高木教育センターのありふれた日々(9)
第八十一章「睡眠学習機&キオークマン」
第八十二章「湯川先生の犬のウンチ理論」
第八十三章「四日市高校って、どんな学校?」
第八十四章「そんなことは分かっている」
第八十五章「黒歴史」
第八十六章「発情期のオス」
第八十七章「悪いけど、つきあっていたら落ちてしまう」
第八十八章「オランダ人は、背が高い」
第八十九章「味噌とクソの違い」
第九十章「左翼教師とテロリスト」
第八十一章
「睡眠学習機&キオークマン」
昭和40年代には下記のような怪しげな広告が少年雑誌によく載っていた。寝ている枕元で公式やら年号やらをテープで流す装置だ。すると、寝ている間に全て頭の中に入る記憶マシーンというわけだ。
私の友人の佐藤君は
「オレ、すっげぇ安い記憶マシーンの広告見た。もうすぐ届くぜぃ!」
と言うので、後で見せてもらったら紙で出来たバナナのような形をした円筒形のものだった。一方を口に当てて一方を耳につける。そして、口元で英単語をささやくと耳から音声が聞こえて直接脳を刺激するという代物だった。
Amazonより
ITキオークマンとは
「目で見る」「声を出す」「耳で聞く」という3つの知覚刺激を大脳に伝えることで、学習能率をアップさせる学習用機材。
ITキオークマンの使い方は
例えば英会話を学習する時、テキストを黙読するだけではなかなか覚えられないが、声に出して音読することで、記憶の手助けをすることができる。キオークマンを使うと自分で発音した言葉がマイクとヘッドホンを通して耳にかえってくる。目で見て、声に出し、耳で聞くと言う3つのことが同時になされることで、更に記憶の効率がアップされる。また、ヘッドホンをつけることで外部の雑音を遮断することができ、さらに集中力もアップできる。
「スピード・ラーニング」というのもある。音声を流しておけば外国語が自然と身につくそうだ。
他にもタブレット教材、パソコン教材、衛星を使った動画配信。ネイティブの指導から、大規模なLL教室に、留学。
私たちの予備校や塾業界でもある。豪華なホテルで合宿とか、駅前の一等地の巨大ビルだから安心。あるいは、有名タレントがジャンプするCM。有名アニメのキャラが踊るから信用してください。そんな経営方針だ。
私たちが生徒の頃は、相対評価の通知表だった。上位の7%だけが「5」だった。何が怪しい教材かどうかは、この上位の7%の子しか理解できなかった。今もそうだ。中間層の最大多数は
「楽してよい成績を」
と思っている。そして、サギに引っかかる。難関大に合格するには、英単語は6000語、数学は2000題が必要。統計はそう教える。どの参考書でも、どの問題集でもいいんです。ダメなものは自分で分かる。自分で分からない程度の勉強量なら、どれで練習しても変わらない。
自分の手を動かさずに、キオークマンなんて安直な方法を考える時点で終わっている。私はそんな生徒は要らない。もちろん、高校も大学も要らないだろう。会社も要らない。怠け者、愚か者を欲しがるところなんて無いのだ。
ところが、学校とか受験指導の場で
「四高を落ちた講師が、四高受験生を指導?」https://youtu.be/Ocouy7L3x9Y
「2級の先生が、1級の生徒を指導する?なんか変」https://youtu.be/C4xAkpjlikU
といった動画をアップしたら、蛇蝎のごとく嫌われた。本当のことなのに。受験指導なんて、睡眠学習とかキオークマンの出番はまったくない。数学の問題を解く。分からない問題があったら講師に聞く。つまり、先生がすべてだ。
時給2000円の学生アルバイト講師に質問するとどうなるか?河合塾のチューターに、私の塾生は不満を言う。
「質問しても答えられない」
学校の教師についても不満を言う。
「今度までに考えてくる」
90分指導のときに、これをやられたら90分で1問に答えるので終わる。しかし、私に尋ねると毎回平均4問か5問は解説している。つまり、学生アルバイト講師なら単価が1問2000円。私なら1回の指導が倍の4000円だとしても、1問1000円。半額で済む。
しかし、それは上位の7%の子には通用する論理であって、バカな生徒は睡眠学習機に何十万も払ったりする。そういう子は救いがない。
円筒形のプラスチックを持って、ささやき続ければいい。
そんな懐かしくも、甘酸っぱい昭和のアバウトな時代なのですが、そんな昭和らしい、怪しくも魅惑なグッズも、結構あったものです。そんな怪しさ満点でありながらも、なうなヤングや、チビッコ達を虜にしたマシンに、睡眠学習器があります。
第八十二章
「湯川先生の犬のウンチ理論」
私に誹謗中傷のいたずらメールを送信する人は、悪質なものは員弁警察署に通報しているので臨界値を越えたら警告を受けるか逮捕される。「餅は餅屋」に任せておくのが一番。私は時間もエネルギーも浪費したくない。
格闘技をやればよく分かるのだが、本当に怖いヤツは静かなのだ。「弱い犬ほどよく吼える」のは何故か。それは、弱い犬は吼えられると怖い小心者だからだろう。だから、相手も同じように吼えると怯えると誤解する。
しかし、世の中にはキャンキャン吼えられると
「こいつはチョロイ」
と逆に安心する人も多い。つまり、相手の攻撃パターンを見ると本物か偽者かすぐに分かるのだ。
受験指導も同じことで、生徒の質問を聞くと
「この子は本物だ」
とか
「この子は救いがたい」
と、すぐに分かる。弱いものをイジメて、自分の力を確認せずにいられないような劣悪な生徒は救いようがない。そういう生徒は警察に任せておけばいい。
私たちは、そういう生徒ではなくて人類のプラスになる子たちに目を向けるべき。お金をかけるべき。エネルギーを使うべき。だから、どの業界でも才能ある子しか学校に入れないし、修行の場を与えない。
野球なら甲子園まで来た子にだけプロ野球のスカウトが声をかける。プロで活躍した人にだけ、メジャーのスカウトが声をかける。音楽でも、芸術でも、必ずコンクールとか登竜門というのがあって、ふるいにかける。
そういう意味で私が指導させてもらっている子たちは、学問の世界ではエリート候補生が多い。京大受験生が今年(2015年)は10名を越えそうだ。通塾生と通信生の両方に各高校のトップクラスの子が多い。北海道から九州までの生徒の方たちだ。
英検1級に合格して、京大で8割とれることを確認したときに思った。
「このレベルの指導が必要な子って、だれだ?」
小学生くらいにアルファベットから教える教師や講師はいくらでもいる。でも、いまさら
「ハイ、A、B,C」
なんて出来ないと思った。では、誰かと考えて見ると「京都大学の受験生」という結論になった。ただ、三重県の県立高校ナンバーワンの「四日市高校」でも、京大合格者は10名ほど。
旧帝合格者数(四日市高校、定員360名)
H27 H26 H25 H24
京都大学 12 8 16 10
物理的に当塾に通える人は半数もないだろう。しかも、当塾を選んでくれるとなると数名しかいないことが分かった。これが、通信生を始めた理由だ。通塾生だけではビジネスが成立しない。しかし、こちらも問題があった。
「北海道や九州の人が無名の三重県の個人塾を信用してもらえるのか?」
ここで驚いたのは、やってみたら申し込みが毎年増えて右肩上がりになったこと。京大受験生くらいになると、他人の動向―つまり、Z会や河合塾などしか信用しない多数派の動向―は関係がないことだった。
「良いものは良いと評価してもらえる」
勇気をもらえた。この子たちは、「他人の不幸は蜜の味」という歪んだ心の持ち主がいなかった。ただ、ひたすら前を向いて突き進んでいた。彼らと微積分の問題を解いたり、英作文の答案を検討している時は、私にとって最高の至福の時間となった。
逆に、人の足を引っ張ることや誹謗中傷しか出来ない情けない人を目に入れたくなくなってきた。同じ人生なら楽しいことに使いたい。カリレオの湯川先生の言う「犬のウンチ」の理論だ。
誰だって、犬のウンチを見て過ごすより、花や絵を見て暮らしたいに決まっている。歪んだ人がまわりに居ると気分が悪くなるから、誰だって近づきたくない。でも、世の中にはそんな先生もいるんだね。問題児が大好きな先生。私とは全く違う人種の方。
暴走族講師や、ヤンキー先生が人気が出る。落ちこぼれ軍団のドラマが人気を得る。日本社会は、そういう社会だから私など蛇蝎のごとく嫌われる。それでも、私は非行少年の相手はごめんだ。
当塾にいる優秀な理系女子は、こういう野蛮な世界が嫌いだ。私も嫌いだ。「象牙の塔」にこもりたいそうだ。あまりに異質な人間が周囲にいるのは困るという現実的な理由らしい。
私もその理由がよく分かる。キャンキャンわめく、うるさい犬が隣にいたら研究など出来るわけがない。どうして、ここまで「白い巨塔」にこもりたがるかというと、中学時代のガマンできなかった経験がベースにある。
ここ「いなべ市」の中学校では、ほとんどの活動が「班」で集団行動をさせられる。よりにもよって、絶対に近づきたくない相手と一緒に行動させられる。教師はそれが「助け合い」「絆」と自己満足しているようだが、優秀な子たちはトラウマになっている。私はこの「いなべ市」出身だからよく分かるのだ。
「もう二度と、あいつらには関わらない」
と固い決意で中学校を卒業していくこと。教師の方たちはご存知なのだろうか。
第八十三章
「四日市高校って、どんな学校?」
三重県の県立高校の進学実績が一番というと、四日市高校です。毎年、東大は5名ほど、京大は10名ほど。学年により変動は大きいです。ここ「いなべ市」の公立中学校だと100名規模の中学校で毎年合格者が2名か3人。
旧帝合格者数(四日市高校、定員360名)
H27 H26 H25 H24
1、北海道大学 5 10 2 7
2、東北大学 0 1 3 2
3、東京大学 9 2 3 3
4、名古屋大学 37 25 17 30
5、大阪大学 8 6 17 20
6、京都大学 12 8 16 10
7、九州大学 3 1 1 0
合計 74 53 59 72
定員360名の全員が、そういう秀才ばかり。すると、何が変わるのだろう。あまり知られていない。この状態は、私が現役の生徒の頃から変わらない。使っている教科書や問題集は何も変わらない。
皆さんは、小学校で九九を覚えたての頃に得意になって周囲の人の前でやってみませんでしたか?しかし、そのうち気づく。
「みんなが出来る」
そして、得意になって人前でやるのをやめる。周囲の全員ができる場合、次の段階に進まないと意味がない。いなべ総合学園なら
「オレ様が一番だ」
となると得意な気持ちになり、前に進むのが遅くなる。しかし、四日市高校では何を教えても得意になる余裕などない。全国で1ケタ順位になるような子もいたりする。いくら中学校で1番、2番だった子も周囲の全員が同じレベルでは
「私はごくフツーの子なんだ」
と思い知る。だから、決して立ち止まらず前に前に進むしかなくなる。ここが、桑名高校や川越高校とは違う点だ。だから、同じテキストを使っても気合の入り方が変わってくる。
四日市高校 http://www.shiko.ed.jp/
だから、私は難関受験校指導を始めるときに
「ポントは教材やテストではない。講師と仲間だ」
と分かっていた。だから、私は
英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級をとり
河合塾学園、名古屋外国語専門学校で指導し、2番人気講師になり
京都大学を7回うけ、英語8割、数学7割の正解率であることを確認した。
それだけではない。生徒も地元のトップクラスの子に集まってもらうことにした。もちろん、意図しても認めてもらわないと塾に来てもらえない。これは、中学時代にトラウマを持っている生徒の心理はよく分かっていた。
「素行不良の生徒はお断り。あるいは、退塾させる」
これは、覚悟がいる。蛇蝎のように嫌われる覚悟がいる。今の日本は、偽善者の方が多数派だから誤解される。でも、私は友達を必要としない生活を続けていた。
「私ならできる。私しかできない」
そう思った。高邁な理想は、傲慢でないと出来ない。きれいごとでは出来ない。それが20年前のこと。四日市高校、名古屋大学、アメリカでの指導経験などから導かれた判断だった。
既に、塾生の方が京都大学医学部、大阪大学医学部、名古屋大学医学部、東京医科歯科大学などに合格したので、この判断は正しかったらしい。そして、予測どおり蛇蝎のごとく嫌われた(笑)。
嫌がらせや誹謗中傷もあるが、想定内のことだからスルー。
第八十四章
「そんなことは分かっている」
京都大学の二次試験は和訳と英作文のみであることが多い。したがって、採点基準が明確ではない。それで、生徒の求めにより京都大学を7回受けて採点基準の推定をしてみた。そして、その結果を Youtube、 ブログ、ホームページ、フェイスブック、ストーリーズで公開した。
すると、知らない人から電話がかかってきて
「あなたは京大二次の採点基準を知らない。私が説明してあげます」
と話を始めた。つまり、受験生の採点をしながら基準の人をつくる。その人よりこっちが上だから加点し、その人より下だから減点する。定石どおりだ。そんなことは、京大受験生でなくても誰でも分かることだ。その当たり前のことを上から目線で、得意げに解説をするわけだ。
私は馬鹿馬鹿しくなって
「ハイ、さようなら」
と電話を切っておいた。分かりきったことを拝聴しても時間とエネルギーも無駄だからだ。頭のよくない人の特徴が満載の話し方だったのだ。先日も、ベクトルの問題で質問が出たので、ベクトルではなく時間を短縮するためにxy平面を使って解く方法をほのめかしてみた。ヒントのつもりだった。
たいていの子は、私の意図に気づいて問題は解決するが一部の子はベストのヒントに
「きちんと答えてください」
と言う。ヒントであることさえ気づけないのだ。そして、
「学校の先生の言うことによると」
と分かりきった解説を始める。
そういう子にとって、私は基本的事項も理解していない哀れな講師なのだ。そういう時は学校の先生のように
「その答は○○だ」
と結論だけを言う。それで満足あのだから仕方ない。本当は考えて、解答にたどり着くまでの過程が大切なのだが、学校の先生に洗脳されていると手のつけようがないのだ。
私は最初、こういうダメな生徒は虚勢を張っているだけだと思っていた。しかし、違った。本気で自分は賢いと思っている。だから、私のような先生はバカにして教科書準拠の問題をやらせて褒めてくれる塾に移っていく。
塾の中にはそういう生徒のことをよく分かっていて、適当におだてて月謝を集金することだけを考えるところも多い。需要と供給が一致しているわけだ。しかし、そういう子は絶対に難関校には合格できない。
難関校に合格できる子は、客観的な目で自分を評価できる。公立中学校なら上位の3%くらいには入れるが、上位が無数と言えるほどいる。だから、たとえ問題が解けても
「もっとうまい方法はないか」
と常に改善を模索している。だから、私がアドバイスすると
「この人は自分より上だ」
とすぐ理解して、私の言葉に何が隠されているのか探ろうとする。だから、合格する。世の中には自分では理解できないほど賢い人がいる。簡単に人を見下さず、何かを学ぼうとしないと永久に上のステップに上がれない。
ところが、こういう人としての生き方は教えるのが不可能だ。幼稚園、小学校で勉強は先生から答を聞いて丸つけすることだと教えられてしまうと取り返しがつかない。どこかで、そういう指導がおかしいと気づけないようでは見込みはないのだが。
第八十五章
「黒歴史」
ノイローゼで入院という結末だと言えば、私の高校時代がどれほどの黒歴史なのか分かってもらえるかもしれない。しかし、その黒歴史がなければ英語や数学にこれほどこだわることはなかった。
だから、結果的には
「あれでよかったのかも」
と思っている。もちろん、二度とあのような生活はごめんだ。人に強制されることにトラウマがある。しかし、それもアメリカ生活を通して
「私が正常で、周囲が異常なんだ」
と悟った。
・絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。byイルカ・チェース
・大失敗するものだけが大成功を収める。byロバート・ケネディ
受験指導をさせてもらっていると、8割ほどの生徒は失敗をおそれてチャレンジをしない。
「どこでもいいから、合格できそうなところを受ける」
と言う。1割ほどの生徒はチャレンジをして、失敗して、トラウマを抱えたまま大人になっていく。そして、1割ほどはチャレンジをして合格しようが、失敗しようが努力を継続していく。
私は中学生で英検1級を持っている子を指導させてもらったことがある。私が1級に合格したのは30歳だ。京都大学の医学部に合格した子を指導させてもらった時は、私が10年かけて身につけた数学レベルに3年で追いついた。
私の指導させてもらっている生徒の中には、私よりはるかに才能に恵まれた子が多い。それは、四日市高校にいる時も、名古屋大学にいる時も、痛感させられたことだ。
しかし、私は歩みを止めるつもりはなかった。大学院の試験に口答試験で落とされ、学者の道を諦めた。通訳ガイドの国家試験に合格して通訳をしようとして、諦めた。見方によると、挫折だらけの人生だ。
それが、今になっては
「これでよかったのかも」
と思っている。私は才能に欠けるので、才能のある人の3倍の努力をしないと追いつかなかった。新幹線と鈍行くらいの違いがある。ところが、受験指導の場では鈍行できた人生がプラスに働くことが分かった。どこでつまづくのかよく分かるのだ。
学者や、俳優や、通訳や、いろいろチャレンジして挫折してきたために、平均的な講師より経験値が高い。英語と数学の両方を身につける努力をしてきたために、生徒の方の要望により広く応えることができる。
トラブル、挫折、失敗の真っ只中にある時は、絶望感にとらわれるのが当たり前だ。しかし、トンネルは掘り続けたら、いつかは貫通する。そう信じられるか、否か。それだけの違いだ。
タフで、時には傲慢で、鈍感か無神経くらいでちょうどいい。変だと言われ、誹謗中傷を受けるのは当然くらいに思っていた方がいい。攻撃されても気にせずスルーできるくらいの図太さも必要だ。それでいいのだ。
なぜなら、失敗で歩みを止めた人たちは他人も引きずり落とそうとする。塾講師でも、自分が出た大学より上のランクの大学を受ける生徒に嫉妬するちっちゃい講師が多い。自分では指導しかねる高学力の生徒の存在が許せない哀れな講師もいる。
結局、誰が何を叫ぼうと書こうと、いつの世も大多数の人は怠け者でチャレンジをする人は少数派だということ。そして、その怠け者を避けるために挑戦者は耳をふさいでしまい変人扱いを受けること。これは変わりないようだ。
誰でも黒歴史を抱えているが、それをネガティブに変えるか、ポジティブに変えるかは本人次第なのだ。
東大や京大は、今年から「変人」を受け入れる入試制度を始めるようだ。
東京大で「学部別募集」、京都大では「飛び入学」も
いよいよ、あの東京大学が「推薦入試」を、京都大学が「特色入試」を新たに実施する。将来の大学入試のあり方を先取りする方向転換だ。日本の大学の“頂点”が導入する「一般入試で測れない能力を丁寧に評価する」入試とは?その中身や特徴を見ていこう。
※この記事は『螢雪時代・2015年8月号』の特集より転載。(一部、webでの掲載にあたり、加筆・変更を施した)
将来の大学入試のあり方を先取りする“新エリート選抜”
2016年度から、東京大では一般入試の後期日程を募集停止して「推薦入試」を、京都大では「特色入試」を全学部で導入する。その概要を、東京大は表2、京都大は表3に掲載したので、参考にしてほしい。
東京大はセンター試験(以下、セ試)を課す推薦入試で統一。一方、京都大は学部・学科によりAO入試・推薦入試・後期日程と異なる。しかし、高校での活動・成果や入学後の適性を、書類審査や長時間の選考などで、丁寧に評価する選抜を目指す方向性は共通している。
募集枠こそ東京大が100人、京都大が約110人で定員の3~4%程度と少ないが、両大学とも、少なくとも新制大学移行後は、通常の受験生に対し一般入試のみで選抜してきたため、大きな方向転換といえる。そして、この2つの入試の重要さは、将来の大学入試のあり方を“先取り”している点にある。
2019~20年から、大学入試のしくみは大きく変わる予定だ。高校教育と大学教育の連続性(高大接続)を重視し、セ試に代わる「1点刻み」でない共通テスト「高等学校基礎学力テスト」「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)の導入や、一般・推薦・AOの区分の廃止、多面的・総合的な評価を重視した選抜、英語における外部検定利用の促進など、大幅な入試改革の提言が、昨年末に中央教育審議会からなされている。
東京大・京都大の新方式は、「高大接続」を重視し、世界的な大学間の競争が激化する中、主体的、能動的に学ぶ突出した才能の獲得を目指す点で、こうした変革の先行事例といえるのだ。
第八十六章
「発情期のオス」
前にも書いたことがあるが、当塾の理系女子は世の中の恋愛至上主義のような流れを嫌う。たとえば、歌謡曲のラブソングの割合はどれくらいなのだろう。9割くらいの印象。発情期のオスか。
頭の良い理系女子は
「恋愛なんて遺伝子が子孫を残せとささやいているだけ」
とか
「自分よりバカな男子など視界から消えろ」
と言っている。自分が上位1%以内の子が多いから、逆に言うと99%の男子は失格ということだ。確かに受験指導をしていると気づくことがある。それは、頭が悪い子ほどセックスやファッションの話ばかりしたがること。
そういう男子や女子を見る賢い理系女子は
「あいつらは性欲と自己顕示欲のかたまり。人間といえない」
と見下している。私は、どちらかというと彼女たちに同調する立場だ。学生時代は、恋愛至上主義をバカにすると
「モテないから」
と一蹴されるので黙っていたが、おじさんになりバツイチになって女嫌いになったので何を言われても構わない。こども達も成人したので遠慮せずに話せるようになった。
「ラブソングが9割なんて、発情した人ばかりなのか?」
たぶん、私の指導させてもらっている四日市高校や桑名高校の上位にいる優秀な理系女子にこの質問をしたら、
「イエス」
と言う。
「高校生くらいの男子は9割がバカで、性欲のかたまり」
くらいにしか思ってない。もちろん、絶対にそんな男子に接近しない。付き合うなんて、とんでもない。冷静だから、優秀な男性で将来生活が安定しそうな相手を選ぶに決まっている。
アホな女子は恋愛を夢みて語るが、賢い女子は
「お見合いでもいい。両親の方が人を見る目があるから」
と言う子もいる。クールなのだ。もちろん、そういう判断が全てうまくいくとは限らない。しかし、安定した生活をおくれる確率は恋愛至上主義の女子より確実に上だと思われる。バツイチの私が言うのだから、間違いない(笑)。
歌謡曲だけではない。ドラマも、漫画も、恋愛話でないとヒットしないかのようだ。中学生も、高校生もそんな雰囲気の中で恋愛至上主義に陥る子が多い。勉強そっちのけになる子もいる。
ところが、賢い子の好みは全く違って女子高生でも「リーガルハイ」を見て弁護士になりたいとか、「下町ロケット」を見て技師になりたいと言う子もいるのだ。「石狩挽歌」や「マイウェイ」などラブソング以外が好きな女子もいるのだ。
そんな女子を前にして、エロエロの男子はお呼びでないことが分かるだろうか。
私が名古屋の大規模塾や予備校で40人の講師の中で2番の人気があったのは(生徒アンケート)どんな質問があっても決して感情的にならず親切、丁寧をむねとしていたからだと思う。
私も四苦八苦をしながら勉強してきたから、どんな簡単な質問も決してバカにしたりしない。自分もかつてそうだったから生徒の気持ちが分かる。本当に才能のある生徒は新幹線のように進むから、景色がよく見えない。でも、鈍行の私は失敗しまくってきているのだ。
また、女子も男子も関係なく同じ態度で接することが可能だ。だから、優秀な理系女子は「知識豊富」「親切丁寧」「エロ度ゼロ」といった指導者として必要な条件を満たしていることを敏感に感じ取るのだろうと思う。
そう判断する根拠は、理系女子の学校の教師への不満が上記3つだからだ。質問をすると
「次回までに考えておく」「こんなことも分からんのか」
だし、冗談でウケようとエロ話全開だし、最低だという不満が多い。私は名古屋の7つの予備校、塾、専門学校で多くの講師に出会い、この生徒の指摘が正しいことを知っている。
私は落ちこぼれの教育に情熱を向ける先生がいていいと思う。クラブ活動も好きな子はやればいい。ただし、それは浮きこぼれた生徒の犠牲の上に成り立っている。そして、浮きこぼれの子の中には
「ふざけんじゃねぇ」
と思っている子が少なからずいる。そして、おそらくそういう子たちは官僚になれば
「アホたちから税金を搾り取ってやる」
と思うだろう。メーカーになったら、
「インチキしてもバカたちは気づかないだろう」
と思うかもしれない。だから、恨みを抱かせないためには学校は強制をやめるべきなのだ。発情期のオスに、優秀な理系女子を強制的に「助け合い」をさせるのは不可能と知るべき。
少なくとも、現状は大失敗しているとしか言えない。
第八十七章
「悪いけど、つきあっていたら落ちてしまう」
若い頃、
「なんで、ジジイはあんなに硬直してガンコなんだろう?」
と不思議に思うことがあった。しかし、自分がジジイに近づき徐々にその理由が分かってきた。最初に気づいたのは名古屋の大規模塾で受験指導をしている時のこと。中年おオバサン講師が
「あの上位クラスの指導は絶対にイヤ!」
と講師室で言っていたことだった。私にとってはトップクラスは指導しやすいのに、なんでだろうと思っていたら
「先生はあのCランク大卒なんですか?」
と突っ込まれたそう。自分の子供の年くらいの生徒にバカにされたことが許せない気持ちだったらしい。私は
「女は感情的だから困ったもんだ」
と思っていた。しかし、自分が親になって子供を持ってみると気持ちが少し分かった。子供を育てる時は、白紙の赤ちゃんから育てるわけだから圧倒的に自分の方が経験値が上なのだ。
それに慣れてしまうと、いつの間にか子供が自分を追い越していくことが残念というか悲哀というか淋しい思いをすることがある。大げさに言うと自分の人生の大きな役割を終えた感がある。
そんな後輩に追い抜かれただけでなく上から目線で
「私の方があなたより上だ」
みたいな扱いを受けるのはプライドが許さないのだろう。
プライドには実力で裏付けられたプライドと、中身が空っぽの空威張りがある。前者は尊重すべきだろうけど、後者はバカにされても仕方ない。オバサン講師の場合、後者だった。
こういう場合は、中身を充実させてプライドを維持するか、その場から逃げ出すか、二者選択になる。オバサンは逃げ出す方を選んだわけだ。オジサンの場合は、頑固オヤジに変貌して怒鳴りつけるわけだ。
私は中身を充実させる道を選んだために、高校生に混じってセンター試験や京大の二次試験を受けるハメになった。私はそういうことに無頓着だから気にしないが、変な目で見られたことは間違いない。
でも、空っぽのプライドで空威張りしたり怒鳴るような頑固オヤジにはなりたくなかった。今もなりたくない。私の指導させてもらっている才能豊かな生徒は、私が10年かけて身につけたことを3年でマスターしていく。私はそういう頑張り屋さんが好きで、嫌う理由がない。
その一方で、勉強嫌いの子もいる。先日も
「先生、減点から(0,8)までの距離は何ですか?」
という質問があった。質問の意図が分からないので、
「その図を見たら分かるでしょ?」
と答えたら
「マス目がありません」
と言う。意味が分からないので、詳しく聞くと
学校ではマス目のある座標軸を使用している。
習っていない問題はやる必要がない。
この2点が主張の論点だと分かった。分かったが受け入れるわけにはいかない。相変わらず中学校は、底辺の子にスポットを当てて授業をし、問題を提供している。最悪だ。
もはや、学校はマジメな生徒が学習するには、無益な場所になってしまった。
第八十八章
「オランダ人は、背が高い」
平均身長が世界一高いオランダ人の、背が高い理由を
「フランス、ドイツの大国に挟まれて大きな軍人が必要だった」
と言った人がいた。大きな軍人が必要なため、大きな人どうしが結婚を繰り返したと言うのだ。遺伝子の話だから説得力がある。
ところで、当塾の理系女子の暴言が目に余るので女子度の残る文系女子に
「理系女子がアホな男子など絶対につきあわないって言ってるけど、B子ちゃんも?」
と尋ねたら、答えない。やっぱり弁えがある。それで、
「中学校の8割くらいの男子は論外なのかな?」
と尋ねたら、小さな声で
「・・・・全員・・・・・」
と言った。驚いてしまった。優秀な彼女たちは、優秀な男子としか結婚しない。そうして、遺伝子に偏りができる。何千年もそういう蓄積があるのだろう。受験指導の場では、明らかな学力差があるのだが、その結果は何千年の蓄積の結果なのだ。
ちなみに、私は田舎の小さな靴屋の息子で、自分が氏も育ちも優れていると言いたいのではありません。両親は尊敬していますが。現実を知ってもらいたいだけです。
私くらいの年齢になると(50代)たいていの講師は疲れてくたびれ果てる。大学を卒業したての頃は
「全ての生徒を立派に教える」
とか、学園ドラマの熱血教師のように落ちこぼれ軍団を救うイメージを抱く教師も多い。しかし、50代になると無力感が漂いはじめる。なぜか。それは、自分が指導した生徒が成人していくから。
「結局、『学校のクズ』と呼ばれたアイツは、今は『社会のカス』になった」
と思い知る。感動的なドラマなど映画かテレビの中だけであることを痛感する。つまり、教育の力などほとんど無力であることを思い知るのだ。もちろん、どんなことにも例外はあるが、何千年の蓄積はそれだけ重く一人の先生の力など無に等しい。
アホとはつきあわないという優秀な女子の気持ちを変えることなど出来ないではないか。学力の高い女子が、出世しそうな賢い男子と結婚したがる大きな流れはどの国でもいつの時代も変わらない。そんな流れを学校や教師に変えられるはずがない。
刑務所のような学校より厳しいところで長期間「矯正」しても再犯率は4割とか。悪い人間は悪いので、身を守らなくてはならない。同情して殺されたら、たまらない。世界中にテロが広がり、難民に同情していたら自分や家族の命が危ないことを思い知ったことだろう。
誰だって困った人は助けてあげたい。でも、それはリスクを伴う。受験指導で言うと、落ちこぼれていたら助けてあげたい。しかし、それはマジメな子を見捨てるリスクを伴う。
マジメな子だって落ちこぼれている子が真剣なら手を差し伸べる。ところが、そういう子はたいてい素行不良なのだ。勉強そっちのけでサッカーばかりやり、授業中は私語ばかりで、話すことはエロ話ばかり。これでは、心の中で
「あの子は、迷惑をかけるだけ生き物」
と思われるのも当たり前。それを、教師が強制的に机を並べさせて
「教えあおうね」
ときれいごとを言うから
「ふざけんじゃねぇ!」
となる。寝言は寝てから言え!
第八十九章
「味噌とクソの違い」
私は英語や数学を真剣に勉強しているけれど、それは生徒指導に必要だし面白いから。好きだから。でも、だからと言って英語や数学に興味を持たない人を軽蔑したりしない。
したがって、英語や数学ができない人をバカにしない。それが、多くの生徒の支持を集める理由だと思う。英検1級や京大二次で数学7割正解と公表していると、
「こんな質問したらバカにされるかも」
とビビる子がいる。でも、しばらくすると
「あれ?この先生はどんな質問にも笑顔で答えるゾ!」
と安心し始める。これは、どういうことかと言うと、学校には虚勢を張る教師が多いという意味だ。生徒の話を聞くと、受験的には覚える価値のない準公式を板書して悦に入っている教師が多いらしい。
賢い生徒は、
「学校の先生がワケの分からない解き方をしていたけど、これではダメ?」
と尋ねてくることがある。生徒の解き方の方が上手で当たり前のことが多い。その教師はワケが分からないことを指導して、
「どうだ!ついてこれないだろう」
と言いたいらしい。馬鹿げている。皆さんも覚えがあると思う。三重県でも、高校入試では
7割正解なら「川越高校」、8割正解なら「桑名高校」、9割正解なら「四日市高校」
という目安がある。ところが、私立高校の「暁6年制」の入試問題は必要以上に難しく、6割で合格、7割で準特待生、8割できたらスカウトが来ると言われている。なぜ、私立の問題は難しいかというと
「私の学校はこんなにレベルが高いんですよぉ!」
とアピールしているわけだ。大学入試も事情は同じで、旧帝の問題は王道と言えるものが多いが、私立の問題は重箱の隅をつついたような下らない問題が多い。
なんで、こんな下らない問題が出るかというと世間には下らないことを知っているクイズ王のような人を尊敬する気風があるからだ。天才科学者とクイズ王では、味噌とクソくらい人類に対する貢献度が違うのだが、世間で正当に評価する人は少ない。
私も一部の人に蛇蝎のように嫌われていることを知っている。その一部の人とは、書くのも時間とエネルギーの浪費でイヤなのだが
「模試も公表しろ」。(そんなの捨てた。意味のないデータだもんね)
「正解率9割以上か?」(京大入試で、9割なんて人は存在しない)
「偏差値はいくつだ?」(偏差値に普遍性はない)
「学力を公表せよ」(成績開示や資格は公表済)
要するに、無知で礼儀を知らない悪意の質問。こんなものには礼儀正しく親切に答える義務はない。すべて無視している。私は親切・丁寧だけど、それは基本的なマナーやエチケットを守れる人限定。
常識も礼儀もマナーも身についていない人の相手をするほど暇ではない。
いつもスルーするから、非常識で無知な方には嫌われている。でも、モンスターに好かれる気はないから。
多くの塾や予備校では、マニュアルどおりの授業をする。だから、録画して衛星回線で日本中に配信するシステムができる。ネットで動画配信もできる。その代わり、質問は出来ない。一方的。
でも、私は違う。
「今日はどんな質問が出るのだろう?」
と、とてもエキサイティングなのだ。どんな質問が出ても大丈夫なように、勉強が欠かせない。精神的な病の方の相手をしている暇は本当にないのだ。同じ時間なら、才能を育てることに使いたい。病気の治療は誰かに任せる。
第九十章
「左翼教師とテロリスト」
アメリカ軍司令官、南シナ海への艦船の再派遣を明言
11月22日(日)20時5分配信
アメリカ軍の艦船の派遣を「再び行う」と明言した。アメリカ太平洋軍のハリス司令官は21日、カナダで講演し、アメリカ軍が10月、南シナ海で中国が埋め立てた人工島から12カイリ以内に艦船を派遣したことに触れ、今後も再び派遣すると明言した。そのうえで、ハリス司令官は、「引き続き、国際法が許すあらゆる場所で飛行、航行を続ける。南シナ海は例外ではない」と強調した。マレーシアで東アジアサミットが開かれているこのタイミングで、あらためて、南シナ海問題をめぐって中国をけん制した。
受験指導も安全保障体制も「現実を直視」することが第一歩だ。現実に、中国艦隊が尖閣諸島を侵略しているのに、左翼政党や左翼教師のように
「憲法九条を守れ!」
以外の対策を何も語らないのでは話にならない。子供たちを守れない。ミサイルが飛んでくる前に立って
「九条を守れ!」
と呪文を唱えたらミサイルが落ちるのだろうか。子供たちの安全は守られるのだろうか。道を誤ると、ニューヨークやパリの悲劇が生徒たちの身にふりかかる。中国の覇権主義を見て放置したら、爆弾がわれわれの頭上に降り注ぐ。
学校でみんな知っているはずだ。皆が皆、話せば分かる人ばかりではないことを。力ずくで止めなければならないこともある。それが現実だ。私は、塾を開設した当初から素行の悪い子は「強制退塾」させる方針できた。批判も多いが、私はそう思わない。
現実的に
「マジメに勉強している大多数の生徒の学習環境をどのように守るのか」
をマジメに考えて欲しい。「愛」と「絆」などと言わないでほしい。そんな言葉で、イジメや暴走族を止められません。アメリカに住んでいたから支持するのではない。やるべきことを躊躇しない姿勢を支持する。
「助け合い」「支えあい」は賛成する。しかし、それは相手を見て使う言葉だ。「馬の耳に念仏」を唱えてどうする。イジメの加害者を喜ばせるだけ。事態が悪化するだけ。お人好しは争いを助長するのだ。
私は攻撃されたら100倍返しにする。だから、
「アイツはやばいぞ!」
と攻撃されることが少なくなった。徹底的に思い知らせないと分からない人もいるのだ。相手が殴りかかってきたら、ヌンチャクでも特殊警防でも模造刀でも、何でも使ってギタギタにするのが正しい。「愛だ」では、ボコられるだけ。
もちろん、素手なんて意味がない。格闘技だけでなく、法律、金、人脈、あらゆる手を使って立ち上がれないようにしないといけない。