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14/1/17

高校時代、デザイナーになる人生を選ぶことになった母の一言

Image by Olia Gozha

高校3年も目前、将来どうしようかな、と考えていた。

漠然と、人の役に立ちたいから福祉関係の短大に行こうかな、と思っていた。


その頃は、中学から続けていたテニス部で、毎日練習に明け暮れていた。

高校は、真ん中より少し下レベルの学校。その中で「進学クラス」に属していた。

なぜか各部活のキャプテン、副キャプテンが全員いたクラスで、

例に漏れず、私もテニス部のキャプテンだった。

趣味は読書と漫画とロック。

小学校の頃の夢は、漫画家になること。


中学の頃の夢は、理科の先生。

あんまり明確な目標や、将来こうなりたいっていうのがなかった。

当時はまだインターネットもなく、世間にどんな仕事があるのか、自分にはどんな可能性があるのかということを知る手段は、テレビかラジオか本しかない時代だった。

母からの、斬新な提案


そんなある日、学校から帰って、母と話をしていると・・・


「そんであなた、大学行くの?」

「うん。行きたいなと思ってるんだけど・・・」

「どういう学部に行きたいの?」

「一応、福祉の短大に行こうかなって思ってる。」

「ふぅ〜ん・・・ねぇ、ビダイとか行かないの?」

「は?なにそれ??何の大学?」


美大への道のり

ビダイ、が「美大」という意味だと当時は知らなかった。というか、そもそも美術の大学というものが存在することすら、知らなかったのだ。

この母が何気なく言った「美大とか行かないの?」という一言がきっかけで、私は美大を目指すことになった。

絵を描くことが昔から好きだった私をよく知っている母からの、斬新な提案だった。

ちなみに普通、美大に行くような子というのは、高1やそのもっと前から、絵の教室で本格的にデッサンなどを何年も習っているもので、高3になっていきなり美大を目指す、というのはほとんどありえない世界だ。

なぜなら美大は教科の試験の他に「実技」というものが存在し、そのために予備校などで専門的な絵の勉強をしていないと、受からないものだからである。

とりあえず母と話をした翌日、高校の美術の先生に相談に行ってみた。

結論から言うと、

高校の美術の先生「まぁ、今からだと厳しいかもしれないけど、とりあえず予備校行ってみれば?」

というアドバイスを受けた。

しかしその頃、高校最後の夏の総体が間近にせまっていた私は、ますます練習に明け暮れていたので、予備校のことは部を引退してから考えることにした。

夏期講習からの美大予備校参加

夏の総体を終え、部活を引退して、本格的に美大を目指し始めた。

夏期講習初日、母と一緒に美大予備校へ。

デッサンなるものに、いったい何が必要なのか、まったくわからなかった私はとりあえず受付で一式購入して貰い、じゃあがんばってね〜と手をふる母に、力なく微笑みながら教室へ。

・・・教室は、完全にアウェイな雰囲気だった。

生徒たちは、デッサンなんて生まれたときから描いてますけど何か?という強者揃い(に見えた)で、ツンとすました顔(に見えた)で紙に水はけで水を塗っている。もちろん知り合いは一人もいない。

私は、一体なんで紙に鉛筆で絵を描くのに、水はけで水を塗っているのか意味もわからず、入り口に呆然と立ち尽くしていた。

すると、イケメンの芸大の先生が、「やぁ!君、はじめて?」とやっと声をかけてくれて、いろいろ教えてくれたのでした。(先生素敵だったなぁ〜)

初日はきょろきょろとまわりを見ながら、鉛筆がなぜ10種類も必要なのかわからないまま、ひたすら描くことで終わってしまった。

初めて描いたデッサンの講評は「机から完全にものが落ちてるよね」。当時は「パース」という概念もなかったので、「はぁ・・・」という感じでした。

現役合格の秘密

結論から言うと、私はその年、奇跡の現役合格をし、無事美大に入ることが出来ました。

夏から始めての現役合格って、結構優秀なのですが、それは私が闇雲に芸大とかを狙わず、自分の最も得意だった実技「平面構成」で入れる大学を選んだからだと思います。(美大受験の実技には、デッサン、平面構成、立体構成の三種類あります)

美大に行って何をしたいか、までとくに考えずに始めた挑戦でしたが、予備校に通って作品を作っていくうちに、自分が何が得意で、どんなことに向いているか、というのが見えてきたのでした。

私は、限定された中で色を選び、構成し美しく仕上げる、ということが得意でした。まさに「デザイン」です。クライアントがいて、課題があって始めて成立するものですが、私にはそれがとても向いていました。

"自分はアーティストではない"

ということは17歳の予備校時代にもう気づいていました。自分は真っ白なキャンバスに「自由に描いてよし」と言われて何かを描けるタイプではなく、例えば「アルファベットで"楽しさ"を表現しなさい」とか、与えられた課題の中で創意工夫をしたり、自分を表現することが好きでした。

その狙った大学の入学試験の前日に、実技の模擬試験が予備校で行われたのですが、実力のある浪人生や現役の生徒何十人の中で、私の作品は断トツでトップでした。

翌日の入試で問題を見たとき、自分の合格を確信しました。なぜなら、前日の模試とほぼ同じ内容の試験だったからです。色選びも構成も、自分の中ではもう出来ていました。結論をいうと、その入試のときの作品は、その年の入学生の中でトップ3に入っていました。

自慢を書いているようですが、そうではないのです。

私が言いたかったのは、目標を達成するときに必要なのは、自分の実力を買い被らず見極める冷静な判断力と、それを必要なところで、しっかりと出し切る実行力だということです。(アスリートの考え方と似ているかもしれませんね)

早くから自分が何が得意かを見極め、それを自分で伸ばしてあげるようにするというのは、若いときに出来ると、のちのち強みになると思います。

20年後

あの頃からもう20年が過ぎました。

大学卒業後、デザイン会社を2社勤め、28歳で独立しました。(独立までのお話は、また機会があれば。)

現在、フリーランスとしてもう10年近く働いています。

17歳のあの頃、美大の存在すら知らなかったのに、母の何気ないひとことでこんなに人生が変わってしまうなんて・・・。

長く続けてこれたということは、やはり17歳の頃に思っていた通り、デザイナーという仕事がとても向いていたのだと思います。そして、そんな仕事に出会えて、毎日好きなことをしてごはんを食べられる、こんな幸せなことはありません。母にはとても感謝しています。

また、私はフリーという形態も自分に合っているようです。様々な仕事を自分の実力で切り盛りしているのだという、充実感があります。

今ここまで書いてみて、母の一言が決定的に大事ではあったけど、やはり「自分に何が向いているのか、合っているのか、自分は何が得意なのか」をよく知って、それを伸ばすように生きて来たからこそ、ここまで長く続けてこれたのかなと思いました。自分を知るというのは、大事なキーワードのようです。

ここまで読んで頂いて、どうもありがとうございました。


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