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15/8/28

クレーム受付係として毎日怒られ謝り続けていたOLが、たくさんのお客様から感謝される仕事に出逢い『あなたじゃなきゃ』と笑顔で言ってもらえるようになった話

Image by Olia Gozha

  

「今日もありがとう!!今回も予想以上ーー!楽しかった~♪また来月よろしくね~~」


そう言って笑顔で手を振って帰って行かれるお客様。


お客様が今日も笑顔で『ありがとう』って言ってくださる


そんな奇跡


5年前の私は知りませんでした。




私は中小企業の事務として働いていた。


配属先はクレーム・要望受付の部署。


毎日電話口で怒鳴られ、嫌味を言われ、謝る。



5年もやってれば、不機嫌な客達からの電話も

慣れっこになっていた。


ただ、毎日、自分の人生を無駄にしている感


それは否めなかった。


楽しくないし、やりがいもない


3年もした頃から、

さすがに「このままでいいのかな~」って気持ちが生まれ、

それは日増しに

「なんとかしないと」に変わって行った。


「どうせやるなら、人に喜んでもらえるような仕事をしなさい」


昔、父に何度か言われた言葉。

それが頭に浮かぶ日が、増えた。



なんとかしたいけど・・・

お金ない、コネない、人脈もない


それどころか

資格もない、取り柄もない、夢もない


おまけに言ったら

根性もなければ、負けん気もない


もう、びっくりするくらい

なんにもない。


そんな私がまた企業に転職したところで、

ずっとやりたいと思える仕事なんて、できるわけないか


そう思った。


自由に楽しく働きたいな。


というか、謝るより

「ありがとう」って言ってもらえる方が多い仕事がしたい。


自分で何かやってみたい


漠然とそう思った。



冗談みたいな行動

ここで普通なら、

自分が何ができるのかを考えるだろう。


でも私は、こともあろうか

起業して既に自分で何かをやっている人達に

突然会いに行くという、わけのわからない行動に出た。


しかも丸腰で。


当然ながら、肩書なんてない。

名刺すらなかった。


当時流行り始めていたブログで見つけた

起業している女性向けの会に

行ってみた。


申し込むのは、ちょっと勇気がいった。


少人数制と聞いていた通り、

6~7人の人がいた。


皆、やりたい仕事を自分でやっている人。

会社やお店、サロンなどをやっている人。


つまり組織のトップ。


ラッキーなことに

おバカな私は、そこをスルーできた。


なぜなら気付かなかったかったから。

彼女たちが『社長』だってことに。

あまりにも

自分の働いている会社の社長と違っていたから。


それが幸いして、

私は委縮することなくその会を楽しく終えることができた。


恵まれていた。


主催者を始め、みんな優しかった。

楽しかった。

誰も威張ってなかった。


皆、好きなことを仕事にして

楽しく働いていた。


私もそうなりたいと思った。


行って良かった。



嘘みたいな事実


彼女たちのように 楽しく働きたい


そうは思っても、現実は甘くなかった。


まず、自分にできそうなことを探した。


すると、なんと・・・


・・・ひとつも無かった。


主に事務職しか経験してこなかった自分には


できることが、ない。


昔から続けていることもなく、

これと言って特技もなく、

仕事にできるようなスキルがなにもないという現実。


でも有難いことに

私には、やる気があった。


丈夫な体があった。


そして、割と忍耐力もあったらしい。


その時は気付かなかったけど。


そして、何もできない割に

前向きだった。



何かできるようになればいい


だったら、何かできるようになろう


そう思っていろいろ試してみた。


アロマ(女の子らしくて可愛いかも)

ネイル(自分で出来たらいいな~。やってみた。でも挫折)

料理教室の師範資格(ただ楽しく通っていたら取れた)

イヤーセラピスト(痩せられるかも)


服とネイルと美味しいものくらいしか興味のない

お気楽OLの私が思いつくことなんてたかだか知れていて、

できたらちょっと可愛いかも、得かも

そんな事くらいしか思いつかなかった。


いつの間にか父の言葉は忘れていた。


自分のことしか考えていなかった。



バカでよかった!

資格は取れても、活かすことができない。


いくつ取っても、何を取っても。


そんな私に、チャンスが巡ってきた。


そのチャンスは、

ちっとも『チャンスですよ』なんて顔はしてくれてなかったけど。


一言で言うと、会社を辞めることになった。


ただ、結果的には、それがいいきっかけになった。


取得した資格のひとつで料理教室の講師として働くことになった。



教室で生徒さんたちは、楽しそうだった。

「楽しい」「わかりやすい」

そう言ってリピートしてくれる生徒さんが少しずつ増えた。


できが良くなかったおかげで、

「できない」気持ちがよく分かった。


「できない」が「できる」ようになって、楽しそうだった。


生徒さんが笑ってくれて楽しそうで、本当に嬉しかった。


「思えば、もう何年も人を笑顔にするようなこと、できてなかったなぁ」

いつも笑顔で

「ありがとうございました~!」と言って帰って行く生徒さんを見て、


人から笑顔で「ありがとう」と言われる仕事って、

なんて楽しいんだろう!


そう思った。


久々に、父の言葉を思い出した。

初めて父が言っていたことの素晴らしさが分かった気がした。


取り敢えず始めた講師の仕事でこんなに楽しいなら、

本当にやりたいことだったら、

どれだけ楽しいんだろう!


頭をよぎったのは、美容に関する仕事だった。



高校卒業と同時に進みたかった美容の道。

唯一向いていると思えたことだったのに、

断念してしまったことを、ずっと後悔していた。


若くないとできない


そう思い込んでいた道だった。


既に30代に突入していた。


だが、どうだろう。

私の周りの30代の女性達は、どんどんやりたいことをやっていた。


数年前、起業している女性達の会に参加して以来、

私の周りは、そういう人たちばかりになっていた。


私はツイていた。


やりたいことをするのに、遅すぎる事なんてない


そのことを身をもって証明してくれる人達がいた。

すぐそばに。


若さで言うなら、

人生、現時点で一番若いのは、今。


挑戦するなら今だ!


そう思った。



諦めなければ、叶う


めんどくさがりな私が、

珍しく即動いた。


ネイルのスクールに通うことにした。


以前途中で投げ出したネイリストへの道。


通信教育で続けられなかったので、

時間はかかるがスクールに通うことにした。


資格も取った。

サロンで働いた。


ド下手だったのが、段々上達していった。


次第に友人から頼まれて自宅でネイルをするようになった。

ポツポツとご近所様も来てくれるようになった。



皆、喜んでくれた。



笑顔で、「ありがとう!」と言ってくれた。


嬉しくてたまらなかった。


お金なんて二の次、三の次だった。


『やりがい』って、こういうことなんだ、と思った。


仕事に『やりがい』を感じたのなんて、初めてだった。



「どうせやるなら、人に喜んで貰える仕事をしなさい」

父のこの言葉は、私を幸せにするためのものだったと知った。


こんなに喜んでもらえることなら、

もっと多くの人にお届けしたい!


それで私も幸せになれるなんて、

こんなスゴイことない!!!


一石二鳥なんて、都合の良いことが大好きな私。


ネイルサロンを開きたい


夢ができた。



夢は叶う(努力し続ければ)


やる場所を恵比寿に決めた。


どうやってやるか

それだけを考えた。


近道だと思うことからやった。

それでも素人だし、かなり遠回りになっていた。


いろいろあった。


当たり前だが、

やりたい → はい、じゃあどうぞ

そんな都合の良い事にはならなかった。


あしながおじさんは現れなかったし、

1日で日本一のネイリストになれるわけもなかった。


努力なしで夢がかなうほど、甘くはなかった。


夢は叶う


世間でスゴイと言われている人は、よくそう言う。

偉人と呼ばれる人が、本で言っていたりする。


ただ、この言葉には、落とし穴っていうか

試練がある。


カッコ付きで、


(努力を続ければね、叶うまで)


って、その後に続く。


そこんとこがどれくらい重要で

どれくらいしんどいかってとこは、

誰もちゃんとは教えてくれなくて。


修造みたいに熱く指導してなんて、くれない。


おまけに

山登りと違って、いつたどりつくかもわからないし。


地図もないので、近道もない。


さながらジェームス・ボンドやインディー・ジョーンズのように

手掛かりを探しては

体当たりで進んでいくしかなかった。


正確に言うと、両親は教えてくれてたのに

楽な方に逃げて、キツイ道は無視してた。


その結果が、何もできない自分で。

それまで何もして来なかった分だけ

しんどいわけで。


そんな事を、嫌という程味わうことになった。


足りないところを埋めるためなら、

どこまででも行ったし、いろいろ勉強して練習した。

お金も時間も使った。

失敗も死ぬほどした。



完全に否定的で協力してくれなかった夫を説得し

ちょっと無理やり気味だが、

都内に引っ越し、サロンを開くところまで頑張った。


今回は、諦めなかった。


それから数年。

恵比寿でネイルサロンをオープンした。


何かやりたい


そう思ってから

気が付けば6年も経っていた。


あの何にもできることがなかった私からしたら、

今こうして都会のど真ん中でサロンをやっているなんて

夢みたいな話だと思う。


お客様たちから、

「ありがとう!サミーちゃんにやってもらって良かったわ~~」

「ありがとう~!今回も最高!!また来月もよろしくね~!」


そんなたくさんの「ありがとう」の言葉を頂けるようになるなんて、

ぼんやりとした想像の世界のことだった。


憧れていた人たちから応援してもらえるようになって、

あの頃夢見ていたように

楽しく働くことができるようになった。


「なんかいいことないかな~」が口癖のOLだった頃。


いざ踏み出してみても、

うまくいかないことばっかりで、泣いてばっかりだった毎日。


ドラえもんのタイムマシンがあったら、

その頃の私に教えてあげたい。


「大丈夫。大丈夫だから頑張って!」

 って。


一足飛びとか無理だけど(笑)

その夢叶うまで、あともうちょっとだよ、って。




世の中のスゴイ人と思っていた人は、

諦めなかった人

努力をやめなかった人


憧れていた人は、夢を叶えているように見える人は、

今も頑張り続けている人。


謝ってばかりいたOLが、

6年かけて知ったことです。


何にもなくたって、

うまくできなくたって、

行動すれば

努力を続ければ

必ず夢は叶う


何もなかった私が、今はたくさんの「ありがとう」を貰えているみたいに。


だからこれからも、

同じように泣いたり笑ったりしながら

夢に向かって

一歩一歩進んで行こうと思います。









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