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14/12/18

【Part 6】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~ついに帰郷編~

Image by Olia Gozha

 第三章~大学を卒業しても~




・親の反対を押し切り、専門学校へ


・大卒のプライド、箸が転んでもおかしい生徒たち


・無視、無視、隠し味に「お前誰だよ!!」


・卒業と同時にマイカー購入。アルバイトへ。


・コンビニバイトでも、ちょくちょく顔を出す統合失調症。


・「職業訓練校」


・「穴は深く掘れ、されば穴は広がらん」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


・親の反対を押し切り、専門学校へ


 「ちょっと、休まない?」


 それが、卒業した自分への、母親の第一声だった。


 激務と天変地異。慣れない引っ越し。と、かけずり回っていたのだから、少し休め!と、言う意味だったのだが、


 「就職できない自分は無価値だ。」


 と、思い込んでいた自分は、


 「なんで、専門学校入らせてくれないんだよ!」


 と、ブチ切れたりした。


 今思うと、「職業訓練校」などの、無料で受けられる就職訓練制度などがあるのだから、無理せずに、身体を休める。意図的にニートになる事を、勧められていた。


 自分は、卒業論文を制作し、口頭試問も終わり、卒業証書を貰わないまま大学を卒業したため、まだまだシューカツが残っている。と、思い込んでいた。


 今思うと、


 「焦るな焦るな!無理をするな!無理をするな!!」


 と、両肩をポンポンと叩いてあげたかった。


 そんなタイムマシーンも無いので、今、ここに、書き記しておく。






・大卒のプライド、箸が転んでもおかしい生徒たち


 こうして、フライングゲットして始まった、専門学校生活だったが、うるさい。とにかく、うるさい。


 狭い教室に四〇人がすし詰めにされ、ピーチクパーチク鳥のさえずりだったらよかったのに、うるさい生徒たちの声で、先生の声が聞こえなかった。


 今までの読者だったらわかるだろう。もう、発症の土壌はできているのだ。


 そこでは、六月に向けた「簿記三級」の勉強をしていた。


 「利益」、「純利益」、「負債」、…ぐらいしか思い出せない。


 隣で猛烈に紙一面にびっしりと何かを書いている生徒がいたり、安息の日が無かった。


 そんなどん底だった自分に、転機が訪れた。  


 天気が良かったその日、自分は、学校を休むことを電話で伝えた。


 その日は、ラーメンズの小林賢太郎のソロプロジェクト、「Potsunen(ポツネン)」の新潟公演があった為だ。昼の公演だったので、一時は売りに出そうかと思ったが、行かなくては一生後悔すると思い、断腸の思いで長岡から新潟へ足を運んだ。


 自然豊かな「りゅーとぴあ」と言う会場で行われたソロ公演は、落語あり、地元でしか伝わらないネタありと、小林賢太郎の愛情を、一心に受けられる公演だった。


 最後のカーテンコールで、


小林賢太郎「「僕は、この公演を中止しないか。と打診された(東日本大震災のため)。でも、やるんだ!と言ったんだ!」」



 万感の拍手。


 

小林賢太郎「「もう、人の幸せに飢えているから、今年、何か新入生とか、いないの?」」



 という問いに対して、自分は勇気を出して、手をあげた。


 

小林賢太郎「「お!がんばってね!」」



 天にも上がるほど、うれしい出来事だった。


 しかし、一時の蜜の味と、日々の地獄は、つり合いが合わない。


 時と同時に、祖父が足を骨折した。


 川に時計を捨てたと思いこみ、その川に足をつっこみ、滑って骨折してしまった。


 母親がお見舞いと仕事の両立をしている中、自分は、何もできないでいた。


 祖父がほぼ回復していた時、母親が祖父に、


 「ちょっと、ベッドで眠らせてくれいや」


 と言い、祖父がそれを了承した。


 ベッドで母親が眠っていると、医師と看護士がやってきた。


 最初は、寝ぼけていた母親だったが、すぐに異変に気付いた母親は、顔を真っ赤にして、


 「申し訳ありません!」


 と言い、医師は、


 「疲れていたんでしょうね。大丈夫ですよ。ゆっくり寝てってください。」


 と、優しい声をかけてもらったという。


 祖父は、ゆっくりと外を見ていた。


 そんなこともあったのだが、学校に行っている時間よりも、家にいる時間の方が長くなった。


 「流が如く2」をしているチンピラ達を、教室でピーチクパーチク言っている奴らと見立てて、ストレス解消をしようと思ったが、全然気が晴れない。それどころか、学校に行ってないという罪悪感が増幅して行く。


 そんな中、「persona4」と言うゲームに出会い、学校に完全に行かなくな食った。


 昼夜逆転の逆転をして、夜の十二時に起きて、昼の十二時まで、ぶっ通しでゲームをプレイしていた。ゲームで扱うモンスター(ペルソナ)も、全種類集め、プレイ時間は、160時間を超えていた。


 そんな自分に、また転機が訪れた。


 祖父が、大腸がんで再び入院したのだ。


 忙しい仕事の合間に、毎日のお見舞い。何もしない自分。さすがに、罪悪感がMAXになった。学校の先生に頼みこみ、学校の生徒がいない時間に補習をしてもらったり、家でできる資格習得(WordやExcel)等の勉強をしたりして、なんとか、軽トラックが買える学費を取り戻そうとした。


 祖父が退院する時に、全経の簿記三級を取得する事が出来た。


 2012年に年が明けてから、サーティファイのWord、Excelの資格を取り、徐々に、学校へ行くのも苦で無くなった。


 しかし、専門学校生活と言うのは、そんなに甘いものではないのだ。






・無視、無視、隠し味に「お前誰だよ!!」


 昼休みに、女子たちがババ抜きをしていた。そこの輪に強引に入った事により、無視されるようになった。


 女子は怖いものだと思った。


 思い出したくないので、これ以上書かない。


 数少ない男の子の友達に、話しかけても、その友達の別の友達から、


 

ギャル男「「誰だよ!あのメガネ!おい!!誰だよ!!」」



 と、ブチギレられたりした。


 「あぁ~あ!悪うございましたね!!!」


 と、言い返し、その場を逃げることしかできなかった。


 しかし、楽しい授業もあった。


 「マーケティングシミュレーション」という名前のゲームで、人件費、材料費、倉庫管理費など、計算に入れながら、自分の会社を大きくする、モノポリーみたいなゲームがあった。


 皆はつまらなそうにやっている中、人一倍楽しんでいた。専門学校で一番楽しかった時間である。


 WordとExeclの使い方と、ペン字を習ったので、キレイな自分の名前の書き方、「マーケティングシミュレーション」を引き換えに、軽トラック代相当の料金を支払った。しかし、無事に、卒業する事が出来た。






・卒業と同時にマイカー購入。アルバイトへ。


 卒業を目前に向かえた一月。中古車販売のお店で、マイカーを買ってもらった。35万円だった。


 自分は、大学二年生の時に、ひろと一緒に免許を取りに行ったので、マニュアル免許を持っていたのだが、丸々三年間ほど、車を乗っていなかったため、迷わずオートマ車を選択した。


 洗濯物を折りたたんだ後に、母親が出勤すると同時に、自分の車で出勤した車が、交通事故を起こした。オヨオヨと動揺する母親を見て、自分は、家から一歩も出ない生活をしようと心に決めた。


 修理も、事故のいざこざも終わり、無事に自分の車になった、ホンダライフ(ブラック)は、いざ近くのコンビニへ向かった。履歴書を片手に持って。


 そこで、「以前、同じ系列のコンビニで働いていた」と言う事、「独特な精神的な病気を持っている事」を話した上で、採用が決まった。


 最初は、何もできないので、大きな声で接客をした。それしか出来なかった。


 でも、毎日が楽しかった。






・コンビニバイトでも、ちょくちょく顔を出す統合失調症。


 七時間を超すバイトをすると、体調を崩す。体調を崩す自分を責める。でもなだめる店長とオーナー。優しさが時として罪となり、自分の心を病んでいく。


 優しいが故に、自分のやるせなさが増幅して行った。


 過呼吸の原因が分からないまま、なんとか、コンビニのバイトを命がけでやっていた。 






・「職業訓練校」


 気持ちだけ焦っていて、何もできないでいたが、ハローワークだけは、頻繁に足を運んでいた。病気を持っている人に付けられる、「99」という番号をもらい、話を聞いていた。そうすると、相談に乗ってくれたおばさまが、


 「翌日に、『職業訓練校』と言う学校の説明会があるから、明日きなさい。」


 と、言われた。


 その日は、偶然にも寝る前の薬が無くなり、さらに、今はドクターストップが出ているコーヒーを飲んだために、一切寝ないもできないまま、「職業訓練校」の説明会に臨んだ。


 活発な先生がいて、熱っぽいその先生の姿勢に感動し、すぐに申し込みをしようと思った。


 その後、悪い事は重なるもので、バイト先のオーナーから、


 「今日、深夜の一時まで働いてくれないか」という、打診があった。その時点で、24時間以上目を見開いていた。


 そのハローワークの足で、柏崎の医者まで行き、薬をもらい、そのまま、バイト。六時から深夜一時まで。


 結果、41時間、目が覚めていた計算になる。我ながら、「若いな~」と思う。


 職業訓練校に通おうと決心し、いろいろなことを調べると、学習する学び舎は、長岡だが、足切りをする試験会場が、三条にあることがわかった。


 母親のジム帰り、なんとなく、「行ってみるか!」と、車を三条に走らせたのが、地獄の始まりだった。


 試験会場だったと思った会場が、別の学校だったり、どんどん日が落ちてきたり、車内に険悪なムードが流れた。


 しかし、無事に発見できた時は、二人して、少年少女のように笑っていた。


 無事に試験会場と、試験をパスし、いよいよ、職業訓練校本番。


 最初は、Word、Excelの授業だったので、授業中に、ネットサーフィンをしながら、余裕余裕~♪と、やっていた。職業訓練とは関係のないところで、日商の簿記三級がとりたいと思い、勉強をしていた。


 しかし、当日は体が全く動かず、試験会場にも行けず、その日あったバイトも、途中で欠勤してしまった。


 自分は、自分で、情けないと思った。


 「一体、何のために、職業訓練校に入ったんだ。」


 そう、自分に問い聞かせたとき、真っ先に浮かんだのが、母親の顔だった。


 母親に安心してほしい。一人で生きていくことのできる人になる。自分で働いて得たお金で、生活できる人になる。そのために、今の職業訓練に通っているんだ。そう思い返した。


 ちょうどその時、Word、Excelの授業が終わり、htmlというホームページ制作の授業に移行し始めたときなので、一念発起し、授業にのめりこんだ。そして、無事に修了式を迎えることが出来た。






・「穴は深く掘れ、されば穴は広がらん」


 修了式で、校長先生からのお手紙に、印象的だった一文がある。


 「穴は深く掘れ、されば穴は広がらん」


 一つの事をずっと掘り続けていくと、次第に入口の穴は広がっていく。それは、人脈づくりにも似ていて、一つの事に熱中している人の周りには、自然と人が集まってくるものだ。という意味だ。


 自分は、感銘を受け、号泣した。そして、また別の視点でこの言葉を感じ取ることが出来た。


 人脈を追おうとして、穴の大きさだけ、人の輪だけを大きくしようとしtも、底が浅い人間関係しか出来ないんだよ。鉱脈を掘り当てるような作業が、人脈を作る作業だと思うので、校長先生の言葉は、座右の銘にしている。


この後は、ついに就職!?

しかし、絶望的な壁が、立ちはだかる!!!


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