top of page

15/9/3

【高卒で某自動車工場のラインでブラジル人と働きながら誰もが持ってる身近な○○で月収400万にした話】

Image by Olia Gozha



‐‐第1話‐‐ 身近な〇〇との出会い


まず初めに…

この話は、僕の経験した実話です。

こちらを読んでいただきたいのは、

誰にでもチャンスがあり、どこでどんなことが起きるかは

誰にだって分からないことを伝えたかったからです。



僕も自分がいま独立をしているなんて夢にも思っていなかったし、

目指していたところでもありません。



周りの人の助けがあり、

周りの人の応援があり、

素敵な方たちに囲まれている。


そこに気づけたおかげで今の自分にたどり着いたのだと思います。

過去も未来も大切だけど、【】を大事にしてみてください。


そして、このストーリーを呼んでいただき、


・なぜこのようなことができたのか?

・当時どんな考え方だったのか??

・誰にでもできたのか?


このようなところを意識して見ていただけると

見え方が変わるのではないかと思います。


収入も気になっていただいたかと思いますが、それよりも大切な繋がりや、

偶然は偶然で片づけてはいけないと思える出来事なども

感じていただけると、とても嬉しいです。


---------------------


月収400万円になったのは22歳のころ




きっかけは、高校生の時にはじめた




【アフィリエイト】との出会い。

※アフィリエイトとは、自分のブログやサイトなどに企業などの広告を貼り

広告収入を得る方法です。



高校生ときの友達が携帯電話で副業を

しているのを知っていた僕は

興味を持って友人に聞いてみました。





「『月いくら稼いでるの??』」

友人「『月20万くらい稼いでるよ!』」

「『まじで??何やってるの?』」

友人「『携帯の着うたのサイトを運営してるよ』」




当時流行っていた携帯電話の無料着うたを


友人は運営していたそうだ。




友人はその無料着うたサイトのところに広告を貼って



収入を得ていたのだった。


「『それ誰でもできるの??』」

友人「『それはわからない。』」

そんな会話をしているうちに自分は思ったことは1つだった。


「『どうやってやるかやり方を教えて!』」

友人「『いいよ!』『これでできるよ!』」




ハイッ!!





教えてもらったのは、

アフィリエイトを貼るために使う無料の携帯サイトと

アフィリエイトの広告のサイトだった。



”これだけじゃわからないじゃん”



心の中では思っていたが、1から全部自分でやることになった。


それが、この長いアフィリエイト生活の始まりだった。


興味があるものは進んで挑戦してみる。


これが自分の一番の考え方だった。




この頃自分がやっていた大切だったこと

・何に対しても興味を持っていた

・素直に教えてほしいことは素直にお願いした

・わからなくても毎日コツコツ続けた




‐‐第2話‐‐ 結果が見えなかった土台作り


全く無知識からもなんとか自分でコツコツとやっていたが

素人が始めたところで人が入ることもないサイトの収入は、


もちろんゼロ


全く稼げない。20万円には程遠い。


1人で独学でやっていることもあり、無知識のため


全然思い通りに進まないのが、現実。

どうしようかわからなくなり


ふと思いついたのが




流行ってるサイトを真似してみよう!




そのように感じ、すぐさま、運営していた

サイトをやめて新しいサイトを

作り出したのだった。




当時流行っていたのが【高校掲示板】と言われる様々な学校の事を書いた掲示板サイトだった




興味があるものは進んで挑戦してみる。




その気持ちが薄れることはなく、

すぐに【○○県部活掲示板】という


簡単に作れるサイトを作ったのだった。


そのサイトを作った途端に信じれないことが起こった。



「『今までで一番の人がサイトを見てくれた』」

「『やったー!!』」


と喜ぶ僕に友人は、


友人B「『そんなことしてて楽しい?』」


あくまでも周りのみんなは冷ややかな目でしか見てくれなかった。


「『すぐに結果出してやるからな!!』」

友人B「『了解です。』」


このような会話をしながら黙々とサイトを作ることになった。


人と違うことをするということは周りには理解されにくいところもある。


でも、それよりも毎日のサイトを訪問してくれる


そんな人が増えることが一番の楽しみだった。




昨日は336人見てくれた…




今日は693人見てくれた…




少しずつではあるが、学校掲示板が流行ると共に部活掲示板も


閲覧数が伸びていった。


その頃になり、ついにあの数字も

変化していったのだった。




やったー!100円が入ってた。




100円はいることがこんなに嬉しいなんて。


こんな感覚を覚えたわたしはさらにサイトを作ることに


力を入れていった。



そして高校生活が終わるころになると。


友人C「『教えてくれたから月に3000円は入ったよ!』」

「『やればできるでしょ。この調子で頑張って。』」

そんなことを話している間に


友人D「『悟、サイトの作り方教えて?』」

「『おまえもか。わかったよ。』」

周りの冷ややかな目で見ていた友人が教えてほしいと言ってくれたり

協力してくれるようになっていき、初めのころとは全く違う環境に変わっていくのでした。



相手にされなくても、とことん突き詰める


コツコツとやることが誰よりも強い武器になる


人と違うことをやったからこそ結果がついた



これは高校生の時に学べた自分のスキルで確実に身についているものだ。


そんなことをするうちに、高校生を卒業するまでに


無知だった僕が毎月3万円程度入るにまで


成長していったのだった。




後で知ったが、その頃のアフィリエイトで月に5000円を稼げるのは、

全体の5%しかいなかったらしい。



この頃のわたし

・収入が入る喜びよりも、1日にサイトを見てくれた人の数が増える結果に喜びを感じていた

・毎日コツコツと続けた

・流行っているサイトのマネ+αのサイトを作った

・多くのサイトの【良いところ】をメモしていた




‐‐第3話‐‐ サラリーマン生活開始



わたしは高校を卒業後、某自動車工場に就職しました。


3交代勤務で月曜日から土曜日まで出勤するような忙しい会社。


「『中島悟です。よろしくお願いします。』」

上司「『よろしくね。普段休みの日は何してるの?』」

「『携帯電話よくさわっています。』」

上司「『携帯電話とかさわってて楽しいの?』」

「『携帯電話でお小遣い稼ぎしてます。』」

上司「『いいなー。お小遣い稼ぎしたいけど忙しくて時間ないのだよな。』」

確かにサラリーマンになった途端、アフィリエイトの収入もどんどん減っていき、

高校生の時みたいに時間が使えるわけでもないため、アフィリエイトを行う時間は

一週間に一時間ほどまで減少したのだった。


仕事では、ブラジル人と一緒の所でライン作業を行い、

毎日仕事も楽しく、仕事内容にも不満などもなく楽しい生活でした。


(写真は目をつぶっていますが 笑)


休みの日は、ブラジル人とバーベキューをしたり、

バレーボールをしたり、日本人といるよりもブラジル人と一緒にいる時間の方が長くなるくらいでした。


生活に何一つ不便もなく、楽しい生活を送れていました。


それでも、


忙しくなってもアフィリエイトはやめなかった



見てくれている人がいる限り、更新はするというプロ意識が根付いていたため

収入が減ってきてもやめることはなかった。




その頃は、アフィリエイトで月に数千円

稼ぐことよりも月収21万円という高校卒業したての自分には満足なくらいの

給料を手にしていたため違う目標に考えが変わっていった。


20歳までに高級車に乗る!!


20歳成人式までに、サラリーマンの給料で500万の

高級車レクサスを買う!と決めてかなってしまった話


このような考えに変わっていき目標は変わっていきましたが、




それでも、


夢がかわってもアフィリエイトはやめなかった




それから二年という歳月がたち、高級車に乗るという夢も達成できた。

そんなわたしは20歳になっていた。



【この頃自分がやっていた大切だったこと】

・寝る前に、自分のサイトがより良くなるイメージを描いて寝た

・遊ぶ時間は遊び、やる時はやるというメリハリを付けた

・忙しくてもコツコツと続けた



‐‐第4話‐‐ 月400万円になるきっかけとなったAとの出会い


日々平凡に暮らしていた僕にとって大きな転機が訪れたのは、Aとの出会いだった。

保育園からの幼馴染で、ずっと仲良しのAとの再会だった。


「お久しぶり!!」

幼馴染み「お久しぶり!!」

「今何してるの??」

幼馴染み「実は子供がおなかの中にいるの。」

そんな幸せな会話をしている中に人生の転機がありました。


何気ないメールをやっているうちに

しばらくすると、幼なじみAからの連絡が突然一切来なくなりました。


1週間~2週間しても来ない。


元気にしてるのかな??


そんなことを思っていながらも、連絡が返ってこないことが心配になっていた時に、

ふと幼なじみの様子がわかるものが

1つだけあった…。



それが運命の出会いのブログでした。



そんなことに気づくこともなく、ブログを読んでいた。


ブログの内容的には、


・最近の出来事だったり

・友達と遊んだことだったり

・子供の成長を載せたり


ごくごく普通のブログを載せていたのであった。

元気そうでよかった、とホッとしているときだった。

※あとから聞いた話、この頃は旦那から一切異性との連絡をしてはいけないと言われていたらしい。


偶然が重なり合ってこんなことになろうとは夢にも思わなかった。


幼なじみのブログを読み終えてふとそのブログサイトの

トップページのボタンを押してみた。


なんだこれは??


自分の今までにはない光景が出てきたのであった。

トップのブログをやっている人のアクセス数を見ると

とんでもないアクセス数を出していたのだった。


それを見た僕はどんどん上位ブログに引き込まれていった。


アフィリエイトもやってるのか…


この時何年もやっていたサイトやアフィリエイトを一瞬でくつがえす感覚に襲われた。

その感覚と共に、ある感情が出てきた。


自分でもできる!


そんな感情になり、今までやっていたサイトなどをすべて捨て

まだやったこともないブログの世界に入っていたのであった。



【この頃自分がやっていた大切だったこと】

・自分の感覚を大切にして、感覚・直感で始めた

・自分がやっていることに満足するわけではなく常に【新しい】を探していた

・周りの環境が変わってもコツコツと続けることを変えなかった




‐‐第5話‐‐ 謎の電話から始まったブログストーリー


ブログをやり始めるとともに、アクセス数がどんどんと上がり

今まで越えることのできなかった1日1000人の壁が

ブログでは簡単に越えてしまったのだった。


当時はダイエットの記事を中心的に書くブログを行っていた。

ダイエットの知識は無かったが、本などを読み実際に試してみて

効果の検証を行ったり1人でも喜んでもらえるブログを作りあげていきました。


アクセス数もずっと上がり続け、

収入も高校時代に達成した月に30000円にまで、また入るようになった。


そしてその頃、偶然が偶然を呼ぶ出来ごとが起きたのだった。


たまたま仕事が早く終わり、友達とファミレスに行き

話をしているときに知らない番号から電話がかかってきた。


普段なら、電話のかかってきた時間は仕事をしているし、

知らない番号の電話は出ないことが多かったが

今回は素直に出たのであった。


「もしもし…??」

謎の人「もしもし~!ブログの事でお電話させていただきました~。」


いかにも怪しい…。。。


「何でしょうか??」

謎の人「今、ブログの売り上げのコツを教えてて…。」

「【怪しい…。】あっ。。。はい。」

謎の人「今のブログ、こうした方がいいですよ~!頑張ってくださいね。」

言われていることは確かに納得できたし、

凄い知識の持ち主だと感じていた。


「なんでこんなに教えてくれるんだろう。」


何だったのだろう…。

疑問に思いながらも、この一本の電話から、

ブログが大きく変わりだした。


今までにはやったことのないやり方でブログの更新を、

違和感を持ちつつも言われた通りにやってみると

見る見るうちに売り上げが変わってきた。


凄い!!


この出来事が起きてからブログはトントン拍子で伸びていった…。


実は、電話の方は当時無名でしたが、今は野球球団を買える大手会社の方で、

登録していたアフィリエイト会社の方から目を付けていただき連絡をくれていたのだった。


その頃には、アクセス数が1日に数万アクセスにまで上り詰め

ついに、某ブログサイトのトップページにも載るようになった。


そこのブログサイトは8-9割近くが女性の方が見ているサイトで

男性ではほとんどいない上位を獲得することが出来ました。


その頃の収入はついにサラリーマンの給料を超え、

想像したことがない世界に。


その頃の収入はサラリーマンの給料とアフィリエイトの給料で150万ほどになり

サラリーマンの給料が少なく感じるくらいになりました。


この頃になると友人などにもブログのコツなどを教えるようになり

4人中4人の方が10万円以上稼げるようになり、中には90万ほど稼げる友人も出て来ました。


でも友だちとの遊び方も地味で、

「今日は何して遊ぶ??」

友達「ゲーセンに行こう!」

「いいねー!ブログみんな一件更新したら行こう!」

友達「そうしよー!!」


このような遊びしかしていませんでした。


20代には多すぎるお金が入っていても

全員一致して変えないことが一つあった。



生活を変えない



これがあったからこそ今の自分があったのだろうと感じます。

月に90万入っていても使うお金は月に3万円‐5万円ほど…。

サラリーマンの仕事が忙しかったこともあったし、

田舎に住んでいたのでお金を使うところもない(笑)


何よりも、お金の使い方がわからない

使うとしても、DIESELの服をアウトレットで半額ほどで買う。

これができる事が自分の中での唯一の贅沢だった。



【この頃自分がやっていた大切だったこと】

・生活を変えなかったこと

・サラリーマンの仕事を一切さぼらなかった

・稼げていても、自分が凄い人だと一切思わなかった

・コツコツと続けることを忘れなかった




‐‐第6話‐‐ ついに頂点へ…


アフィリエイトと出会った17歳から5年の歳月が経ち

5年の歳月が教えてくれたアフィリエイトとブログのスキル。

ついにその時が来ました。


ダイエットや、美容のスキルを沢山の方に

ブログで伝え続けた、その結果、





某ブログサイトの、

美容ランキング1位

訪問者最高1日20万PV

1日最高登録購読者300人



月収400万円



これを達成することができました。



その頃には仕事を辞めて次なるステージに進んでいました。

達成した時には、達成感と共に色々な感情を覚えるようになりました。





ずっと続けてよかった。





沢山の方から応援された。





運が良かったと素直に思える。




このアフィリエイト生活ができたのを振り返ると

毎日コツコツと続けることが出来たことが一番の強さだと思います。




そして、全て物事が繋がっている、



一つ一つを大切に

していたからこそ全てが

繋がったんだと感じます。




--------------------


もし、あの子と友人ではなかったら…

もし、あの時友人に素直に聞けなかったら…

もし、幼なじみと連絡していなかったら

もし、勤めていた会社にいなかったら

もし、友達に教えていなかったら


--------------------



一個でもこの【もし】と1つ1つの選択が抜けていたら、

今の生活になっていなかったと思う。


物事全てが繋がっていて、

何一つして無駄なことはない


そして何よりも、

1人では絶対に出来なかった。

これは長い経験から教えてもらえた事実です。



【この頃自分がやっていた大切だったこと】

・頂点を見ても、周りに感謝ができた

・1つ1つのことに意味があることを理解できた

・毎日コツコツできる事を忘れなかった



‐‐第7話‐‐ アフィリエイト生活と全く違う世界へ…


22歳で自分の中でアフィリエイトが満足点まで行ったと感じた僕はその後

様々な出会いがあり、更に違う世界へと足を踏み入れました。


月収400万あったブログ、

アフィリエイトを自ら辞め

人と接する仕事がやりたい


この想いが次なるステップへと移り変わっていきました。

アフィリエイトとは全く関係のない仕事へ…。





【この頃自分にとって大切に感じたこと】

・いつまでも同じ環境にいなかったこと

・新しい目標が持てたこと

・違う環境に行ったが、みんな応援してくれたこと



‐‐最終話‐‐ 今を生きる。自分で道を切り開く。


今、こうして僕がこのような事を書くことは絶対に意味があることだと信じている。

人生何一つとして意味のないものなど存在しないということ。


今、見ている方々に伝える事が自分の役割かもしれない。

だからアフィリエイトをやめても、伝える事は

やめていないのかもしれません。


このストーリーを最後まで読んでいただけているのは、


なんとなく】なのかもしれませんが、ですが

なんとなく】にも意味がある。


自分の中で、なんとなく直感で始めたアフィリエイトが

自分の人生を変えたように、

なんとなく直感で動いた結果が、

今の結果に結びついているはずです。


人生は自分で切り開く


そのサポートをするのが、周りの仲間だったり

応援をしてくれる人である。


今わたしは全く違う仕事をしていますが、

沢山の方に助けていただき、サポートをして頂いています。


誰にだって一歩踏み出すこと、環境を変えることは

なかなかできません。

でも、自分の本当にしたいことを挑戦してみてください。


挑戦して、意味がない挑戦などありません。

この悩んでいる間も、時間は待ってはくれません。


貴重な時間をこのストーリーに使っていただき

ありがとうございます。



長文お読みいただきましてありがとうございました!

また次のストーリーも更新しますのでその時まで!


-----------------

中島悟公式ブログ

今まで経験してきたブログなどの裏技や、

読んで勉強していただけることなどを

まとめています。



中島 悟 fecebook申請

ストーリーズを見たと一言

書いていただけたら承認いたします。




みんなが笑顔で素敵な毎日が送れますように。 

中島悟


←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page