第二十章
「トラウマと思い出」
亡き父はウザかった。しかし、私は父の助けと理解がなかったら大学にもアメリカにも行けなかった。言葉にしきれないほど感謝している。生きている間に感謝の言葉をかけるべきだったが、もう遅い。
私は名古屋大学を卒業した後、名古屋駅前に事務所を構えるある会社に勤務した。つまり、誰でも知っている大手だ。そこには第一営業部で売った教材を買ったお客様を集めて塾で指導するビジネスモデルの会社があった。講師たちは第二営業部に属していた。名前のとおり、社長は教材の営業が第一で、講師などオマケ扱いだった。
ある日、社用車を駐車場に置こうとしたらスペースがない。社長に言うと
「そこらに置いておけ」
それで。
「そんなことしたら・・・」
と言いかけたら
「いいんだ!」
とさえぎられた。もちろん、その後苦情がきてボンネットの中のパイプを引き抜かれてしまった。謝罪に行かされた。
また、別の日には塾に保護者の方がみえて
「営業の人がうまいことを言って」
と苦情を言われたので、社長に伝えたら
「おまえは、営業の者が汗水垂らして売ってきたものを」
と罵倒された。
「金のためなら、何でもありなんだ」
と思い知らされた。大手なんて、どこもこんなもんだ。名古屋駅前に事務所を構えるためには必要な経営哲学なのだろうが、教育とは無縁の世界。
ただ、私は生徒アンケートで40人中2番の人気講師だったからマシだった。生徒の支持のない講師など
「いくらでも代わりはおるんやぞ!」
と恫喝されて気の毒だった。もう限界だった。ちょうどその時に、アメリカに行くことになった。名古屋大学を出て、転職を繰り返し、あげくに自分が戦争で戦ったアメリカに行くと言い出した息子を父は気持ちよく送り出してくれた。今思うと、心が痛む。
アメリカについて、どこまでも青い空。広い空間に心が表われた気がした。しかし、日本で培われた人間不信のトラウマはなかなか消えなかった。
同僚の理科教師アランに
「今日、パークシティに行くがついて来るか?」
と尋ねられても
「何か裏があるんじゃないか?」
と警戒した。人を信用していなかった。ところが、エリックが水上スキーに連れて行ってくれた時も、校長会がヨットのセーリングに連れて行ってくれた時も、単なる親切心で、裏など何もなかった。
それで、あまりのことに混乱して、親しかったロンに
「なんでローガンの人はこんなに親切なんですか?」
と尋ねた。すると、
「うーん、難しいな。たぶん、この世で良い行いをすると神様が見ているから」
と言う。
「そんなバカな!そんなことあるかい!」
と思っていたが、違った。本気でそう考えて行動しているらしかった。
日本に帰国後に、四日市のキリスト教会に通った。でも、日本の教会はアメリカの教会と全く違った。ある時
「高木兄弟は、仕事と教会のどっちが大切なんですか?」
と尋ねられた。それから教会に行っていない。
結婚する時は、義理の母親に
「なんで名古屋大学まで出て塾やっとんの!」
と反対された。
ある時、電話がかかり
「A塾が高木先生は塾を閉鎖するからA塾に移るように言われたけど、そうですか?」
とのことだった。
「日本人はバカか!!」
と本当に嫌になった。渡米する前は日本人であることに誇りを持っていたが、今はそんな誇りはない。ユタで会ったアメリカ人は、私の周囲にいる日本人よりずっと上等だった。
そんな時にA子ちゃんが塾に来てくれた。彼女はアメリカ人のようだった。裏がない。私は東員第二中学校でトップと評判の子や、北勢中学校で抜群の子と評判の子など何人も教えさせてもらった。
ところが、前評判どおりの子はほとんどいなかった。こんな片田舎でトップと言っても、しょせん井の中の蛙でしかない。一番重要なのは、心の持ち方なのだけど殆どの人には、私の言うことが通じなかった。
A子ちゃんは違った。経済的な困難さや過酷な環境が彼女の人格を磨いたに違いない。私が人間不信を感じさせる言葉を口にすると
「今まで出会った人が悪かっただけですよ」
と慰められる始末だった。
最近のことを書くと人物が特定されるので書けないけれど、その後もA子ちゃんに匹敵するような素晴らしい子たちが集まってくれた。生徒の言葉によると四高や桑高で上位にいる地元の生徒の多くがほとんど当塾に集まっているそうだ。
地方には高校レベルの英語や数学を指導できる講師がいないのも理由だろうが、共通しているのは人としての基本ができていること。表裏がない。
娘たちや、彼女、彼らのおかげで私は英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級などに次々に合格でき、京大の数学でも7割がとれるようになった。今では、通信生が北海道から九州鹿児島までいてくれる。
そして、近年の合格者は京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部、東京医科歯科大学と信じられないような結果となっている。これは、三重県の小さな片田舎の個人塾としては奇跡のようなものだ。
おかげで、ブログに書いたらジャンルのトップにランキングされた。それもこれも、A子ちゃんをはじめとする素晴らしい生徒たちのおかげだ。感謝している。
素行の悪い子、モンスターペアレントと呼ばれる人たちと接すると人間不信に陥る。逆に、素晴らしい子に出会うと豊かな気持ちになる。だから、アメリカでは
「怒る人より、怒らせる人が悪い」
という哲学が徹底していた。ところが、日本では怒らせる人のことは視野に入っていない。
「教師たるもの、絶対に怒らずに、生徒を見捨てずに、体罰禁止」
など、できもしない目標を掲げる。偽善と嘘の塊のようなスローガン。実態はイジメと徘徊と授業レベルの低下が広がっているだけなのに。
私はそんな渦に巻き込まれたくない。
今日も、マスコミは巨大なビルを映像で示す会社を持ち上げる。スポンサーだから大事なのだろう。メーカーなら理解もできる。しかし、教育関係つまり塾も同じ経営哲学でいいわけがない。しかし、ビルを大きさで塾や予備校を決める人が多いのだから驚いてしまう。
私が自分の塾を建てるには、父の土地と家を担保にするしかなかった。するしかないというのは傲慢だ。してもらったのだ。大都市にビルを建てられるわけもない。
賢い子もいるが、そんな現実の大人世界を見ると
「金が儲かれば何をしてもいいんだ」
と思う中学生や高校生が増えるのは当たり前ではないか。私は30年も受験指導をしている。A子ちゃんが、その後どんな生活をおくっているのか知っているし、私の勤務していた名古屋駅前の会社はもう無い。
短期的にはうまくいくように見えても、中身のない仕事をしても続かない。そんなものに頼って勉強しても、肝心なものが欠けているので成功するわけもない。世の中はそんなに甘いものではない。長期間、不特定多数の人をだますことは不可能なのだ。
だからこそ、道徳や宗教がある。人は視野が狭くて近視眼だから絶対的な生きる原則が必要だ。教育関係なら、金もうけが全てではいけない。問題児だったBくんは暴走して一生ベッドの上だと聞いた。本当は悪いものは悪いと言わなければ、悲惨な将来が待っているだけ。なのに、ビルの維持費のために私たちは
「大丈夫、お任せください」
と言わされていた。私はトラウマがあるし、ユタで経験したことを忘れるわけにはいかない。A子ちゃんのようなタイプの支持者も多い。ブレるわけにはいかない。
もちろん、私は資本主義の論理は理解している。
「大きなビルが建つ。それは、指導法が良いから生徒が集まり儲かったからだ」
そう考える人が多いので、
「そう考える人が多いのなら、でかいビルを建てれば指導法がいい証拠はビルだ」
となるわけだ。
しかし、そう考えない講師も多い。ビルを建てる資金を集める時間やエネルギーを勉強に集中する講師もいるわけだ。
一時期、地方に高校の内容を指導できる講師が地方にいないため東京で講師が授業をして撮影したDVDを日本中に配信する予備校が流行したことがあった。しかし、そのビジネスモデルは受験サプリのような安価な動画の普及で崩壊した。Youtubeには無料の授業動画があふれている。
ネットで英作文の添削を依頼すれば、誰かが添削してくれる時代だ。
これでは、生徒も保護者の方も迷うのは当たり前だ。指導法がすばらしいからビルが建つこともあるかもしれない。そんなものに目もくれず、腕を磨く小さな塾の講師もいるだろう。無料で添削してくれる人は、本当に合格できるレベルにある人なのだろうか。浪人生が返答している場合だってある。
私の塾生の子たちは、田舎の無名講師の私を信用してくれる。それは恐らく、
英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連経験A級などに合格している。
アメリカ帰りで本場の英語を知っている。
指導した生徒が、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格している。
という事実を信用してくれているのだろう。私の方も、
1、地元の成績上位の高校生が多数通ってくれている。
2、通信生が北海道から九州までから申し込みがある。
この二つの事実にどれだけ勇気づけられていることか。
私は自分だけが正しいと主張できるほど、傲慢ではない。ただ、科学の目を持ちたいと願っている。さまざまな意見があるのはいい。しかし、生徒や保護者を食い物にするのは許せない。
賢い生徒が言うように、実証されたものだけが確かなのだろう。いろいろ試して、どれが合格に近づくために一番有効なのか試してみるのが一番だ。
でも、そんな言葉に耳を貸してくれる人がほとんどいないことも知っている今日この頃。しかし、どんな状況になっても道を誤らずにいたい。
「自分は、どうして金ばかりに走らないのだろう」
と思う。そして、思い当たるのはリンゴ箱の戸板の上に置いた靴。今では靴はダメになったら修繕などしないが、私が子供の頃は修繕していた。父は戦争から復員して何もできない状態から、靴の修繕を始めたらしかった。
そういう父を見ながら育った私は、見せかけで商売をする危険性、欺瞞性が身に染みているのかもしれない。