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15/9/12

母子家庭の小学校時代に娘が悟った3つのこと(その1)

Image by Olia Gozha

両親が離婚したのは私が小学校1年生の時でした。

建築家だった父は見栄っ張りで嘘つきで、自分の事務所の資金繰りがうまくいかずに、たくさんの方にお金を借りたりしてご迷惑をおかけしていたそうです。

これ以上一緒にいたら、家族も借金に追われる生活になりかねない、ということで、既に幾度もの口論を経て、愛もなかったであろう私の両親は離婚という選択をしたのです。(もちろんそれを知ったのは随分と時間が経ってからのこと。)


今回、テーマにしたいと考えたのは、離婚時代に私が小学生ながら何を考え、何を悟ったのかというお話です。


まず、最初にお伝えしておきたいのは、このストーリーは全く壮絶だったり不幸だったりする人生について語るものではないということ。もちろん経験を語るのでユニークではあると思いますが、その内容は決して特別なものではなく、幼い頃の思い出を美化したいわけでもないのです。


私はとても恵まれていました。母は私を一生懸命育ててくれて、そして再婚もしました。私の育ってきた環境を、どこかの両親の揃った裕福な家庭と比較すべきものではないし、私はこの家に生まれたことをとてもありがたく思っています。

ただ、いつか子どもができたら、子どもだった頃の気持ちを忘れてしまうんじゃないかと思って、そう考えたら少し淋しい気持ちになって、思い出せるうちに書き残すことにしました。


また、離婚した家に生まれていない人やこれから離婚を考えている人の中には子どもが成長においてどんな影響を受けるのか、心配なこともたくさんあるのかもしれません。取り留めなく読みにくい文章になると思いますが、1つの事例として参考になることがあれば幸いです。


1)「お父さんに会えない」ことは全然不幸ではなかったこと


父親には月に一度、会えることになっていました。

けれど、そんなに父に会いたいと感じることはありませんでした。父と一日中遊べるよと言われても、なんだか気まずそうだなぁと感じていました。

なぜなら、もともと父はほとんど仕事で家におらず、いる時は私の嫌いなプロレスをテレビで見ているか、スーパーファミコンでスーパーマリオなんかをやっていて、遊んでもらえることは滅多になかったからです。


おそらくその気まずさを感じていたのは私だけではなかったはずです。なぜなら水族館や遊園地など会話があまりなくても楽しめるコンテンツの充実した場所に行くことが多かったからです。

そして、いつも決まって「いい子にしてる?」とか、「大きくなったね」とか、定型文みたいな言葉で話しかけられて、そんな意味をなさない質問に答えることが面倒で、だんだんと会うことが辛くなってきました。

わたし「なんで毎回お父さんに会わなきゃいけないの?」

父に月に1度会うという約束を2,3回くらい果たした後、意を決して母に問いかけたのを覚えています。年齢ははっきり覚えていませんが、恐らく小学校低学年くらいの頃のことです。

「会いたくないの?」

母は驚いたように聞き返しました。

わたし「別にそんなにしょっちゅう会いたくない。」

「会いたいと思ったから会えるようにしてただけで、行きたくないなら行かなくていいんだよ。」

そんな感じのことを言われて、なんだ、そーだったのか!!ととてもほっとしたのを今でもよく覚えています。そして我ながら、お父さんに会いたくないなんて、可愛くない娘だなと感じていました。


もちろん私がひねくれていただけで、お父さんが大好きで毎日でも会いたい!となるケースもあると思うんです。あるいは、会うことを先に禁止されていたら、逆になんで会えないの?と聞いていたのかもしれません。

ただ、子どもは両親揃ってないと不幸だとか、子どもは別れた方の親にも会いたいはずだとか、勝手に決め付けずに、子どもが何を感じているかについてきちんと向き合って話をするべきなんじゃないかと今振り返ってみて思います。


結局、その日を境に父に会う機会はぐっと減り、次第に疎遠になり、完全に会うことがなくなって、ここ20年近く顔を見ていません。一体どんなおじいさんになってしまっているのか、街でたとえすれ違ったとしてもお互いわからないのではないでしょうか。


ただ、次に会う時がお葬式、とかだったらさすがにホラーというか、ちょっとした罪悪感というか、複雑な気持ちにはなると思います。私にとって、血の繋がった父とはそういう存在です。

逆に、産みの親より育ての親というのはこの場合、適切な表現ではないかもしれませんが、私にとってのお父さんは、高校生のときに再婚して新しく家族になった血の繋がっていない父です。


3つのこと、と言いながら1つだけしか書きませんでしたが、残りの2つに何をかくかもちゃんと決めているので、気が向いたら続きを書こうと思います。


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