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15/2/23

東日本大震災1:避難所情報用のブログを立ち上げたきっかけ

Image by Olia Gozha

 2011年3月11日 


 あの日、私はまだ学生で春休みの最中だ。ちょうど、弟の卒業証書授与式の日のことでもあった。車に乗っていた私は、発生当時は地震にすら全く気がつかなかったのだが、帰宅後、テレビの向こう側で起こっている現実に唖然とした。その時の記憶は、鮮明に残っている。9.11以来の衝撃だったように感じられた。一面が火に包まれている場所、津波の生々しい映像、すべてがまるで映画の中で発生しているような、現実味のない感覚の中で最初は日本に大きな災害が起きたという実感もいまいち湧かなかったくらいだ。


 私が行動を起こしたのは、その日の夜だった。帰宅難民のニュースを眺め、当時東京に住んでいた複数の友達からのメッセージに応じながら、そろそろ寝ようかとベッドに入ったときのことだ。何ということはなかった。ただ、何となく眠れずにパソコンを立ち上げた。特にすることがないものだから、幾つか持っているフリーメールの画面をひとつずつ開き、メールチェックを行っていたのだ。どうしてなのか、それは今でもわからない。いつもはしない行動だった。そこで、とあるメールマガジンを発見した。何の変哲もないメディカル系の情報を発信するメールマガジンで、興味のないタイトルであれば、すぐに削除してしまう程度のものだ。しかし、その日はタイトルが違った。帰宅難民の方へ、情報を発信する特別版のメールだったのである。宿泊ができる施設、ロビーが借りられるホテル、自治体で開放している場所の情報などだったように記憶しているが、詳細な内容まではあまり覚えていない。ただ、そのメールの存在こそ、私が災害に関連するブログを立ち上げるきっかけとなったものだった。


 午前1時すぎ。普段使っているところで別のブログを立ち上げた。帰宅難民用ではない。避難所の連絡先を載せるためのブログだ。実は、災害が起こる数ヶ月前に、数週間前ほど父と連絡が取れない時期があった。ほかの話にも書いたことがあるが、私は中学一年生の時に家が火事でほぼ全焼している。それ以来、父は仕事の都合という理由で私たちとは一緒に住んでいなかった。もともと、頻繁に帰宅する人でもなかった事や一ヶ月に一回程度は帰ってくるため、その別居状態には慣れていたのだが、全く連絡が取れないとなれば話が変わってくる。父のその後の話については無関係であるため割愛するが、とにかく、「連絡が取れない不安」というものを解消したくなったのだ。たったひとりの、小規模な活動の始まりだった。

 関西在住の私に東北の土地勘があるはずもなく、まずは被災地域の把握から始めなければならなかった。驚いたのは、町どころか村や郡という単位で区切られていたこと。行政や自治体のサイトは、津波の影響だろう、その殆どが機能しておらず、また辛うじて繋ぐことができるサイトであっても、避難所の"連絡先"が記載されているところはまずなかった。当然だろう。避難所の情報は、その地域に住んでいる人に向けて発信しているものだ。そこに行くための場所さえわかれば、わざわざ電話番号などを記載する必要はなかったのだろう。それが最初の躓きだ。早くも面倒になってやめようかと思ったのだが、やると決めたのだから、やりたかった。どうしても、きちんと公開できるデータを集めたい気持ちになっていた。


 ひとまず、見つけられる場所から探そう。

 まずは住所をグーグルマップ等で調べて場所を把握し、ネット上の電話帳を使って電話番号を入手した。次に商工会議所のサイトにアクセスして地域ごとの情報収集を行い、他にも過去のログを拾ったり、消えてしまったサイトであっても検索結果などから痕跡を辿るなどの方法で、避難所の情報をひたすら掻き集めた。無我夢中という言葉が正しく当てはまる状態だったように思える。本当に夢中で、延々と情報を求め続けた。同じ日本とはいえ、遠い場所のことだった。自分とはまるで関係のない人たちかもしれない。そんな事は頭になくて、今はただデータを集めて、情報を整理して、連絡先一覧を作るという事だけに集中していた。

 明け方頃になって、ある程度の収集がつき、それらの連絡先をブログに上げたところで集中力はぷつりと切れた。そのあとは、ぐっすりと眠ってしまった。ほどよく頭を使ったのだろう。或いは、とても大きな達成感を得たのかもしれない。


 そして、昼過ぎにブログのコメント欄などを確認したとき、そんなところで達成感を覚えている場合ではないということを痛感することになる。

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