はじめに…
このストーリーは、100%実話です。
適応障害、休職、婚約破棄を経て、うつ病に…
そして、自分の限界を、自分の本当の気持ちを探しに
神奈川県から、新潟県の日本海までの一人歩き旅のお話です。
この旅で僕は、「本当の自分」を見付けることが出来ました。
「ありのままの自分」を受け入れることが出来ました。
これが出来るようになった途端に、うつ病は劇的に改善しました。
それどころか、今が一番幸せだと思えるようになりました。
うつ病を発症して約2年が経った今、
出逢ったすべての人、すべての出来事に感謝を込めて、
このストーリーを残します。
そして、このストーリーを通じて出逢う人に心から感謝します。
2015年5月28日 坂内 秀洋
うつ病になった日…
「なんでうつ病になっちゃったの…?」
それは2013年8月25日…
今でも鮮明に覚えている。
帰宅した彼女の明らかにおかしな態度に、
僕「「どうした?」「ちょっと話そうか」」
と、イスに腰を掛けた。
IKEAで買ったお気に入りのナチュラルテイストなテーブルを挟み、
改めて彼女の顔を見た。
「やはり様子がおかしい…」
只事では無いと、
僕は彼女に聞いてみた。
僕「「何があったの?」」
彼女「「何でもない…」」
彼女は言う。
幸いにも誰かに何かをされた訳ではないようだった。
しかし、うつむき、目を合わせようとしない彼女を見て、
僕「「いや、明らかにおかしいよ」「何かあったなら言ってよ?」「僕、何かした?」」
こんなやり取りを何度か繰り返し、
彼女は重い口を開いた。
これから生死を脅かす、地獄の日々が待っているとも知らずに…。
彼女との出逢い…
少し遡り、5月のこと。
僕は、婚約していた彼女と念願の同棲生活を始めた。
僕はこの同棲で、初めて実家から出たため、
自分たちで物件を探し、
自分の好きな家具や家電を揃え、
好きな人と一緒に暮らす。
全てが新鮮で、
達成感や夢や希望に満ち溢れ、幸せいっぱいだった。
9月に結婚式を控えていた僕らは、そのままスムーズに幸せ街道まっしぐらだった。
そんな彼女との出逢いは3年前、
当時フリーターだった僕は、夏季限定の短期のバイトで彼女に出逢った。
彼女は僕の5個上だったが、年下と思えるくらい、
ほわわーんとしたとても柔らかい印象で、小柄で可愛らしい女の子だった。
「この人と結婚するな」
嘘みたいな話だけど、
初めて話した時に、そう思った。
ビビビッてやつです!笑
その時彼女には8年間付き合ってる彼氏がいた。
なので、
「あの子には彼氏がいる」
「あの子には彼氏がいる」
「あの子には彼氏がいる」
と自分に言い聞かせ、
「好きになっちゃだめだ!」
「好きになっちゃだめだ!」
「好きになっちゃだめだ!」
と、理性で気持ちを押し殺していた。
ですが、なんやかんやあって、彼女は彼氏と別れ、僕の彼女になった。
(そうなるまでに、ドラマチックな出来事があったのですが、
恥ずかしいので、割愛します。笑)
8年間付き合った元彼の存在に物凄いコンプレックスを持っていた僕は、
「このままじゃいかん!!」
と、フリーターから脱却することを決めた。
そこからちゃんと就職するまで1年くらいかかるのですが…。
彼女が5個上ということもあり、
付き合う前から結婚を視野に入れてたため、
付き合ってからの僕は、
「結婚をするためにはどうしたらいいか?」
を考え、それに向かってひたすら走り続けた。
彼女と結婚するために、
就職をし、
彼女のご両親に認めてもらうために、
初年度で会社内トップの成績を上げ、
結婚資金を貯めまくり、
脇目も触れず走り続けた。
全ては彼女と結婚するために。
彼女を幸せにするために。
彼女と幸せになるために。
身体の異変、そして心の異変…
いつも理性を優先して、上手く感情を表せない僕に対し、
体全体で素直に感情を表す自然体な彼女。
そんな彼女に憧れさえ抱いていた。
いつも僕を理解し、
いつも味方でいてくれ、
いつも応援してくれた。
僕は、そんな彼女が大好きだった。
彼女が僕の原動力だった。
彼女と一緒なら何でも出来ると思っていた。
仕事にも慣れ、お金もそこそこ貯まった時に、決死の思いでプロポーズ。
結婚式にこだわりを持っていた僕らは、準備に力を入れるため、同棲開始した。
しかし…
同棲をしてまもなく、僕の身体に異変が現れた。
身体がムズムズする…
力が入らない…。
前々から不眠や下痢、原因不明の斑点や、足のむくみ、ジャケットを羽織れなくなるくらいの肩と首の凝り、体重の低下など、身体に異変は出ていたが、仕事が忙しかったため、
「疲れてるだけだな」
と思っていた。
そんなある日、ついに心に異変が現れる。
「怖い…」
何とも言いようのない恐怖感が襲ってくる。
この時僕は、営業で恵比寿にいた。
お客さんと話すのが怖い…
人を見るのが怖い…
ここに自分が存在しているのが怖い…
心臓の鼓動は速くなり、
手足が震えるほどだった。
いてもたってもいられない気持ちで彼女にメールをした。
僕「「何かおかしい…」「凄く怖いんだ…」」
意外にも彼女の反応は冷たかった。
彼女「「それうつ病だよ」」
今まで、
「うつ病なんて気持ちの問題だよ!」
なんて思っていた自分が、
「まさか、なる訳がない!」
と思ったが、
あながち間違いでもない気がする…。
とにかく、この恐怖感が治るならと思い、
予約なしで今すぐに診てもらえる心療内科を検索した。
「渋谷か…」
そして、藁にもすがる思いで病院へ向かった。
問診票と、アンケートに答え、名前が呼ばれるのを待つ。
ついさっきまで、頭がおかしくなるくらいソワソワしていたのに、病院に着いたら何故かホッとした。
病院に居るだけで、こんなにも冷静になれることに驚きを感じた。
「心療内科ってこんな感じなんだー」
白を基調としたキレイな内装に、3人掛け用のイスが並んでいる。
アロマのような心地よい香りと、
さりげなくヒーリングミュージックがゆったりと流れていた。
男性、女性、若い人、中年の人、スーツの人、普段着の人、
実に様々な人達が、心に問題を抱えているんだと初めて思い知った。
そして僕もその一人だった。
しばらく経って、僕の名前が呼ばれた。
部屋に入ると、
少し小太りの、変な柄のネクタイをした男の医者と助手の若い女性が座っていた。
医者「「おかけください。」」
僕はイスに座り、これまでの症状と、今の現状を赤裸々に話した。
医者はしばらく僕の話を聞き、問診票を見ながら、こう言った。
医者「「自律神経失調からの適応障害の可能性があります。」」
僕「「て、適応障害?」」
僕はショックだった。
適応障害の意味は良く分からなかったが、
とりあえず適応出来ない人間なんだと思った。
こんなに仕事を頑張って、成績も残してきたのに、
自分は、社会に適応出来ない、社会不適合者なんだと思った。
しかし心の奥でどこか腑に落ちる感覚があった。
「やっぱりか」
と妙に納得した部分があったのだ。
医者「「今はお仕事が忙し過ぎるのでしょう。」「少し休めば良くなりますよ!」」
それを聞いて少しホッとした。
適応障害と言われても、得体の知れない恐怖に襲われ続けるより、原因が分かっただけで良かった。
休めば治るのなら、大丈夫だと思ったら、少し元気が出た。
とりあえず僕はうつ病ではない。
「休めば治る適応障害!」
それくらい軽く思っていた。
その日、
医者「「これを飲めば、気持ちが楽になりますよ。」」
と、
精神安定剤を処方された。
薬を飲むことに少し抵抗は
あったが、薬を処方されたことでの安心感と、
「やっと仕事を休む正当な口実が出来た。」
と思った部分があった。
いや、むしろそっちの方が大きかったかもしれない。
病院に駆け込んでから、つい数時間前までのことが嘘のように、気持ちが随分と楽になった。
しかし、気持ちが楽になったのは、ほんの短期間だった。
日が経つに連れ、またあの恐怖感が襲ってくる。
7月の後半、初診から2ヶ月が経った頃、
僕は仕事の外回りの時間を縫って、週一回、病院に通い続けていた。
だか、症状はほとんど改善はしていなかった。
あの小太りの医者に相談をしたところ、
医者「「一旦お休みをしましょう!」「少し休めば良くなりますから!」」
と言われた。
自分でも、このままの状態で仕事を続けていても、きっと良くならないだろうと思っていた。
それ以上に悪化していくだろうと思っていた。
この時既に、お客さんと話すのが怖くて仕方がなかったからだ。
どこにいても電話の着信音を聞いただけでも、心臓がバクバクする。
夢の中でも仕事をし、寝ることでさらに疲れが増していく。
朝食を食べれば嘔吐し、電車に乗るのも怖かった。
僕は、営業職で、税金など、個人事業主の方の経理のコンサルタントの仕事をしていた。
この仕事を選んだのも、今後の結婚生活で、
お金の仕組みを知っておくことは非常に大切なことだと思ったからだ。
しかし、この仕事で、お金と人、会社のダークな部分を知ることになる。
自分の正義と、会社の正義、そしてお客さんが求めているもの。
僕にはどうしても納得の出来ないことがあった。
心にシコリを抱えたまま、仕事を続けていたが、
お客さんに契約をしてもらうことが、自分自身を騙し、
お客さんを裏切る行為になるんじゃないかと思え、
ついこの間まで、営業成績をトップで走り続けていたのに、
全くと言うほど契約が取れなくなっていた。
というか、取らなかった。
お客さんの仕事の経理や税金は、お客さんにとって、生活に直結する部分だ。
税金を安く抑えたいという気持ちはよく分かる。
しかし、やっていいことと、やってはいけないことがある。
「バレなきゃいい」
そういう考えが僕には絶対に出来なかった。
お客さんのことを一番に考え、いつも誠実に対応をし、説明、説得をしているつもりだった。
でも、僕の気持ちが伝わることは少なかった。
それよりか、離れていく人が増えていった。
毎月解約のお客さんが増えていく。
その状況を見て、上司からも、
「「お客さんが「良い」と言ってるのだから、それをやる。」「お客さんの求めているものを提供するのが、うちらの仕事だ!」」
と言われた。
上司の言っていることは、分かる。
でも僕は、お客さんに
満足をしてもらうことより、
人として正しい行動をして欲しい。
と思っていた。
それが最終的に一番良い結果になると考えていた。
だから、解約の申し出を止めることはしなかった。
上司からは、
「「説得して来い!」」
と何度も言われた。
同行をして、説得をしに行ったことも何度もあった。
でも、人として間違ったことをしようとしてる人を止める気にはなれなかった。
会社にも問題があった。
顧客数に対応出来る体制が出来ていなかったのだ。
パンク状態だった。
どんなに契約を取ったところで、パンク状態を悪化させるだけだった。
何より、そんな状態で、お客さんが満足のいく結果が出せる訳がなかった。
はっきり言って、営業成績なんて、どうでも良かった。
僕は、お客さんに、そして自分に嘘をついてまで、仕事はしたくない。
1年間の毎日の仕事の積み重ねで、ありがたいことに紹介を頂けていた。
だが、僕がお客さんにしてあげたいことは、この会社では出来ないし、
お客さんが求めていることは、僕には出来なかった。
お客さんの期待が心苦しかった。
会社の体制が許せなかった。
会社の指示に黙って従う上司に腹が立った。
何より、自分一人で何も解決することが出来ない非力な自分が大嫌いだった。
今思えば、
「絶対に会社を変えよう!」と、
平日終電まで働いているにも関わらず、土日返上で一緒に働いてくれた直属の上司や先輩達がいた。
その人達は、いつも僕の話を聞いてくれたし、励ましてもくれた。
「お前、頑張りすぎだぞ!」と心配もしてくれた。
そんな素晴らしい人たちに囲まれながらも、
当時の僕は、悪いことばかりを考え、悪いことばかりが目に付き、悪いことばかりを口にしていた。
僕の心は完全に負の感情で支配されていた。
「もう限界だ…」
会社を変えるために、社員みんなで改善策を考えた。
一部の人は他人事だったが。
しかし、今まで刷り込まれた意識や、体制が変わるのには時間がかかる。
そんなことは分かっている。
でも、やらなければいつまで経っても変えられないのも分かっている。
でも、その間にもお客さんとの関わりがあり、常に成績を求められることが耐えられなかった。
「会社を変えたい!」
という気持ちはあったが、
それを持続させる体力、気力が残っていなかった。
いやきっと、心のどこかで、
「自分たちがどうこうやったところで、どうせ変わることはない。」
と諦めていたのだろう。
休職の決断…
彼女との将来の生活を考えた。
今のままでは、彼女に心配をかけ続けてしまう。
子どもが生まれた時に、胸を張って言える仕事をしていたい。
そう思い、僕は次の選択肢を探していた。
そのために、一度冷静になって、考えてみよう。
僕は、会社を休職することにした。
彼女と両親に相談をした。
休職期間も傷病手当金が出るため、収入が減るが、生活は出来る。
その旨を伝えた上で、
「まずは健康第一!」
休めば良くなるなら、今は休んだ方がいいという結果になった。
心底、彼女の理解に感謝した。
会社にも話し、8月の夏休みから、とりあえず一ヶ月間、休職することになった。
僕が適応障害と診断されてから、心に良いとされることを色々やってきた。
彼女は、根菜類や豆などを使った美味しい料理を毎日作ってくれた。
彼女も働いていたにも関わらず、僕の負担を減らそうと、皿洗いさえさせてくれなかった程だ。
寝るときは、いつもソファだった。
僕はベッドで一緒に寝たかったのだが、僕の負担にならないようにと、彼女は頑なに断り続けた。
そんな彼女に僕が出来ることは、どこかに連れて行くことくらいだった。
彼女は旅行が大好きだった。
休みの日はどこかしらに出掛けてはいたが、今までは僕の仕事が忙しく、
旅行には全然行けていなかった。
休職しようと決めた今、彼女との時間を存分に楽しもうと決めた。
仙台に住む友達に夜行バスで会いに行き、牛タンを食べ、牡蠣を食べ、観光地めぐりをした。
初めて富士山に登り、一緒に御来光を見た。
楽しそうにしている彼女を見るのが何よりも嬉しかった。
もっともっと彼女と同じ時間を過ごしたいと思った。
そして僕は、彼女と一緒に過ごせる時間を増やすため、
転職しようという気持ちが強くなっていった。
8月14日から休職期間に入り、約2週間。
事件は起きた…。
うつ病になった日…
2013年8月25日…
今でも鮮明に覚えている。
帰宅した彼女の明らかにおかしな態度に、
僕「「どうした?」「ちょっと話そうか。」」
と、イスに腰を掛けた。IKEAで買ったお気に入りのナチュラルテイストなテーブルを挟み、
改めて彼女の顔を見た。
「やはり様子がおかしい…」
只事では無いと、
僕は彼女に聞いてみた。
僕「「何があったの?」」
彼女「「何でもない…。」」
彼女は言う。
幸いにも誰かに何かをされた訳ではないようだった。
しかし、うつむき、目を合わせようとしない彼女を見て、
僕「「いや、明らかにおかしいよ」「何かあったなら言ってよ?」「僕、何かした?」」
こんなやり取りを何度か繰り返し、
彼女は重い口を開いた。
「別れたい…」
その言葉を聞いて、耳を疑った。
つい3週間前、仙台に行った時は、
めちゃめちゃ楽しんでいて、
「結婚式のプロフィールムービーに使おう!」
と何枚も何枚も一緒に写真を撮った。
2週間前の富士登山では、彼女と一緒に登頂をした。
キツそうな彼女を励ましながら、一緒に登頂をした。
僕は八合目から自分のザックと彼女のザックを担ぎ、登った。
正直僕も結構キツかったが、彼女のために出来ることが嬉しかった。
下山した後、彼女は、
「◯君がいなかったら、絶対に登れなかった。ありがとう!」
と言ってくれた。
そんなことがつい2、3週間前にあったのに、
どうして急に別れを告げられるのか不思議で仕方がなかった。
彼女「「私は、収入も少ないし、◯君を支えることは出来ない」」
彼女は全てを背負いこんでいた。
僕「「傷病手当があるから、生活は大丈夫だよ」「それに休めば治るんだから」」
僕はそう言った。
彼女「「でも、一度うつ病になった人は、また、何度も繰り返すって…」「私には、そんな不安定な生活は耐えられない…」」
彼女は何か勘違いをしているようだった。
僕「「いやいや、僕はうつ病じゃないし!」「今の僕を見てごらんよ?こんなに元気じゃん!」「休めば治るし、次はちゃんと2人の時間を作れる仕事をするからさ!」「◯◯に養って貰おうなんて全く思ってないし、僕はちゃんとやる人間だから、大丈夫だよ!」」
そう言っても、彼女の表情は変わらなかった。
大音量の音楽をヘッドホンで聞いているかのように、
僕の言葉は全く届いていなかった。
「なんで、うつ病になっちゃったの…?」
彼女はそう言った…。
僕はこの時、様々な感情が溢れ出てきた。
こんなにも不安な思いをさせていたのか…
僕はうつ病なのか…?
休職した方がいいって言ってたよね…?
富士山は?仙台はなんだったの…?
言葉にならない感情で頭がいっぱいになった。
しかし、僕はどこか冷静だった。
彼女の話すこと、表情を見て、揺るぎない意思を感じた。
「彼女が幸せだと思える結果にしよう。」
それが僕に出来る唯一のことだと思った。
僕「「分かった」「もう一日だけ考えてみて。」「それでも答えが変わらないなら別れよう。」」
そうして、次の日、
2013年8月26日。
彼女は23時過ぎに帰ってきた。
僕「「おかえり、遅かったね」「昨日の話の続きをしようか。」」
彼女は昨日の約束を忘れているようだった。
まるで過ぎ去ったことのように。
「答えは変わらない?」
「うん…」
「じゃぁ、別れよう…。」
そうして僕らは別れることになった。
後から分かったことだが、僕と話す前に結果は出ていたらしい。
僕の実家に彼女の父親から、
「婚約を破棄してくれ」
という電話が来ていた。
僕はすでに決まった現実を知らないまま、
独りで彼女の帰りを待っていたのだった。
2013年8月26日。
今でも忘れない。
彼女を好きになって丸3年が経った日。
彼女が僕の彼女でなくなった日。
そして、僕がうつ病になった最初の日だ。
僕は実際、医者に「うつ病です。」と診断された訳ではない。
しかし、自分自身で受け入れてしまった時、それは現実になる。
彼女との別れが、自分がうつ病であると受け入れるキッカケになってしまった。
この日から僕の人生は物凄い音を立てて、大きく変わることになる…。
つづく…
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここから、しばらく独りで家に引きこもり、その後一人歩き旅に出ます。
その旅での様々な経験や出逢いが、大切なことを僕に色々と教えてくれました。
つづきは、自分のペースで楽しんで書いていきたいと思います。
次のお話も読んでくれると嬉しいです。