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14/7/3

普通の主婦の普通じゃなかった半生 2 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

Image by Olia Gozha

1からの続き。



写真、私が一番好きな若き日の母の写真です。


写真 一番右が私を妊娠中の母、一番左が父、父の右に居るのが祖父母です。


私の誕生、そして父母の離婚。



母はそんな非凡な環境で大人になり7年間の女優時代を経て、女優時代に知り合った父と結婚をしました。

父は東京の人でしたが、京都の立命館大学時代にエキストラとして東映の撮影所でバイトしていて、そこで母と知り合ったそうです。

父は撮影所の照明さんの偉い人と面識があり、その人に母との仲介を頼んで出会い、母が当時付き合っていた彼氏に隠し子が居たことで、たまたま傷心中だった母の心をするっとつかんだのが付き合うきっかけと聞いています。

ちょうどその頃、娯楽は映画からテレビへと移っていく時代で、東映の社員だった母は五社協定(東映以外の映画などに無断で出演してはいけない。)で女優を続けるか迷っていたようです。

母は女優を続けることよりも平凡な結婚生活での幸せを夢見て父と結婚しました。

少女の頃から芸事をし、人前に立ち、芸能界に長く居て、芸能界に疲れていたのかもしれません。

女優で居ることへの執着はまったくない人だったから。

結婚を機に母は女優をやめ、父と東京に移り住みます。

そして私を妊娠し、出産しました。

でも、それは母の思い描いた幸せな結婚とはほど遠いものでした。

逆にそこから母と私の苦難がはじまりました。

父はとても人が良い男性だったけれど、ものすごく女癖が悪かったのです。

私がまだ生まれたばかりの頃です。

こともあろうに父は母の妹と不倫関係になりました。

その時の母の心中を思うと娘である私が考えても同情します。

どんなに腹が立ったか、悲しかったかしれません。

父をなじることはできても、実の妹への嫉妬心はやり場がありません。

母のプライドはズタズタに引き裂かれたと思います。

人前で感情をあらわに出来なかった凜とした性格の母です。

泣くことすらできなかったんじゃないかと思います。

でも、その時はまだ生まれたばかりの私のために、もう二度と会わないのなら。。。と許すしかなかった。

それがどれだけ辛かったかは容易にに想像できます。

父と母の妹は母の前で、もう二度と会わないと誓ったそうです。

なのに、懲りない父は母に隠れて母の妹との関係を続けてしまいました。

自分の父親ながら呆れます。

それがまた母にわかった時、母にはもう父と結婚生活を続ける意思はありませんでした。

母は父と住んでいた家を私とスーツケース一つだけ持って飛び出しました。

私がまだ一歳にもならない時でした。

たった二年の結婚生活でした。



私の子供時代。



そういう訳で母と私は母子家庭になりました。

だけど、母と二人きりの生活ではなく、母は祖父が続けていた吉野舞踊団に戻りました。

吉野舞踊団はかつての華やかさは無くなってはいましたが、その頃はまだ生計を立てていくことのできる劇団ではあったようです。

母の姉たちとたくさんの劇団員がいるそこで私は幼少期を過ごすことになります。

私は吉野舞踊団の大人たちの中のただ一人の子供でした。

そこで母の姉たちや劇団員の人に面倒をみてもらいながら育ちました。

舞台メイクをした白塗りのお化粧の大人たちの顔が私が見る普通の顔でした。

幼少期、私が起きている時に見る風景は華やかな舞台と、舞台衣装と舞台メイクをした母や叔母たちや劇団員の人たちで、みんなが仕事を終えてお化粧をおとす頃には眠っていたのでしょう。

公演をしては移動の慌ただしい毎日、それでもまわりの大人たちはとても私を可愛がってくれました。

昼と夜の公演の合間でしょうか?

白塗りのお化粧で浴衣をまくった姿のままの叔母が私をプールで遊んでくれている写真が残っています。

2歳の私はそのプールにあったペンギンの噴水の一つが壊れていたことを覚えています。

遊んでもらえる時間などなかった私に、そのプール遊びがきっと一番楽しい時間だったんだと思います。

だけど、母に抱いてもらったり、遊んでもらった記憶はありません。

母は「お母さん」にまったく向いてない人でした。

日本全国どさ回り、安住の地も家もありませんでした。



3に続く






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