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「川久保企画デザイン」に対する検索結果が9635件見つかりました

  • 雑誌を作っていたころ(19) | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 普通のグラフィック誌では、テーマごとに少しずつデザイン入れをするものだが、ぼくらは「別冊太陽」の流儀で作ることにしていた。そのほうが全体を見渡しながらデザインの作業できるからだ。 なにより本にデザインの「流れ」を作ることができる。昨今のグラフィック誌は企画ごとに別のデザイナーが担当していることが多いので、この「流れ」ができていない。   悩んだあげくに、ぼくはカバーと表紙のデザインをまったく別のものとすることにした。カバーの表紙は「売るためのもの」で、カバーを外した本表紙は「保存するためのもの」。これなら表紙に好きな写真が使える。 それなのに別の4色デザインとし、さらにカバー裏にも2色印刷の図柄があるのだから、印刷コストは当然高くなる。おまけにこの本は広告とのかねあいでカバーの折り返しが深く、手折りでないとかけられない。

  • Ozoneができるまでとこれから。フェスで未来をデザインする仕事。 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/8/2 Ozoneができるまでとこれから。フェスで未来をデザインする仕事。 それからは、そんな自分の生き方を「自由を保障する空間デザイン」と名付け ワークショップや、学校づくり、コンサル、リバ邸というシェアハウス、自然の中での学びの場や、Silent itというサービスなど、思 そもそもフェスはソーシャルデザインを孕んだものですが 分かりやすくするために名前をつけました。 これは教育とエンターテイメントの グラデーションとなる役割を持っています。 サイレントフェスの本質はヘッドホンをつけている人同士の 奇妙な一体感と非言語コミュニケーションの促進によるコミュニティデザインに あるのですが、それを学校や芸術館、森やオフィスなど多様な場で多様な人々を フェス開催はそのプロセス自体に、未来の学習必要性が高いスキルが詰まっており それを体系化していくことで、フェス開発に伴うプロセス自体を 新卒研修や、教育機関でのアクティブラーニング 地域のコミュニティデザイン

  • 何の取り柄もない自分が、グラフィックデザインで独立するまでのお話し。「第三話 〜大学時代・後編〜」 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/9/28 何の取り柄もない自分が、グラフィックデザインで独立するまでのお話し。 その当時は、“デザイン” という概念が自分の中で全くなく、漫画を描いていた流れからの手法として、イラストレーションをメインに進めた。皆の話を聞き、あーでもない、こーでもないといいながら、形にしていく。 お互い納得いく形で、デザイン系の専門学校に入ることになった。デザイン系、といっても、当時自分が目指していたのは、イラストレーター。 (当時、グラフィックデザイン科の中にイラストレーション専攻が存在した。) 高校時代は漫画家になりたかった。…でも、漫画って色んな構図をたくさん描くからむずかしい!

  • episode1 普通コンプレックスが重症化したデザイナーの末路 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 episode1 普通コンプレックスが重症化したデザイナーの末路 Facebook X (Twitter) リンクをコピー はじめまして。スミレと申します。 沖縄でデザイナーをしています。 「デザイナー」という職業。 割と普通ではない要素がある私ですが、ここ最近まで「普通コンプレックス」が重症化していました。 第三段階:重症化 〜普通じゃない人しかいない世界〜 24歳のときにデザインの道に入った。 手に職が欲しかったのと、色がたくさんある世界が好きだったからだ。 この頃は好きで入ったデザインが嫌いになっていった。 所詮自分には才能がないと本気で思っていた。 あっという間に「普通コンプレックス重症化」の出来上がりである。

  • 【その②】全くの未経験から憧れのデザイナーとして上場企業に内定できた経営学部生の話 | STORYS.JP 人生物語

    13/9/14 【その②】全くの未経験から憧れのデザイナーとして上場企業に内定できた経営学部生の話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 自分のやりたいことを見つけて、Webデザイン この時期に見つけたもう1つの道しるべ 時間はかかったけれど、Webデザインという、やりたいことを見つけられた自分。でも、スキルはほぼ皆無。 いや、もちろん、就活をしながらでも、デザインの勉強をする事はできると思った。が、なんだかんだ就活忙しくなったら勉強どころではきっとなくなるし、今やらないと「やりたい! (幸い僕の大学は休学費用がかからなかったが) しかし、1年間やったところでデザインを仕事にできるのかなんて分からなかったし、そもそも今は熱くハマれそうだったけれど、それが長続きする保証なんて全くなかった がむしゃらにやるにしてもデザインの勉強のやり方なんて分からなかったし、この熱も一時的なでき事だったらどうしようか、という不安があった。

  • 迷いに迷って原点へ。イラストレーターになるまで | STORYS.JP 人生物語

    デザインを勉強しようと思った理由 進路に悩みながらも、女子美術短期大学の情報デザインコースに進学。 その中でも唯一デザインは苦手でした。 それでもなぜ、デザイン科に進学したかというと、姉の助言もあったのですが、大きく2つ理由がありました。 1つは、ミッフィーの作者のディック・ブルーナさんがデザインをしていた経験があるので、 私もデザインを踏まえた絵を描きたいと思ったからです。 もう1つの理由は、絵でどうやって仕事に結びつけて良いのかがわからないので、デザインもやっていたらデザインの仕事にも就けるのではないかと思ったからです。 他の美大では当時は、高校時代にデザインの勉強をしていないと、デザインに入る事は難しかったので女子美だからデザインを選択することができました。

  • デザイナー修行物語その2:社長に「豚」と呼ばれても、右腕としてやり通した後で得たものは、かけがえのないものでした。(再就職〜独立) | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/1/21 デザイナー修行物語その2:社長に「豚」と呼ばれても、右腕としてやり通した後で得たものは、かけがえのないものでした。 希望通り、エディトリアルデザイン会社に就職。 さて、ロンドンから帰国し、私は希望通り、エディトリアルデザインの会社に就職することが出来ました。 デザイン会社は社員2〜5人くらいというのは珍しくなく、その人数で結構な数の雑誌をこなしているところも多いと思います。 新卒で入った会社と同様、私はまたイチからの修行です。 例えば、それと同時に新しいページをデザインさせて貰えるならまだ良かったのですが、デザインを任されることは3ヶ月たっても一切ありませんでした。 業を煮やして直談判。 社長は基本的にAD業のみをやっていて、社員がデザイン業をして回している会社でしたので、社長が撮影や打ち合わせでADとして出ているとき、私はそのアシスタントとして、撮影現場に立ち会わせて貰ったり、お使いに

  • 大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ① | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 久保の活動をインターネットで知り、 大槌への移住を決意した青年・吉野和也の後見人とも言える立場で、 プロジェクトの立ち上げから運営に至るまでほぼすべての項目を統括。 刺し子プロジェクトでは、主に商品の企画・制作進行を担当。 旧知のグラフィックデザイナー、グッズ制作会社と 現地スタッフをつなぎ、商品化を進めた。 そして、主にインターネットを使って久保の後方支援をすることに。
 こうして、久保が約1ヵ月の長期休暇を取り、 岩手でボランティア活動をしたことが、すべての始まりでした。
 4月4日。久保、岩手入り。 久保が、避難所の状況(代表者/人数/物資の状況など)を次々に聞いて回りました。 途中、インターネットを通じて活動を知り、twitterで久保にコンタクトを取る人物が現れました。

  • 車中泊による飛込営業の旅。 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/11/1 車中泊による飛込営業の旅。 当時の僕は企画もナシで、ただ飛び込んで名刺とパンフ渡すだけ。 売り口上も「元デザイナーでデザインが出来る営業だからデザイン代もその場で出せる。」みたいなこと言ってたかな。別にウリでもなんでもない。 アポイントをとってた時期もあったんですけど、電話で断られるのが嫌だったのと、いきなり行けば担当者がいたら話が出来るし(電話だと居留守使われるし、担当者に繋がる前に電話切られてしまうから)。

  • 英語話せない!海外行ったことない!お金ない!田舎のグラフィックデザイナーが一人でニューヨークに行き、人生が変わりかけている話。【前編】 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/3/31 英語話せない!海外行ったことない!お金ない! 田舎のグラフィックデザイナーが一人でニューヨークに行き、人生が変わりかけている話。【前編】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー ニューヨーク旅行の写真↑10ドルパクられました。 その頃私は徳島県の短大でデザインの勉強をしていた。 ニューヨーク在住のWEBデザイナーからフォローきた!」 チャニーズの親友 「へー。そうなんデスカ。」 (リアクションが薄いな・・・・。言い方を変えてみよう。) パスポート代が払えないので、 グラフィックデザインの仕事を取ってきて、 パスポート代分を稼いだ。 飛行機を予約するときは、海外旅行に詳しい友人に協力して もらい、比較的安い直行便を予約。

  • 手が届きそうな範疇内で、一番苦手そうなデザインをやってみようと思ったわけ | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/3/13 手が届きそうな範疇内で、一番苦手そうなデザインをやってみようと思ったわけ Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私に向いていることは、あんまり仕事と関係がない。

  • 高校時代、デザイナーになる人生を選ぶことになった母の一言 | STORYS.JP 人生物語

    感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/1/17 高校時代、デザイナーになる人生を選ぶことになった母の一言 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 高校3年も目前、将来どうしようかな、と考えていた。 まさに「デザイン」です。クライアントがいて、課題があって始めて成立するものですが、私にはそれがとても向いていました。 大学卒業後、デザイン会社を2社勤め、28歳で独立 しました。(独立までのお話は、また機会があれば。) 現在、フリーランスとしてもう10年近く働いています。 長く続けてこれたということは、やはり17歳の頃に思っていた通り、デザイナーという仕事がとても向いていたのだと思います。

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