3年前に出会った地方出身の大学生への就活支援で、Facebookで交わした3200通のメッセージの記録です。
3年前、皇居勤労奉仕のボランティアで、私はU君と出会いました。友人が彼を誘って、ボランティアに参加していました。私は、久しぶりに大学生と出会ったのです。
「近頃の大学生は、勉強しているんだろうなあ・・・」
ふたりとも、難関国立大学の法学部の2年生でした。一浪の末、目指していた東大を諦め、志望を変えて、現在の大学に入学したそうです。
「〇〇大学ですか、すごいんですねえ・・・よく勉強したんでしょうねえ。どうやったら、そんな難しい大学に受かるのですか?私なんか、受験しようとさえ思わなかった大学ですから。」
「簡単ですよ、英語は音読ですよ。英単語と文法を固めたら、あとはひたすら音読です。」
そして、Facebookでお友達申請をしました。
それから、U君が私の英語のセミナーへ参加しました。そのセミナーのあとに、U君が相談があるというので、お話を聞きました。
「西條さん、おれはどんな仕事についていいか、分からないんです。」
「どんな仕事に興味があるのですか?」
「一応、商社に行こうと思っています。」
「どうしてですか?」
「先日、先輩OBがキャンパスに来て、かっこ良かったからです。それに、海外で活躍出来るみたいだし・・・」
「海外で活躍するなら、たくさんの仕事がありますよ。」
「でも、おれには、どんな仕事があるか分からないし・・・」
「商社って、泥臭い仕事です。アフリカのジャングルの奥へ行って、商品を売る仕事も含まれます。タフで、気の強さが必要なんです。」
「そうなんですか?」
U君は、神経質な顔をしていました。焦点がぼけて、どこを見ているか分からない様子でした。
「おれ、実は、司法試験を受けるために法学部を志望したんです。一年生の時は、やる気があったけれど、2年生になってから、『司法試験を受けるには、向いていない』って感じたんです。
それで、司法試験を受けるのを止めたんです。そうしたら、頭の中が真っ白になって来て、なにをやっていいか分からなくなって、彼女を作って、2年目は遊んじゃったんです。それに、彼女には振られるし・・・これが、俺の成績です。」
U君から、正直に成績を見せてもらいました。
「GPA2.3・・・どうしたら、こんな成績がとれるの?私でも、こんなにひどい成績は、取れないよ。ちょっとひどすぎるね。」
「そうなんですか・・・?」
「この成績だと、どこも内定は無理だよ。GPAは、最低3.0にしないと・・・」
それから、学年平均を見ました。
「GPA2.26・・・」
「U君の同級生って、勉強していないんだねえ。GPAが低すぎる・・・」
「みんな、授業サボっています。ノートだってコピーだし・・・」
「じゃあ、私の頃と全く変わらないねえ・・・親御さんが聞いたら、怒ると思うよ。」
U君の友人も、私の元を訪れて言ったのを思い出しました。
「西條さん、おれたちは『ブランド大学』に入ったから、適当に勉強してても、メガバンクくらいは受かるんです。だから、がつがつもう勉強はしなくたって良いんです。」
それが、私の長らく憧れ続けた名門国立大学の学生の言葉とは、到底思えませんでした。
「これが、現実か・・・私の頃と、ちっとも変わっていない・・・」
それから、U君とは5回会いました。彼の適性を見るには、ちょうどいい時間でした。色々な角度から、彼を見ることが出来ました。
「より複雑な課題に対しての探究心」
「過去の事例の分析力」
「素直さ」
どれも、就活には必要な条件なのです。
「あなたは、どうして私に会いに来たのですか?」
「西條さんのような経歴を持ちたいと思ったからです。それに、西條さんのような経歴の人が、まわりにいないし、どうやったら会えるかなんか、分からないし・・・」
「では、私が30年も40年も、田舎で高校の教師をしていたら、あなたは、私に会いに来ますか?」
「失礼ながら、それなら、全く興味がありません。」
「そうですか、それなら、あなたは海外で活躍したいと考えているのですか?」
「西條さんのような仕事をしたいと思っています。」
「それは、投資銀行と言うことですか?」
「いいえ、そんな立派な仕事ではなくて、海外で働けるようになりたいと思っています。だって、カッコいいじゃないですか・・・!」
それから、私はこう切り出しました。
「もしよかったら、アメリカの投資銀行を受けてみませんか?」
「ええっ、投資銀行ですか?受かるわけないじゃないですか!うちの大学にも、いませんよ。それに、おれは、飛行機に乗ったことがないし、英語だって出来ないし・・・投資銀行なんて、優秀な人が応募するんでしょ。おれなんか、無理に決まっていますよ。」
この名門国立大学の大学生でさえ、そう言うのかと思いました。投資銀行マンが、そんなに優秀だと思われているのかと、初めて感じました。
「でもね、受けてみないと結果って、出て来ないでしょ。試験と同じです。」
「そうですが、無理ですよ、そんなの。金融なんて、おれは全く分からないし、専門外だし。」
「では、私が投資銀行の話をするので、それを聞いて興味があるのであれば、受けてみませんか?私は、実は、投資銀行で採用担当の人事の仕事もして来たので、あなたは応募しても良いかなって思っています。」
「ええっ、そうなんですか?」
「そうです、私は滅多に声を掛けないんですよ。可能性のある方にだけ、声を掛けます。」
それから、日比谷にある無印商品の2階のレストランで、ゆっくりと話をしました。約5時間もかけて、内情も全て話をしたのです。
「どうですか?興味はありますか?」
「いやあ、とってもありますよ。すごい仕事ですね、それも経済的な豊かさや、将来の展望も・・・夢みたいな生活ですね。」
「では、応募してみますか?」
「ええ、お願いします。」
「では、これから、私の言う通りにやって下さい。そうすれば、受かりますから。いいですか、私の言う通りにやるんです。」
それから、私が考えた「グローバル人材になるための就活のブートキャンプ」が始まった。
「これからのあなたのライバルは、帰国子女と留学経験者です。その人たちを『海派』と、私は呼んでいます。あなたは、『ドメ派』です。domesticという単語から来ています。霞ヶ関の官庁街では、れっきとした専門用語です。
あなたには、ドメ派でありながら、海派を撃ち落とす『スーパードメ派』になって頂きます。帰国子女も海外留学組も、海外ですでにトレーニングされて来ていますね。その彼らを撃ち落とすために、これから、あなたには、やって頂きたいことがあります。
(1)成績は、すべてオールAを目指す。
(2)部活は、きちんと参加する。
(3)授業は、無遅刻無欠席。
(4)アルバイトも、無遅刻無欠席。
(5)社会人として必要な専門知識を付けるための資格試験を、すべて合格する。
この5つを達成することを、U君に依頼しました。
「これらをやり遂げるには、もう9ヶ月しかありません。3年生の9月までにやり遂げて、10月一杯は、エントリーシートの作成、そして11月からは、就活開始です。
だから、資格試験は、すべて『一発合格』でお願いします。試験は、7つあります。どれも手を抜くことは出来ません。100%やり切って下さい。
そして、この5つを達成したら、私に連絡して下さい。何か困ったことがあったら、Facebookのメッセージボードにメールを下さい。すべては、アメリカ式に鍛え上げるカリキュラムです。
あなたがやり遂げた時、闘う準備ができたことになります。
そのためには、いまから『予習中心』に意識を変えて下さい。そして、どんなことも『先始末(さきしまつ)』でお願いします。
社会で企業が新人に必要だと思っていることを、先に身につけておくのです。」
それから、U君のきびしい9ヶ月は、始まりました。
「時間管理」しなければ、ぜったいに達成が無理なスケジュールです。どの試験も、一回で合格をしなけれなりません。
常にvery bestを差し出す・・・
ここから、私とU君の2人3脚の就活トレーニングが始まったのです。
私達は、何でも話し合いました。
毎日10通くらい、やり取りしたことがあります。
「おれが、うれしい時、辛い時、すぐそばにいて相談が出来る、一緒に喜んでくれる人がいる、そんな環境って、俺に取っては最高なんです。安心して、進むことが出来ます。」
そう言っていたU君も、夏場からメッセージボードにメールが届く回数が、少なくなったのです。
それは、過労で倒れたからです。
数日は、安静にして休んでいました。
「2、3日、休みます。」
「休んだ方がいいです。先は、長いですから。」
「大丈夫です。必ず、また立ち上がりますから・・・」
それから、またトレーニングが始まりました。
そして、9月の末に、U君から返事が来ました。
「西條さん、最後の試験を合格しました。これで、言われたことはすべて、やり終えました。」
「そうですか、やりましたね。おめでとうございます!」
そして、U君の3年目の前期の成績は、GPA3.8まで上がっていました。
「正直言って、このスケジュールは、おれにはとてつもなく厳しかったです。一浪して受験勉強した時よりずっと、勉強しました。こんなに勉強したことはありませんでした。それに、途中で心がおれそうになりました。本当に辛かったんです。でも、今ここで諦めたら、もう先がない、投資銀行マンの道が閉ざされると思って、踏ん張りました。出来る所から始めて、少しずつ自分の枠を広げて行きました。そして、やり遂げる度に、自分の自信が大きくなって行くのが分かりました。」
素晴らしい気づきだと思います。
「では、これでやっと、ライバルの海派と対等に闘える段階に来ました。一緒に土俵にいると思って下さい。これからは、機関銃で、全員を撃ち落とすことをやり遂げるために、『戦略』を練るのです。それが、とても大切です。
ここからは、本当の闘いです。まずは、6社に絞って、エントリーシートを完成させましょう。」
「ええっ、6社で良いんですか?」
「そうです、6社に絞って、ピンポイントで攻撃します。」
「おれ、30社に応募しようって、考えていました。」
「たった6社でいいんです。」
「6社なら、勉強との両立が出来ます。」
「私が考えている投資銀行に狙いを定めましょう。」
そうして、6社を決めて、U君に企業説明会に参加してもらいました。
「西條さん、すごいですよ!」
「なにがすごいんですか?」
「説明会で出会った社員の方々が、きらきらと輝いていて、自信に満ちあふれていて、おれもこうなりたいって、真剣も思いました。」
「それは、よかったです。入社したら、彼らの側に立てる人になって下さい。」
それから、一社のエントリーシートの内容を見せてもらいました。どんな質問があるのかを、知りたかったのです。
「あれ、これって、私が就活した時と同じだ。」
「ええっ、そうなんですか?」
「これ、楽勝だ・・・!」
60歳の今でも、こうして私の経験が生かされている。企業が求める人財は、昔も今も変わらない。
そのせいで、私がお役に立てると言うものだ。
U君の書いたエントリーシートを見ました。
「U君、これじゃ絶対に落ちるよ。見ただけで分かるよ。」
「どうすれば良いんですか?」
「要するに、企業側がどんな人を求めているかを知れば良い。そのために、企業のホームページをなめるように読むんだ。」
「おれ、そんな英文を読むほどの力がないですよ。」
「慣れるまで、やり続けなさい。」
それから、U君からまたエントリーシートが来ました。
「では、これを直すから、あとは清書しなさい。それと、英文にもまとめなさい。」
「西條さん、時間がありません。今日は、徹夜になります。」
あの5つの項目を守り続けるために、これからバイトに出かけるU君でした。
真夜中に戻って来て、2人3脚でエントリーシートを仕上げました。
「あとは、ウエブテストだけだな・・・」
そのテストは、U君に任せました。
「このテストで、負けてはいけない。絶対に合格して下さい。全てが水の泡になってしまうから。」
そうして、6社にエントリーシートを送りました。
それから、3日後に、最初の面談依頼が来ました。
「西條さん、すごいです!」
「なにがすごいんですか?」
「だって、おれのところに、面談依頼がきたんですよ。おれ、びっくりです。」
「あたりまえじゃない、私はかつて人材採用担当者だったんだから・・・」
「西條さんのエントリーシートの書き方って、すごいですね。」
「いかに、企業側の気持ちを理解しているかを表現すればいいんだよ。」
そして、6社すべてから、面接の依頼が来ました。
そうやって、U君は、面接試験を受けに行きました。
これが、長く続く「関ヶ原の闘い」になるのです。
最初の面節を終えて、U君から連絡をもらいました。
「面接は、どうでしたか?」
「やっぱり、おれ以外は、帰国子女と留学経験者だけでした・・・」
「そうでしょ!だから、この9ヶ月が生きて来るんです。これだけやって落ちたとしたら、よほど、優秀な人たちが応募して来て、自分よりも結果がよかったと諦められます。そして、あなたは、この9ヶ月間、本当に良くやった。だから、堂々としていいんです。」
「でも、これから英語の面接があります。」
「それは、出たこと勝負です。慣れしかないから。」
「でも、落ちたらどうしよう・・・」
「一社だけ受かれば良いから。それに、英語力だけでは合格しません。総合力です。心配しないで。」
それから、4週間、U君に取っては、地獄の関ヶ原が待っていた。
攻めては討ち死にし、攻めては討ち死にして行った・・・
体重が、どんどん減って行った・・・
「U君、ひとつひとつの面接を大切な機会として考えて、なにが悪かったかを反省して下さい。そして、それを2度と繰り返さないことです。メモを取りなさい。その日のうちに、反省しなさい。」
U君は、面接を受けながら、あの5つの約束もずっと守って来ています。どれだけ厳しいかを想像出来ると思います。
それから、11月の末になりました。
外出先から帰宅途中で、U君から電話がありました。
「西條さん、おれ内定です!」
私の心が飛び上がる思いがしました。
「やったあ〜!!おめでとう!」
そう言うのが、精一杯でした。思わず、立ち止まりました。胸がつまりました。2人でやり切った感がありました。色々な感情が溢れ出て来ました。
「西條さん、おれ、本当にうれしいです。100%やり切ること、先始末すること、全ては準備に十分期間を長く持つこと。たくさん教わりました。」
「よかった、よかった・・・」
この時、メッセージボードには、U君とのメールの交換が、3200通を越えていました。U君とのコーナーは、パンパンにふくらんでいました。もう爆発寸前でした。
「人間ひとりの人生に関わる時、それだけのメールを交換しないと、相手を丸ごと理解出来ない。」
12月初めから、日本企業の就活が始まり、その時には、すでに就活を終えているU君がいます。たった一ヶ月で、勝負を決めたのです。
「おれ、なんだか、急にやることがなくなって来て・・・」
「U君、5つの約束は、卒業式前日まで続きます。それまでは、今までの生活をやって下さい。」
「ええ、そうします。卒業式までやり切ります。それから、元の彼女からメールがあって、寄りを戻したいって言うんです。」
「そんなオンナは、止めなさい。あなたの素晴らしさも見抜けない女性は、あなたの相手になれない。」
「おれもそう思います。」
それから、U君は、いままで通り5つの約束を守り続けました。
そして、卒業式前日に、最終の総合GPAが決まりました。
GPA3.2
「2年目の成績が、悪すぎましたね。一年生の時に、西條さんに出会っていたら、おれはハーバードの大学院に行けたかも知れない・・・」
「そうですね、でも十分アメリカの大学院へ行けるGPAですよ。3年目と4年目は、ともにGPAが3.8だから、専門分野での成績がいいことになりますね。これが大事なんです。よかったですね。」
それから、U君は、卒業式をご両親と一緒に迎えました。そして、私に連絡して来ました。
「おれは、学生時代に何も名残がありません。やり切りました。西條さんのおかげです。100%やり切ること、仕事は先始末、そして、一撃必殺!だらだら、試合をやらない。これですよね。」
私が、極真空手の師範から学んだことです。
「一撃必殺」
本番の試合で、なるべく時間をかけないで、相手を仕留める。そのためには、自分の技を徹底的に磨いて、破壊力を身につけて、試合に向かう。そして、数秒で相手を倒す。それから、体力を温存する。そうして、トーナメントを勝ち上がって行く・・・。
「西條さん、よかったら、この3200通のメール、PDFにして保存しておきたいんです。西條さんからもらった言葉、心にしみ込んで来ます。これ、おれの宝物にします。」
「いいですよ、どうぞ。」
そして、U君の体重は、出会った頃から10キロ減りました。今でも、変わっていません。どれだけの厳しい日々だったかを物語っています。
今のU君は、来年入社する内定者との懇親会で、名刺を渡したそうです。そして、憧れていた東大の卒業生と、同じ部署で勤務しています。
東大、京大、ブラウン大学、慶応大
「東大に入れなかったけれど、一緒に働くことになりました。」
「よかったですね。私だって、ハーバードやスタンフォードやイエール大学のMBAと一緒に働いて来ました。入学出来なくても、最後に職場が同じになればいいんです。それで、レベルは一緒と言うことですから。」
「ねえ、西條さん、職場から届いたファイナンスの通信教育テキストを図書館で開いていたら、中国人女性の大学院留学生が、声を掛けて来たんです。」
「ええ〜、すごいね。」
「彼女が、『ファイナンスを専攻しているんですか?』って、質問して来ました。その時に、『いいえ、投資銀行に内定したんです。』って答えたら、
『ええっ、学部で採用されたの?!すご〜い!!』って、言われました。」
「全ては、この2年半の努力の成果です。」
喜び一杯のU君の言葉です。
「私の言う通りにやれば良い。」
私との約束を守ったU君の、人生に違いを作った瞬間です。
就活で使うスーツを買えなくて、お兄さんのお下がりを着ていました。ぶかぶかの様子でした。また、カバンも、お兄さんのお下がりでした。
そんなU君が、いまではご両親に仕送りをするようになりました。
東京駅から雨にぬれないで通える職場です。そして、2020年に向かって、アメリカのロースクールに通うために、貯金しているそうです。
「人生のPlan B」
だれにでも、たくさんの選択肢があります。ただ、それが見えないんです。私は、その選択肢をU君に見せてあげただけなんです。
「人生のPlan B」
私が、U君に差し上げた人生の選択肢のひとつです。
人生は、何度でもやり直すことが出来る。
私の人生訓です。
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
感謝
PS:U君は、入社1年目に「新人らしからぬ働きぶり」と高く評価され、2年目に「英検1級」に合格し、「東京office」の中心人物として期待されています。そして、TOEFLで合格点を取り、3年目の5月から、Temple大学のロースクールに通います。目指すは、アメリカの弁護士資格。大学卒業と同時に、田舎のご両親に仕送りをする親孝行な青年です。