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14/9/9

10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(14)

Image by Olia Gozha

いよいよ手術が明日に迫り、麻酔科の先生が部屋を訪ねてみえた。優しそうな女の先生。説明を聞いているうちに「本当に明日手術なんだ」と言う実感が湧いてきた。

手術後、しばらくは入浴は禁止となる。腹切り前の入浴は病棟のシャワールームで娘に背中を流してもらった。この時ばかりはちょっとしんみりした気持ちになった。恐らく娘は母親の背中を流しながら、明日に迫った大手術に対してかなり不安な気持ちであったに違いない。

手術前夜には不安から寝付けない人が多いこともあって、安定剤が処方されるのが普通らしいが私は断った。全く不安もなくぐっすりと眠ってしまったのである。この時点でかなり変人と言うほかないだろう。


そして手術当日、朝早くから主治医が顔を出してくれた。私は手術を目前にして若干興奮気味であった。手術開始は午後1時の予定だが、午前中に手術が入っているため、その進行具合によっては多少ずれ込むこともあるとのこと。恐らく昼前にはナースが迎えに来るとのことであった。

私は主治医に思わず「先生それまでウロウロしてて良いですか?」と言ってしまった。「何でウロウロする必要があるんですか?」厳しい顔でそう答えられてしまってハッとした。これほどの大手術となれば先生方は必死の覚悟で臨まれるはず。それが当の患者がウロウロしていると言うのはなんとも不謹慎な話ではないか。まな板の上の鯉たるもの、おとなしく「その時」を待つものだと心から反省した。そして、その時はやってきた。


ガラガラガラ・・・とストレッチャーの音が近づいてきた。そして病室の前で止まると、私の名前を呼びながらナースがストレッチャーと共に入ってきた。遂にその時がやってきたのだ。

「手術が楽しみ~」などと強気だった私も、この時ばかりは震える思いだった。『遂に逮捕か!』そんな心境であった。午後からの手術でも家族は10時半くらいには来る様に言われていたので、すでに主人、娘、妹が揃い、私はベッドに入らず立ち話をしていたところにそれはやってきた。正直、そのまま速攻で逃げることは可能であった。しかし、どう考えてそんな大人げないことは出来ない。

こういう時はどういう表情をして良いものか?もちろんニコニコは出来ない。かといって泣きそうな顔も出来ない。3人の心配そうな顔を見て私は半ば照れ笑いのような表情でストレッチャーに乗った。出来れば顔を隠していたいと思った。しかし、白布を掛けたのではご臨終だ。プーさんの顔が大きく書かれたハンドタオルでもかぶせれば良かったかもしれない。


病室の方たちから声援を受けて部屋を出た。しかし、そのまま手術室に直行ではなかった。処置室で剃毛。電気かみそりでさっさとやってくれたから助かった。娘を帝王切開で出産した時は手馴れたベテランナースがシェービングフォームとかみそりで剃り上げてくれた。その時は全置胎盤による大出血のさなかで羞恥心もなかったが、やられて気分の良いものではない。電気かみそりは意外であったが救われた。

そして、肩に鎮静剤を打たれた。これはかなり痛かった。幸か不幸かこの時点までしか記憶がない。家族の話では手術室に入る時も目をしばたかせながら手を振っていたというのだが、全く記憶にないのだ。


「予定通り終わったよ~」主人の声で目が覚めた。全く痛みも何にもない。本当に手術をしたのだろうか?それでも「予定通り」という言葉に私は心から安堵した。ガンが広がっていたらそのまま閉じると聞いていたから、早期終了は残念な結果を意味することになる。つまり「予定通り」=取り切れた、成功したという意味合いがあったからだ。すでに6時間以上は経過していることになる。確かに外は暗いようだ。

夫は慈しみの表情で私を見つめながら、確かめるように手を握り続けていた。「あ~良かった」と言いたいところだったが、言葉が出ない。主人の後ろには執刀医のS先生の姿があり、ほっとした様な表情で見守っていた。なんとしてでもお礼を言わなければ・・・「ありがとうございました」やっとこ搾り出すように言うと、耐え難い睡魔が襲ってきて「眠い~」と言ったまま深い眠りに入ってしまったのだ。


次に目覚めたのは何時かわからないが、ナースが氷のうをわきの下や体の周りにせっせと入れている最中であった。とにかく熱かった。その上、足の血栓予防のために巻かれた長靴状のマッサージ器がなんとも邪魔くさくて、布団をはぎたい衝動に駆られたがそうは出来ない。ナースから「何かあったら、鈴の付いた紐を引いて教えてくださいね」と言われた。ナースコールではなく鈴付きの紐というのに驚いた。

ICUに一晩滞在する予定になっていたので『ここがICUか・・・』とちょっと見回してみた。周りにモニターが並ぶ以外、特に凄い設備があるという感じではなかったが、ナースがすぐそばに待機していて心強い気がした。これならナースコールでなくてもかすかな鈴の音でも気付いてくれるはずだ。後で聞いた話だが、私は39度を超える高熱を出していたということだった。確かにあれこれ取りまくりの大手術をすれば高熱が出るのも当たり前だろう。 寝苦しいながらも結局また眠ってしまっていた。



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