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14/11/25

創価大学在学中に『創価学会亡国論』を読んで幸福の科学に入った話1

Image by Olia Gozha

このタイトルは本サイトの読者の興味を引いたようなので、iPhone5Sからストーリーを書いてみる。

僕が創価大学に入学したのは1995年の4月のことだ。この年は1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件があった年なので、よく覚えている読者の方も多いだろう。

僕は三重県の津西高校に通っていて東大が第一志望だったが、東大には不合格だったため、第二志望の創価大学に進学した。創価大学の偏差値は50台なので東大を第一志望にする生徒が普通は第二志望にはしないのだが、僕は熱心な創価学会員だったので、東大以外なら創価大に行くと決めていた。

と言っても、最初は浪人するつもりだった。阪神大震災の当日はセンター試験の自己採点の結果を提出するために学校に登校したのだが、この時はセンターで大失敗した化学ではなく生物の参考書を持っていたのを記憶している。浪人したら化学ではなく生物でセンター試験を受験しようと思っていたからだ。

ところが、授業料を振り込まないと創価大学の合格が取り消しになるという期限の日になって、「浪人したって東大に受かる保証はないし、せっかく創価大学に受かったんだから」と創価大学に進学することにした。

東大に行くことに重きをおいていた僕にとって不本意な決断ではあったが、地元から初の創価大学進学者が出たということで、両親や地域の学会員は大喜びだった。

そして僕は95年3月に毎日新聞の奨学生として上京した。上京した翌日に地下鉄サリン事件が起きた。この時間、僕は高田馬場にある毎日新聞育英会の本部に向かっていた。ちょっと時間がズレていたら、ひょっとしたらサリン事件の被害者になっていたかもしれないのだ。

入学式で創立者である池田大作氏を初めて生で見た。6歳の頃、池田大作著『人間革命』を読んでから毎日、「池田先生に会わせてください」と祈っていたので、直接、話をしたわけではないが、生で見た創立者と言うのは、感慨深かった。

翌日の聖教新聞には最前列に座っていた僕の顔写真が掲載されていたので、母親や地域の学生部員からの反響があった。

入学後は朝、夕の新聞配達、授業、学生部活動で充実した毎日を送っていた。毎日が寝不足の日々だった。

ある日、夕刊を配達した後、新聞販売店の近くにあった障害者の雇用を促進するリサイクルショップを訪問した僕は中古本コーナーに1冊20円で売っていた角川書店刊の大川隆法本全6冊を大人買いした。

この大人買いが僕の運命を大きく変えることになるとは、この時は全く考えてもいなかった。


つづく


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