ここで修行が終わったわけではありません。
これからも一日一日、精進して下さい!
と、そう言い、
参加者全員へそろって一列で合掌低頭(おじぎ)しました。
皆も合掌低頭しました。
このときの言葉は、今でも重く在ります。
そして、僕の永平寺参禅修行は終わりました。
参禅者を指導される雲水さん達は毎回同じではありません。
雲水さんは皆個性のない同じお坊さんに思う方もいますが、
そうではありませんでした。
彼らだって一人ひとり違いました。
あのときの参禅研修は、
もう二度と誰も同じものを体験することのできない
あのとき限りのものなのです。
それは唯一無二の日々のように。
雲水さん達とお別れの後、
今度は他の参禅参加者達との別れの時がきました。
最後の挨拶をし、
一人、そしてまた一人と
それぞれが帰るべきところへ帰ってゆきました。
永平寺を下山すると雲水さんの言われた通り、
世界は今までとは違っていました。
光と希望で満ちていました。
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<追記>
現在、禅の師匠に出会えて
悟りについても明確になりました。
仕事の事業でも商業出版まで実現して
最高に幸せで複数分野で成功できているので、
その気付いた秘訣を無料でシェアしています。
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