私のお父さんは今単身赴任中です。
今は単身赴任中ですが、元々は家族で転勤族をしていました。
私が生まれた時は香川県にいて、高知に移って、また香川に戻って、横浜にきました。
私は幼稚園に3つ行きましたが、それが普通のことだと思っていました。小学校も途中で1度転校していますが、それが普通だと思っていました。
途中でみんなには「幼なじみ」というものがいると知って、びっくりしたくらいでした。
パパは(お父さんなんて読んだこと無いのでこれより先はパパと書きます)私が物心ついたときから仕事がずっと忙しくて、出張やらなんやらで帰ってくるのは週に数日でした。
帰ってきたとしても終電で帰ってきて早朝に出て行ったり、ひどいときは始発で帰ってきてシャワーだけ浴びてまた出社する、ということもよくありました。
私にとって父親はパパひとりなので、しばらくはお父さんというものはそういうものなのだと思っていました。
夕方の電車に乗っているサラリーマンを見ても、どこかに向かっている途中なのだと思っていました。
電車通学を始めてどうやらこのスーツの人たちは帰宅しているのだと気づいた時には、なんでそんなに早く帰っているのだろうとびっくりしたくらいでした。
パパが今働いている街。
先日遊びに行った時に、一望できる部屋を取っておいてくれていた。
パパは仕事が楽しいから頑張れるんだと思っていた
そんな父の姿をずっと見ていた私は、パパは仕事がとっても楽しいんだと思っていました。かなり小さい頃にオフィスに遊びに行ったことがありますが、その時パパは私にパソコンでぷよぷよをする方法を教えてくれて、なんて楽しいお仕事なんだ!と思っていました。
もちろん途中でパパの仕事はぷよぷよじゃなさそうだと気づいたけど、何にせよこんなに頑張れるってことはきっと毎日笑顔で働いているんだと思っていました。
満員電車で通勤する大多数のお父さんがこの世の終わりのような顔をしていて、満員電車で帰る大多数のお父さんが疲れきった顔をしているのを見ては、うちのパパは幸せだなあと思っていました。そんなパパの娘である私は幸せだなあと思っていました。
でも楽しいだけでそんなに頑張れるものなのだろうか?
途中から少し私は賢くなり、パパはどうしてそんなに頑張れるんだ?という疑問を持つようになりました。
確かにパパの仕事はとっても素敵なお仕事です。パパが創ったものを見ると私まで嬉しくなりますし、そのかっこよさはどんな人にだって負けていないと思っています(もちろん娘補正が入っていることをお許しください)。
でも、それだけでここまで頑張れるものなのだろうか。
今まで何をやっても没頭しきれなかった私にとっては、年がら年中仕事のことを考えていて楽しいだなんてことはあり得るのだろうかと疑うようになったのです。
でも当時の私には、楽しいから頑張れる以外にあんなに頑張れる理由が見つからなかったのです。
去年事故にあってしばらく入院していた時も、会社の人が病室に来た途端痛みでしかめていた顔を仕事モードに切り替えて、動かせない右腕をかばいながら図面を広げて何やら指示を出していました。
ただでさえ毎日仕事に追われているのに、たまの休みの日だってでかけた先で仕事関係のものをみつけると、ぶつぶつ言いながら触ってみたり色んな幅や高さを自分の腕を基準に測ってみたりと仕事脳が抜けません。
就活を目前に控えた私は、パパは運良く天職に巡りあったのだと羨ましく思うようになりました。
私が就活を迎えたある夜のこと
そしていざ自分の就活が佳境を迎え、初めての最終面接の前日。父は単身赴任先から帰ってきていました。
1ヶ月に1度か2度しか帰ってこないのにその時も仕事のことを考えていたようで、自宅のパソコンで調べ物をしていました。
もう家族は寝静まっている夜中にパパが薄暗いリビングで仕事をしている姿を見るのはなんだか久しぶりな気がして嬉しくなり、ブラックのコーヒーをすするパパの真似をしてさほど好きでもないコーヒーを淹れ、何とはなしにパパの周りをうろうろと歩き回っていました。
普段寡黙なパパはチラっとこちらを見て、早く寝ろよ?とパソコンを見ながら言いました。冷たく聞こえるけど、不器用なパパにとっての精一杯の気遣いだと知っている私はうん、とだけ返事をして、iPhoneをいじったりしてみながら少し離れた壁際に座りました。
実は最終面接前に企業の人から、
「あなたは今後のことが見えていない。将来どうなりたいの?何がしたいの?」
と詰められていた私は、前日になってもまだ答えが出ていませんでした。企業の人には、20年後30年後のことを想像してみたらと言われていましたが、少しも想像できませんでした。
でもふと、パパはそんなことは学生時代にきっと見えていたのだろうと思いました。だから、何気なく聞いてみようと思いました。聞いてみようというよりは、少し愚痴らせてもらおうと思いました。
私は牛乳をたっぷり入れたコーヒーを抱えた膝の上に置いて、家族を起こさないように小さな声で話かけました。
「明日の最終面接で、将来どうなりたいかとか、何がやりたいかとかを話さなきゃいけないらしいの。
でも私は、そんなことちっとも分からない。
今までのこととか今現在のことはいくらでも話せるけど、将来のことなんか分からないよ。そもそも、20年後や30年後を想像してみろだなんて、その頃生きてるかも分からないのにおかしくない?」
私は話しているうちに、到底こんな質問の答えは出せそうにないと憤り始め、自嘲気味にまくしたて、座っているのでは落ち着かなくなり、コーヒーを飲み干してパパの座っているテーブルの向かい側に立ちました。
パパはキーボードを叩くのを一瞬止めて、こちらを少しだけ見ました。一瞬キーボードをもう一度叩こうと手を伸ばしましたが、すぐに引っ込めてコーヒーをすすり、ゆっくりとマグを置きながら口角を少しだけ上げて笑ういつもの表情を見せました。
そしてゆっくりと息を吐き出してから、「幸せになってくれよ」と言いました。消え入るような声で「頼むから」とも言いました。
パパのメガネにはパソコンのブルーのライトが反射していて、表情は見えませんでした。
でも私の顔は無防備な状態です。表情を崩せば、すぐにバレてしまいます。私は耐えられなくなって、
「そんなんパパに言われなくても幸せになるもん」と茶化してその場を逃れました。
必死で平静を装って廊下を歩いて自分の部屋につくと、枕に顔を埋めて息を殺して泣きました。それでもバレてしまいそうで毛布を掴んで頭から被って泣きました。もう寝たと思われるように電気も消して、枕が湿って不快だと気づくまで延々泣き続けました。
パパが頑張れる本当の理由は私達のためだった
パパがあんなに頑張れる理由は、仕事が楽しいからとか、やりがいがあるからとか、そんなものではなかったのです。
もちろんそれもあると思いますが、何よりずっと、私達の幸せを願って、毎日満員電車に揺られ、夜遅くまで働いていたのです。今は私達と離れた単身寮で毎日仕事と一人で向き合っているのです。
そう考えると、今までの思い出が突然重さを増してきます。
母と弟が入院していた頃に、私の運動会に一人で来て、片手にカメラを構えながら親子二人三脚を一緒に走ってくれたこと。
私がいじめられてることをママにやっと告白した翌日に、普段はもう出ている時間になってもスーツで待っていてどこの誰だ?パパが殴ってきてやる。と真剣な顔で言ってくれたこと。
受験の時に、エクセルで受験カレンダーをつくって予定を立てるのを手伝ってくれたこと。ひそかに私の受験先を色々と調べてパパなりの情報を教えてくれたこと。
全部全部、私達の幸せを願ってがむしゃらに働きながらのことだったのです。私達が見えていただけでも大きかった愛情は、もっともっと大きく、深いものだったのです。
私はその愛情に頭をおもいっきり殴られたような感覚に陥り、なんて私は幸せなんだと、パパが組み立ててくれたベッドの上で、ママが選んでくれた布団にくるまれて噛み締めながら、いつの間にか眠っていました。
次は私の番
それからしばらく経ったある日、第一志望の最終面接に、私はすっきりとした顔で臨めていました。
初めての最終面接と同じように将来のことを質問された時、私は幸せになりたいと答えました。
私にとっての幸せは何より家族との時間だから、家族を守るためにも何かに依存せず稼げるだけの女になりたいと答えました。そして家族が増える頃には家族との時間を大切にできるように柔軟な働き方ができるだけの女になっていたいと答えました。
仕事でこんなことを成し遂げたいとか、こんなビッグになりたいとか、そんな類の話ではなかったけど、その時の私の本心からの言葉でした。ここで働きたいと心から思った会社の役員の方はニコッと笑って、いいね。と言ってくださいました。私は、この答えで落とされたとしても悔いはないと思いました。
私はその「ここで働きたい、この人達と働きたい」と心から思った会社に来春から入社するわけですが、点と点は繋がるようで、その企業は人材の領域を扱っています。
働くとはなんだ?みんなどうやったら頑張れるんだ?をいつの間にかずっと考えていた私にとっては、自分らしく働けるフィールドではないかと今からわくわくしています。
人材という領域の特性上、どんな業界のどんな企業ともお仕事ができる可能性があります。
いつかパパの会社と仕事がしたいと、いつかパパと仕事がしたいと、密かに「将来やりたいこと」も見えてきました。
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こんなに長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
今日祖母の家で祖父の遺品整理を手伝っていたのですが、祖父の遺したものの端々から家族への愛情を感じてとて温かい気持ちになり、私も父から感じている愛情を何かの形で記録しておきたいと思い立って一気に書き上げました。
拙い文章ですが、パパが小さい頃に褒めてくれたこの頼りない文章力で、パパから貰っている愛情の100万分の1でも伝えられていれば、娘として嬉しい限りです。