・絶望の起源
人生とは 何なのか
生きるとは何なのか
こんなことを ふと考えてしまうときがある
だが 考えすぎないようにもしている
なぜなら 考えすぎると
必ず ネガティブなほうにいってしまうからだ
最初からベクトルが絶望方向へと 向かってしまう 自分がいる
なぜ そう考えてしまうのか
やはりそれは 子供のときの経験がそうさせているのかも知れない
色々あったが かなりの絶望感を子供ながらに抱いていた自分がいた
そして それが具現化するようになったのが
多分 中学生のころだろう
多分といったのは 中学生の頃の記憶がほとんどないからである
まさに空白の3年といえる時期だったが
そのときに初めて 死というのを考えるようになった
それは自分の死についてだ
多分そのころに初めて 僕は人の葬式にいった
そして初めて 骨を拾ったのである
その経験も少なからず影響しているのかも知れない
なんで 人を燃やす意味さえもわからなかった
そのときに初めて 死を見つめたのだ
これが 死ぬということなのか
しかし 死んだからと言って 周りの人たちは
あまり動揺している様子はなかった
もちろん 何人かの人は泣いていたが
なんか 殺伐としている雰囲気だった
僕も初めての経験だったせいか
涙は出なかった
しかし 葬式というのは 実に不愉快な場所だという違和感を感じていた
葬式というのは いろんな人が集まる 知らない親戚までも集まる
特殊な式だ
葬式だというのに よくそんなに楽しく宴会をできるとも思っていた
しかし それは子供たちも同じだ
周りには僕を含めて 中学生や小学生がいたが
楽しそうに遊んでいた
そこで思ったのだ
葬式なんて 開くべきではないと
僕が死んだら もちろん 葬式なんてなくてもいいし
お墓もいらない 無縁仏でも十分だ
ただ 死んだときに
ZONEの歌をBGMにしてくれれば それでいいと思っている
その体験もある種 絶望といえる体験だった
人間の本質とはリバースである と
誰かが言っていた
つまり 逆のことを求めているのだと
それは結構あたっていると思う
生きている人間は死にたがり
死にそうな人間は生きたがるものだ
これは動物の中でも人間が起こす奇妙な心理状態である
死にそうな人間は生きたがるのは わかるが
問題は前者だ
自殺とは 自分を殺すことだが
自分を殺すとは実に勇気がいることである
自殺経験がある人は多分わかるだろう
僕の場合は自殺をしなかったわけではなく
自殺に失敗しただけなのだ
このことは親もだれも知らない真実だ
そんな真実を誰が見ているかもわからない人に公開する理由は
ただ一つ
あなたに死んでほしくないからである
それを勇気と呼ぶのかは微妙だが
気持ちが反対の意味で勇ましいのだろう
自殺をした人で有名な人でいうと
太宰治がいる
彼が人間失格を書いているころには もう自殺をすると決めていたのかも知れない
それぐらいあの本には 絶望のエネルギーが満ち溢れている
だが共感ができる部分が多い
だから あれだけ人気が出たともいえる
しかし 逆に言えば 読む人が読めば
自殺をしてしまう人もいるだろう
それぐらい危険な本と認識しておくべきだ
きっと太宰も おさいころに
大いなる絶望経験をしているのだろう
そうでなきゃ あの本は書けない
生死が混沌とし 世界が虚ろになっていくあの感覚を持っている
人であれば なんとなくわかると思う
だが 自分の死は 自分で決めたいと思うのはとてもわかる
死に様はかっこよくありたいものだ
男なら少なからずそう思っている人がいる
自分の死を自分でコントロールしたい が
実際にはなかなかできない問題とわかっていながら
あがいてしまう自分もいる
一度死を体験したことのある人なら 尚更そう思うのである
それは太宰もそうだと思うし
僕もそうだ
本当に死ぬ寸前まで いくと
それはもう完全に別の世界であり
カオス状態である
人によってはそれで神秘体験をしたり
新たな能力を手に入れる人もいるだろう
これは実際に経験をしてみないと わからないものです
しかし 一度経験をすると
死という恐怖が 増えていくこともある
死ぬのが本当に怖くなる
自分という存在が消え去る事実を受け入れることができない
あれほど 死を望んでいたのに そんな矛盾がまきおこる
それは今でも同じだ
一度 潜在意識に入ったものは そうそう抜けるものではない
子供のときの記憶は一番潜在意識に残りやすいとも言われている
だから 子供に
いい教育をするときは
3歳から5歳ぐらいの間に いい体験を積ませることがいいと
いわれている
残念ながら 僕の場合は その間にも 絶望しかなかった
3歳の頃の 記憶が一つだけ 覚えているのだが
それはただの絶望の塊でしかない
記憶とは恐ろしいものである
それが人間のメリットであり デメリットでもある
いっそのこと 記憶喪失の方がマシだとさえ思う
メイン イン ブラックみたいに
記憶を消去できる機械があればいいのにね
そうすれば 救われる人もいるのではないか
そんな絶望の中で ある漫画に出合う
それが スパイラルだ
スパイラルは 一言でいえば 絶望漫画である
主人公の歩が 大いなる絶望 大いなる運命に向き合う
片方は 創造を 片方は 破壊を求めていた
歩は自らの意志で みなの希望を創造することを選んだが
それは歩にとっては 一番の絶望である
自らの命と引き換えに この世界に希望を創造する
そんな彼を見ていると 少なからず 希望がわいてくる
絶望自体がもう消えるものでないなら
その絶望の上を歩いていくしか ないのである
彼は 死に様と生き様を同時に見せてくれた 唯一の人物だ
絶望の中にしかない 希望を見せてくれた
これは僕の中で 大きな
パラダイムシフトだった
生きるのも 悪くはないと思った瞬間でもある
・日本人の絶望
絶望の中で歩くことを決めた僕だが
そもそも日本人の持っている絶望は
少し種類が違う
世界と日本の絶望は大きく違っているのだ
簡単に言えば
世界の絶望は物理空間を占めている割合が多いのに対して
日本人が持っている絶望は情報空間の割合が多いのである
世界では自分の命があぶないことがあるし
飢餓の問題などもある それらは全て物理空間の現象である
それに対して 日本は
物理空間は満たされているが
情報空間が満たされていない
つまり 心が満たされていないのだ
そこには物理空間とのギャップがかなりある
この現象は先進国ならではのものだろう
だから日本人が抱える絶望というのは
ほとんど情報空間のものが多い
だからこそ うつ病なども多いし
自殺者なども多いのだ
これらは問題といわれているが
それに対して いったいどれほどの解決策を講じてきたの言うのか
景気がよくなっている?
それはピケティの言うとおり 格差が広がっている証拠でもある
それは今後も広がるし 格差がなくなることはない
日本の格差というのは 実に実感がわかないものでもある
世界の格差は実感があるし 見ていればわかるだろう
例えば インドや中国
上には大富豪が沢山いて
下には奴隷や貧困層の人たちが何億人といるのだ
しかし 日本の場合はここまで表面化していないので
格差社会が広がっている実感は少ないだろうが
今後はそれが実感できるようになっていく
そう 東京オリンピックがあるからだ
これによって 東京は姿を大きく変えるだろう
だから今のうちに 東京を見ておくといい
近いうちに 景色が180度変わるんだからね
東京オリンピックで 東京の格差がかなり表面化されると言われている
下町などは少しずつなくなっていき
お金持ちと貧乏人とが 一緒に暮らすこともなくなっていくだろう
今でもその片鱗が見え隠れている
その一つが 高齢者の問題だ
東京では高齢者が増えて それに対応ができなくなっていく
だから 高齢者たちを東京から追放しよう という動きさえもある
いらないものはどんどん地方に回ってくる
そのうち在日外国人とかも 同じような扱いを受けるだろう
そもそも あんな せまっくるしいところに
1300万人もの人間がいるのがおかしい
これは世界から見てもかなり特殊な場所といえるだろう
気づいていないのは 東京に住んでいる人間ぐらいだ
地方と東京という 二つの構図で できているのが
日本という国なのだ
地方は格差というよりは 衰退といったほうがいいだろう
しかし 東京でこれから起こるものは
まぎれもない 格差だ
5年後がある意味楽しみである
と 色々書いたが
これでも世界から見れば まだ全然ましな国だといわれている
やはり
絶望の上を歩くという感覚がなければ
生きていくのもつらくなっていくのは間違いない
・死に様について
死に様 をコントロールしたいというのは
基本的には男性が持っているものだ
女性はそんなことは考えもしないだろう
死に様については
いくつかの理由があるが
一つはやはり武士道精神からきているものがあるのだろう
男らしく死にたいとか
侍らしく死にたいとか そういう名残がある
変な死に方はしたくないのだ
例えば 車にひかれて死ぬとか
くらげにさされて死ぬとかは
いかにも かっこ悪い
じゃあ かっこいい死に方とは どういうものなのか
例えば ヒーローとしてしんでいく
アルマゲドンなんかは かっこいい死に方といえるだろう
他にも ワンピースで言えば 白ひげとか ヒルルクの死なども
かっこいいといえるだろう
死ぬ前に言うセリフも かっこいいしね
ただ ほとんどの人間は病気で死ぬことが多いだろう
それはどっちかと言えば かっこ悪い死に方だ
しかし それを回避するなら自害をするしかないだろう
自害にも色々なパターンが存在する
ヒルルクみたいな自害もあれば
NARUTOに出てくる きさめ みたいな自害もあるし
サムライみたいな自害もあるだろう
基本的に自害する死は かっこ悪いものだが
上記のパターンであれば 自害をしてもいいとさえ 思う
なぜなら そこには信念があり 思いがあるからだ
最後の死に様で男は決まるものだと 勝手に思っている
死に様を普段考えることがない人は
これをきっかけに 色々考えてみるといいだろう
僕は基本的には 10年後は生きていると思っていない
それは昔からそうだった
僕は20歳前後でずっと死ぬと思っていた
メメント モリ ではないけど
ずっと死を想ってきた
長生きをするなんて 無意味なことだとも思っていたが
スパイラルを見てからは そんなこともなくなった
最後の最後まで生きるのも かっこいいのではないかと思うようになったのだ
そしてもう一つ
将来の奥さんには悪いけど
基本的には奥さんより先に死にたくはない
というか 先に奥さんが死んでほしいと思っている
その理由はいくつかあるが
一つは 女を一人残すことがつらい
というより残された人の方がきっと辛いだろう
僕は地方に住んでいるので
まわりには高齢者の人が沢山いるのだ
しかし ほとんどの高齢者はババアだけで
ジジイが先に死んでいる
一人暮らしのババアが非常に多い
女性は長生きする生き物だ
今後も平均寿命は延びていくだろう
そんな中 たった一人で生きていくのは
かなり辛い 見ているほうも辛い
だから 先に死んでくれと 笑
できれば周りの友達も全員先に死んでほしいと思っている
そして 全員の顔を見届けて 最後に僕が死にたい
そんな風に思っている
生き様について
生きることって
ちょーーーーーー
めんどくさいよね
生きるって
本当にめんどくさいんですよ
人生なんて おおいなる暇つぶしでしか ないんですよ
その暇つぶしをどう生きるのかが人生である
人生に意味なんてないんだよと思っている人も少なからずいるでしょう
きっと太宰だってそう思っていたから
死んだんですよ
でもそれは正解なんです
人生に意味なんてないよ
そもそも意味なんてないけど
そこに新しい意味を加えていくのが人間なんです
確か アドラー先生も同じことを言っていたような気がする
まぁ絶望を抱いている人は
ぜひアドラー先生の書籍
嫌われる勇気を買いましょう
そうしたら 少しは気が楽になると思いますのでね
普通の人は
過去があって 今があって 未来があると思っているでしょうが
それは間違い
あるのは
今だけ
僕たちが実感できるのは今という刹那だけである
だから刹那だけを考えていればいいんですよ
過去というものは 思い出すたびに遠ざかっているものである
そして 過去と未来の刹那には何の因果関係もない
過去なんてものは脳みそのはじっこぐらいに
おいておけばいいんです
それ以上考える必要はない
だって過去だもん
過去のトラウマとかも本当はないんだよ
勝手にソウ思っているだけ
人生は今だけでしょ
いつやるか 今でしょ!
それが大事
ただね
ファイナルファンタジーの
ユウナもいっていたけど
亡くなった人たちのことを時々思い出すのも大事
それは大事なこと
逆に言えば それ以外の過去は
捨ててしまってもかまわない
・今日という日に目を向けよう
これこそ生命
生命の中の生命なのだ その短い行路の中には
君の存在の真理と現実とがすべて含まれる
生まれ育つ喜び
行動の栄光
成功の光彩
昨日は夢にすぎず
明日は幻でしかない
精一杯に生きた今日は
全ての昨日を幸せな夢に変え
全ての明日を希望の幻と化す
だから目を開こう 今日にむかって
過去と未来を鉄の扉で閉ざせ
今日一日の枠の中で生きよう
By カーリダーサ
絶望からの脱出方法
ここでは絶望から脱出する方法について
結論から言うと
脱出する方法はありません
だって
脱出しても
また絶望はくるからね
だから
絶望の上を歩いていくしかないんですよ
まさしく絶望ロード
それにね 絶望があるから人間は進化するんです
成長するんです
例えば ユダヤ人がそのいい例です
ユダヤ人は虐殺をされていき
国から出ていかないと 生きていくことも困難になりました
絶望の中ただ待っていたわけじゃありません
その絶望を超えるためには彼らは考えて行動したのです
だから 頭に知恵を入れること そして
持ち運びに便利なダイヤモンドという資産を手に入れて
その絶望から避難することができたのです
その絶望があったからこそ
彼らは世界でも優秀な人たちへと 変貌していったのです
どんな絶望にも少なからず希望は存在します
その希望に気づいた人だけが
絶望の上を上手に歩くことができるのです
信念のもとに これはお前の物語だ
生きてりゃ
死にたくなるほどの
痛さに出会い
歩けば
所々でつまづいて
前に進んでも
日々 迷いつづけ
戦いから
逃げたくなる日も
あるだろう
でも それらを
体験した人なら
本当の答えが
見えてくるのかも
知れない
自分らしく 生きるってこと
探し続けて いく
それが 人生たるもの
迷わない 人間が
どこにいると
美しく最後を
飾るヒマがあったら
美しく最後まで
生きようじゃね〜か
これは
お前の物語だ
そびえたつ恐怖に
牙を向け
運命の歯車をねじ曲げろ
これが正しいって
言える 勇気があればいい
ただ それだけ出来れば
英雄さ
PS
最後まで 読んでいただき ありがとうございます
ブログもやってます
http://seed.oomoritakuya.com/?1435229473