「高木教育センター」の、ありふれた日々(続編)
第十一章」 「生徒たちの叫び」
第十二章」 「私は女が嫌いだ!」
第十三章」 「バンフリートさんとブレアーさん」
第十四章」 「永遠の孤独」
第十五章」 「いちご大福」
第十六章」 「究極のワンパターン」
第十七章」 「 English 」
第十八章」 「京大通信添削コース」
第十一章
「生徒たちの叫び」
昨日、高校生に複素数平面の回転の質問を受けていたら
「学校の先生が、こんな説明をしたのだけど意味が分からない」
と言う。見せてもらったら受験的には意味のない説明が書いてあった。それで、
「それはどうでもいいので、こうしたら」
と別の説明をしたら
「あーっ、スゴイ。ちょっと感動した」
と言って
「先生が学校に来て解説したら生徒は絶対に感動する」
と言いながら帰って行った。
その子は、国立大学の医学部を志望するきわめて優秀な子だ。その子が意味不明と言うのだから他の生徒たちは、もっと意味不明と思って帰ったに違いない。
なぜこういうことが起こるのか。理由は幾つかある。私が名古屋の大規模校で出会った講師の先生方には2種類あった。一つは、本当に深く理解されている先生。少数派。 そして、問題なのが多数派の自己満足派。三流大学卒の講師とか、プライドの異常に高い教師によくあるタイプで、生徒にバカにされたくない。それで、受験に必要のないような複雑怪奇な授業をして生徒に高度な授業をしているように思わせる。
英作文でも、私が
「私ならこんな感じで書く」
と言うと
「そんな中学生みたいな文章でいいんですか?」
と言われることが多い。でも、これで英検1級に合格したし、京大二次で8割を越えてトップクラスという事実は否定できない。
生徒の方が、なんでそういう質問をするかというと、学校の教師が難解な構文と単語を使った「模範解答」を示すからだ。そうする理由は、数学と同様で「難解な構文と単語が使ってある英文が高度だ」 と誤解して、生徒に尊敬されるだろうと淡い期待をするわけだ。
そんな教師、講師に指導されたらたまらない。生徒が気の毒でたまらない。でも、悪意でやっているのではなく悲しいまでにプライドを維持して職を維持したいだけなのだ。
傲慢な言い方をして申し訳ない。でも、それで犠牲になる生徒を数多く見てきているので書かないわけにはいかない。難解な解答を前に絶望して「私はダメだ」 と思う子が多いのだ。
現実は、そうではなくて「先生が悪い」だけなのに。そして、校長、共闘、ましてや理事長には本当に力のある先生を見抜く力が欠けている。そのため、ダメな講師や教師を配置してしまう。
生徒の声が一番確かだから、予備校のやるようなアンケートを取ればハッキリする。でも、そんなことは日本の和の伝統に反するのだろう。どの学校も躊躇する。生徒本位ではなくて、教師本位のスタンスだからだ。
第十二章
「私は女が嫌いだ!」
もと奥さんが塾の授業の5分前に
「食事の準備ができた」
とか、授業が終わった深夜に
「今日はスキヤキ」
と言った時に、一応
「おにぎり一個でいいから授業の1時間前に」
とお願いした。でも、分かってもらえない。奥さんがいなくなった後、しばらくは母が食事の世話をしてくれたけれど、胆石の手術の後で脂肪の多い食事を控えていたけどギトギトの油が浮いたようなカレーライスを繰り返し作った。
コンピューターが普及し出した頃に、次々と新しい技術が生まれる。それで、業者も
「リースはどうですか?」「ローンを組んではどうでしょう」
と言う。しかし、私の親は昔かたぎの人間で借金は嫌いだった。
食事も、経営のことも
「このままでは食事もストレスもマックスになって病気で死んでしまう」
と思った。英語や数学の勉強をし続けるには、身体も心も健康でいることは最低条件だった。基本的な生活習慣が崩れたら、ひらめくものも閃かない。小さな娘の顔を見ながら途方に暮れた。
そして、大学時代のことを思い出した。大学の時につきあい始めた女性は、私と知り合う前に、ある男とつきあっていた。つまり、二股になった。
「あっちでも、こっちでもこんなことを・・・」
と尋ねたら、うなずいた。すったもんだの末、別れた。他人も、家族も、本当に心の底から、女性にはウンザリした。関わると殺されてしまう。
私の指導させてもらっている理系女子はするどく賢い子が多い。私が女嫌いであることを感じるのだろう。それは、彼女たちにとっては私が安全パイということを意味する。
二人の姉とは、とっくに冠婚葬祭を含めて一生会わないと宣言して断交してある。大学の同級生は6割が女性なので、同窓会など行くわけがない。
女は嫌いだ。
第十三章
「バンフリートさんと、ブレアーさん」
私が最初にアメリカに渡ったのは大学生の夏休みの旅行だった。ユタ州のプロボだった。たぶん、タバコを吸わない、酒を飲まないというアンケート結果からユタに決まったのだと思った。後で分かったことだけど、ユタ州はモルモン教徒が作った州で、モルモン教徒は酒もタバコも禁じている。
お世話になったのは、BYU(ブリンガム大学)の物理学の教授で部長さんだった。つまり、学者で人望の厚い人だった。夢のような1ヶ月だった。私の人生はあそこで変わった。
5年後に交換教師でアメリカに住むことになったとき、私はユタ州を希望した。今度はプロボより小さなローガンという町だった。お世話になったのは、ローガンの教育委員会の委員長の家だった。
他の日本人たちは普通の家や貧しい家にホームステイすることになったが、私は丘の上の豪邸と呼べる家だった。なぜか、教育関係の人にお世話になる縁があるらしい。私が教育学部卒であることがコーディネイトに関係したのだろうか。分からない。
両家とも、熱心なクリスチャンで理想的な家庭に見えた。モルモンらしく大家族だった。しかし、親しくなるにつれていろいろ話してくれた中に、バンフリートさんの長女は麻薬で狂乱してカリフォルニアで火事の中で亡くなったそうだ。ブレアーさんの方は、奥さんと次男が大喧嘩して、家を飛び出した息子が猛スピードで車を運転してそのまま崖から転落して亡くなったそうだ。
バンフリートさんの方は、ずっと後に再婚だったことも知って驚いた。
自分が親になった頃、つまりアメリカから帰国して20年くらい経って
「あれ、あの時ブレアーさんに娘くらいの歳のジャッキーがいたよな」
と思い出した。考えてみたら、ブレアーさんもバンフリートさんも日本と戦争をした世代。私はその敵国の息子。そんな男を、大学生の娘がいるブレアーさんが受け入れてくれた。自分にそんなことが出来るだろうか。
たとえば、娘が年頃のときに男性のベトナム男をホームステイさせるだろうか。私の答えは「ノー」だった。そこまで信用できない。でも、バンフリートさんもブレアーさんも受け入れてくれた。
ブレアー婦人はその後、アルツハイマー病になった。私が今頃とても感謝していることを伝えることも出来ない。彼女は、私が料理が出来ないと分かると
「You are a spoiled child」」
と言い放った。私はムカッときて言い返した。でも、そんな喧嘩をしながら彼女は私の下着なども洗濯してくれた。アメリカでは、何ができるのか示さないとクラスを担当させてもらえないので、拳法のデモンストレーションをやったり、折り紙、墨絵などを見せたら、ブレアーさんは
「日本人はもっと慎ましいと思っていたが、おまえはアメリカ的だな」
と言った。余計なお世話。そんな喧嘩ばかりしていた。だから、旦那さんに
「私は夫人とうまくやっていけない。ホームステイ先を変えてくれ!」
と言ったりして困らせた。
私は本当にワガママで心の狭い人間だった。子供の頃は「良い人」になるのは簡単だった。しかし、大人になるととても難しい。
草枕 夏目漱石+
+一
+二
+三
+四
+五
+六
+七
+八
+九
+十
+十一
+十二
+十三
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
第十四章
「永遠の孤独」
そろそろ人物が特定できないと思い「A子ちゃんのこと」をブログに書いたら、反響が大きかった。→ http://storys.jp/100002507170434
しかし、やっぱりと言うか真意は伝わっていないようだ。A子ちゃんのお陰で当塾は次々と新しい教材や指導法を開発していった。そのポイントは「臨機応変」なのだ。
生徒の方は成長期にあり「男子たるもの3日会わざれば括目して見よ」なのだ(女子も)。今日は適当だった指導法が、3日後には通用しない可能性がある。
1ヶ月前は、学校指定の「教科書準拠」の問題集で精一杯だった生徒が、今は「入試問題」をやりたいと言う。英語に苦労していた子が、克服したからと数学に力を入れ始める。同じ数学でも、計算から応用へ、図形へとどんどん求めるものが変化していく。
講師はその変化に対応しなければやってられない。当塾に賢い子が集まり理由はそこにある。
ところが、イマイチの生徒。それから、大多数の保護者の方。学校の先生。こういう人たちは考え方が硬直している。だから、賢い子たちから見放される。 そういう子たちは、私と話すと本音を語る。それは、
「この先生は同類だ」 と動物的な勘で分かるのだろう(笑)。
彼らは、自分が成長しても硬直したカリキュラムで同じことを繰り返す教師にウンザリしている。「宿題をいっぱい出して下さい」と言う保護者にウンザリしている。そんな叫びが、親や教師には届かない。
賢い子たちを集めて意見を聞けば分かる。硬直したカリキュラム、ウンザリする同じタイプの問題が並んだ宿題。そんな場所から逃げたいのは基本的人権の問題。 彼らだって、自分の学力を伸ばしたい。伸ばさないと難関校の入試で勝てない。だから、内職したり学校の宿題をごまかしたりするしかない。
こんな方針でやってますなんてブログ以外では書けない。硬直した頭の人から叩かれるだけ。クチコミだけで医師志望の方や、高学力の子たちの間に噂が広まって個人指導は満席になってしまった。
第十五章
「イチゴ大福」
たとえば、私はブログに同じことを繰り返し書く。私の指導している子たちは
「これは初めてブログを読む人対策か、永遠のマンネリを狙っているのか」
と推理をする。私が同じことを書いていることに気づかないわけがないという前提で推測を始める。
ところが、状況の判断がつかない生徒は
「先生、前にも同じことを書いたぜ」
と言う。
「前に書いたことを忘れただろ。ボケたか?」
と思うらしい。
お気づきだろうか。前者は、人を見くびらない注意深さがある。後者は、自分が不注意だから他人も同レベルだろうと人を見くびっている。だから、不注意になる。これは、数学を解く場合も同じことが起こる。
後者の子は、問題文に「確率が --」とあると何も考えずに確率の問題と思って始める。でも、前者の子は
「確率という語でフェイントをかけて、本当は数列の問題じゃん」
と見破る。出題者をなめていない。必ず意図が隠されている。そういう慎重さがある。
私のブログのランキングが上がってくると、賢明な子は
「永遠のマンネリ作戦は有効らしい」
と、教訓を学ぶ。しかし、不注意な子は
「なんで、あんな同じことばっかりのが読まれるんや?」
と人をなめた考え方しか出来ない。現実に起こっていることより、自分の狭い視野が全ての世界に思えるのだろう。
私の塾から難関校の合格者がたくさん出ると、科学的な子は
「そういう結果が出たのなら、必ず原因があるはずだ」
と調べ始める。
しかし、視野が狭いと
「宿題も出さんそうなのに、なんで?」
と、的外れの分析を始める。
もちろん、私は仕事だから希望があれば宿題をいっぱい出して○つけをしてあげる。
「これって、小学生の勉強法だよな」
と思いながら。
「空が青い」と言って怒る人はいない。単なる事実だから。私の発言は、ほとんどこのタイプ。単なる事実を語っているだけ。だから、賢い子たちはサイエンスとして聞いてくれる。
ところが、科学の言葉を感情の言葉で受け取る子も一部にいる。私の語る勉強法は、自分で試し、生徒で試し、実証したもの。それを語ると、
「オレはそう思わん!!」
と反発したり怒鳴る人がたまにいる。これを最初に知った時は驚いた。そして、そういう方に語るのは時間とエネルギーのムダだと知った。
「空が青いのはケシカラン!」
と言われても、そういう方に語る言葉はない。
イチゴ大福を最初に作った人には、マズイとかイカれているとか批判が集まったかもしれない。しかし、作った人はそんな批判は関心がなかった。売れるかどうかだけ。言葉など虚しい。現実が全てだ。
私もそうで、批判はどうでもよくて合格者数が上がるかどうか。事実のみが大切。ある指導法が有効という現実があれば、理解者・支持者は必ずいるのでそれでいいわけだ。
第十六章
「究極のワンパターン」
塾のホームページに十年一日の如く「同じことの繰り返し」との記入があった。そのとおりだから腹も立たないし、反論する気も起こらない。
今年はノーベル賞が2名という快挙だ。言うまでもないが、研究者は30年、40年と同じテーマの研究を続けて大発見につながったりする。学問だけではない。野球選手は10年、20年と野球をやり続ける。ピアニストはピアノを30年、40年と引き続ける。
私は塾講師だから、英語や数学の勉強だけでなく「勉強法」を20年、30年と研究し続ける。そうしないと、プロと呼べるレベルに達しないからだ。
塾には中学1年生から来てもらえる子が多い。来て何度か話をすると二極分化が激しいことに気づく。難関校に合格できるグループ(A)と、勉強に向いていないグループ(B)が既にできあがっている。
Aグループの子は、方程式の練習でも何周も繰り返す。しかし、Bグループの子は
「それ、まえ聞いた!」
とすぐに飽きてしまい、繰り返しの練習が出来ない。
「聞いたこと=マスターしたこと」
と勘違いしているわけだ。そんな生き方を10年以上繰り返してきたから、そう簡単に直せない。
たいていは、そのまま底辺校に進むことになる。「水戸黄門」はヒットした。見る前からストーリーは想像がつく。悪人が現れ、黄門様が最後に印籠を出してやっつける。
「究極のワンパターン」
がヒットの理由だ。コロコロ変わるものでは誰もついて来ない。
「あの人はプロだ」
と認知されるまでに、普通は10年以上かかる。つまり、最低10年くらいは究極のワンパターンを続けないとモノにならない。
こんな当たり前のことを、私は塾生の方にはあまり語らない。指導法やブログの記述には使うから、塾生の子は暗黙のうちに成功の秘訣を体感していくわけだ。
しかし、それはAグループの子の場合であって、Bグループの子たちは相変わらず
「それ聞いた!」
で、何も身につけないまま卒業していく。残念だけど、生まれてから10年以上かけて出来上がった基本的生活習慣を塾講師ごときが変えられると思う方がどうかしている。
イチローは振り子打法、山中教授はIPS細胞。誰にもできない技術や発見があるわけだ。そういうプロは、独立独歩。大村先生も言っていた。
「人のマネをしたら先に進めない」
私もそう思う。学校の示すカリキュラムどおりにやれば成功、受験で言えば合格できると考える子が多いけど、現実は違う。私の塾生や通信生も「学校離れ」したから来てくれた。
ささやかな独立独歩なのだ。人と同じことをやって、人より上に行けるわけがない。
自分の周囲を見回して観察して欲しい。私の塾生の子の多くは
「私、学校ではちょっと変人って扱い」
と言う子が多い。つまり、その他大勢とは違う行動パターンをとっているわけだ。変と言われても気にしない勇気や図太さを持っているのだ。
周囲を気にして、教師の引いた線路の上を走ることしか出来ない子は小学生までは「良い子」なのだろうが、中学生くらいから伸び悩む。「親離れ」「学校離れ」ができずに20代に突入したら、キモいと言われるくらいマザコンになってしまうのだ。
「学校離れ」をするには、究極のワンパターンを押し進めるのが有効だ。
第十七章
「English」
I was born and brought up in Japan. After graduating from the University ofNagoya, I went to the Utah state in the U.S.A to study English. It was an exchange teacher program. At that time, Mormon people helped me a lotand it changed my attitude to America, Christianity and Japan.
After coming home, I opened my ownschool and started to teach English and math. We married and got 3 daughters. But such a happy life ended in divorce after 15 years. We married in Tokyo Temple but that had nomeaning. I am sorry because my daughtershad a sad experience.
My school was and is still popularand many smart students come to my school maybe because I passed the 1stgrade of STEP test and took the entrance exam to the University of Kyoto 7times. The result is now open toeverybody in my school’s homepage.
Some of my students passed theentrance exam to the medical department of Kyoto, Osaka or Nagoya. They gave my school and me a kind ofhonor. Now I have correspondent studentsall over Japan from Hokkaido to Kyushu. This is beyond my expectations I had.
I practice Kenpo every morningwhich gives me mental and physical health. My eldest daughter gave a birth to a baby this year. I’m now a grandfather to her. It is difficult to believe this because Istill feel I’m young. However myappearance is totally old. This makes menuts.
第十八章
「京大通信添削コース」
ここ数年、通信生の数が増え続け北海道から九州まで生徒がいてくれる。あらためて、京大の英作文の添削に対する需要が大きいことを思い知らされる。
大手の添削コースはいくらでもあるが、真剣に合格を考える生徒はもの足りないのだろう。私も名古屋の大規模予備校で勤務経験があるが、京大英作文は手ごわい。
採点基準が分からないのだ。英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格していたが十分だと思えなかった。それで、結局京大を7回受けて採点基準を確認するしかなかった。
特に、地方には高校レベルの英語さえ指導できる先生や講師が少ない。ましてや、京大となると指導できる先生がほとんどいない。大手の通信添削は、私も研究のため受講してみたが
「なんで、ここで減点されたんだ?」
と思っても、採点者に直接質問できない。これでは、学習効果が上がらない。
それで、
1、京大の採点基準をよく知る講師が
2、「安価で
3、写メやスキャンを使い早く返却でき
4、無制限に、直接、いつでも何でも質問できる
の4条件を満たすコースを作ってみた。大手のようなマスメディアを使った宣伝広告など出来るわけがない。タレントも使えない。
それで、無料の Youtube やブログで告知したら申し込みが続々と来た。そして、3年目には京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部、東京医科歯科大などに合格者が続出した。
自分でも、ビックリしている。でも、賢い子たちは勉強熱心だから指導も楽しい。通塾生の方たちの指導にも役立つし、やってよかった。これは、時代も後押ししてくれた。
思いついた頃に、社会にネットが普及したのだ。スマホが普及したのだ。私は運がいい。まさか、自分が北海道から九州までの生徒を指導することなど10年前は想像もできなかった。
頑張れば、個人でも大手企業に対抗できる時代になった。
地元の人はあまり理解がない。批判的に見る人も多い。
「アホは相手にしないのか!」
と罵倒されたりする。そんなつもりはないが、反論しても仕方ないので生徒だけに目を向けるようにしている。
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
室生 犀星
『抒情小曲集』(大七)巻頭の詩「小景異情」その二(全部で十行)の冒頭。有名な詩句だが、これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、帰郷した折に作った詩である。故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである。
私の塾生の子たちも、地元から脱出したいと言う。自由にものを考えることが難しい場所なのだ。地方の良いところは多いのであるが、広い視野でものを考えるのが難しいのも事実だ。
だから、チャレンジ精神旺盛な若い子たちには窮屈なのだろう。
私も名古屋で生活し、アメリカで暮らし、世界中を旅行して故郷にもどったら、改めて日本の田舎の閉鎖性に気づいた。
でも、それは口にすると単なる悪口にしか受け取られない。この状況では議論さえ出来ないので、脱出するしかなくなるのだろう。私は塾生の子に相談されると
「出ていくのもいいかもね」
とだけ言っておく。こうして過疎が進むのだけど、仕方ない面がある。