なせばなる なさねばならぬ なにごとも。
といいますが、
僕の最近の心情としては
なるようになる なるようになってくさだめ なにごとも。
という感じなのです。
なせばなる の言葉の裏には一種の絶対的な自己意識というか
自分はこれだけのことをしたのだから、こうなるでしょう。という力を感じます。
見返りとまでは言わないけれど、努力はむくわれる的な。
けど現実は、厳しいです。努力はむくわれるわけでは、全くないです。
そもそも努力してる人でなければ分からないことですが、努力してみても自分の中でこれだけしてるのに?!なぜ?!なんてことはたっっくさん おとずれるし。
けど、ある一線までいくと、努力が努力でなくなり そのもの自体が自然なことになっていきます。
僕にとっての踊りはそんな感じです。
この場・この時間・こんなプログラムで練習を重ねることはここ数年あまり重要視してません。
すなわちスタジオ練習的なことが大切とは思っていません。
ある時期から時間と場所を決めて練習するって踊りにとって何だか凄い不自然に思えて、それから踊る時間を決めるのでなくて24時間するよう心がけました。
24時間、踊る。日々の生活の過ごし方ひとつひとつ意識して踊りに還元していく。
歩いているときも意識1つでは凄い練習?一歩一歩歩む身体感覚とフォルムも含めて神経を研ぎすませていくと色々な事を教えてくれます。
お釣りをもらうときもそう。相手からお釣りを受け取るときの手の流れ、そこに全神経を集中させる。
あとは、電車待ってるとき、家でいるとき、気が向いたら具体的に踊りを踊ってみる。
それまでに蓄えた身体感覚の教科書を開き、実践してみる。
この24時間の意識は、時間と場所に縛られ練習するダンスと比べて僕にとって100倍成長が早かったし楽しいです。
その意識は努力という感覚でしていたら絶対に長続きはしません。
あくまで自然に、力を抜いて瞬間瞬間を楽しむんです。これが僕の自然な在り方という感じで。
そして 僕は 踊りが好きだという気持ちが強くなります。
そうなっていくと、こうしたらこうなるだろうという一種の結果欲が消えてきます。
それ以上に、今の自分自身の踊りがどんな感じか、どういう感覚に巡り会えるのかにワクワクします。
そうなると、結果なんてどうでもいいのです。
なせばなる は 結果を求めてる。
なるようになる は 過程を求めてる。
僕はそう感じています。
過程を生きたい。
今という過程を生き続ける。
そうすれば、振り返ったときに必ず気づくはず。
全部、なるようになってるって。
そう思う今日この頃でした。
photo by Saori Ozaki