以前私がマニラに滞在中に、ある日本人の社長がフィリピン人とビジネスのトラブルを抱えていてホテルの22階のバルコニーから突き落とされました。見せしめのため、両手足を椅子に縛られ椅子ごと落とされた事件がありました。
また、ミンダナオでは鉱石の買い付け価格が安いと現地駐在員の日本人の生首が会社の入り口に飾られていました。
どれも日本の新聞では「邦人事故死か?」と小さな見出しで片づけられていますが、私が滞在中だけでも15人の日本人が殺されました。しかも、それ以上にフィリピンでは多くの日本人がビジネスの失敗で行方不明になっていると聞きます。
マニラへの入国審査場、ここを過ぎればフィリピン国内です。相手の大きさや手の内がまったく分らないため緊張します。もしかしたら全てが相手に知れ渡っており、私も菊池さんと同じ立場になってしまったら菊池さんどころか自分も無事では済みません。
空港にはNBIの職員が迎えてきてくれていました。「私はそっちに(入国しても)大丈夫か?」と大きなゼスチャーをしましたがうまく相手に伝わらなかったようです。早く来いといわんばかりにこちらを見つめています。
私は覚悟を決めてパスポートを入国審査官に手渡しました。
無事に入国後、すぐにNBIオフィスに向かい菊池さんと再会をしました。
意気消沈しうなだれている菊池さんを想像しましたが、NBIの応接室はとてもきれいな部屋でノートパソコンで仕事をしている菊池さんは拘留者のそれとは程遠い、さしづめ現地の駐在員といったイメージでした。
出国前に日本で買った菊池さんリクエストの「かつ丼」を差し入れしばし作戦会議をしました。
菊池さんもNBIのオフィスでいろいろガマ社長の事を調べていたそうです。「いろいろ分りましたよ、ガマ社長は詐欺の確信犯ですね」
詐欺の手口はこうでした。まず女形の社長が日本で会長のような小銭を持っている日本人に近づきフィリピンの投資話を持ちかます。フィリピンンのマニラには立派な工場がありますのでいかにもすぐにでもビジネスが出来ると信じ込ませます。
そこで絞るだけ絞り相手が「いつビジネスをスタートするのか」と文句をつけてくるようであればフィリピン人に依頼し脅す、もしくは刑務所に入れてしまう。最悪は始末をしてしまう。そうして長い間フィリピンで生きてきたそうです。
女形の社長はあくまでも紹介者であって第三者的な立場。「実は私もガマ社長に騙されました」と泣きを入れてくるそうです。
会長の前には少なくても3人の日本人が餌食になったようです。
その三人も何とかガマ社長を訴えてお金を取り戻そうとしたようです。
しかし、そのうち2人は未だにフィリピンの刑務所から出てきていないそうです。
もう一人は行方不明・・・
「明後日の裁判まで私もマニラでやる事があります。」
「その用意がありますのでしばらくは顔を出せませんのでご勘弁ください」
「用意って?出かけるにもくれぐれも気をつけてください」
「私はこれからガマ社長のとこへ行ってきます」
「ガマ社長?大丈夫ですか?そんなところへいって・・・」
「もと傭兵のボディーガードがいるので大丈夫ですよ」
「いや、そういうことではなく・・・」
火中の栗を拾う・・・菊池さんの言いたいことは分っていました。
しかし私には確かめておかなければならない事とやらなければならない事がガマ社長のところに残っていました。怖い思いはありますが、ガマ社長からすれば私はまだまだビジネスパートナーとして残しておきたい存在だと思っていました。
いぶかしげに私を見ている菊池さんに
「商社マンって意外とえげつないかも知れませんよ」
一言残しNBIオフィスを後にしました。
二日後に裁判所から証人としてガマ社長と共に私が呼ばれていることと、私がガマ社長との面談を要請したことでガマオフィスには日本から女形社長も同席していました。さしずめ私の様子を伺うといったところでした。
「船の裁判とは関係ありません。今日は仕事の話で来ました。御社で取り扱っている業務用冷凍器具、真空パック。これらを使いマグロの柵をパッケージしてもらえませんか?」
ガマ社長
「マグロの柵を真空パックなんてしたら色が持ちませんよ、日本には生じゃなきゃ」
私
「いえ、ターゲットは日本ではありません。メインはイスラエルです。私の会社はご承知の通りイスラエルの国営企業と取引をしています。」
「イスラエルをはじめヨーロッパ諸国では空前の日本食ブームになっています。日本人がマグロの目利きをしてきちんと柵を取り、真空パックまですれば買いたいと希望している企業はあり、国営企業からも輸入したいとの要望は出ています」
「しかもユダヤ人は世界中に商圏があります。商品の評判が良ければ世界中から注文が来ます。投資したいと申し出るユダヤ人も出るのでは無いでしょうか?弊社も決済で伝票を通して頂ければ結構です。御社にとって決して損な話ではないと思います。」
ガマ社長と女形の社長と顔を見合わせうなったのは訳がありました。この話、実はすべて本当の話だったからです。
マグロは世界中で獲れますが、当時日本人が目利きをして真空パックなどしてくれる企業がありませんでした。
しかもフィリピンはヨーロッパ地区のハブ空港化しておりヨーロッパのほぼ全域に直行便が就航していました。ガマ社長の工場はマニラ空港からも近い。これほど有利な場所はそうそうありませんでした。
私
「マグロだけではありません。ウニやアワビもフィリピンではうまいと有名です。これらをすべて寿司ネタカットにしてまぐろと混載して販売すればヨーロッパのお客さんはきっと飛びつきますよ。」
私はこれだけの設備があるのならまっとうな商売でも十分に稼働できると思っていましたが、彼らには「これで新しいスポンサーが見つけられる」と考えていたようでした。
今まで警戒していた二人の顔が急に和やかになったのも彼らの頭の中にお金が回り始めた証拠でした。
「これからうまくやっていけそうだ、今晩うちでメシでも食べてってください。」
港が見えるガマ社長の自宅のコテージでバーベーキューパーティーが催されました。レチョンという子豚の丸焼きや獲れたての海産物をガマ社長専属の料理人が炭火で焼いてくれ、若い従業員が料理を運んでくれます。
ガマ社長、女形社長、そして私と三人に対しサービスする従業員は8人。それはとても凄いおもてなしでした。特に地元で獲れたマットクラブは臭みが無くみそもたっぷり詰まっていてとてもおいしかったです。
「マッドクラブがお気に召したようですね、おい!追加をすぐ用意しろ」
ガマ社長は特に上機嫌、特別にと大切に保管してあるワインを開けるほどでした。
「今日は気分がいい~。ホテルはキャンセルして私の家に泊まってってください。女形社長もホテルがもったいないといつも私の家を利用します。」
ガマ社長の家は白い外壁の洋館で、メインベットはらせん階段で二階まで続くメゾットタイプの大きな家でした。奥さんはマニラのマンションにすんでおり、ガマ社長は一人でこのお屋敷に住んでいました。
翌日もミーティングがあるとガマ社長の申し出を断り、私はボディーガードが待つ車の中に乗り込みました。
「いや~フィリピンのマッドクラブがこれほどおいしいとは思ってなかった。そっちはどうだった?」
「こっちは云われた通りすべて準備が整いました。いつでもOKです。」
翌日の午後から弁護士とNBIの署長を含め打ち合わせをしました。通常結審まで何十年もかかるフィリピン国内での裁判も外国人が対象となった場合、例外として審議を早めてくれるそうです。それでも結審まで最低でも2年はかかるとの事でした。
いくら物価が安いフィリピンと云えど、一流の弁護士の費用はそれなりに高く、また、NBIの応接室も協力金の名目である程度「家賃」を払っていました。
先日何とか手形決算をクリアしたものの会長の和菓子工場の経営が軌道に乗ったわけではありません。このまま2年も結審を待っていれば会長の会社が持つかどうかわかりません。
マニラのホテルにある日本料理屋に特別に和食弁当を作ってもらいNBIのオフィスで菊池さんと夕食を取りました。
「しばらく日本食ともお別れですね。有罪になったら何年くらい懲役になるんでしょうね」
「大丈夫、ある程度向こうの状況もわかってきました。早く裁判が終わるように、そして無罪になるように頑張りましょう」
私の投げかけた新しいビジネスに乗り「もう菊池などどうでもいい」と彼らが判断すれば裁判も早く終わるでしょう。しかし「我々の邪魔をする者は一生刑務所に入れてやる」と彼らが固執すれば益々状況は悪くなります。少なくても明日の裁判にすべてはかかっています。
やる事はすべてやりました。しかし、相手の手の内のすべてが分ったわけではありません。まだまだイニシアチブは向こう側にあります。緊張でなかなか寝付けず公判の日の朝を迎えました。
マニラの裁判所は物凄い人でごった返していました。日本で例えるなら「運転免許センター」のようなイメージです。矢継ぎ早に部屋から人が一斉に出て来てはまた次の裁判が始まるといった状況でした。囚人専用のトイレなど無く、傍聴人も囚人も一緒になって用をたします。
「へ~っ、マニラの囚人ってみんな同じオレンジの囚人服を着ているんだ」
「いえ、罪状で囚人服の色が違います。オレンジは殺人や強盗など重罪犯です」
「えっ?さっきトイレの中で私ひとりオレンジに囲まれてたよ?」
「はい、すべてが殺人者です。」
「・・・・・・」
一つの裁判でも結審するのに5年10年かかるのもうなづけます。
フィリピンで一番多い罪が「殺人」「強盗」「レイプ」と重罪が殆どです。
それほどフィリピンは重罪犯が多く存在ます。私は人生の中でこれほどの多くの殺人者と一緒に用をたしたのは初めての経験でした。
公判前手続きはある程度済ませていたので冒頭陳述から始まりました。
「罪状、海賊行為。認めますか?」
「いえ、被告人は船には一切触っていません。したがって海賊行為はありません」
裁判は静かにスタートしました。
ガマ社長とビジネスパートナーである会長とで船を使ってマグロビジネスをスタートさせた。
しかし一年経っても一向にマグロビジネスが始まらないことに腹を立てた会長が借金の形に船を差し押さえた。
多額の投資をしたのにも関わらず、何もビジネスが進行しない事でやむなく船を差し押さえたとの菊池さんサイドの心証を得ようとの作戦でありました。
フィリピン独特のナマリがありますが、とてもきれいな英語で裁判が進められるので私としてはとても状況がつかみやすかったです。
「だいたい船は港から一歩も出ていない、それを海賊行為というのはおかしい」
「こちらは船の使用権を主張しているのであり、仕事上のトラブルで船を差し押さえただけだ」
「そもそもお金だけせしめて逃げようという気ではないか?詐欺の疑いがある」
こちら側の弁護士は国際ライセンスを持つ渉外弁護士、マニラの一等地にオフィスを構え、企業の案件なども数多くこなしているバリバリの弁護士です。
そんなバリバリの弁護士が依頼人を守れなかったことでプライドの高いフィリピン人気質は相当頭に来ていました。
どっちが被疑者だかわからないくらい原告者を攻めたてます。
原告者は船の登記上の人物、ガマ社長に名前を貸しているだけの人物です。当然まともな質疑が出来るわけでは無く、しどろもどろしています。
「それでは原告側の証人尋問に入ります。」
ガマ社長が証人台に立ち右手を上げ「嘘偽りなきよう」と、宣告をしました。
「それではガマ社長、あなたはそもそも船の資金を受け取りながらなぜ一年もビジネスをスタートさせなかったですか?」
「いや、色々トラブルがあり、思うようにはかどりませんでした」
「その一年間、出資して頂いたお金は何に使いましたか?」
「・・・・・・・冷蔵庫とか従業員の給料とか」
「ほう、冷凍庫や従業員の給料とかですか?船に関わるお金は一切使っていなかったということですか?ここに船舶用のダイナモなど領収書がありますが、これは関係ないという事ですか?」
「いえ、船にも使いました・・」
「それはおかしいですね、船や冷凍庫用にオーナーがお金を払ったのならこの船は事実上オーナーの物、それを勝手に海賊行為などいうのなら整合性が付きませんね」
「あっ・・あの・・・」
どんどん追いつめられているガマ社長、そしてとうとう苦し紛れにボロを出し始めました。
「じっ、実はこのお金は会長から借りたお金です。返済期限はマグロビジネスをスタートしてから払うつもりです。」
「では、借金の形に船を差し押さえるのは当然の権利ですよね」
さすが一流の弁護士、裁判を傍聴しているこちらも気持ちがスカッとするほどの追い込みようです。もしかしたら2~3か月で菊池さんを解放させることも可能かもしれません。
しかし、ガマ社長もそうやすやすと船は引き渡せません。裁判の引き延ばしを考えているようです。
「私が会長に借金をした事は確かだが、船の所有権とはなんら関係の無い事、船のダイナモも菊池さんが差し押さえた船とは別の船に使用している。私は何隻も船を所有しています」
「では、会長がお金を出してオーナーとなった船は菊池さんが差し押さえた船だと証明出来ればいいのですね。裁判長、ここで会長と一緒に船を見てガマ社長からビジネス話を聞いていた日本人を証人としてお呼びしています」
裁判長に促され私も証人台に立ちました。
証人台に立った私は検察側の質問に対し・・
「ガマ社長は立派な方です。とてもまじめな日本人だと思います。」
「確かにビジネスの話は聞きました。」
「しかし、船を特定するような話は聞いていません!!」
白髪のチリチリ頭でずい分年寄りに見える裁判長、例えるならモーガンフリーマンといった感じの印象でしょうか。今まで毅然とした態度で裁判を進行していましたが、私の発言で「お前はどっちの証言者だ?」と言いたげな顔をして突然頭を抱え始めました。
お昼の休憩をはさみ午後からは証人尋問の続きが始まります。
満足に打ち合わせが出来なかった菊池さんが憤慨したように私に詰め寄ります。
「なんで、ガマ社長を擁護するような証言をするんです?いい感じで裁判が進んでいたじゃないですか!」
廊下ですれ違ったガマ社長に一礼を交わし菊池さんをなだめながら食堂の隅に席を取りました。
「菊池さん、NBIオフィスに連絡をして菊池さんの荷物をまとめるように指示して頂けますか?」
「えっ?」
「いくら弁護士が優秀でもこの裁判は結審まで時間がかかります」
「会長から了解を得ています。弁護士とも話をし、打ち合わせもしました」
「この裁判!午後に決着を付けます!」
ガマ社長は余裕の様子で煙草をふかしていました。菊池さんのあわてふためく顔を見て有利な状況を察したのでしょう。
「そして午後には菊池さんを釈放させてみせます」
モーガンフリーマン裁判長の丸々とした驚きの目を見るのが楽しみです。ガマ社長は私が仕掛けたわなにまんまとかかってくれました。
国際弁護士が思わず「えげつない」と目を見張った私の菊池さん奪還作戦が始まりました。
続く・・・