「社長に」に対する検索結果が16159件見つかりました
- 雑誌を作っていたころ(47) | STORYS.JP 人生物語
クルマ担当の机には、毎日のように自動車メーカーや関連業界各社からのニュースリリースが届く。うっかり開封するのをさぼると、すぐ山になる。 さっそく「開業マガジン」を出してもらっているバウハウスの山崎社長に話をした。すると「広告が取れるなら、やってもいい」と許可が出た。出版元はバウハウスではなく、系列の英知出版に決まった。 平成10年の改定は、おもに衝突安全のために軽自動車のボディ枠を拡大するものだった。それにより、エンジン排気量は660ccに、高さは2mに据え置かれたが、長さは3.4m、幅は1.48mと拡大した。 広告申込を合計してみると、6社に加えてブリヂストンと横浜ゴムが参加し、締めて700万円。クルマ媒体において何の実績もないぼくらが出す最初のムックにしては、望外の結果だった。 「軽自動車のすべて」をバリアフリー特装車に至るまで網羅し、全車種のスペック一覧も完備した。あまりに力が入りすぎていて、どこにも隙がないのが欠点といえば欠点だったかもしれない。
- 第8章 ドン底から1年で年商1.5億円のV字 | STORYS.JP 人生物語
最初の2年はまぁぼちぼち軌道に乗ってやっていたのだが、急に友人が京都のお坊さんになることになり、一人ですることになった。 急に右も左も分からないまま、僕は一人で経営していくことになった。 だが、うまくいくことはなく、無一文になってしまった為、泣く泣く地元に帰ることになった。 地元に帰りお金がない中どうしようかなぁとまた考えていた頃、アップルからアイフォンが発売された。 普通の一軒家が壊れたアイフォンまみれになったが、お金になると思うと、全く苦にならず寝ることも忘れて、面白いくらいにどんどんどんどん手は動いた。 気がつくと年商1.5億円になり、お店も構えて従業員も雇い社長になっていた。 そんな最中、3.11があった。 これはすぐに懐中電灯や、発電式の充電器が必要になると思った僕は、すぐに中国に手配し、中国に飛び立ち、ありったけの必要物資を持って帰国してすぐにネットで発売すると全て完売になった。
- vol.5 おりがみ【二十歳まで生きれないと言われた兄とわたしの物語】 | STORYS.JP 人生物語
「もう絶対に瞬間接着剤の先を目に向けない。」家族みんなで大笑いした。 もう一つは、急に居なくなったで賞。ある夏の日、兄は窓に背を向けて畳に座り込み、いつもの様に背中を丸めてミニ四駆制作に熱中していた。 みるみる腕を上げ、既に民芸品屋に置けるくらいの技を身につけていた。母と珍しい和紙や作品を貼り付ける色紙を買いに出かけることも増えてきた。 彼はおりがみクリエイターとしての肩書きを手に入れたのだ。 肩書きと言えば、兄は社長になったことだってある。わたしが高校生になった時、母は突然お洋服お直しの店をオープンさせた。 母はしばらく知り合いの店で洋服直しの修行をし、着々とオープン日に備えた。 「お母さん、お店はじめたから!お兄ちゃんの社長席はここにするからね!」 社会人として初めての社長職。 文字通り気まぐれな社長出勤が多かったけれど、お店は順調に繁盛し続けた。
- 新卒で入社した会社を2年で辞めて転職活動をした話 | STORYS.JP 人生物語
社長には期待されていたみたいだけど、彼は細かすぎる性格と部下に対する辛辣な物言いのため皆に嫌われていた。 そんな上司とどんな事があって左遷させられたかについては、ここでは割愛する。 彼女と面談をしてsakuraiさんの希望条件に見合った求人を30-50社程紹介するので、初めはあまり興味の無い求人でもとにかくエントリーしてみてくださいと言われたので、とにかく待つことにした。 その数およそ40社。 書類選考に通ったのが8社。 最終選考まで残ったのが4社。 内定をもらったのが1社。 最終的に内定の連絡がきたのが6/6、転職活動をして2ヶ月以上たっていた。 そこのバイヤー兼貿易事務職に就くことになった。 本命の、ECサイト向けにドロップシッピングサービスを展開している会社には最終の社長面接で落とされた。 そのために余計に内定まで時間がかかったと思う。(これは今後も意識的に治していかなかければならない。) 3,日用雑貨業界自体大手を除けば儲かっている会社は非常に少ない。故に求人数も少ない。
- 「客員研究員」という変わった肩書き。 | STORYS.JP 人生物語
確か品川プリンスホテルの喫茶店で、K兄弟と、新社長のYさん、アーキテクトのOさんと、新会社の主要メンバーが一同に会した中でこんな話をしたような気がする。 客員研究員2 かなり割愛するが、いろいろあってYさんはSという別の会社との付き合いを始め、近くそこの副社長に収まるのだと言う。そして僕にも遊びに来いという話になった。 面白いことに、K兄はそのS社の社長の愛弟子だと言う。K兄は腕の良いプログラマーで、その師匠がどんな人かとても興味がわいた。 S社の社長曰く「面通し」と名付けたその会合に、僕は自分が作っていたRSSリーダー(久しぶりにC++で、プラグインを使いまくる思想でやっていた。)を持って行った。 デモはうまく出来なかったのだが、S社の社長Y田さんは僕を気に入ってくれた様子だった。
- 第4話 最初の月末「社長、1,000万円足りません」 | STORYS.JP 人生物語
オンデーズの社長に就任してからすぐに、本部社員全員との個人面談、旧経営陣からの業務の引き継ぎ、逼迫した資金繰りの実態把握、メガネの製造販売についての基本的なビジネスの仕組み、etc…。 更に資金も担保も無い胡散臭い小さなベンチャー企業の社長ときている。 想像に難くないが、急なアポ入れにも関わらず、全ての銀行において支店長自らが、そんな澁谷社長を快く出迎えた。 しかし、挨拶がわりの社交辞令も交えた和やかな世間話も終わり、澁谷社長が本題に入ると、皆一様に顔を曇らせた。 澁谷社長から「新社長」として紹介された僕に対して、居並んだ銀行員たちは明らかに困惑し嫌疑の視線を投げかけていた。無理に笑顔を繕おうとするその頬は、引きつりピクピクしている様にも見えた。
- 社長兼バンドマン〜序章〜 | STORYS.JP 人生物語
感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/7/22 社長兼バンドマン〜序章〜 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 自己紹介をしてみたいと思う。 今年24歳になる。 そんな僕だが、一番好きな事。それは人をわくわくさせる事だ。 いつからこんな気持ちになったのか、いつからこんな人の事を考えるようになったのか。 そうして、僕はフランスに引っ越した。 フランスで僕はビジネスを始めたいと思った。理由は単純だ。 社長という職種に憧れていたから。 ただこれだけの単純な気持ちで、ビジネス!という英語を知り、ビジネス! ビジネスすれば僕は社長だ! そう信じて、ビジネスモデル?(当時はなにを売るか) を考え始めた。 学校で過ごしているとその当時『遊戯王カード』というものが流行っていた。 そうして、始まった人生初の社長業務。 なんか違うような気もするけど これも今の僕を形成している社長への道の始まりだった。 人生映画を見に行きたいと思うだけで、 ビジネスは始められる。
- 「楽しいこと以外やらない。」そうやって生きていくことだけ、決めました。 | STORYS.JP 人生物語
学生でいながら慢性的にスケジュール帳は真っ黒でした。 手に職をつける訳でもなく、勤勉に励み自己課題研究に没頭する訳でもなく。 「社会に出てからは真面目にどうにか働きます。だから学生のいまくらい神様。大目にみてはくれませんでしょうか?!!」 たつみかずき(19歳) 「やす(仮名)もいつかは店持ったり、社長になったり、やっぱりしたいん?!!」 やす(仮名) 「はー?!たっちゃんなに言うてんの??!そんなん思てる訳ないやん!!」 ぼくは自分にゆっくりとこう言いました。 「たつみ。あれだ。なんて言うか。。うん。 勘違い、だったんだよ。。」 そうか。大学に行ったら社長になれる訳じゃないんだ。。 こと ・30歳になるまで旅には出ない! ここではないどこか。を求める自分に未来はない。
- 夢から風 | STORYS.JP 人生物語
時々は、社長に付き添って、いろいろな現場を体験しているということだった。坂田さんの隣に今崎社長が座り、以前にはなかったことだが、携帯で指示を出している。人材派遣の業務も執り行いはじめていた。 会社に着くと、更衣室の、与えられたロッカーを開け、作業着に着替えた。今日から正社員になったので社長室に行き、今崎社長に挨拶した。 「どうしたの?」 「今日から正社員なりましたので、まずは社長にご挨拶と思いまして」 まばたきを何回もしながら、社長を見た。 「そうなの? 「井村社長の耳に絵里の噂話が入った。会社の誰かと付き合っていると感じとった親が社長に相談したらしい。やがて君のことを知ることになる。それで君のことを探るために直属の上司の鬼吉が呼ばれた。 ここから君たちの間に、見えない壁が立ちはだかることになった」 岩立さんが井村社長から聞いた話だと、鬼吉係長は井村社長に、胡桃亨は仕事ができない上に、責任感がなく、嘘をつき、サボり癖があるので、指導が大変
- 希望は、あきらめずに挑戦し続けた先にしかないという話〜毎日がんばってるけど、道を見失いそうな"あなた"へ〜 | STORYS.JP 人生物語
この会社の社長は、私が「エディトリアルあまり好きじゃない」とあっけらかんというのを、苦々しく思っていたようだった。 そのバイト先には、大学の同級生のAちゃんも来ていた。 私達は仲が良い方だったが、バイト先の社長はAちゃんをとても気に入っていて、私とAちゃんはことあるごとに比べられた。 ある日、私達は社長にとある展覧会に連れて行って貰った。 展覧会を観た後、社長と私達は秋葉原駅前の喫茶店に入って、コーヒーをごちそうになった。そして、社長が私達を見比べてこう言った。 社長 「Aちゃん、いつもありがとう。 素晴らしいデザイナーになると思う。将来が楽しみだよ。」 社長 「・・・Tommy、君は正直に言ってデザイナーに向いてない。才能がない。エディトリアルも嫌いみたいだし、あきらめなさい。 →私は卒業後無事就職し、現在では「向いてない、才能がない」と言われた、社長と同じ「エディトリアルデザイナー」として活躍している。もうデザイナー歴15年になる。独立してからは10年目。
- 第9話 九十九里へ移住【ドラゴンロード〜千葉から祈りの島五島列島へ 神に導かれた奇跡の旅〜】 | STORYS.JP 人生物語
家を出て カウンセリングに通うようになり トラウマ治療をして 鬱、パニック発作になり それと同時に誰かの声に導かれ 宇宙とつながるようになり 私は自分の意思とは違う道へどんどん導かれていくようになりました ようやく少しずつなら働けるようになったという感じでしたので九十九里の家から通える仕事を探しました。 千葉駅のすぐ近くにある千葉そごうのお惣菜売り場のお仕事が面接に行ってすぐに決まりました。 引越し当日 荷物が多すぎて 頼んだ引越し屋さんでは荷物が乗らず、 自分の車にも積むのですが一度に乗り切らず、また往復。 へとへとになるし 本当に引越しをして大丈夫だろうか? 100%私が悪いのですが いつもだったらそんなこと言わない社長が なにかに言わされるように、私をクビにしました。 そのとき、私は心の中で頭を下げました。 自分から言うことができず 社長に言わせてしまったこと そして、クビにしてくれたことに感謝しました。 それから1ヶ月の引き継ぎ&猶予をもらい次の仕事探しをはじめました。
- 今の時期だからこそ、、、番外編 | STORYS.JP 人生物語
だから、ちょっと脱線した内容になりますが、この期間中に私の身の回りに起こったこととして番外編として記録を残します。 私には高齢になる両親がいます。 が、昨年10月ごろに歩くこともできないレベルに一時的に状態が悪化し、そのことが原因で病院への入院が必要な状態になり、緊急入院をしました。(結果それ以降実家には戻ってきていません。) (同時に私が海外で新型コロナウィルス に感染しても、家族に会うことも何も出来ずに死んでいくんだろうなぁ』という覚悟もしていますが。) 実際に2月末の時点で会社の社長に『海外渡航が制限される前に、日本に戻りたい』『私の仕事内容的にオンラインでの仕事が可能なので日本で在宅勤務をさせてくれないか?』という相談をしていました。 社長からは、事前に仕事内容や進め方に関して打ち合わせをキチンとしておくこと、という条件付きで了解は得てありました。

